(9)
荷車の残骸に呑まれながら沈んでいく。
泳いだ事などなかった。
碌に息も吸えないまま、冷たい海水が、気泡と共に全身の傷を舐める様に這う。
痛くて堪らず、海水を飲み続けた。
この苦しみが、封じられていた記憶を更に呼び覚ました。
押し寄せるそれらに涙しながら、自身の中のシェナは藻掻き続ける。
身体は酷く重かった。
“まぁ……本当に、すっかり風が止んでしまったねぇ……”
“仕方がなかった……私達も暮らしていかなくちゃいけない……”
家族に遠ざけられたのは、呼び寄せてしまう風が原因だった。
また、金髪である事が買い手の目を引き、額が良かった。
舐め回される様に見られ、不可解な声質に毒々しい笑みを浮かべられた。
外を出歩いた際に限らず、家の中でも風が吹き続ける現象を、家族や周囲も厄介に思っていた。
だから、家の隅に寄せられ、声を殺して過ごすようにする事が当たり前だった。
そこにいれば興味をそそるものも無く、声を上げる機会もないからだ。
それがたまらなく嫌で、木材とトタンを集めて出来た、地域の中でも比較的立派に立てられた家から飛び出した。
売られた先で何が待ち構えているのかを、近くの友達を見て知っていた。
そんな目に遭うくらいなら、どこか遠くへ逃げてしまいたかった。
大きな震災があったとは聞いていたが、家を出て間も無く、草原が広がる開放的な世界に辿り着いた。
嘘の様に清々しいそこで、喜びの声を上げ、まるで自分を迎え入れようと吹きつける緑の風と香りに、足を躍らせた。
そんな幸せを打ち砕く様に、草原の坂を転げ落ちた途端、一変した街の風景が飛び込んだ。
鉄柵の先に広がる、怪し気で砂煙が酷く立つ薄汚れた街。
自分が暮らしていた所とはまるで違い、鉄柵の根元で竦んでいると、面白がる声と共に大きな影が覆い被さった。
そこから、人生が歪んでしまった。
“俺はビョーキだ。身体がこのまま腐ってく。
すぐ死んじまうぜ”
“指の数が多いの。だからいらないって。
でも、ここの仕事はやれる”
“ぶえっ!君、しゃべると砂埃が……
だから売られたのかい?”
周りには、耳を疑う様な事情を抱えた子どもや大人がいた。
そして小さいながらに悟った。
一刻も早く、この状況をどうにかせねばならないと。
そう思った頃には遅く、手足と首に枷を付けられる生活が始まった。
暗い海の底に、瓦礫と共に沈められていく。
記憶の数々が、虚ろな目が捉える気泡に映し出されては、弾けていく。
声の一件以外には、誰よりも身軽で、身体も強かった。
なのに何も出来なかった。
出会った友達や、守ってくれた大人もいたのに、何の恩も返せなかった。
小さくて、厄介な声を持つ自分にできる事が何かを、見つけられなかった。
そして両親は結局、自分を探しに来る事もなかった。
代表作 第3弾(Vol.2/後編)
大海の冒険者~不死の伝説~
シリーズ最終作
2025年 2月上旬 完結予定
Instagram・本サイト活動報告にて
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インスタではプライベート投稿もしています
その他作品も含め
気が向きましたら是非