第一話 「言い分を聞かせてください」
わたくしの罪状は、わたくしのいない場所で決まっていた。
石畳は雨で黒い。朝だというのに、人の輪は幾重にもできていた。その真ん中で、わたくしは膝をついている。
「言い分を聞かせてください」
三度目だった。誰も答えない。
婚約者だったエイドリアンは、書面から目を上げないまま「事実を述べただけだよ」と言った。その隣でビアンカが小さく肩を震わせている。震わせながら、こちらを見ていた。嘘をつく人は、相手の目を見る。それを知ったのが今日だというのが、悔しかった。
人垣の後ろで、誰かが叫んだ。
「彼女は無実だ!」
剣を抜く音がした。ノエルだった。十年会っていなかった幼馴染が、わたくしのために抜いていた。名前を呼んだ。呼び終える前に、彼は斬られた。
——ああ、間に合わなかった。
刃が落ちる音を、わたくしは聞いていない。
次に聞こえたのは、鐘だった。王立騎士学校の、入学式の鐘。
石畳ではなく絨毯だった。雨の匂いではなく、蝋と埃の匂いがする。手のひらには母の懐中時計。目の前には、四年ぶりに見る十八歳のエイドリアンが立っていた。
彼は、あの日とまったく同じ角度で笑う。
「婚約の件、父上には話を通してあるから。君は何も心配しなくていい」
一度目のわたくしは、ここで頷いた。頷いて、四年後に膝をついた。
「いいえ」
エイドリアンの笑みが、途中で止まる。
「……いいえ?」
「父にはわたくしから申し上げます。書面はまだ出しておりませんでしょう。出す前で、よかった」
彼は口を開いて、何も言わずに閉じた。
——ええ。今度は、先に言います。
王立騎士学校の講堂は、天井が高い。声がよく響くように作られていて、そのせいで嘘もよく響く。四年後、わたくしはこの講堂で「悪女」と呼ばれた。今その床を、新入生の靴が埋めている。
落ち着け、と自分に言い聞かせた。手が震えていたので、懐中時計を握り直す。母の形見だ。蓋を開けると、針は止まっていた。止まった時刻には見覚えがある。四年後のあの朝、刃が落ちた刻。
——おかしい。まだ止まる理由が、どこにもないのに。
わたくしは蓋を閉じ、掌の中で二度、指の腹を滑らせた。八つの年に母が死んでから、これは癖になっている。困ったときにこの丸みを撫でると、少しだけ頭が動くようになる。
「ヴァルトハイム嬢」
声に顔を上げると、エイドリアンがまだそこにいた。笑みは戻っていたが、目は戻っていない。
「今日の君は、少し変だ」
「そうかもしれません」
「体調でも悪いのか。無理はしなくていい。僕が代わりに話しておく」
この人は昔からこうだった。人の話を引き取り、自分の言葉に変えて、それを親切と呼ぶ。四年後、わたくしの罪状を読み上げたのも彼だ。あのときも同じ顔で「君のためだ」と言った。
「わたくしのことは、わたくしが話します」
「……そう」
エイドリアンは何か言いかけて、人の流れに押されるように離れていった。
背中を見送りながら、頭の中で日付を数える。今日は入学式。式のあとに寮の割り当て。それから三日後。
三日後に、ビアンカ・オルセンが「突き飛ばされた」と言い出す。いた。
講堂の右手、柱の陰。小柄で、髪は栗色で、誰かの背中に半分隠れるようにして立っている。ビアンカ・オルセン。新興商家の令嬢。四年後、涙を流しながらわたくしを見ていた人。
彼女はまだ、わたくしを知らない。
視線が合った。ビアンカはびくりと肩を揺らし、それから小さく頭を下げる。控えめで、怯えていて、庇いたくなる仕草だった。一度目のわたくしも、この子を庇った。庇って、庇った相手に刺された。
——いいえ。順番が違う。
まだ何もしていない人を、わたくしは憎むわけにいかない。憎めば、この四年をやり直す意味がなくなる。それに、憎しみは目を曇らせる。曇った目で見たものを証拠とは呼べない。
わたくしが潰したいのは人ではなく、三日後に起きる出来事だ。
足元で、紙の擦れる音がした。見ると、紙片が一枚落ちている。拾い上げると、名前だけが書かれていた。癖のある、大きな字だ。
ミレイユ・カルヴァン。
覚えのない名前だった。一度目のわたくしは、この名を知らないまま四年を過ごしたのだろうか。それとも、知っていて忘れたのだろうか。忘れたのだとしたら、忘れられる程度にしか関わらなかったのだ。
紙片を折って、袖に入れた。
そして、講堂の一番後ろに彼はいた。
背が伸びていた。肩幅も、手の大きさも、記憶の中の少年とは繋がらない。それでも分かった。左手を軽く握って、体の横に垂らす癖。あれは昔からだ。
ノエル・グレンヴィル。生きている。
喉の奥が塞がった。息を吸っても、途中で止まる。四年後の朝、彼はわたくしのために剣を抜き、名前を呼び終える前に斬られた。その音を、わたくしは今も知らない。聞く前に死んだから。
ノエルがこちらを向く。目が合った瞬間、彼は一度まばたきをして、それから軽く顎を引いた。
挨拶ですらない、十年ぶりの人にするには短すぎる会釈。なのに膝が緩んだ。
わたくしは頭を下げ返し、すぐに前を向いた。顔を見ていられなかった。
——近づいてはいけない。
彼は、わたくしのそばにいたから死んだ。だからこの四年、わたくしのそばに置かなければいい。それが一番簡単な答えのはずだ。
なのに、体の芯が「そんな答えは嫌だ」と言っている。
式辞が始まった。学長が壇に立ち、騎士の本分について話している。名誉、規律、公正。四年前にも同じ言葉を聞いた。同じ言葉を聞いて、同じように、きれいだと思った。
公正、というところで、わたくしは顔を上げた。
この学校は公正だと、四年間ずっと思っていた。試験があり、評価があり、規程がある。規程があるところは公正だと信じていた。
それなら、なぜわたくしは言い分を聞かれなかったのだろう。
規程には「被告の申し立てを聴取する」と書いてあったはずだ。書いてあったのに、行われなかった。書いてあることと、行われることは、別のものだった。
つまり、紙に書いてあるだけでは足りない。書いてあることが行われたかどうかを、誰かが数えていなければならない。
一度目、それを数えていた人はいなかった。
わたくしが数えよう、と思った。思ったとたん、四年が急に短く感じられた。
式が終わり、寮の割り当てが読み上げられた。わたくしの相部屋は、聞き覚えのない名前だった。
「ミレイユ・カルヴァン」
袖の中の紙片が、急に重くなった気がした。
割り当てを読み上げていたのは事務官で、その脇に長身の男が立っていた。教官らしい。姿勢が良く、表情が動かない。生徒の名前をひとつずつ目で追い、読み違いがあると短く訂正した。訂正の仕方が丁寧で、直された事務官が恐縮していなかった。
いい人だ、と誰かが小声で言った。わたくしもそう思った。思ってから、なぜ思ったのかを考えて、少し落ち着かなくなる。
一度目のわたくしは、教官の名前をひとりも覚えていない。四年もいたのに。
窓の外は晴れている。四年後の処刑の朝は雨だった。ということは、天気は変えられる。同じ日付に同じことが起きるとは限らない。
それでも、変えられないものはあるだろう。
廊下の隅で懐中時計を開き、止まったままの針を見た。残りの日数を数えるのは、これで二度目になる。三日ある。




