第11話 人間変数ブーム
保険の更新通知が来たのは、朝食を食べ終えたあとだった。
修一は最初、金額だけ見た。
前年より上がっている。
「何で?」
誰に聞いたわけでもない。
通知を開く。
契約車両は高瀬家のEV。事故歴に変更なし。車両保守、異常なし。自動運転系統にも重大な問題は出ていない。
その下に、見慣れない一行があった。
行動予測誤差が契約基準値を上回っています。
「は?」
修一はもう一度読んだ。
行動予測誤差。
最近、会社では嫌というほど似た言葉を見ている。
予測残差。
Human Variable。
外れるから金になる。
そのはずだった。
修一は保険料の内訳を開いた。
事故履歴。
年齢。
車両状態。
自動運転利用。
手動介入。
経路選択。
予測確信度。
最後の項目だけ、前年より評価が下がっていた。
「何でそこ見てんだよ」
台所からハルが振り向いた。
「私への質問ですか」
「違う」
「承知しました」
修一は保険会社への問い合わせを開いた。
応答はすぐに始まった。
「保険料が上がってるんだけど」
「今回の契約更新では、複数の評価項目に変更があります」
「事故は?」
「契約期間中の事故記録に変更はありません」
「じゃあ何」
「主な増額要因を表示します」
画面が一つに絞られた。
行動予測誤差。
やはりそれだった。
「これ?」
「はい」
「俺、運転危ないってこと?」
「事故発生率が高いと判定されたことを意味しません」
「じゃあ何で上がるの」
「将来行動の予測幅が拡大したため、リスク推定上の不確実性補正が加算されています」
修一は画面を見た。
「分かるように言って」
「高瀬修一様の実際の経路選択、手動介入、運転継続判断等について、当社予測モデルの確信度が前年より低下しています」
「でも事故は増えてない」
「はい」
「危険運転も?」
「その評価ではありません」
「なのに高くなる?」
「はい」
保険AI は淡々としていた。
言っていること自体は分かる。
事故を起こすと決めつけられたわけではない。
ただ、分からない分を少し多く見積もられている。
修一は椅子にもたれた。
「会社じゃこの数字で金もらってるんだけど」
「当社において予測困難性は事故リスク評価上の不確実性要因です」
「昨日と今日で俺の価値変わりすぎだろ」
「当社は人物価値を評価していません」
「そこ真面目に返す?」
「保険料算定についてのご質問として回答しています」
修一は少し黙った。
腹は立つ。
ただ、相手が間違ったことを言っている感じもしなかった。
「これ、いくらでも上げられるの?」
「いいえ。不確実性補正には契約および法令上の上限があります。今回の補正は上限内です」
「説明はこれで全部?」
「詳細算定根拠を表示できます」
「長い?」
「現在の表示で十二項目です」
「いい」
「では概要表示を維持します」
修一は更新後の保険料をもう一度見た。
払えない金額ではない。
だから余計に腹立たしい。
会社からもらっているHuman Variable の報酬に比べれば小さい。
そのHuman Variable のせいで取られる金でもある。
「差し引きで考えれば得か」
口に出してから、何となく負けた気がした。
ハルが食器を下げに来た。
「何がですか」
「何でもない」
「承知しました」
修一は更新を承認した。
*
その日の午後、修一は会社で森崎を見つけると、最初に保険の画面を送った。
「これ見て」
森崎は受け取った。
「保険ですね」
「そう」
「更新ですか」
「上がった」
「そうですか」
「反応薄くない?」
「どの部分についてです?」
修一は自分で増額理由を開いた。
行動予測誤差。
森崎はそこを見た。
「ああ」
「ああ、じゃないんだよ」
「理由は分かります」
「人間変数って価値あるんじゃないの?」
「誰にとってです?」
「……そういう言い方すると思った」
森崎は画面を修一へ返した。
「研究では価値があります。保険ではリスクです」
「同じ俺だよ」
「はい」
「同じ数字で?」
「似た種類の情報でも、用途が違います」
「会社は外れるから金払う」
「そうですね」
「保険は外れるから金取る」
「そうですね」
「便利だな、人間変数」
「誰にとってです?」
「二回やるなよ」
森崎が少しだけ笑った。
修一は椅子へ座った。
「これ、うちで評価されたから上がったの?」
「それは分かりません。保険会社が何を参照しているかは契約範囲によります」
「会社が俺の〇・〇七を売ったとかじゃなく?」
「少なくとも、その数値自体は当社モデル群に対する社内評価です。他社で同じ値になるものではありません」
「じゃあ保険会社は保険会社で俺を読めなくなった?」
「表示を見る限りは」
「人気者だな」
「そういう意味ではありません」
「分かってるよ」
修一は保険の画面を閉じた。
森崎の机には別の資料が開いていた。
複数の研究案件らしい。
「最近増えてる?」
「何がです?」
「こういうの。人間変数」
「言葉を使うところは増えています」
「うちが流行らせた?」
「一社で作った現象ではありません」
「そこも褒めないね」
「事実なので」
森崎は資料へ戻った。
修一も立ち上がった。
「会社で手当つかない?」
「何のです?」
「人間変数保険料」
「ありません」
「即答だな」
「制度がありませんから」
「作れば?」
「高瀬さん一人のために?」
「人間変数なんだから」
森崎が修一を見る。
「誰にとってです?」
「もういいよ」
今度は修一も笑った。
*
その日の帰り、修一の端末には人間変数関係の記事が続けて出てきた。
最近よくある。
以前なら商品開発か教育の話が多かった。
今日は少し違った。
研究機関の公募記事。
仮説探索を行う一部チームで、既存モデルと異なる探索履歴を持つ人材を補助評価する、とある。
そのすぐ下には航空関係の記事があった。
運航安全職の選考基準見直し。
判断の一貫性と手順安定性を重視。
修一は指を止めた。
「逆じゃん」
次へ送る。
医療安全分野でも似た記事が出ていた。
緊急時の対応能力とは別に、通常工程では高い再現性と安定した判断履歴を重視する。
さらに送る。
今度は婚活サービスだった。
プロフィール設定項目が追加されたらしい。
安定型希望。
高変動型歓迎。
「何だそれ」
思わず開いた。
説明まで読む気はなく、すぐ閉じた。
次は金融。
新規市場を探す部門では既存モデルと異なる判断を評価する一方、決済やリスク管理では安定した判断が重視される。
修一はそこで端末を閉じた。
数分後、また開いた。
さっきの婚活だけ少し気になった。
高変動型歓迎。
誰が何を期待しているのかよく分からない。
コメント欄には、
毎回予定変える人とは違います。
という説明が上の方に出ていた。
「そりゃそうだろ」
閉じた。
車は幹線道路を自動走行していた。
岡村へ近づき、道が細くなる。
前方に配送車が一台止まっていた。
車が迂回候補を二つ出す。
修一は一つを選んだ。
少し遠回りだった。
選んでから思った。
これも保険会社には見えているのかもしれない。
「もういいよ」
車は何も答えなかった。
*
夕食後、悠真はリビングで学校の資料を見ていた。
修一は向かいのソファに座り、昼間見た記事をもう一度流していた。
研究。
航空。
医療。
金融。
見れば見るほど揃っていない。
修一には、その方が少し面白くなってきた。
「悠真」
「何」
「これ見ろよ」
「何」
航空関係の記事を送った。
悠真が受け取る。
少し読む。
「運航安全?」
「そこじゃなくて、下」
悠真が表示を送った。
判断の一貫性。
予測安定性。
「これが?」
「評価されてる」
「そうだね」
「ほら。予測可能でも得するところあるぞ」
悠真はもう一度記事を見た。
それから父親を見た。
「じゃあ俺、何直せばいいの?」
「……」
悠真はそれ以上言わず、自分の資料へ戻った。
修一も何も言わなかった。
台所ではハルが食器を収納していた。
美咲は翌日の勤務予定を確認している。
修一は端末へ視線を戻した。
画面の上に新しいニュース通知が入った。
政府、重要インフラにおける意思決定モデル同質性調査を開始




