第4話 MADE BY HUMAN
休日の昼前、高瀬家は上大岡方面の商業施設にいた。目的は特に大したものではない。美咲が仕事用の靴を見たいと言い、悠真が参考書を一冊買うと言い、修一は何もなかったのでついてきた。
靴は十五分で決まった。参考書は悠真が端末で在庫位置を確認し、棚から取って三分で終わった。
「もう帰る?」
修一が聞くと、美咲が言った。
「昼どうする?」
「食う」
「じゃあ帰らないじゃん」
「昼は別だろ」
何が別なのか自分でも分からなかったが、三人は食品売り場のある階へ下りた。
通路の角にベーカリーがあった。珍しい店ではない。材料を入れれば、成形から焼き上がりまでほぼ自動で流れるタイプの店で、透明な仕切りの向こうを小型機械が忙しく動いている。
焼きたてのパンが出てきた。一個、百八十円。
修一はそれを見て通り過ぎかけた。その隣で美咲が止まった。
「これ何?」
同じくらいの大きさのパンが、一つだけ別の台に置かれていた。
表示が付いている。
MADE BY HUMAN
Human Contribution 94%
980円
修一も止まった。
「パン?」
「パンでしょ」
「九百八十円?」
「そう書いてある」
悠真が後ろからのぞいた。
「高っ」
修一は百八十円の方を見た。次に九百八十円を見る。
形は少し違う。焼き色も少し違う。ただ、八百円分の違いがどこにあるのかは、見ただけでは分からなかった。
「人間が作ったから?」
美咲が表示を開いた。認証情報が出た。
人間起源認証協議会。
MADE BY HUMAN。
Human Contribution 94%。
「九四%人間製ってこと?」
「そうみたい」
修一はもう一度パンを見た。
「小麦も人間が?」
近くにいた店員が答えた。
「栽培工程は自動ですので除外されています」
「そこは入らないんだ」
「はい」
悠真が表示を横から見た。
「じゃあ九四%って何の九四?」
「詳細をご覧になりますか」
「見たい」
店員が表示を広げた。
一画面では収まらなかった。工程が縦に並び、その横に人間関与と自動工程の区分が続いている。さらに項目を押すと、別の欄が開いた。
修一は途中で読むのをやめた。
「細かいな」
「細かいね」
美咲も言った。
悠真はまだ見ている。
「これ、下にもあるよ」
「もういいよ」
「父さんが聞いたんじゃん」
「九四%の意味だけ知りたかったんだよ」
「だから出てる」
「出すぎなんだよ」
店員は困った様子もなく待っている。制度を作ったのはこの人ではない。
修一は表示を閉じた。
「これ売れるんですか」
「はい」
「九百八十円で?」
「はい」
即答だった。
美咲がパンを一つ取った。
「買うの?」
「食べてみたい」
「九百八十円だよ」
「見れば分かる」
「百八十円の五個買えるよ」
「じゃあそっちも買えば?」
修一は少し考え、百八十円のパンも取った。八百円の差があるなら、確かめる権利くらいはある気がした。
会計は二つまとめて済ませた。支払ったのは美咲だった。
*
昼食にはまだ少し早かったので、三人は休憩スペースに座った。美咲が二つのパンを分けた。
百八十円の方から食べる。
修一は一口噛んだ。普通にうまい。表面は少し硬く、中は柔らかい。焼きたてなので香りもある。
「うまいな」
「うん」
悠真もすぐ食べた。
「普通にうまい」
次に九百八十円。
美咲がちぎって二人へ渡す。修一は食べた。
こちらもうまい。少し食感が違う気はした。香りも違う。
だからといって、五倍以上うまいかと聞かれれば分からない。
美咲が両方をもう一口ずつ食べた。
「どっちもうまい」
悠真は迷わなかった。
「安い方でいい」
「俺も」
美咲が二人を見た。
「じゃあ高いの誰が買ったの」
「君」
美咲は九百八十円のパンを食べた。
「でも食べたでしょ」
「食べた」
「おいしかった?」
「うまかった」
「じゃあいいじゃない」
「そういう問題なのかな」
「知らない」
修一は残った二種類を見た。百八十円の方にも不満はない。九百八十円の方にも不満はない。高い方を買ったことにも、美咲はそれほど後悔していないらしい。
八百円分、味が違う必要はないのかもしれなかった。
「もう一回買う?」
修一が聞いた。
「今日は買った」
「次」
「その時考える」
「俺なら百八十円」
「聞いてない」
悠真が百八十円の残りを取った。
「俺もこっち」
「だから君たちは安い方食べてるじゃない」
美咲は九百八十円の残りを自分の方へ寄せた。
ちゃんと需要はあった。少なくとも一人分は。
*
食事を済ませて歩いていると、MADE BY HUMANの表示は思っていたよりいろいろなところにあった。
家具売り場。美容院。喫茶店の入口。
さっきまで気にしていなかっただけで、以前から見ていた気もする。
修一が足を止めたのは書店だった。一冊の小説の横に、MADE BY HUMANの表示が付いている。
「小説にもあるんだ」
悠真は振り返りもしなかった。
「あるでしょ」
「知ってた?」
「見たことある」
「俺ない」
「見てないだけじゃない?」
修一は表示を開きかけて、やめた。さっきのパンで十分だった。
隣の棚には、同じ表示のない本も普通に並んでいる。上の大型画面では新作映画の広告が流れ、その端にも小さく人間関与の表示が出ていた。
通路を挟んだ向こうでは音楽イベントの宣伝。その先には家具。さらに奥には美容院。
「どこまでAI使ったら人間製じゃなくなるんだろうな」
修一が言った。
悠真が答えた。
「知らない」
「お前こういうの詳しそうじゃん」
「なんで」
「若いから」
「雑」
美咲が書店を出ながら言った。
「決まってないんでしょ、全部は」
「好きな人もいれば、気にしない人もいるんじゃない」
「売れてるなら両方いるでしょ」
修一は店内を見回した。認証の付いた本も、付いていない本も、どちらも普通に客が手に取っていた。
「揉めそうだよな。小説書いて、AIに直してもらったら?」
「知らない」
「音楽は?」
「知らないって」
「映画なんかほとんど何か使うだろ」
「父さん、急に気になりすぎ」
確かにそうだった。一時間前までは九四%のパンすら気にしていなかった。
修一は歩き出した。すれ違った客が、MADE BY HUMANの袋を持っていた。
別に誇らしそうでもない。普通に買い物袋として持っている。
修一もそれ以上は考えなかった。
駐車場へ戻る途中、美咲が言った。
「結局、何買いに来たんだっけ」
「靴」
「買った」
「本」
悠真が袋を上げた。
「買った」
「じゃあ帰るか」
「パンに一番時間かかったね」
修一は何も言わなかった。九百八十円もしたのだから、そのくらい時間を使ってもいい気がした。
*
数日後、修一は会社で卓上調理器の販売画面を開いた。HVの次の案件を待つ間だった。
以前、自分が選んだ、最後だけ人間が火加減を調節する商品である。販売は相変わらず悪くない。レビューも増えていた。
その商品画像の横に、見覚えのない表示が付いていた。
HUMAN VARIABLE SELECTED
修一は少し近づいた。
「何これ」
向かいで資料を確認していた森崎が顔を上げた。
「表示です」
「それは分かる」
修一は商品画面を森崎側へ送った。
「いつ付いたの?」
「今週からです」
「何の表示?」
「Human Variableによる選択工程を経た商品であることを示しています」
修一は価格を見た。同じシリーズの通常版より高い。
もう一度表示を見る。
HUMAN VARIABLE SELECTED。
「高くなってるけど」
「はい」
「俺何も作ってないけど」
「選択も工程です」
「押しただけ」
「市場が価値を付けました」
修一は森崎を見た。森崎はいつもと同じ顔だった。
「この前、九百八十円のパン食ったんですよ」
「そうですか」
「百八十円のパンも食った」
「はい」
「両方うまかった」
「よかったですね」
「話広げる気ない?」
「パンの感想についてですか」
「もういい」
修一は商品画面へ戻った。
表示を押す。
HUMAN VARIABLE SELECTEDの説明が短く出た。
東央生活システムの商品表示。
Human Variableによる選択工程を経た商品。
「これ、MADE BY HUMANとは違うの?」
「違います」
「別物?」
「はい。これは当社の表示です」
「でも、人間が選んだってところに金が付いてる」
「そうですね」
「作ったんじゃなくて?」
「選択した」
「俺が」
「はい」
修一は少し黙った。
悪い気はしなかった。
卓上調理器が売れた時もそうだった。設計したわけではない。作ったわけでもない。それでも、自分が選んだ方が売れた。
今度は、その選んだという事実そのものが商品表示になっている。
「これ売れたら、俺の報酬も上がる?」
「現在のHV契約とは別です」
「上がらないんだ」
「その話であれば、別件があります」
森崎が画面を切り替えた。
「何」
「広告出演の依頼です」
「誰の?」
「高瀬さんの」
「なんで俺が出るの」
「HUMAN VARIABLE SELECTEDの認知施策です」
「出ないよ」
修一はすぐに言った。
商品を選ぶのは仕事だからやる。データを取られるのも契約した。だが、商品広告に自分の顔を出す理由まではない。
「芸能人じゃないし」
「そうお伝えしておきます」
森崎はそれ以上勧めなかった。
「それだけ?」
「はい」
「じゃあ次のHVやります」
修一は広告依頼の画面を閉じた。その日の仕事は十八分で終わった。
*
夜、修一はリビングで広告出演依頼をもう一度開いた。閉じたはずだったが、正式な条件が送られてきていた。
美咲は隣で翌日の勤務予定を見ていた。
修一は出演内容を読む。
撮影。
使用範囲。
使用期間。
本人確認。
顔と氏名の表示。
そこまでは昼間にも聞いていた。
その下に報酬があった。
修一の指が止まった。
「美咲」
「何」
「広告の話したっけ」
「してない」
「会社から出てくれって」
「何に」
「俺が選びました、みたいなやつ」
「出るの?」
「出ないって言った」
「じゃあ終わりじゃない」
「まあね」
修一は報酬条件をもう一度見た。次に撮影条件を見る。また報酬へ戻る。
「撮影何時間?」
美咲が端末から顔を上げた。
「受けるんじゃん」
「いや、確認」
「何の」
「時間」
「受けないなら何時間でも関係ないでしょ」
「長かったら受けない」
「受けるんじゃん」
修一は条件を開いた。
「短いな」
「もう受ける人の言い方だよ」
「金額の割にだよ」
「そこ見るよね」
「大事だろ」
「知ってる」
美咲は自分の端末へ戻った。
修一はもう一度、依頼内容を読んだ。別に嘘を言うわけではない。実際に商品を選んだ。会社も、その事実を広告に使いたいと言っている。
顔を出すのは少し面倒だ。ただし、報酬はかなりいい。
「変じゃない?」
「何が」
「俺が広告出るの」
「変ではある」
「やっぱり?」
「でも今さらじゃない?」
「何が」
「会社で高価なノイズなんでしょ」
「その言い方やめろ」
「自分で言ってたじゃない」
修一は出演条件の最終確認を開いた。
「一回だけだからね」
「誰に言ってるの」
「一応」
「私は止めてないよ」
修一は承諾を押した。
本人認証が終わり、撮影候補日が表示された。その中から空いている時間を選ぶ。
「本当に受けた」
「仕事だから」
「さっきまで出ないって言ってたのに」
「条件が変わった」
「報酬が出た」
「それも条件」
美咲は笑った。
*
撮影は、修一が想像していたより早く終わった。
商品を持つ。画面を見る。いくつかの候補から選ぶ。カメラを見る。
必要なのはその程度だった。
スタッフから、普段どおりでいいと言われた。
普段どおりと言われると、逆に普段が分からなくなる。
「笑った方がいいですか」
「自然で大丈夫です」
「自然って一番難しいんだけど」
結局、修一が商品を見て少し眉を寄せている場面が採用された。
撮影後、報酬の確定通知が来た。修一はそれを見て、撮影中よりいい顔になった。
そちらは撮られていなかった。
*
完成した広告が届いたのは数日後の夜だった。
修一はリビングの大型表示へ出した。
「できた」
美咲がソファから顔を上げた。
悠真は自室にいる。ハルは台所で夕食後の片付けをしていた。
広告が再生された。
商品候補が並ぶ。
AIによる評価が出る。
いくつかが消える。
最後に修一の顔が出た。本人が見ると妙に大きい。
画面中央に文字が出る。
AIが選ばなかったものを、この人が選びました。
修一はしばらく広告を見た。
「馬鹿っぽくない?」
美咲が言った。
「だいたい合ってる」




