4話 苦渋の選択
中学を卒業した『私』は
ここに残るか
ここを出ていくか
決断しなければならない。
そもそも出ていくことを決めていた。
けれど……
時間が経てばもしかしたら
「やっぱりここにいたい」と思うかもしれない。
学校にいるときだって
いつもどこかで葛藤はあった。
あのとき…
Yおばちゃんの気持ちを知ったときから
心が揺らいでいたのを隠せないでいた。
切な思いに応えるためにも
「せめて高校を卒業するまではいようかな」
そう思いとどまることも考えた。
でも…
1番ベストな答えは見つかりようもなかった。
Yおばちゃんか『私』か
どちらかの思いを選ばなきゃいけない。
あぁ…
『私』って。
この頑固さは父親譲りなんだな…
1度決めたらなかなか考えを変えない。
「お父さんと似てるね…」
ちゃんと親子だったんだなぁって思った。
…………
人生っていつも選択だ。
決めるのは他人ではない。
『私』自身なのだと…
まだ未熟な頭で悩みに悩んだ末
「やっぱりこの家を出よう」
そう決めた。
Yおばちゃんにその思いを伝えると
少し悲しい表情で微笑んだ。
何度も小さく首を縦に振る。
諦めとでも言うのだろうか…
言葉にしなくても
Yおばちゃんの気持ちが痛いほど伝わってくる。
「思いに応えられずごめんなさい」
申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
でもYおばちゃんは
『私』の気持ちを受けとめてくれた。
…………
もう、この家にはいれない。
お世話になるのも
迷惑をかけるのも嫌だから…
でもそれが
家を出ていく本当の理由ではない。
偽りの言葉だった。
Yおばちゃんに最初で最後の嘘をつく。
ここにいると
あの感情が『私』を苦しめるから…
みんなといるときに感じる孤独。
きっと1人で感じる孤独のほうがマシだと
そう思ったから…
だから1人になることを選んだ。
出ていくのは『私』だけ。
妹と弟はこの家に残すことになる。
心配することはなかった。
この家にいれば安心だとわかっていたから。
…………
「あの場所に戻ろう」
父と母との思い出の場所。
東京へ…
『私』の中ではそう決めていた。
そして1人きりの生活が始まる。
そこで待っていたのは
想像する以上に甘くはない現実だった…
四畳半一間のアパート
木目調のドアはどこか懐かしい感じがした。
ベランダはなく
曇りガラスの大きめな窓が一つ。
部屋にあるのは流しと押し入れだけだった。
キレイとはお世辞にも言えない。
トイレは他の住人と一緒に使う共同トイレ。
このアパートにはお風呂がない。
近くにある銭湯に通うことになる。
決して広くはないこの部屋。
余計なものは置かず
最低限必要なものだけ置くことにした。
小さすぎず大きすぎない
『四角い折り畳みのテーブル』
それだけは拘りたかった。
親戚家族の
一家団らんの眩しい光景…
あの『丸いちゃぶ台』を
思い出したくはなかったから。
だから…
四角いテーブルを選んだ。
あとはお布団さえあればいい。
とりあえず生活するうえで
食事と寝ることさえできれば良かった。
テーブルと布団。
この部屋にはそれだけあれば充分だと思っていた。
…………
色彩のない殺風景な部屋。
静かすぎる空間は親戚の家とは大違いだ。
いつも誰かの声が聞こえていたから。
離れられてスッキリするかと思っていたけど
心なしか少し寂しさを感じた…
でもこれからは1人で
全部やっていかなければならない。
『私』は父と母の写真を見つめる。
心細さを埋めるかのように…
「1人だけど1人ではない」
そう実感したかった。
きっと父と母が見守ってくれるはず。
そう思うことにしよう…
…………
「ただいま」
東京に帰ってきたことを両親に報告し
どんなことがあっても頑張ると決意を固めた。
下宿暮らしのような1人暮らし。
『私』の新しい居場所。
ここ東京にあるアパートから始まる…
生活に欠かせないものは
Yおばちゃんがすべて揃えてくれた。
殺風景な部屋が
少しづつ色を帯びていく。
その都度その都度
必要になるものも与えてくれた。
夏には扇風機
冬には石油ストーブ
そんな感じ。
『私』が困らないように
とにかく色々と心配もしてくれる。
それだけではない。
今後お金に困らないよう
仕送りまでしてもらうことになる。
高校へ通えるようにもしてくれた。
本当に…
本当にありがたい存在だ。
今はまだお金の面でお世話になってしまう…
申し訳ない気持ちと
感謝の気持ちでいっぱいだった。
でも『私』は今、高校生だ。
すべてを甘えるわけにはいかない。
自立するためにも
できることをしていかなければと…
だから
Yおばちゃんに少しでも負担をかけないよう
「高校に通いながらお金を稼ごう」
そう思い、可能な時間で働こうと決めた。
仲良くなった友達と遊びたいのを我慢して
学業と労働に明け暮れた日々を過ごしていく。
でも考えが甘かった。
だんだんと…………
両立することの大変さを思い知らされていった。
勉強して働いて
働いて勉強して
頭も体もヘトヘトになっても
この生活を続けていかなければならない。
あの頃のように「おかえり」と
あたたかく帰りを待つ人は誰もいない。
疲れて帰っても
もちろんご飯の用意などはなく
自炊をしなければならない。
布団にたどり着く前に
畳の上で寝てしまうこともあった。
それでも
挫けそうになる心を必死にこらえ鼓舞する。
「『私』が選んだ道なんだから」と。
……
けれど
強い気持ちのあとには
弱い気持ちがフッと顔をだす。
「やっぱり1人は寂しい」
「辛い…」
「誰かに頼りたい」
感情が不安定になる。
頬を伝う涙をぬぐいながら
1人で生きるって大変なんだ…と
甘くはない現実を知っていった。
畳の上…
無造作に置かれたダイヤル式の黒電話。
『私』は無意識に見つめていた。
「いつでも帰ってきなさい」
Yおばちゃんの言葉が浮かぶ。
どうしよう…
「Yおばちゃんと話したい」
思わず受話器に手をかけそうになる。
でもダメだ。
「ここで踏ん張らなきゃ…」
少しの葛藤があった。
でも、思いと行動が裏腹にでる。
『私』はダイヤルに指をかけていた。
Yおばちゃんちの電話番号をまわす。
「プルルルル」
ワンコール…
ツーコール……
『ガチャ』
誰かが電話にでた。
その瞬間
『私』は思わず受話器をおろしてしまった。
もしYおばちゃんがでたら
弱音を吐いてしまいそうだったから。
本当は…
聞いてほしい気持ちがあった。
でもなんとか思いとどまることができた。
両ほっぺを軽く叩きながら気持ちを立て直す。
…………
その時だった。
『リーン』
電話のベルの音が鳴った。
『私』は引き寄せられるかのように
誰かもわからないまま受話器をとる。
「Yおばちゃんだったらいいのに」と…
心のどこかで淡い期待をしてしまっていた。
もう、、、
期待することはやめたはずなのに……
Yおばちゃんであれと願う『私』がいた。
……
名前を呼ぶ声。
少し、なまりがある。
優しくゆっくりした口調。
「Yおばちゃんだ」
わかった瞬間、我慢ができなかった。
こらえきれず
涙が一瞬で溢れる……
……
Yおばちゃんはわかっていたみたいだ。
切れてしまった電話が『私』だと……
感じ取ってすぐかけてきてくれた。
心が限界だったからなのか
Yおばちゃんからの電話が凄く嬉しかった。
今までにも
Yおばちゃんからかかってくることはあった。
ただ、こちらからかけることはなかった。
家を出ていった身としては…
振り返ってみればいつもそうだ。
必要だって思ったときに現れる。
『私』が何も言わなくても
欲しいときに欲しい言葉を言ってくれる。
すべてお見通しかのように。
……
Yおばちゃんと話したあとは心が落ち着いた。
1人で耐えるということが
『私』を支えていたから…
だから
「辛かったらいつでも電話してきなさい」
「もう我慢はしないこと」
優しい言葉に救われた。
『私』にとって電話は
心と心をつなぐものになった。
でもなんで
「ここまでしてくれるんだろう」
嬉しさの反面
ちょっと不思議に思うようになっていた。
本当の子供ではないのに。
なぜこんなにも
「優しくしてくれるんだろう」
…………
もしかしたら
『私』が知らない理由があるのではないかと…
子供ながら
その予感は的中することになる。
その理由が初めてわかったのは
大人になったずっとずっと先のことだった……




