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人間変数 ― MADE BY HUMAN ―  作者: 花房清澄


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2/17

第2話 〇・〇七パーセント


 午後二時五十八分、修一は人材分析部の前で端末をもう一度見た。


 個別面談。15:00。所要時間40分。


 用件の欄は空白だった。


 昨日から変わっていない。


 修一は端末を閉じた。


 重大な社内規定違反はないらしい。それはハルが保証してくれた。


 保証されたせいで、かえって何を言われるのか分からなくなった。


 入口で社員認証が通ると、壁に面談室の番号が表示された。案内に従って廊下を曲がる。十五時ちょうどに扉が開いた。


「高瀬さんですね」


 中にいた女性が立った。


「はい」


「森崎です。行動データ研究室の森崎理沙です」


 人事ではなかった。


 修一はそのことに少し安心して、別の意味で分からなくなった。


「生活設計部の高瀬です」


「存じています。どうぞ」


 四人用の小さな面談室だった。窓際に細長いテーブルがあり、壁面の表示は消えている。森崎は修一と向かい合わず、斜めの席に座った。


 修一も座る。


「先に聞いていいですか」


「どうぞ」


「俺、何かしました?」


「しました」


 即答だった。


 修一は椅子に座り直した。


「悪い方?」


「今のところ、そういう話ではありません」


「今のところって付くんですね」


 森崎は少しだけ口元を緩めた。


「七番の商品案を覚えていますか」


 昨日の会議が頭に浮かんだ。


 十二案のうち、他の社員が一位候補へ寄っていく中で、自分だけ選んだ七番。


「重いやつ?」


「そうです」


「効率悪いやつ」


「その認識で合っています」


「AIに根拠がないって言われたやつ」


「定量的根拠が不足している、と」


「同じです」


 森崎がテーブルの端へ指を置くと、壁面が起動した。


 昨日見た十二商品の縮小画像が並び、七番だけが中央へ移動する。その横に二本の線が出た。


 一方は事前予測。


 もう一方は限定テストの実績だった。


 修一にも、どちらが上かは分かった。


「七番、売れたの?」


「限定テストでは、事前予測を上回っています」


「へえ」


 修一は少し前へ身を乗り出した。


 昨日、自分が選んだ時には、特に自信があったわけではない。


 店にあれば手に取りそうだと思った。


 それだけだ。


「当てた?」


「一回なら偶然です」


「ですよね」


「なので十年分調べました」


 修一は森崎を見た。


「何を?」


「高瀬さんをです」


 一瞬、意味が分からなかった。


「俺を十年分?」


「会社が業務上保有していて、分析利用が認められている範囲です」


 森崎が表示を切り替えた。


 年ごとに小さな点が並んだ。


 社内の商品選択。


 企画案。


 出張時の選択。


 福利厚生の利用。


 社員向けサービスでの購入。


 昼食。


「昼飯まで?」


「入っています」


「十年前の?」


「記録が残っているものは」


「昨日何食ったかも怪しいんだけど」


「高瀬さんが覚えている必要はありません」


「そりゃそうでしょうけど」


 画面の一点が拡大された。


 数年前の企画会議だった。


 複数の候補のうち、予測モデルの支持が低かった案を修一が選んでいる。


 次は出張時の移動候補だった。


 その次は社内で選んだ商品。


 また別の年の昼食。


「待って。昼飯も当たり外れあるの?」


「当たり外れではありません。予測との差を見ています」


「昼飯まで予測されてたの?」


「食数予測にも使いますから」


「知らないところで働いてるな、俺の昼飯」


 森崎は答えず、表示を少し縮小した。


 十年分の点が再び並んだ。


 ただし、全部が同じ方向へ外れているわけではない。


 予測どおりの選択もかなりある。


 一位候補をそのまま選んでいる時もある。


 誰も選ばないものばかり選んでいるわけでもなかった。


「これ、俺が逆張りしてるってこと?」


「それなら分析は簡単です」


「違う?」


「違います。高瀬さんは普通に多数側へ入ることも多いです」


「普通なんだ」


「かなり」


「そこ強く言います?」


 森崎は別の表示を出した。


 いくつかの選択が線でつながった。


「単純なランダムでもありません。嗜好や過去の選択との連続性はあります。ただ、その連続性だけで次を予測すると、外れる割合が高い」


「よく分からないな」


「こちらも、全部は分かっていません」


 森崎は淡々と言った。


 分からないと言うことに抵抗がないらしい。


 修一には、その方が少し信用できた。


「昨日の七番も?」


「現在のモデルでは、かなり選択確率が低かったです」


「でも選んだ」


「はい」


「理由は、店にあったら手に取りそうだったから」


「記録にもそう残っています」


「それ以上ないですよ」


「それで構いません」


 森崎が画面を切り替えた。


 今度は人物名も商品名も消え、分布だけになった。


 中央に大きな山がある。


 その端の方に、小さな印があった。


「これは当社で使用している予測モデル群と、社員の実際の選択との差です」


「全社員?」


「分析対象になっている社員です」


「俺は?」


 森崎が端の印を指した。


「ここです」


「端っこですね」


「かなり」


「悪そうに見える」


「良し悪しを示す分布ではありません」


 森崎は修一を見た。


「予測残差上位〇・〇七パーセントです」


 修一はもう一度画面を見た。


 〇・〇七。


 数字だけ見ると、何かの健康診断なら再検査を覚悟する位置に思えた。


「いいんですか、それ」


「用途によります」


「頭がいいってことでは?」


「ありません」


「即答ですね」


「我々から見ると、非常に高価なノイズです」


 修一はしばらく黙った。


「褒められてる?」


「用途によります」


「便利ですね、その答え」


「正確です」


 森崎は表示を閉じなかった。


 修一はもう一度、自分の印を見た。


「これって、俺が〇・〇七パーセントの人間ってこと?」


「違います」


 森崎はすぐに答えた。


「当社が現在使っている予測モデル群に対して、高瀬さんの選択履歴の残差がその位置にある、ということです。モデルが変われば値も変わります」


「じゃあ、別の会社なら普通かもしれない」


「あり得ます」


「急にありがたみ減ったな」


「珍しい人を表彰する制度ではありませんから」


「表彰じゃないんだ」


「研究対象です」


「もっと嫌な言い方になった」


 森崎が初めて少し笑った。


 すぐに画面へ視線を戻す。


「高瀬さん以外にも、予測残差の大きい人はいます。ただ、外れ方はそれぞれ違います」


「外れ方にも種類がある?」


「あります。単純に選択が不安定な人もいる。特定の条件でだけ外れる人もいる。予測一位を避ける傾向が強い人もいる」


「俺は?」


「今のところ、そのどれか一つでは説明できません」


「面倒ですね」


「そこに価値があります」


 価値。


 その言葉で、修一は少し姿勢を変えた。


「何に使うんです?」


 森崎は画面に三つの商品案を出した。


 どれも修一の部署が扱うような生活用品だった。


「商品開発では、複数のAIモデルを使います」


「使いますね」


「モデルは別々です。設計も違う。学習履歴も完全には同じではありません」


「はい」


「それでも、同じ市場を見て、同じ価格帯で、同じ販売目標を与えて、同じように高い精度を求めると、候補が似てきます」


 三つの商品案の横に、それぞれ別のモデルの評価が表示された。


 順位は少しずつ違う。


 だが上位にいるものは、ほとんど重なっていた。


「昔より当たるようになった分、同じところに集まりやすくなっています」


「みんな優秀だから?」


「優秀だから起きる部分があります」


「困るんですか」


「いつもではありません。最も売れる商品を一つ選びたいだけなら、むしろ都合がいい」


「じゃあいいじゃないですか」


「市場にまだ拾えていない需要がある時は困ります」


 森崎が七番の商品を画面の端へ置いた。


「十二案のうち、複数のモデルが似た理由で七番を低く評価した。人間側もモデルの資料を見た結果、一位候補へ支持が集まった」


「俺以外」


「昨日は」


「でも七番が売れた」


「限定テストでは」


 修一は腕を組んだ。


「AIが間違ってたって話?」


「一件だけなら、ただの予測誤差です」


「そこは徹底して俺を褒めませんね」


「褒めるために呼んでいません」


「分かってきました」



「問題は、一つのモデルが外したことではありません。別々に作ったモデルが、似た条件では似た理由で同じ候補を落とすことです」


「モデル収斂?」


 画面の端に出ていた文字を修一は読んだ。


「そうです」


「聞いたことはある」


 社内ニュースか何かで見た記憶はあった。


 自分の仕事に直接関係する話として考えたことはない。


「うちの研究室では、以前から対策を研究しています」


 森崎はそう言った。


 修一が七番を選んだから突然始まった話ではないらしい。


「モデルを増やしても?」


「増やすだけでは解決しない場合があります。同じ市場データを使い、同じ目的に向けて精度を上げれば、判断が近づくことはあります」


「じゃあ、一個くらい馬鹿なAIを混ぜれば?」


「性能を意図的に落としたモデルの出力へ、商品開発の判断を任せますか」


「任せたくないですね」


「私もです」


「じゃあどうするんです?」


「違う種類の判断を混ぜます」


 修一は画面の七番を見た。


「人間?」


「その一つです」


「でも人間だって、AIの資料見たら昨日みたいに一位へ集まるでしょ」


「集まります」


「じゃあ意味ないじゃないですか」


「全員が、ではありません」


 森崎の視線が修一へ戻った。


 そこでようやく、話が自分へ戻ってきた。


「俺か」


「高瀬さんのような履歴を持つ人です」


 修一は椅子の背へもたれた。


 壁の画面には、自分が昨日選んだ七番と、十年分の点が並んでいる。


「それならサイコロじゃダメ?」


「サイコロには生活史がありません」


「俺にはある?」


「あります」


 修一は少し笑った。


「五十二年分」


「全部を会社が持っているわけではありません」


「持ってたら怖いよ」


「私もそう思います」


 意外な返しだった。


 修一は森崎を見たが、彼女は普通の顔で画面を操作していた。


「人の判断は、ただの乱数ではありません。過去の経験や習慣、好み、その日の状況を抱えたまま揺れます」


「でも、それをAIが予測するんでしょ」


「します」


「で、俺は外れる」


「比較的」


「外れようと思ってないのに?」


「そこが重要です」


 修一は眉を寄せた。


「わざと変なもの選んでもダメ?」


「その行動が続けば、いずれモデル側が学習します」


「面倒くさいな」


「予測する側からすると、高瀬さんが面倒なんです」


「研究室長に面と向かって言われたよ」


「高価な、と付けました」


「高ければいいか」


「そこも用途によります」


「またそれ」


 面談が始まった時には、人事上の何かを言い渡されると思っていた。


 今は、自分の昼飯と出張と十年前の企画案を並べられ、会社のAIにとって面倒な男だと説明されている。


 思っていた方向とはずいぶん違った。


 森崎が画面を切り替えた。


「それで、高瀬さんに参加していただきたいんです」


 修一は返事をしなかった。


 表示された資料ではなく、森崎の顔を見た。


「俺が?」


「はい」


「何に?」


「今お話しした研究プロジェクトです」


 森崎の言葉はそれまでと同じ調子だった。


 大げさでもない。


 持ち上げる感じもない。


 それなのに、修一はすぐには次の言葉が出なかった。


 最近の会社では、何かを求められること自体は珍しくない。


 確認してください。


 承認してください。


 修正の要否を判断してください。


 最終候補を選択してください。


 毎日いくつも来る。


 だが、自分でなくても成立しそうなものが多かった。


「俺じゃなきゃダメ?」


 聞いてから、少しだけ格好悪い質問だった気がした。


 森崎は気にした様子もなかった。


「高瀬さんのデータが必要です」


「……そう」


 修一は画面へ目を戻した。


 さっきまで少し気味の悪かった十年分の点が、今は違って見えた。


 何が違うのかは、自分でもうまく言えない。


 言う必要もない気がした。


「具体的に何するんです?」


「正式な内容は参加時に説明します。負担は大きくありません」


「勤務時間増える?」


「大きくは増えません」


「面倒?」


「高瀬さんが面倒と感じる程度は、まだ予測できません」


 修一は笑った。


「そこ予測できないんだ」


「今後の研究課題です」


「俺で研究する気満々ですね」


「参加していただければ」


 森崎が資料の次のページを開いた。


 参加概要。


 所属。


 実施時期。


 その下へ視線を動かして、修一の目が止まった。


 報酬の欄だった。


 一度読んだ。


 もう一度読んだ。


 数字は変わらない。


「これ」


「はい」


「追加報酬?」


「そうです」


「この数字?」


「そうです」


 修一は画面を指で拡大した。


「拡大しても変わりません」


「確認です」


「正しい金額です」


 修一は背もたれから身体を起こした。


 さっきまでの〇・〇七パーセントより、こちらの数字の方がはるかに理解しやすかった。


「いつから始めます?」


「来週から」


「早いですね」


「参加されますか」


「その金額見せた後に聞く?」


「順序は規定していません」


「参加します」


 森崎はうなずいた。


「では、詳細は改めてご案内します」


 修一はもう一度、報酬欄を見た。


 しかも金まで出る。


 悪くない。


 かなり悪くない。


「一つ聞いていい?」


「どうぞ」


「この研究、名前あるんですか」


「あります」


 森崎が資料を先頭へ戻した。


 今まで閉じられていた表紙が画面いっぱいに表示された。


 白い背景に、黒い文字だけがあった。


 HUMAN VARIABLE PROJECT


 修一は英字を目で追った。


「日本語だと?」


「人間変数、で社内では呼んでいます」


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