06 特別講義
トトゥーナが子供たちに魔法を教えるところから始まった。
男女合わせて三十一人のスクール生にシンプルな杖と小石を配り、物体を浮遊させる初歩的な魔法を実践させる。魔力を込めた杖を浮かせたい対象に向けるだけ、という動作は一見すると簡単そうだが慣れないうちは難しい。浮かせた小石があらぬ方向に飛んで行ってしまったり、浮かせる意識が先走りすぎて杖自体がフワフワ浮かび上がってしまう生徒もしばしば。
そもそも魔力を練る最初の段階で躓いてしまう者もいる。「魔法なんかに頼るのは力の弱い奴だぜ」と息巻いていた男児も杖を握ったまま顔を真っ赤にしてプルプルと震えていた。
言われた通りに杖を振るう子供たちを見て回りながら、トトゥーナは自分の話を始めた。ギルドスクールの元生徒でもある彼女はこういう講義が退屈極まりないことを経験として知っていたので、後輩に同じ思いをさせまいと適当にさっさと終わらせてしまおうと思っていたのだが、いざ自分の番が回ってくるとつい喋りすぎてしまう。熱が入り『外から来たような連中に負けるな!』と拳を振り上げた辺りでマッツに止められた。
で。
今度はフレイベルの番だ。街の外から来た(何なら天使である)、いわば部外者の彼女の話を生徒たちは聞いてくれるのか。教室の後ろの壁に寄りかかりながらトトゥーナはフレイベルが登壇するのを見守った。
彼女に緊張している様子はなく、至って自然体のまま壇にあがっていく。この前だって食堂のど真ん中で椅子に上って名乗り始めたくらいだし。ただ人前に立つことに慣れているというよりかはそもそも彼女の中に『緊張』という言葉が存在しない可能性がある。
生徒たちの正面まで来たフレイベルが早速何かを語り始めるかと思ったが、おもむろに彼らに背を向けると黒板に謎の絵を描き始めるのだった。
「……何あれ?」
それは大きな星のようだった。しかし形が歪。妙に細長い星形を構成する五つの先端は丸みを帯びていて、上の角だけが異様に膨れ上がっている。そしてその中では三つの円が不気味に漂っていた。
変な星の絵を描き終えたフレイベルは得意げに生徒たちへ向き直った。その眼差しは慈悲で満ちている。
そして開口一番。
「わたくしは、人間が好きです」
何かが始まった。トトゥーナの隣ではマッツが黒板の絵を見て「あれ人だったのか」と別のことに納得している。
フレイベルは続ける。
「かつて、地上に降り立つ一人の天使がいまいた。魔物の脅威に晒される人々を護るため、彼は天使の力を存分に振るって魔物たちと戦いました。人々を護ることが天使としての役目だからです。
しかしある日、人間たちは言いました。『いつまでもあなたに助けられていてはいけない。我々人間は、我々自身の力で魔物に立ち向かわなければならないのだ』と。彼らは魔物と戦うためにギルドを立ち上げ、天使は彼らを信じて天界へと帰りました」
有名な話だ。いささか視点が天使寄りな気もするが、ギルドの発足に纏わる重要なエピソードとしてずっと昔から語られている。天使であるフレイベルまで知っているということは、たぶん向こうで聞いたことがあるのかもしれない。
「わたくしは心を打たれました。力を合わせて、強くあろうとする人間たちの生き方に」
しかし……とフレイベル。
「本当にそれでいいのでしょうか? 確かにこの地上は人間のもの、そこに住まう彼らが自分たちの力で護り抜こうと思うのは当然です。ですが、わたくしにだって力はある。魔物と戦う力を持ちながらただ彼らを見ているだけなんてできません」
いよいよ天使側であることを隠さなくなってきた。隣で聞いていたマッツも流石に違和感を覚えたのか首を傾けている。
このままでは子供たちにも彼女の正体が悟られてしまうのではないか。個人的には構わないけど少しだけ気になってきたトトゥーナだったが心配はいらない。
なぜならこの時。
「……つまんねぇ」
「なんだよこの話」
「ここは教会じゃねえぞ」
なんと、みんな話を聞いていなかったのである。退屈しのぎに隣同士で話を始めたり、トトゥーナの講義で渡された杖で遊び始める始末。スクールにいた頃のトトゥーナも真剣に聞いていたわけじゃないけれどここまでではない。
話が耳に入っていなければ彼女が天使なのもバレことはないが、かといってこの状態はあまり歓迎できるものではない。
「あー……完全に舐められてるなあ」
子供はドライな生き物だ。興味を示さないものにはとことん示さないし、憧憬を抱かないものは嘲笑の対象にさえなりうる。
今回は特にそう。大人のお話なんてただでさえ聞く価値を感じないのに話し手はいけ好かない『外』の人間ときた。誰が聞くんだこんなのと思っていることだろう。いや別に昔の自分ならそう思ってただろうなって話じゃなくて。
マッツも流石に良くない空気を察したらしく彼らを注意しようと身を乗り出したが、それより先に声をあげる者がいた。
「みんな! お姉ちゃんが話してるんだからちゃんと聞こうよ!!」
立ち上がってそう言ったのは、トトゥーナたちに近い位置、つまり教室の後ろの方で話を聞いていたオレンジ色の髪の少年だ。見るからに大人しそうな雰囲気で、教室内でも目立つポジションにいるとは思えない彼が突然大きな声を出したのは誰にとっても意外だったらしく、周りの生徒たちだけでなく教官のマッツも驚いた表情で少年を見ている。
得意げに話していたフレイベルは少年が声をあげて初めてその場の空気を察したようで、話すのを止めて怪訝そうに教室を見渡している。
「ジュン……」とマッツは感心そうに少年の名前を呟いた。
大人からは好感触だが、子供たちにとってはそうではない。
「何? いきなり」「お姉ちゃんだってさ」
からかうようなヒソヒソ声に、ジュンという少年はたまらずその場で俯いて肩をすくめ立ち尽くしてしまう。
流石にマッツが助け舟を出した。
「彼の言うとおりだぞ、しっかり話を聞くんだ」
「けどさあ教官、こんな話聞いたってしょうがないよ」
「そうそう、せっかくなら戦い方とか教えてくれよ」
やっぱり聞きたくはないらしい。正直でいい。
どうする? とトトゥーナはフレイベルに視線を送る。フレイベルはしばらく考え、それから両手を合わせて言った。
「仕方ありません。そうしましょう」
そういうことになった。




