002 街道
鮮やかな若葉が春風にそよぎ、空鶫の求婚の囀りが耳をくすぐる。
ノーチェ達を乗せた長距離馬車は街道を順調に進んでいた。
初代国王の時代に敷設されたこの街道は、当時の転生者によってもたらされた技術により施工され、今なお大きな陥没や亀裂もなく王都と主要都市を結んでいる。
のどかな日和、快適で安全な旅路、そんな中ノーチェは頭を抱えていた。
「うぅ……なんか思っていたのと違う……」
「がははっ、坊主だから言ったろう? ゴブリンも牙豺狼も出てこねぇんだって」
隣で大男が豪快に笑い飛ばす。
男の名前は、デムロ。見た目通りベテラン冒険者で、本人曰く今はぼちぼちとのことだが若い頃は西域最前線の探索経験もあるとか。
彼も英雄に憧れ地元を飛び出して冒険者になった口で、通ずるものがあったノーチェはすぐに打ち解けた。
頼れる親父デムロとの話に花が咲き、つい「ゴブリンや牙豺狼が出たら僕に任せてください」などと調子に乗って言ったものだから、からかいの的にされている。
「この街道沿いで魔物が出たなんて話聞いたことないぜ。まぁ俺も冒険者だ、若い頃を思い返せばお前さんの言うこともわからねえわけじゃねえが、ま、安全なのは良いことじゃないか、ぐははっ」
つい先程魔物と遭遇したばかりのノーチェとしては納得いかないとばかりに口を曲げた。
「それはそうですけど……でも、さっき街の近くで魔物に襲われてる人がいて助けたばかりなんですよ? その人だって滅多に魔物は出ないから油断したって言ってましたし、だから滅多に出ないってことは出ることもあるってわけで……」
魔物なんて出ない方が良い。もちろん、それはノーチェもわかっている。ただ居並ぶ英雄達の門出には魔物や盗賊の襲撃がつきもの。それは麗しの君を救い出すことまでが含まれる。英雄に憧れる少年の中では農夫のおじさんを助けたことはノーカウントになっていた。
「よく聞け坊主。坊主が魔物と出会ったのは街の北側だろうよ、違うか?」
デムロは続けた。
「今ここ、この街道はよ、魔除けのまじないがかかってるって話だ。だからこの街道沿いは弱い魔物は近づくことすらできねえんだ。まぁもちろん、街道から外れて森や山へ入れば出てくるぜ。そうだな……ゴブリンとか牙豺狼がな、くっくっ」
「……っ」
返す言葉も見当たらずノーチェは閉口する。
地元では、村付近に魔物が出没することは決して珍しいことではなかった。まさかこれほどまで旅が安全で平凡なものとなるとは想像すらしていなかった。
「へいへいお二人とも、忘れてもらっちゃ困りますぜ」
すでに意気消沈している少年に、今度は髭面の御者が追い討ちをかけた。
「うちの馬車は双角馬が引いてるんだ。街道に魔除けの効果が無くたってこいつの姿を見て寄ってくる魔物なんてここいらじゃまずいないってもんですぜ。小さなお客さんには悪いんですが活躍の場はもうしばらくとっておいてくだされ」
「がはは、違いねぇ。坊主残念だったな、えーと何だったっけかコボルトにスライムに……」
「もうわかりました! 僕が世間知らずでございました! 悪かったです調子に乗ってましたすみませんでした、ねぇ、もうこれでいいでしょ!」
ノーチェはそう言い捨て頬を膨らませるとそっぽを向いた。
一方、女性陣は老婆の占いで盛り上がっている。
「きゃーいい出逢いですって!」
占いの結果に興奮してるのは妙齢の女性の冒険者だ。はっきりとした目鼻立ちに大きな口、胸元へ流れる赤色の髪、すらりと伸びた脚にぴたりとした細身のパンツを着こなし、大人の女の色香が溢れている。
「あんたも占ってもらいなよ?」
占い結果に満足した彼女は同乗者の少女に水を向ける。走行中の馬車に乗り込み、そしてノーチェの耳元で「変態」と囁いた少女だ。未だにノーチェは理由を聞く機会すら与えられていない。
「占い、ですか……。そうですね、では、せっかくですのでお願いしてみてもいいですか」
透き通るような少女の声、丁寧で品の良い言葉を紡ぐ整った唇。つい先刻、同じ唇から「変態」と冷たく囁かれたとは到底想像することができない。
「ねえ、ばあさん、この娘も見て欲しいんだって」
「ひっひ、よかろう。さあお嬢さん手を出しなさい」
少女が控えめに出した手を老婆はひったくり、手のひらに顔を貼り付けて唸り声を上げる。
「うむ、むむむ、むむむむむ、こ、これは……運命の出逢いが訪れる、とでておる!」
「きゃー”運命の出逢い”ですって! あんた良かったじゃないか!」
少女本人より先に赤髪の女が騒ぎ立てる。
“運命の出会い”。実はつい先程ノーチェも「運命の出逢いがあるであろう」と老婆から告げられたばかりだった。手法がカードから手相に変わっだだけで偶然にも占いの結果は全員同じである。
「な、言ったろう? 占いなんてもんは大した意味はねえのさ」
がははっと隣の親父が笑い飛ばす。
頷きながらノーチェは思った。この老婆の占いは毎回同じ結果しかでないのだとしても、占いに大した意味がなかったとしても、良い運勢が告げられるのであれば決して悪いことではない。
「”当たるも八卦”ですね」
「がははっ、そうだぞ坊主! 気にすんな!」
「みなさん見えやした。あの樹のところでしばし休憩にいたしやす」
道の先には雄大な将軍樫の巨樹。遠目に見ると遠近感が狂うほどの巨大さで、その木陰は小さな村一つを覆ってもまだあまりあるほどの広さとなる。
リヴリアから馬車で四半日の位置にある巨木の木陰が長距離馬車の初めの休憩場所として利用されていた。
「おいや何ですかね? やけに混み合っておりますわ、揉め事かもしれませんな」
御者台からの呟きに皆が前方へと注意を向けた。将軍樫よりも少し前、数台の馬車が連なり人だかりとなっている。
「手前がちょいと様子を見てきますんで、どなたか手綱を頼みますぜ」
御者は少し離れた位置に馬車を止めた。
「俺も行こう、念のためだ」
デムロも剣を取り馬車を降りると二人は人だかりへと向かった。
「喧嘩かしら」
手綱を任された赤髪の女性冒険者は先程までの雰囲気から一転、真剣な表情で見守っている。
「魔物……ではないんですよね?」
ノーチェは尋ねた。まず魔物は現れないと聞いたばかりだ。間違ってもゴブリンやら豺牙狼を期待してるわけではない。何かの異常事態といえば魔物くらいしか思いつかないだけである。
「そうね、通常はあり得ない。でももし魔物だとすると、魔除けが効かないほど強いってことになるわね」
「強い魔物……」
王国東域のリヴリア領は前代の英雄達が厄介な魔物達を討伐して切り開いた領域だ。コカトリスやキマイラ、メドゥーサなどの討伐物語はこの国では広く知られている。
「まあ大丈夫よ、多分魔物とかじゃないわ。そんなのが現れてたらもっと騒がしいもの。あなたも心配しないで、わたしこう見えてそこそこ強いのよ」
そう言って女冒険者は不安気に俯いている少女の肩を優しく撫でた。
しばらくすると御者の男とデムロの親父は二人揃って首を振りながら戻ってきた。
「領兵の検問らしいですわ。ご面倒おかけしちまいますが、どうかご協力お願いしますぜ」
申し訳ありまへん、と御者は一人一人に丁寧に頭を下げて回る。
「あんたの見立ては?」
赤髪の女性は同業の大男へ尋ねた。
「ちと、時間がかかりそうだ」
デムロは道端の石に腰掛け、胸元から煙草を取り出し火をつけた。
「念入りに魔道具まで持ち出して検査しているって話だ。お目当ての探し物は人なのか物なのか、肝心なことはわからねぇ」
「ふーん、魔道具ね。難癖つけられると厄介ね」
「難癖って、どういうことですか?」
ノーチェの疑問に男が答える。
「検問自体はそこまで珍しいことじゃねえんだが、魔道具を使うとなると話は別だ。魔道具を使うってことは何がなんでも見つけ出せって厳命がでてるってことだ。一人づつ別場へ連れて行かれて念入りに検査するもんだから時間がかかるし、悪どい検査官に当たりゃ難癖をつけらへて物品を接収されたりすることもあるからな」
「物を盗られるだけならまだマシね」
女は少年と少女を順繰りに見ると、胸元まで伸びた癖のある赤髪をかき上げて言った。
「ねぇ、あなた達は身分証なんかないわよね」
女は胸の間からプレートを取り出しノーチェとそして少女に向けて見せた。黒銀色のプレートに『Ⅳ』の刻印が見える。
「四等級!? すごい!」
思わず声を上げたノーチェ。デムロの親父も眉を上げた。四等級の冒険者といえば高位の扱いだ。
「ふふっ、それで身分証は?」
「えっとはいっ、ありません」
「はい、わたしも……」
「それじゃあなた達はわたしの連れってことにしましょう。その方が面倒にならないわ。わたしはベゴニアよ、あなた達は?」
「ノーチェです、あの、ありがとうございます」
「わたしは……」
すぐに答えて頭を下げたノーチェとは対照的に少女は言い淀んだ。
「あの、わたしは……」
「……何か訳がありそうね」
「ごめんなさい。きっと……きっとわたしのせいなんです。多分あの人達が探しているのは、わたしなの……」
「聞き捨てならねぇな」
デムロは煙草を咥えたまま立ち上がった。
「追われてる理由はなんだ? 場合によっちゃ助けてやれなくはないが」
「ちょっとおっさん威嚇しないでよ、ただでさえ怖い顔してるんだから。ねぇ、お嬢さん、どうしてそう思ったか話せる?」
ベゴニアが促しても少女は口を開こうとはしない。
「何か話せない? あなたが家出した貴族のお姫さまなのか、それとも何か罪を犯して追われてるのか、それによっては切り抜け方も変わるのよ」
うつむいたまま黙りこくる少女。
長いまつ毛まで悲し気に下を向き、翠の瞳は微かに揺れている。
ノーチェの脳裏に一筋の仮説が生まれた。もう一度、彼女の今にも消え入りそうな横顔を見て、それはすぐに確信へと変わった。
今回ばかりはアデリおばさんの噂は本当だったのだと。
「女神の化身……大聖女の生まれ変わり……」
ノーチェの微かな呟きを拾った少女は、キッと鋭い視線を彼にぶつけると次の瞬間には街道を飛びだしていった。
「おいおい待て待て! こんなところで抜けるとバレバレだぞ!」
デムロが叫ぶ。
検問を前にして引き返したり街道から逃げ出すものがいれば「わたしは怪しいものです」と名乗っているのと同義だ。
しかし忠告も虚しく少女はみるみるうちに街道を外れ奥の森へ向けて走り去る。
案の定、すぐに検問所付近が騒がしくなる。
「追手がかかったな」
「仕方がないわね、もう助けるわけにもいかないわ」
数刻の間、同じ馬車に乗った縁。言ってしまえばこれだけなのだ。身のうちも名前も打ち明けられない少女のことを庇い立て、領兵と対立する義理はない。一介の冒険者にはどうしようもないことなのだ。
「彼女は、噂の……」
ノーチェは固く拳を握っていた。僕に何かできることはないか、どうすればよいのか。彼女が噂の転生者だとしても、だからなんだというのか。助けるにしても僕に助けられるのか、そもそも助ける理由もないんじゃないか。
頭の中をぐるぐると巡る。
「ひっひっひっ」
このとき老婆が呟いた一言は、占いと同じくやはり大して意味など無かったのかもしれない。しかし、ノーチェの背中を押すには十分だった。
「”運命の出逢い”じゃな、ひっひっ」
運命の出逢いーー。
ノーチェの身体に電撃が走った。
全身で今すべきことがなんなのか一片の迷いもなく鮮明になり、本人さえ驚くほど自然に彼の身体は動き出した。
「僕は行くよ!」
晴れやかな宣言を残し、ノーチェは少女を追って走り出した。
【双角馬】
頭部の中央に二本の角がある馬型の魔物。
近年、国を挙げた事業として有益な魔物の家畜化が大規模に行われきた。その最たる成功事例がこの双角馬と言われている。
牽引力が極めて強く輓獣として秀でた能力を持つ。長距離馬車に利用される。




