第2話 〇・〇七パーセント
午後二時五十八分、修一は人材分析部の前で端末をもう一度見た。
個別面談。15:00。所要時間40分。
用件の欄は空白だった。
昨日から変わっていない。
修一は端末を閉じた。
重大な社内規定違反はないらしい。それはハルが保証してくれた。
保証されたせいで、かえって何を言われるのか分からなくなった。
入口で社員認証が通ると、壁に面談室の番号が表示された。案内に従って廊下を曲がる。十五時ちょうどに扉が開いた。
「高瀬さんですね」
中にいた女性が立った。
「はい」
「森崎です。行動データ研究室の森崎理沙です」
人事ではなかった。
修一はそのことに少し安心して、別の意味で分からなくなった。
「生活設計部の高瀬です」
「存じています。どうぞ」
四人用の小さな面談室だった。窓際に細長いテーブルがあり、壁面の表示は消えている。森崎は修一と向かい合わず、斜めの席に座った。
修一も座る。
「先に聞いていいですか」
「どうぞ」
「俺、何かしました?」
「しました」
即答だった。
修一は椅子に座り直した。
「悪い方?」
「今のところ、そういう話ではありません」
「今のところって付くんですね」
森崎は少しだけ口元を緩めた。
「七番の商品案を覚えていますか」
昨日の会議が頭に浮かんだ。
十二案のうち、他の社員が一位候補へ寄っていく中で、自分だけ選んだ七番。
「重いやつ?」
「そうです」
「効率悪いやつ」
「その認識で合っています」
「AIに根拠がないって言われたやつ」
「定量的根拠が不足している、と」
「同じです」
森崎がテーブルの端へ指を置くと、壁面が起動した。
昨日見た十二商品の縮小画像が並び、七番だけが中央へ移動する。その横に二本の線が出た。
一方は事前予測。
もう一方は限定テストの実績だった。
修一にも、どちらが上かは分かった。
「七番、売れたの?」
「限定テストでは、事前予測を上回っています」
「へえ」
修一は少し前へ身を乗り出した。
昨日、自分が選んだ時には、特に自信があったわけではない。
店にあれば手に取りそうだと思った。
それだけだ。
「当てた?」
「一回なら偶然です」
「ですよね」
「なので十年分調べました」
修一は森崎を見た。
「何を?」
「高瀬さんをです」
一瞬、意味が分からなかった。
「俺を十年分?」
「会社が業務上保有していて、分析利用が認められている範囲です」
森崎が表示を切り替えた。
年ごとに小さな点が並んだ。
社内の商品選択。
企画案。
出張時の選択。
福利厚生の利用。
社員向けサービスでの購入。
昼食。
「昼飯まで?」
「入っています」
「十年前の?」
「記録が残っているものは」
「昨日何食ったかも怪しいんだけど」
「高瀬さんが覚えている必要はありません」
「そりゃそうでしょうけど」
画面の一点が拡大された。
数年前の企画会議だった。
複数の候補のうち、予測モデルの支持が低かった案を修一が選んでいる。
次は出張時の移動候補だった。
その次は社内で選んだ商品。
また別の年の昼食。
「待って。昼飯も当たり外れあるの?」
「当たり外れではありません。予測との差を見ています」
「昼飯まで予測されてたの?」
「食数予測にも使いますから」
「知らないところで働いてるな、俺の昼飯」
森崎は答えず、表示を少し縮小した。
十年分の点が再び並んだ。
ただし、全部が同じ方向へ外れているわけではない。
予測どおりの選択もかなりある。
一位候補をそのまま選んでいる時もある。
誰も選ばないものばかり選んでいるわけでもなかった。
「これ、俺が逆張りしてるってこと?」
「それなら分析は簡単です」
「違う?」
「違います。高瀬さんは普通に多数側へ入ることも多いです」
「普通なんだ」
「かなり」
「そこ強く言います?」
森崎は別の表示を出した。
いくつかの選択が線でつながった。
「単純なランダムでもありません。嗜好や過去の選択との連続性はあります。ただ、その連続性だけで次を予測すると、外れる割合が高い」
「よく分からないな」
「こちらも、全部は分かっていません」
森崎は淡々と言った。
分からないと言うことに抵抗がないらしい。
修一には、その方が少し信用できた。
「昨日の七番も?」
「現在のモデルでは、かなり選択確率が低かったです」
「でも選んだ」
「はい」
「理由は、店にあったら手に取りそうだったから」
「記録にもそう残っています」
「それ以上ないですよ」
「それで構いません」
森崎が画面を切り替えた。
今度は人物名も商品名も消え、分布だけになった。
中央に大きな山がある。
その端の方に、小さな印があった。
「これは当社で使用している予測モデル群と、社員の実際の選択との差です」
「全社員?」
「分析対象になっている社員です」
「俺は?」
森崎が端の印を指した。
「ここです」
「端っこですね」
「かなり」
「悪そうに見える」
「良し悪しを示す分布ではありません」
森崎は修一を見た。
「予測残差上位〇・〇七パーセントです」
修一はもう一度画面を見た。
〇・〇七。
数字だけ見ると、何かの健康診断なら再検査を覚悟する位置に思えた。
「いいんですか、それ」
「用途によります」
「頭がいいってことでは?」
「ありません」
「即答ですね」
「我々から見ると、非常に高価なノイズです」
修一はしばらく黙った。
「褒められてる?」
「用途によります」
「便利ですね、その答え」
「正確です」
森崎は表示を閉じなかった。
修一はもう一度、自分の印を見た。
「これって、俺が〇・〇七パーセントの人間ってこと?」
「違います」
森崎はすぐに答えた。
「当社が現在使っている予測モデル群に対して、高瀬さんの選択履歴の残差がその位置にある、ということです。モデルが変われば値も変わります」
「じゃあ、別の会社なら普通かもしれない」
「あり得ます」
「急にありがたみ減ったな」
「珍しい人を表彰する制度ではありませんから」
「表彰じゃないんだ」
「研究対象です」
「もっと嫌な言い方になった」
森崎が初めて少し笑った。
すぐに画面へ視線を戻す。
「高瀬さん以外にも、予測残差の大きい人はいます。ただ、外れ方はそれぞれ違います」
「外れ方にも種類がある?」
「あります。単純に選択が不安定な人もいる。特定の条件でだけ外れる人もいる。予測一位を避ける傾向が強い人もいる」
「俺は?」
「今のところ、そのどれか一つでは説明できません」
「面倒ですね」
「そこに価値があります」
価値。
その言葉で、修一は少し姿勢を変えた。
「何に使うんです?」
森崎は画面に三つの商品案を出した。
どれも修一の部署が扱うような生活用品だった。
「商品開発では、複数のAIモデルを使います」
「使いますね」
「モデルは別々です。設計も違う。学習履歴も完全には同じではありません」
「はい」
「それでも、同じ市場を見て、同じ価格帯で、同じ販売目標を与えて、同じように高い精度を求めると、候補が似てきます」
三つの商品案の横に、それぞれ別のモデルの評価が表示された。
順位は少しずつ違う。
だが上位にいるものは、ほとんど重なっていた。
「昔より当たるようになった分、同じところに集まりやすくなっています」
「みんな優秀だから?」
「優秀だから起きる部分があります」
「困るんですか」
「いつもではありません。最も売れる商品を一つ選びたいだけなら、むしろ都合がいい」
「じゃあいいじゃないですか」
「市場にまだ拾えていない需要がある時は困ります」
森崎が七番の商品を画面の端へ置いた。
「十二案のうち、複数のモデルが似た理由で七番を低く評価した。人間側もモデルの資料を見た結果、一位候補へ支持が集まった」
「俺以外」
「昨日は」
「でも七番が売れた」
「限定テストでは」
修一は腕を組んだ。
「AIが間違ってたって話?」
「一件だけなら、ただの予測誤差です」
「そこは徹底して俺を褒めませんね」
「褒めるために呼んでいません」
「分かってきました」
「問題は、一つのモデルが外したことではありません。別々に作ったモデルが、似た条件では似た理由で同じ候補を落とすことです」
「モデル収斂?」
画面の端に出ていた文字を修一は読んだ。
「そうです」
「聞いたことはある」
社内ニュースか何かで見た記憶はあった。
自分の仕事に直接関係する話として考えたことはない。
「うちの研究室では、以前から対策を研究しています」
森崎はそう言った。
修一が七番を選んだから突然始まった話ではないらしい。
「モデルを増やしても?」
「増やすだけでは解決しない場合があります。同じ市場データを使い、同じ目的に向けて精度を上げれば、判断が近づくことはあります」
「じゃあ、一個くらい馬鹿なAIを混ぜれば?」
「性能を意図的に落としたモデルの出力へ、商品開発の判断を任せますか」
「任せたくないですね」
「私もです」
「じゃあどうするんです?」
「違う種類の判断を混ぜます」
修一は画面の七番を見た。
「人間?」
「その一つです」
「でも人間だって、AIの資料見たら昨日みたいに一位へ集まるでしょ」
「集まります」
「じゃあ意味ないじゃないですか」
「全員が、ではありません」
森崎の視線が修一へ戻った。
そこでようやく、話が自分へ戻ってきた。
「俺か」
「高瀬さんのような履歴を持つ人です」
修一は椅子の背へもたれた。
壁の画面には、自分が昨日選んだ七番と、十年分の点が並んでいる。
「それならサイコロじゃダメ?」
「サイコロには生活史がありません」
「俺にはある?」
「あります」
修一は少し笑った。
「五十二年分」
「全部を会社が持っているわけではありません」
「持ってたら怖いよ」
「私もそう思います」
意外な返しだった。
修一は森崎を見たが、彼女は普通の顔で画面を操作していた。
「人の判断は、ただの乱数ではありません。過去の経験や習慣、好み、その日の状況を抱えたまま揺れます」
「でも、それをAIが予測するんでしょ」
「します」
「で、俺は外れる」
「比較的」
「外れようと思ってないのに?」
「そこが重要です」
修一は眉を寄せた。
「わざと変なもの選んでもダメ?」
「その行動が続けば、いずれモデル側が学習します」
「面倒くさいな」
「予測する側からすると、高瀬さんが面倒なんです」
「研究室長に面と向かって言われたよ」
「高価な、と付けました」
「高ければいいか」
「そこも用途によります」
「またそれ」
面談が始まった時には、人事上の何かを言い渡されると思っていた。
今は、自分の昼飯と出張と十年前の企画案を並べられ、会社のAIにとって面倒な男だと説明されている。
思っていた方向とはずいぶん違った。
森崎が画面を切り替えた。
「それで、高瀬さんに参加していただきたいんです」
修一は返事をしなかった。
表示された資料ではなく、森崎の顔を見た。
「俺が?」
「はい」
「何に?」
「今お話しした研究プロジェクトです」
森崎の言葉はそれまでと同じ調子だった。
大げさでもない。
持ち上げる感じもない。
それなのに、修一はすぐには次の言葉が出なかった。
最近の会社では、何かを求められること自体は珍しくない。
確認してください。
承認してください。
修正の要否を判断してください。
最終候補を選択してください。
毎日いくつも来る。
だが、自分でなくても成立しそうなものが多かった。
「俺じゃなきゃダメ?」
聞いてから、少しだけ格好悪い質問だった気がした。
森崎は気にした様子もなかった。
「高瀬さんのデータが必要です」
「……そう」
修一は画面へ目を戻した。
さっきまで少し気味の悪かった十年分の点が、今は違って見えた。
何が違うのかは、自分でもうまく言えない。
言う必要もない気がした。
「具体的に何するんです?」
「正式な内容は参加時に説明します。負担は大きくありません」
「勤務時間増える?」
「大きくは増えません」
「面倒?」
「高瀬さんが面倒と感じる程度は、まだ予測できません」
修一は笑った。
「そこ予測できないんだ」
「今後の研究課題です」
「俺で研究する気満々ですね」
「参加していただければ」
森崎が資料の次のページを開いた。
参加概要。
所属。
実施時期。
その下へ視線を動かして、修一の目が止まった。
報酬の欄だった。
一度読んだ。
もう一度読んだ。
数字は変わらない。
「これ」
「はい」
「追加報酬?」
「そうです」
「この数字?」
「そうです」
修一は画面を指で拡大した。
「拡大しても変わりません」
「確認です」
「正しい金額です」
修一は背もたれから身体を起こした。
さっきまでの〇・〇七パーセントより、こちらの数字の方がはるかに理解しやすかった。
「いつから始めます?」
「来週から」
「早いですね」
「参加されますか」
「その金額見せた後に聞く?」
「順序は規定していません」
「参加します」
森崎はうなずいた。
「では、詳細は改めてご案内します」
修一はもう一度、報酬欄を見た。
しかも金まで出る。
悪くない。
かなり悪くない。
「一つ聞いていい?」
「どうぞ」
「この研究、名前あるんですか」
「あります」
森崎が資料を先頭へ戻した。
今まで閉じられていた表紙が画面いっぱいに表示された。
白い背景に、黒い文字だけがあった。
HUMAN VARIABLE PROJECT
修一は英字を目で追った。
「日本語だと?」
「人間変数、で社内では呼んでいます」




