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人間変数 ― MADE BY HUMAN ―  作者: 花房清澄


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9/17

第9話 偶然を買う親たち

 

 日曜の午後、修一はリビングで進路関係の情報を流し見していた。


 見るつもりだったわけではない。

 朝、悠真の学校から来ていた連絡を一件確認したせいで、端末が教育関係の記事をまとめて出してきただけだった。


 奨学制度。

 研究課程の説明会。

 受験生向けの夏季講座。


 その中に、見覚えのある言葉があった。


 非最適化教育。


 修一は指を止めた。


 開く。


 最初に出たのは、山でも教室でもなかった。

 参加条件だった。


 AI支援なし。

 事前の行程固定なし。

 参加者の事前情報なし。

 失敗時の運営介入、原則なし。


 期間、14日間。


 参加費、100万円。


 修一は最後の数字を見直した。


「高くない?」


 向かいのソファで端末を見ていた悠真が顔を上げた。


「何が」


「これ」


 修一は画面を送った。


 悠真が受け取る。

 上から読んでいき、途中で一度眉を上げた。


「AIなし?」


「うん」


「二週間?」


「うん」


「予定なし?」


「そう」


「百万円?」


「そこは俺も今見た」


 悠真は画面を送った。


 説明は短かった。

 初対面の参加者同士で行動し、現地で起きた問題に対して、自分たちで方法を探す。運営側はすぐには答えを出さない。


 その下に、小さく注意書きがあった。


 特定の進学評価、非モデル適応性指標の改善を保証するものではありません。


「保証しないって」


「教育だから、そんなもんじゃない?」


「百万円払って?」


「百万円は高いけど」


 悠真はもう一度最初へ戻した。


「これ、何しに行くの」


「書いてあるだろ。自分で考えて動くんだよ」


「何を?」


「それを決めないんじゃない?」


「決めないことを決めてるじゃん」


 修一は少し黙った。


 学校の面談以来、似たような会話を何度かした気がする。

 予定して予定外のことをやる。

 予測されないように何かをする。

 考えるほど、言葉が変になる。


 それでも、画面に並んだ条件は少し気になった。


 AIを使わない。

 知らない相手と動く。

 先が分からない。

 失敗してもすぐ直してもらえない。


 悠真が普段やっていることの、かなり逆だった。


 だから悪い、という意味ではない。

 むしろ普段の悠真は、修一よりずっとちゃんとしている。


 忘れ物は少ない。

 提出は早い。

 使える支援は使う。

 調べれば避けられる失敗は、だいたい避ける。


 それで学校から一度だけ出た文字が、


 非モデル適応性:低


 だった。


 修一は画面を指した。


「こういうの行ってみたら?」


 悠真が父親を見た。


「失敗するために百万円払うの?」


「経験だよ」


「父さん無料でいっぱい失敗してきたじゃん」


 修一は口を閉じた。


「お前、人の人生を安く使うなよ」


「無料なんでしょ」


「俺にもコストはかかってる」


「誰が払ったの」


「俺だよ」


「なら無料じゃん」


「そういう意味じゃない」


 悠真が少し笑った。

 修一も一瞬笑いかけたが、画面を見るとまた百万円が目に入った。


「でも、最近こういうの増えてるらしいよ」


「だから?」


「いや、だからっていうか」


 修一は紹介欄を送った。

 申込者の保護者向け説明、参加後の振り返り、本人が希望した場合の記録返却。


 派手なことは書いていない。

 非モデル適応性が上がるとも書いていない。

 失敗すれば成長する、とも書いていない。


 ただ、普段の最適化された教育環境では起きにくい経験を、意図的に作る。


 そこだけは分かった。


 悠真は画面を戻した。


「俺、別に何も自分で決めてないわけじゃないけど」


「分かってるよ」


「研究だって途中で条件変えることあるし」


「それも分かってる」


「AI使ったら自分でやったことにならないの?」


「そういう話じゃない」


「じゃあ何」


 また同じところへ戻りかけた。


 修一は学校の面談を思い出した。

 悠真の能力が低いとは、一度も言われていない。むしろ逆だった。事前情報を使うのがうまく、大きく崩れない。問題は、その先だった。


「学校が言ってたのは、未知の条件でどう動いたかの記録が少ないって話だろ」


「うん」


「だから、そういうのがあってもいいんじゃないかって」


「記録作るために行くの?」


「記録だけじゃないよ」


「じゃあ評価?」


「それだけでもない」


「どっちでもないのに百万円?」


「金額から離れろよ」


「父さんが最初に高いって言ったんじゃん」


 それもそうだった。


 悠真が言った。


「父さん、これ俺が低かったから見てるの?」


「まあ、それはある」


「まだ試験の項目なんでしょ」


「今はな」


「これで学校決まるわけでもない」


「今はな」


「さっきから今はなって何」


 修一は画面を閉じなかった。


「来年どう使われるか分かんないだろ」


「先生も分かんないって言ってたじゃん」


「だから気になるんだよ」


「分かんないのに?」


「分かんないからだよ」


 言ってから、自分でも少し面倒なことを言っていると思った。


 悠真は画面を返した。


「行かない」


「即答?」


「二週間もAIなしで、知らない人と、何するか分かんないんでしょ」


「そういう経験が」


「父さん」


「何」


「俺を人間変数にしたいの?」


 修一は悠真を見た。


「そうじゃない」


「じゃあ何」


 返事が出なかった。


 人間変数。

 会社では、その言葉で金をもらっている。


 予測から外れる。

 モデルが拾わない方を選ぶ。

 そこに価値があると言われた。


 悠真の学校で見たのは別のものだ。

 同じではない。

 修一にもそれは分かっている。


 ただ、画面の中で「低」と出たものが、この先もずっと大した意味を持たないのかは分からない。


 今の悠真には、特に直すところがない。

 成績もいい。

 志望先も本人が選んでいる。

 友達もいる。

 健康だ。


 それでも一つだけ、低い。


「別に、お前に問題あるって言ってるわけじゃないよ」


「じゃあいいじゃん」


「そうなんだけど」


「何がそうなんだけどなの」


「だから……」


 修一は止まった。


 きれいな言い方が見つからなかった。

 見つかったとしても、たぶん今は言うと余計に変になる。


 悠真が先に端末へ戻った。


「俺、普通に受けるから」


「それは分かってる」


「第一志望も変えない」


「変えろって言ってない」


「じゃあ、この話終わり」


「資料くらい見とけよ」


「見た」


「全部?」


「百万円まで」


「そこしか見てないだろ」


「AIなしも見た」


「十分見てるな」


 悠真は自分の画面へ戻った。


 修一は非最適化教育の案内を閉じようとして、最後にもう一度注意書きを見た。


 指標の改善は保証しない。


 当然だと思う。

 保証した瞬間、たぶん別のものになる。


 それでも百万円だった。


 修一は保存だけして、画面を閉じた。


*


 数日後、夕食後のリビングで、修一の端末に短い動画が流れてきた。


 題名は、


 予測残差チャレンジ、5連勝。


「何だこれ」


 再生した。


 若い男が、自分の行動予測を画面に出している。


 昼食。

 いつもの麺類、74%。


 男はカメラへ向かって笑い、隣の店で定食を注文した。


 予測不一致。


 大きな文字が出る。


 残差獲得。


「獲得って何だよ」


 次の動画へ送る。


 今度は女性だった。


 休日の移動。

 自動運転車、68%。


 女性は電動自転車を選ぶ。


 予測不一致。


 また大きな表示。


「流行ってるよ、それ」


 悠真が言った。


「知ってるの?」


「動画では見る」


「やった?」


「やらない」


「なんで」


「面倒だから」


 修一はさらに二本見た。


 一人は普段買わない飲み物を買い、もう一人はいつもの帰宅経路を変えていた。

 どれも大したことはしていない。


 社会現象というほど大きなものには見えなかった。

 修一の会社でやっている人も知らない。

 ただ、動画のおすすめにはここ数日よく混じる。


 三本目の男は、予測を外した直後に得意そうな顔をしていた。


 コメント欄も速かった。


 面白がっているもの。

 「明日はカレーを選ぶ人」と先回りしているもの。

 わざと外す行動まで学習されたら終わりだ、と書いているもの。


 投稿者自身も、四日目には「逆張り傾向」を予測されて一度失敗していた。


「ほら」


 修一がそこを指した。


「何」


「ちゃんと読まれてる」


「そりゃ毎日やったらね」


「人間変数、そんな簡単じゃないんだよ」


「父さんの話になってる」


「別にいいだろ」


「これ、わざと逆を選んでるだけじゃない?」


「だいたいそう」


「それで残差って増えるの?」


「最初は増えるんじゃない」


「最初は?」


「ずっとやったら、逆を選ぶ人って予測されるでしょ」


「だよな」


 修一は少し安心した。

 何に安心したのかは分からない。


 次の動画を開いた。


 今度はチャレンジではなかった。


 予測残差を高めるAIコーチ。


 修一は止めた。


「何これ」


 説明を開く。


 過去の選択履歴を解析。

 予測されやすい行動パターンを抽出。

 固定化した選択を崩すための候補を提案。


 修一はもう一度題名を見た。


「AIに予測されない方法をAIに聞くの?」


 悠真がすぐに言った。


「父さんもハルに俺の対策聞いてた」


 修一は黙った。


 台所でハルが食器を収納している。

 音はほとんどしない。


 修一は何か言おうとした。


 やめた。


 確かに聞いた。


 悠真に予測不能な経験をさせる方法。

 そう言った。

 ハルは最適なプログラムを生成すると答えた。


 それじゃ意味ないだろ、と返したところまで覚えている。


 画面ではAIコーチの説明が続いていた。


 個人の生活目標を維持したまま、未経験の選択肢を提案します。


「生活目標は維持するんだ」


 修一が言った。


「全部捨てたら困るからじゃない」


「まあ、そうだな」


 さらに送る。


 注意書き。


 予測残差の増加、教育・採用上の評価改善を保証するものではありません。


「こっちも保証しないんだ」


「当たり前じゃん」


「何が売りなんだろ」


「提案してくれることじゃない?」


「予測されないための提案を?」


「そう書いてある」


「変だろ」


「父さんもやった」


 もう一度言われた。


「二回言うなよ」


「一回目で反論なかったから」


「反論考えてただけ」


「できた?」


 修一は少し考えた。


「まだ」


 悠真が笑った。


 修一も画面を閉じた。


 テレビでは普通のニュースが続いていた。

 電力価格。

 交通情報。

 スポーツ。


 予測残差チャレンジは出てこなかった。


 修一はソファにもたれた。


 横で悠真が何かを見ている。

 たぶん学校関係だった。


「なあ」


「何」


「百万円のやつ」


「行かない」


「まだ何も言ってないだろ」


「その話なら行かない」


「分かったよ」


 修一はそう言った。


 今度は本当に、その話を閉じた。


*


 夜。


 悠真は自室で課題の確認を終えた。


 提出済み。

 研究レポートも修正なし。

 来週の予定も問題ない。


 進学AIから、志望課程の最新情報が一件来ていた。

 開く。


 選考方針に変更なし。


 非モデル適応性についても、前に見た説明とほとんど同じだった。


 試験運用中。

 複数資料の一つ。

 評価方法は継続検討。


 悠真は閉じた。


 父親が大げさなのだと思う。


 百万円払って、予定なしの予定へ行く。

 AIを使わないことを決めて、知らない相手と二週間過ごす。

 それで何か変わるかもしれない。

 変わらないかもしれない。


 少なくとも、今すぐ行きたいとは思わなかった。


 端末を閉じかけた。


 止める。


 自分の進路資料を開いた。


 成績。

 研究活動。

 志望分野。


 前と変わっていない。


 その下。


 非モデル適応性:低


 悠真は数秒見た。


 別にこれだけで落ちるわけではない。

 分かっている。


 同級生より低かったことも、もう何週間も前の話だ。


 検索欄を開く。


 前は、


 非モデル適応性上げ方


 まで入力して、消した。


 今回は少し考えてから、もっと長く打った。


 学業成績を維持しながら非モデル適応性を改善する方法


 検索を実行した。


 最も効率的な非最適化経験プランを生成しますか?


 選択肢が二つ並んだ。


 生成する。


 生成しない。


 悠真は少しだけ指を止めた。


「生成しない」


 押した。


 画面消灯。


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