小さな会談
「大神くん、今なにしてるんでしょう……」
学園の自室に戻ったエリーネは、遮光カーテンを閉めながらそう呟いた。
目に映るのは満月にほど近い月と小さな星々。その下には水平線と海に映し出された夜空の風景、そしてさらにその下には寮の南側にある小さな丘と大樹の姿だった。
詳しい事を話さずに姿を消してしまった敏也。今彼が何をしているのかエリーネは全く知らない。昼間の一件もあってか、掻き乱された心は心細く疼き、縋り付く存在を求めてしまう。
いけないことだとわかっている。みっともないことだとも知っている。
しかし、それでも絶対的な温もりが傍にいてくれないということは、今のエリーネにとっては堪え難いほどに怯えを生むのだった。
そんなエリーネの背中に、
「さあねぇ?」
「……心配? エリーネ」
二人分の声が聴こえ、エリーネはゆっくりと振り返った。
部屋の壁際に設置された四人掛けほどのソファ、そこに奈々と紫苑が揃って腰掛け、片方はからかうような笑みで、もう一方は無表情で居た。
エリーネを含む三人はあれからカフェで時間を潰したあと帰宅し、それぞれ荷物を片付け、それが終わった後にこうしてエリーネの自室に集まったのだ。
エリーネとしてはこのような些細な呟き程度でからかわれるのは不本意であるため、かぶりを振って否定した。
「いいえ、そんなことは……」
だが、こうして言葉で否定してはみてもエリーネは不安を拭えなかった。なにせ、肝心の敏也には前科があるのだ。
愚かにも自らを焼き、そうすることで一人の少女を救おうとした罪。
その勇敢とも、あるいは蛮勇とも取れる行いは、エリーネの眼に消えない情景として焼き付いてしまっている。
――こちらを護ろうとするように立ち塞がった大きな背。燃え滾る劫火の中、堪えるように食い縛った口元。それでも研ぎ澄まされた敵意を宿した目だけは敵を見据え続け、荒れ狂う痛みの中でも輝きを失わなかった。
そんな、状況次第では後先を顧みぬ彼なのだ。もしかすると、約束を破って一人で無茶をしている可能性は捨てきれない。むしろ、そうだと考えるのが妥当ではないだろうか。
「……」
エリーネは知らず知らずの内に胸の辺りに手をやり、心の痛みに耐えるようにそこを押さえた。
不安が心を苛み、鈍く傷めつけて来る。あるいは昼間の様な直感が彼の状況を伝えてはくれないものかとエリーネは軽く意識を集中してみるものの、何の効果もない。
と、エリーネが黙り込んでいると奈々が呆れたようなジェスチャーをした。
「ま、あの子が無茶大好き人間なのは否定しないし、心配なのはわかるけどさぁ、ここでエリーが心配で胃を痛めていても意味なんてないよぉ?」
「……そんなこと言われても……」
この気持ちはどうしようもないのだ。大切な人の身を案じることは悪ではないはずだ。
誰よりも健やかであってほしい、傷付いてほしくなどない、そう願うことに間違いなどあるはずがない。あっていいはずがないではないか。
(いえ……)
そんな感情が一瞬胸中で渦巻くも、それが的外れな批判であることをエリーネは悟り、即座に振り払う。今言うべきなのはそんなことではないのだから。
「なんだか彼は……大神くんは放っておくといなくなっちゃいそうで……それがとても不安で……」
だんだん彼は変わり始めている。ここ数ヵ月はそれが顕著だ。
ただ、それは変化という一過程に留まらず、喪失でもあるのだ。
これまでの敏也――戸惑い、嘆き、怠惰に塗れていた少年は前を向き、止めていた歩みを進め始めた。
だが、それは決別だ。それまでの自分とこれからの自分の断裂だ。
彼はもうあの彼ではない。これからの彼になる。
その早過ぎる変化のスピードにエリーネは順応できていなかった。敏也がその黒い眼差しに一層の優しさと強さを宿すたびに、エリーネは彼に置いて行かれているかのような孤独感を感じていた。そんなことはないと言い聞かせても、それでもその感覚は消えてくれなかった。
果たしてこの不安は自分の物なのか。それともギアから生み出された物なのか。
「……それで良いと思う」
ふと、そのような一言が発せられ、エリーネと奈々はその言葉の発し主である紫苑へ目を向けた。肝心の紫苑はテレビのリモコンを片手にピッピッとボタンを押し、目ぼしい番組を検索している。
「それで良いとは?」
「……言葉通り」
エリーネが訊くと、紫苑はテレビに目を向けたまま答えた。
「……人と人との関係なんて、常に変化の中にある物。今日会った人が明日には別人のように変わってしまっているかもしれない。もしかしたら自分が知らない間に死んでしまっているかもしれない。命なんて、人の繋がりなんてそんな物」
「それは……冷たい考え方だと思います」
「……確かにドライかもしれない。けどね、エリーネ。本当の意味で繋がり合えてる人たちが世の中にどれだけ居ると思う? というか、そんな人いるのかな?」
「いる……でしょう」
「……例えば?」
「…………家族、ですとか」
苦虫を噛み潰したかのような顔でエリーネが言うと、奈々と紫苑の瞳がその反応を目敏く捕えていた。が、特には言及せず、奈々は紫苑に目配せし、紫苑は話を続けた。
「……そうかもしれない。家族は一番そういう関係に近いものだとわたしも思う。けど、だとしても。家族だからって一から百まで言葉にせずに伝わるもの? 歩み寄ることもせず、譲歩することもなく、それでうまく回る家族が存在するのかな?」
「……わかりません。私には……」
「……結局わたしが言いたいのは、人と人との関係に変化は付き物で、否定してはいけないものだということ。エリーネが敏也のことを大切に思っているなら、彼の変化を受け入れてあげるべき。そして信じて待ってあげるべき。もちろんその変化が間違っていたら殴ってでも止めるべきだけど。エリーネがそうすることができたなら、きっと敏也も在りのままのあなたを受け入れてくれるはず」
「在りのままの私……」
今の自分は果たして在りのままなのだろうか。詰まらない虚勢を張ってはいないだろうか。見え透いた強がりをしてはいないだろうか。素直に感情を吐き出せているだろうか。
どうにも自信がなくなっていく。それはひとえに心当たりがあるからだ。
そうした思考の堂々巡りに陥りそうになっていたエリーネの耳に、奈々の助け船の声が聴こえて来た。
「ま、取り敢えず説教臭いことは置いといて、晩御飯食おうぜぇ♪」
「……さっきパフェを食べたばかりのはず」
「別腹別腹~♪ さ、エリー。なんか作ってー?」
ニヤついた顔でソファに踏ん反り返り、奈々は言った。その眼差しにどこか含みを感じたエリーネはこれが気遣いだと察し、心中では感謝しつつも表では呆れた素振りをした。
「わかりました。適当に有り合わせで作ってあげますね。……それと二人とも、もし今日泊まるならどちらかは布団を持って来てくださいね。来客用のものは一組しかありませんから」
「心配ご無用! わたしがエリーとぐぶっ」
奈々の顔面にリモコンを握ったままの裏拳が減り込み、紫苑がそのままで首を振った。
「……それならわたしが後でタオルケットでも持ってくる。わたしはソファでも寝れるから」
「それはお客様としては問題があると思うんですけど……」
「……構わないから気にしないで。それよりも食事の準備をお願い。なんなら手伝う」
「……わかりました。そういうことにしておきましょう」
エリーネは溜息交じりに諦め、紫苑とともに台所に向かっていった。
◆
「星……か。これだけ光が犇めきあっている街でも、見える場所では見えるものだな」
ヴィクトールは御陰神宮の社の上に座りこみ、夜空を見上げていた。
天には小さく瞬く星々。漆黒の帳の中で必死に輝くその姿は、まるで自らを取り巻く闇を振り払おうと懸命にもがいているかのように思える。
それはまるで自分たちのようだ、とヴィクトールは感慨を抱き、馬鹿にするように鼻から息を吐いた。
社の周囲及び近辺では祭りの準備をしているためか、大人たちが忙しなく動き、備品の整理や機材の点検などを行っている。取り付け作業の進捗状況を見るに、どうやら明日明後日中には開催されるようだ。
「鎮魂のための神宮、か。これだけ月日が経った今、そんな目的でここを訪れる者がどれだけ居ることか」
人は犠牲を忘れる。死者を忘れる。
それは当然のことで、仕方のないことだ。いつまでも過去の記憶に囚われていては前に進めないし、何も生まれ出でない。どうしようもないほどに不毛な思考だ。
しかし、勘違いをしてはならない。
世の人々には、死者と共に喪失の痛みを忘れてしまう者が多過ぎる。忘れていいことと忘れてはならないものを愚かにも混同し、纏めて忘却の海へと棄ててしまう者が多過ぎるのだ。
それこそが過ちの連鎖を生み出すと人は気付けない、気付こうとしない。
確かに忘れたほうが楽だ。気が軽くなるだろう。
だが、犠牲となった者たちは浮かばれない。
わたしたちはこれだけの痛みを感じたのに、お前たちは何も得ずにのうのうと生き続けているのか――そう死者たちに責められても、今の世の人間は一遍の反論すらもできないだろう。
「人は愚かだ。どうしようもなく」
ヴィクトールの中の諦観は、そうして凝り固まって絶望一色に染まっていた。
彼はもう一度夜空を見上げた後、口を開いた。
「貴様もそう思うだろう。……大神敏也」
「……気付かれてました?」
返事がしたかと思うと、人影が藪の中から飛び出し、ヴィクトールが座っている社の端から丁度正反対の位置にある端に着地した。
その人物は大神敏也。
幾分か憔悴した感があるが、それでも顔付きが少しだけ精悍さに寄ったように思える。
ヴィクトールは横目を向けた後、問う。
「何の用だ」
「少しだけお話を」
「消えろ。貴様と話すことなどない。昼間のように襲われたいのか」
「ツれないこと言わないでくださいよ。あんだけ派手にやらかしてくれたんですから、詫びっつーことでちょっとくらい詰まんない話に付き合ってくださいよ」
どうやら大神敏也は引く気はないらしい。
先ほどから愛想笑いを顔に張り付けている。が、どうにも下手な部類だ。特に目、そこが笑っていないため、腹に一物を抱えていることが瞭然である。
(そんな気分ではないのだがな……)
ヴィクトールは肩を落としながら鼻から息を吐き、身体の力を抜く。そのままじろりと敏也に視線を向け、睨んだ。
「内容による。詰まらない内容なら帰れ。興味が湧く内容なら聴いてやる」
「そりゃどうも。でも、きっと興味は湧くと思いますよ?」
敏也は軽快に笑いながらそう言って、社の端に腰を落ち着けた。そして、相変わらず目が笑っていない愛想笑いで告げる。
「エリーネのこと。そして御柱計画。この二つのことについてが主な内容っす」
「――」
「お気に召してもらえました?」
いつのまにか敏也の表情は、愛想笑いから不敵な笑みへと変わっていた。
◆
(うまく出鼻は挫けたかな?)
エリーネの名を出したのはやはり正解だったようだ。
相対しているヴィクトールは隠しきれない動揺で顔を染め、忌々しげに唇を噛み締めている。
下手をすれば昼間の様な騒動に発展してしまうのでは、と内心で心配でもあったが、その分成功した時の効果は覿面であった。
(逃げられたり、はぐらかされると困るからな)
エリーネのため、そして先ほど新たに自分の今後のためという名目までもが出来てしまった今、ヴィクトールをこの問題から逃げすわけにはいかなかった。そのための緊急措置がエリーネに関する話だった。
そして予想通り、ヴィクトールはエリーネのことをどうでもいいと思っているわけではないらしい。どうでもいいのならここまで動揺したりはしないだろうし、とっとと敏也を身体能力で振り切って去ればいいだけなのだ。もしくは最悪殺すという手段も取れる。
それをしないということは、彼の心にエリーネのことが引っ掛かっている証拠だ。
昼間はうまく誤魔化していたようだが、突然の敏也の来訪に心構えが出来ていなかったのかもしれない。
いずれにせよ好都合。この機会を逃す手はない。
「……いいだろう。話せ」
敏也が笑んだままで居ると、ヴィクトールは顰めていた顔を緩め、詰まらなそうに視線を街の方角へと戻した。
「じゃ、遠慮なく」
敏也もそれに習い、視線を夜景へ。
「全部聴きました。エリーネのこと、そして計画のことも」
「誰からだ?」
「察しては付いてるんじゃないですか? たぶん、俺よりあなたのほうがあの人のことを知ってると思うんですけど」
「……あいつか。まったく……先回りか、それとも追い掛けてきたかは知らんが、どちらにしてもお節介な事だ」
「そう言う割には嬉しそうっすね?」
「当然だ。あれはわたしの最愛にして自慢の妻なのだからな。あれは、この世でこれ以上の女は居ないとわたしに思わせるほどだ。それに、愛しい存在に感けて貰えることほど嬉しいことはあるまい」
敏也が呆れ気味に半眼で訊くと、ヴィクトールは間髪入れずにそう言い放っていた。
どうやらヴィクトールは厳つい顔付きや肉体に反して結構な愛妻家らしい。隠しきれない感情が表情を作り、昼間見た怒りに染まった鬼の様な男とは違った印象を抱かせる。
(でもなぁ……)
クリスがさっきふと漏らした内容によると、最近仕事ばかりで全く構ってくれなくて寂しいらしい。あのクリスがぶちぶちと愚痴を漏らしてしまうほどなのだから、相当の期間家を空けているのだろう。
つまりは、家族を蔑ろにしている。もしくはそう揶揄されても仕方ない振舞いを最近はしているということだ。
(だとするとまだ信用はできないな)
その点を踏まえると、ヴィクトールが良い人間だとそう断定するのは早計だ。まさかあのクリスが慕っている相手なのだから大丈夫だろう、と一応は保証もあるのだが、それでも自らの意思で判断しなければ正しい評価などできるはずがない。
敏也は油断ならない眼差しを愛想で隠し、話を続ける。
「あなたは……エリーネを計画の実験体に推した事、後悔してないんですか?」
「後悔などするはずがない。詰まらんことを訊くな」
「っ! ……なぜ……なぜなんです! なんであの子をこんな計画に巻き込んだ! あの子を辛い現実に立ち向かわせて戦わせるため? 世界を護るため? ……それともマキナを斃すためかっ!?」
「……馬鹿め。どれも違うに決まっている」
敏也が溜まった鬱憤に身を任せ怒鳴り付けると、ヴィクトールは首を振りながら空を見上げた。
星の光が降り注ぎ、月夜の灯りが一帯を照らし付けている。
「言い訳はある。取り繕いもある。表面上では死んでいった仲間たちのため、祖国のため、護れなかった者たちのため、そんなお行儀の良い仮面を被っている。――だがな、大神敏也」
その視線が、上げられたままの顔から敏也へと移る。
「本当はな、わたしは世界などどうでもいいのだ。平和など興味もない。そんな綺麗なお伽話など実現不可能だとかつての戦争から学んだからな。ただ…………わたしはただ家族が……エリーネに幸せで居てほしいと、そう願っているだけなのだ」
全てはただ、彼女のために。
その感情は敏也とて同じ事だ。ゆえに、じんじんと疼くような感覚の中、敏也は訊いた。
「……全部……エリーネのためだって言うんですか? マキナを斃すための力を与えたのも。あの子を日本に送り出したのも?」
「そうだ」
ヴィクトールは肯定したあと鼻で笑い、見上げままだった顔を平常に戻した。
「マキナが蘇れば世界は滅ぶ。奴の感応波は膨大だ。過去の実験では多重装甲や高層結界で実験区画を覆っていたにも拘わらず、奴の感応波はそれを容易く突き破ったそうだからな。それほどの感応波が世界に漏れ出したとすれば、魔力をほとんど持っていない一般人であろうと強大な戦闘能力を持った魔術師であろうと関係なく、精神を汚染されてしまうだろう。その先にあるのは――」
「破滅。際限無く人々が貪り合う地獄の顕現……ですよね? クリスが言ってましたけど」
「ああ。マキナの精神は度重なる非人道的な実験と研究者たちの淀んだ感情によって歪んでしまっているからな。そして奴の発する感応波もそれの影響を受けている。恐怖、絶望、狂気、憤怒、あらゆる負の感情に染まった黒き想いの刃、そんなものに触れればどうなるか、考えるまでもあるまい」
それはコップの中の水に黒色の絵具を加えるようなものだ。一滴までならそう染まりはしないだろう。溶けてほとんど見えなくなってしまうだろう。
しかし、その量が膨大であったなら?
丸ごと一本分混ぜ込むようなことになれば?
そうなればただの水など一瞬で黒く染まってしまう。何の抵抗もできず、黒一色に染まりきってしまう。
マキナの感応波はそれと同じなのだ。人の精神を病ませ、染め上げる。それによって自身の尖兵を生み出し、世界をその手中に治めることができるほどの力を持った悪性兵器。
「あと何年……それとも何十年か、マキナを捕えている封印が持つかわからない。そもそもマキナを造っていた研究所の所在は、当時の政府が諸々の書類を抹消し、隠蔽してしまったため不明。かつての研究員の生き残りの一人を捕えることには成功したが、そいつが言うには碌に説明もないまま連れて行かれ参加させられていたらしく、詳しい場所まではわからないそうだ」
「マキナが眠っている場所はわからない。だからもし蘇ったとしてもそれに対抗できるよう世界は――日本とドイツ共和国は感応能力者の人工的な開発に着手した。他の国々も裏では感応能力に関する研究を進めている」
「そうだ。奴の感応波に対抗するためにはこちらにも感応波が要る。そのための共鳴者。そのための術式ギアだ」
クリスから聴いた内容に間違いはないらしい。ヴィクトールが先ほどから否定してこないのがその証拠だ。
敏也は手で頭を支え、俯く。
(ほんとは少しは否定してほしかったんだけど)
マキナという悪性兵器。魔動機の原型。いずれはそれと戦うために調整された魔術師、それが自分とエリーネだという。
荷が重い、というのが敏也の第一の感想。そして、エリーネにそんな危険な真似をさせたくない、というのが次に溢れて来た感情だった。
苛立ちが沸々と煮立ってくる。腹の下辺りがカッと熱くなってくる。
「結局、大人の尻拭いを俺たちにさせたいってことですよね?」
「それをさせられているのはわたしたちも同じだ。先人たちは良い事ばかりを残してくれるわけではない。いや、むしろ悪い事のほうが多いだろうな。それに苛立ちもする、哀しくもなる。人はここまで愚かなのかと、先を見据えることができない愚物なのかと、そう諦観したくもなる。だが――」
「だが……なんです?」
敏也が促すと、ヴィクトールは笑った。同時に、嗤ってもいた。
自らと世界、あらゆるものが愉快だと、それと同時に下らないと侮蔑もしている。しかしそれ以上に瞳の奥にあるのは、どんな暗闇にも塗り潰せない眩い光のようにも見えた。
それはまるで、この世界で光を見つけた自分のようではなかったか。
「……だが、それでも全てがそうだというわけではない。ゴミのように溢れている人々の中にも、自分にとって宝石のように輝く存在は必ず居るのだ。……わたしはそれを見つけた。だからどれほど諦観に支配されようとも歩いてきた。愚者の荒波に呑まれたとしてももがいてきた。それはひとえに、大切な存在のためにだ」
その言葉に、敏也は小さく笑む。
「誰かのために、ですか。良いですね、そういうの。綺麗な言葉よりよっぽど信用できます」
「ああ、同感だ」
取り繕いの無い言葉は時に耳障り。痛烈に心を痛めてくることもあるし、足を挫かれることもある。
だがそれゆえに歪んでいないのだ。余計な装飾が付いていないからこそ自重で曲がることも無く、ただ真っ直ぐに立ち並んで居てくれる。
たゆまぬ想いこそ力。それこそが繁栄の軌跡を描くもの。
「ゆえに『御柱』。この計画名は、どんな過酷の中でも折れ曲がらぬ強き者。暗黒の中でも輝きを失わぬ眩き者を生み出すとして、そんな小さな願いを込められて名付けられたのだ」
「……それはきっと……エリーネのことですね」
「ああ、そうだ。貴様はあれに足りぬ部分を補うための部品、補助器具だ。それと同時にどちらか一方が間違わぬよう歯止めを掛ける意味合いもある」
「歯止め? ……ああ。ギアは両方揃って始めて力を発揮しますからね。一方の意志だけでは起動さえしない。だから歯止めに成りうるってことですね?」
どちらかが選択を誤った時、片方がそれを止めるストッパーになる。起動プロセスを両者が行わなければ起動できない――そうした術式ギアの特性、あるいは欠陥を利用した安全装置。
そうした関係が博士が望んだ共鳴者の理想の形ということだろうか。
「うむ。……貴様が共鳴者の片割れとして選ばれたと知った時、耳を疑ったものだ。あれと同調させるならもっとマシな人材は山のように居ようものを……」
遠慮の全くない酷い言い分に辟易とするが、どうやらヴィクトールはまだ言い足りないらしい。敏也はしかめっ面で黙って聴き耳を立てた。
「クスノセが情報を出し渋っていたのも納得だ。こんな塵のような男が同調相手だと知っていれば即座にあれを連れ戻したものを……」
「あはは……なんかすいませんね、こんなやつで。……俺が相手だって何時知ったんです?」
「貴様たちに術式を埋め込んだ後だ。奴め、施術終了の報告と同時に、ご丁寧に貴様の過去の経歴、そして学園生活の詳細データに顔写真付きで送って来たぞ」
と、そこまで聴いた敏也は冷や汗を流し始め、身体を震わせた。
「……あー……それってつまり……?」
「貴様の一年次の酷い成績情報も添付されていたということだ、ゴミめ。なんだあれは。児戯でもしているつもりか? 諸々の教科は辛うじて平均点。魔術の実技に至っては基礎攻撃魔術は当然のように全て不発。加えて生徒間の模擬戦では全戦全敗。よくあれで二学年に上がれたものだ、褒めてやろう」
そこには槇ちゃん先生に土下座して拝み倒し、悲惨な成績でも進級するために必要になる物だと言われた一般科目の追加レポートや、対魔動機戦闘な上に実力差のせいでサンドバック状態という実技の補講があったりしたのだが、あまりにも悲惨なためそれは隅に置く。
「うぐっ……い、今はもうちょっとマシですから! 最近頑張ってますから! ……魔獣騒動のせいで期末試験消滅しちゃって披露できませんでしたけど……」
そうなのだ。交易都市での一件以後、魔獣騒動前までの間の数週間は、それまでと違ってやる気を出して授業に取り組んでいたのだ。
――その真面目な佇まいたるや、数学担当の渋めの教員に「熱でもあるのか? 病院行け」と心配されてしまったほどだ。まず保健室を勧めてほしい、とは敏也の談。
――実技の教官からは「お前もやっと筋肉に目覚めたか!」と何やら意味不明なお褒めの言葉を頂いた。ちなみにこの教官、学園防衛戦では大活躍だったそうだ。
――槇ちゃん先生に至っては「交易都市ではよっぽど頭を強く打ったんですねぇ♪」と辛辣なお言葉を頂いてしまっていた。目だけは察している感を出している辺り、恐ろしい人である。
なんにせよ、そうまで評価されるほどに心を入れ替えて勉学に向かっていたのである。
もちろん、そこに『エリーネに良い所を見せたい』という当時では無意識かつ邪な想いがあったことは否定できないのが敏也としてはしょっぱい思いだったりするのだが、はてさて。
そういったわけで、披露する機会を失ってしまったがために過去の成績で責められると、歯痒さを感じてしまうところだった。
「そう、全部あのテロ組織が悪いんですよ! ……今度会ったらぶっ殺す」
「意気込むのはいいが、『キメラ』の構成員は国際指名手配されているほどに凶悪な人員が多く、なにより頭はあのクレインだ。運良く出会えたとしてもそう簡単には倒せはしまい」
「あのクソジジイを知ってるんですか?」
「ああ、知っている。かつては同じ陣営に所属していた仲だ。まあ国は違ったうえに会う機会もなかったがな。奴は米国の魔動機の装備に多大な影響を与えた人物でもある」
「へぇ、そんなやつがなんでテロに……」
「それと同時に、やつはマキナを生み出した科学者の一人でもある」
「!」
年齢、そしてあの狂気に染まった口調、それらからある程度は予想していたことだったが、それでも驚かずには居られない。そして同時に怒りが込み上げてくる。
「……なら納得です。あいつが狂わなかった科学者たちの生き残りか、それとも狂った科学者たちのほうの生き残りかはどうでもいいですけど、これで殺す理由が一層固まりました」
「一層……か。そうだな」
ヴィクトールはそう返事をすると、なにやら腕を組んで黙りこんでしまった。
ちらりと視線を向けて見ても、ヴィクトールの視線は御陰市のほうに向いたままでこちらを見ようともしない。敏也には今彼が何を考えているのか察する事はできなかった。
黙って次の言葉を待っていると、ヴィクトールが面倒そうに一言発した。
「……昼間のことは謝罪しよう」
「………………うぇっ!?」
「……なんだその反応は。今度こそ殺されたいのか?」
「いえいえいえ、そんなことは!」
半眼とひくつく眉で睨み付けられた敏也は首と腕をブンブンと振って否定。そして、ごほんっ、と咳払いして気を取り直し、
「……急にどうしたんです?」
「……いや」
訊かれたヴィクトールは視線を彼方へやり、その眼を細めた。
「昼間貴様を襲ったのは、今になって思えばやり過ぎだったかと反省したまでだ。いくら貴様が身勝手で傲慢で、この世の吹き溜まりに舞っているようなカスだとしても、何の話も無しに排除しようとしたのは早計だったかもしれん。……エリーネの反応から察するにな」
「お父さん……」
「貴様……ッ!」
「ち、違います! 今のは『エリーネのお父さん』って意味です! 『義理のお父さん』って意味じゃないです! 日本語ムーズカシイ! オーケー!?」
瞬時に表情を憤怒に染め上げて睨んできたヴィクトールに対し、また昼間のように殺し合いに発展してしまってはたまらないと、敏也は慌てて誤解を解いた。
「と、とにかくですね! ……あなたはエリーネと少し話をするべきだと思います。今まで隠していたことと、これからのことを含めて」
「計画のことを話せというのか?」
「それだけじゃありません。あなたがどれだけあの子のことを大切に思っているか、そのためにどんな決断を下したのか、その全てを話してあげてください。そうしてくれれば、あの子はきっと理解してくれますよ。あなたの苦悩も戸惑いも、……あの子への愛情も」
「……フンッ、小僧の分際で粋がった物言いをするものだ。傲慢だな」
敏也が必死に気持ちを伝えると、ヴィクトールは馬鹿にするように鼻で笑っていた。
しかし、かと言って突き離すような感触ではない。これは自分自身に対する呆れと苛立ち、そしてそんなことを年下である敏也に諭されてしまったことへの子供じみた反発だ。
ヴィクトールは再び空を見上げ、星々へと目を移した。
「……貴様のような若輩者の言葉がこうもすんなりと心に沁み入って来るのは、やはり権能の力が影響しているのか。それとも別の何かか?」
「さあ? 単にあなたが歳を取ったってだけかもしれませんよ?」
「口の減らん小僧だ」
「それだけが取り得なもんで」
そして言い終わった後、両者は小さく笑っていた。




