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双天の共鳴者  作者: 月山
第三章「シンフォニック・アソシエイション」
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突然の来訪Ⅴ

 それから敏也とクリスは身を離し、時間も遅いこともあってか、帰路に着くこととなった。


 時刻は午後九時をすでに回っている。

 今、敏也たちは大通りの歩道を歩きながら、クリスの宿泊先があるであろう御陰市みかげしの中心街へと向かっている。

 傍にある車道を通る車のライトが、行き交う人々の姿を照らしていた。


「クリスが泊まるホテルって、駅前にある高級ホテル?」


「あら、よくわかりましたわね」


 敏也がクリスの荷物を引き摺りながら尋ねると、隣を歩くクリスが少しだけ感心したような雰囲気となった。


「ですが、どうしてそれを?」


「ん? ……いや、クリスって育ちが良い感じがしたから、安い所には泊まらないだろうなー……と」


「それは心外ですわっ」


 その発言に異を唱えたいのか、クリスは不機嫌そうに腰に手を当てながら言う。


「確かにそれなりの家系の出ですが、別にわたくしは料金が高いホテルだからそのホテルにしたわけではありませんわ。気に入ったところがそこだったというだけです」


「でもお高いんでしょう?」


「……それなりですわ。そもそも、お金を使って自分を大きく見せたいのであれば、こうしてあなたと二人で道を歩いていることはないのではなくて? それこそタクシーでも、なんならリムジンでも呼び寄せてホテルへ向かいますわ」


「……言われてみれば確かに」


 旅行鞄などという嵩張るものを引き摺って長い道のりを歩くというのは、女性であるクリスからして見れば疲れるだろうし、非効率的なはずだ。ゆえに、先ほどクリスが言ったように、なにか移動手段をチャーターしてしまえば楽なのだ。

 それをしないということは、無駄遣いをするつもりはない、ということなのだろう。


「……まあそれに、晩飯であれだけ食ってりゃあ、食後の運動は必要だよな」


「うっ……」


 と、クリスは呻いた後、冷や汗を流しながら表情を不敵な笑みにした。


「いいえ? そのようなことはありませんわよ? ……それに、丁度先ほど『食後の運動』を終えたばかりですし?」


「それは俺をボコボコにしたことを言ってるのかっ? だとしたらお前鬼だぞ……」


 しれっと恐ろしいことを言いのけたクリスに対し、敏也は恐怖を禁じ得ない。その身は恐怖で慄き、表情は目の前の悪魔に戦慄している。

 対してクリスは口元を手で隠し、楽しそうに表情を綻ばせている。


「ふふ、あまりわたくしを怒らせるような事は言わない方が身のためですわよ? また先ほどのように扱かれたくはないでしょう?」


「……肝に銘じまーす」


「……あら、言った傍から生意気な態度。虐めたくなってきますわ。……なんならここで第二回戦を……」


「はい! 反省してます! だからもうね、やめとこうよ、ねっ? 時間も遅いことだしさ!」


 視線をあっちこっちへと逸らしながら敏也は謝罪した。

 口は災いの元と痛いほど知っていて、なおかつ、その教えをエリーネによって骨身に刻まれているとはいっても、言いたい事は言っておきたかったのである。


(だって俺、男の子だもの。ちょっとくらい反骨精神がないと)


 それを恐れのせいで口に出して言えない事が、敏也としてはちょっぴり悔しいのであった。


 と、そのような遣り取りを終え、他愛もない会話をしながら二人が歩き続けていると、ようやく駅近くへと辿り着いた。

 立ち並ぶビルたちの中、ほんの少しだけ背丈の短い建物が中心近くに佇んでいる。しかし、他と比べると小さいとは言っても、その周りには何十台ものタクシーが待機しているし、その建物の周り数十メートル範囲にある飲食店――主には居酒屋だが、それの発する光でここ一帯はとてつもなく明るい。

 御陰市の中心部にある駅。この近くにはショッピングモールや映画館、少し外れた場所には少々寂れ掛けてはいるが商店街、スポーツジムやら習い事の教室などがあり、この一帯を散策すれば大体のものが揃う場所となっている。


「やっぱ駅前はこの時間でも明るいなー」


「賑やかですわね。……時間も時間ですし、これからあちらこちらに見受けられる仲睦まじい恋人たちは、共に夜の街の闇へと人知れず消えて行くのでしょう。そしてその先で――」


「やめろ! 健全な青少年の前でなに口走ってんのっ? 気まずくなるだろうが!」


「あら? もしや……ドキドキしますの?」


 クリスは足を止め、敏也をからかおうとするかのようにわざわざ艶のある笑みを浮かべ、上目遣いに訊いて来る。

 それに対抗するように敏也は腕組みして言う。


「はっ、馬鹿め! 俺がその程度でドキドキするわけないだろ! だからもうやめてください!」


「……情けない人ですわねぇ……。まったく耐性がないだなんて……」


 頬に手を当てて、クリスは呆れたように溜息を吐いていた。

 その態度にグサリと胸に突き刺さる何かを感じ、敏也は痛む胸を押さえている。


「わ、悪かったですねぇ? 耐性がなくて。でも、いいじゃない。ピュアな心は大切だと思う。恥じらいとかも大切だと思う。人として大事な部分だと思う!」


「大人からすれば純粋な人――引いては純粋な子どもは利用価値のある玩具でしかないのですけれど……あなたはそれを理解できているのかしら?」


「……やめて。これ以上俺の夢を壊さないで! 醜い世の中を教えないで!」


 敏也が耳を押さえて、ひー、と泣いていると、クリスが苦笑気味に首を振った。


「冗談ですわよ。少なくとも、わたくしは慈しむべき存在として可愛がってあげますわ」


「全っ然っ、嬉しくない!」


「本当に?」


「……少しだけ嬉しいです、はい」


「素直でよろしい」


 にっこりと笑んでクリスは満足げに頷いた。


(なんか手玉に取られてんな。これが年期の差か。ちょっとしか違わないんだろうけど)


 内心で拗ねながら敏也はそう思っていた。だが、それが大して嫌に感じないのは、彼女の仁徳のなせる技なのだろうか。

 と、そんなことを敏也が考えていると、クリスが敏也の手に掴まれていたキャリーバッグの取っ手をそっと受け取り、彼からささっと距離を離すと、こちらを振り返った。

 その端正な容姿に魅力的な笑顔を浮かべ、


「敏也さん、見送りはここまでで結構ですわ」


「え、でも……あと少しじゃん。大した距離じゃないし、送ってくよ」


「いいえ、大丈夫です。ここからは明るいようですし。それに、わたくしが暴漢程度に後れを取ると思えて?」


「……泣くのは確実に暴漢のほうだな」


「でしょう?」


 敏也が肩を落としながら言うと、クリスは心底愉しそうに笑んだ。

 先ほどの、文字通り目にも留まらぬ速さを体現するクリスならば、暴漢程度がいくら集まろうと塵のように掃えてしまえるだろうし、例えその暴漢が魔術師であろうと、一撃のもとに断罪してしまうだろう。

 圧倒的な実力。恐らく、祖国では高位魔術師に認定されているであろうクリスは、まだまだ弱い敏也からすると、途轍もなく強大な存在に思えてしまっている。

 しかし、


「でもさ、それでもクリスは……あー……女性……だから。だから、送ってくのが男の役目かなー……と思うんですけど。いくらお前が強くてもさ」


 敏也が視線を明後日の方向へ向け、首筋を気まずそうに撫でながら言う。

 すると、クリスは虚を突かれたかのように瞬きを繰り返し、そして、我に還るとその顔に浮かべていた笑みを益々深めた。


「ふぅん……子ども子どもだと思っていたのですけれど、女性への最低限の礼儀というものは心得ているようですわね?」


「そりゃあね。見栄を張りたいお年頃だし?」


「では、そういった気遣いをエリーにはしてあげているのかしら?」


「当たり前だろ。いくら捻くれてたって、そのくらいは前からしてたよ」


「結構結構。安心しましたわ」


 クリスは上機嫌に頷き、満面の笑みで持って敏也を見据える。その眩しい佇まいを前にした敏也は、恥ずかしげに顔を背けていた。

 敏也がそうして顔を背けている間、クリスは何事かを呟いていた。


「――そうですわね。どうせなら彼に……」


「クリス?」


 聞き取れない声量で何かを呟いている彼女に気付いた敏也は恥ずかしがるのを止め、クリスへと視線を戻した。

 その視線に気付いたクリスは思案するように顎に当てていた手を離し、


「敏也さん、そう言えば、わたくしが来日した理由をまだお話していませんでしたわね?」


「あ」


 敏也は、ファミレスでクリスにした質問に未だに答えてもらっていない事を思い出す。


「そういやそうだったな。で、クリスはなんでこんな時期にこっちに? 魔獣騒動の後片付けとかテロへの警戒態勢のせいで、碌に航空便ないだろ?」


 現在、各国は魔獣が発生していた一週間近くのあいだ行っていた鎖国状態を解除している。そのため、貿易とうの国交は試験的に再開され、貿易会社や企業はあの一週間の遅れや赤字を取り戻そうと躍起になってあっちこっちへ忙しなく動き回っている。

 だがしかし、国から出て、また、別の国から入って来る人員に関しては、かなりの徹底した身辺調査及び、渡航する前に入念な荷物検査を受けなければならなくなっている。それは単に、この混乱に乗じて新たなテロを起こす組織が出てくることを警戒してのことだ。

 そもそも、便数が平常時に比べ半分以下に減っている現状では、貿易相手の海外の会社を訪れるために渡航する企業のエージェントたちと座席の奪い合いになることも考えられ、チケット入手の倍数はとんでもないことになっているはずだ。

 そんな中で航空便のチケットを手配するのは、かなり骨が折れるはずなのだが……。


「ええ。チケットを取るのは大変でしたわ♪」


「……そうは見えないけど」


 まったく苦労を感じさせないクリスの居住まいに、敏也はじっとりとした視線を向ける。

 しかし、クリスはそれを涼しげな顔で受け流し、ごく自然に会話を続けた。


「わたくしがこちらへと訪れたのは、ある用件ともう一つ、エリーを護るためですわ」


「ある用件? っていうか、エリーネを護るってどういうことだ? なに、あいつに危害を加えようとしているやつがどこかに居るのか?」


「落ち着いてくださいな、敏也さん。……顔が怖くなっていますわよ?」


 その言葉に敏也がはっとして自身の顔に触れると、確かに表情筋が強張っているように思える。今の表情はかなり焦燥感に染まったものになっていることだろう。

 敏也は顔を揉み解すことで気を取り直すと、視線で続きを促した。


「……結構。では続きを。――それはもう恐ろしい危機がエリーに迫っているのです。と、言いましても国家機関に通報するほどの事ではないと言いますか、されるとフリートハイム家がひじょーーーーに不味いことになると言いますか……」


「ん? ……ってことは、身内のゴタゴタか何か?」


「そうです! 察しが良くて助かりますわ。とにかく、もしもその危機にエリーが囚われてしまったら、どんな目に遭わされるかわかったものではありません。嗚呼……可哀想なエリー……、誰にも護ってもらえず……」


「――良し、わかった。全校生徒でその危機潰す」


「いえ、お待ちを。事を大きくするのは駄目だと言ったばかりではありませんか。……というか、あなたにそんな人望が?」


 無表情で携帯端末を握りしめ、画面に番号を高速で打ち込み始めた敏也。

 そんな敏也の行動にうろたえたクリスは、敏也の今までにない素早い身のこなしと、そのような大それた案を実行できるとは思えない程度の彼への信頼から、困惑を抱く。

 クリスは敏也を窘めて端末を通常状態に戻させた後、再度続きを話し始めた。


「と、とにかく、その危機からエリーを……ついでにあなたを護るためにわたくしは来日したのです」


「それは心強こころづよ――え、なに、俺も狙われてんの?」


「ええ」


「おいおい……」


 予想外の事態に敏也は冷や汗を流していた。

 敏也としては、誰かに恨みを買われるような真似をしたことはない。小さいことを上げるのなら、エリーネを怒らせたり、エリーネを泣かせたり、エリーネを護れなかったり――


(あれ? ってことは、俺が恨み買ってるのエリーネじゃね? あいつが危機そのものなんじゃ?)


 エリーネが溜まりに溜まったヘイトを爆発させ、報復を画策しているのでは。

 結論に至った敏也は街灯りに照らされた夜空を見上げながら、ほろりと一滴涙を流した。


「彼女の手に掛かって死ぬなら本望だ……」


「……なにか勘違いをされているようですけれど、先ほど申し上げました通り、エリーが基本的には狙われているはずですわ。あなたはそれをわかっているのかしら?」


「……あー、そうだった。積もり積もった罪悪感のせいで忘れてたよ、ははっ」


「……う~ん、やはりこんなお馬鹿な方はエリーのお相手には相応しくないかしら……」


「ごめんなさい。茶化さずに真面目に聴きますので、どうかその評定だけはご容赦を、お義姉様ねえさま


「……おねえさま……?」


 その言葉に、クリスの耳がぴくりと動く。それを見過ごすほど敏也は純な子ではなかった。目敏くクリスの動揺を察知した敏也は内心で算段を付けていた。


(そこがお前の弱点か、クリス。可哀想だが、突かせてもらう)


 黒い笑みを内心で浮かべ、人の弱い部分を突く決意を固める敏也。反対に、現実の彼は人の良さそうな笑みを浮かべているところが、また何とも言えない腹黒さを醸し出している。


「はい、お義姉様ねえさま


「お、おねえさま……」


「どうかお許しを。お義姉様」


「し、仕方ないですわね。許してあげましょう」


「ありがとうございますっ、お義姉様」


 許しを貰った後にもう一撃加えておくこと、これぞ、怪しまれないための鉄則なり。というよりも、エリーネとの遣り取りで培った教訓だったりするのだが、はてさて。


(ちょろい)


 そんな心境を蚊ほども表に出さず、敏也は朗らかな笑みを浮かべたままだ。

 クリスは「ほはぁ~」と満足げに息を吐く。と、敏也に笑顔でじーっと見詰められていることに気付いたのか、咳払いをしてお茶を濁した。

 そして、


「まあそういうことです。エリーを救う為にここを訪れた――のですが、手出しは止める事に致しました」


「へ?」


 敏也は間抜けに声を出し、唖然とする。

 クリスはいきなり何を言い出しているのだろうか。エリーネに危険が迫っているというのにそれを見過ごすというのか。まさか、彼女を見捨てるとでも。

 敏也が混乱のせいで何も言えずにいると、クリスは平常のままで言葉を継いだ。


「敏也さん、この危機はきっと、あなたとエリーが乗り越えるべき試練の一つなのです。ですから、わたくしが手を出すことは無粋かと」


「そ、そんな……! わかってるだろっ? 俺はまだエリーネを護れるくらい強くないんだ! なのに……なのにあいつを一人で護れだなんて……無理だ……」


 敏也が悔しそうに顔を伏せながら悲痛を零すと、クリスはにこやかな笑みを浮かべた顔を横に振った。


「いいえ、敏也さん。勘違いをしてはなりません。わたくしがいつ『一人で』などと申し上げました?」


「え、それは……」


「敏也さん、そこがあなたの悪い癖ですわね。一人の力などたかが知れています。ならどうすべきか。それは誰かに助けを求めることです。一人で無理なら二人で、二人で無理なら三人で。――周りを頼ることを覚えなさい、敏也さん。もちろん、今回はわたくし以外を、ですけれど♪」


「……」


 周りを、頼る。

 どうだろうか。今まではそうしてこなかっただろうか。

 思い返して見ても、自分が頼っていたのはエリーネばかりではなかっただろうか。


(俺、エリーネにばっかり負担掛けてたのかな)


 マサルや奈々、大河や紫苑が居たにもかかわらず、それでも結局最後に縋っていたのはエリーネではなかったか。その行いは人として、一人の人間として卑劣ではなかったか。

 夕刻前に、マサルに電話口に言った『周りを頼れ』――あれは、もしかしたら自分自身に言った言葉だったのではないか。無意識に零れ落ちた、自分の弱音だったのではないか。


「……うん、そうだな」


 敏也は左手に端末を持ちかえると、右手のひらを広げ、そこを見詰めた。


 傷以外になにもない手のひら。あの日、誰も救うことができなかった無力な手――だが、こんな手でも、今ならば掴める手はあるはずだ。


「なんとかしてみるよ、クリス。……だって俺とエリーネには、仲間がいるからな」


 右手を柔らかく握り込み、希望に満ちた顔で意志を表明した敏也。

 それを受け取ったクリスは、ただただ満足げに頷く。


「期待していますわ、大神敏也さん。――こちらはわたくしの連絡先です。本当にどうしようも無くなった時、連絡してきなさい。一瞬で助けに参りますわ」


 そう言って差し出された紙切れを受け取った敏也は、そこに記された連絡先を端末に記憶させながら呟く。


「その危機ってやつ、具体的なもんはわかんないのか?」


 敏也の問いに、クリスは申し訳なさそうに首を振った。


「残念ですが。……事態がどう転ぶかわからぬ今、どちらがいつあなたたちの脅威となるか……」


「?」


 丁度打ち終わったこともあってか、怪訝に顔を上げた敏也はクリスを眺める。


「なんにせよ、エリーに気付かれずに事を終えるのが望ましいですわね。どうか、わたくしの来日に関しても他言無用でお願い致しますわ」


「どうして?」


「それはもちろん、明日はあの子がお友達と出かける日だからに決まっているではありませんか。それを邪魔するのは野暮というものですわ。それに、あの子の心はまだ弱っています。余計な心配を掛けるのはできるだけ避けたいのです」


「ほんとよく知ってんな。怖いくらいだ」


 頭へと手をやり、呆れた調子で敏也が零す。

 しかし、敏也としてもその方針には賛成だった。


 エリーネの心の傷はまだ癒えていない。まだしばらくは穏やかな日々の中で養生することが望ましい。そうしなければ日常と非日常の境が曖昧になり、日常こちらに戻ってこれなくなってしまう。

 戦いの中でしか生きられなくなってしまう。

 それは、敏也としても望むところではない。ゆえに、可能であるならばこの夏は静かに過ごさせてあげたいし、そのための努力は惜しまない所存だ。


 そして、恐らくは世界規模で見ても指折りの実力者であろうクリスが、個人の手で解決できる範疇の問題だと言った以上、それに間違いはないのだろうし、また、敏也のように矮小な実力しか持ちえない存在にも打破が可能な事象なのだろう。

 総じて、敏也としては反対する要素が一つとしてなかった。


 表面の呆れた調子に反して異論がなさそうな敏也の態度を見てとったクリスは、小さくくすりと笑んで言う。


「だってわたくしは、完全無欠ですもの♪」











 近いうちにまた会うことを約束し、別れを告げた二人。

 駅前の夜景の中、遠ざかっていく敏也の背へと振る手を止め、それを降ろした。


「傷だらけの少年は嘆くのを止め、今ようやく、本当の意味で前へと踏み出した」


 彼を見詰めるクリスの瞳は、誰よりも温かげだ。


「エリーが計画の根幹に組み込まれた時はどうしたものかと思いましたけれど……あなたが傍に居るのなら、あの子への心配は必要ないかもしれませんわね」


 その囁きは、どこか笑んだ気配が含まれている。


「さて、あなたはどこまで自分いまを壊せるのかしら。大神敏也?」


 ある程度進んだところで敏也が背後を振りかえると、クリスの姿はどこにもなかった。














 夜の帳に覆われた学園。その隣の区画にある研究所。

 吹き抜けるのは生暖かい潮風。しかし、それが生み出すのは穏やかな夜の空気。学園全体を包んでいる大気は、ほんの少し前までここが戦場になっていたとは思えないほどに安らかだ。

 研究所の屋上。

 校舎の屋上とは違い、背の高い柵の代わりとして手すりがあるだけのその場所に、そこへ両腕で凭れるようにして背を丸め、楠瀬燐火は遠くに見える御陰市の街灯りに想いを馳せていた。

 その時、


「……来たか」


「その様子では、わたくしが来ると存じていたようですわね?」


 燐火が呟くと、それに応えるように女性の声が続いた。

 燐火が背後を肩越しに振り返ると、そこには数分前に敏也と別れたばかりのクリスティーネ・フリートハイムの姿があった。

 夜空に雲はなく、しきりに降り注ぐ星明かりと月明かりに照らされているクリスの姿は、彼女が後頭部に纏めている美しい銀髪のせいもあってか、非現実感を伴っている。

 燐火は夜風にはためく自身の白衣に気を向けることなく、クリスへと向いていた顔を街のほうへと戻し、彼女の質問に答えた。


「ああ。どうせ君は気付いていたのだろうが、わたしの部下が空港から君の動きを追跡トレースしていたのでね。こちらへ君の動向について、逐一情報が降りて来ていた」


「それはそれは」


「……感謝してほしいね。先ほどの敏也との戦闘やんちゃ、いくら中心街から外れていたとはいえ、あれが大騒ぎにならないよう公的機関に根回ししたのはわたしだよ?」


「もちろん感謝していますわよ? ……ですが、このくらいの罰はあなたにも受けていただきたいと考えていましたから」


「……?」


 その受け答えに対して眉間に皺を寄せ、燐火は疑問に思って黙りこむ。

 すると、そんな彼女の隣まで歩いてきたクリスが、同じように街灯りを見詰め始めた。


「エリーと敏也さんの心の傷、あなたはそれに目を向けず、気付く事が出来ず、あまつさえ放置していた。そのことへの罰ですわ」


「心の傷? ……ああ、そうか、そうだったね。そちらへの配慮は……ああ、まただ。わたしはいつまでたってもそうした心の機敏に疎いな」


 クリスの言った内容に思い当たるところがあったのか、燐火は右手で頭を掻き毟るようにしてより一層手すりに凭れかかる。

 そんな燐火の佇まいを見たクリスは、呆れたように肩を竦め、溜息を吐いた。


「まったく……昔から変わりませんわね。あなたは昔から『彼女』が言う通り、壊すことしか知らない小鬼ですわ」


「……そう辛辣なことを言わないで貰いたいね、クリスティーネ。いくら君が古くからの同士とは言え、わたしの堪忍袋の緒が切れることだってある」


「あら、それならここで殺し合いでも致しますか? 十中八九わたくしの勝ちでしょうけれど。……実力、まだ戻ってはいないのでしょう?」


「耳が早いな。さすがはフリートハイム家といったところか」


 燐火が不満げに頬杖を着きながら言うと、クリスは首を横に振った。


「家は関係ありませんわ。あなたの友人として当然のことですもの」


 クリスは少なくとも、燐火のことをそう思っていた。

 九年前の魔動機大戦時、クリスの祖国と日本は同盟関係にあり、そこに米国や英国なども加わり、敵国と戦った。日本海付近を主な戦場として、中華連邦や共和制国家ロシアの支援・援護を受けつつ、圧倒的な数の独自の第二世代魔動機を有していたユーラシア経済連合及び、それに属した国々との小競り合い、分水嶺へと共に挑んだのだ。


 二人の世代が駆け抜けた戦火は、今の世代よりも圧倒的に多い。

 クリスと燐火はそうした苦難を共にした間柄だ。友人とは呼べなくても、戦友とは呼べるのではないか。クリスはそう思って、機会があれば何度もこう言い続けてきた。

 だが、


「……君のその気持ちは有難いが、わたしは……もう友人を作るつもりはない。そんな資格はわたしにはないんだ」


 燐火は決まってこう言うのだ。過去の罪と過ち、後悔に蝕まれ続け、意固地になってしまっている。そこが、友人であるクリスとしては心苦しいのだった。

 燐火の瞳は哀しみに揺れ、街の方角を見詰め続けている。そんな彼女の横顔に目を向けながら、クリスは言い辛そうに言葉を紡いだ。


「まだ……二人を護れなかったことを気に病んでいますのね」


「当然だよ。わたしがあの時彼女たちを止めていれば、こんなことにはならなかったんだ。少なくとも、日本が暴走体によって被害を被る事はなかったはずだ」


「ですが、それは今だから言えることですわ。あの時のわたくしたちも彼女たちも、何も知らなかった、知らされていなかった。全てを知ったのは事が始まった後だったのですから……」


「それでも……!」


 燐火はその慰めを否定するように静かに叫ぶ。手すりを掴み、握り潰そうとするかのように力を込める。


「それでも思わずには居られないのだよ。あの時もう少しうまく立ちまわれていればと、彼女たちを引き止めていればと、そう思わずには居られないのだ。わたしにもっと力と知識があれば……人知を越えた力さえあったのならば…………、何千という死体も、燃える町並みさえも見ることがなかったのではと……」


 燐火は言い終わると口元を引き結んでいた。その動きには、誰よりも飢えた渇望と、同時に、言い知れぬ絶望感が見え隠れしていた。


「……なら、どうしてあの子たちに全てを教えてあげないのですか?」


「なに?」


 燐火が疑念を擡げながら顔を向けると、クリスの視線は満天の星空へと向かっていた。学園の周囲は店などがないため、邪魔をする光がそれほどなく、星空がよく見える。


「あの子たちに何故、計画の全容を教えてあげないのです? これから待ち受ける困難への心構えは、今の内から必要なのではありませんか?」


「それは……」


「教えない――あなたのその行動はかつての政府のものとは違い、単純に二人に対する思い遣りから来るものなのでしょうけれど、だからといって何も知らせず、暗闇の中を手探りで進ませるのはあまりにも酷というものでは? この世界は、灯りもなく歩くには些か過酷過ぎますわ」


「……」


 燐火はクリスからの糾弾に何も言えず黙りこんだ。

 しかし、しばしの逡巡の後、鋭い目つきを取り戻した眼差しで、隣に居るクリスを見た。


「彼らに全てを教えてあげることは簡単だ。わたしたちが知っていることを全てありのままに話せばいいのだから。……しかし、だからといってそれが正しい指針となるとは限らない。もしかしたら、わたしたちが間違っている可能性だってある。計画の到達目標とて、変わることがあるかもしれない」


「だから、教えないと?」


「今はまだ、ね。少なくとも、彼らが権能セフィラを自覚を持って扱えるようになるまでは、迂闊な情報提供は控えるべきだ」


「……そう、二人に対して沈黙を護っていたことは、何も考えていないというわけではありませんでしたのね。少しだけ安心しましたわ」


 クリスはそう言い、身体の向きを変えると両手を手すりへと着け、身を仰け反らせて夜空を見上げた。


「……二人に迫っている二つの案件についても、教えてあげるつもりはないのですか?」


 そう問うと、燐火は挑発的な笑みを浮かべてクリスを見た。


「それはわたしが君にしたい質問だな、クリスティーネ。なぜ、そのことを敏也に話さなかったんだい?」


「決まっていますわ。この出会いが、二人の心をより一層強くすると信じてですわ」


「その果てに命を落としたとしてもかい?」


 燐火が訊くと、クリスは苦笑混じりに口元を緩めた。


「心配には及びませんわ。わたくしが付いていますもの」





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