003 追手
また貴族の道楽か。
上官から任務を告げられたストラノは気乗りのしない指令にうんざりしていた。
リヴリア領の領兵となりニ年、街道沿いの哨戒が主な彼の役務だ。これまで魔物なんて出たこともは一度もなく、盗賊との遭遇も数えるほどだ。
時折上からの指示で犯罪者の取り締まりに駆り出されることはあったが、その大半は犯罪の事実がはっきりせず本当に犯罪者なのか疑わしいものであった。
今回もそうだ。
歳は一六、亜麻色の長髪に翠緑の瞳の少女。上官は明言こそしないが特徴からして巷で噂の転生者に違いない。貴族に対し不敬を働いたと言われているが、おおかた有益なスキルに目をつけたか、女神とも噂される美貌にあてられた末のいざこざであろう。
だが実のところストラノは罪状の真偽には興味はない。単純に面倒なことが嫌いなのだ。
犯罪者の取り締まりなどすぐに終わる訳も無く、早くても数日、場合によっては数ヶ月もかかることもしばしば。捕えられないまま日が経てば次第に上官の機嫌も悪くなり意味のない鉄拳制裁を喰らう羽目になる。貴族絡みの場合は尚更だ。
「なんだストラノ、浮かない顔してんな。知らねえのか、今回は月の女神も嫉妬するほどの美少女だって噂じゃなえか」
今から楽しみで仕方ねえぜ、と口の端を吊り上げて舌なめずりをするのは同僚のゲイザーだ。
「ああ知ってるよ。でも簡単に捕まるわけがない。それに貴族絡みは面倒なだけだ」
気のない返事をするストラノ。
「お前いつも面倒だ面倒だって言ってんな。面倒なのは貴族絡みと、もう一つはなんだったか」
「ああ、面倒なのは貴族絡みと戦技持ちだ」
「戦技か……」
ゲイザーは少し考える。
「噂通り転生者なら戦技持っていてもおかしくねえか。確かにお前の言うように戦技持ちは面倒だな。でもよ、そんなことより探しものは十六歳の女、しかも何がなんでも捕えろって指令ときたもんだ。つまりよ、若い女は片っ端から捕まえて隅から隅まで念入りに検査したって良いってことじゃねえか。むしろ手配書の女がしばらく捕まらねえ方が美味しい思いができちまうぜ」
堪らねえ、と興奮を隠さない。
「お前はいつも通り俺についてくればいいさ、まあ任せておけ」
取り締まりの際、誰しも兵士であれば多少なりとも美味しいことを期待しているものであるが、軽薄で女好きのこの男の、立場を利用した悪どい所行は同僚の中でも鬼畜と言われていた。
「相変わらずだな。なんにせよ俺は面倒事が起きずに早く終わりさえすれば何でもいいさ」
下衆で鬼畜、ストラノもこの同僚の行き過ぎた行為はさすがに目に余ると思うこともあったが、美味しいことのおこぼれの事を考えるとわざわざ咎めようとは思わない。何よりそんなことしようものなら面倒なことになるに違いない。
「いやっ離して! 身分証出したでしょ! 関係無いじゃない!! 」
「へっへ、ダメダメ、ダメだよお姉ちゃん。あっちで検査だ。おい、ストラノ行くぞ」
ゲイザーに目をつけられた女性は20代前半、茶色の髪に青い瞳。手配書の特徴と明らかに異なるが、そんな事は彼にとって些細なことである。
「やめて、領民を守るのが兵士じゃないの。こんなの許されることじゃないわ」
女性も必死の抵抗をみせるもゲイザーはむしろ抵抗されるほどに力づくで抑え込み薄ら笑いを浮かべている。
そのときだった。
「逃げたぞ! 逃走だ!」
「森へ入るぞ!」
見張りの兵士の指し示す先、距離にして二、三百メルト、街道を離れ森へ駆け込む人影が一人。それが男なのか女なのかすらストラノには分からなかったが、下衆と鬼畜を兼ね備えた男の反応は違った。
「おい、ストラノ追うぞ!手配書の女だ!」
ゲイザーが吠える。
「待てよ、あの距離で見えたってのか?」
俄かに信じがたい。荒れた森の中を追いかけまわすなんて面倒なことこの上ない。追いかけたあげく空振りだなんてのはまっぴらごめんだ。
「知ってんだろ俺は鼻がよく効くんだ、先に行くぜ」
先程まで執着していた茶髪の女はもう用無しとばかりに突き飛ばし、ゲイザーは我先にと森へと走り去っていった。
「ああ、面倒くせえ」
これだから取り締まりは嫌なんだ。ストラノは頭を掻きむしる。
だが、確かに。
こんなときばかりあの男は目ざとくも鼻が効くのだ。
「……報奨金は金貨十枚だったな」
そう呟くと面倒くさがりの兵士もゲイザーを追って森へ消えた。
「へっへっお嬢さん、ダメだよう、ここは侵入禁止区域だぁ」
けもの道すら無い険しい森の中、二人の兵士はおぼつかない足取りの逃走者の後ろ姿を程なくして捉えた。
「ほら、追いついちゃうぞ。へっへ、お顔を見せてくれよお嬢さん」
ゲイザーはもて遊ぶように一定距離を置いて追いかける。
少女は枝を払いのけ、茂みを掻い潜り、倒木を跨いだところで剥き出しの根に足を取られて膝をついた。
逃げきれないと悟ったのであろう、少女はその場ですくりと立ち上がりると振り返った。
ストラノは息を飲んだ。
亜麻色の髪、翠緑の瞳、手配書の女の特徴。だか何よりも――
「――美しい」
月の女神も嫉妬するとの噂も大袈裟ではない。
「《燃えさかれ》」
ゴウっと唸りをあげて呆けていたストラノの脇を火球が抜けた。背後で巨大な火柱が舞い上がる。
肌が焦げつくほどの激しい熱量、まともに喰らいもしたら致命症は免れまい。
「次は当てるわ」
短杖を構え警告する少女。
威嚇のつもりだったのであろう、しかしこの行為は裏目と出た。
「魔法だと!? へっへっ、やはり間違いない、転生者だ」
ゲイザーは確信を得たりと色めき立つ。
「金貨十枚だな。まあその前に、お楽しみと行こうか。おいストラノ回り込め!」
「おう」
ストラノも少女を挟むように立ち回る。
今しがた見た彼女の魔法は危険極まりなく、さらに転生者であれば他に戦技を持っていても驚きはしない。普段は何かと面倒ごとを避けて通るストラノであるが、このときばかりは身体が動いた。
金貨十枚に釣られたのではない、彼女の美貌が彼を狂わせていた。
少女はもう一度杖を振ると再び大きな火柱があがった。驚異的な威力、しかしその位置は二人から大きく離れている。これでは威嚇にもならない。
「噂通りだな、転生者ってのは平和ボケのマヌケ、戦技はすごくとも人は殺せねえ」
俄然勢いを増したゲイザーが獲物に飛びかかりると、少女は抵抗らしい抵抗もできずあっさりと組み伏せられた。
山乗りになった男は下衆な笑みを浮かべた。
「へっへっチョロいな、それに噂通りの可愛い顔してらぁ」
男が力任せに少女を地面に押し付け、少女の胸元に手を伸ばそうとしたそのときであった。
「――ぐあっ」
側面からの不意の一撃でゲイザーは大きく吹き飛ばされる。勢いよく背中を岩に打ち付けられた兵士は悶絶して倒れ込んだ。
「仲間か!?」
身構えるストラノ。見ると少女の前に一人の少年が立っていた。
いつの間に――。
ストラノは背中に冷たいものを感じた。
若いただの駆け出しの冒険者のように見えて、その反面妙に落ち着き払っている。如何に目の前の少女に気を取られていたとはいえ決して近接戦を苦手としていないゲイザーに強烈な一撃をくれたのだ。
コイツには何かある。
「お前は何者……」
ストラノが口を開きかけたとき、少年の身体が消えた。気づくともう目の前に身を屈めた少年がいる。
――ああ、コイツは。
ストラノは悟った。
少年は流れるような動きでストラノの鳩尾を両手で突いた。下から突き上げられた格好のストラノはフワリと両足を宙に浮かせ背中から落ちた。
――ああ、コイツは。
間髪入れず飛び上がった少年はストラノの顔面へ目掛け体重を乗せた鉄拳を叩き込んだ。
コイツは――。
「走って! 早く! 逃げるよ!」
意識が遠のく中、少女を呼ぶ少年の声が聞こえる。
「もう、早く!」
少女の手を取り森の奥へと走り去る少年。
ストラノはもう追いかける気力などない。面倒なのはまっぴらごめんだ。
貴族絡みと戦技持ちに関わって良いことなど一つもないのだ。
◇
「ねぇ、ちょっちょっと、ねぇ、止まって一回止まって。もう限界よ」
森の奥へ奥へと走り、人の生きる世界からとっくに外れた頃、少女はノーチェの手を振りほどき足を止めた。
少女が乱れた息を整える間、ノーチェは周囲を探る。しばらく前から領兵が追ってくる気配はなかったが、ここは森の奥、警戒すべきはむろん追手の兵士だけでは無いのだ。
「なんで、なんで助けたのよ?」
息も絶え絶えに問いかけたてきた少女の目には警戒の色が見える。
「いや、なんて言うか……」
ノーチェは答えに詰まった。
自然と身体が動いたのだから聞かれたところで答えようがなかった。
「ええっと……その、運命の、出逢い、かな?」
辿々しく尻すぼみに声が小さくなった答えに当然少女は眉を寄せる。
「運命の出逢い? あのおばあさんの占いのことを言ってるの?」
問い詰めるような口調。ノーチェは黙って頷いた。占いを信じたわけではないが背中を押されたのは確かだ。
「本気なの? わたしを助けた理由が占いだなんて……それが本当だとしてもどうかしてるとしか思えないわ」
少女は続けて捲し立てた。
「助けてもらったからって、あなたがあの兵士よりも危険じゃないなんて盲目には信じないわ。”変態”のあなたと行動を共にする方がある意味危険まであるわ」
「いやそれは……」
流石のノーチェも”変態”呼ばわりにはカチンときた。
確かに少女の警戒もわからないでは無い。先程、下衆な男に押し倒されたばかり、さらにはこの深い森の中でよく知らない男と二人きりなのだ。それにしても、だ。
「なんだよその”変態”って。一体僕が何をしたって言うんだ。馬車に乗ろうとする君を、それから兵士に襲われた君を助けただけじゃないか」
「別に助けてなんて頼んでないわ。そうやって頼んでも無いことで恩を着せたって思わないでくれる」
「恩を着せただって? いつ僕が見返りを求めたっていうんだ! 僕が君を助けたいと感じたからその自分の心に従ったまでだ、別に見返りなんて求めて無いぞ! 何が女神の化身だ、何が大聖女の生まれ変わりだ、冗談じゃない! 卑しく貧しい悪魔の生まれ変わりの方がよっぽどお似合いじゃないか!!」
そこまで言ってノーチェは我に返ったが、もう手遅れだった。
少女は目を伏せ唇を噛むとぷいっと背を向けた。
目に残る今にも泣き出しそうな顔がノーチェの心に突き刺さる。
「あっ、いや……」
ごめん、というノーチェの言葉が届く前に少女は森の奥へと足早に歩き出していた。
「ああー、もう」
頭を抱えるノーチェ。こんなときどうしたら良いかわからない。
言い過ぎた自覚はある。でも先に酷いことを言ってきたのは彼女の方だ。自分が全く悪くないとは思わないが、向こうだって……。
でも、相手を傷つけてしまったのであればそのままでいいはずがない。
そうこうしているうちに少女は森の奥へと消えていく。
こんなときは――。
ノーチェは『名もなき転生者の日記集』の一節を口にした。
「うーんと、こんなときは”案ずるより産むがやすし”、だ」
なるようになる。
「待って!」
きっと良い方向に転ぶ。
「待ってよ、助けた理由を話すから」
何かよい策があるわけではない。
歩みを止めず振り返りもしない少女の背に向けて、ノーチェはとにかく思いついたことを話した。
「母さんは、僕の母さんは異世界から来た人だったんだ」
少女は足を止めた。
「父さんから聞いたんだ。母さんは別の世界から渡って来た人なんだって。でも僕が生まれてまもなく母さんはいなくなっちゃった。元の世界へ帰ったんだって父さんは言っていたよ」
静かに振り返りそして少女は言った。
「それ本当?」
冗談ではすまさない、と鋭い視線が語っている。
「本当だよ、少なくもと父さんはそう信じて疑ってなかった。その父さんも母さんを探すって家を出て行ってそれっきり、もう七年も前のことになるよ」
「それはつまり……あなたのお父さんはもお母さんを追って別の世界へ渡ったってこと?」
ノーチェは少し考えて答えた。
「僕はそうだと思ってる」
実際にノーチェの父がが別の世界へ渡ったのか確かめる術はない。『西の果てにて異世界へ渡る手がかりを見つけた』と書かれた手紙を最後に、それまで定期的に届いていた父からの連絡は途絶えた。
その後、父は世界を渡り無事に母と再会したのか、それとも失敗して道半ばで息絶えたのか、それはわからない。でも――
「異世界へ行く方法は、あるよ」
ノーチェはそう信じている。
少女の目が泳ぐ。
「ふーん、そう、それで? そのことと私を助けた理由とどう関係するのよ」
「えっ? あっあー、うーんとだからその……」
言われてみれば理由にはなっていない。彼女を振り向かせよう思いつくまま喋ったのだ。とはいえ、彼女を追った理由と両親の話はまるで無関係というわけではない。ただ頭ではわかっていても、いざ言葉にしようとした途端に言いたいことの半分も形にならず砂山のように崩れてしまうのだ。
ああでもないこうでもないと頭の中を掻き回していると、今度は彼女の方が話しだした。
「わかったわ。ううん、あなたの説明は結局よくわからなかったけど、つまり私が元の世界に戻る方法を探してるって聞きつけて、それで取引しようっていうのね」
「えっいや……えっ、元の世界へ戻りたい……?」
その情報はアデリおばさんの噂にはなかった。
「いいわ、乗ってあげる。それで?」
「えっ?」
「だから、それで情報の見返りにあなたは何が欲しいの?」
少女は一層警戒の色を濃くして身構えている。
ああそうか。
これまでの彼女の言動が、すんっとノーチェの肚に落ちた。元の世界に戻りたいという願望、今までこの少女はそこにつけ込まれ騙され嫌なことをされてきたのであろう。
協力するからには見返りを求められ、見返りを求めない人には何かしらの裏がある。疑い深くなるのも無理はない。
「信じてくれるか分からないけど」
ノーチェは自分の気持ちを素直に言葉に乗せた。
「僕はきみと、異世界から来たきみと一緒に冒険したいって思ったんだ。父さんから聞かされたよ、異なる世界からやって来た母さんと、一緒に色々な場所へ冒険した武勇伝を。行く先々で魔物と戦い、困った人を助け、仲間と飯を食い、飲み、歌い、踊り、たくさん無茶をしたって。きみが馬車に飛び込んできたとき、僕はワクワクしたんだ。こらからすごい冒険が始まるんだって」
精一杯の気持ちはぶつけたノーチェは返答を待った。彼女は口元に手を添え考えを巡らせたのち、やがて口を開いた。
「わかったわ。つまり異世界の人だったら誰でも良かったってことね」
「えっいや」
誰でもいいわけでは――
「わたしがそうじゃなかったら追いかけなかったし助けなかったってことよね」
「うっ、そこは言葉のあやというか……」
「それならいいわ」
「え?」
「だって理由が明確になったでしょ。異世界の人だと思ったから追って来た、そして助けた。たとえ私じゃなくとも別によかったわけでしょ。 まぁいいわ、少しくらいならあなたの冒険とやらに付き合ってあげるわ、でも勘違いしかいでよね、あなた最初に”運命の出逢い”って言ったじゃない。別にあなたなんか”運命の人”なわけないんだから」
「ええっと……」
占いなんて”当たるも八卦”だけれども。
最初に運命なんて口にしたのはただの思いつきだったけれども。
今は少しだけ”運命の出逢い”とやらを感じ始めていたところだった。それを真っ向から否定された少年は、産まれたての青い気持ちをそっと心の内にしまいこんだ。
そういえば――
「僕はノーチェ。君は?」
まだ名前すら聞いてもいなかった。
少女は少し間を置いてから答えた。
「……ルシェンよ」




