突然の来訪Ⅱ
「ところでさ……」
粗方食事を終え、各々頼んでいたドリンクを口にしながら息を吐いていると、敏也がコップを置きながら会話を切り出した。
「クリスはどうして日本に? やっぱりこの前の事件のことでエリーネが心配に?」
「ええ、そうですわ――と言いたいところですけれど、それだけではありませんの」
「どういうこと?」
「いえ…………その前にお聞きしてもよろしいかしら? こちらでのエリーのことを」
「エリーネの……」
器の大きさと心の大らかさを感じさせる穏やかな微笑み。
そんな表情で問われた敏也は断れるはずもなく、そして断る理由もないため、視線を斜め上方へと遣りながら、エリーネと過ごした日々を追想し始めた。
「あいつは……良いやつだよ。時々すごく怖いけど、みんなのことを大切に想ってることが行動の端々に垣間見えて。……俺は基本的にあいつに怒られる役なんだけどな」
力無く笑いながら言うと、クリスが少しだけ驚いたように眉を上げた。
「あの子が……あなたを叱るのですか?」
「うん。……意外?」
「ええ、意外ですわ。あの子はわたくしの知る限り、引っ込み思案でいつも誰かの陰に隠れているような子でしたから」
「……嘘」
敏也は唖然。クリスの口から語られたエリーネ像が、普段敏也が見るエリーネの姿と全く違っていたからだ。しかし、もしかしたらとも思う。
出会った当初の頃の彼女、そして共に実験に参加することを決めたあの日までの姿は、確かに気遅れしがちな少女が強がっている姿と言えたかもしれない。
でも今は――
「それでも今のあいつは……ちゃんと意見が言える子だよ。駄目なことは駄目だって。いけないことはいけないって。……それにさ、あいつ、すごく可愛く笑うんだ。無邪気に、……ほんと子どもみたいに満面の笑みでさ。すごく……すごく綺麗な笑顔で、それがどうしようもないくらい――」
と、そこまで言って敏也は気付いた。エリーネを語る自分の顔が、物凄く幸せそうな形になっていることに。そして、そんな自分を眺めるクリスの表情が、とてつもなく厭らしい笑みになっていることに。
「そう。敏也さんはエリーのことを愛していらっしゃるのですね。僥倖僥倖」
「ち、違っ!?」
敏也は顔を真っ赤にしながら、身振り手振りで『誤解』を解こうと試みる。
「違う! 別に俺はあいつのこと、あ、あい……愛してなんか……っ!」
「そうなのですか? ……では『好き』といったほうが正しい表現なのでしょうか?」
「だから違ーーーーうッ!!」
思わず立ち上がりながら叫ぶ――と、周りの席の人たちや、店員の人たちの視線がこちらへと集まっていることに敏也は気付いた。ただでさえ美人で露出度の高いクリスに視線が集まりがちだったというのに、先ほどの叫びによって余計に視線が集まってしまっている。
「す、すいません……」
敏也は周囲に謝罪しながら席に座った。すると、そんな自分を苦笑気味に見ていたクリスの存在に気付く。
「……あらあら、素直でない方ですわね。あんな表情を見せておいて好きではないだなんて……そんな嘘はまかり通りませんわよ?」
「いや、百歩譲って俺があいつのことを好きだとしてもだよ? それをあいつの家族の前で堂々と言うのはどうなのさ? おかしくない? つーか、図々しいというか面の皮が厚いというか……」
「つまり……厚顔無恥だと仰りたいのですか?」
「そうそう。……なんでわざわざ言い換えた」
「小馬鹿にした感が強いかと思いまして。ともかく、あなたのそれは杞憂というものですわ」
「どうしてだよ?」
クリスの言っていることの意味がわからず、頬杖を着きながら問う。すると、クリスはアイスコーヒーをストローで一口飲んだ後、微笑みながら応えた。
「エリーが選んだ方なら、わたくしは拒むつもりは毛頭ありませんから。あの子が将来の伴侶とする方を見誤ることなど、ありはしませんもの」
「……だとしても、俺がそれだとは限らないだろ? ……付き合ってもないんだし」
「そうですか。……えぇっ!?」
「うわっ!? ……びっくりしたー。急になにさ」
突然テーブルを両手で打ち付けながら驚きの声を上げたクリスに対し、その声のせいで跳ねてしまった心臓と胸を押さえながら、敏也は真意を伺う。
「え、いえ、だって……諜報員の方はあなた達二人の関係は九十九パーセントそうとしか見えないと…………。謝った情報を流すなど諜報員の風上にも置けませんわ。帰りに罰を与えませんと」
「そう、俺たちは付き合ってないの。……って、もう隠す気無いだろ、色々と」
「はて、なんのことかしら」
クリスは再びアイスコーヒーを口にしながら視線を彼方へやり、惚けていた。そのしれっとした佇まいはやはり家族なのか、エリーネが惚ける際の仕草にとてもよく似ている。
(……家族……かぁ……)
自分にはもう家族がいない。
先月、敏也はエリーネに対して『家族みたいなものだ』と言ったが、こうして本物の家族を見ていると、その発言がいかに滑稽だったかを骨身に沁みる想いで痛感する。
家族とは、切っても切り離せないもの。
それは、堅い繋がりで結ばれた間柄。
少なくとも、こうも何度もすれ違ってしまうような自分とエリーネの関係のようなものではないと、敏也は感じていた。それと同時に、堪らないほどに孤独感を覚えた。
「敏也さん?」
そうしていると、いつのまにかこちらを見ていたクリスが、急に黙り込んで表情を昏くした敏也を心配し、テーブルへと乗り出すようにして覗きこんでいた。
「い、いや、なんでもない」
「なんでもなくはないでしょう。……そのような寂しげな顔をしておいてその言い分、些か周囲の人間を馬鹿にしているのではなくて?」
「……違うよ。そんなつもりはないんだ……」
「ではどうしてそのような顔をしているのか話しなさい。話すまで帰しませんわよ?」
不敵に笑んで、クリスは言い放った。その堂々としつつ凛とした佇まいは、同じ人間としてとても眩しく思えて、そして、彼女がエリーネと同様に遠い存在に思えてしまっていた。
だが、それでも向き合うことをやめない。眩しさから逃げることはしない。
敏也の身体に刻まれた後悔たちが、せめてもの足掻きなのか、今この時から目を背けるという選択肢を心から打ち払い続けていた。
「……俺って一人なんだなって……そう思ったんだ」
「……それはどうしてですの?」
促された敏也はアイスティーが入ったグラスを両手で包みながら、顔を俯けて続ける。
「……前にさ、恥ずかしいことなんだけど……エリーネに『俺にとってお前は家族みたいなもんだ』って言ったことあるんだ」
「……それはわたくしとしては良いお話なのですが、今のあなたにとってはそうではないようですね?」
「うん……。今こうしてクリスと話しててさ、実感するんだ。俺とエリーネにはまだまだ埋められない距離があるんだって。知らない事が沢山あるんだって。あいつは近いようで全然近くなくて…………。俺は結局まだ、あの日から独りぼっちなんだなって……はは……」
渇いた笑いを零し、なお一層顔を俯ける。敏也の顔はすでにテーブルと平行になるまで傾いていた。
苦しかった。寂しかった。
狂おしいほどに求めているエリーネがこれほどまでに遠い存在だと、そのような事実を認めたくはなかった。これまで通り、彼女は自分の一番近い場所にいるのだと、心の距離と錯覚は度外視して、今まで通りで居たかった。
しかし、目を背けようとしてもそれは不可能で。心は酷く寂しいままだった。
すると、そんな敏也のつむじ辺りに、クリスの柔らかな声音が触れて来た。
「そうやって勝手に決め付けて、自分を追い詰めて、独りぼっちだと思い込もうとするのはよろしくありませんわね。信じることができませんか? あの子の事を」
「……そんなこと言われても……俺は……」
「……あなたの心がそこまでボロボロで、貧弱で、惰弱なのは、きっとあなたの心が壊れた時にきちんとした心の治療をしてくれる方がいなかったからなのでしょうね。……そしてそれは恐らく、三珠市が壊滅した九年前の事件が原因なのでしょう」
「……」
敏也はゆっくりと面を上げ、心の悲痛に歪んだ表情でクリスを視界に入れた。
そんな敏也の表情とは対照的に、クリスの顔は傷付いた者に対する慈愛に満ちていて、そしてさらに、未熟な子どもに対する情愛に満ち満ちていた。
「心配しなくても大丈夫ですわ、敏也さん。始めから自分と近い距離にいる存在など、この世のどこにも居はしませんもの。わたくしとてそうでした。いくら親だとは言っても、自分とは違う人間です。完全な味方とは言えませんわ。……でも、それでもわたくしには家族ができました。掛け替えのない大切な家族が」
「クリス……?」
「だから敏也さん。あの子に近付いて傷付くことを恐れてはなりませんわ。……いえ、そもそも、生きるとは傷付くことなのです。そして、傷付きながらでも生涯で代わりの利かない存在を見つけることが人生なのです」
「でも……それは怖いよ。傷付いて傷付いて傷付いて、その果てに大切なモノを見つけて一緒に生きるようになれたとしても、またあの日みたいに全部亡くして心にぽっかり穴が空くぐらいなら、この気持ちから目を逸らして生きた方が……よっぽどマシだ」
敏也の言い分に、クリスは間隙なく首を振る。
「いいえ、敏也さん。それは間違いですわ。……そこでどうしてあなたは大切な存在を護れるぐらい強くなると言えないのです? どうして強がれないのですか? あなたは――」
「強がったさッ!」
クリスの言葉を遮り、敏也は叫んだ。声量は抑えられているが、それでも有りっ丈の感情が込められていることが容易にわかるほど、その声は震えていた。
「今までずっと強がってきた。魔獣騒動の時だってなんとかなると言い聞かせて強がった。……さっきだって仲間に強くなるって言ったばかりだ。……でも……でも……っ!」
コップを、痛いほどに握り締め、
「でも俺は知ってしまったんだよ! 俺の力は所詮強いやつの前では何の意味もないんだって! 俺の力なんかじゃエリーネを護れないんだって! 身体を犠牲にしても、あのクソジジイに一撃喰らわせることさえできなかったんだぞっ!? 攻撃魔術が使えなくたってなんとかなるって、そう自分に言い聞かせて戦ってきた……でもそんなものは幻想だったんだ!! こんな俺にまだ強がれってのかっ!? ……俺はどうすれば強くなれるんだよ……っ!!」
エリーネにさえ零したことが無い弱音だった。溜めこんでいた鬱憤と不安だった。
攻撃魔術が使えない自分ではこれ以上強くなり様がない。ギア起動時に魔術の一時的な行使が可能――しかし、現時点ではその機能を使えば脳細胞にダメージを負う。つまり、使用不能。
肉体強化は術者の魔術適正に効力が大きく依存する。敏也の魔術適正は並。そして同じく並程度の魔力量だけ。制御も拙ければ、体質ゆえか障壁を生み出すことさえできない。つまり、鍛えようがない。
手詰まり。昼間エリーネに対して鍛錬がしたいと申し出たことは、ある意味でこういったことからくる不安を誤魔化したいがためだった。
痛々しい捲し立てが終わると、敏也は荒く息を継ぎながら肩を震わせていた。口元は堅く引き結ばれ、何かを堪えているようにも見える。
「……そう。あなたはもう傷だらけなのですね」
悟ったような、穏やかな声でクリスは言う。
「ですが敏也さん。あなたがそうやっていじけていても、その先に待っているのはあの子の哀しむ姿ですわよ?」
「……どういう……意味だよ?」
「言葉通りですわ」
視線をガラスの向こう側にある夜の街へと向けながら言葉を続ける。
「あの子はあなたとは逆で肉体強化が使えない――つまり、接近戦に持ち込まれたら打つ手がありません。障壁を使えばなんとかなる――ええ、そうでしょう。有象無象が相手ならばどうとでもなります。ですが、高位魔術師が相手の場合は? 敵が魔動機で対魔剣を持っていたら? その場合、あの子の障壁がいくら優れていると言えど、すぐさま砕かれてしまうでしょうね」
「それは……」
その想定には、見覚えがあった。
クレインとの戦いの時、エリーネの障壁は夥しい数の魔手の連撃を受け、罅が入り、ついには砕け散っていた。あの時は自分が彼女を庇って事無きを得たが、もしも、もしも彼女が一人の時にそのような状況に陥ったら? その時はもしかしたら――
「その時は、確実に死に至るでしょうね」
「っ! そんなこと……!」
「現実を直視なさい、敏也さん。敵は容赦などしてくれませんわ。障壁が割れた瞬間、最大加速して止めを刺してくるでしょう。……想像してごらんなさい。あの子が胸を一突きされて息絶える様を」
「……っ」
敏也は浮かび掛けたビジョンを頭を振って振り払った。そんな『もしも』を考えるのは御免だったから。それ以上に有り得てはいけない光景など、この世にはなかったから。
溢れそうになる感情を歯を食い縛って押し止めている敏也に、クリスは語る。
「敏也さん。目を逸らすのあなたの自由です。ですが確かなのは、あの子に近付く敵を抑える役回りがいなければ、そう遠くない将来、あの子はそうして命を落とすということです」
「……なん……だよ。あんたはそんな気持ちの悪い想定をして、俺に何をさせたいんだ?」
「決まっていますわ。あなたに奮い立ってほしいのです」
ニコリと笑っての言葉に、敏也ははっと鼻で笑いながら応えた。
「……そんな言葉、信じられるわけないだろ。大人は卑怯だ。ほんとのことを隠して、子どもを煙に巻くから。誤魔化しの塊じゃないか」
「……凝り固まった考え方ですわね。先ほどまでのあなたとは大違い……。どうやら、今のあなたが『大神敏也の心の傷』のようですわね?」
「わかったようなこと言って納得させようとするのも大人の卑怯な所だよなっ」
「そう敵愾心を抱かないでほしいのですけれど……そうも言ってはいられないようですわね」
クリスは溜息を吐くと席を立ち、伝票を手に取った。
そして、未だに卑屈な目で居る敏也を冷たい眼差しで見降ろしながら、
「一緒にいらっしゃい。その弱り切った脆弱な性根、叩き潰して差し上げますわ」




