第5話 正しく育った子
面談は、途中までは退屈なくらい順調だった。教室の壁面に悠真の進路資料が出ている。成績、出席状況、研究活動、志望分野との適合。担任が項目を送るたび、修一には特に口を挟むところがなかった。悠真は隣で黙って画面を見ていた。
第一志望は、AI・材料・エネルギーを横断する国立系の先端研究課程だった。以前から進学AIが最も強く勧めていた進路で、悠真自身もそこを希望している。修一としては、少し出来すぎている気もする。進学AIが九六%と言ったところを本人も気に入り、成績も届いている。
「じゃあ、このままで?」
修一が聞くと、担任はすぐには答えず、画面を一つ送った。
「基本的には。ただ、一項目だけ確認しておきたいものがあります」
今までと少し違う表示が出た。いくつか並ぶ項目の下に、一行だけあった。
非モデル適応性:低
修一は文字を読んだ。もう一度読んだ。
「低?」
悠真が先に言った。
「はい」
「これ何でしたっけ」
修一が聞いた。聞いたことはある気がする。最近、教育関係のニュースでも見かけるようになった言葉だった。ただ、自分の息子の進路資料に出てくるものだとは思っていなかった。
担任が表示を拡大した。
「志望先のような一部の先端課程で、試験的に見ている項目です。未知の条件で、既存の予測や最適な手順がそのまま使えない時に、どう探して、判断して、必要なら修正するか」
「それが低い?」
修一は悠真を見た。悠真も画面を見ている。
成績が悪いなら分かる。面接が苦手とか、共同研究で揉めたとかでも分かる。だが、今まで順調だと言われていた話の中へ、突然一つだけ「低」が混ざっている。
担任が言った。
「能力そのものは非常に高いです」
「じゃあ何が問題なんです?」
「未知条件下での判断データが少ない」
修一は少し眉を寄せた。
「間違いが少ないってことでしょ」
「それも事実です」
担任は否定しなかった。そこが余計に分かりにくかった。
「悠真君は事前情報を使うのが上手です。課題でも、使える支援は適切に使っている。途中で大きく崩れることも少ないです」
「いいことじゃないですか」
「いいことです」
また否定されなかった。修一は椅子にもたれた。
「じゃあ、いいんじゃないの?」
担任が少し笑った。
「私たちも、そこをどう扱うかはまだ決め切れていません」
「学校も?」
「学校もです。志望先も、これ一つで学生を選ぶという運用ではありません。まだ研究段階に近いです」
悠真がようやく口を開いた。
「低いと不利なんですか」
声は普通だった。
「無関係とは言えません。ただ、低いから不合格になる、というものでもありません」
「どっち」
「今は、その答えがない」
担任は画面の端にある注記を開いた。
運用は試験中。
複数資料の一つとして参照。
それ以上は、修一が読んでも大したことは書いていなかった。
「じゃあ上げる方法は?」
修一が聞いた。
「学校から、これをやれば上がります、とは言えません」
「なんで?」
「そういう課題を用意した時点で、未知条件ではなくなるからです」
「ああ」
修一は納得しかけた。すぐ、納得していいのか分からなくなった。
「面倒ですね」
「私もそう思います」
担任があっさり言ったので、修一は少し笑った。悠真は笑わなかった。
画面にはまだ、
非モデル適応性:低
と出ていた。
他の項目は悪くない。むしろかなりいい。だから、その一行だけが妙に目立った。
*
面談が終わって廊下へ出たあと、悠真は父親より少し前を歩いた。修一は後ろから何か言っていた。
「まあ、低いっていっても、それだけだろ」
「うん」
「先生も問題ないって言ってたし」
「問題ないとは言ってない」
「だいたい問題ないってことだよ」
「父さんが決めないで」
「はいはい」
階段の前で、同じクラスの男子が壁にもたれていた。悠真を見ると手を上げた。
「終わった?」
「今」
「どうだった」
「普通」
「第一志望そのまま?」
「たぶん」
修一は先に階段を下りた。
「父さん、下で待ってる」
「うん」
悠真は足を止めた。同級生が自分の端末を開いた。
「俺さ、あれ出た」
「何」
「非モデル適応のやつ」
悠真は一瞬だけ反応が遅れた。
「へえ」
「お前も?」
「出た」
「どうだった」
「別に」
同級生が自分の評価ページを見せた。同じ項目だった。悠真のものより評価は明らかに高かった。
「これ、たぶん去年の研究コンテストのやつ」
記録を開く。材料探索の研究で、途中まで使っていたAIの推奨候補から外れた条件を選び、実験結果を見ながら手順を変えた履歴が残っていた。
悠真も覚えている。最初の狙いとは違う結果になって、そのまま別方向へ研究を続けたやつだ。
「お前、あれ最初失敗してなかった?」
「した」
「途中から変えたんだっけ」
「うん。時間なかったから」
「それが評価されたの?」
「知らん。先生はそうかもって」
同級生自身も、それほどありがたがっているようには見えなかった。
「でも俺、普通にお前より成績低いし」
「それは知ってる」
「言うなよ」
「自分で言ったじゃん」
二人とも少し笑った。同級生が画面を閉じる。
「お前は?」
「低かった」
「へえ」
それだけだった。驚きもしない。勝った顔もしない。それが少し腹立たしかった。
「別にこんな指数どうでもいい」
「ならいいじゃん」
「うん」
階段を下りた。修一が一階で待っていた。
「長い」
「友達いたから」
「帰るぞ」
外へ出ると、車はすでに迎車位置へ移動していた。悠真は後部座席へ座り、自宅を指定した。
車が動き出してから、さっき送られた共有リンクを開いた。
同級生の評価ページ。
研究コンテスト。
AI推奨外の選択。
途中修正。
評価。
悠真は閉じた。窓の外を見た。
信号を二つ越えたところで、もう一度開いた。内容は変わっていなかった。当たり前だった。また閉じた。
自宅へ着く少し前に、もう一度だけ開いた。今度は修一に見られないよう、表示を小さくした。
*
夕食後、修一はリビングでもう一度、面談でもらった資料を開いていた。見るところはほとんどない。
学力は問題なし。
志望も変える必要なし。
その中に、一個だけ妙なものがある。
非モデル適応性:低
修一はそこを指で拡大した。
「これさ」
ソファにいた悠真が顔を上げた。
「まだ見てるの?」
「父親だからな」
「昼も見たじゃん」
「昼見たら夜見ちゃいけないの?」
「別に」
悠真は自分の端末へ戻った。
修一はその横顔を見た。成績はいい。健康にも問題がない。友達もいる。進路も自分で決めている。少なくとも修一が十七歳だった頃より、かなりちゃんとしている。
それで足りないと言われると、親としてはどうにも収まりが悪い。しかも、その足りないものが、最近の自分には金を払ってまで欲しいと言われているものに少し似ている。
修一は考えた。
「もう少し変なことやった方がいいんじゃないか」
悠真が端末から顔を上げた。
「何それ」
「AIが予想しないこととか」
「例えば?」
「例えば……」
修一は止まった。具体例がなかった。
「いつも選ばない方選ぶとか」
「それ意味ある?」
「分かんないけど」
「分かんないのに勧めてるの?」
「可能性の話だよ」
「何の可能性」
「だから、その評価が上がる」
「評価上げるために変なことするの?」
「変なことって、お前が言ったんだろ」
「父さんが最初に言った」
「そうだっけ」
「今言った」
悠真が端末を閉じた。
「父さん、小学生の時は失敗する前にAIに聞けって言ってたよね」
覚えていた。かなり言った。
自由研究。工作。旅行の準備。自転車で少し遠くへ行きたいと言った時も、先に経路を見ろと言った。
失敗して覚えろなどとは、あまり言わなかった。分かる失敗なら先に避ければいい。今でも、その考えが間違っていたとは思わない。
「時代が変わった」
「俺は変わってないけど」
修一は返事に詰まった。
悠真は少しだけ笑った。勝った顔ではなかった。単純に、父親が変なことを言っていると思っている顔だった。
「別に失敗しろって言ってるわけじゃないよ」
「じゃあ何」
「何かこう、予定通りじゃないことも経験した方がいいのかなって」
「予定してやったら予定通りじゃん」
「お前、今日やけに面倒くさいな」
「父さんが面倒なこと言ってるからでしょ」
修一は何も言えなくなった。確かにそうだった。
悠真は端末を持って立ち上がった。
「風呂入る」
「おう」
階段へ向かいかけて、振り返る。
「俺、別に学校変えないから」
「変えろなんて言ってないだろ」
「ならいい」
二階へ上がっていった。
修一はソファに残った。面談資料を見る。
非モデル適応性:低
閉じる。また開く。やはり低だった。当たり前だ。
台所では、ハルが翌朝の準備をしていた。修一はそちらを見た。
「ハル」
「はい」
「悠真に予測不能な経験させる方法」
ハルは一秒も迷わなかった。
「最適なプログラムを生成します」
「それじゃ意味ないだろ」
「目的と手段の矛盾を検出しました」
修一は黙った。ハルも黙った。
「……分かってるよ」
「承知しました」
「分かってるなら最初から言えよ」
「ご依頼は、方法の提示でした」
「もういい」
「承知しました」
修一は資料を閉じた。
台所から包丁の音がした。一定の間隔だった。修一はしばらくそれを聞いていた。
*
夜。
悠真は自室の机に座っていた。明日の課題は終わっている。研究レポートも提出済みだった。進学AIから来ていた確認事項を二つ処理し、予定表を閉じた。
やることはない。
端末の画面には何も出ていなかった。悠真は数秒そのままにしてから、昼に送られたリンクを開いた。
同級生の評価ページ。
今日これで何回目かは数えていない。
研究コンテストの記録を開く。
AI推奨外の選択。
途中で条件変更。
最初の想定とは別の結果。
評価。
悠真は画面を閉じた。
自分のページを開く。
成績。
研究活動。
志望分野。
問題はない。
その下へ送る。
非モデル適応性:低
昼より文字が大きく見える気がした。そんなわけはない。表示サイズは同じだった。
悠真は閉じた。
別に、落ちると決まったわけではない。先生もそう言っていた。こんな一項目で全部が決まるわけでもない。
それなのに、あいつより低いのは少しムカつく。
そこまで考えて、悠真は検索欄を開いた。指を動かした。
非モデル適応性 上げ方
入力した文字を見た。
検索は実行しなかった。
そのまま、しばらく見た。
悠真は末尾から一文字ずつ消した。
最後の「非」が消え、検索欄は空になった。




