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双天の共鳴者  作者: 月山
第三章「シンフォニック・アソシエイション」
78/126

目を逸らしていたもの

「はっ!?」


 目を開けば、そこには天井があった。


「……なんか見覚えあんな」


「それはそうでしょう。何度かお世話になっている保健室なんですから」


 ぼやいた敏也に届く声があった。敏也が声のした方向へと顔を向けると、そこには幾分か落ち込んだ表情のエリーネが、窓側のほうにある椅子に座っていて、こちらを見詰めていた。

 場所は保健室。そして敏也が横になっているのは二つあるベッドのうちの一つ。周囲には薬品棚や保険の先生の机、体重計やら身長計などがある。


「……あれからどれくらい……?」


「二時間ほどです。あなたはずっと眠っていました」


 その言葉に窓の方へと視線をやると、太陽から届く光が先ほどよりも若干傾いているように思えた。どうやら二時間近く眠っていた事は間違いないらしい。ということは、今は三時を回ったあたりということだろうか。


「ふーん」


 敏也はそう唸ると、ごろりとエリーネから身体ごと顔を背け、薄手のシーツを口元まで被った。そのまま目を瞑り、これ以上は話す事はないとでも言いたげに沈黙を生む。

 すると、エリーネの弱々しい声が、その背を控えめに撫でて行く。


「……ごめんなさい、大神くん。私……あんなつもりじゃ……ちょっと飛び付く程度のつもりで……」


「……」


 敏也が無言で聞き耳を立てていると、エリーネが「……いえ」と途中で自身の言葉を切り、


「これは言い訳ですね。……正直に言うと、怖かったんです。少しだけ……不安だったんです。私の知らないところでまたあなたが無茶をしているんじゃないか、って。……そんなこと、あの顔ぶれであるはずがないってことは、頭ではわかっていたんです。……でも、それでも……」


「……」


 鼻を啜る音がしたが、敏也はそれでも動こうとはしなかった。


「それでも不安で……私の知らないところであなたが傷付くのが嫌で…………だから、どんなに小さなことでも秘密にされるのが苦しくて…………ごめんなさい、何を言ってるのか自分でもわかりません。自分勝手ですよね、こんなの」


 鼻声が終わると、また鼻を啜る音と、ゴシゴシと顔を擦る気配がした。しかし、敏也は動かない、否、動けずにいた。


 彼女に、なんと声を掛ければいいのだろうか。

 あの一週間近い悪夢は終わりを告げたと思っていた。もう誰も傷付かなくて済むのだと、もう誰も傷つけなくて済むのだと、敏也はそう思っていた。

 少なくとも、今しがた目を覚ますまでは。


 しかし、実際は違う。


(……もうみんな、傷付けるだけ傷付いてて。それでも、みんなはそれを抱えて……)


 かつての日々を取り戻そうとしているのだ。それぞれが受けた傷を甘んじて抱え、治せなくても前に進んで、それでも在りし日の光景を再現しようとしている。


 喪った人が居ても前へ。

 壊れた心は踏み越えて。


 だが、あの日々を再現することは哀しいかな不可能で。なくしたものは二度と戻らなくて。

 敏也が『エリーネはもう気にしていないんだ』と勝手に断じて、安心していた事がらは、まったく解決していなかったのだ。それは未だに、エリーネの心中で燻っていたのだ。


 ――目の前で敏也が自分の為に犠牲になろうとしたこと。その情景が、エリーネの中に焼き付いてしまっている。その時なにもできなかったことが後悔となり、彼女を苦しめている。


(浅はかだな、俺)


 シーツの下で、傷んだ右手を握って、開く。また握って、開く。

 病院で、たったあれだけの言葉でその心の傷を癒せていたのだと、そんな希望的観測に縋って。全ては終わったのだと、また『今まで』が始まるのだと、そう思って――いや、願っていた。

 でも、事象は不可逆で。起こってしまったことは、壊れてしまったものは直せなくて。


(馬鹿だ、俺は。助けようとして、助けた気になって。でも、あの場で一番傷付いてたのはエリーネだ……っ)


 彼女が一番苦しんでいたのだ。こんな右手を持って、それを内心では重荷に感じていて、でも、それを隠してみんなと接している自分に酔って、陶酔感に浸っていた。その裏でエリーネがどれだけ気を揉んでいたのかを推し量ることもせずに、呑気にここ一週間を過ごしていた。


 あの行いは、所詮は自己満足でしかなかったというのに。

 エリーネが傷付けられるところを見たくないという、自分の勝手な都合で強行した愚策だったというのに。


 自分が犠牲になることで人を救えるとは限らない。もしかしたら、残された人が犠牲になった人よりも傷付くかもしれない。


 人を救うとは、衝動に任せてしていいようなことではないし、自身の行動がどのような結果を齎すか、それを可能な限り検討した上で行うべき、大いなる責任を伴う行いなのだ。目の前で助けを求めている人がいるから助けるなどと、助けた後のことは知らん顔なくせに青くて拙い正義感を振り翳すような愚かな振る舞いでは決してないのだ。


 そんなこともわからずに――いな、そこに考えが至ってしまうと自分が辛いから、様々な想いに雁字搦めにされてしまうから、だから思考を停止して、心の隅に打ち捨てて、目を背けていたのだ。


 しかし、今は違う。自分の醜悪さと見っとも無さに気付くことが出来たのだから。

 ならば、するべきことなど明確で、明瞭で。


「おい」


 敏也は背を向けたまま声を出した。


「……はい」


 か細い声で、エリーネが返事をする。が、そのままの状態で止まっているらしく、気配が動かない。

 敏也は横になったまま首をくいっと動かし、こっちに来い、と意志表示をする。

 すると、椅子の足が床を短く擦る音がした。どうやらエリーネが立ち上がったらしく、すぐ傍にあるベッドへと重い足取りで歩み寄り、敏也の顔を覗き込もうと――


「ふみゅ!?」


「ブッサイクな顔だなぁ、はは……」


 突然シーツを跳ね除けて右手を目にも留まらぬ速さで伸ばした敏也。その手は覗きこもうとしていたエリーネの顔、その両頬を纏めて掴んでおり、彼女の端正な顔が台無しになっている。

 掴まれたエリーネは自身の身に何事が起きたのか理解できていないらしく、両目をパチクリとしながら呆然としていた。

 しかし、徐々に目が凛々しくなっていき、さらには目尻が吊り上がり、批難がましい目つきとなった。そして、


「はにゃひてくらひゃい!」


 じたばたしながら言う。ぽかぽかと敏也を叩き、自身の両頬を掴んでいる右手を振り払おうとする。が、敏也は右手に簡易的な肉体強化を掛けているのか、どれだけ殴られてもその手は離れていこうとはしなかった。


「やだね。さっきのお返しだ。すっげー痛かったんだからな?」


「うっ……ごえんみゃひゃい……」


「ちゃんと謝れよー」


「んっ! んっ!」


 だったらこの手を離せ、とでも言わんばかりに指をさし、エリーネは唸る。わざと掴んだままにしている敏也としてはこのままが面白いのだが、あまり長くこうしていると話が拗れそうだったため、名残惜しみながら右手を離した。

 エリーネはようやく解放されたためか、ぷはっ、と息を零して両頬を擦り始めた。どうやら異常がないか確かめているらしい。


 その様を口元に柔らかな笑みを浮かべて見ていた敏也は、ベッドの端をぽんぽんと叩き、エリーネにそこに座るように促した。すると、エリーネは躊躇いがちにこくりと頷き、そこに座った。そのまま顔を控えめに伏せる。

 見届けた敏也は、丁度彼女の左隣に同じようにベッドの端に腰掛け、脚を投げ出す。そのまま窓の外を見据えながら、口を開いた。


「あのさ、エリーネ。確かにさっき俺をぶちのめしたことはお前が悪いよ。でもさ、お前が不安になるような態度を取ったのは俺で……、んで、そもそもお前がそんなに気を揉むようになっちまったのも俺のせいだ。だからさ……」


 がしがしと左手で頭を掻く。


「……気にしないでくれ、って言ったら、納得してくれる?」


「……できるわけ……ないじゃないですか……」


「……だよな」


 極めて当然の答だ。エリーネは先ほどの一幕のことを自分が悪いと思っているし、恐らくは、敏也が身体を犠牲にしたことも自分が悪いとまだ思っている。


 凝り固まって、剥がれなくて。剥がしたとしても、鈍い痛みがあって。それはどこか、瘡蓋に似ている。


「でもさ」


 それでも敏也は否定する。

 その黒い瞳孔が優しげな感触になり、同時に儚げな面立ちになり、視線を床へと落としながら言葉を続ける。


「俺は……前に病院で言ったみたいにさ、お前を恨んでないんだよ。あれは全部俺の身勝手さが招いた結果で、その責を負うのも俺なんだ。だから、お前が自分を責める必要なんてどこにもないんだよ」


「そんなこと……っ! ……そんな突き離すような言い方はやめてください……。私、前に言ったじゃないですか。卒業までは味方でいます、って。なのに、どうしてあなたはそうやって一人で背負おうとするんですかっ? どうして私にも背負わせてくれないんですかっ?」


「……それは」


「安置室での一件が最たることです。……どうしてあなたはあんな風に自分を軽視するんですか! あんな……あんなっ! ……あんな光景を見せられる側がどんな気持ちになるか、あなたにわかるんですかっ!?」


「……」


 エリーネが溜めこんでいた部分が、敏也が病院で目を逸らしてしまった彼女の想いが、ようやく出てきたようだ。

 敏也は無言で、感情が爆発しかけているエリーネの言葉に耳を傾ける。彼女の手は、膝の上で痛いほどに堅く握り込まれていて。その拳は、絶え間なく震えていた。


「あなたが居なくなってしまったんじゃないかって。死んでしまったんじゃないかって。私、怖かったんですよ。もう、どうしていいのかわからなくなってしまったくらいに……」


 それは、クレインの攻撃で敏也が意識を失っていた間のことを言っているのだろうか。


「頭の中がぐちゃぐちゃで……誰かの声が響いてきて……叫び声も……泣き声も…………何もかもがめちゃくちゃで……周りは燃えていて……どうしていいのかわからなくて…………私……私……」


 頭を抱え、エリーネは呟き続ける。支離滅裂で要領を得ないが、それも仕方のないことだ。彼女は今、あの時のことを思い出しているのだから。

 ぽたり、と床に何かが落ちた。それに目を向けると、水滴だった。どこから来たのかなど、誰の目にも明白で。

 エリーネは頭へとやっていた手を膝に降ろし、再び堅く握り込んだ。項垂れたまま続ける。


「あなたが傍に現れてくれて……すごく……っ……安心したんです。……死んでなかったんだって。私の……勘違いだったんだってっ。……っ……もしそうでなかったら、私は……」


 その先は、聴くのが躊躇われた。そこまで彼女を追い詰めてしまったのが自分の行いだと、敏也は直視したくはなかった。なにより、これ以上エリーネに独白させていると、彼女が彼女自身を傷付け始めるような気がした。

 だから、


「……俺が悪かったよ」


 言いながら、右手で彼女の膝の上に置かれた拳を包み込んだ。息を呑む音が聴こえ、こちらを向く感じがした。しかし、それは決して拒絶はなくて、ただ単に、驚きに染まっていた。


「俺が悪かった。勝手なことして、悪かった。もっと良い方法があったのかもしれない。俺はそれを考えるのを放棄して、一番楽な道を選んだんだ。……選択を、間違えたんだ」


「……そんなことは……あんな状況で他に方法なんて」


 そう、馬鹿馬鹿しいことだ。もしかしたら、あの時こうしていれば、別の道を取っていたら、そんなたらればを夢想することは不毛で、何の意味も価値なくて。心がズブズブと腐っていくだけだ。停滞し、ドブのように淀んでいくだけだ。


「ああ、わかってる。そんなこと考えても意味なんてないって。――でもな、俺が間違えた事は確かなんだ。それを認識するためには、選ばなかった選択肢を考えることは必要なことなんだ。そこから目を逸らしたら、何も変わらない。教訓にはならない」


「……」


 彼女の手を包む右手に、軽く力を込める。


「約束するよ、エリーネ。もうあんな真似はしない。これから先、どんな危機的状況に陥ったとしても、みんなと……、できれば……お前と一緒に、最善の道を探して進んで行く。間違わないように、みんなに訊く。真っ先に、お前に訊く。だから……っ」


 目頭が熱くなる。彼女を追い詰めてしまったことへの後悔と、こんなにも自分の事を案じてくれる彼女への親愛によって、胸が火を突っ込まれたように熱くなり、涙が零れそうになる。


「だからさ、これからも一緒に居てくれ。一番近くなくたっていいから。少しくらい離れてたっていいから。……だから、そんなに自分を責めて、遠くへ行こうとしないでくれ」


 敏也には、そう感じられたのだ。エリーネが自分を責めている様は、彼女が手の届かない場所へと遠ざかっていく感覚と似ていて。それはとてつもなく嫌で、苦しくて。

 まるで心の半分が、喪われていくようで。


 堪えられなかった。抗いようのない不安感だった。

 そしてそれは、彼女も同じだったのだろうか。


「私……」


 濡れたスカイブル―の瞳が揺れている。その瞳が、隣に居る敏也へと向けられている。表情は喜んでいるようにも見えるし、同時に、哀しんでいるようにも見える。


「ちゃんと……傍に居ますから。あなたの傍に……ここに居ますから。遠くへなんて、行きはしませんから。……ですから、約束ですよ? もう、あんな真似はしないでください。……たとえ傷付くとしても……一緒に……」


「……ああ、……一緒だ……っ」


 重ねた手に、伝えた気持ちと未だに伝えていない気持ちを有りっ丈込め、そこから伝わる体温と存在に、二人はいつまでも意識を馳せていた。





「あ~、その……だな」


「は、はい!」


 背中がむずむずしてしまうような沈黙の中、敏也が咳払い気味に声を出すと、隣に居るエリーネがピーンと背筋を伸ばし、真っ赤な顔のまま横目で敏也を伺った。


「えっと……さっき言ったことはあくまでも……その……仲間としてのというか……ね? まあ深くは考えないでいてくれた方が俺としては有難いというか……さ」


「え、ええ、そうですね。もちろん私が言ったことも仲間としてですよ! ええ、そうなんです! 決して深い意味なんてありませんから!」


 などと、二人して言い訳のように捲し立てる。

 しかし、


「……へへっ」


「……ふふっ」


 両名、知らず知らずの内にはにかんでいた。視線は合わせておらず、各々部屋の隅へと視線を遣っているものの、間にあるのは柔らかな感触の空気だった。


(『一緒に居てくれ』……ね。我ながら恥ずかしいこと言ったもんだな)


 それは弱音であり、しかし本心だ。

 好きな人に傍にいてほしいと願うのは当然であり、また、少しくらい我儘を言うくらいは許されるべきだ。ただ、告白もしていないし関係も進展していない現状では、そんな陳腐な理屈が通るかどうかは定かではないのだが。


 でも、それで良いと思う。そして、今ならわかる。


 きっと、ここに辿り着くまでに体験した辛い出来事は、この子と出会う為だったのだと。


 全てを喪っても、あの瓦礫の街から一歩を踏み出したのは、間違いではなかったのだと。


 そんな、らしくないことを敏也が考えていると、エリーネが「あっ」と音を漏らし、


「そうでした。……大神くん、これ」


 と言いながら、エリーネが立ち上がり、そのまま窓際まで行くと、窓の近くにある腰ぐらいの高さの棚から、一つの封筒を持ってきた。


「ってそれはぁッ!?」


 敏也の目が驚愕に見開かれる。

 ――それは紛れもなく、エリーネのお宝写真が封印されている聖なる封筒だった。


「あわわわわわ……!」


 カチカチと歯が鳴り、身体が震える。目の前に立っているエリーネの顔は、敏也からは丁度封筒が遮る形になっていて伺い知ることができない。そのため、余計に敏也を不安にさせていた。

 ところが、


「はい、大神くん。これ、お返ししますね」


「え?」


 ニコリと極自然な笑みを浮かべて、封筒を差し出してきたエリーネ。いつ痛みが襲ってきても大丈夫なように身構えていた敏也としてはその反応が意外で、ぽかんとしてしまう。

 すると、エリーネが可愛らしく小首を傾げ、


「? どうしたんですか、大神くん。何か変ですか?」


「え、そりゃあ…………怒らないの?」


「何故です? ただの風景写真だと言う話じゃないですか」


「へ?」


 その言葉を聴いた敏也は慌てて封筒を受け取り、中身を確かめた。

 中身はエリーネのお宝写真ではなく、富士山を湖側から撮った写真だとか、どこかの森の中で撮った写真だとか、岬から見える海を撮った写真だとか、そんな無難なものばかりだった。

 エリーネは腰に手を当てて呆れた雰囲気と成り、


「もうっ……たかだが風景写真を貰っていただけなら、あんな怪しい態度を取ることなかったじゃないですかっ。普通に接してくれれば――」


「?」


 その時、敏也の端末がポケットの中で震えた。ちらりと視線をエリーネに送ると、不機嫌さ故か、頬が紅潮した彼女は腕組みして目を瞑り、まだブチブチと文句を言っている。これならこっそり端末を見てもバレはしないだろう。

 物音を立てないようにそっとズボンのポケットから端末を引き抜き、画面を表示させる。すると、そこには新着メールを示すアイコンが点滅していた。操作し、メール画面を引っ張りだす。


 メールの差出人は大河。内容は以下の通りだ。


『報告が遅れましたが、封筒の中身は僕たちでこっそり交換しておきました。後日、渡しに行きます。あと、中目黒先輩に敏也君のアドレスとか教えといたから、また後で先輩のほうのを送っておきます』


 読み終わった敏也は端末をポケットにしまった後、そっとエリーネへ視線を送り、


「……なあ、エリーネ」


「まったくっ、大神くんはいつも私に勘違いをさせて……その様を見て愉しんでいるに違い――えっ、なんです?」


「いや、さ。俺たち結構な高さから落ちたじゃん? 俺は意識なかったけど。よく無事で済んだなー、と思ってさ」


「ああ、そのことですか」


 敏也が訊くと、気を取り直したエリーネがごほんっと咳払いをして話し始めた。


「その……私が咄嗟に魔力を噴射して落下スピードを緩めたんです。なので、落下時の衝撃は言うほどのものではありませんでした」


「それって、お前のあの新しい術式の力?」


「ええ。名を『ブリュンヒルデ』。……本来は空中を自在に駆け回ることができる術式のはずなんですが……組み上げた当初はそのつもりだったんですが……」


「まだ噴射する魔力を制御しきれてない上、術式の展開自体も完璧ではない、と」


「うぅ……その通りです……」


 図星を突かれたエリーネは肩を力無く落とし、ついでに頭も垂れていた。エリーネがここまで明確に落ち込みを示すことは滅多にないため、弄りたいし、その頭を撫でてあげたい衝動に敏也は駆られそうになるが、そうすると歯止めが効かなくなりそうな気がしたため、堪えた。


「まあ熟練した魔術師でも飛べる人ってほとんどいないらしいし、そう考えるとお前すごいんじゃないか? ……まあ、方向転換もできない今の状態だと、手放しじゃあ褒められないけどな」


 敏也がじとりとした眼差しでエリーネを見詰めると、彼女はその視線から逃げるように目を逸らし、


「……そ、それはともかく! 落ちた後、意識を取り戻していたらしい天埜くんと……な、なか? ……えっと、グロ先輩……でしたっけ? 二人が駆け付けてくれまして……取り乱して何も出来ずにいた私の代わりにあなたをここまで運んでくれたんです」


「へえ、そりゃあいつらに感謝しないとな」


(――挿げ替えたのはその時か)


 クックック、と内心で黒い笑みを零す敏也。


(見捨てて悪かったな、二人とも。今度は一緒に痙攣しような)


 などと、意味のわからない連帯感を抱きながら、敏也は一時的に手を離れてしまったお宝達へと想いを馳せていた。

 と、そうしているとエリーネが自分の端末を取り出して画面を見て、なにやら不味そうなしかめっ面になった。


「? どした、エリーネ」


「……いえ、これから博士の所に行って検診を受けなければならないんです。……良いところだったのに……」


「検診? 俺は特に言われてないけど……。お前、どっか悪いのか?」


「いいえ、念のためだそうです。ちなみに、私が預かっている炎刀も持ってくるようにと言われています」


「……ふぅん」


 念のため、というのであればエリーネの身体が悪いというわけではないのだろうし、本当に念のためなのだろう。万が一それが嘘であってエリーネが病気だったなら、敏也としては起訴も辞さない所存である。


「にしても」


 と、敏也はベッドにごろんと寝転がりながら言い、


「炎刀まで一緒とか、なんなんだろうな。……つーかアレ、いいかげん俺に返してくんない? お前に取られたままだと炎刀使って鍛錬できないんだけど……」


「駄目です」


 その拒絶は、遠雷のように低い声音だった。エリーネは敏也の何気ない発言に対し、心底お怒りらしい。

 敏也は寝転がったままビクンッと身を竦ませ、カタカタと身体を振るわせ始めた。冷や汗がだらだらと流れ、


「い、いや、あのね? もう退院したんだし、そろそろ自主訓練を再開したいなーって思ってまして。今後のことを考えると、武装魔術アナライズで作る有象無象の武器より、やっぱり炎刀を使った訓練をしておいた方がいいんじゃないかなーって思って……えへへ?」


 誤魔化すように可愛らしく(可愛くないが)笑うと、エリーネの額にビキッと青筋が浮かぶのが見えた。


(オゥ……選択ミスだな、これ)


 心中でハンズアップしてオーマイガッと嘆く。

 エリーネは大きく大きく、それはもう盛大に溜息を吐くと、こめかみに指を遣りながら敏也を諭し始めた。


「……いいですか、大神くん。あなたはついこの間死に掛けたばかりなんですよ? それに、退院したとは言っても完治したとは言えないじゃないですか。右手、まだリハビリ中なんでしょう?」


「……日常生活には問題ないよっ、おねーえちゃん♪」


「っ――その甘ったるい声真似と態度をやめなさい。ふざけてるんですか? ちますよ」


「……ソーリー。そうカッカすんなって。小皺増える――ぞほっ!? ……酷いっ、ほんとに打つなんて……っ」


 無言でパンッと張られた頬を手で押さえ、よよよ、と泣き真似しながら敏也が嘆くと、エリーネは再び溜息を吐いた。


「はぁ……私を気負わせないようにふざけてくれているのはわかりますが、それは余計な気遣いというものです、大神くん。……あと大げさです。そんなに強く打ってないじゃないですかっ、触れる程度ですよ」


「……オーバーリアクションだって必要な時があるんだよ、人生には。……それはともかく、なんでこれが気遣いってバレてんだよ。察し良過ぎない?」


「いくらなんでもわかりますよ、ここまで露骨にされたら」


「そっか。じゃあ今度からはさり気なくふざけるわ」


「ふ・ざ・け・な・い・で・く・だ・さ・い」


「わ、わかった! こっからは真面目に聴くから! だから拳を振り上げるのはやめてください! 怖いです! 冗談抜きで怖いですっ!」


 振り上げられた拳に慄きながら、敏也は慌てて謝罪した。すると、エリーネは三度目の溜息を吐き、拳を解くとゆっくりと降ろした。


「つい二日前に言ったばかりじゃないですか。『あなたは無茶をしますから、今後は私が炎刀を管理します。好き勝手には使わせません』と。もう忘れてしまったんですか?」


「いや、忘れたわけじゃないけどさ。左手で素振りするくらいならもう――」


「駄目です」


「はい、わかりました! あなた様の御心みこころのままに!」


 ギロッと睨まれたことで敏也は寝転がるのをやめ、正座をしながら態度を翻した。これ以上逆らうと大変不味い事態になることが経験上推測出来てしまったからだ。これは生きるために必要なことなのである、生存本能なのである。断じてエリーネに屈したわけではない。


(身体が反応しただけだもの! 心は負けてないもの!)


 誰に宛てたわけでもなく、言い訳をする敏也だった。

 そんな敏也の内心を知らぬエリーネは肩を一度竦めると、踵を返して保健室を出て行こうとする。その背に、敏也は声を掛けた。


「あ、エリーネさ。……明日は予定空いてる? もし良かったら……また……」


「え? あ、えっと……」


 肩越しに振り返ったエリーネは困惑し、頬を染め、しかし、申し訳なさそうな顔をすると謝罪した。


「ごめんなさい。明日は八咫神さんたちと御陰市のショッピングモールまで買い物に行く約束をしてまして……。たぶん、一日掛かりっきりになると思います」


「……そっか」


 御陰市の都市機能はすでに回復しており、ショッピングモールやその周辺に付随している店舗などは営業を再開している。企業等のビルも同様で、この蒸し暑い中、スーツ姿で街を練り歩く人の姿も見受けられるはずだ。買い物客なども同様だろう。

 皆、悪い夢から覚めたかのように、自由を満喫しているはずだ。


 敏也が残念そうにぽつりと零すと、エリーネは慌てて言葉を付け足した。


「でもっ! ……でも、明後日なら大丈夫です。ですから、明日の夕刻辺りにあなたに空いている時間を連絡します。なんなら明後日に、一緒に夏休みの宿題を進めましょう?」


 今回の夏季休業にも、さも当然の如く宿題が出されている。

 あれほどの戦闘があったにも拘らず槇ちゃん先生は数日で宿題関連を仕上げ、魔術科二年一組全員に配布したのだ。その時の生徒たちと言えば、うぎゃあ、だの、うっひょー、だの、阿鼻叫喚の地獄絵図だったそうだ。

 敏也は入院中でその場にいなかったため、エリーネから伝え聞いたことである。


 なんにしても、勉学が苦手な敏也としては願ったり叶ったりな提案だ。なにより、エリーネと一緒にいられる時間が長くとれるということは、素直に嬉しく思える。


「ああ、連絡待ってるから」


 笑顔で短くそう返事をすると、エリーネが慈愛に満ちた微笑みを浮かべ、


「ここの鍵は職員室に返しておいてくださいね。それでは……」


 と、名残惜しそうに言いながら、保健室を後にした。


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