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双天の共鳴者  作者: 月山
第三章「シンフォニック・アソシエイション」
90/126

おとうさんと呼ばないで

 まるで砲弾が直撃したかのような音がした。そして次の瞬間には、事前に爆薬でもセットしていたのかと思うような現象が敏也を包み込み、さらには弾き飛ばした。


「うおぉぉぉぉっ!?」


 炸裂した煙の中、敏也は衝撃に身を任せ、ビルの屋上を転がった。

 あの一瞬、少しでも身体を逸らすことが遅れていたら、弾け飛んでいたのは屋上の一画ではなく、敏也自身の身体だっただろう。


「冗談じゃねえ! クリスの嘘吐き! 俺にもどうにかできる『問題』だって言ったじゃん!」


 転がり終えた後、半ベソを掻きながら敏也は立ち上がった。

 クリスが昨日言っていた内容では、敏也の力と他に協力者がいればなんとか出来るというようなものだったはずだ。


 しかし、現実はどうか。

 ただ殴り付けただけで屋上が爆ぜるような、そんな超常をさらに超越してしまったかのような力の持ち主が件の『問題』であるなど、詐欺にも程と言うものがある。

 一撃でも喰らえば即アウト。そのような出鱈目な相手だとは訊いていない。

 たとえ仲間が数人いたとしても必ずしも勝てるとは限らない。その上、少なくとも敏也の力では真っ向からは太刀打ちできそうにない敵である。


「あー……もうやだ……おうち帰りたい……エリーネ~……」


 敏也がそんな情けない弱音を零し、救いを求めるようにエリーネの名を呼ぶと、


「男が情けない声を出すな、ゴミめッ」


 そのような罵倒が飛び、晴れ始めた煙の中から先ほどの男が姿を現した。

 その姿は変わりなく、冗談のように筋肉まみれだし、その眼は敏也を憎々しげに睨んでいる。


 だが、敏也が最も気にしていたのはそれらではなく、その髪の色。見慣れた銀。

 そして、昨日クリスから伝え聞いた情報。――家の問題。エリーネにはできれば伝えたくないこと。そして大事おおごとにはしたくないこと。過去、エリーネを溺愛するあまり男児を殴りつけようとした父。

 それらが意味する答は。

 クリスが示唆した『問題』の真実は。


 敏也は青い顔をし、冷や汗をだらだらと流し、プルプルと震える指先を向け、


「……あの、もしやあなたさまは…………『お父様』?」


「ッ! 誰が『お義父様』だッ! このゴミがァァァア!!」


「違ーう!? たぶん漢字か意味が違――うおぁぁ!?」


 敏也が咄嗟に横へと飛ぶと、その直後には先ほどまで居た場所が爆裂していた。無論、エリーネの父と目される人物が再び超人的な身体能力を発揮し、破壊したせいである。

 敏也は転がるようにして距離を離し、必死に説得を試みる。


「待ってください、『(エリーネの)お父さん』! 何か誤解があるんです、『お父さん』! 落ち付いてください、『お父さん』!」


「貴様ァァァ! 一度ならまだしも三度も! 気安く『お義父さん』『お義父さん』とッ!! この掃溜めのゴミ風情が!! 余程惨たらしく死にたいらしいなッ!!」


「え、えぇー……? 酷い言われよう……しかもなんか擦れ違っちゃってる? 誤解が誤解を生んでない?」


 なぜか先ほどよりも怒りの念を増したエリーネ父……と思われる人物。

 外敵へいだいている忌々しさを両拳に込めて握り込み、肌を刺すような魔力を放出し始めたその人物を、敏也は後ずさりしながら警戒している。


「うっわー……こりゃすげぇ……。RPGのラスボスって言われても信じるね、うん」


 ビリビリと空気を振動させるほどに裂帛したこの魔力の波動を受けていると、そのうち身体が砕けてしまいそうだった。

 そう思ってしまうほど、禍々しいほどに怒りに染まった気配を放っているのが目の前の人物なのである。こうして軽口を叩いていなければ、即回れ右をして逃げ出してしまうと敏也に思わせるほどに恐ろしい人物がエリーネ父なのである。

 いろいろと限界な敏也はビシッと手を挙げ、声を張り上げた。


「わたくしは無実です!」


「死ね」


「ですよねー。――では逃げます!」


 途中から身を翻し、敏也は逃走を始めていた。命辛々とでも言うのか、猛速で屋上を駆け、手すりへと飛び乗ると、それを思い切り蹴り飛ばし、身体を浮かせる。

 それまでいたビルの向こう側に横たわっていた大通りを飛び越え、長い滞空のあと道の向こう側のビルの屋上へとなんとか届かせることが出来た。両足で着地しつつ衝撃を緩和するために滑り、ブレーキを掛けながら背後を肩越しに見やった。


 もちろん、大通りの宙には追い掛けて来たエリーネ父の姿があった。しかも、今しがた敏也が飛翔した時とは比べ物にならないスピードで飛来している。その速度は戦車砲の弾かと見紛うほどのものだ。

 凶悪な笑みを浮かべたエリーネ父が、今にもこちらへ到達しそうだ。


「あんなのやってられるか! こなくそぉ!」


 敏也はやるせなさを有りっ丈込めて叫び、再び走り出した。そのままビルから飛び降り、路地裏に着地。ゴミ箱や不法投棄物などを避けつつ走り去り、大通りの歩道へと辿り着く。

 そして、歩道を歩く人と人の間を駆け抜けつつ、敏也はビルの上を見上げた。


「うげっ」


 そこには、爛々と憤怒を宿した眼でこちらを見降ろし、オフィスビルからオフィスビルへと飛び移るエリーネ父の姿が見えた。どうやら付近に一般人がいることを気にしているらしく、攻撃は行ってこないし、飛び降りても来ない。


「モールの入口では襲ってきたくせに……」


 とは思うが、よくよく考えてみればあの時は入口付近に『一般人』と呼べる人影は丁度なかった。居たとしてもほど良く離れた場所だったし、たとえ入口が爆発したとしても一般人たちがそれほど被害を被るような状況ではなかった。


「一応周りに配慮してんのか。付け入る隙としてはそこかな……?」


 どうやら、エリーネ父は敵対者に対しては容赦がないが、だからといって周囲の人間を無差別に巻き込んでまで排除しようとするほど頭の螺子がとんだ人物ではないらしい。もっとも、街中で堂々と人を殴り殺そうとしてくる時点で、まともとは言い難いのだが。

 それに、割れたタイルなどの物的被害の修理費や警察への対処はどうするつもりなのかと心配にもなる。まさか、そこまで考えが至らずにカッとなって襲ってきたとは考えたくも無いが、エリーネという時折無鉄砲さんの前例があるゆえに、その可能性は払拭しきれない。

 ただ、


「まあわからない事はないけどなぁ。エリーネみたいに可愛い娘がいたら」


 蒸し暑さの中を走りながら汗を流し、敏也はどこか共感めいた感慨を抱いていた。

 想像してみるに、もしも自分に、目に入れても痛くないほどに可愛い娘が居たとしたらどうだろうか。そんな娘に、下卑た笑みを浮かべて近寄ってくるオスが居たらどうだろうか。


「うん、海に沈めるわ」


 うんうん、と頷いて、敏也はどこか得心がいっていた。殺されても文句は言えまい、だとか、こうなるのも止む無し、と思い掛けてしまうほどに納得してしまえていた。

 だが、今現在その標的となっているのは自分だ。ゆえに、むざむざ殺される気など蚊ほども無い。それに、エリーネに迫っている危機とやらがあの人物のことならば、こちらを撲殺した後、彼女にどういった仕打ちをするのかわからずに力尽きるわけにはいかない。

 もしもエリーネを傷付けるような真似をあの父親がするのであれば、敏也としては断固として立ち向かう所存だった。たとえ襤褸布ぼろきれにされようとも喰らい付く思いだった。


「とにかく話をするにしても、周りに被害が出ないところでだな」


 ちらりと視線を向け、エリーネ父がまだ虎視眈々と機を伺いつつ付いて来ているのを確かめる。

 取り敢えずの方針が決まった敏也は、海の在る方角へ進路を向け直し、できるだけ人の多い箇所を通りながら速度を速めた。

















 その頃、エリーネはうつらうつらと船を漕ぎながら、映画館の一席でスクリーンを眺めていた。

 スクリーンで明滅しているのは、なにやら芝居がかった口調で愛を囁き合いながら抱き合っている恋人たちの姿だ。二人はどうやら窮地に立たされているらしく、これが最期かもしれないらしい。

 しかし、エリーネとしてはそれに大した感慨を抱かず、退屈に思っていた。


(もう少し自然に愛を囁いてくれればワクワクするんですけど……)


 冷めたやつと思われてしまうかもしれないが、こうした緊迫した場面では短く簡潔に愛を伝えた方がリアリティがあるし、相手に真っ直ぐ伝わるのではと思わずには居られなかった。それまで中々に白熱した展開が続いていたために、余計にそう感じてしまっていた。

 もちろん、娯楽たる映画に現実味を求めるのは本末転倒だという思いはある。しかし、かといって恋愛という現実でもあり得る光景をシーンに挟まれると、そういった無粋な思いが沸々と湧き上がらずにはいられなかったのだ。

 同じく、恋愛というまごついた想いに縛られ掛けているエリーネなら尚の事、である。


 スクリーン上では、愛を囁き終わった二人が口と口を近づけようとしていた。


(大神くんならこういう時どう――って、何考えてるんでしょう私)


 ぶんぶんと頭を振って、浮かび掛けた妄想と頭を取り巻いていた眠気を掃う。その動きを何事かと思ったのか、隣に居る紫苑がちらりと低温の視線を向け、問うてきた。

 エリーネは、なんでもないです、と口に出さずに首を小さく横に振って意志表示。

 そして、紫苑がスクリーンに目を向けた直したのを見ると、小さく息を吐いた。


(さっきは思わず白状しちゃいましたけど……)


 敏也へ淡い気持ちを抱き掛けていることを思わずしゃべってしまったが、それは早計だったのではとエリーネは思い掛けてもいた。

 確かに、奈々と紫苑は言葉通り、エリーネに似合う水着を真面目にあれこれ思案し、選んでくれた。それをエリーネ自身も気に入り、ついつい購入してしまっていた。

 茶化す目的ではなく、心配しているからこそそうしてくれたのだ、とエリーネもわかっている。ただ、心のどこかが引っ掛かり、否、手を伸ばしてどこかを掴み、安堵の中に沈むのを拒んでいた。


 本当は嘘なのではないか。後で手のひらを返すのではないか。


 そんなことを考えてしまう自分の事をエリーネは酷く情けなく思ったし、いけないことだと自覚もしている。しかし、幼い頃に心に刻まれた傷は、そう簡単には払拭できずにいた。

 そんな胃が痛むようなことを思い、最終決戦が始まったスクリーンをぼんやりと眺めていたエリーネの脳裏に、ある閃きが走る。


 誰かが、呼んでいる。


「……大神くん?」


「……? どうしたの、エリーネ」


 呟いたエリーネに、その微かな声量に気付いたのか、隣に居る紫苑が小声で伺ってくる。

 エリーネの脳裏では、何やら警鐘が鳴っていた。

 救いを求められている。助けを欲している。誰かが、大神敏也が呼んでいる。


「大神くんが……泣いてる?」


「……なに? 聴こえない」


 映画の大音量のせいでエリーネの小さな声は届かない。紫苑が少し声量を上げて訊いて来るが、それが耳に届いていないのか、エリーネの青い瞳はスクリーンを――その向こう側を見据えているかのように遠い。


「……行かないと」


 なにやら焦燥感に支配されたエリーネは、荷物を預けたロッカールームの鍵をハンドバッグから取り出して紫苑に渡すと席を立ち、通路側に座っていたことをこれ幸いと階段を急いで下りだした。上映中であるため非常灯ぐらいしか足元を照らすライトがないなか、スクリーンの明滅を頼りに駆け降りる。

 紫苑の向こうの席で爆睡していた奈々も異変に気付いたらしく目を覚まし、紫苑ともども慌てた様子で席を立ち、エリーネのあとを追いかけた。


 戸惑う職員を尻目にエリーネは出口の扉を開き、通路を駆け、映画館を飛び出す。


「大神くん……っ」


 エリーネの中では、彼の危機を知らせる何かだけが動き続けていた。






















 大神敏也は肉体強化の恩恵に身を任せ、地を限界まで蹴り、大きく飛び出した。

 着地したのは、海沿いに長く敷かれた歩道。言うなれば広場。所々に真新しい漆塗りのベンチが並び、手すりはオシャレに所々が湾曲したかたちだし、そのことからここがそれほど古くはないことがわかる。

 ここから見えるのは波打つ海と、街の風景、そしてもう少し向こうにある浜だ。


 あちらの浜は遊泳が許可されている場所であるため、そのうえ今が夏場であることもあってか、泳ぎに来た客で賑わっている。それに反比例するように、こちらには全くと言っていいほど人がいない。

 熱の日差しが照り付けるだけで日除けもないこの場所に、人が集まるはずもなかった。

 そしてそれは、敏也の目論見通りでもある。


「ここなら、誰も巻き込まずに済む」


 敏也がそう安堵すると、その背から十メートルほど離れた付近にエリーネ父が飛び降りて来るところだった。

 地鳴りのような着地音がしたことからして、どうやらビルの上からここまでダイレクトに訪れたようだ。いくら飛び降りたビルがそれほど高くなく、肉体強化があるとはいえ、クッションをまったく挟まずに数十メートルを降りて何のダメージもないなど、彼の身体能力はかなり上位に位置するものらしい。

 敏也は辟易とする思いで背後を振り返り、頬を掻いた。


「えっと、取り敢えず話を訊いてくれませんか? 俺を殺すのはそれからでも間に合うでしょう?」


「時間稼ぎのつもりか? 警察が来るまで? 治安維持部隊が来るまで? どちらにしても無駄なことだ。どれだけの戦力を持ってこようとも、わたしの前では有象無象に過ぎん。わたしを止めたければ、鬼術部隊か鬼甲部隊でも掻き集めてくるのだな」


「……自信すげー」


 仮にも、鬼術・鬼甲部隊は日本のエリート部隊だ。そのどちらに所属している者にしても、養成機関を首席で卒業した者か、模擬戦・実戦を問わず優秀な結果を残した者たちばかりなのである。

 ゆえに、軍の中でも彼らの地位は高位に位置し、中でも鬼術部隊のメンバーはその全てが高位魔術師に認定されているなどという、規格外の集まりだ。そんなバケモノじみた連中を相手取れるとエリーネ父は言う。

 それはまさしく、自身もそのレベルだと信じて微塵も疑っていないという証拠だ。


 大神敏也が勝てる可能性は、またしても小さくなってしまった。

 だが、敏也は逃げない。


「お言葉ですが、俺はあなたと戦うつもりはありません。それに、通報をする気もありません。たぶんですけど、あなたはエリーネのお父さんなんでしょう? なら俺があなたと戦う理由なんてもっとなくなる。さっきは襲われてびっくりしたけど別に恨むつもりはありませんし、あなたは何か誤解をしているんです」


「誤解……だと?」


 敏也の冷静な窘めに、エリーネ父の眉が立つ。それを見て敏也は、うっ、と息を呑む。

 気に障るようなことを言った覚えはないのだが、なぜエリーネ父が眉を吊り上げて、またしても怒りの念を全身から迸らせて始めたのか、それが敏也にはわからなかった。

 その答は、彼の口から知らされた。


「誤解であるものか! 貴様が魔獣騒動の折、無様にもエリーネアレを護れず、傷付け、泣かせたことはとうに承知! 貴様はアレの『付属品』であるにも拘わらずアレを護れなかった! なのに貴様はのうのうと生きている。わたしはそれが許せんのだ!」


「……」


 その言葉は、身に突き刺さる思いだった。

 エリーネを護れなかったこと。それは事実で、拭い去れない罪だ。法で裁くような罪ではなく、心の罪。いつか、いつか強くなれた暁にようやく償いきれるような、果てない罪だ。

 その咎を捨てたわけではない。それを忘れてのうのうと無様に生き延びたわけではない。しかし、こうも真正面からそのことを責められるのは、これが初めてだった。そのせいで、敏也の思考は一時的に麻痺してしまっていた。


 エリーネは、確かに責めて来た――しかし、それは単にこちらを心配してのことだ。

 クリスは逆に褒めてくれた。よくエリーネを護ってくれたと、そう労ってくれた。

 博士も、責めはしなかった。呆れてはいたが、こちらの無事を喜んでくれた。

 マサルや、奈々や、大河や、紫苑も、春美も、薫も、誰も敏也を糾弾まではせず、説教をすることはあっても、あの無謀な行いに関しては特段責めはしなかった。


 だが、今目の前に居る人物は責めて来る。あれは紛れも無く大罪だと、力がなかったことは罪なのだと、そう敏也の心の呵責を駆り立てて来るのだ。

 敏也は拳を握り込んだまま、何も言えないでいた。


「満足か? 自分に酔って命を投げ出したのは。心地良かったか? 誰かのためだと言い訳しながら死に向かって突き進んだのは。――その結果がアレの涙だッ!! 貴様はどれほど傲慢で惨めな男なのだ、このゴミ屑がァッ!!」


 その罵倒を訊いて、敏也は自身の頭の中で血管が切れる音を聴いた。

 勝手なことを言うな、あんたにそんなことを言う資格があるものか。敏也の脳裏に浮かぶのは、寂しげな目をして果てない空を見上げるエリーネの姿だった。


「ふっざけんな! このクソ親父がッ! 大切な一人娘を留学させておいて、非常時には何も出来なかったくせに偉そうに! あいつがこっちでどんだけ寂しい思いをしてたか、あんた考えたことあんのか!? それに言われなくてもわかってんだよ、んなこたぁ! つい昨日もそのことで泣き喚いたばかりだよ! 悪いか!!」


「開き直るなゴミ風情がッ!! 男が泣き喚いたなど、堂々と言うことではあるまい! 恥を知れ! そもそも騒動の最中は空路も海路も分断されていた! ああ、わたしとて来れるものならそうしたに決まっている! しかし、我が国も魔獣の被害を受けていた! そんな中、家族や同胞たち、それらを放って違法入国などできるはずがなかろうが!! そんな状態でどうアレを護れというのだ!! 答えてみろ、考え足らずのゴミガキめッ!!」


「んなの、あいつのためならどうにかできるだろうが!! 言い訳ばっかのへたれ野郎ッ!!」


「貴様程度に言われたくはないッ!! この口先ばかりの未熟者がッ!!」


 そして、お互いの言い分に両者のこめかみがひく付く。


「黙れッ!!」


 二人は同時にそう叫ぶと、拳を握り込んで前へと駆け出した。己の心が命ずるままに、この目の前にいる気に喰わない相手を殴り飛ばしてやろうと、拳を振り被る。

 それらは加減なくぶつかり合う。

 拳と拳にプレスされた空気が弾け、振動し、破裂し大気が周囲に拡散。さらには、先ほどの警官とエリーネ父のぶつかり合いと同様に、身体を駆け抜けた衝撃が足を通り、地面を粉砕する。


「ぐっ……!」


 だが、敏也の力量は未だ低レベル。さっきの警官のようには張り合えるはずもない。エリーネ父に対抗するために制限無しで強化を掛けた身体が悲鳴を上げ、特に、迫り合っている右腕は時折引き攣ったかのように怯む。

 しかし、それでも拳を引かず、拮抗する。この男にだけは負けるわけにはいかないと、負けたくないと、そう敏也は思い、壊れかけた心と体で立ち向かう。


「生意気な……付属品風情が刃向うな!!」


 突然顔に激昂を示したエリーネ父が身体に力を込める。すると圧倒的な魔力が身体から立ち昇り始め、その体躯を覆う。変換前の魔力は基本的に不可視であるにも拘わらず見えるほどになっているということは、破格の魔力量を用いてそれを漲らせているということだろう。

 ミシッ、と右腕から嫌な音が鳴った。

 敏也の耳がその音を捉えた時、その身体は後方へと吹き飛ばされていた。


「が……っ!」


 そして、気が付いた時には背後数メートル先ににあったはずの手すりに背から突っ込んでいた。手すりが、突っ込んできた敏也による衝撃で撓み、無残にも曲がる。手すりが折れず、背に突き刺さらなかったのは不幸中の幸いだ。


「う……ぁ」


 脳が痛みのせいで明滅を繰り返す。何が起こったのか理解が追い付かず、その困惑すらもが脳を掻き乱し、意識を奪おうとする。しかし、今この時に意識を失ってしまえば殺されてしまう。それだけは駄目だ。敏也は気力を振り絞り、意識を失うまいとする。

 叩きつけられた背と跳ね飛ばされたことで痺れた右腕の痛みで揺れ動く視界の中、エリーネ父がゆっくりとこちらに歩んで来ていた。


「欠落者如きがわたしに敵うはずがあるまい。その程度もわからんか、ゴミめ」


「欠……落者?」


「そうだ。貴様のように魔力を持ちながらも扱えぬ魔術の領域がある者、それを研究者たちは欠落者と呼ぶ。読んで字の如し、足りぬ者だ、貴様は」


「……は……はは。そう。そっか。……ニーナが言ってたことは……ある意味本当なんだな」


 納得がいった様子で敏也は笑い、空を仰いだ。


「何がおかしい?」


 エリーネ父が四メートル近くまで迫り、問うてくる。

 それを見た敏也は空を見上げるのを止め、右手のひらを前へと伸ばした。


「いや? ――実力があるやつって、みーんな迂闊だなって」


「!」


 敏也の様子がおかしい、どこか余裕がある。気付いたエリーネ父が地を踏み締め、一時的にその場を飛び退こうとする。それと同時に、敏也の口元が言葉を紡いだ。


武装魔術アナライズ、始動」


 その瞬間、エリーネ父の上方に四本の飾り気のない剣が出現。それらは重力に任せるままに落下し、エリーネ父へと突き刺さろうとする。

 だが、エリーネ父は高速でその場を元来た方向へと飛び退き、間一髪避けていた。

 エリーネ父の身体能力ならば、無防備な状態でこれを受けたとしても、きっとこの程度の武器はその身体に突き刺さらない。なのに回避行動をとったのは、恐らく生物的な本能であり、危険を避けようと身体が無意識に反応したからだ。

 そして、その反応と行動は敏也としては織り込み済みであり、一撃目が避けられるのは承知の上だった。


 敏也はエリーネ父が飛び退いたことで彼の身体が宙に浮いているのを一瞬の内に確認し、避けられてしまった剣たちが地に突き刺さる前にその身を立ち上がらせた。

 次いで、


「くらえ!」


 身体を捻り、遠心力を生みながら蹴りを二撃。それらは四本並んで落下して来ていた剣たち、その中央二本の柄部分を丁度蹴り、落下方向を修正――飛翔方向へと変え、その切っ先が空中で身動きが取れないエリーネ父へと迫った。

 鈍く輝く刀身が真夏の日差しを受け、ギラリと輝き飛んでいく。

 だが、


「くだらん」


 エリーネ父は左拳を一度だけ横に振るった。

 それだけで、拳の直撃を受けた剣たちは硝子細工のように砕け散っていた。構成を悉く破壊されたことで剣は魔力へと戻り、光の粒と成って消えていく。


 通常の敏也ならばここで悲観する。諦めてしまっていただろう。

 だが、今は違う。彼は昨日叩きのめされたことで、ほんの少しだけ変わったのだ。


(これを待ってたんだ)


 勝利への渇望、勝機を見詰める煌めきを宿した双眸を持ち、敏也は大地を蹴った。その途中で地に突き刺さっていた残り二本の剣を引き抜き、振るいながら高速移動を開始。

 目標は言うまでも無く、後方に跳んだことで身動きが碌に取れず、さらには左手を振り抜いたことで体勢を著しく崩したエリーネ父だ。


「ほう……」


 なるほど、とでも言いたげにエリーネ父の表情が変わる。

 そんな彼の懐まで飛び込むと、敏也は両手に持った剣で乱舞を放った。剣技など身に付けていない、知りもしない。一年の時の実技で適した基本武装の種類によっては手ほどきを受けた――が、それでも齧った程度の知識だ。それゆえ、この乱舞は本当に拙いものだ。

 しかし、それでも想いが籠っている。これ以上負けるわけにはいかないのだと、無様なところを晒すのは御免だと、そういった意地と決意が載せられた攻撃だ。そのせいか、技術の足りない部分を気持ちが補い、斬撃にキレがのる。振れば振るほどに速度が上がっていく。


 だが、それらの連続攻撃をエリーネ父は右手の側面で全て受け切っていた。


(堅い……!)


 彼の腕は冗談抜きでただ堅い。剣で斬り付けているのに外傷は発生しないし、かすり傷すら見られない。むしろ、斬り付けた剣のほうが刃毀れし、どんどんその姿を無残なものにしていく。まるで鋼鉄の塊を相手に奮闘しているかのように虚しい状態だ。


 宙から地に移るまでの数瞬の間の攻防は、敏也が幾分か消耗するに留まった。


 慣れない連続攻撃を敢行したためか、エリーネ父と共に着地した敏也の息は少しだけ上がっている。それに対して、エリーネ父の息はまるで上がっていない。軽い運動程度にもなっていないようだ。


「その程度か!」


 着地した直後、エリーネ父が拳を振り抜いてきた。


「こなくそ!」


 敏也も負けじと、クロスさせた二本の剣の刀身をそれにぶつけ、迎撃を試みる。

 ビシッ、と鋭い音がし、拳とぶつかったほうの刀身に罅が入っていた。そして、抗いがたい衝撃が剣を伝い、敏也へと流れ込む。ジンジンと身体が痺れるような感覚が生まれ、後方へと引っ張られる。


「く……っ!」


 そして、堪え切れなかった敏也はエリーネ父が振り抜いた拳によって弾き飛ばされた。が、剣との衝突でほとんどの衝撃が逃げていたためか、それほどの距離を飛ばされたわけではない。

 丁度人五人分ほど距離を離すかたちになっただけで、敏也はさしてダメージを負っていなかった。亀裂の入った剣へとちらりと視線を向け、エリーネ父へと視線を戻す。


「なんだよ、あんたの身体。いくらなんでも堅過ぎだって。異常だぞ」


「フンっ、泣き事を言う暇があったら、さっさと新たに武器を造ったらどうだ? ――そのようなガラクタ、わたしが砕くまでもなく、直に崩壊するぞ」


 その言葉通り、敏也が両手に握っていたボロボロの剣たちは、突然破砕音を伴いながら刀身が砕け散り、粒子と成って消えていった。残った柄も散っていき、あとには何も残らない。


(相性が悪いな)


 自由になった両手を開閉し、悲嘆に暮れることなく、状況を冷静に考察する。

 まず、エリーネ父は肉体強化能力に優れているのは間違いない。剣による連撃を受けてもまったくダメージを受け付けないところからして、生半可な攻撃ではあの外皮を貫けないだろう。

 攻撃系統の魔術に関してはまだこちらに見せていないためその能力値は未知数だが、これほど力の差を感じさせる動きをしているのだ。そちらも高位レベルだと見ておいたほうがいい。


 炎刀なしでは接近戦しか取り柄のない敏也からすれば、唯一と言っても遜色ない近接戦闘で悉く上を行かれてしまうのがエリーネ父だ。このまま戦っても負けは濃厚だし、下手をすれば完封などという不名誉な敗北も十分にあり得る。


(だからって逃げるのは嫌だしな)


 こうも勝手なことを言ってのけるこの男から逃げるのは、どうにも癪に障る。敏也としては可能であるならタコ殴りにした後、エリーネに土下座させてやりたいほどにエリーネ父の態度は気に喰わない。そもそも、せっかく日本を訪れたのだからこちらを殺しにくるのではなく、真っ先にエリーネに会いに行くべきというものだ。

 それが親というものではないだろうか。その点からすると、何かしら事情があるにせよエリーネに会おうとしないクリスも、姉としてはどうかと思っていたりした。


「……気に入らねえ」


「なに?」


 敏也がぽつりと漏らした言葉に、過剰に反応したのはエリーネ父だ。片眉を上げ、威嚇するかのように睨みつけて来る。が、敏也の眼差しも敵意塗れで、それに負けていない。

 前方へと突き出した両手に再び剣を――右手に小ぶりな剣、ソードブレイカーを。左手にロングソードを編み出し、握り込んで構える。

 しかし、その佇まいを見るエリーネ父の眼は、先ほどと変わっていたく冷たい。


エリーネアレが居なければ魔剣すら生み出せないか、ゴミめ。一人の力ではその程度の武具しか造れないとは、貴様の力の底も知れるというものだ」


「っるせえな。生憎だけど、とっておきは取り上げられてんだよ。だから今は見せられねえ。その代わりと言ったらなんだけど……――てめえを剣山にしてやるよ」


「やってみるがいい、クズが」


「お望み通りに、クソ親父」


 罵倒し合った後、敏也は踏み込んだ。まずは前方へ最大加速。

 一気に彼我の距離を詰めた後、左手に持ったロングソードを高速で突き入れる。


「甘い」


 が、エリーネ父は右拳の甲でロングソードの腹を弾きつつ受け流し、その軌道を逸らした。剣の切っ先はエリーネ父の右方向へ流れて行く。彼はそのまま拳を運び、敏也の顔面を殴り抜こうとする。


 だが、こうされるのは予測済みだ。実力差が圧倒的だからこそ、こうした攻防の一端で起こるであろう一幕は何度繰り返されようと固定されがちで、想像し易い場合があるのだ。


(――この程度は受け止めない、躱すだろうな。でも、大きく動いて避けようとはしないはずだ。こいつの実力なら最小限の動きで躱した後、カウンターを狙ってくるはず)


 そうした思考を攻撃の前に予め済ませていたからこそ、敏也は迫って来る拳に対応することができた。


「甘いのはそっちだ!」


「!」


 眼前まで迫る拳を、敏也は膝を曲げることで仰向けに倒れ込む形になり、回避した。拳は空を切り、敏也の目の前を通り過ぎていく。

 そして敏也は躱されてしまったロングソードから手を離し、片手を地に着いて逆倒立する形に――片手でバランスを取り、そのまま足を振り上げ、エリーネ父の顎を蹴り飛ばそうとした。

 だが、爪先は何にも当たらず、エリーネ父の姿も消えていた。否、その姿は敏也の上方にあり、先ほどの警官との戦いと同じく、踵落としを喰らわせてこようとしていた。

 大きな身体が太陽を遮り、猛スピードで落下してくる。


「死ね!」


「死ぬか!」


 敏也は叫ぶと身体を捻り、強引に体勢変更を試みる。ギシギシと体中が軋むのを無視し、横滑りに地に這うと、右手に残していたソードブレイカーを遠心力と筋力に物を言わせて振り抜き、落ちて来る踵へとぶつけるように打ち上げる。


「っぅ!」


「チィ!」


 踵と剣の衝突。結果は両者とも弾かれるに終わった。エリーネ父は海側にある手すりの上に着地し、衝撃によってそれを歪ませた。

 敏也はノックバックを受けて幾分か下がり、右手に走る痛みに顔を顰めつつも、剣を取り落とす事はせず、立ち上がると転がっていたロングソードの柄を蹴り上げ、再び左手に握った。


「さあ、次はどうする」


 睨みながら発せられた言葉に敏也が警戒した時、エリーネ父が足元の手すりを最大筋力で蹴り、それを破壊。生み出した反動によって、ロケット砲のように加速して突っ込んでくる。


(カウンターを――いや、それだと逆に殺られる。――なら!)


 左手のロングソードを振り上げ、エリーネ父の着弾に合わせるように振り下ろす。


「舐めるな小僧!」


 当然、その程度は見切られる。振り下ろされたロングソードは素手で受け止められ、握り込まれて動きを制限された。剣を無効化するために素手で握るなど、荒唐無稽もいいところだ。

 そのままエリーネ父は敏也にタックルする形で押し込む。掴まれたロングソードは動かず、大柄な体躯が肩から入る形で圧迫してくる。そのせいで足を地から剥ぎ取られてしまう。


「ぐっ!」


 僅かに眼を向けると、ほんのすこし後ろには段差の壁があった。このままでは叩きつけられる。――しかし、こうなったのはある意味で幸運で、そして、予測の範疇だ。


「おおぉ!」


 脚が浮いた直後、敏也は右手のソードブレイカ―を掲げ、高速で振り下ろした。だが、それはエリーネ父を狙ったものではない。狙ったのは――


「自分の剣をっ?」


 刀身の溝に挟み、叩き折ったのはロングソードだ。半ばほどから折られた剣が魔力の残滓を吐き散らし、それを周囲に漂わせる。そんな中、敏也はソードブレイカ―を捨て、右手をエリーネ父の肩に置き身体を浮かせる。そのまま頭上を滑るようにして背後に回り込んだ。


「こんのォ!」


 そして、踏み込みの慣性で壁の方へと進んでいこうとするエリーネ父の背を、敏也は空中で身を捻ることで生み出した威力で蹴り飛ばした。

 蹴り飛ばされた彼は突進のスピードに蹴りの威力を付加されたことで倍以上の速さで駆け、壁にぶつかるかと思われた。

 だが、


「所詮は子どもの浅知恵だな」


 呆れた調子のエリーネ父の片脚が地に突き立った。それによって、壁へとぶつかるかと思われた身体は一メートル以上手前で無理矢理停止され、しかも、無理に突き立てられた片足にも負荷などによるダメージはなく、何の損傷も負っていない。

 脚を引き抜き、エリーネ父が口元を苦々しげに引き結んだ敏也を見据えた。


「なるほど。なぜソードブレイカ―をとは思っていたが、わたしにロングソードを掴まれた際に対応できるようにするためだったのか。だが、だとしても意味がなかったな。実力差があり過ぎると、どのような小細工を弄そうと実力差が埋まることはない。いいかげんに諦めろ」


「嫌だね。そんな簡単に諦めてたまるか。それにあんたはとにかく気に入らねえ。勝てないかもしれないけど、屈服すんのは御免被る」


「ガキが。ならば本当にゴミキレのようにしてエリーネアレの前に突き出して――」


 忌々しげに顔を歪め、エリーネ父が言おうとした時だった。


「あなたたち! 何をしているんですか!」


 敏也にとっては聴き慣れた、そして普段よりも一層の怒りと戸惑いを込め、揺れる声音によって紡がれた言葉が耳に届いた。

 二人は揃ってそちらへと驚きの目を向け、段差の上にある手すりから身を乗り出すようにしているその人物を見上げた。


「……エリーネ」


「なぜ、ここに……」


 声の主は無論、汗を流し、走ってきたせいでサイドポニーの髪型を少し乱した、今にも泣き出しそうなほどに不安顔のエリーネ・フリートハイムだった。





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