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双天の共鳴者  作者: 月山
第三章「シンフォニック・アソシエイション」
85/126

リスタート

 鉄骨が未だ剥き出しで、外壁すらほとんど見られないビル。どうやらこの場所は未完成か、それとも廃棄された建物らしい。

 雨風から保護するために掛けられたと思われる何枚ものブルーシートが日光と人の視線を遮り、微風に揺られて不気味にはためいている。

 そんな場所に数十人の男たちが、大きめの黒いバッグをそれぞれが複数抱えて訪れていた。そして、それをビルの一画へと運びこんでいる。


「これで全部か?」


「はい」


 周囲の作業を見渡していた一人の男が傍に居る人員に確認すると、即座に答えた。


「では、例の物は?」


「現在搬入作業中です。まもなく完了いたします」


「そうか」


 そう返事をしつつ、ビルの端へと歩んで近付くとそこで屈み、ビニールシートの端を掴んで僅かに持ち上げた。そのまま下方を覗き見る。

 すると、確かに大型のトラックがビルの敷地内へとバックで乗り付けているところだった。どうやら先ほどの報告に間違いはなく、また、準備は着々と進んでいるらしい。

 その光景に、男は無意識に口角を吊り上げ、笑っていた。


「急げよ、襲撃のチャンスは限られている。……最終調整を含めると動かせるまでにどれほどかかる?」


「さあ、なにぶん骨董品ですので……パーツ交換から各部の微調整を含めて、完全に機能を戻すには一日はかかるかと」


「そんなにか?」


「物音を立てるわけにもいきませんからね。慎重に、そして静かに行うとなると、それくらいの余分な見積もりは必要かと」


「……」


 男は不服そうに口を引き結び、唸る。

 と、その時、


「まあまあ、そういかる事はお止めなさい、迷える子羊よ。心配する事は何一つとしてありません。これは、神の思し召しなのですから」


 そんな妙に甘ったるく、そしてどこか理性というものが取り除かれたかのような抑揚のない声が、男の耳に届いた。

 男は振り替えると、張り巡らされたブルーシートのせいで部屋の中心ほど薄暗くなっているこの場所、その暗いところから足音を鳴らしながら近付いて来る人物を睨みつけた。

 その人物は二十代後半の容姿。性別は男。流れるような金の髪で、肩ほどの長さ。そして、聖職者のような服装をしており、首からは青い石を中心に嵌めこまれた十字架を掛け、まるで男を受け入れるかのように両手を広げて歩いてきている。

 男はその人物に吐き捨てるように言う。


「なにが思し召しだ、クソ喰らえ。神聖同盟だか知らんが、こっちの癇に障るような事を言うようならハチの巣にしてやるぞ、くそったれの魔術師めっ」


「おやおや、なんと汚い言葉遣いでしょうか、嘆かわしい。こんな者たちが一時とはいえ、わたしと行動を共にする同士だとは……。――おぉ、わかっております、神よ。この男を死で持って咎めるような真似は致しません。あなた様より拝命した使徒としての使命、片時も忘れたことはありませんよ」


 途中から、独り言を呟くようにして虚ろな表情になった聖職者。

 それを見る男の目はどこまでも冷たい。それはこの行動が理解し難いだけではなく、根本的に相容れない相手だからだ。

 と、その視線にようやく気付いたのか、聖職者は人畜無害な笑みを浮かべて男を見据えた。


「失敬。神よりの交信を最優先するのは当然ゆえ。……しかして、あなたがたを蔑ろにする気など毛頭ありません。この神聖同盟アルケーが当主、オーギュスト・ブランシャールは、あなたがたの力となることをここに改めて誓いましょう」


「たった一人と一匹の組織でか?」


「元は違ったのですがね。部下たちは九年前に使い潰してしまいまして。いやはや、それ以来、旅先で拾ったあれと一緒に活動しているのですよ。おお! これぞ神の与えたもうた試練か!」


 オーギュストと名乗った男はそう言うと、両膝を床に着いて嘆き始めていた。

 男はそんなオーギュストのイカれた振舞いに舌打ちをし、


「……とにかく、手伝ってくれるというなら有難い。バケモノを殺すには、当然バケモノが必要だからな。復讐を果たすためには蛇の道もなんとやらだ」


「ええ、そうでしょうとも。時が来ればあなたがた『マスティマ』にもご覧に入れて差し上げましょう。我が神・マキナが認めたもうた我が魔道の力と、禁忌の世代の真髄を」


 両者は、知らず知らずの内に邪悪な笑みを浮かべていた。







 日本のとある空港。


「今行くぞ……ッ」


 空港の出入り口からたった今出てきた大柄な男が憎々しげに吐き捨てると、その足で日本の大地を荒々しく踏みしめた。







 七月十一日。午前十時前。

 現在地点は御陰市ショッピングモール入口。広場の一画の時計塔前。


「いやっほー! エリーとお買い物だぜぇ!」


 諸手を挙げて元気に叫んでいるのは八咫神奈々。相変わらず身長がみみっちい。

 服装は薄手のシャツとホットパンツ。ついでにオシャレな伊達帽子を被ってポーチを提げ、少し装飾されたサンダルを履くといった格好で、コーディネイトはバッチリ感を醸し出している。


 周囲を行き交う人々がその声に何事かと目を向けてきており、奈々は周りの好奇の視線を独り占めにしていた。


「……奈々、恥ずかしい。静かにしていて」


 無表情でそう窘めたのは成瀬紫苑。今日は長い紫がかった黒髪を首の後ろで纏めている。

 上は英字の入った白のTシャツに黒の革のジャンパー。下は黒のローライズ。靴は茶のブーツという、スレンダーな紫苑のスタイルを活かす服装だ。バイクなどに跨れば特に様になりそうな格好で、飾りのチェーンや胸ポケットに引っ掛けてあるサングラスが良い味を出している。


 と、二人がそうしていると、


「ごめんなさい。待ちましたか?」


 二人にそう言いながら近付いてきたのは、珍しく銀髪をサイドポニーにしたエリーネだ。

 上半身は装飾が控えめな純白のブラウス。下半身は淡いピンクのプリーツスカート、靴はパンプス、片手には小さなハンドバッグという総じてシンプルな服装だが、素材であるエリーネのせいか、それだけでも十分魅力的に見える。


 エリーネの到来を見た奈々と紫苑は、その謝罪に揃って首を振る。


「ううん、全然待ってないよ、エリー。軽く見積もってざっと五時間近くってとこ☆」


「相変わらず頭がおかしいですね、八咫神さん」


「……わたしは十分くらいだから、奈々と一緒にしないでほしい」


「大丈夫です、ちゃんとわかってますよ、成瀬さん。おかしいのは八咫神さんだけですから」


「冗談だったのに二人が辛辣! でもいいや! これがわたしのポジションだし」


 それが冗談に思えない奈々の人柄が問題なのだが、はてさて。

 エリーネと紫苑が辛口の評価を下す中、奈々はテンションを早くも振り切った様子でギャーギャーと騒ぎ立てていた。その様は、夕刻に鳴くカラスにも引けを取らない騒々しさだ。

 と、そうしていると急に奈々がピタリと騒ぐのを止め、傍にある時計塔を見上げた。


「そろそろ……かな」


「どうしたんですか、八咫神さん?」


 エリーネが怪訝に思って訊くと、奈々は顔を彼女に向け、ニパッと笑みを浮かべて言った。


「お花を摘みに行ってきます。二人はここで待ってて☆」


「……なんでわざわざ敬礼して言うんですか。馬鹿なんですか?」


「……奈々は馬鹿。その評価に間違いはない。確定事項」


 二人がドン引きした感じに言ってくる。奈々はその態度にいたく傷付いた様子。


「ひ、ひどっ……まあいいや。じゃ、いってきまーす!」


 奈々は気を取り直してそう言うと、颯爽と駆け出して二人から遠ざかっていった。その背に、エリーネと紫苑はひらひらと手を振って見送る。

 そして、奈々の背はそう時を置かずに物陰へと消えた。







「エクスプローラー、こちらイノセント1。至急応答されたし。オーバー」


《え、なに、乗るべきなのこれ? ――こちら……えっと…………エクスプローラー……でいいのか? つーか、なんでエクスプローラー? ……あーもう、意味わかんねえよ、くそっ。イノセント1、さっさとどうぞ》


「五時間に及ぶ事前調査では異常は発見できず」


《さっきの冗談じゃなかったのかよ……引くわ》


「先ほど護衛対象に無事接触した。これよりイノセント1は対象の警護を開始する。オーバー」


《りょーかい。……ってかさ、話しづらいから普通に話せよ、八咫神》


 電話口の相手は敏也。その口調は呆れ気味だ。


「えー、そう言うなよー、敏ちん。わたしはあんたの頼みでエリーネをガードしてあげてるんだからさぁ? ちっとくらいお遊びに付き合ってくれたっていいんじゃね?」


 そして、なんちゃって軍事ごっこをし始めたのが奈々で、今彼女は、端末を耳に翳したまま物陰に隠れた状態でエリーネたちへとこっそり視線を送っており、その動向を見守っている。

 どうやら奈々の発言に敏也は益々呆れを増長させたようだ。


《……感謝はしてるけどさ、元々お前らはエリーネと買い物に行く予定だったんだろ? それに一手間が増えただけだって》


 敏也は昨日のクリスとの一件の後、エリーネを除く訓練班の面々にすぐさま連絡を取り、エリーネの警護の協力を取り付けていた。一番の戦力であるマサルが電話に出なかったのは痛手だが、その他の面々は皆協力を快諾してくれていた。


(ほんと、お人好しっつーか、馬鹿というか……)


 詳しいこともわからない現状で、それでも深くは詮索せずに協力してくれる彼らには、敏也としても頭が上がらない思いだった。

 今、紫苑は場を離れた奈々のフォローをしてくれているのだろうし、学園に残った大河は何事か手伝いをする傍ら、万が一に備えて準備を進めている。奈々はエリーネの身辺警護と、こうして度々定期連絡を取る係というわけだ。


 敏也の言い分、そのどこかが奈々の癪に障った様子。奈々は不機嫌そうな顔をして敏也に文句をつける。


「ちょっと! エリーとの買い物が手間なわけないんですけどぉ?」


《あーそうかい。……とにかくさ、頼むよ。俺もそれなりに警戒しとくからさ》


「そういう敏ちんはどこにいるわけ?」


《あん? それは――》



「エリーネたちから北西の方角にあるビル、その屋上に居る。……見えるか?」


 敏也が匍匐状態で、ビルの柵もない屋上から下方を覗き込んだままこっそりと手を振ると、物陰に隠れている奈々が手を振り返すのが見えた。


《なるへそ。そこに居たわけね。でも、モールに入ったあとは敏ちんどうすんの?》


「それなら心配ない。服装はいつもと違う感じのにしてるし、ワックスで髪ムリヤリ固めて伊達眼鏡掛けてるからな」


 敏也の今日の服装は白の清潔そうなシャツにオシャレな柄のネクタイ、下はフィット感の良いズボンといった感じで、普段の彼のだらっとした態度とは似ても似つかない格好である。


「これならバレないだろうから距離を離して中に入って、こっそり草葉の陰から見守っとくよ……」


《あんた死んでんのかい! ……というか、なんで伊達眼だてめ持ってるかは訊いても……?》


「……察してくれ」


 敏也が苦虫を噛み潰したような顔で声を絞り出すと、電話の向こうの奈々がケラケラと笑う声が聴こえて来た。


《あはははは! 捻くれてる敏ちんもオシャレしたがってたってわけね。いやー、まったく素直じゃないんだから》


「うっせっ。満足したらさっさと二人のとこ戻れよ! ……ほら、紫苑が誤魔化すのに苦労してるぞ……」


 右耳は端末が占有しているため、部分的に強化した敏也の左耳は、微かながらもエリーネと紫苑の会話の盗聴に成功していた。促された奈々も片耳の聴力を強化し、聞き耳を立てる。



「八咫神さん遅いですね。いくらお手洗いとは言っても……何かあったんでしょうか?」


「……も、問題ない……はず。きっと大きいお花を摘んでるんだと思う。……うん、きっとそう。ま、間違いない」


「あの……女の子としてその発言はどうかと……――って、どうして無表情で滝のように汗を流しているんですか成瀬さん!?」


「……ノープログレム」



《オゥ……こいつはひでぇ……どこが無問題なん?》


「紫苑は嘘が下手、っと。またあいつの新たな一面を知れたな、八咫神!」


《きっと敏ちんは今最っ高に爽やかな笑顔を浮かべてるんだろうね! わたしは涙ポロポロだよ! これからあそこに戻って言い訳だよ!? あの変な空気の中でなんて言えばいいのさ!》


 物陰に隠れている八咫神から《ギャー》と嘆く声が端末を通して聴こえてくる。どうやら、八咫神はこの予想外の事態に相当参っているらしい。

 だが、敏也としてはどこ吹く風なので、大して気にも留めていない。


「まああれだ。普段お前が場を掻き乱してるんだから、こんな時ぐらいは紫苑のケツ持ってやれよ。な?」


《くっ! 離れた場所にいるからって良い気になりやがってぇ! エリーを狙ってるゴタゴタが済んだら絶対に復讐するからね、敏ちん! 通信アウト!》


「はいはい、アウトアウト」


 そして、通話は終わった。

 端末を耳から離しながら下を見降ろすと、プンスカと肩を怒らせながら物陰から出てきた奈々の姿が見えた。が、エリーネと紫苑のところに近付くにつれて元気が失せ、表情筋が引き攣っていくのがよくわかった。

 そんな光景を眺めながら、敏也は苦笑を零していた。


「……ま、無事に済んだら甘い物とか好きなだけ奢ってやるよ、八咫神。……他のみんなにもお礼考えとかないとな」


 そう言いながら敏也は立ち上がり、なんとか言い訳が済んだ様子の奈々を含めた三人がモールへと入っていく姿を見送っていた。


「さてと。じゃあ俺もぼちぼち行きますか」


 そうして、敏也はビルの陰へと飛び降りるのだった。



「――とは言ったものの、見えるとこを付いて行くわけにはいかないよなぁ……」


 そう言う敏也は現在、柱の陰に隠れてエリーネたちを見守っている。

 周りを行く人々の好奇の視線が敏也の身に遠慮なく突き刺さっていくが、エリーネの身の安全には代えられないため、そのほぼ全ての視線を意識からシャットアウトしている。

 敏也はズレかけていた伊達眼鏡を押して戻し、


「まず向かったのは服屋か。さすがは女の子ってとこか?」


 呟く敏也の視線の先には、いかにも値段の高そうな服がズラリと並んだブティックの一画で、服を手にとっては品定めをするエリーネと奈々、そしてあまり興味が無さそうに胡乱な視線を辺りへとやっている紫苑の姿があった。



「これなんてどう? エリー。夏場にはぴったりじゃない?」


「これって……ほとんどお腹が丸見えじゃないですか! 確かに夏場は良いんでしょうけど、ちょっと……」


 エリーネの眼前へと奈々が突き出してきたのは、丈がお腹の上あたりまでしかないシャツだった。普段、肌の露出が少ない服装を好んで着飾っているエリーネとしてはそういったものは趣味ではなく、着たら恥ずかしくて出歩けないほどのものだった。


「んー、そう。じゃあ……こっち!」


「こっちって……似たり寄ったりじゃないですか。露出具合は同じですよ」


 エリーネは辟易としながら言う。

 奈々が改めて勧めて来たものもまた、先ほどと同様に露出の多い服――というよりかは布だった。これを着るぐらいならいっそ、上半身を水着で出歩いたほうがマシな具合である。

 と、エリーネが頭を抱えながら溜息を吐いていると、奈々の端末に着信があったらしく、彼女はポーチから端末を取り出して応答していた。


「へいへい。いったいなに? こっちは楽しくエリーを着せ替え――え、なに、変なものを勧めるなって? エリーネに悪い影響が出る? うっせーバーカ! あんたは過保護な保護者か! ホントは見たいくせしやがってよぉ、このムッツリめ!! 止めたきゃここまで来てみやがれ! じゃ!」


 そう捲し立てると、奈々はいきなり通話をぶった切って端末を仕舞い込んだ。

 一方、エリーネはその一連の流れを眉根を寄せて見ていた。


「あの……そんな乱暴なことしていいんですか? 相手の方に失礼なのでは?」


 あまりの横暴さが目に付いたのか、エリーネがそう咎めると、奈々は手をブンブンと振って呆れたように肩を落とした。


「いやいや、あいつにはこのくらいで丁度良いと思うよぉ? ……わたしがこれ勧めた時、柱をガリっと引っ掻いた音がしたしねぇ……?」


「?」


 奈々の言っていることの意味がわからず、エリーネは小首を傾げる。が、奈々は「気にしない気にしない」と言って、服を再び物色し始めた。


 ところで紫苑はと言えば、動物の絵柄が印刷されたTシャツのコーナーの前で佇み、その視線だけが商品を見比べている。どうやら黒ネコの柄が特に気になるらしい。

 エリーネは、あーでもないこーでもないと漁りを続けている奈々をその場に残し、一人でいる紫苑の傍に寄ると、一緒にTシャツを選び始めた。


「自室で着るならこういったラフな格好が良いですよね。楽ですし」


「……うん、そう思う。それに、部屋の中でまで御洒落をする必要性を感じない」


 エリーネの呟きに応えつつも、紫苑の視線は黒ネコの辺りでうろうろとしているのが、隣に居るエリーネにはよくわかった。


「成瀬さんは、その猫のTシャツが良いんですか?」


「……うん。懐かしいから」


「懐かしい?」


 このタイミングで発せられるとは思わなかった言葉だったため、エリーネは思わず訊き返していた。すると、紫苑はそのTシャツを手に取り、近くで優しい眼差しで見詰め始めた。


「……昔、救えなかった仔に似てる。だから、少しだけ懐かしくなった」


「飼っていたんですか?」


「……ううん、捨て猫だった。でも、わたしにとっては大切な友達で……なのに、わたしに力が無かったから助けられなかった」


 そう言う紫苑の表情は哀しげで、寂しげでもあり、普段は無表情で戦闘の時ぐらいにしか感情を発露させない彼女にしては、珍しい振舞いだった。

 そのせいか、一部を除いて、いつもは他者の領分に無理に踏み入ろうとしないはずのエリーネが、意識せずにさらに奥へと踏み込んでしまっていた。


「なにか、あったんですか?」


 訊いた後で不躾で無配慮な質問だったことにエリーネは気付く。が、訊かれた本人である紫苑は表情を変えず、ぼそぼそと呟くに留めていた。


「……大したことじゃなかった。でも、まだ子どもだったわたしにとってはその程度のことも大したことで……。多分、わたしが魔動機乗りを目指す理由の始まりはそこだったんだと思う」


「それはなぜ?」


「……だって、力があれば全てを守れるから。あの日、もしも魔術を使えたらあの仔の命を救えたかもしれない――でも、わたしは魔術を使えないし、もうあの頃には魔術適正がないことと、魔力量もほとんど無いってわかってたから。だから、『だったら殺すヤツをどうにかできれば守れるんだ』って、あの頃のわたしはそう思ったの」


「だから、魔術以外の守る力を求めて魔動機乗りを目指した?」


「……うん」


 紫苑は返事をしてシャツを元の場所に戻した。そして、その温度の感じられない視線をエリーネに向ける。その眼差しに、エリーネは温度のある瞳で応える。


「……エリーネ、わたしは正直あなたたち魔術師が羨ましい。……本音を言うと、妬んだことさえあった。それも……何度も。あなたたちと仲間になってからも、何度も」


「……わかっています」


 それは、当然のことだった。

 一般人と魔術師の間には埋められない溝と言うものが存在する。しかし、それは魔術師が優遇されているからだとか、力を持っていることが妬ましいだとか、そんな単純な理由からだけだというわけではない。

 それは――


「あなたたち魔術師は、その気になればなんだってできる。もしかしたら、いつか死者すらも蘇らせれるかもしれない。そう思わせるほどの力と可能性を持っているあなたたちは、わたしたち微魔力保持者ルーザーからすれば、本当に怖かった」


「……ええ」


 単純に、未知なるものに対する恐怖。それが、一般人が魔術師を拒絶する真の理由。

 過去の大戦で多くの命を奪い、数多の地を焼いてきた魔術師たちに対する畏怖の念。その無慈悲なまでの暴虐は、戦地であるなしに関わらず、多くの人々の心に傷を残した。


「……でも」


 紫苑は逡巡するように視線を彷徨わせ、


「……魔獣騒動を乗り切ってから、その考えも少し変わった。あなたたちにも、どうしようもないことがあると心から知った。……敏也の件が良い例。こう言ってはあなたや彼に失礼だろうけど、彼の大怪我のおかげで、魔術師の限界の一端を知れた。そして、魔術師か、そうでないかに拘わらず、同世代の僅差というものを」


「……あなたがそう感じてくれて、私は嬉しいです。みんな、魔術師に夢を持ち過ぎているんです。化物だって、人間じゃないって、……そんなのは偏見でしかないんです。私たちだって人間です。傷付きもすれば、涙だって流します。それをわかってくれないんです」


 得体の知れないものを見る人の視線は、本当に冷たい。それは極寒など生温く、いっそのこと関わるのをやめてくれたほうがよほどましというものだ。

 魔術師たちは、普段の生活の中で余程の事が無い限りは正体を明かすことはしない。

 軍属、もしくは公的機関が相手ならばまともな関係が期待できるため、隠さない。しかし、一般人が相手の場合は別だ。正体が知れれば、好意的に接してくれる人間はかなり絞られる。

 過去の遺恨の爪痕は、今の世代をどこまでも苦しめている。


 だが、エリーネ・フリートハイムはなぜか確信していた。そして、信じていた。

 確かな根拠などどこにもなく、裏付けられるほど彼女との関係は深くない。

 しかし、心は叫ぶ。大丈夫だと、安心していいのだと。

 目の前の成瀬紫苑は、きっと――


「……うん。でも、今のわたしならわかる。それが真実だって。……確かに一部の魔術師は本当に人外なのかもしれない――けど」


 紫苑は、逸らしていた視線をエリーネのものと合わせた。


「あなたたちはそうではない。心を持った人間なんだって、わかる」


 そう言うと、紫苑は微かに口元を緩め、小さな笑みを浮かべた。


「……今なら自信を持って言える。――あなたたちは仲間。わたしと大河の、本当の仲間。だから、何か問題があるなら独りで抱え込もうとしないで。不安なことがあるなら相談して。無碍にしたりしないから」


「……はいっ」


 紫苑からの言葉に、エリーネは柔らかく笑んで応える。

 エリーネは、心の底から嬉しいと感じていた。

 確かに、魔術師の友人なら祖国でも居た。こちらでも……好意的に解釈すれば奈々が、そして拡大解釈すれば敏也がそれに当たるのだろう。しかし、本来は険悪な関係にある微魔力保持者に明確な友人が出来たのはこれが初めてだったからだ。


 そう、友達、友達なのだ。


「その…………紫苑……さん」


「……なに?」


 エリーネがこれまでとは違い、思い切って名前で紫苑を呼ぶと、紫苑は何気なしに返事をする。肩肘を張り過ぎていただろうかとエリーネは反省し、気を取り直して人差指を立てた。

 その顔は、心の底から楽しそうで。


「こういう時は『仲間』というぼかした言い方をするのではなく、『友達』と言った方が好ましいと思います。特に、私たちの年齢ではそちらのほうが適切かと」


 教示された紫苑は無表情で首を捻った後、納得したのか、こくりと頷いた。


「……確かにそっちのほうがいいかもしれない。……まさか留学生であるエリーネに日本語の説法をされるとは思わなかった。軽くショック」


「ふふ、日本人だからと慢心しないほうが身のためですよ、紫苑さん」


「……その程度のことで慢心してどうなるかは知らないけど、気を付ける」


 そう言う紫苑の表情は、微かに笑んでいたようにエリーネは感じていた。







「青春だなぁ……」


 と、柱の陰から家政婦は見たよろしく様子を伺っている敏也は目元を拭う。

 敏也は、エリーネが心から信頼できる友人ができたこと、そしてその誕生に関する一連の遣り取りを見届ける事ができ、感激の極みに居た。


 他者に対して冷たく警戒した視線を向けることしかできていなかったエリーネが、すれ違いや後悔、誤解や偏見など、そういった不器用な人間関係を経て、今ようやく本当の友人を得たのだ。これに感動せずして何に感動するというのか。


「エリーネ、俺は嬉しいぞ。お前が警戒心なしに余所の子と笑い合ってるとこが!」


 今の敏也の目に映っている光景は、デフォルメされた猿の絵柄がプリントされたTシャツを自身の身に無表情で当てている紫苑。それを見て笑いのツボに入ったのか、目尻に涙を溜めながら笑っているエリーネの姿だった。紫苑に関してはどこが面白いのかわからない様子。


「たぶん、猿の馬鹿みたいなポーズとアホみたいな表情のせいだろうな」


 猿の絵柄は、頭にウキッと手をやって、目は左右で別の方向へ、顎をシャクり、何故か首から下はセクシーポーズを取っているといったものだ。デザインした人間とゴーサインを出した人間の正気を疑う出来である。見ていてゾッとする。


 と、そのような分析を敏也がしていると……。


「ちょっと、そこの君」


 そんな声がし、ポンっと肩にごつい手が乗っていた。


「え?」


 敏也が背後を振り返り、その手の主を見やる。

 その人物は、恐らくはショッピングモール近くを見回っていたと思われる警官一名。

 この付近に常駐している警備員ではなく警官が来たということは、怪し過ぎる敏也のせいで誰かが通報したということだろうか。


 なにせ、つい今しがたまでの敏也は、突如隠れていた柱を指でガリっと引っ掻き、急にハラハラし始め、終いにはポロポロと涙を流していたのだ。怪しさここに極まれり、である。


(あぁ……やっちまったな)


 どこか悟った感じで自身の迂闊さを嘆くが、時すでに遅く。

 警官は顔ににこやかな笑みを浮かべているが、その笑顔は威圧感を伴いに伴っている。まるで「迂闊な動きしたらぶっ殺すよ?」とでも言いたげな凄味がある。


「えーっと……なにか?」


 まずい、と本能的に察した敏也は冷や汗を大量に流しつつ、頬を引き攣らせながらも精いっぱいの愛想笑いを浮かべ、なんとか遣り過ごそうと試みる。

 しかし、敏也のその対応に不信感を募らせたのか、警官の目がきらりと光る。そして、敏也はそれを見逃さない。


「ちょっと向こうでお話を――って、あっ! こら待てー!!」


「やなこった! 誤解で脛傷すねきずなんて御免だぁぁ!」


 敏也は警官の手を振り払い、高速で駆け出していた。そのままショッピングモールの通路を駆け、一時的な撤退を図る。

 このまま逃げるとエリーネを危機から守ることが一時的とはいえ不可能となってしまう。そのことが敏也としては些か遺憾だったが、背に腹は代えられない。


「はっはっは! 俺を捕まえることなんて不可能だっての!」


「それはどうかな?」


「へ?」


 駆けながら隣を見る――とそこには先ほどの引き離したはずの警官がいた。その走行スピードは敏也と同じで、一般人では成しえない速度だ。


「な、なんで付いて――」


「それはわたしが魔術師だからだ」


「治安維持部隊に行かずに警官に? なんでだよっ!?」


 魔術師の主な就職先は治安維持部隊のはず。なのになぜ。


「ケイカン、カッコイイ。――それ以外に理由がいるかい? ちなみに、今の警察は増加する魔術犯罪に対応するために魔術師を囲い始めている。憶えておいて損はないよ」


「あーそうですか! 明確な答と余計なお節介をありがとう! じゃあ!」


「逃がさん!」


「ですよねー!」


 急ブレーキを掛けて別の方向に延びる通路へ逃げ出した敏也であったが、警官はすぐさまその動きに対応し、追い縋って来る。


「だー! ちくしょーっ!! 絶対に逃げ切って見せるからなぁッ!!」


 敏也の叫びがモールに木霊する。







 一方、騒ぎを聞き付けてブティックから出てきたエリーネ一行は、通行人たちが立ち止まって見ている方向へと目をやった。

 しかし、その先には誰の人影もなく、そこでいったい何が起こったのか、多くの人々の目を引くような出来事とは何だったのかを窺い知ることはできなかった。


 エリーネは怪訝そうな顔で二人に訊く。


「いったい何があったんでしょうね? なにやらみなさんが困惑してらっしゃいますが……」


 すると、奈々と紫苑は困ったように視線を逸らしながら脂汗を滲ませていた。


「さ、さあ? どうしたんだろうねぇ、しおちゃん?」


「……わたしには何もわからない。きっと馬鹿が馬鹿なことをして馬鹿な目に遭ってるんだろうとか、そんなことは一切わからない」


「……?」


 その怪しい二人の姿にエリーネは目を細めてじっと見る。しかし、奈々と紫苑は目をあっちに逸らし、こっちに逸らしと、合わせようとしない。

 回り込んで何度か試すが、同じことだった。


「はぁ……」


 諦めたエリーネは溜息を吐き、騒ぎのせいで興が冷めたこともあってか、仕切り直しとばかりに提案した。


「まあいいです。紫苑さんが気に入った猫のTシャツ以外に目ぼしい物はありませんし、あれを買ってから次のお店に行きましょうか」


「えぇー!? さっきの服はぁ?」


「あれは服ではありません、布です。さあ紫苑さん、さっきのシャツを買いに行きましょう」


「……了解。……奈々、悪く思わないで」


 そう言って去っていく二人の背中を奈々は悔しそうに見送り、その身体が戦慄き、口惜しさを表現する。そして、


「ちくしょー!!」


 本日、早くも二度目の絶叫がモールに木霊した。



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