第4章:鳴り響く館内放送
「ほら紬、早く席を確保しろよ。まったく、こんな騒がしくて品のない場所に私を連れ出すなんて、一体どういう風の吹き回しだ?」
週末の昼下がり。
家族連れや学生たちで膨れ上がった大型ショッピングモールのフードコートは、熱気と様々な料理の混ざり合った匂いで、混沌とした喧騒に包まれていた。
プラスチック製の椅子が床を擦る不快な音、子供の甲高い泣き声。
その騒音の中で、拓也は眉間に深い皺を刻み、額の汗をハンカチで乱暴に拭いながら、不満げに声を荒らげた。
彼の隣では、義母の紀子が、仕立ての良い着物の裾を汚さぬよう細心の注意を払いながら、周囲を行き交う人々へあからさまな蔑みの視線を向けていた。
「格式高い我が家の人間が、このような、どこの誰とも分からぬ民草の集まる場所に身を置くなど……。ただそこにいるだけで、こちらの品性まで疑われてしまいますわ」
冷ややかに言い放つ義母の言葉を受け流しながら、私は胃のあたりがじりじりと焼けるような、異様な緊張感に襲われていた。
「すみません……。でも、ここならベビー用品の専門店もすぐ近くにありますし、ネットで美味しいと評判の限定スイーツもあると聞いたものですから。ぜひ、お義母様に一度召し上がっていただきたくて」
私は努めて従順な笑みを浮かべ、震えそうになる声を必死に抑えながら、マタニティウェアのポケットの中にあるスマートフォンをそっと指先で確かめた。
玲奈の指示通り、二人をこの「世間の縮図」とも言える場所へと連れ出すことには成功した。
しかし、心臓は早鐘を打つように激しく脈打っている。
玲奈は「作戦がある」と言っていたが、一体この混雑の中で、何が始まろうとしているのだろうか。
「ふん、まあ、お前がそこまで言うのでしたら、少しだけ付き合ってやってもよくてよ」
義母は周囲を牽制するように顎をツンと引き上げると、不満を全身から漂わせながら席へと腰を下ろした。
その時だった。
ザザッ……と、天井のスピーカーが微かに唸りを上げ、耳慣れた電子チャイムの音がフードコートの広大な空間に鳴り響いた。
館内放送だ。
『お客様にお呼び出しをいたします――』
無機質で、けれど透き通るように響く女性アナウンサーの声。
その冒頭に響いた響きに、拓也と義母の眉がぴくりと跳ね上がった。
『結城――』
我が家の姓が、スピーカーを通じて雑雑とした空気の中に溶けていく。
二人は怪訝そうに耳をそばだてた。
次の瞬間、ピンと張り詰めた明瞭な音声が、容赦なくその名前を告げた。
『結城、権左衛門景虎くん。4歳。青いTシャツをお召しの、権左衛門景虎くん。お連れ様がインフォメーションカウンターでお待ちです――』
一瞬。
文字通り、フードコート全体の喧騒が、まるで奇妙な魔法にかけられたかのようにピタリと止まった。
スプーンを動かす手、お喋りに興じていた口、それらすべてが一斉に凍りついた。
そして、その数秒の奇妙な静寂の、直後だった。
「ぶふっ……!? ちょっと待って、今の、何て言った!?」
私たちのすぐ隣のテーブルに陣取っていた、大学生とおぼしき若者グループの一人が、口に含んでいたドリンクを吹き出しそうになりながら爆笑した。
それを導火線として、周囲のあちこちの席から、堰を切ったようにクスクスという忍び笑いや、抑えきれないざわめきが波紋のように広がっていく。
「権左衛門景虎ってヤバすぎだろ! 令和だぞ、今!? 何時代から来たんだよ!」
「歴史の教科書からそのまま飛び出してきたの? 嘘でしょ、お腹痛い!」
「ちょ、今の聞いた!?いつの時代からタイムスリップしてきたんだよ。完全に親ガチャ大外れじゃん!」
若者たちの容赦のない、剥き出しの言葉が、鋭い矢となって私たちのテーブルへと突き刺さる。
「子供がかわいそう」
「学校に入ったら絶対いじめられるやつじゃん」
「どんな骨董品みたいなセンスしてたらそんな名前つけられるわけ? 親の顔が見てみたいわ」
あちこちの席から、ひそひそ話というにはあまりにも明瞭な、嘲笑と批判の集中砲火が浴びせられる。
それは、私が夜も眠れずに、お腹の子の未来を思って恐怖のどん底で想像していた、まさにその光景そのものだった。
歪んだ身内のエゴではなく、世間の目という冷酷な現実が、今、目の前で形を成して彼らに突きつけられている。
「な、ななな……何たる、何たる無礼な……!!」
義母の顔からみるみるうちに血の気が引き、土気色になったかと思うと、次の瞬間には激しい怒りで沸騰したように真っ赤へと変色していった。
隣の拓也は、家の中では「渋くてかっこいい」「箔がつく」とあれほど自慢げにのたまい、私を毒親呼ばわりして悦に浸っていたはずだった。
しかし、目の前で繰り広げられる「世間のリアルな大爆笑」を前にして、言葉を失い、完全にフリーズしていた。
顔を引きつらせ、浅い呼吸を繰り返しながら、まるで透明な壁に閉じ込められたかのように身動き一つできない。
「母さんの……我が結城家の尊い先祖の名を、あのような育ちの悪いガキどもが……!」
義母の肩が、屈辱と激昂のためにわなわなと小刻みに震え始める。
彼女の脳内にだけ築かれていた「武士の末裔としての高貴なプライド」という脆い砂の城が、世間一般の剥き出しの常識という荒波によって、完膚なきまでに踏みにじられ、崩壊していく。
「許しません……! 我が家の高貴な名前を、これ以上愚弄するなァ!!」
理性のタガが完全に弾け飛んだ義母は、喉を引き裂くような叫び声を上げると、椅子を派手に後ろへ蹴り飛ばした。
そして、大爆笑を続けている若者グループのテーブルに向かって、鬼のような形相で目を見開き、猛然と突撃を開始したのだった。




