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双天の共鳴者  作者: 月山
第三章「シンフォニック・アソシエイション」
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今はこれで


 結局、テディさんを収納した巨大な箱は、上下をロープでくくり、それをエリーネの部屋のベランダから引っ張り上げるという方法で部屋に入れることになった。

 引っ越しの際に階段などを通らない大きな荷物を入れる際は、小型のクレーンでそれを吊るし、窓から入れることがあるという。それを簡易な方法で真似た結果だった。

 幸い現在はほとんどの生徒が帰省中であった事、さらには大家さんがおおらか……言い換えれば随分と適当な人だったこともあってか、許可は簡単に貰うことができた。ロープに関してはいつの間にか奈々が用意しており、牽引の準備にそう時間は掛からなかった。


 作業を当然のように敏也と奈々は手伝い、長いロープ二本それぞれを敏也と配達員のお兄さんが引っ張り上げ、万が一荷物が落ちた場合の対応とそうなる前兆を見定めるため、女子寮の南側には奈々が配置され、作業は実行された。

 ガタン、ガタン、と下層の階のベランダに箱を当てながらもじりじりと慎重に引っ張り上げること十数分。なんとか手すりに乗せることができ、そこで半回転。そのまま窓ガラスを外した部屋に引っ張り込むことで作業は終了した。

 配達員のお兄さんは一応は魔術師であったらしく、この巨大な箱を一人でも運び込めると踏んでいたらしい。だが予想外に通路が狭く、ほとほと途方に暮れていたそうだ。敏也たちの助けでなんとか仕事を終えることができた彼は頭を軽く下げて揚々と去っていった。


 そして今に至る。


「うぁー……あちー……」


 敏也は床に腰を落ち着け、後方にあるソファに背を預けたままで天井を仰いだ。

 先ほどまで搬入作業をしていたこともあってか部屋の中は夏の熱気に包まれており、今しがた電源を付けたエアコンが必死に冷気を吐き出してはいるが中々涼しくならない。

 全身から火を噴きそうなくらい熱いこちらからすると困ったものだ。


「ウヴァ~……あっついよぉ~……」


 と、そんな敏也の隣で濁声で嘆いたのは奈々である。奈々も敏也と同様にしんどそうにしており、顔には汗が見受けられる。

 彼女はほんの数分前までこの炎天下の中外に居て、そのまま十分程同じ場所に留まり続けていたのだ。そのせいで身体は熱を溜めこみ続け、こうなってしまったというわけだ。


「「うぁ~」」


「はいはい、わかりましたから。お疲れ様です、二人とも」


 二人が揃って唸り声を上げると、そのような言葉と共にコップが二つ目の前に差し出された。

 中には氷と一緒に麦茶が注がれていて、コップの周りには冷たそうな水滴が纏わり付いている。その様からさぞ中身は冷たいのだろう。まるで手に取るように分かる。


「あ、ありがてぇ!」


「女神や! 女神がおるでぇ!」


 暑さと熱さで死に掛けていた二人からすればそれはまさしく天からの恵み。

 競うようにコップを受け取り、口に含んでみれば広がるのは茶葉の豊潤な香り、そしてそれを塗り潰すかのごとく存在感を放つ清涼さ。冷たさが五臓六腑に沁み渡り、身体に活力を取り戻させていく。

 有難がりながらコップ様を両手で包みこみ、敏也はさめざめと言う。


「うぅ……生きてるって素晴らしい……」


「敏ちん、気のせいかな? なんだかわたしゃあ、エリーが神様に見えてきたよ……」


 隣の奈々に言われて敏也がそれまで自身の姿勢のせいで魅力的な足しか見ていなかった視線を上げて見ると、そこには二人の珍態のせいで困ったように笑うエリーネが居た。

 目の錯覚で無ければ、確かにその佇まいは神々しい。まるで砂漠で行き倒れている旅人を救うオアシスか何かだ。ましてや、敏也にとって絶対的なものと言っても間違っていない。


「……気のせいだろ」


 そこで素直に礼を言えない辺り、まだまだ自分は未熟なようだった。

 敏也が視線を逸らしながら誤魔化すようにコップに口を着けると、エリーネが穏やかに言った。


「本当にありがとうございました、二人とも。あなたたちが居てくれなかったらテディちゃんはどうなっていたことか……」


「日干しだな」


「この日差しの中で日干し、間違いなく黄ばむねぇ……!」


 今この部屋の隅に箱ごと立てられている巨大な人形テディちゃんもといテディさんは、先ほどまで一巻の終わり間近の状況だったのだ。

 茶色のくまさんが黄ばんでも大したことはないだろうし、本などと同様に色あせるかどうかはわからない。そもそも陰に置いておけば数時間程度は問題はないのだろうが、それでも新品を買ったエリーネは気にするだろう。


 新品のぬいぐるみを予期せぬ劣化から護った――そう思えば、エリーネがこちらに感謝してくるのはそうおかしくない事に思える。


「ええ。そんなことになっていたら私は…………下手をすれば階段の壁を根こそぎ破壊して突破口を開いていたかもしれません。テディちゃんのために……!」


「手ぇグッとしながら物騒なこと言うなっての。マジでやりそうで怖い」


「まあ、冗談に聴こえないのがエリーの怖~いとこだよねぇ。一度走り出したら止まりそうにないとこがまた怖さを助長してるしぃ」


 普段の彼女を見ているに、色々考えているようでいてそうではなく。その本質は立ちはだかる壁は越えることなく、ましてや壊すどころではなく、粉々に消し飛ばして悠々と進もうとするのがエリーネという少女だ。

 そこには力量差など大して関係なく、余程実力が離れている場合以外は引こうとはしない。


 そんな危なっかしくて無鉄砲で。

 それでいて近距離が苦手という戦闘における明確なウィークポイントを持っていて。

 ほんの少しのことで躓いてしまう弱い子で。

 本当は泣いているのにそれを見せようとはしてくれなかった意固地な子で。

 でも今は……。


「ま、それで良いんだよ」


「ん~?」


「なんでも」


 奈々に訝しげに唸られた敏也は肩を竦め、口から漏れ出た想いを誤魔化した。

 ――これから変わっていくのだ。自分としやも、エリーネも、これから変わっていくのだから。だから、今はこれでいい。

 無理に偽る必要はない。矯正する必要もない。

 これから少しずつ違っていく。

 今居る場所ではなく、ここではないどこか。

 『今』ではない自分を見つけるのだから。

 掛け違えたボタンを一つずつ直していくように、ゆっくりと正しい自分を見つければいい。

 それがきっと、生きるということなのだから。

 だから、こちらがすべきことは促すことだ。ほんの少しだけその背を押してあげることだ。

 きっと、そうだ。


「……敏ちん、なんか満足そうな顔してるねぇ。ね、エリーもそう思わない?」


「そうですね。なんだか微笑んでいるように見えます」


「そりゃあな。この暑さの中作業して、その後で水分取ってんだからな。たった一杯でも大満足ですよ、ええ。たった一杯でもね!」


「もう、そんな遠まわしに言わなくてもおかわりくらいあげますよ。はい、コップ貸してください」


「ほい」


 エリーネに苦笑され、手を差し出された敏也はコップを手渡した。

 コップを持ったエリーネの背が台所にある冷蔵庫の前で止まった時、奈々がにやけ面でぼそりと呟いた。


「あんまり雑な照れ隠ししてると、ここぞという時に騙されてくれなくなるよぉ?」


「へいへい。気を付けますよっと」


 どうやら奈々には全てお見通しだったらしい。

 敵わないな、と思いつつ、敏也はエリーネの背中に優しい視線を向けていた。









「ところで紫苑は? 昨日ここに泊まったんだろ?」


 敏也はエリーネから貰ったお代りを呑みながら、そう訊いた。

 すると、敏也の隣に腰を降ろして同じく麦茶を呑んでいたエリーネは小首を傾げ、


「? どうして大神くんがそのことを知ってるんですか?」


「あ」


 まずい、と敏也は視線を逸らした。

 エリーネからすれば、その場に居なかった――居ていいはずがない――敏也が『昨日奈々と紫苑がエリーネの部屋に泊まったこと』を知っているのは不自然なはずだ。

 二人から伝え聞いた可能性はある――が、昨日今日という時点、そして翌日という今にそのことを敏也に伝える必要が二人にはまったくと言っていいほどにない。

 よって、二人から訊いたという線は消え去る。

 しかし、なのに敏也はそれを知っていた。それは敏也自身がエリーネを一人にしないであげてほしいと奈々と紫苑に懇願した結果ゆえであり、必然に似たものなのだ。

 だが、敏也のそういった淡い思い遣りの行動をエリーネは知らないため、やはり敏也が知っているのはエリーネにとっておかしなことなのである。

 敏也は視線を逸らしたまま、盛大に取り乱した様子で誤魔化しを始めた。


「ほ、ほら、それはあれだよ。昨日お前らとっても仲良さげにしてたから、もしかしたらそのままし崩し的にしっぽりむふふとゴートゥーヘヴン…………何言ってんだ俺」


「本当、何言ってるんですか……」


 引いた表情で戦慄した眼差しをエリーネは向けてくる。

 ぐさりと突き刺さる感覚を胸に覚え、敏也は身を逸らしながら首を横に振った。


「い、いやっ、やめて! そんな目で見るな! ちょっと言い方間違えただけだから! 誤解なんだ!」


「ぶふっ……まさか敏ちんにそんな性癖があったなんて、わたしゃあビックリだよ」


「おい、八咫神。わかってるくせに誤解を煽るのやめてくんない? エリーネ本気にしちゃうだろ?」


「……不潔です、大神くん」


「ほらぁぁぁぁーーーーっ!?」


 エリーネに嫌われてしまった? そういう人だと誤解された?

 そんな悲観が敏也の頭の中を支配し、彼の四肢から力を奪う。叫んだ後、敏也はガクリと肩を落とし、項垂れた。


「違うんだよ……ほんと違くて……。言葉の綾っていうかさ……」


「……まったく」


 と、敏也がうじうじしくしくと哀しげにしていると、隣に居たエリーネが苦笑してその頭に手を置いてきた。そのままさすさすと優しく動かし、敏也の頭を撫でる。


「……冗談ですよ。真に受け過ぎです、大神くん」


「……ホントか?」


 不安そうな眼でエリーネを伺うと、慈愛に満ちた笑みで彼女は頷いた。


「本当です。でも、先ほどの様な発言はほとほと不快ですので、今後は間違えないようにしてくださいね?」


「うんっ」


 頭を撫でられているせいか、心が穏やかな波間のようになってくる。その影響か、心なしか声音も柔らかくなり、頬も緩む。エリーネが笑顔で覗きこんできたこともあってか、こちらも笑顔で返事をしていた。


「……あっ」


 敏也が自身の表情に気付いて慌ててそれを崩したが、全ては手遅れだった。


「おやおやぁ、とーしーちーんー? 随分と幸せそうでしたなー?」


「な、なんだか今のすごく…………いえ、そんな……」


 奈々はいつものようなニヤけ面でこちらをからかってきて、エリーネに至っては少しだけ熱に浮かされたような顔で「ほはぁ」と悩ましげな溜息を吐いていた。

 そんな二人を前にした敏也は背筋がむず痒くなるような感触を覚え、それを振り払おうとするかのようにブンブンと首を乱暴に振った。


「だぁーっ! うっせぇえぇッ! もうほっとけや!」


 大声を出すことで羞恥ごと二人の声を掻き消す。そのまま荒い息を吐きながら敏也は話を元の流れに戻した。


「ほら。で! 紫苑はいねえのかって話だよ! おい!」


「やれやれ、照れ隠しが強引だねぇ……」


「八咫神、てめえは後で市中牽き回しの刑だ。俺の全速でやってやるから覚悟しろよ」


「すみませんでした。どうか勘弁を。今の敏ちんの目、マジになってる……」


 からかうような笑みから一転、土下座の姿勢になった奈々を尻目に、エリーネは敏也の質問に答えた。


「紫苑さんは朝方に格納庫のほうに行きましたよ。なんでも新装備の調整を天埜くんに任せっきりにしていたとかで、最終調整を手伝うんだとか」


「へえ、そうなのか」


 恐らく、本来なら昨日の夕刻辺りから紫苑は大河の手伝いに赴くはずだったのだろう。

 しかし、敏也がエリーネを一人にしないでほしいと言ったため、その予定を蹴ってそうしてくれたのだ。


(なんか悪い事しちまったな。今度お礼しねえと)


 敏也はそう思いつつ、困ったように頭を掻いた。

 チャンスだ。今ここで言い出すべき。いや、どうだろうか。今ここで言えば八咫神にも訊かれてしまう。それは自分にとってかなり恥ずかしい事ではないか。かと言ってこの機会を逃せばどうなるか。


「大神くん?」 


 敏也の百面相を訝しんだのか、エリーネが心配そうにこちらを見ていた。

 これは誤魔化すべきではない――そう敏也は感じていた。心はしっかり逃げようとしているが、それとは別の場所、胸の中の術式が熱く疼き、心を急かしてくる。


「エリーネ」


「なんです?」


「あのさ……」


「はい」


「……一緒に……行かないか?」


「どこへです?」


「神宮のお祭り」


「いいですよ」


「あ、軽っ。そんで返事早っ。俺の葛藤っていったい……」


「取るに足らないものですよ」


 敏也がちょっぴりとだけ落ち込むと、エリーネが悪戯っぽく笑んでいた。





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