大魔法使いは金魚が大事
ルーカスが城へ戻り、山小屋の中は静かになった。
——と、思いきや。
「ノア! その図鑑見せて、見せて!」
エレナが興奮した様子で、金魚鉢の中をすいすいと泳ぎ回っている。
「いいよ。ほら、見える?」
ノアは分厚い図鑑を金魚鉢の前へ持っていく。
「この金魚が、エレナと同じ種類みたいだね」
「ほほう……」
エレナが図鑑を覗き込む。
ノアは彼女が見やすいように、少しずつ角度を変えてやっていた。
「エレナは……『和金』だね」
「どれどれ?」
二人は金魚鉢の前で、仲良く図鑑を眺める。
「へぇ……!」
エレナの目が輝いた。
「金魚って、こんなに色々な種類があるのね!」
「そうみたいだね。和金の他にも、琉金、出目金、らんちゅう……」
「そんなにいるの!?」
「うん。面白いね」
ノアも楽しそうにページをめくる。
しばらく二人で図鑑を眺めていたが、あるページでノアの手が止まった。
「和金の餌は……赤虫」
「……」
「エレナ、赤虫だって」
「ちょっと!」
金魚鉢の中でエレナが勢いよく方向転換する。
「私、虫なんて食べないわよ!」
「でも金魚には大好物らしいよ」
「私は人間です!」
ピシャッ!
水滴がノアの顔に飛んだ。
「冷たっ」
ノアは顔を拭いながら苦笑する。
「ごめんごめん。冗談だって」
エレナは頬を膨らませ、ノアを睨みつける。
「今まで通りパンにして!」
「はいはい」
ノアは素直に頷いた。
そして、ふとエレナが尋ねる。
「……ところで、その図鑑」
「ん?」
「どうして探してたの?」
「……」
ノアの手が止まった。
しばらく図鑑を見つめたあと、少し照れくさそうに鼻を掻く。
「エレナが、水の中で苦しくならないように」
「……え?」
「金魚のことをちゃんと知っておきたくてさ」
ノアはページをめくる。
「水温とか、餌とか、水質とか。どうすればエレナが快適に過ごせるのか知りたかったんだ」
「……」
「それに……」
ノアが少しだけ目を伏せる。
「呪いの本を放置してたの、僕だから」
「……ノア」
「だから、せめてエレナが困らないようにはしてあげたいんだ」
エレナは何も言えなくなった。
(……ノア。私のために、わざわざ図鑑を探してくれたんだ)
いつも本ばかり読んでいる。
人付き合いも嫌い。誰かに褒められても興味がない。
なのに。
こういうところは、昔から変わらない。
「……ありがとう」
「うん」
ノアは小さく笑った。
「じゃあ僕、頑張って最高の水槽を作るよ!」
「……え?」
ノアの目が輝いた。
「エレナが快適に過ごせる環境を作らないと」
「ノア?」
「水換えの頻度とか、水草の種類とか、底に敷く石とか……」
「ちょっと待って」
「確か石について詳しい本が、あっちの本棚に——」
「……頑張る方向、違くない?」
エレナの切実なツッコミは、すでに本棚へ向かい始めているノアには届かなかった。
◇
それから数日後。
「ふぅ……」
ノアは満足そうに息を吐いた。
「これでよし!」
エレナの金魚鉢は、以前とは比べ物にならないほど豪華になっていた。
金魚鉢から、エレナがのびのび泳げる大きな水槽に。
底には色とりどりの石が敷き詰められ、青々とした水草が水流に合わせてゆっくり揺れている。
水温も水質も完璧。餌の量も計算されている。
さらには水槽の周囲に、温度や水質を自動で調整する魔法まで施されていた。
ノアは最後に、エレナの体長と同じくらいの大きな石を静かに沈める。
コトン。
「……これで完成」
まるで世界最高の魔道具を完成させた魔法使いのような顔だった。
「ねえ」
「なに?」
エレナが水槽の中から石を見る。
「この石は何かしら?」
「眠る時に、この石の陰で休めるかなと思って」
「……」
エレナは石を見る。そしてノアを見る。
「確かに……」
少しだけ嬉しくなった。
「ちょっと落ち着く気がするわ」
「でしょ?」
ノアが嬉しそうに笑う。エレナも思わず頷きかけ——
「……じゃなくて!」
バシャッ!
「ノア!」
「冷たい」
「水槽の充実じゃなくて!」
「?」
「呪いの解き方を調べてよー!」
エレナの叫び声が山小屋に響き渡る。
ノアは首を傾げた。
エレナは水槽の中をぐるぐる泳ぎ回る。
「私は人間に戻りたいの!」
「……」
ノアは少し考える。
「……分かった」
「本当!?」
エレナが勢いよくノアを見る。
「呪いについても調べるよ」
「ノア……!」
エレナの顔がぱっと明るくなる。
しかし——
「でも、その前に」
「……?」
ノアは本棚へ向かった。
「金魚の生態について、もう少し詳しく調べたい」
「なんでよー!」
エレナの悲鳴が、再び山小屋に響き渡った。
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