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双天の共鳴者  作者: 月山
第三章「シンフォニック・アソシエイション」
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願いと誘い

「ようやく着きましたわね」


 空港のエントランス。そこに、ある女性がキャリーバッグを傍に置き、サングラスを掛けながら近場にある時計へと目をやった。


「ここからはそう時間は掛からないでしょう。もう少しですわね」


 んっ、と伸びをして身体を解すと、女性はタクシー乗り場へと歩を進めた。



「さてと……」


 敏也は保健室の扉を施錠しながら、呟く。


「……あー、恥ずいなぁ……」


 敏也は、かくん、と首を擡げながら、意気消沈。

 さっきは気持ちが高ぶってとんでもないことを口走り続けてしまった。きっと、部屋に帰ったらベッドに倒れ込んで枕に顔を埋めて脚をバタバタうわーとやってしまうだろう。……いや、少し待ってほしい。つい今朝がたまでベッドはエリーネが使用していて(以下自主規制)

 だが、


「いやいや、よくよく思い返してみれば今までだって相当恥ずかしいことやってきてね? そう思えば今回のことなんて――」


 森林公園の一件では泣くために肩を借りた。


 交易都市では『一緒ならなんでもできる』発言。


 三珠市跡地では、卒業まで味方発言をエリーネにさせた。


 魔獣騒動の時は『お前が居なくなるのは嫌』宣言(しかも泣きながら)。


 ――結論……数え役満。言い訳も、言い逃れのしようもなかった。むしろ、正当化しようとすればするほど羞恥の泥沼に陥っていく。


「うわーーーー!? ワイめっちゃ恥ずかしいやつやん! ワレふざけとるんか! ワレいないけど! いてこましたろかッ!」


 と、似非関西弁が出てしまうほどに敏也は動揺しているのである。そして今、保健室の扉の横にある壁へと、思いっ切り頭突きをした。

 ゴツッ、と鈍い音が廊下に鳴り響き、僅かながら建物が揺れた感がある。


「かっ……」


 痛みに呻いた後、フラフラとよろめきながら壁に背を預ける。そして、ふぃー、と息を吐きながら冷静になったことを確認。脳細胞が幾らか犠牲になってしまったかもしれないが、必要な犠牲だったのだと割り切ることにする。現実とは非情なのだ。


「…………帰るか」


 いつまでもここにいてもまた頭突きをしてしまいたくなってくるため、敏也は早々に帰宅することにした。先ほどまでよりも重くなったように感じる身体を動かそうと両足に力を込めた。

 と、そうしようとした時、ポケットの中にある端末が振動し始めた。


「ん? また大河か?」


 と、思うが、メールにしてはバイブが長い。これはつまり電話だ。

 しかし、誰が掛けて来るというのだろうか。敏也の交友関係でいえば、他者に積極的にアプローチを掛けて来る人物としては八咫神奈々くらいしか思い当たらない。だが、その人物は敏也に興味がない。そのため、この電話はまず八咫神ではない。

 考えていても仕方がないため、端末を取り出し――


「珍しいな、マサルかよ」


 画面に表示されている意外な人物の名前に驚くも、敏也は応答のコマンドを取り、端末を耳に当てた。


「もしもし?」


《でるのが遅いぞ、敏也。まさか、エリーネ嬢と喧嘩の最中なのではないだろうな?》


「ちげーよ。……確かに喧嘩はしたけどもう仲直りしたしさ。単に、俺に電話掛けてくるやつは滅多にいないから、誰からか警戒してただけだっつーの」


 憤慨しながら敏也が言うと、向こうのマサルが笑みを零す気配がした。


《そうか。それならばいい。……大河から先ほど連絡が来てな》


「……あいつ、なんて?」


《……『敏也君とエリーネさんでひと悶着ありそうだから、後で様子を見てあげてくれないかな? 僕はこれから手伝いで傍にいられないから』と言っていたぞ。……出来た友人だ。大切にしてやれ》


「あいつ、そんなことを……」


 敏也は思わず苦笑していた。

 目を覚ました直後に大河たちの姿が見えないのは気にはなっていた。もしかしたら気を利かせて帰ったのかとも思っていたのだが、用事で席を外すしかなく、もしものことを考えてマサルにフォロー役を頼んでおくなど、友人冥利に尽きるというものだ。


「で、お前も律義に様子見してくれたってわけか」


《まあな。……戦友の頼みの一つも訊いておくのも悪くはないと思ったのでな》


「?」


 なにやら、マサルの声色がいつもよりも柔らかい気がする。マサルは普段、他者に厳しく、また、自身にも厳しい。そのため、声色が相応に張り詰め、周りに対してある種の圧迫感を生んでいる。

 だが、今はそういった感覚が無い。張り詰めていた物が、切れてしまったような。


「なんかあったのか?」


 思わず、敏也は問うていた。すると、


《……いや、大したことではない》


 かぶりを振る気配がし、そう否定の言葉が届いた。だが、説得力が皆無だ。その声は今にも押し潰されそうな感覚で、必死に堪えているような感触で。

 だから、敏也は再び問うた。


「……隠すなよ。話せば楽になるかもしれないぞ?」


《……黙れ。話して楽になるなど、愚者の戯言だ。問題を根底から取り除けなければ、他者に吐き出した言葉は自身の重荷となり、より一層荷物になる。そんなもの、俺は……っ》


 そこでマサルは《……いや、違うな》と遮り、


《すまない。今のは八つ当たりだな》


「……別にいいけどさ」


《……俺は、きっとお前ならわかってくれると思っていたのだろうな。奪われた者である、お前ならば。だから、期待を裏切られたと錯覚して頭にきて、今……》


「なに……言ってんだ? ほんとおかしいぞ、お前」


 普段と雰囲気も、態度も、何もかもが違い過ぎる。

 だが、マサルの方は努めていつもどおりでいようとしているらしく。


《……なんでもない。だが敏也よ。もしも俺を心配してくれているというのであれば、一つだけここで誓え》


「えっらそうにっ……まあ、無理そうな内容じゃなければいいけど」


《大丈夫だ。成長した今のお前ならば、痛みを乗り越えることが出来たお前ならば、きっとできることだ》


 その声には、信頼が感じられる。そして、内容が紡がれた。


《お前にとって一番大切な存在を――エリーネ嬢を、どんな困難からも必ず護り抜き、誰よりも幸せにすると》


「は?」


 敏也はとんでもない内容に面喰い、唖然とする。しかし、マサルは気にせず言葉を続けている。


《彼女が抱き締めてほしいと言ったのなら、それを叶えてやれ。怖いと言ったのなら、その対象を排除してやるのだ。……誰よりも、彼女の為に》


「お、おい、待て! 内容も内容だけど、そもそもなんで俺の一番大事なやつがエリーネってことになってんだよ! おかしいだろっ!」


《……おかしくなどない。お前は惚けているようだが、みなが気付いていることは承知のはずだ》


「うぐっ……だとしてもだな!」


《……敏也よ》


 と、敏也が何事か反論しようとした矢先、マサルの呼び声がそれを止めた。


《素直に認められぬというのなら、それでも構わん。だがな、その代わりとして一つだけ約束してくれ》


 その声は、これまでの命令口調ではなく、始めて頼む形を取っていた。


《大切な存在を、命に代えても護り抜くと》


「……」


 しばしの沈黙。だる様な暑さの廊下。蝉が鳴く声が耳には届き、室内演習場で模擬戦でも行っているのか、掛け声が聴こえてくる。遠くの廊下を誰かが歩く音さえも聴こえてしまう。


 通話時間を表す時間が、十秒は増えた頃。


「無理だな」


 そう敏也は溜息交じりに言い放っていた。


《……なぜだ》


 批難めいた、それでいて失望したような一言が届く。しかし、敏也は極めて平然と言葉を返す。


「さっきさ、エリーネと喧嘩したって言ったろ? それな、俺の右手の傷が遠因になってたんだわ」


《……自分で身体を焼いたという一件のことか?》


「そ」


 敏也は一度身体を伸ばすと、左手でくるくると鍵を振り回しながら職員室に向けて歩きだした。その足取りは、会話内容にしては軽快だ。


「結局のところさ、俺が自分の命を投げ出してあいつを救おうとしたのは傲慢だったんだよ。そのせいで、エリーネを一層傷付けちまった。情けないと思わないか? 助けようとして逆に傷付けてたんだからな」


《……》


「だからさ、俺は決めたんだよ。自分を傷付けずに、その上でエリーネを護るってさ。……だから、お前の言う『命に代えても』ってやつは受け入れられない。まあ、よっぽどの事態ならそうするけどさ、そんな事態に陥ることがないように、俺は強くなって見せる」


《ゆえに、頼みは聞けない、と?》


「ああ、悪いけどな」


 敏也がそう言うと、数秒の沈黙の後、マサルが短く笑い声を漏らした。


《いや、それでいい。それがお前の見つけた道だというのなら、それでいい。大切なものを護り抜けるのだと、そう証明してくれるのであれば、俺は満足だ》


 そう言うと、声が遠ざかる気配がした。どうやら通話を終えようとしているらしい。

 そのことを感じ取った敏也は、少しばかり声を張った。


「おい!」


《……なんだ?》


 面倒そうに受け答える声だ。しかし、それでも怯まずに伝えておかなければならない。


「俺は……助け合いだとか、仲間だとか、そういう綺麗な言葉は正直信用してない」


 世の中に溢れているそれは、そこに込められた意味も、願いも、想いも理解せず、されず、曖昧で都合が良いから使われているだけの形骸だ。


《……》


「でも、十班の面子だけは信用してる。だってあいつらみんな馬鹿だし。俺のこと馬鹿馬鹿言ってくるけどさ、あいつら自身も相当な馬鹿だし。……だからさ」


《……ああ》


「何か困ったことがあんなら、もしもそれを話す気になったらさ、ちゃんと言えよ。手伝えることなら、手伝うからさ。俺以外のやつらもきっと」


《……覚えておこう。……ではな》


「おう、じゃあな」


 そして、通話は終わった。

 階段下で佇んでいる敏也は、通話の切れた画面を眺め続けていた。


「……変なやつ」


 そして端末を仕舞い込んで気を取り直すと、二階にある職員室へと歩を進めるのだった。



 戦修学園隣接研究所。第一研究区画。魔獣騒動の際にはここも襲撃を受けたものの、とある魔術師の奮戦によってほとんど被害は出なかった。


 楠瀬燐火の居城たるそこに、エリーネは検査台に横になるようにして目を瞑っていた。


「――よし、終わったよ。エリーネ、もう起き上がっても大丈夫だ」


 楠瀬燐火――博士が、CTの機器から検査台ごとゆっくりと出てきたエリーネにそう声を掛ける。と、スピーカーから聴こえた声に患者服姿のエリーネがゆっくりと目を開け、その身を起こした。

 そのまま検査室の隣にある制御室へとガラス越しに視線を向ける。すると丁度、制御室から検査室へと入ってきた博士の姿が目に留まる。傍まで歩いてきた彼女の顔をエリーネは不安そうに見上げ、


「……異常はありましたか?」


「いや、特には。ふっ、念のためだと言っただろう? 始めから問題などあるはずがないさ」


「そうですか……よかった」


 胸に手を当てながらほっと安堵の息を吐く。そして、表情を訝しげに変え、


「でも、どうして私だけなんですか? どうせなら大神くんも一緒に……」


「いやいや、彼はこの間まで入院していたのだよ? 精密検査など腐るほどやっている。わざわざここで検査する必要が皆無だったというだけさ」


「確かに……」


 エリーネは納得すると検査台から降り、スリッパを履くと乱れていた衣服を直した。そして、博士の方を伺うように見やる。その視線の意図に気付いた博士は苦笑を漏らし、肩を一度上下させた。


「……これで検査は終わりだ。君から預かった炎刀のほうはまだ再解析に時間が掛かるので、後日、終わり次第返すことにするよ」


「わかりました。それでは博士、また……」


「ああ、また」


 エリーネは別れを告げると、一礼をして検査室の隣にある更衣室へと歩みを進めて行った。その背が見えなくなると同時に、博士は口元を緩めて腰に片手を当てた。


「……『大神くんは無茶をしますから私が預かっているんです!』か……。まったく、あんなに心配そうで、それでいて淡い想いに染まった顔をするなど、彼は君にとって弟のような存在ではなかったのかな?」


 くく、と博士は笑いを堪えると、制御室へと舞い戻り、そこで検査結果を研究室のほうへと転送すると、そちらへの帰路に着いた。

 制御室を出て、徐々に西日と化し始めた日光に照らされる廊下を進み、自分の研究室前へと辿り着く。

 IDカードと指紋認証でセキュリティを解除し、扉をゆっくりと開けると、


「……お疲れ様です、楠瀬博士。ブレイズのシステムチェックはほぼ終わりました。あとでもう一度機体に入れてみて、バグがないか確認してみてください」


「ああ、御苦労。――大河君」


 その部屋のソファには、端末を膝に置いてなにやらコンソールを操作している天埜大河の姿があった。その服装は、先ほどまで敏也たちと一緒に居た時の服の上から白衣を纏っている。

 博士は奥へと歩いて行き、自分の椅子に座ると、深く腰掛けた。

 それを見届けた大河は、肩を落としながら声を掛ける。


「……エリーネさんの検査、どうでしたか?」


「……幸い、調和境界線――あー、身体に変化は見られなかった。これなら問題は起こらないだろう。……クレイン・マクラードめ、奴の襲撃さえ無ければこのようなことに気を揉む必要はなかったものを……」


 博士は忌々しげに言いながら眉間にできた皺を揉み解す。と、大河が視線を博士の背後にある一面の窓から外へとやり、


「術式ギアの副作用……ですか? 彼らにそのような危険な力を与えて、あなたは何をさせるつもりなんです?」


「それを君に話す必要はまだないな、大河君。今の君はわたしに脅されている立場であり、そして君自身にわたしへの信頼が芽生えぬ限り、真実を話すつもりは毛頭ないよ」


 その言葉にカッとなった大河は、身体ごと博士に向きながら声を荒げる。


「そんなものっ……何も教えてくれない人に対してそんなものが芽生えると本気で思っているんですかっ? 僕だって紫苑や姉さんの立場さえなければ、この機体のことを然るべき場所に報告して――」


「それは、お父上のことかな?」


「っ……父は……僕の言葉には耳を傾けてはくれないでしょう……」


 自身のウィークポイントを突かれた大河は、消沈しながら顔を逸らした。

 その様を無表情で眺めていた博士は、突然破顔すると首を振った。


「ふむ……何も話さずに信用してもらおうというのは浅はかか。ならば、ギアのことについて話せることは話してあげよう。知りたいことを聞くといい。もっとも、教えられないことだった場合は無視するがね」


 そう言って、歓迎するかのように両手を広げる。

 果たしてこれは大河を深淵へと誘う招きなのか。それとも真実への足がかりなのか。

 どちらとも判断の着かぬ博士の態度に数秒のあいだ迷うも、大河は意を決して踏み込むことに決めた。


 辿り着く先が見えなくても、どれだけ恐ろしくても前へ進まなければ、最高の結果にも、最悪の結果にも、どちらにも辿り着くことはできないのだから。


「あなたの目的とは?」


「……」


 博士は無言。椅子に深く腰掛けたまま膝の上で手を組み、目を瞑っている。やはりこれは答えてくれないらしい。


「じゃあ、調和境界線とはなんなんです? どうして急に検査が必要に?」


「……調和境界線とは、術式ギアによって同調した存在同士のさかいを示す一線。ギアを宿した個体同士が一度でも同調を達成すると発生する……一種の概念のようなものだ。これが乱れたり壊れたりすると、最悪の場合は二つの存在がぶつかり合い、因果に乱れが生じ、それらの存在はこの世から消え去る。ある種の対消滅だな。まあ、存在自体がなかったことになるかどうかは確認のしようがないがね。その場合はわたしたちの記憶からも消えるわけだから」


「……っ」


 予想以上に重い内容に大河は息を呑む。そして、そんな危険極まりない一面もある力を彼らに与えたこの人物の意図が尚更理解できなかった。


「そして今回のエリーネの検査は、学園の地下安置室を襲撃したクレイン・マクラードの手によって彼らが死の一歩手前まで追い込まれたことに起因する。……あの場で最も心的ショックを受けたのはエリーネだからね。調和境界線に乱れが生じていないか、検査している。まあ、問題はなさそうだから、今日で検査は終わりだが」


「そのことを彼らは?」


「知らないだろうね」


「なぜ!」


 そのしれっとした物言いに大河は声を荒げ、


「なぜです! 当事者である彼らはそのことを知っているべきでは――」


「必要だからだ」


「?」


 博士の声が、大河の怒号を遮り、


「彼らがそれを知ればきっと足踏みしてしまうだろう。しかし、そんな危険を踏み越えた先にあるモノがわたしには……彼らがこの世界で生き抜くためには必要となってくるのだ」


「……」


「二つの存在の揺り合い……いや、共振か。それが生み出すであろう世界のひずみ……矛盾……二つなのに一つ……そのような規格外の要因ファクターが生み出す力…………そしてそれの具象化。わたしが彼らに求めているものの二つ目はそれなのだ」


「そして一つ目こそが、あなたの目的?」


「そうだ。……ふむ、……確かあの二人には一つ目の方に関してはぼかして教えていたかな。となると、君に教えておかないのはやはり不公平なのかな」


「……曖昧でもいいですから、教えてください」


 大河の真剣な眼差しが博士を射抜く。

 すると、博士は満足げに口元を吊り上げた。


「――『世界に歯止めを掛けるくさび』だ」


「楔?」


「そうだ。この世界が取り返しの着かない場所に堕ちる前にそれを止める者。世界の調停者――いな、調律者。歯車ひとという旋律を束ね、過ちを清算し、明日へと導く存在。人が悠久の時の中で忘れ去ってしまった真なる権能を目覚めさせる者――それこそがわたしが目指す存在、共鳴者きょうめいしゃ。またの名をハーモニクス」


「ハーモニクス……それが、敏也君とエリーネさんだと?」


「まだ違う。しかし、いずれは至る。必ず……痛みを背負った彼らならば、そこへ辿り着ける」


 そう言い切った博士の表情は、珍しく真摯さに染まっている。言うなれば、恋する乙女と言った感じだろうか。その真剣さと想いの強さは、彼女一人だけのものではないように思える。


「あなたはいったい……」


「何者でもないさ。……敢えて言うなら、誰一人として護れなかった愚者。力に溺れ、粋がっていただけのただの小娘。……ああ、そうだ。壊すことしか知らない小鬼と、彼女はそう評していたな」


「彼女?」


「……古い友人さ。わたしのたった一人の友人……きっと、親友だったのだろう」


 博士は昔を思い出すように目を閉じている。それを大河はずっと見守っていた。

 そして、たっぷり十秒は経った頃、博士が躊躇いがちに目を開けた。


「大河君、君はわたしに脅されている。そのことに対しての自覚はもちろんあるね?」


「……はい」


「そうか。では、その上で問う。今のわたしの話を聞いて、君はわたしに協力する気になれるかな?」


「……」


 大河は視線を膝に落とし、黙りこむ。そして、逡巡する。

 このまま踏み込んでいいのか、そもそもこれまで話が真実だとそう断定してもいいのだろうか。様々な考えが頭を駆け巡り、一つの結論を導き出していく。


「……条件があります」


「言ってみたまえ」


「……まず、成瀬紫苑と姉さん――天埜春美の身柄の安全を保証すること。あの二人には決して僕のように無理矢理協力させることがないように」


「いいだろう」


「そしてもう一つ。……オーバー・モードのことを僕が報告していなかった件について、不問にしてください」


「オーバー・モード……なるほど、君たちはアレをそう呼んでいるのだな」


 顎に手を当てて思考に耽り出した博士はしばしの後、大河へとじろりと視線を送った。


「魔動コアに隠された機能……。プロセッサの過活性。それによる処理能力の増大とカタログスペックを無視した機体性能の底上げ。……自力で、しかも学生の身であの領域を見つけ出した君をわたしは評価しているし、……そして同時に恐ろしく思うよ」


「……その口ぶりだと、楠瀬博士は魔動機にはあの状態――いえ、形態と呼ぶべきでしょうか。それがあることを知っていたようですね?」


「ああ、もちろん。正確にはもう一階位、上の存在だが」


「?」


「そう不思議がることはあるまい。技術者は世の中にごまんといる。そんな彼らが、あの形態の事を知らないとでも?」


「いえ、そんな傲慢な考えは……」


 否定しようとした大河へ、博士は横に首を振った。


「あまり構え過ぎないことだ、大河君。世界は君が思っている以上に広く、……そして醜いのだから。……あのシステムのことを君の周りで知っているのは紫苑君と……あと誰だね?」


「……姉さんです」


「そうか……そして扱えるのも君たち三人というわけだね?」


「……恐らくは。姉さんや他の人は試したことがないので確かなことは言えませんが」


「いや、試さなくてもわかる。アレは、君たちにしか扱えない。今は……まだ」


「どういうことです?」


「……さてね。まあ、ともかくだ。その二つが君の要求だというのなら、喜んでその条件を呑もうじゃないか。これからも期待しているよ、大河君」


「わかり……ました。あなたのことを信用していいかどうかはまだわかりませんが、……それでも、あなたが敏也君たちのことを案じているということだけはわかりましたから」


「……なぜだい?」


 博士が不思議そうに問うと、大河が気持ち朗らかな笑みを浮かべた。


「あなたが敏也君とエリーネさんの話をする時って、すごく優しい表情になるんです。まるで、手の掛かる子どもを慈しむ……その……母親みたいに」


「……ほう」


 意外そうに息を漏らし、博士は自身の顔を指先で撫で付けた。そして、口元を緩め、


「そうか……。母親になったことは一度たりともないが、この気持ちはそういうものなのか」


 と、そこで表情を消すと大河へと再び視線を送った。


「ともかくだ。契約は成立した。今後ともよろしく頼む、大河君。君には大いに期待しているからね」


「敏也君たちの次に、でしょう?」


「そのとおりだ。……ここで話した内容は部外秘だ。いいね?」


「わかっています。それでは今日はこれで失礼します。連日のシステムチェックでほとんど寝ていないので……」


「ああ。悪かったね、無理をさせて」


「いえ。それでは……」


 その言葉を最後に、大河は腰をソファから上げて部屋から出て行こうとした。

 と、その背中を博士が呼び止めた。


「大河君」


「なんです?」


 大河が振り向くと、博士が控えめに頭を下げた。


「必要なこととはいえ、君が進めていた研究を奪ってしまったことをここに謝罪する。すまなかった」


「……いえ、構いませんよ。あれはがらくた弄りの延長線ですし。……それに僕が一番優先するのは、紫苑と姉さんの安全ですから」


 小さな笑顔で言い終わると、大河は扉を開いて出て行った。

 扉が閉まると同時に、博士は長い息を吐いた。そのままより一層椅子へと凭れかかった。そして目を瞑り、疲れを癒すように身体の力を抜く。


「……これでわたしの後任は確保したも同然だ。あとはリディアの心のケアと、紫苑の操縦技術の円熟と力の確認……そして、敏也とエリーネの真なる覚醒。……もうすぐだ、もうすぐ……」


 博士は呟いている途中で、眠りの中へと落ちて行った。


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