第9話 蔵五はうさぎゾンビと遭遇する
自動ドアを手で開ける。
とりあえずしゃがむ。ゾンビの視界に少しでも入りにくいように。
息を潜め、暗闇の中を進む。
這うように。慎重に。音を立てないように。
徐々に目が暗闇に慣れてくる。全身全霊で集中している。頭が非常にクリアーだ。雑念が一切ない。自分の体すべてが耳になった気がする。
店内はさほど荒れていない。ゾンビ店員に記憶がのこっていて、日々陳列しなおしているのかもしれない。所々に商品が落ちている程度だ。
ふと、床に落ちている菓子袋が目にはいる。
『楠本印の塩せんべい』と書いてある。
雑念がわいてきた。
推理の癖が止まらなくなる。
楠本は夜にゾンビ狩りをすると言っていた。レベルアップしたと言っていた。
つまり細身の楠本でもゾンビを倒せるということだ。
あと、ゾンビ狩りの、狩りと言う単語の意味だ。これは大量にゾンビを狩っている印象を受ける。
蔵五はOLゾンビと部長ゾンビの2体だけを倒した。そして2回ともレベルアップをした。
楠本はどうか。大量に倒しているのになかなかレベルアップをしていないと推測できる。
これは、OLゾンビと部長ゾンビが大量経験値持ちのレアキャラだと評価すれば筋が通る。
おそらくだが、OLゾンビは日光耐性。部長ゾンビは日光耐性とスピード強化だろう。
やがて突き当りに至る。
雑念の中、なんとなく無計画に左折する。
楠本印の塩せんべいのせいで注意力が散漫になってしまった。
そう、レアキャラだから経験値が高かったのだ。
店員ゾンビが転がっている。
頭がかじられている。
何にかじられたんだ?
もちろん、分かるわけがない。
先に進む。
コンビニのデブと女の子ゾンビはノーマルキャラだろう。あまりに弱い。しかし、夜は強化されるのか?
「ストレージ」
ついに体重計をストレージした。
元の道を戻る。
楠本はデブゾンビや女の子ゾンビ程度のゾンビを狩っているのだろうか。
暗闇は、だめだ。心が削れる。怖い。獣の臭いがする。
夜のゾンビ狩りはレベルアップは遅いが、安全なのだろう。
なにかが近づいてきている。怖い。早く出ないと喰われる。
楠本印の塩せんべいが目の前にある。
もう少しだ。早く出ないと。日の下に出ないと。
唸り声が後ろに迫る。頭をかじられてしまう。
だめだ、間に合わない。
振り返る。
「うわああああああ!」
恐怖に怯える自分と冷静な自分が同時に存在している。生命の危険を感じて脳が異常に早く回転している。時間がまるで飴のように延ばされる気がする。
目の前にいるのは裸体の獣面人身だった。
2メートルはある筋骨隆々の巨躯。
そして顔は白ウサギ。ウサギの耳と赤目の大きな瞳。黒い鼻とヒゲがひくひくしている。
うさぎゾンビ。
喰われたくない。
「リリース!」
うさぎゾンビの顔の前に慣性レンガをリリースする。飴のように伸びた時間の中、うさぎゾンビが顔をそらしレンガを避けるのがわかる。
「リリース!」
避けた先にまた慣性レンガをリリースする。うさぎゾンビの目が驚きで見開かれているのが分かった。
うさぎゾンビは右手でレンガを受け止める。骨が軋む音がした。うまくいかなかった。しかしその右手で視界を塞いだ。
攻めるべきだ。
「リリース!」
レンガは3つある。最後のレンガをウサギの腹めがけてリリースする。
しかし悪手だと気づく。
腹筋が盛り上がり、レンガを難なく受け止めてしまった。
喉なり股間なり、急所を狙うべきだったのだ。確実に当てようと面積が広い場所を狙ってしまった。
視界の隅でうさぎゾンビの腕の筋肉を確認する。暗闇の中のはずなのに、腕の筋肉の動きが手に取るように分かる。うさぎゾンビは蔵五を撲殺する為に、手に持つレンガを振り上げようとしている。
「リリース!」
腹に向けて包丁をリリースする。腹筋がまた盛り上がる。
しかし、今度は突き刺さる。
うさぎゾンビが叫ぶ。
「イてェェェ」
人間の言葉を発した。
このうさぎゾンビの脳はどうなっているのか、声帯がどうなっているのか。蔵五の脳が推理を始めそうになる。それを必死にとめる。目の前に集中する。ただ攻めろと自分に言い聞かせる。
「リリース!」
蔵五の言葉にうさぎゾンビの目が恐怖に歪んだ。
うさぎゾンビの頭上に熱湯を入れた片手鍋が現れる。落下までは時間がある。その時間が恐ろしく、背筋が凍る気がする。
蔵五はウサギに飲み込まれてしまっている。自覚している。ヘビに睨まれたカエルの如き弱者だ。
だからこそ、ウサギに蔵五への恐怖を受け付けなければならない。
ウサギは倒せない。
蔵五の小細工スキル程度で死ぬわけがない。
だから、二度と蔵五に手を出したくない、そう思わせるために徹底的に恐怖を与えなければならない。
さもなければいずれ喰われる。
「リリース」
うさぎの耳元に時計が現れる。
「リリリリリリリ!」
「ヤメテ…」
待ちわびた片手鍋の熱湯がついにうさぎゾンビの肩にかかる。
「アツい!」
「リリース!リリース!リリース!」
腐った卵をうさぎゾンビの口の中にリリースする。
「オえッ」
うさぎゾンビは背を向け逃げ出そうとする。
「リリース!」
踏み出したうさぎゾンビの足元にバナナをリリースする。うさぎゾンビは滑って転がり頭を打ち、すぐに起き上がり脱兎のごとく逃げ出す。
蔵五はその背中に叫び威嚇する。
「うおおおおおお!」
「リリリリリリリ!」
叫びながら手を振り回しながら外に走り出る。
「うおおおおおお!」
自転車にまたがり、全力で走り出す。
「うおおおおおお!」
その顔は涙とよだれでクシャクシャだった。
「うおおおおおおお!」
蔵五の頭の上から声が聞こえる。
『ヤッホー。村田さん、きこえるー?ていうか生きてるー?存在してるー?』
「うおおおおお、お、お」
『いま目が覚めましたよー』
「お、お…」
身体が震えだした。
蔵五は自転車からゆっくり降りる。
自転車を押して歩こうとするが、足が震えて上手く前に進めない。
『うちはプロパンガスだからお風呂に入れるのよー。いいでしょ』
しゃがみ込む。痙攣が止まらない。ここにきて、心が折れてしまった。
怖かった。何とか戦えた。でも、あんな事はもう二度とできない。
「リリース…」
ビールをリリースする。プルトップを開く。ビールが噴き出し大きく飛び散る。楠本用に仕込んでおいたドッキリだった。ビールを一気に飲み干す。
「プハッ!」
『今からお風呂にはいるから、30分くらいは来ないでねー。来たらセクハラですよー』
小雨が降り出した。恵みの雨だ。
雨音が蔵五の音を消してくれる。匂いも消してくれる。
そして、涙とよだれも洗い流してくれる。
『あと、風呂あがりの私に欲情とかしないでねー』
ビールのアルコールで胃にぽっと灯りが点いた。いつの間にか震えが止まっていた。
今は何よりもリュックのなかのウィルソンが心配だ。雨で濡れてしまう。早く動かないと。
『無職に抱かれるほど、私は安い女じゃないから(笑)』
「うっせえよ。お前だって無職だろうが」
笑いながら蔵五は自転車にまたがる。
目に力が戻っていた。
そして背中のウィルソンに話しかける。
「行くぞ、ウィルソン。アンドリューネタで楠本にやり返すぞ」




