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人間変数 ― MADE BY HUMAN ―  作者: 花房清澄


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13/17

第13話 暑い夏


 朝六時半、高瀬家のリビングはいつもより少し暗かった。


 カーテンが半分閉じている。


 修一が階段を下りながら言った。


「まだ朝だぞ」


 台所にいたハルが振り向いた。


「日射負荷を抑制しています」


「外、そんな暑い?」


「現在三十一・二度です。本日の最高気温は四十度前後と予測されています」


「朝から三十一?」


「はい」


 窓の外は晴れていた。


 岡村の坂道にはもう強い光が落ちている。向かいの家の屋根が白く照り返していた。


 室内は涼しい。


 冷房はいつも通り動いている。


 ただ、洗面所の方が静かだった。


「洗濯は?」


「午前一時四十六分へ変更しました」


「また?」


「本日の地域電力需給予測に基づく調整です」


 卓上に家庭運用の通知が出ていた。


 車両充電 延期

 給湯再加熱 時間変更

 清掃 午後へ移動

 家庭ロボット充電 延期


「ずいぶん止めたな」


「生活維持に影響しない負荷を移動しています」


 修一は席に座った。


 美咲はもう朝食を食べている。


「冷房は?」


「動いてるでしょ」


「いや、そこは止めないんだなと思って」


「止めたら困るでしょ」


「まあね」


 悠真がパンを食べながら端末を見た。


「今日、部活外ないって」


「そりゃそうだろ」


「室内も一部中止」


「何すんの」


「知らない」


 ハルが味噌汁を置いた。


 次の皿を取るまで、ほんの少し間があった。


 修一が見る。


 もう一度。


 やはり少し遅い。


「今日反応遅くない?」


「演算資源を三四%削減しています」


「人間っぽくなったな」


「意味を解釈できません」


 悠真が笑った。


「そこはいつも通りだな」


「何が?」


「父さんへの返し」


「返してないよ。分かってないんだよ」


 ハルは次の皿を置いた。


「現在の処理精度に問題はありません」


「ほら。ちゃんとしてる」


 美咲が言った。


「あなたよりね」


「朝から比較すんなよ」


 卓上で小さく音がした。


 車両充電の予定時刻が、また変わっている。


「これ、さっき延期だったよな」


「はい」


「また変わった?」


「地域需要予測が更新されました」


「俺、今日会社行ける?」


「現在の充電量で往復可能です」


「ならいい」


 修一は味噌汁を飲んだ。


 冷蔵庫は動いている。


 照明もついている。


 朝食もいつも通り出てくる。


 ただ、卓上の通知だけが時々入れ替わった。


*


 横浜南部統合医療センターは、外よりさらに涼しかった。


 美咲が病棟へ入ると、若い看護師が端末を持って近づいてきた。


「高瀬さん、これ」


 非緊急ロボット機能 一部制限。


「来たか」


「移乗もです」


「全部?」


「優先利用になってます」


 十一号室を開く。


 本来なら昼前に来るはずだった移乗ロボットが、別病棟で使用中になっていた。


「待ちます?」


「この人は待たせなくていい。二人でやろう」


「人で?」


「人で」


 二人で病室へ入った。


 患者へ声をかけ、ベッドを上げる。


「ゆっくり立ちますよ」


「はい」


 美咲が身体を支える。


 反対側を若い看護師が持つ。


 立たせる。


 向きを変える。


 椅子へ座らせる。


 若い看護師が腰を伸ばした。


「重い」


「本人の前で言わない」


「聞こえてるよ」


 患者が笑った。


「すみません」


「昔は二人でやってたんでしょ」


「そうです」


 廊下へ出る。


 若い看護師の端末が鳴った。


「また来た」


 清掃 一部延期。


 物品搬送 低優先便を統合。


「これ、持っていくしかないですね」


 薬剤庫前に、手渡し待ちの箱が二つ並んでいた。


「そっちは急ぎ?」


「こっちは昼まで。こっちは今」


「今のだけ持って」


「はい」


 美咲の端末にも通知が入った。


 予定手術 1件開始時刻変更。


「手術も?」


 若い看護師が言った。


「緊急じゃない方」


「もう患者さん来てますよ」


「行ってくる」


 待機区画では、男性がすでに説明を受けていた。


「今日やるって聞いてたんですよ」


 担当者が頭を下げる。


「開始が午後へ変更になりました」


「何で俺なんですか」


 美咲が横から画面を確認した。


「今すぐ始めなくても状態への影響が小さいと判断されています」


 男性が美咲を見る。


「じゃあ俺は優先度低いんだ」


「今日はそうです」


「それ、安心していいんですか」


「そこは私が決められません」


 少し離れたところにいた女性が、家族に言った。


「私も後でいいって言われた」


「大丈夫なの?」


「大丈夫だから後なんでしょ」


 男性がそちらを見た。


 美咲の端末がまた鳴った。


 看護スタッフ 2名到着遅延。


「何分?」


 若い看護師が聞く。


「十二分」


「電車ですか」


「そうみたい」


「十二分かあ」


「先に七号室」


 二人で歩き出した。


 廊下の清掃機は壁際で止まっていた。


 その横を薬剤搬送機が通る。


 七号室。


 体位交換。


 次は検査室への付き添い。


 戻る途中で箱を一つ持つ。


 ナースステーションへ戻ると、未処理が一件増えていた。


「減ってない」


 若い看護師が言った。


「見てると疲れるよ」


「見ないと終わらないです」


「じゃあ終わらせよう」


 十一号室の前を、さっき来なかった移乗ロボットが通り過ぎた。


 別の患者の部屋へ入っていった。


 若い看護師がその後ろを見た。


「これ毎日やってたんですか?」


「だからみんな辞めてたの」


「無理ですよ」


「無理だったの」


 美咲は腰を一度伸ばした。


 端末が鳴った。


「次」


「はい」


*


 昼前、修一が家を出ると、配送予定が変わっていた。


 本日12時台。


 その下に、


 到着予定 2時間遅延。


「何頼んだっけ」


 注文履歴を開く。


 浄水フィルターだった。


「まあいいか」


 車へ乗る。


 坂を下りたところで、一台の配送車が路肩に止まっていた。


 運転席には誰もいない。


 荷室の表示に、


 再出発待機。


 と出ている。


 少し先にもう一台。


 そちらはすぐ動いた。


 車体の側面に医療優先の表示が出ていた。


「忙しいな」


 幹線道路へ入る。


 大型商業施設の前には、いつもより人がいた。


 自動受取設備の前に列ができている。


 案内ロボットは二台とも停止していた。


 店員が一人、入口で客へ説明している。


 営業はしている。


 修一は信号待ちの間だけ見て、そのまま通り過ぎた。


 会社へ向かう途中で鉄道通知が入った。


 3分遅延。


 次に別路線。


 6分遅延。


「今日は何でも遅れるな」


 会社に着いた。


 ロビーのエレベーター前に、いつもより人がいた。


 一基だけ、扉の上に省電力待機中と出ている。


「朝から二本見送りました」


 後ろにいた社員が言った。


「階段は?」


「何階だと思ってるんですか」


「だよな」


 修一も列に並んだ。


 フロアへ入ると、いつも向かいにいる社員の席が空いていた。


 修一が座って少ししてから本人が来た。


「遅いじゃん」


「乗り換え切られた」


「六分のやつ?」


「六分で一本逃した」


「災難だな」


「会社来ただけで疲れた」


 社員が鞄を置いた。


 修一の画面に業務予定が出る。


 午後の試験出荷。


 開始時刻変更。


「これも?」


 隣の社員が自分の画面を見た。


「朝の便来てないらしいよ」


「何が?」


「倉庫の方。まだ確認中」


 その社員の画面が切り替わった。


「うわ」


「何?」


「人間確認待ち、十九件」


 修一も自分の画面を見る。


 12件。


「俺もある」


 一件目を開いた。


 家庭用品の配送予定変更。


 本日夕方から翌日午前。


 顧客向け案内は作成済み。


 確認。


 承認。


 二件目。


 家庭ロボットの点検訪問。


 予約時刻を二時間変更。利用者了承済み。


 確認。


 承認。


 三件目を開く。


 画面中央に待機中と出た。


 三十秒。


 一分。


「遅くない?」


 向かいの社員が言った。


「俺もさっき五分待った」


「五分?」


「その間に別の二件やった」


「仕事してるじゃん」


「今日だけですよ」


 修一の画面が開いた。


 生活サービスの時間変更。


 案内文を読む。


 一行だけ直す。


 承認。


「高瀬さん、これ先見てもらえます?」


 少し離れた席から声が飛んだ。


「待って。今三つある」


「こっち今日中です」


「全部今日中って書いてあるよ」


「だから回してるんです」


 別の席でも声がした。


「代替品、誰か確認できます?」


「こっち終わったら見る」


「顧客案内、送っていい?」


「それ俺じゃない」


 普段より、人の声が多かった。


 修一は一件終わらせた。


 人間確認待ち。


 17件。


「増えてるじゃん」


 もう一件開く。


 確認。


 承認。


 横から別の案件が届く。


「今日、仕事してるな」


 修一が言うと、向かいの社員が顔も上げずに返した。


「珍しいこと言ってる場合じゃないです。これも」


「まだ増えるの?」


「増えてます」


 修一の画面では、二十件になっていた。


 壁面の表示が切り替わった。


 関東の一部電力制御で不安定化。


 何人かが顔を上げた。


 修一も開く。


 広域停電の発生なし。


 交通、物流、商業設備などに影響。


「朝からの、これ?」


 誰に聞くでもなく言った。


 次の速報が出た。


 サイバー攻撃の疑い。


「え?」


 向かいの社員も画面を見た。


「暑いだけじゃなかったの?」


 その時、修一の端末に社内通知が重なった。


 契約済みHV データを緊急モデル検証に利用します。


「俺?」


 開く。


 本人操作不要。


 既存契約範囲内。


 重要インフラ安全検証への匿名化データ提供。


 修一は隣を見る。


 森崎はいない。


 端末から連絡する。


「今どこ?」


「同じフロアです」


「どこ」


「高瀬さんの後ろです」


 振り向く。


 森崎がいた。


「いるなら言ってよ」


「今来ました」


 森崎が机まで来る。


 修一は通知を見せた。


「これ」


「はい」


「俺の?」


「高瀬さんを含む複数のHV データです」


「何に使うの」


「モデル検証です」


「今の電気の?」


「関連しています」


 修一は通知を見た。


「俺、何もしてないけど」


「だから使えるんです」


「どういうこと?」


「今から高瀬さんに考えてもらうと、状況を知った上での判断になります」


「ああ」


 修一はもう一度画面を見る。


「昔の俺?」


「過去の判断履歴です」


「今日はそれでいい」


 壁面のニュースが更新された。


 攻撃による直接制御の形跡なし。


 修一は眉を寄せた。


「乗っ取られたんじゃないの?」


「現時点では違うと見られています」


「じゃあ何されたの」


「複数の電力AI が、異常時に似た防御行動を取ることを利用されたようです」


「似た?」


「同じ方向へ負荷を逃がした」


「別会社のAI も?」


「はい」


「何で?」


「合理的な選択が似たんです」


 修一は壁面を見る。


 攻撃による直接制御の形跡なし。


 その文字は消えずに残っていた。


「壊れてないの?」


「壊れてはいません」


 修一は少し黙った。


「そっちの方が嫌だな」


 森崎は答えなかった。


 少し前、商品開発で似た話を聞いた。


 複数のAI が同じような候補を上へ出す。


 あの時は収納用品だった。


 森崎が検証概要を開く。


 修一は最初の数行だけ見た。


「短く」


 要約表示に変わった。


 従来型制御へ切替。


 異種AI モデルへ分散。


 人間監督範囲を拡大。


 合成人間変数を追加。


「最後の何?」


「多数の人間判断データなどから、判断のばらつきを生成する仕組みです」


「人間変数を作るのか」


「人工的に」


 結果表示が更新された。


 一部地域 改善。


 一部地域 安定せず。


 複数方式併用 継続。


 修一はそこを見た。


「これだけじゃ駄目なんだ」


「条件によります」


 画面の下に、


 契約済みHV データ 検証中。


 と出ている。


「俺のも、この中?」


「検証材料の一つです」


「一つか」


 森崎はうなずいた。


 修一は画面を閉じなかった。


 午後の仕事を始める。


 しばらくして、向かいの社員が言った。


「出荷、動いた」


「何時?」


「四時」


「今日中じゃん」


「今のところ」


「その言い方やめろよ」


 社員が笑った。


 修一も少し笑った。


 鉄道通知が更新された。


 六分が四分になった。


 商業施設の自動受取設備、順次再開。


 修一は一度ニュースを閉じた。


 仕事を一件終える。


 また通知が出た。


 配送予定 夕方。


「来るんだ」


 浄水フィルターだった。


 少しして、美咲から短いメッセージが来た。


 午後の制限、一部解除。


 修一は、


 腰大丈夫?


 と送った。


 返事は、


 今聞く?


 だった。


「大丈夫じゃないな」


 夕方前。


 壁面表示が切り替わった。


 電力制御 ほぼ正常化。


 フロアの何人かが画面を見た。


 誰も拍手はしなかった。


 修一は鉄道情報を開く。


 平常運転へ復帰中。


 試験出荷も動いている。


 自分の荷物も配送中になっていた。


「終わった?」


 少し離れた席の森崎が答えた。


「完全な調査はこれからです」


「普通には戻った?」


「ほぼ」


「じゃあ帰る」


「どうぞ」


「止めないんだ」


「業務は終わっています」


「そうでした」


 修一は立ち上がった。


*


 帰宅した時、朝より家の中が明るかった。


 カーテンは開いている。


 ハルは夕食の準備をしていた。


「もう三四%じゃないの?」


「現在は通常の演算資源を使用しています」


「じゃあ朝より賢い?」


「処理資源量と知能を同義として扱うことは適切ではありません」


「戻ったな」


 玄関脇に箱が置いてあった。


「あ、来てる」


「何が?」


 悠真がリビングから聞いた。


「知らない」


「知らないの?」


「朝調べた。忘れた」


 箱を見る。


「フィルターだ」


「どうでもいいじゃん」


「だから忘れたんだよ」


 リビングではニュースが流れていた。


 美咲がソファに座り、腰を軽く叩いている。


「腰?」


「今日ちょっと人間使いすぎた」


「何それ」


「ロボット制限」


「ああ」


「若い子、午後には箱見るだけで嫌な顔してた」


「そんなに?」


「やる?」


「やらない」


「即答」


 テレビから声が聞こえた。


「今回の事態を受け、重要インフラのAI 依存を見直すべきとの――」


 画面が切り替わる。


「一方、物流や医療では自動化の縮小が人員不足を招くとの指摘も――」


 修一が靴下を脱ぎながら言った。


「どっちなんだよ」


 悠真が答えた。


「人が違うんでしょ」


「分かってるよ」


 美咲が腰を叩く。


「今日全部人でやれって言われたら、私はまだ帰ってない」


「じゃあAI でいいじゃん」


 悠真が言った。


「今日みたいになるだろ」


 修一が返した。


「じゃあどうすんの」


「知らないよ」


 悠真が笑った。


「父さん今日、何も知らないな」


「俺は何屋だと思ってんだ」


「人間変数」


「それ仕事みたいに言うなよ」


 その時、ニュースの大きな見出しが切り替わった。


 人間の多様性が日本を救った。


 修一は読んだ。


 もう一度読んだ。


「そんな単純じゃなかっただろ」


 悠真が記事を開いた。


「人間を真似した機械も使ったんでしょ」


 ハルが台所から言った。


「見出しとしては前者が理解容易です」


「知ってるよ」


 美咲が少し笑った。


 修一は記事を下へ送った。


 本文には、さっき会社で見たものと同じ言葉が並んでいた。


 従来型制御。


 異種AI。


 人間監督。


 合成人間変数。


 修一は閉じた。


「変わんないな」


「何が?」


「見出し」


「読む方も変わってないんじゃない」


「お前十七だろ。昔知ってんの?」


「父さんよりニュース見てる」


「そういう話じゃない」


 ハルが料理を運んできた。


 朝のような間はない。


 皿が次々に並ぶ。


 洗濯も終わっていた。


 車両充電は夜間に予約されている。


 美咲の病院からも通常運用へ戻ったという通知が来ていた。


 悠真はもう別のニュースを見ている。


 夕食が始まる。


 数時間前まで何度も鳴っていた電力警告は、もう出てこなかった。


 修一の端末が鳴った。


 また電力かと思って見る。


 市場速報。


 合成人間変数関連企業 急騰。


 修一は開いた。


 重要インフラでの緊急利用実績を受け、関連銘柄に買いが集まっている。


「へえ」


 もう一件入った。


 生身HV 人材関連企業 急落。


 修一の指が止まった。


 下落率の数字が並んでいる。


 合成人間変数。


 生身HV。


 修一は二つを見比べた。


 その表情が、少し変わった。


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