出会いが齎すもの
注文した品を受け取った敏也と少女は、ベンチまで戻って来ると並んで座り、アイスを食べ始めた。
蒸し暑い今日は、こういった冷たい食べ物はとても心地よく感じる。もちろん、お腹を壊さないよう食べすぎには注意すべきだが。
と、敏也が暑さに目を細めながら抹茶アイスを齧っていると、少女の視線がこちらへと向いていた。それに気付いた敏也は警戒しながら横目を向ける。
「なんだよ?」
「抹茶を要求します」
「言うに事欠いてそれか! 良い育ちしてやがる!」
「早く」
「……わかったよ、ったく……」
少女のあまりにも横暴な態度に悪態を吐きながら、敏也は自分が齧っていない部分を少女へと差し出した。少女はそれに間髪入れず齧りつき、噛み千切る。
抹茶の半分がごっそり消えていた。しかも、下のバニラの四分の一まで消えている。
「あぁー!? 食い過ぎだろ!? どんだけ食い意地張ってんだガキのくせに!」
「もぐ……わたし……んぐ……燃費が……むぐ……悪い……ん……ので、食べないと持たないの。だからあたしは悪くなくて、これは仕方がないこと。あと、ガキじゃなくてレディだよ」
「悪いわ! ……せめて沢山欲しいって前もって言っとけよ。心構えってのは必要なんだよ、分け与える時はさ」
今の敏也の心境としては、砂漠のど真ん中を歩いている時に大事に取っておいた水を目の前で仲間に見せつけてくるように飲み干されてしまった感じだった。
その絶望感は半端ではない。
「はぁ……ほんとにもう……」
だが、仮にも年上として取り乱し続けるのは存外アレであるため、なんとか敏也は冷静さを取り戻そうとしていた。
少女の無情さに顔を渋めたまま、取り敢えず手に持っている凄惨なアイスは意識の外にやるとして、話題を変えることから始めて見る事にした。
「ところでさ、お前の名前は?」
「……ニーナ・三崎」
「にーな・みさき? ってことは日系か?」
「多分」
「多分ってなんだよ」
「……知らないから。会った事ない」
「……わりい」
ニーナが意図的に言わなかった部分であるが、言わずとも誰しもに伝わることだった。
敏也が頭を掻きながら謝罪すると、ニーナは首をふるふると振った。
「気にしないで。あたし、それ気にした事無い」
その感情の込められていない発言に、敏也はそっと視線を向けた。
ニーナと名乗った少女の瞳は本当に、本当に冷たくなっていて、触れると冷た過ぎて低温火傷をしてしまうのではないかと思うようなものだった。そして、その眼差しは手に持ったアイスに向けられてはいるが、別の何かを見詰めているように思えた。
その小さな唇が、小さく動く。
「親なんて、あたしには必要ない」
「……そっか」
どこか訳ありの少女であることを悟ったのか、それとも両親が必要ない、もしくはいないというところに親近感を感じたのか、敏也は特には訊き返そうとはしなかった。
敏也はそのまま残った抹茶の部分を口に含み、口内でじんわりと溶けていく感覚を至福の表情で堪能し始めた。ひんやりとした抹茶の風味が鼻へと昇ってきて、じんわりと鼻孔に沁み渡っていく。警官との追いかけっこで溜ったストレスが解されていくようだ。
そんな敏也の態度に何を思ったのか、ニーナは不思議そうに首を傾げた。
「怒らないんだね」
「なんで?」
敏也は抹茶を堪能し終わると、すでに四分の一を奪われてしまっているバニラアイスを少しだけ齧って、詰まらなそうに訊き返す。
すると、ニーナは視線を地に落とし、顔を少しだけ俯けた。
「だって、親なんていらないって言うと、周りにいた大人たちは決まって『そんなこと言うものじゃない』って叱ってきたから。……あたしの気持ちを何も知らない癖にわかったようなこと言って。善人ぶった顔の下ではどれだけ醜い感情を隠しているか、こっちが知らないと思ってる。子どもだと馬鹿にしてる、侮ってる」
「……その歳で随分と捻くれてんなぁ、お前」
敏也はニーナの言い分に苦笑し、しかし、それで済まそうとはしなかった。
自分がこの子にしてあげられることなどほとんどない、あるはずがない。だが、せめて些細なことでも何かをしてあげたいのだと、自身の考えと言葉を精いっぱい彼女に伝える。
この訳ありの少女が少しでも、この世界の『何か』に希望を持てるように。
「ま、あれだ。その大人たちの言う事は正しいことなんだろうさ。至極当然で、真っ当。どこも悪い部分なんてない。言ってる内容に関してはな」
そう、正しいのだ。間違っていない。
ニーナは、敏也の言い分に険しい表情を見せていた。
「……なにそれ。どうしてあんなやつらの肩を持つのっ? あなたは同位体なのにわかってくれないの? あたしのこの気持ちを感じてはくれないの?」
「同位体だかなんだか知らねえけどさ、話は最後まで聴けよ。まだ終わってねえぞ?」
「…………ん」
ニーナが躊躇いがちに頷き、素直に言うことを訊いてこちらへと乗り出し掛けていた身体を元に戻したのを見届けると、敏也は口角を少しだけ緩め、笑みを浮かべた。
「いいか? そいつらの言った事は確かに正しいんだ。間違ってない。……でもな、親のいないお前にとってはそうじゃない。お前とそいつらは別なんだ。そいつらの言い分は『親が居たやつの言い分』で、『親がいなかったやつの言い分』じゃない。つまり、お前にとっては正しい事じゃないんだ。だから、お前がそいつらに対して反発心を抱くのは当たり前なんだよ」
誰にとっても当たり前の事が当たり前であるわけではなく、正しいことが正しいわけではない。だが、それを頑なに認めないのが世界であり、子ども。そして世界を知った気になって満足し、理解しようとしなくなった人間が大人というものだ。
少なくとも、敏也にとっての世界の大半はそうであった。
「……だから赦せって言うの? あいつらにあたしの気持ちをわかるはずがないんだから、仕方ないって。一方的にあたしを悪者扱いしたあいつらを赦してやれって、傲慢にもあなたはそう言うの?」
ニーナは顔を怒りに染め掛けながらそう言った。が、
「言う訳ないだろ、馬鹿か」
「え?」
敏也がしれっとそう言うと、ニーナが呆気に取られた表情を敏也に初めて向けていた。口はぽかんと空き、これまでの冷徹な面差しとは打って変わって年相応の愛嬌がある。
敏也は残ったコーン部分ごとバニラアイスに齧り付くと数回噛んだだけで呑み込み、残ったコーンも続けて口に入れて噛み砕くと、すぐに呑み込んだ。
そして、相も変わらずぽかんとしているニーナへ、口角の片方を吊り上げながら言う。
「あのな、お前がそいつらの至らなさを思い遣ってやることができなかったのは事実で、そんで、そいつらがお前の立場を憚ってやれなかったのもまた事実なんだ。なのに、なんでお前だけが糾弾されなきゃいけないわけ?」
「あ……」
敏也の言葉に、ニーナがどこか思い至ったかのように音を漏らした。
その反応を見て取った敏也は、何かを誤魔化すように自分の首筋を撫でながら続ける。
「ま、だからってそいつらを憎んでいいとまでは言わないけどな。人間、自分の身一つで手一杯。誰かの心情まで完璧に思い憚れるやつは常識外れにすごいやつか、よっぽど幸せなやつかの二択だよ。誰もが完璧では在れないのがこの世界なんだ」
「でも……だからって一方的に詰られて、我慢するのは辛いよ。あなたは見ず知らずの人間に石を投げられて、黙っていられるの?」
「無理。加減なしで殴り返す」
「……あなたの言いたいことがわからない。お説教を始めたかと思えばそうじゃなくて。愚者どもの肩を持ったかと思えば即座に投げ出して……。訳がわからない……」
「なんとまあ口の悪い子だこと。愚者とか使うなよ、印象悪いぞ」
辛そうになお一層顔を俯けてしまったニーナを呆れた調子で諭し、敏也は寂しげな表情をしつつ何を思ったのか、その小さな肩に右手をそっと置いた。
ニーナはそれを拒絶せず、むしろその手の重みを感じ入るように目を細めた。
「俺が言いたいのはな、そういう不完全なやつらがごまんと溢れてるこの世界で生きるなら、人の至らなさを理解して、それを少しでも受け入れて、例えどれだけ絶対数が少なくても誰かと手を取り合って生きていける、そうできるように努力していくことが大切なんじゃないかなってことだ。……まあ、俺もつい最近っつーか、昨日あたりからそう思い始めたんだけど……」
「……他者との助け合い…………人と人との調和……ってこと?」
「おお、そうそう。難しい言葉知ってんなぁ。偉いぞ、ニーナ」
敏也はニッと笑みを浮かべてニーナの頭をぐしゃぐしゃと撫で始めた。そのせいでニーナの頭がぐわんぐわんと揺れ、それに合わせて小さな身体も揺れに揺れる。
「あ、やめ――レディの頭を気安く――あっ」
そして、ぼとり、と音がした。
ニーナの顔がこの世の終わりのような絶望に染まる。ついでに敏也の顔が極度に青褪める。
二人の視線を追うと、最終的にはベンチの傍の地面に行き着く。
より正確にいえば、そこに落ちたとある物体。数秒前まではニーナが持っていたコーンの上に乗っていた甘味たち。
敏也がニーナを揺らしたせいで地面にダイブしたチョコクッキーとバニラが、落着の衝撃のせいで平べったくなり、さらには飛び散り、無残な姿を晒していた。
「うっ……ぐ……」
ニーナは、相方たちのいなくなったコーンを握りしめたまま、身体をぷるぷると増えるわせ始めていた。しかも、なにやら口元を引き結んで堪えているようにも見える。
「ま、待った、ニーナ。謝るよ。悪気はなかったんだけど謝るよ。だから泣くなよ、な?」
「ふ……ぐっ……ぇぐ……」
「あー…………あーあーあーあーわかった! わかったから! 同じのまた買ってやるから泣かないでくれ! な!?」
必死に懇願し、ニーナのご機嫌を取ろうと努力する。
もしここでニーナが大声を上げて泣きでもすれば、敏也としては非常にまずい事態に陥ることになる。
なにせ、見ず知らずの少女と仲良くアイスを食べているという事実だけでも相当危ういというのに、よりにもよって泣かせたところを誰かに見られでもすれば、なにかしらの誤解をされてもなんら不思議ではない。
しかも、周囲を見渡して見てもかなり人が多い。公園の外は大人たちが行き交っているし、公園内には遊び回る子どもたちとその親御さん、散歩に来たご老人など、多種多様な人物が見受けられる。
そんな方々から、ニーナが現れてからただでさえ訝しげな視線を向けられていたというのにこれ以上立場が悪くなってしまえば、即☆通☆報も十分に有り得た。
敏也の必死な想いが通じたのか、震えるニーナが潤んだ瞳で恨みがましい視線を放ち、敏也の顔を睨み据える。
「……三段二本。それで手を打ってあげる」
「……畏まりました」
泣き掛けでもちゃっかり要求を増やすあたり、ニーナは存外逞しいらしい。
ニーナは将来悪女になるかもな、と敏也は思いつつ、思わぬ出費の連続にがっくりと肩を落とすのだった。
◆
「もぐ……やめてと言ったら……ん、甘い。……すぐにやめるのが賢い人だと思う……ミントもなかなか……。……あなたはそう思わない?」
「……もちろん思いますよ、ええ。だからアイス頬張りながら嫌味言ってくるのやめてくんない? 心にグサグサ刺さるんだけど……」
不機嫌そうな面持ちで右手にミント、バナナ、チョコチップの三段。そして左手にチョコ、ストロベリー、バニラの三段を持っているニーナはそれらを交互に頬張りながら文句を漏らしていた。どうやら先ほどの敏也の行いを心底腹立たしく思っているらしい。
対して、敏也は肘を膝に当てるかたちでベンチに座り、財布の中の残金を確かめていた。
「くそ……十分もせずにアイスに千円以上浪費とか……なんだよこれ……」
「自業自得」
ニーナはアイスを舐めながら敏也の嘆きをばっさりと切り捨てた。
「はぁ~……」
そのせいか、敏也はなお一層身体を丸め、どんよりとした空気を醸し出し始めていた。
「……」
そんな彼を見て何を思ったのか、ニーナは考えるように視線を空へとやり、数秒の後、おもむろに右手を突き出した。ミントの微かな香りが風に乗って鼻に付く。
それに敏也は元気の無い目を向け、
「……なに」
「少しだけあげる。感謝して」
「……いいよ。全部食べろよ」
「いじけてないで食べて。――食べないと悲鳴上げる」
「わぁ! 嬉しいなぁ! 是非貰っちゃお!」
颯爽と態度を翻し、敏也はミントアイスを控えめに頬張った。直後にミントの爽やかな香りが鼻を突き抜け、淀んでいた気分が幾らか晴れていく。
「……ミントも悪くないな。こういう気分のとき限定だけど」
「でしょ?」
いくらか気分を持ち直した敏也は財布を後ろポケットに突っ込んでベンチに背を預けた。そのまま晴れ渡った夏空を仰ぐ。
ニーナも敏也の態度を見て小さく息を吐くと、アイスを食べるのに専念し始めた。
「……良い天気だな」
「……ん」
小鳥の囀りが木々の隙間から耳に届く。遠くを走る車の音、公園の傍の道を走るバイクの駆動音、木の葉が風に揺られて静かな歌声を奏でている様も、届いている。そこに子どもたちのはしゃぐ声が混ざり、何物にも代え難い穏やかな空気がここには生まれていた。
しばらく二人はそうして静かに過ごしていた。
(ずっと、こんな平和が続けばいいのに)
敏也はそう思い、目を閉じた。頬を撫でていく微風が、心と体の熱を鎮めていく。
ただ、だれがどう思おうと、どれだけ恒久であれと願おうとも、この平和はいつまでもは続かない。
反政府組織キメラとの戦いはまだ終わっていない。いや、むしろ始まったばかりだろう。
あの時、キメラのボスと目されているクレインは、まだ果たすべき目的があるように言っていた。やつは世界中から奪った魔具たちを使って何かをしでかす気なのだろう。
そして、自分たちに去り際に言った言葉。
『近いうちにまた来るよ』
やつは、こちらに相当な興味を示していた。あの態度を見る限り、いずれやつがこの地、もしくは自分たちが居る場所に再び現れるのは間違いない。
そうなれば、再び戦火を交えることになる。今度こそ、死力を尽くした殺し合いになるだろう。
負ければやつの実験材料。勝てば官軍。
負けてしまえば自分だけでなく、彼女も死ぬ。苦しんで、死ぬ。
(させない、絶対に。あいつを護れるくらい強くなってみせる)
その決意が、今の敏也が強さを求める原動力だった。
「強くなれるよ、きっと」
「え?」
突然届いた肯定の声に、敏也は驚いた様子で目を開けて隣に居るニーナを見た。
しかし、ニーナは相変わらずアイスを舐めていて、視線を向けてこようとはしない。それでも、アイスを舐め終えた口元は先ほどと同様に言葉を紡いだ。
「あなたは強くなれる。間違いなく」
「……もしかして俺、口に出してた?」
「ううん、出してない。でも、あたしにはわかる。あなたとあたしは同位体だから」
「またそれか……」
胡散臭いものを見るように、敏也は視線を批難がましく細めた。
だが、ニーナの佇まいは変化しない。ただちらりと横目を向けるだけだ。
「信じられなくても、わからなくても、それが事実であることに変わりはないから。……あたしが感じることだけど、あなたの中身は壊れかけてる。ズタズタで、ボロボロで、もう修繕のしようがないほどに」
「……色々あったからな」
昨日クリスにも評されたように、敏也の内面は傷だらけだった。
何度も現実に挫けて、唯一の逃げ場だった逃避を捨て、誰かのためだと言い訳して戦って、みっともなく負けて、情けなくいじけて、優しさという痛みによって諭されて、歯を食い縛って立ち上がって、またそこから一歩を踏み出した。
しかし、それでもツギハギだらけの心は軋んでいて、動く度に引き攣る感覚があった。
一歩進む度に、心を構成している部品たちが外れていくのを感じていた。
「あなたの心はもう限界」
「かもな」
「でも、限界だからこそ踏み越えられる」
「どういう意味だ?」
ニーナの発言の意味がわからず、訊き返す。
すると、ニーナはその鳶色の瞳で空を仰ぎ、そこに何かを見つけ出そうとするかのように視線を彷徨わせた。
しかし、空には雲以外なにもなく、あとは青空が広がっているだけだ。
「限界は終わりだと思われがちだけど、そうじゃない。そこは終わりであり、始まり。そこから限界を越えた自分が新たに始まるの」
「限界が始まりねぇ……」
「そう。限界を振り切った先にこそ、人の真価がある。あの方はそう言ってた」
「あの方って誰だよ?」
「あなたも知ってるし、本能的にその存在の場所を察知してる。でも、心が理解を拒絶してる。理解した時、あなたの今の世界は終わるから。後戻りできなくなるから」
「……」
そのようなことを言われても敏也としては身に覚えはなく、そもそも限界を振り切れと言われたところで具体的な方策が何一つとして思い浮かばない。どれだけ強い決意が心にあろうとも、伴うものがなければそれはハリボテと同義だった。
だから、悪いとは思いながらも敏也はニーナの言葉を笑うしかなかった。
「はは、無理無理。頑張ろうとは思ってるけどさ、まだどう強くなればいいかもわかってないんだ。だから、今すぐ限界を振り切るなんて無理だって。こういうのはゆっくりと自分のペースでだな――」
「無理じゃないよ」
しかし、ニーナは即座に敏也の誤魔化しを否定した。そして、見透かすような視線を向けて来る。
その眼差しに、敏也は心を暈すための二の句を告げれないでいた。
「同位体は共振する。お互いに揺らし合う。だから、この出会いは偶然じゃない。あたしはあなたの温かさに、その魔力因子に惹かれてここにやってきた。そして、こうして出会った。これは必然。そして、あなたの限界という殻を――ボロボロになった殻を壊すために、あたしはここに来たんだと思う」
「……物騒なこと言いやがる」
魔力因子――それはいつか聞き覚えのある言葉だった。
あれは確か、第三交易都市でギアが初めて起動したとき。
『魔力因子の欠落を確認』
そう、誰かの声が言っていた。今思えば、あれは博士がギアに仕込んでいた自立型術式の音声だったのだろう。
それはともかく、魔力因子とはなんなのか。学園の授業でも聴いたことがなく、他の誰もが言っていたことすらない言葉だ。
なのになぜ、ニーナがその言葉を知っているのだろうか。
「魔力因子は心の結晶。魂の記憶。人の想いの塊。あたしは魔力因子についてはそれしか知らない。あの方はそうとしか言ってくれなかった」
「心の結晶……か。ロマンチックだな」
「ん、あたしもそう思う」
「じゃあさ、魔力因子の欠落――って言葉はどういう意味だと思う?」
「欠落? ……単純に考えて、因子が足りてないんじゃないの? だとすれば、不具合が色々と出るのかも」
「……だよな」
もしも、もしもそれが真実であるのなら、こうは考えられないだろうか。
魔術とは、魔力因子によって発現するもの。そして、大神敏也が攻撃魔術や障壁を使えないのは、それの行使に必要な因子を持たない者なのだからではないか、と。
敏也は諦観したように目を覆い、しかし、決して絶望はせずにただぼやいた。
「……もしそうなら、どうすっかな。やっぱ肉体強化の技術を煮詰めるしかないか……」
今は奈落へと落ちて行く感覚ではなく、むしろ、すっきりした気分である。
なにせ、これからは攻撃魔術に未練を残す事無く、一つの分野を突き詰めて行くことができるのだから。どこか迷いが吹っ切れた思いだ。
この話が本当だという確証はない。魔力因子とやらが後から付け足せるものなのか、それとも未来永劫生涯このままなのかはわからない。しかし、ともかくとして今は余計なことを考えずに済むようになった。
そうして敏也が目を覆ったまま口元を小さく綻ばせると、ニーナも小さく笑んでいた。
「大丈夫。たとえそうだとしても、あなたの限界はもうじき壊れる。あと一揺れ――ううん、二揺れでもすれば、粉々に崩れ去る。その先に待っているのは深淵。そこからあなたが戻ってこれるかどうかはわからないけれど、もしも戻ってこれたなら、あなたは少しだけ前に進めるはずだよ」
「それでも少しなのかよ。もっとリスクに見合った報酬が欲しいんだけど? 心ぶっ壊すとかお前言ったくせによー」
「対価もなしで得られる力はどこにもないし、大きな対価を払ったからといって必ずしも大きな成長を見込めるというわけでもないよ。高校生さんはその程度の事もわからないの?」
「……お前、小学生くらいのくせにませてて生意気だぞ」
「あなたが馬鹿だから悪いんだと思う」
敏也は頬を引き攣らせながらニーナを見た。対して、ニーナは生意気そうな笑みを浮かべて相対している。
罵り合いでは勝てないと悟ったのか、敏也は溜息によって表情を崩すと、ニーナの頭の上にそっと手を置いた。そのままポンポンと軽く叩く。ニーナはその手を振り払う事はしない。
「ま、あんがとな。お前の言った事がほんとかどうかはわからないけど、ちょっとだけ気休めになったよ」
「そう。なら良かった。アイスのお礼にしては奮発し過ぎた気もするけど」
「三本も買わせといてよく言うよ」
「その内一本は誰かさんが――」
「あー聴こえねー! そんな悪いことした覚えは俺にはなーい!」
敏也は両耳を塞ぎ、ニーナから顔を逸らす。
そんな敏也へとニーナは冷たい視線を送っていたが、肩を落として視線を緩めると、ベンチからその小さな体躯を持ち上げた。
そして、敏也の正面に立つと、彼の眼前へと左手に残していた手付かずのアイスを差し出し、
「もう行かなきゃ。……あなたに会えて良かった。それだけでも、この接触には価値があったと思う」
敏也はそのアイスのコーン部分をそっと受け取り、肩を上下させて応えた。
「そーかい、そりゃどうも。……で、これは年上のお節介だけどな、お前ガキのくせに表情堅過ぎ。もっと笑えよ。その方が可愛いぞ」
「そう。ありがとう。……お馬鹿な高校生さんに可愛いとか言われても虫酸か怖気しか走らないけど」
「そんな嫌な表現するなよ! せめて寒気がするとか言って! もっとマシで愛ある表現をだな……」
「じゃあ気持ち悪い」
「こいつ……!」
「あはは」
その時、ニーナは初めて破顔して笑っていた。
それを見た敏也も知らず知らずの内に笑っていた。
だが、笑みを湛えたままのニーナが次に口にした言葉は、それに相応しくない内容だった。
「高校生さん、あたしと会ったことは忘れたほうがいいよ」
「どうして?」
「その方がお互いのためだから。そんな気がする。予感と言っても良いかも」
「んな馬鹿な。未来予知じゃあるまいし、なんで忘れなきゃいけないんだよ。俺は絶対忘れねえぞ。俺の財布を涼しくしてくれたお前のことはな!」
「……本当に馬鹿」
悔しそうに指を突きつけながらの敏也の態度に、ニーナは少しだけ笑みを深めたように見えた。しかし、その瞳はなぜか潤み、今にも泣き出しそうに思えた。
そして、どうしてか敏也の胸が痛み、ギリギリと締め付けるかのように苦しみが走る。
「高校生さん、あたし、あの方よりもあなたたちの使徒になりたかった。今、心の底からそう思ってる」
「は? 使徒? なんだよそれ」
「わからなくていい。ずっと、わからなくていい。その方が、きっとあなたが集める仲間たちは幸せだから。だから、ずっと変わらないで、そのままでいて。どれだけ大きな力を手にしても、どれだけ多くの仲間に囲まれたとしても、優しいあなたで居て。温かさを失くさないで」
その時、敏也の脳裏に何かが浮かんだ。
「う……ぁ?」
まるで白昼夢のように、意識に介入してくる何かがある。
ノイズ混じりの映像で、途切れ途切れで、でも、いつまでも泣き声だけが……。
誰かたちを引き裂いて引き裂いて引き千切って――目に付く計器類は全て破壊して――壁を消し飛ばして――全てを壊して――見上げたら雨が降っていて――何かから放り出されて――手を着いて這っていて――水たまりに倒れ込んで――もう一度手を着いて身体を持ち上げて――波紋混じりの水たまりに映った自分の瞳は……鳶色。
「ニー……ナ?」
「あなたはそうなってはいけない。現実から逃げては駄目」
そう言って、ニーナは頭を押さえて苦しみ出した敏也の頭を、その小さな手のひらでそっと撫でた。
「大丈夫、苦しいだろうけど落ち着いて。あなたはまだ制御できていないだけだから。……今から少しだけあたしが介入するよ。それで記憶の流入は治まるはずだから」
「待……て。ニーナ」
「安心して。意識が飛んでもすぐに目を覚ますから。その時にはあたしはここに居ないけど」
「待ってくれ。お前に……訊きたいことができたんだ……」
「もう駄目。さよなら、高校生さん。……さっきのあたしの言葉、嘘じゃないよ」
「待――」
言い終わる前に、敏也の意識は暗転した。
◆
「っ! ……ニーナ!」
気付いた時は、ベンチに座ったままの体制だった。
意識が戻ると、敏也はベンチから立ち上がりながら周囲を見渡した。
しかし、どこにもニーナの姿はない。
あれからどれだけの間意識がなかったのかすらわからない。そもそも、ニーナという少女が本当に存在したのかさえ確かではない。
いや、そんなことはなかった。わかる。証拠は、ある。
それは、敏也の右手に。
「ニーナ、お前は……」
右手には、少しだけ溶け落ち始めたばかりの三段のアイスがあった。




