005 魔石
「――ゴブリンだ」
子供くらいの背丈にくすんだ苔色の肌、不釣り合いに大きく垂れ下がった耳と鼻、切れ長の眼は炎を映して橙色にギラリと光る。東域では最も弱い魔物のうちの一つとして知られるが、少しばかりは武具を扱うことのできる知性に小さな体格には似つかない強い腕力、何より人を見かけたら襲いかかる凶暴性は決して侮ることはできない。
「二体いる」
もう一方を剣先で牽制するノーチェ。
向かって右手のゴブリンは小柄でずんぐりむっくり、左手のゴブリンは細身でひょろりと長い。ゴブリンたちはどこかで拾ったのか粗末な衣服を身に纏っているものの、幸いにも武器は手にしていない。
これなら一人でもなんとかなりそうだ、と思いながらも、もう一度、今度は攻撃魔法を見てみたい好奇心からノーチェは彼女へ声をかけた。
「小さいずんぐりな奴は僕がやる。細い方は任せてもいい?」
領兵との戦闘で覗き見た彼女の魔法は遠目にもかなりの威力、ゴブリンなど掠っただけで一溜まりもないだろう。
しかしノーチェが想像し得なかった反応が彼女から返って来た。
「ねねねねねえ、あのゴブリンって知的生命体じゃないの? ほ、本当は、話せばわかるってことはないの?」
「ええっ? えええっと……知的生命体……? 話せばわかる……?」
ないない、ない。
今にも襲いかからんとする魔物を目の前にして彼女のよもやの発言に面くらうノーチェ。しかし自称大魔道士の少女は見るからに顔を青くして目を白黒させている。
そういえば、何かの本で異世界転生者は命を奪うこと、とりわけ二足歩行のゴブリンやオークは忌避感が強いと見たことがある。でも――
「知的生命体なわけな……」
そう言いかけてノーチェは口を噤んだ。
奴らにも少なくとも粗末な衣服を身につけ簡単な武器を使うだけの知能はある。さらに長生きして経験を積めば拙いながら剣や弓までも使いこなす個体も現れる。だからといって奴らが知的なのかと言われるとそれはどうにもしっくりこない。
「えーと、ゴブリンは……」
そうこうしているうちにゴブリンは奇声をあげて迫ってくる。
ええい。
ノーチェは深く考えるのをやめ、目の前のことに集中する。
やつらが知的生命体かどうかわわからないけど一つ確実に言えることは――。
「ゴブリンは――敵だ」
青ざめる少女の姿を横目に、ノーチェは相棒の剣を構えた。
「大丈夫、とどめは僕が刺す。命の責任は僕がとるよ」
狼狽してる異世界人の返事を待たずノーチェは小柄な方へ斬りかかった。
予備動作のない素早い動きに小鬼は反応できない。一太刀で肩口から袈裟に斬られた魔物はギャッギャっと悲痛な叫び声をあげ、力無く前のめりに倒れた。
その隙にひょろ長の方がノーチェを掴みにかかるが、軽やかな足取りでこれをかわすと横薙ぎに一閃、腹を裂いた。どろりと赤黒いものが溢れ落ち、魔物は膝をつく。
もはや大勢は決したがノーチェは油断なく魔物の脳天へ剣を振り下ろし、さらには先に斬り伏せた小柄な小鬼の首も刎ねた。
最後に周囲へ警戒を払い、他に魔物の気配が無いことを確認するとノーチェは剣を収めて一息はいた。
少女はへたり込んで顔を覆っている。毎度のことながらこんなときにかける気の利いた言葉なんてノーチェは持ち合わせていない。
「えーと、その――」
ノーチェが言葉を選んでいると少女は震える声で話し始めた。
「わたしどうかしてたわ……あなたもそう思ったでしょ」
「いや、まあ……その」
敵を目前に何を言っているんだ、とは思ったけど。
「どうかしてたの、でもあの姿を見たときにひょっとしたら小さな子どもなんじゃないかって、それで怖くなって……」
「ええっと、一応あのゴブリン達は成体で……」
成体でも子供でも敵であることに違いはないのだけど。
「ううん、そうじゃなくって、わたし人の、人間の子どもかもって思ったの。それで……いいの、とにかく変なこと言ってごめんなさい」
「あ、いや、うん……」
正直ノーチェは「ゴブリンは人か」などと考えたことはない。仮にもしゴブリンが人だったとしても「話せばわかるかも」とも「殺してはならない」とも思わない。やつらは屠るべき敵であり、躊躇や逡巡があればつけいられることもある油断ならない相手である。それが人であろうともそうでなくとも、敵は敵、それがこの世界の共通認識である。
一方で、異世界から来た人は違う考えを持っていることもノーチェは知っている。
魔物学の父と呼ばれた転生者ハミルトンの晩年の著作『ゴブリンは人か』。元々はノーチェの母――彼女も転生者であるが――のものだと思われるそれは、家にある書籍の中でもっとも分厚く、彼の魔物研究の集大成とも言える大著であり「ゴブリンは人ではなく魔物である」というこの世界では常識とも言える結論に至るまでの研究成果がつらつらと書かれていた。
パラパラと流し読みして本を閉じた後は、午睡用の枕や踏み台として重宝しただけで、ノーチェはその後一度も開くことは無かった。
ただこうして少女の様子を目の当たりにしてみると彼女らにとって「人ではない」ということは、思っていた以上に重要なことかもしれない、とノーチェは認識を改めた。
「僕もごめん、いきなりゴブリンと戦えって無茶を言ったから」
ルシェンは首を振った。
「あなたの言う通りよ。ゴブリンは敵、追ってきた兵士も敵よね。”郷に入れば郷に従え”って言う通りこの世界にはこの世界のルールがあるのよね、でも」
「大丈夫、少なくともこの森を抜けるまでは僕が魔物を倒すよ。きみに無理はさせない、約束する」
「……ありがとう」
肩を震わせ身を屈める少女。
「少しここで休んでいて、僕はやることがあるから」
ゆっくりしてて、と掛布と気遣いの言葉を残し、ノーチェは解体用のナイフを片手に討ち果たしたゴブリンの元へと向かった。
うつ伏せに倒れる二つの骸、ひょろ長の方は脳天を割ったにもかかわらず、僅かに這った跡が見受けられた。
「これだから魔物は――」
油断できない。
どんなに絶命していると思っても、まずは剣先でつつき反応がないことを確認する。初めて魔物を討ち取ったときダン叔父さんから最初に叩き込まれたのがそれだ。
普通の生き物とは一線を画す脅威の生命力、それが魔物の怖さ。やはり魔物は魔物、人ではない。
うつ伏せの小鬼の骸を仰向けに起こし右脇腹へナイフを突き立てる。サクリと切り裂いた脇腹からは赤黒い血が滲み出て酷い臭いが鼻につく。ゴブリンの腑はらわたは極めて臭い。
ノーチェは息を止め、血糊が服に付かぬよう注意を払いながら手早く小石大の塊りをつまみ出した。
命を奪った者として使える素材は余すことなく使い切るのが礼儀、しかしゴブリンの硬い肉は食用にはむかず皮も骨も脆いため使える素材はこの小塊――魔道具の動力や錬金術の触媒として利用され一般に魔石と呼ばれている――くらいのものである。
「そうだ!」
魔石だ。
ハミルトンは人と魔物を分け隔てる根拠に魔石の存在をあげていた。「魔物に魔石あり、魔物以外に魔石なし。ゴブリンに魔石あり、即ち魔物である」と。
「ほら見て、これが魔石だよ」
ノーチェは小塊の血のりをきれいに洗い、姿を表した半透明の小石をルシェンへ差し出した。
「……魔石? 魔石ってあの魔石?」
興味あり、と分かりやすく顔を上げる少女。
ちょっと臭いかも、というノーチェの忠告も意に介さずすぐさま手に取り目を見開いては多面体の結晶構造の小石を覗き込むルシェン。
「魔物の中には魔力を貯める魔石があって、魔道具とか魔力付与に使われるから売れるんだ」
「きれい……不思議ね、フラーレン構造だわ! こんなものが生き物の中にあるなんて。でもどうやって魔力を貯めるのかしら」
謎は深まるばかりね、とルシェンはさまざま角度から眺め爪や指で弾いたりして魔石を確かめている。
「転生者の学者の先生が言ってだんだけど――」
ノーチェは言葉を置き、彼女がこちらを向くのを待ってから続けた。
「――この魔石こそが、ゴブリンが魔物であることの証しなんだってさ」
「ゴブリンは魔物……」
「そう、魔物には魔石があって魔物以外には魔石がないんだって」
ノーチェはもう一度言った。
「ゴブリンは、人ではないよ」
彼女は何も言わず頷きもせず、明るくなり始めた夜空に魔石を透かしぼんやりと眺め始めた。
半透明の結晶体は薄明の空を儚げに映していた。
「ねえ、次はわたしがやってもいい?」
「へぇっ?」
予期せぬ彼女の発言にノーチェは目を丸くする。昨日からの短い付き合いであるが、彼女の言動には驚かされてばかりだ。
先程まで狼狽していた姿はどこへやら、少女は倒れ込んだひょろ長の方のゴブリンを指差し「魔石を取り出しみたい」と解体を申し出たのだ。
「ええっと……」
「ねえ、いいでしょ?」
さっぱりした晴れやかな顔で拝んでくる彼女。ゴブリンが知的生命体かどうかの悩みからはすっかりと抜け出したようだ。
ただノーチェが躊躇したのは他に理由がある。
魔物の解体、とりわけ特有の臭いがきついゴブリンはこの世界の住人でも嫌う人は少なくない。ノーチェだってゴブリンの解体は好きなわけではなく――だからと言って嫌いというわけでもないが――間違っても人にお勧めするような楽しいものではない。
まして文化の違う異世界から渡って来た彼女、さらには先程の狼狽していた様子からしてもどうか、と憂慮の眼差しを向けると――
「大丈夫よ、わたしこれでも理系なの」
と胸を張る少女。
彼女の言う”理系”がどうして大丈夫な根拠になるのかノーチェにはさっぱりわからなかったが、立ち直ったのであれば、まあいいか、気にしたって仕方がない。
それに可憐な少女から拝み頼まれて張り切らない少年など、どこの世界にだって存在しない。
ノーチェも負けじと胸を張って言った。
「任せて、解体の神童とは僕のことさ」
【ゴブリン】
最も弱い魔物のうちの一つ。
子供くらいの背丈にくすんだ苔色の肌、体躯に対し不釣り合いに大きく垂れ下がった耳と鼻を持つ。目は切れ長で黒目は小さい。
身体の割に腕力は強く、凶暴で人を見かけたら襲いかかる。
血は赤黒く、特有の臭いがする。大変臭い。




