004 野営
「えっ、こっちじゃないの?」
森の中を先行して進むノーチェの後ろでルシェンが尋ねた。このやり取りも何度目かになる。
「大丈夫、このまままっすぐ西へ向かうときっと大きな川へ出るはずだから。そこから川沿いを北上すればニアークスに着くよ」
少年と少女はひとまずの行先を商業都市ニアークスと定め、それまでは一緒に冒険をすることで折り合いをつけた。近年商業の発展目覚ましいこの都市はリヴリアとは山ひとつ挟んだ西側に位置し、魔物の出る森を数日かけて抜ける必要があった。
魔物との遭遇リスクを冒してでも行き先にニアークスを選んだ理由は二つ。人の出入りが多い商業都市は身を隠すうえで都合が良いというのが一つ目、噂ではリヴリアとは領主同士の仲が悪くすぐには手配書が回らないと踏んだのが二つ目の理由だ。その噂の出所がアデリおばさんであることを除けば完璧な計画である。
「ルシェンどこ行くの? 西はこっちだよ」
「だって西はこっちでしょ……? えっ違うの? さっきはこっちが西だったはずなのに……」
なぜなのかしら、と納得いかないといった様子で手元の地図を上へ下へとひっくり返しては眉を八の字にする少女。異世界からの来訪者はどうも絶望的に地図が読めないようである。
「ふふっ地図を回して見る人初めてみたよ。それにその地図に頼るよりも、森をよく見て、臭いを嗅ぎとって、耳を澄ませた方が色々わかると思うよ」
少女の持っている地図は旅人向けの汎用品、ある程度の方角を把握するためには役に立つが、道なき森の中ではこの地図を当てにする方が迷うまである。ノーチェはお手本とばかり耳横に手を当てて音を聴く仕草をして見せた。
「ほら、微かに水が流れる音が聞こえるでしょ? それにあの先、見て、澤樺が気根を出している。きっとこの先に小川があると思う。小川沿いをたどればその先はきっとノバク河さ」
何よ偉そうに、とノーチェの講釈に頬を膨らませつつも教えに従って耳をそばだてる少女。
「……ちっとも聞こえないわよ」
「しぃー静かに、もっと、もっとよく聴いて」
若葉の揺らぎ、鳥の囀り、虫の奏、やがてその向こう側に水の流れる音が紛れているのを聴き取れたのか少女は地図との睨めっこをやめた。
「確かに、あなたの言うことも一理あるわね……。仕方がないわ、ここはあなたの経験からくる知見に従うとするわ」
このやり取りも何度目かである。まだまだ完全には信頼されているわけではないが、道案内という役割をこなしてきた分、当初よりノーチェへの態度も少しずつ軟化している。
森を抜ける頃にはきっと信じてもらえる、ノーチェがそう考えていると少し開けた場所に出た。
先月の嵐の影響か、大きな雪松の老木が倒れ林冠から陽射しが差し込んでいる。地面も平坦、樹々が薙ぎ倒された分見通しも悪くない。一通り辺りの様子を見たノーチェは少女へと提案した。
「少し早いけど今日はここで野営にしよう」
「……まだ明るいわよ?」
「うん、でもここ、水辺も近いし野営をするにはなかなか良いと思って。それに日が傾きはじめると魔物が出やすくなるからね」
「魔物……そうね、”逢魔が時”って言うものね」
「オウマ……お馬?」
「馬じゃないわよ、魔物に逢う、で逢魔よ。夕暮れの薄暗い時間帯は魔物に遭遇しやすくなるって言うあっち世界の言葉よ。でも不思議ね、あっちでは魔物なんて居なかったのに……。ねぇ、わたし野営ってしたことがないの。一度だけ前の世界でキャンプに行ったことはあるけれど、そのときはコテージだったわ」
「へぇ初めてなんだ。でも心配いらないよ、魔除けの香を焚くし食事とかの準備も僕に任せておいてよ。あっ、そうだ。一つだけお願いたいことがあんったんだ」
「……何? まさか変なことじゃないわよね?」
少しわざとらしく胸に手を当て半身に構える少女。ノーチェは首を振り、足元に転がる雪松の巨大な松ぼっくりを拾い上げて少女へ差し出した。
「火を起こしてくれると助かるんだけど」
「ええっ無理よ、だってさっきも言ったけど、わたし野営なんてしたことないのよ。当たり前に火起こしなんてやったことないんだから」
「ちがうちがう、えっとさ、ほら君なら使えるでしょ? 魔法……」
「あっ……なるほど、そういうことね。それは”灯台もと暗し”だったわ。うん、ここは大魔道士のわたくしに任せておきなさい」
胸に手を当てて鼻を高くする自称大魔道士。
「えっいいの? 近くで見ててもいい?」
「ふむ、よかろう。目に焼き付けるがよい」
「やった、大魔道士さまの魔法をこの目に焼き付けさせていただきます」
領兵との戦闘で垣間見たルシェンの見事な魔法。田舎育ちのノーチェは魔法を目にする機会は多くなく、あわよくば間近で見てみたいと思っていたところだ。
さっそく行動に移す自称大魔道士。いくつかの松ぼっくりと集めた小枝を組み上げると大魔導士は杖を近づけて唱えた。
「《燃えろ》」
パチリと音をあげて火の粉が舞った。たちまち炎は小さな枝に燃え移るとやがて全体へと広がった。
「へぇーすごい!」
「どう? こんな感じでよかった?」
「すごい、すごいよ、ルシェン! さすが大魔道士だ!」
間近で見た魔法に手放しで声をあげるノーチェ。大魔道士の鼻はさらに高くなる。
「こんな簡単に火がつくなんて、魔法ってすごい。ねえねえルシェン、他にどんな魔法使えるの?」
「他に……えっとそうね……」
「ああ、ごめん。人の魔法や戦技を聞くのはよくなかったね。つい興奮しちゃって」
「別にいいわよ、代わりにあなたのお母さんとお父さんの話を聞かせてくれるなら、それが条件よ」
「そんなことでよければいくらでも話すよ。それにそれは元々の約束だしね。でも、その前にお腹すいちゃったからご飯にしない?」
「うーん、もう少し塩気が欲しいとこだね」
ノーチェが持っていた干し肉に先程採取した野草を入れただけの質素なスープ。元々野営の予定は無かったため調味料の持ちあわせがなく、ノーチェは荷物にどんな場合も荷物に入れておくんだったと悔やんだ。
「ううん、充分美味しいしそれに温まる。でもあなた、料理もできるってなんてなんか悔しいわ」
変態のくせに、と何やら聞こえてきた気がしたが、スープを飲み干した少女の姿を見てノーチェは不問にした。
そこまで美味しくないことは作った自分がわかっている。それに転生者の舌は貴族よりも肥えていてちょっとやそっとの食べ物では満足できない人が多いと聞く。彼女だって元の世界でもっと美味しいものを知っているはずだ。
「おかわりしても良い?」
ただの食いしん坊かもしれない。
「もちろんどうぞ」
それでも、間に合わせのスープを喜んで食べてくれる彼女を見ていると、”変態”と言われるくらいはこの際捨て置いておこうとノーチェは思った。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
おかわりのスープを彼女へ渡し、残りは自分の木椀へと取り分ける。
「それから僕の父さんの話だけど」
もう一度スープを口へ運んでからノーチェは話し始めた。
「母さんを探しに異世界へ行く方法を探してあちこち飛びまわっていたんだ。まだ小さかった僕はその度にダンおじさんに預けられてね」
よっと、とノーチェは腰をあげ、ひとつたき木を焚べてからまた続けた。
「それであるとき西域奥地の古い遺跡に異世界への扉があるって噂を掴んだんだ」
「西の大森林の遺跡ね、私も聞いたことがあるわ。古塔に魔女がいるとか、秘宝をドラゴンが護ってるとか、出所が怪しいものが多いけど」
「うん、僕もそれはただの噂だと思うよ。遺跡のことなら父さんの手紙に詳しく書いたあったからね」
ほらこれだね、とノーチェは背負い袋から手帳を取り出し、挟んであった紙の一枚を引き出して彼女へと渡した。
数回蛇腹折に畳まれた紙を広げるとまず飛び込むのはびっしりと書き込まれた絵図と文字、これが手紙だと言われなければ殆どの人は何かの地図だと思うことだろう。
「古代遺跡のことはたしか……あったこの辺りだ」
ノーチェはランプを灯し手紙の右下のあたりを指でなぞって見せた。夕闇の薄暗さの中、ランプの光を頼りに読むにしては小さく不揃いな文字がずらりと並ぶ。
ルシェンが食い入るように手紙に顔を埋めている間、ノーチェは夕餉を片付け、たき木を補充し、寝床の準備にかかった。
しばらくすると彼女は丁寧に手紙を元の通りに折りたたみ、頭を下げてノーチェへ返した。
「ありがとうございました」
「役に立てばいいけど」
「今まで私が得た情報の中では一番だわ、お父さんは冒険者だったのよね?」
「冒険者になる前の父さんは、古代文明の研究者だっからね。机の上でじっと研究するよりも遺跡探索の方が好きって気がついて、いつの間にか冒険者になったんだって」
「元研究者……それでこんなに詳しく書かれているのね。それに、あなたのお父さんがどれほどあなたのお母さんに会いたいのか伝わってきたわ。それは少しあなたにとっては酷なことかもしれないけど」
「そうだね、小さい頃は何で僕を置いていくんだって恨みもしたけど……うん、今なら父さんの気持ちも少しはわかるよ」
多分だけどね、とつけ加え、はみ出していた燃えさしの一本を手に取り火元へ戻す少年。
燃えさしがカランと音を立てて崩れ落ち、火の粉が舞った。
「もしかして……あなたが冒険者になるのは、お父さんとお母さんを探すためなの?」
「いいや、僕は冒険者になりたいだけだよ。未踏の地を冒険して巨大な魔物を倒して英雄になって、でも、異世界には行ってみたいって気持ちもあるよ。だって別の世界から来た人ってこっちで無双してるでしょ? 僕だってあっちの世界へ渡ったら、スキルチート加護盛り盛りで英雄になれるかも、なんてね。そのついでに僕を置いて行った父さんと母さんの顔を拝めるならそれでいいかな」
気まずそうな顔をしているルシェンを見て、ノーチェは話題を変えた。
「転生者の英雄ヴィルヌーブって知ってたりする?」
「竜殺しでしょ、よく聞く名前ね」
少女の反応にノーチェの顔に華が咲く。
「そう、その竜殺し! 英雄ヴィルヌーブは火竜の他にもメドューサとかキマイラみたいな強力な魔物も討伐してるんだ。今や冒険者の街として発展した西都も元はキマイラの縄張りだったって言われてるしね。それから召喚勇者ライコネンのコカトリス狩りの逸話も面白いんだ。僕も冒険者になってヴィルヌーヴやライコネンみたいに英雄として名を連ねるぞってずっと思ってたんだ!」
「そ、そうね」
「だからまさかこうして一時だけでも異世界から来た人と旅をできるなんて夢にも思っていなかったよ。ねえそういえばルシェンは転生なの? それとも転移? それってどんな感じなの? やっぱり突然白い部屋で目が覚めて女神様からチートスキルを授かったりするものなの? あっ、でもそのせいで貴族から目をつけられたりするから良いことばかりじゃないのか」
「ちょ、ちょっと、ねえ落ち着いて」
急に早口になったノーチェに気押されるルシェン。
「えっああーごめんごめん、異世界のことになるとつい熱くなっちゃうんだ。まして目の前に当人がいるんだから、本当に信じられないよ」
「転生と転移の定義がよくわからないけど、元の世界で死んだつもりはないわ。確か古書店にいたはずなのに気がついたらここにいた。でも、見た目はそのままってわけじゃなくて……こっちに来て初めて鏡を見たとき目の前に美少女がいて、誰よこの人って思ったんだから」
「ふふっ、自分でも美少女って言うんだね」
「そうよ、わたし美少女の大魔導士なんだから。一緒に旅できることを光栄に思って」
「はいはい」
「でもわたしのことはともかくとして、ノーチェなら英雄になれるかもね」
ルシェンの一言にノーチェは驚いた顔を見せた。
「笑ったりしないんだ、だって田舎の村の鼻垂れ小僧だよ? 英雄になんてなれるわけないって、そう思わないの? 」
「ノーチェ、あなたは良く知りもしない他人のために街道から飛び出して、後先も考えず兵士と戦って、無鉄砲にもほどがあるわ。お陰で私は助かったけどあなたきっとお尋ね者。でもそういう瞬発力や行動力のある人が、きっと未知、未踏を切り拓きやがて未来に英雄と言われていくのだと思うの。数多の英雄達に並ぶ資格はきっとあるわ」
ルシェンの透き通るような声が少年の胸の奥をくすぐる。
「なんかちょっと、ちょっとだけ難しくてよくわからないけど……ルシェンはとっても頭が良いんだってことはわかったよ。逆さまにした地図だって読めちゃうくらいだしね」
「なによ、せっかく褒めたのに」
「ふふっごめんごめん」
英雄になれるかもね、なんて言われたのはダン叔父さんを除けば初めてだった。ノーチェはなんだか顔が熱くなり背中もこそばゆくなり、じっとしてることができなくなり席を立った。
「ちょっと見回りしてくるね」
今ならば夜の闇も斬れそうな気がした。
「……ねえ」
「……ねえ起きてよ」
「ねえもう起きてよバカっ!」
「っ?!!」
夜明け前、見張りを彼女と交替しようやく寝入ったところだった。少しだけのつもりが思ったより眠りが深かったようで体がずしりと重い。
鼻腔から冷やりとした空気を流し込み、まだ回らない頭を強制的に動かして状況の把握に努める。
「追手?」
「わからないわ、でも何かいる」
ノーチェは剣を手繰り寄せ少女が示す先へと警戒を払った。暗闇の中、蠢く影が一つ。
「いるね、魔物だ」
魔除けの香は焚いたのに。やっぱ安物じゃ効果は薄いか。
ノーチェは火のついたたき木を掴み影が蠢く方へと向ける。炎で斬り払われた闇の隙間から、ぬらりと異形が姿を現した。
「――ゴブリンだ」
【澤樺】(創作)
やや寒冷な谷沿いの湿地を好む広葉樹。
湿地は土壌中の酸素が少ないため地中から気根を出し、呼吸する。
樹液は水分量が多く煮詰めると甘いシロップになる。
【雪松】(モデルあり)
公園などで見かけるヒマヤラスギの別名を借用。かねてから響きが気に入いっており登場させた。
モデルはそのままヒマヤラスギ。
まっすぐと大きく育つ針葉樹。
大きな松ぼっくりをつけよく燃える(ヒマヤラスギは杉ではなく松の仲間のため松ぼっくりができる。実際のヒマヤラスギの松ぼっくりがよく燃えるのかは不明だが、この世界のものはよく燃える)
木の下は他の植物が生えにくくなる。




