第5章:崩れ去る虚栄心
「ちょっとあんたたち! さっきから黙って聞いていれば、我が結城家の高貴な名前を一体何だと思っているのですか!」
地を這うような怒号とともに、義母は若者たちのテーブルへ猛然と詰め寄った。
その凄まじい剣幕に、数瞬前まで陽気な喧騒に満ちていたフードコートの空気が、まるで冷水を浴びせられたかのようにサーッと引いていく。
周囲のテーブルからも会話が消え、何百人もの好奇と嫌悪の視線が一斉に私たちのいる空間へと集中した。
突如として目の前に現れた異形な存在に、若者グループは一瞬だけ呆気にとられた表情を浮かべた。
しかし、すぐにその瞳には、面倒くさそうな、そして底知れない軽蔑の色が満ちていった。
「は? 誰このババア。っていうか、結城家って何? 聞いことねえんだけど」
「もしかしてさ、さっきのアナウンスの『ごんざえもんかげとら』の親? マジで実在したんだ、あの名前……」
「ちょっと待って、動画撮っとこ。ガチの老害じゃん、ウケる」
一人がポケットからスマートフォンを取り出し、無機質なレンズを迷わず義母へと向けた。
その瞬間、義母の理性の堤防は完全に決壊した。
結い上げられていたはずの髪がひと房、ふた房と額に垂れ下がり、彼女はなりふり構わず両手を振り回した。
「老害とは何事ですか! 下賤なあなたたちとは、生まれも血筋も違うのです! 伝統ある武士の末裔たる我が家の命名に対して、そのような不届きな口を挟むなど、万死に値します!」
必死に声を張り上げ、剥き出しの虚栄心を盾にして戦おうとする義母。
しかし、現代という平坦な常識を生きる若者たちにとって、その前時代的な怒号は何の脅威にも、誇りにも聞こえなかった。
それはただ、公共の場を騒がせる滑稽な迷い人の、哀れな見世物でしかなかった。
「血筋って……いつの時代の人間だよ、ウケるんだけど」
「伝統とかそれっぽい言葉使ってさ、結局自分のエゴを子供に押し付けてるだけじゃん。それ、ただの毒親だから」
「っていうか、その名前で子供が学校でどんな目に遭うか、一ミリも考えてないの? 最低じゃん。可哀想に、生まれてくる子供がただの被害者だよ」
冷酷なまでに芯を喰った若者の言葉が、鋭い針となって義母のプライドを突き刺す。
さらに、周囲の客たちからも「うわあ……」「関わらないようにしよう」「本当に子供がかわいそうね」という、ひそひそとした、けれど明確な拒絶の囁き声が集中砲火となって浴びせられた。
あちこちで静かに掲げられるスマートフォンの画面。
自分たちが、逃げ場のない『ネットの晒し者』という奈落に突き落とされかけている――。
その異常事態の輪郭がようやく見えた瞬間、隣にいた拓也の顔から、文字通り血の気が完全に引いていった。
家の中という狭い檻の中では、母親の言うことを「渋くてかっこいい」と盲信し、私を毒親と罵って優越感に浸っていた拓也だった。
しかし、赤の他人という圧倒的なマジョリティから向けられる、冷徹な視線と、一切の容赦のない拒絶。
それを全身に浴びて初めて、彼は自分たちが拠って立つ足場が、いかに歪み、狂っているかを理解したのだ。
自分たちは高貴でも、特別でもない。
ただの『世間の異常者』として、指を差され、笑われ、軽蔑されているのだと。
「か、母さん……! もういい、もうやめよう!」
拓也の声は情けなく震えていた。
真っ青な顔のまま、なおも若者たちに掴みかかろうと腕を伸ばす義母の体を、彼は必死の力で組み伏せるようにして掴んだ。
「母さん、もうやめてくれ! 周りの目を見てみろよ、俺たちが完全に浮いてるんだ! 恥ずかしい、もう耐えられない!」
「何を言うのです拓也! あなたまで、その、その軽薄な者たちの味方をするのですか!?」
「味方とか敵とかそういう話じゃない! 恥ずかしいから、もうやめてくれって言ってるんだ!」
ガタガタと膝を震わせながら、拓也は半狂乱になって暴れる義母の身体を強引に引き剥がした。
そして、すぐ後ろに立ち尽くしている私のことなど振り返ることもなく、ただ自身の羞恥心から逃れるためだけに、出口に向かって無様に走り出した。
私は、その情けない男の背中を、恐ろしいほど冷めきった目で見送った。
お腹の上にそっと添えた手のひらだけが、確かで優しい熱を帯びていた。
私は一人、彼らとは逆の方向へと歩き出し、玲奈と約束していた場所へと向かった。
逃げ込んだのは、大型モールの立体駐車場だった。
天井の蛍光灯がかすかにハミングをあげる、薄暗く、ひんやりとしたコンクリートの空間。
そこには、息も絶え絶えに壁に寄りかかる、変わり果てた二人の姿があった。
拓也はあまりの羞恥と恐怖に耐えかねたように、地べたにしゃがみ込んで頭を深く抱え込んでいる。
義母は、絶対に崩れないと信じていた自らのプライドを木端微塵に打ち砕かれた衝撃から立ち直れず、焦点の合わない目でぶつぶつと虚空に向かって呪詛を吐き散らしていた。
自分たちの絶対的な正義が崩壊し、惨めに震えるしかない二人。
その、静まり返った薄暗がりに。
コツ、コツ、コツ――と。
高らかで、迷いのない、硬質なヒールの音が響き渡った。
コンクリートの床に反響するその規則正しい足音は、まるで二人の罪を裁くカウントダウンのようでもあった。
歪んだ影の中から、ゆっくりと姿を現した「ある人物」の鋭いシルエットに、二人の身体が、怯えた動物のようにびくりと強張った。




