横道③ 現代知識チートはどう進化したのか――主人公の脳内知識から、現代文明そのものへ
今回は、また少し横道です。
異世界ものを読んでいると、
主人公が現代日本の知識を使って、
料理を改善する。
農業を改善する。
衛生環境を改善する。
商売を始める。
新しい道具を作る。
といった展開をよく見かけます。
いわゆる、
「現代知識チート」
です。
これ自体は、異世界ものと非常に相性がいい。
現代日本では当たり前の知識でも、
文明や文化の違う世界なら、
とんでもない価値を持つかもしれない。
ところが、
長く読んでいるうちに、
私は時々こんなことを思うようになりました。
「いや、普通の高校生や会社員って、そんなに何でも知ってる?」
今回は、
この現代知識チートが、
主人公個人の知識から、
検索。
ネット通販。
地球との往還。
そしてついにはAIまで、
どのように便利になっていったのか。
その変化を考えてみたいと思います。
そもそも「現代人であること」自体がチートだった
異世界転移ものの強みの一つは、
主人公が、
現代文明を知っている
ことです。
例えば、
衛生。
農業。
料理。
保存。
流通。
経済。
教育。
建築。
工業。
異世界側の文明レベルによっては、
現代人が当たり前だと思っている知識が、
それだけで大きな武器になります。
魔法がなくてもいい。
剣が強くなくてもいい。
主人公の頭の中にある知識が、
そのままチートになる。
これは非常に面白い発想です。
そして、
異世界ものが「戦う話」から、
料理。
内政。
農業。
生産。
商売。
へ広がっていく中で、
現代知識との相性はますます良くなっていったように思います。
でも、普通の現代人はそんなに万能じゃない
ただ、
ここで問題が出てきます。
主人公が、
医者。
農家。
料理人。
技術者。
研究者。
なら、
専門的な知識を持っていても分かります。
ところが、
普通の高校生。
普通の大学生。
普通のサラリーマン。
だった主人公が、
異世界へ行った瞬間、
農業も、
醸造も、
製鉄も、
建築も、
薬も、
火薬も、
経済も、
何でも知っている。
となると、
さすがに、
「どこで覚えたんだ、それ?」
と思うことがあります。
例えば、
味噌は大豆から作られる。
醤油も大豆から作られる。
このくらいなら、
私も知っています。
でも、
突然、
「では今から一から味噌を作ってください」
と言われたら?
……無理です。
麹はどうする?
温度は?
塩分は?
どれくらい発酵させる?
腐っているのと発酵しているのはどう見分ける?
分かりません。
おそらく、
スマホで検索します。
「知っている」と「作れる」は全然違う
ここが、
現代知識チートで時々忘れられがちなところだと思います。
現代人は、
完成した技術や製品に囲まれています。
だから、
「こういうものが存在する」
ことは知っている。
でも、
それをゼロから再現できるとは限らない。
石鹸。
知っています。
作り方は?
何となく油とアルカリ?
では安全に作れるか?
無理です。
鉄。
知っています。
では鉱石から製鉄できるか?
無理です。
農業。
作物は土に植えれば育つ。
では、
土壌改良。
病害虫対策。
肥料。
輪作。
種の管理。
全部できますか?
たぶん無理です。
つまり、
現代文明のすごさは、
現代人一人一人が文明の全知識を持っていることではない。
専門家がいて、
本があり、
学校があり、
企業があり、
工場があり、
そして、
必要なら調べられる。
それら全部をまとめて、
現代文明なのだと思います。
そこで「専門職主人公」が強くなる
この問題を自然に解決できるのが、
専門職の主人公
です。
料理人なら、
料理に詳しい。
農家なら、
農業に詳しい。
医者なら、
医学に詳しい。
技術者なら、
機械や工学に詳しい。
これなら、
読者も、
「なるほど、この人なら知っていてもおかしくない」
と思えます。
しかも、
専門分野を作品の中心にすれば、
主人公の個性にもなる。
料理人が異世界へ行く。
医者が異世界へ行く。
薬師になる。
鍛冶をする。
建築する。
これは、
現代知識チートをかなり自然に使える方法です。
ただし、専門職にすると今度は範囲が狭くなる
当然、
問題もあります。
料理人は、
料理には詳しい。
でも、
農業にも製鉄にも詳しいとは限りません。
農家は、
農業には詳しい。
でも、
近代医学や機械工学まで知っているとは限らない。
専門家であるほど、
「何でも知っている主人公」にはしづらくなる。
考えてみれば、
当然です。
現代文明は、
あまりにも巨大です。
一人の人間が、
全部を持って異世界へ行くことはできない。
では、
どうすればいいのか。
検索すればいいじゃない
ここから、
現代知識チートが一段便利になります。
主人公が、
すべてを覚えている必要はない。
必要な時に調べられればいい。
これなら、
「普通の会社員がなぜそんな専門知識を?」
という問題をかなり解決できます。
味噌の作り方が分からない。
調べる。
作物の病気が分からない。
調べる。
道具の構造が分からない。
調べる。
つまり、
主人公本人がチートなのではなく、
検索できる環境がチートになる。
現代の私たち自身、
もうかなりそうなっています。
何か分からないことがあったら、
全部覚えるのではなく、
必要な時に調べる。
だから、
現代知識を異世界へ持ち込むなら、
実際には、
主人公の記憶力より、
検索能力を持ち込む方が現代人らしい。
とも言えます。
さらに「買えばいいじゃない」
そして、
もっと強力な解決方法が出てきます。
調べても、
作れないものはある。
道具がない。
材料がない。
設備がない。
なら、
どうする?
買えばいい。
ここで登場するのが、
『とんでもスキルで異世界放浪メシ』
の、
「ネットスーパー」
です。
主人公ムコーダの固有スキルは、
異世界にいながら現代の商品を購入できる「ネットスーパー」。
戦闘スキルではなく、召喚直後には役立たず扱いされますが、実際には現代の商品そのものを異世界へ持ち込める強力な能力です。
作品公式ページでも、この「ネットスーパー」が主人公固有のスキルとして明記されています。
これ、
現代知識チートの歴史を考えると、
かなり大きな変化だと思います。
作り方を知らなくてもいい
昔なら、
主人公が、
「塩と胡椒があれば料理が美味しくなる」
と知っている。
でも、
異世界に胡椒がない。
では、
胡椒を栽培する?
交易路を探す?
代用品を作る?
となります。
ところがネットスーパーなら、
注文すれば届く。
主人公が、
マヨネーズの製造工程を知っている必要もない。
醤油の作り方を知っている必要もない。
インスタントコーヒーを一から作れなくてもいい。
完成品を買えばいい。
つまり、
現代知識チートが、
「現代人が持っている知識」
から、
「現代人が利用している商品」
へ変わった。
のです。
現代文明そのものを召喚している
よく考えてみると、
ネットスーパーという能力はものすごいです。
スーパーに並んでいる商品一つを作るために、
農家。
工場。
物流。
包装。
品質管理。
食品科学。
電力。
交通。
大量の現代文明が関わっています。
主人公は、
それらを全部再現する必要がない。
スマホ的な画面を操作して、
買うだけ。
つまり、
ネットスーパーで取り寄せているのは、
単なる商品ではありません。
商品の向こう側に存在する現代文明全体の成果
なのだと思います。
これは、
ものすごく効率のいいチートです。
『宝くじで40億当たったんだけど異世界に移住する』という早い形
もっと早い時期から、
「現代の物をそのまま異世界へ持ち込む」
という方向はありました。
2010年開始の、
『宝くじで40億当たったんだけど異世界に移住する』
です。
この作品では、
主人公が、
地球と異世界を実際に行き来できます。
そして、
異世界へ、
品物。
技術。
物資。
を持ち込んでいく。
公式作品情報にも、
「物資供与」
「技術供与」
「内政・経済」
「現代知識」
といった要素が明記されています。
ここでは、
便利なスキルで現代商品を召喚するのではなく、
地球へ戻って直接持ってくる。
つまり、
主人公が現代文明と異世界をつなぐ、
物流ルートになります。
脳内知識から「現代文明へのアクセス権」へ
ここまでを並べると、
かなり面白い変化が見えてきます。
最初は、
主人公が覚えている。
↓
専門職主人公。
主人公が専門知識を持っている。
↓
検索。
分からなければ調べる。
↓
ネット通販。
作れなければ買う。
↓
地球との往還。
必要なら地球へ取りに行く。
こうなると、
主人公のチートは、
知識そのものではなく、
「現代文明へアクセスできる権利」
になっています。
私は、
現代知識チートの大きな変化は、
ここにあるのではないかと思います。
そして、ついに「交易」になる
さらに進むと、
ただ現代の商品を異世界へ持ち込むだけではなくなります。
第5章でも取り上げた、
『異世界⇔地球間で個人貿易してみた』
です。
この作品では、
主人公が地球と異世界を自由に行き来できる。
地球の商品を異世界へ持っていく。
砂糖。
香辛料。
コーヒー。
衛生用品。
それらが高く売れる。
ここまでは、
典型的な現代文明チートです。
でも、
主人公は気づきます。
「異世界にだって、地球より優れたものがある」
例えば、
ポーション。
異世界では普通に売られている。
でも、
地球へ持ってきたら?
怪我を短時間で治せる薬。
当然、
ものすごい価値があります。
公式あらすじでも、地球の商品を異世界へ持ち込む一方で、異世界のポーションを地球へ輸入する双方向の交易が作品の核になっています。
「現代文明の方が全部上」ではなくなる
これは、
個人的にかなり好きな方向です。
初期の現代知識チートでは、
どうしても、
現代文明 > 異世界文明
になりがちです。
主人公が、
現代日本の知識を教える。
異世界人が驚く。
「そんな方法が!」
となる。
でも、
魔法が本当に存在する世界なら、
当然、
異世界の方が優れている分野
があってもおかしくない。
回復魔法。
ポーション。
魔法素材。
魔石。
収納。
異世界独自の技術。
こちらを地球へ持ち込めば、
地球側が驚く番です。
つまり、
一方的な文明チートから、
異なる文明同士の交換
へ変化する。
これは、
異世界側を必要以上に下げなくても成立します。
むしろ、
「お互い違うところが発達している」
方が、
世界として自然に感じます。
これは「世界の知能低下問題」への一つの答えかもしれない
第4章では、
主人公を有能に見せるために、
世界側を必要以上に無能にすると、
私は違和感を感じる、
という話をしました。
現代知識チートでも、
同じ問題があります。
主人公。
「野菜は煮ると美味しいですよ」
異世界人。
「なんだって! 食材を湯に入れるなど、誰も考えたことがなかった!」
……となると、
さすがに、
何千年文明やってきたんだ。
と思ってしまう。
でも、
現代文明にも得意分野がある。
異世界文明にも得意分野がある。
その違いを主人公がつなぐ。
という構造なら、
誰かを極端に馬鹿にする必要がありません。
主人公は、
万能の天才ではなく、
二つの文明の橋渡し役
になれる。
これは、
現代知識チートが成熟した形の一つなのかもしれません。
「検索」から「AIに聞く」へ
そして現在。
検索の先に、
さらに便利なものが出てきました。
生成AI。
2025年頃には、
『疲れたおっさん、AIとこっそり魔法修行はじめました』
のように、
AIそのものを主人公の相棒として使うWeb小説も登場しています。
この作品では、
38歳の現場監督である主人公が、
スマートフォンの生成AIへ、
「魔法を使えないか」
と相談するところから物語が始まります。
つまり、
AIが単なる検索装置ではなく、
主人公と一緒に考える、
知識面での相棒
になっている。
ここまで来ると、
かなり面白いところまで来たな、
と思います。
「主人公が知らない」ことが問題ではなくなる
昔の知識チートなら、
主人公が知らないことは、
使えませんでした。
だから、
作者側としても、
「この主人公はこういう知識を持っている」
という理由付けが必要でした。
でも、
検索できる。
通販できる。
地球へ帰れる。
AIに相談できる。
となると、
主人公自身が知らなくてもいい。
大切なのは、
必要な知識や物へアクセスできること。
です。
これは、
実際の現代社会にもかなり近い気がします。
私たちも、
全部を暗記して生きているわけではありません。
分からなければ、
検索する。
専門家に聞く。
動画を見る。
AIに聞く。
商品を買う。
現代人の強さは、
「何でも知っている」
ことではなく、
巨大な知識と文明へアクセスできること
なのかもしれません。
主人公の「頭の中」から「外部ツール」へ
ここまでの変化をまとめると、
現代知識チートは、
こんな風に変化してきたように見えます。
主人公の脳内知識
↓
専門職としての知識
↓
インターネット検索
↓
ネット通販
↓
地球との往還
↓
二世界間の交易
↓
生成AI
少しずつ、
知識の保管場所が、
主人公の頭の外へ出ていく。
わけです。
これが、
個人的にはかなり面白い。
「現代知識チート」から「現代文明チート」へ
なので私は、
この変化を、
こうまとめたいと思います。
現代知識チートは、主人公個人の博識さから、現代文明そのものを利用するチートへ変化していった。
主人公が、
全部知っている必要はない。
全部作れる必要もない。
現代の商品を買える。
情報を検索できる。
地球へ戻れる。
異世界の商品を地球へ持ち込める。
AIに相談できる。
つまり、
主人公にとっての最大のチートは、
現代文明そのものと接続されていること。
になっていく。
これは、
「普通の高校生が何でも知りすぎ問題」を、
結果的にかなり解消した形にも見えます。
そして、便利になればなるほど物語は簡単になる
ただし、
ここでも別の問題が出てきます。
検索できる。
通販できる。
地球へ帰れる。
AIに相談できる。
これ、
強すぎない?
という問題です。
食料に困った。
通販。
病気になった。
検索。
必要な道具がない。
購入。
金が欲しい。
異世界の商品を地球で売る。
困ったことが起きるたびに、
現代文明で解決できてしまう。
すると、
何を物語上の問題として残すのか、
という別の難しさが出てきます。
これは、
アイテムボックス。
鑑定。
自動翻訳。
転移魔法。
などにも共通します。
便利な能力は、
読者のストレスを減らしてくれる。
その一方で、
物語を成立させる「不便」まで消してしまう。
チートは「問題解決装置」であり、「問題消滅装置」でもある
例えば、
主人公が牢屋に捕まった。
でも、
自由に転移できます。
……出ればいい。
城が包囲された。
でも、
アイテムボックスに食料が無限に入っています。
……兵糧攻めが成立しない。
遠い街まで薬を届けなければならない。
でも、
瞬間移動できます。
……旅がいらない。
主人公が知らない知識が必要だ。
でも、
現代ネットへ接続できます。
……調べればいい。
こうなると、
作者は、
その便利能力にも制限をつける必要が出てきます。
私は、
チート能力は問題解決装置であると同時に、物語を壊す装置にもなり得る
と思っています。
この辺りも、
また別の横道として、
一度じっくり考えてみたいテーマです。
便利になったからこそ、「何を読みたいか」が明確になった
ただ、
これは悪いことばかりではありません。
むしろ、
便利能力によって、
本題ではない苦労を省略できる。
料理ものなら、
料理を早く始められる。
商売ものなら、
商売を始められる。
スローライフなら、
すぐ快適な生活へ入れる。
配信ものなら、
すぐ配信できる。
つまり、
作品が読者に見せたいところまで、一気にショートカットできる。
これも、
第4章から何度も出てきた、
カタルシスまでの距離を短くする
流れの一つなのかもしれません。
現代知識チートもまた、効率化していった
昔。
主人公が大量の知識を覚えている。
↓
専門知識を持つ主人公にする。
↓
検索できるようにする。
↓
商品そのものを取り寄せる。
↓
地球と行き来する。
↓
二つの文明を丸ごと利用する。
↓
AIまで相談相手になる。
こうして振り返ると、
現代知識チートも、
ずっと、
「どうすれば主人公が無理なく便利な知識を使えるか」
という方向へ進んできたように見えます。
そして結果として、
主人公個人の能力より、
何につながっているか
の方が重要になっていった。
これは、
スマホやネットやAIを使っている、
今の私たち自身の変化とも少し似ているような気がします。
次は「テンプレそのもの」で遊び始める
ここまで、
異世界転移。
転生。
チート。
料理。
農業。
追放。
ざまぁ。
現代ダンジョン。
配信。
ハーレム。
現代知識。
と、
いろいろな要素を振り返ってきました。
ここまで来ると、
読者側にはもう、
大量の「お約束」が蓄積されています。
異世界転生?
神様が出る?
チートをもらう?
冒険者ギルド?
鑑定?
アイテムボックス?
マヨネーズ?
はいはい。
分かります。
では、
作者はどうするのか。
主人公自身に、
「これ、テンプレ展開じゃないか?」
と言わせる。
マヨネーズを作ろうとしたら、
先輩転生者がすでに作っている。
ギルドで絡んできたチンピラが、
実は本当に強い。
読者が、
「どうせこうなるんだろ?」
と予想することまで利用する。
いよいよ、
この連載のタイトルでもある、
「はいはい異世界転生ね」
という時代へ入っていきます。
次回は、
「テンプレが煮詰まった――『はいはい異世界転生ね』の時代」
について考えてみたいと思います。
今回は、
現代知識チートについて、
かなり長く考えてみました。
個人的には、
昔から時々、
「普通の高校生、何でも知りすぎじゃない?」
と思うことがありました。
でも、
検索。
ネット通販。
地球との往還。
そしてAI。
と並べてみると、
現代知識チートは、
その違和感を解消する方向へ、
結果的にかなり進化してきたように見えます。
主人公自身が天才でなくてもいい。
必要なのは、
現代文明につながっていること。
そう考えると、
『とんでもスキルで異世界放浪メシ』のネットスーパーという能力も、
ただの便利スキルというより、
現代知識チートの一つの転換点だったように感じます。
皆さんは、
現代知識チート、
どこまでなら納得できますか?
普通の高校生が味噌を作る。
石鹸を作る。
農業改革をする。
製鉄まで始める。
「さすがにそれ知りすぎだろ!」
と思った作品はあるでしょうか?
また逆に、
「専門職主人公だから説得力があった」
「この現代知識の使い方は上手かった」
という作品がありましたら、
ぜひ教えてください。
次回はいよいよ、
作者も読者もテンプレを知り尽くした結果、
テンプレそのものが物語のネタになっていく時代
を振り返ってみたいと思います。




