第14話 値下がりした人間
会社へ着いて最初に目に入ったのは、予定表だった。
少ない。
修一は立ったまま、もう一度見た。
午前、本人照合。
午後、なし。
以上。
「減ったな」
自分で言ってから席へ座った。
数日前まで、Human Variable 関係の予定は週に何度か入っていた。商品選択。本人確認。追加検証。社外利用の承認。
どれも長い仕事ではなかったが、それなりに呼ばれていた。
今日は一件だけだった。
端末を開くと、森崎から面談通知が来ていた。
五分後。
「近いな」
顔を上げると、森崎が向こうから歩いてきた。
「ここでいいですか」
「面談室じゃないの?」
「機密性の高い内容ではありません」
「じゃあ何」
森崎は修一の横に立ち、画面を一つ送った。
Human Variable Project
本人照合運用変更
修一は最初の一行を読んだ。
本人照合頻度。
「来月から本人照合は月一回です」
修一は森崎を見た。
「クビ?」
「いいえ」
「報酬は?」
「契約上ほぼ変わりません」
「仕事は?」
「大幅に減ります」
修一は画面を見た。
本人照合。
月1回。
その下には契約継続中と出ている。
「じゃあ……何が問題なんだろうな」
森崎は答えなかった。
修一も、別に答えを求めたわけではなかった。
少し待ったが、森崎はそのままだった。
「終わり?」
「はい」
「本当に短いな」
「変更内容は以上です」
「そうですか」
森崎は自分の席へ戻っていった。
修一は送られてきた通知をもう一度見た。
報酬条件、継続。
利用許諾範囲、変更なし。
本人照合、月1回。
金はほとんど変わらない。
会社にも残る。
契約も切れない。
仕事だけ減る。
「いい話じゃん」
小さく言ってみた。
誰も返事をしなかった。
*
午前の本人照合は、さらに短かった。
画面にHV-TAKASE の判断結果が出た。
生活用品の企画案件だった。
候補抽出。
選択傾向。
購買反応予測。
以前なら修一自身へ回ってきていた種類の仕事だった。
今は先にHV-TAKASE が処理している。
修一の役割は、その結果が現在の自分とかけ離れていないかを見ることだった。
一件目。
修一は商品画像を開いた。
三つの候補のうち、HV-TAKASE が選んだものを見る。
「まあ、これかな」
理由までは聞かれない。
画面の下に確認欄が出た。
本人との著しい乖離なし。
修一は押した。
二件目。
サービス画面の配置だった。
左右を見比べる。
「こっちだな」
HV-TAKASE も同じ側を選んでいる。
本人との著しい乖離なし。
押す。
三件目は少し迷った。
修一なら別の方を選ぶ気もする。
もう一度見る。
どちらでもよかった。
著しい乖離と言うほどではない。
押した。
確認完了。
承認。
画面の端に、
処理完了
と出た。
修一は指を机から離した。
数分だった。
次の予定はない。
メールは整理済み。
緊急の確認事項もない。
修一は画面を閉じかけた。
少し考えて、もう一度開いた。
処理完了。
変わっていない。
「そりゃそうか」
閉じた。
窓の向こうは晴れていた。
みなとみらいの建物の間に、夏の終わりの強い光が残っている。
修一は時計を見た。
まだ午前だった。
コーヒーを飲んでから帰ることにした。
*
最初の数日は、妙な感じがした。
朝、予定を開く。
何もない。
午後もない。
翌日も一件だけ。
その次は、本当に何もなかった。
だから映画を見に行った。
平日の昼だった。
以前から気になっていた作品で、上映時間が合った。
客は少なかった。
修一は飲み物を持って真ん中より少し後ろへ座った。
始まって十分ほどで仕事のことは忘れた。
途中で一度、隣の席の男が大きな音を立てて飲み物を倒した。
少し離れた客が笑った。
修一も笑った。
映画自体も面白かった。
終わったあと、感想を出す画面が表示されたが閉じた。
そこまで評価する気はなかった。
外へ出る。
まだ明るい。
「平日なんだよな」
会社を休んだわけではない。
予定がないだけだった。
そのまま少し歩いた。
駅へ向かわず、海側を回った。
暑さはまだ残っていたが、少し風がある。
途中でコーヒーを買い、ベンチに座った。
端末を開く。
ニュース。
会社。
家庭。
その中にHV 契約の利用状況があった。
修一は何となく開いた。
HV-TAKASE の利用は増えていた。
本人照合。
本人直接利用。
その横に、モデル利用。
棒の長さが全然違う。
数百倍。
「働いてんな」
言ってから、少し笑った。
自分のモデルに言うのも変だった。
画面を閉じた。
コーヒーはまだ半分残っている。
飲み終えてから帰った。
*
別の日は岡村公園まで歩いた。
家から近い。
わざわざ予定を作るほどの場所でもない。
だから今まで、近いわりにはあまり来ていなかった。
坂を上る。
途中で後悔した。
「暑いな」
誰に言うでもない。
公園へ着く頃には少し汗をかいていた。
木陰は思ったより涼しかった。
子どもが何人か走っている。
少し離れたところでは、高齢の男性が自動追従の荷物台を連れて歩いていた。
修一は空いたベンチへ座った。
何もすることがない。
それが意外に悪くなかった。
十分ほど座り、また歩いた。
帰りに坂を下る。
上るより楽だった。
家へ着くと、ハルが玄関で言った。
「予定より二十三分長い外出でした」
「何の予定?」
「出発時の行動予測です」
「頼んでないけど」
「健康管理用の移動予測です」
「じゃあ健康だった?」
「本日の歩行量は推奨範囲内です」
「ならいい」
シャワーを浴びた。
昼飯を食べた。
ソファに座った。
少しだけ横になるつもりだった。
目を開けた時には、窓から入る光の位置が変わっていた。
「寝た?」
ハルが答えた。
「四十六分間、睡眠状態でした」
「結構寝たな」
「午後の予定に影響はありません」
修一は少し考えた。
「予定ないからな」
「はい」
「そこ即答する?」
「事実です」
「知ってるよ」
修一は起き上がった。
よく寝た。
気分も悪くなかった。
*
夏休み中の悠真と昼を食べに出た日もあった。
上大岡まで行くほどでもなく、近場の店に入った。
悠真は麺類。
修一は定食。
注文を終えると、悠真が聞いた。
「父さん今日休み?」
「仕事」
「今?」
「終わった」
「何時に?」
「朝」
「何分?」
「それ聞くなよ」
悠真が少し笑った。
「また短かった?」
「お前、俺の仕事なめてるだろ」
「別に」
「その別に絶対なめてるだろ」
「報酬出てるんでしょ」
「出てる」
「じゃあいいじゃん」
「そうなんだよ」
料理が来た。
悠真が箸を取る。
「父さん、最近昼いるね」
「悪い?」
「別に」
「またそれ」
「俺、夏休みだし」
「俺も似たようなもんだよ」
「違うでしょ」
「何が」
「知らない」
「お前が言ったんだろ」
悠真は麺を食べた。
修一も定食に手をつけた。
うまかった。
食後、二人で少しだけ買い物をした。
悠真が文具を見ている間、修一は店の外で待った。
端末に通知が出た。
HV-TAKASE 利用状況更新。
修一は開かなかった。
悠真が戻ってくる。
「何してんの」
「待ってる」
「見れば分かる」
「じゃあ聞くなよ」
二人で帰った。
普通の昼だった。
*
横浜南部統合医療センターでは、Human Care の申請がまた増えていた。
美咲が配分委員会へ入ると、すでに改定案が画面に出ていた。
今日決めるのは個別患者の時間ではない。
誰を無料必要枠へ入れやすくするか、その基準だった。
臨床必要度。
孤立度。
末期。
強い術後不安。
認知機能。
それぞれの扱いが並んでいる。
「孤立、上げます?」
看護側の委員が聞いた。
心理社会支援の担当者がうなずいた。
「今の基準だと、身体状態が安定している独居患者が後ろへ回りやすいです」
「でも上げたら対象かなり増えるよ」
医師が画面を送った。
試算が出る。
無料必要枠へ入る患者が増えた。
同時に、供給不足の表示も増えた。
美咲は見た。
「増やした分、人も増えるわけじゃないからね」
「そこです」
別の案を開く。
臨床必要度と孤立度の補正を上げる。
末期患者と、強い術後不安が治療継続へ影響する患者も優先しやすくする。
認知機能については、過去のHuman Care 介入で安定効果が確認されている場合を重くする。
美咲は上から読んだ。
「これなら?」
「今より無料枠は広がります」
「有料は?」
「残します」
美咲がその項目を開いた。
有料希望枠。
現行維持。
「ここ減らせば、人は少し回せますよね」
「回せます」
「じゃあ減らさないの?」
「収益も減ります」
運用担当が言った。
画面に財源配分が出た。
有料希望枠から入る収益の一部が、無料必要枠の人件費へ回っている。
美咲は閉じた。
「減らした分だけ無料も減る」
「長期ではそうなります」
「面倒」
「はい」
誰も反論しなかった。
有料枠を全部なくせば平等になる、という話でもない。
残せば、払える人が長いHuman Care を取る。
その金で無料枠も動く。
美咲は改定案へ戻した。
「有料は残す」
医師が確認した。
「現行規模?」
「いったん」
「無料必要枠は?」
「臨床必要度と孤立度を、今より重くする。末期と強い術後不安は取りこぼしを減らす」
「認知は?」
「効果記録がある人は優先」
心理社会支援の担当者が画面へ一項目足した。
退院後の生活支援状況。
「これも見たいです。独居でも支援が十分入っている人と、本当に孤立している人は分けた方がいい」
「そうね」
美咲はうなずいた。
再計算。
無料必要枠の対象は増えた。
それでも全員には足りなかった。
赤い未配分表示が残っている。
「消えないね」
「人が増えてませんから」
「そうだよね」
美咲は椅子にもたれた。
別案も出せる。
孤立をもっと重くする。
臨床をもっと重くする。
有料枠を減らす。
利用時間を短くする。
どれを動かしても、別のところが変わった。
医師が聞いた。
「これで運用入れます?」
美咲は画面を見た。
無料必要枠。
有料希望枠。
新しい優先基準。
未配分あり。
「入れましょう」
最終確認が開いた。
適用後、1か月ごとに再評価。
供給状況に応じて見直し。
委員会承認。
美咲の署名欄が出た。
少しだけ指を止めた。
それから署名した。
高瀬美咲。
承認済み。
ほかの委員も続いた。
新しい基準が翌日から適用される。
画面が切り替わった。
Human Care 申請。
未処理。
すでに何件か並んでいた。
「明日からだよね」
美咲が言った。
「はい」
「今日は今の基準?」
「はい」
「じゃあ戻ろう」
立ち上がった。
*
その夜、美咲が帰った時、修一はリビングで映画の続編を探していた。
「ただいま」
「おかえり」
美咲は鞄を置いた。
ハルが受け取る。
「今日遅かったな」
「会議」
「またHuman Care?」
「うん」
「増えてる?」
「増えてる」
美咲はソファへ座った。
修一は画面を閉じた。
「俺ほとんど仕事なくなった」
「羨ましい」
「そう?」
「明日代わって」
修一は笑った。
美咲は笑わなかった。
本気で代われるなら少し代わってほしそうだった。
「俺、病院じゃ使えないだろ」
「じゃあ寝てて」
「それなら今日もやった」
「何分?」
「そこ聞く?」
「聞く」
「結構」
「曖昧」
「いいだろ別に」
美咲は背もたれに身体を預けた。
ハルが夕食予定を表示した。
「十五分後に提供可能です」
「今日何?」
修一が聞いた。
「鶏肉と野菜の蒸し料理です」
「魚じゃない?」
「本日の献立には含まれていません」
「ならいい」
美咲が修一を見る。
「何で確認したの」
「別に」
「悠真みたい」
「やめろよ」
美咲が少し笑った。
修一も笑った。
*
寝る前、修一は仕事用の端末を開いた。
明日の予定はなかった。
その下にHuman Variable 契約の月次表示が出ている。
修一は開いた。
最初に市場欄が表示された。
生身HV
高瀬修一
市場参考価格
ピーク時比約3分の1
修一は下へ送った。
HV-TAKASE利用件数
本人直接利用・本人照合の数百倍




