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双天の共鳴者  作者: 月山
第三章「シンフォニック・アソシエイション」
77/126

食休みの珍騒動

 昼食を取り終えた敏也とエリーネは食堂を出て、校舎の近くまで戻ってきた。

 が、そこで敏也がふと立ち止まり、ポケットから端末を取り出すと、画面を見詰め始めた。


「12時56分。――状況は最悪だ。迂闊だったか」


「? どうしたんですか、大神くん。早く帰りましょう?」


「いや、わりぃ、エリーネ。俺、これから大切な用事があるから、ここで別れよう」


「え、用事……ですか? 年中暇な人であるあなたに……?」


「誰が暇な人だ、誰が!」


 これでも忙しいのである。健全な妄想であったりだとか、不健全な妄想であったりだとか。


「つーわけで、じゃあな、エリーネ。真っ直ぐ部屋まで帰るんだぞ。寄り道は駄目だかんな」


「子ども扱いしないでください! って、大神くん!? どうしてそんなに急い――行ってしまいましたか……」


 敏也は言い終わると同時に猛スピードで校舎の入口へと姿を消していた。エリーネが声を出した時にはすでにここにいなかったのである。

 エリーネは小首を傾げながらそちらを眺め、


「……用事ってなんなんでしょうか?」



「よう、大河。待たせたか?」


「遅いよ、敏也君」


 敏也が生徒玄関の扉を潜ると、そこには下駄箱に凭れかかるようにしている天埜大河の姿があった。しかし、眼鏡の奥にある両目は疲れ気味だし、その下には隈がある。また、平時からボサボサのその髪はより一層ボサボサだし、身体は気だるげな雰囲気を放っている。

 が、昨日もこうした状態だったため、敏也は努めて平常通りに相対していた。


「悪い悪い。ちょっと野暮用があってさ」


「どうせエリーネさん絡みなんでしょ?」


「……否定はしない」


 からかうように言った大河に、敏也は仏頂面で短く返す。

 と、大河が下駄箱に凭れかかるのをやめながら左右に頭を振り、


「まったく……わかってる? 『彼』は、こっちが定刻通りに指定ポイントに赴かないと帰っちゃうんだからね。一時までもう三分もないよ?」


「だから悪かったって」


 敏也は平謝りしながら大河と横並びになり、生徒玄関近くにある階段を上り始めた。その足取りは早く、定刻までにその場所へと辿り着くために必至だ。


「でさ、そいつは信用できるのか?」


「もちろん。『彼』の仕事はプロ並だし、顧客情報だけは絶対に漏らさないよ。例外を言えば、『彼』の情報を漏らした顧客に関しては別で、死ぬよりも酷い辱めに遭うらしいけど」


「……裏切りには死を……ってやつだな」


「まあ、当然だよね。『彼』だけじゃなく、その他大勢の顧客たちのことまで危険に晒すわけだから」


 そのようなことを話しながら足を動かしていると、三階を越え、屋上入口前まで辿り着いていた。

 大河はドアノブに手を掛け、敏也を振り返ると、表情を引き締めた。


「いいかい、敏也君。ここから先に踏み込んだら、もう後戻りはできないよ? 君は僕たちと同様に『咎人』の烙印を押され、日陰者になってしまう。それでも……?」


「ああ、もう決めたんだ。先に進むって。――だから、やってくれ」


 凛々しい顔つきで、そう返す。そうすると、大河が全てを悟った様な笑みを零した。


「君も男だね、敏也君。……じゃあ、行こうか!」


「おう!」


 そして、禁忌の扉は開かれた――



 屋上を駆け抜けるは、夏特有の熱気を孕んだ風。学園は海沿いにあるためか、それには青臭さが混じっている。

 見上げるとそこには青空。雲一つない。


「んで、売人はどこにいるんだ?」


「えーっと、多分こっちに……」


 と、大河は呟きながら入口からは陰になって見えなくなっている方へと足を進めた。敏也もそれに続き、歩く。

 すると、何やら人影が視界に映る。


 そこには、壁に凭れかかるようにして座っている一人の男の姿があった。学生服のシャツの前を開けるようにし、頭にはバンダナを巻いていて、片手を膝に乗せるようにしている。おまけに首には十字架の首飾りを掛けていた。

 その首飾りは、魔術が発達してからは下火気味な宗教家だから身に付けているというわけではなく、指にいくつかシルバーの指輪を嵌めていることから、恐らくはファッションの一環なのだろうと敏也は推測する。が、それと同時に、


(胡散くせえ格好だなあ……)


 などと敏也は思っていた。もちろん口には出していない。

 敏也の心境を知らぬ大河はその人物の傍まで近付くと、声を掛けた。


「やあ、お待たせ、中目黒先輩。新しいお客さんを連れて来ましたよ」


「新しい客? おい、大河。まだそいつはオレの客じゃねえ。そいつが客になるかどうかはオレが決めるんだよ」


 じろりと横目で視線を送り、そう言う。


「ごめんなさい。でも、ちゃんと秘密は守れる人だと思いますよ?」


「それを見極めるのもオレだ。お前がどうしてもと言うから魔術科のこいつとの面会を承諾したんだぞ。本来なら、魔術科は一部のヤツを除いて贔屓にはしねえ掟なんだ」


「はいはい、そういう決まりなんですよね、中目黒先輩」


 大河は愛想笑いを振り撒きながら彼を窘める。

 学科は違えど敏也と同じ第二学年である大河が先輩と呼んでいることから、この人物は第三学年。そして、魔術科を毛嫌いしているような言動の節から、魔動科だったりするのだろうか。

 なんにしても、敏也としては関わるだけで辟易するタイプの人間だ。


(め、めんどくせえ感じがすっげーするんですけど……)


 敏也は内心で関わってしまったことに後悔しそうになるが、それを振り払う。


(いかんいかん。俺には果たすべき使命があるんだから)


 そうして再度決心を固めていると、中目黒と呼ばれた男が腰を上げ、敏也の前まで近付くと、切れ長の目で敏也の目を見始めた。

 そして、


「これからお前にいくつか質問をする。余計な口を挟まずに、イエスかノーで答えろ。もしも一回でもノーと言えば、お前はここにいる権利を失う。――いいな?」


「イエス」


「……まだ始まってねえよ」


 中目黒はズレたバンダナを呆れた調子で直しながら、ついでに自身の首筋を撫でていた。その後、この空気に飽き始めたせいかぽけーっとし始めた敏也を再び見ると、質問を始めた。


「質問一。――――女子の身体で一番良いと思う部位は?」


「脚。特に太もも」


「――ようこそ、ブラザー。お前を歓迎するぜ!」


「よっしゃあっ!」


 二人はガッチリと握手。


「ちょ、ちょっと待ったーー!! 早くない!? っていうかイエスかノーじゃなかったの!? そもそも敏也君って脚フェチだったのっ!? なんかもうビックリだよ!」


 突如実を結んだその結果に驚き、飛び上がった後、忙しなくあたふたする大河。すると敏也が、やれやれ、と肩を竦めながら首を振り、


「忙しいやつだな、大河。大体さ、『特に』って訊かれただろ? だから、別に俺は脚フェチってわけじゃない。女の子のいろんなとこが好きだよ」


「もっと駄目だーー!! なに良い笑顔で最低な事言ってんのさーーッ!?」


「さすがだな、ブラザー。――いや、お前は今日からオレのソウルフレンドだ!」


「光栄っす、グロ先輩」


「その呼び方はやめろっ!」


「この人たちもう駄目だーーッ!!」


 校舎の上空にある青空に、大河の魂の叫びだけがいつまでも響いていた。



「いやぁ、さっきは意地の悪い態度を取って悪かったな、ブラザー。こういう商売をしてると有象無象の輩が群がってきやすくてな、最初は警戒してんだわ」


 一連の騒ぎの後、再び壁の傍に座り込んだ中目黒は、開口一番にそう言った。

 その謝罪を受けた敏也は頭を振り、


「構いませんよ、グロ先輩。なんかそっちの方がいかにも『売人』って感じで、わくわくしますし」


「……お前もわるだな」


「……先輩ほどでは……」


 両者、ウッフッフ、と不気味な忍び笑いを零しながら、悪人面のままで向かい合い続けている。

 その傍らには、頭を抱えている大河がいた。


「中目黒先輩、もしかして最初の質問って人によって変えてたりします? 僕の時と大分違うと思うんですけど……」


「大河の時はどんなのだったんだ?」


 ふとした疑問を敏也が訊くと、大河は腕組をして唸りだした。


「僕? う~ん……確か、『お前の目の前には女子のしなやかな指先。さて、どうしたい?』だったかな?」


「で、お前の回答は?」


「…………『手を繋ぎたいです』って言ったよ……」


「だ・よ・な~。紫苑の手っていっつも操縦桿握ってるとは思えないくらいほっそいもんな~そうだよな~そうだよな~?」


「くっ……敏也君、あんまりそういう態度を取っていたら、いつかエリーネさんを使って仕返しするからね!」


 ニヤニヤ顔の敏也に対し、大河は苦渋に満ちた表情だった。

 と、そこで中目黒がバンダナへと手を遣りながら口を開いた。


「まあそのくらいにしとけよ、二人とも。オレがそういう質問をしたのはな、お前らの心意気を確かめるためだったんだ」


「どういうことです?」


「簡単さ。――好きなものを声を大にして叫べないようなみみっちい男をオレは自分と同じ男とは思えねえ。そんなやつらに御宝を売るわけにはいかねえ。――それだけさ」


「おぉ……言葉の上っ面だけを聴くとカッコよく思える」


「言葉って不思議だね。そして、人間って幸せだよね。理解するべきではない意味は意図的にシャットアウトできるんだから」


 決め顔で言い放った中目黒に対し、二人は表情を尊敬の念に染めながらも、目だけは遠くを見る状態になっていた。

 そんな二人を見て場の不穏さを感じ取ったのか、中目黒はごほんっと咳払いをしてお茶を濁す。そして、壁の近くに置いてあった学生鞄を引き寄せると、止め具を外した。


「まあそれは置いとこうぜ。今は商売の時間だ。……部外者が来ないとは限らないからな。早めに済ませよう」


 その言葉に、こくりと二人は頷いた。

 中目黒も頷き、カバンの蓋を開けると、中からなにやら封筒のようなものを取り出した。そしてそれを敏也へと突き出す。


「喜べ、ブラザー――いや、大神敏也! 大河からお前の趣味を聴き、それを元にして厳選した、お前垂涎ものの一品たちで、しかも初回無料だ。有難く頂戴しろ!」


「ははーっ。ありがたやーありがたやー」


 ごますりをしながら敏也は封筒を恭しく受け取る。


(ついにこの時が……!)


 ごくりと唾を飲み込み、敏也は封筒を開け、中身を取り出した。

 その中身とは――


「さあ、どうだ、ブラザー! エリーネ・フリートハイム隠し撮り写真。バージョン・学園生活(試用版)だァ!」


「――ぐはっ」


「敏也君が喜びのあまり吐血を……っ!?」


「ぐっ……なんのこれしきぃ……っ」


 そのあまりの衝撃に、よろっと倒れ込みかけ、しかし、なんとか片膝を着く程度に留めた敏也は、口元を拭いながら御宝たちへと再び視線をやった。


 ――一枚目。体操着姿でラケット片手にテニスをしているエリーネ。その長い髪は運動がし易いように一つに纏められ、ポニーテールとされている。細かい点を上げれば、動きのあるであるにも拘わらずまったくブレていないうえ、流れた汗が飛ぶ様さえも捉えている。撮影技術様様だ。


 ――二枚目。木陰でうたた寝をしている制服姿のエリーネ。その膝には読みかけの本が置かれていることから、読んでいる途中で眠くなってしまった事が伺える。普段の彼女とはまた違う表情が、敏也の心を大なり小なりくすぐっていた。


 ――三枚目。教室の席に座り、憂いを帯びた視線を窓の外の青空へ向けているエリーネ。敏也にはこの表情に見覚えがあり、何ヶ月か前にエリーネと喧嘩をした時に彼女が見せた表情だった。なんにせよ、その憂鬱そうな表情にさえも愛おしさを感じるのは、惚れた弱みというものなのだろうか。


 以上のたったの三枚ではあるが、敏也としては大満足の御宝たちだった。


 ホクホク顔で写真を封筒に仕舞い込み、大事そうに抱えた敏也。そんな彼へと、大河が冷やかな視線を向けていた。


「……中目黒先輩を紹介した僕が言うのもなんだけどさ、敏也君はこんなことしなくても、エリーネさんに写真を取らせてもらえると思うんだけどなぁ……」


「……いやいや、んなことない」


「どうして一瞬言葉に詰まったのかな? 敏也君」


「~♪」


 問い詰められた敏也は口笛を吹きながら誤魔化す。と、大河は、仕方ないなぁ、とでも言いたげな表情で溜息を吐いていた。

 すると、それまで座ったまま場を静観していた中目黒が急に立ち上がると、二人を前にニヒルな笑みを浮かべた。


「ま、各々事情があらぁな。詮索すんのは野暮ってもんだぜ、大河。お前だって、愛しの可愛子かわいこちゃんとは進展してないんだろ?」


「……それを言われると弱いですけど……」


 大河は頭を掻きながら所在なさげに笑みを零した。それになんとなく憐憫を感じた敏也は、話題逸らしも兼ねて気になっていたことを質問してみることにした。


「あの、グロ先輩。訊きたい事があるんすけど」


「その呼び方はやめろと……まあいい。で、何が訊きたいんだ?」


 中目黒は訂正しかけ、しかし、ふんっと鼻を鳴らすと、屋上の柵に背を預けた。


「いえ、この写真、いったいどうやって撮影したのかと思いまして。……エリーネって結構勘が鋭いというか、気配に対しては敏感なんすよね。気付かれずに撮影するのはほぼ無理なんじゃないかと……」


「まるで実体験のように語るんだね、敏也君」


 と、大河が訊くと、敏也の目から光が消え、口元が『へ』の字にねじ曲がった。


「……前にあいつを怒らせた時、俺は中庭に隠れててな」


「う、うん」


「でも、しばらくするとエリーネがやって来てさ、でもこっちには気付いていなかったみたいだったんだ。だから、こっそりと草むらを匍匐で進んで逃げようとしたんだけどな……ふぅ~」


「……それでどうなったの?」


 ごくりと唾を呑みこんで訊く。と、焦点の定まらない目の敏也がはっとし、


「んぁ? まあ大したことじゃないぞ? ……次の瞬間に台風みたいな暴風が襲ってきたってだけだよ、ハハッ。しかも草むら一帯を竜巻みたいなので囲って逃げられないようにするおまけ付きでな。おっかしいなぁ、物音は立ててなかったはずなのにさぁ、へへ。……逃げ場がない上に、暴風に乗って木の破片やら石やらが襲いかかって来る恐怖、お前にわかるか?」


 丸まった背と虚ろな表情で見据えられた大河は、引き攣った笑みを零していた。


「は、ははは……昔問題になった中庭での竜巻騒ぎって君たちの仕業だったんだね……犯人は結局出て来なかったけど」


「出て来れるはずないだろ。気絶した俺は被害者として保健室送りだし。エリーネは知らん顔だし。……くっそ、思い出したら腹立って来たぞ」


「はぁ……エリーネさんって怒ると容赦ないよね。僕はまだ短い付き合いだけど、それだけはわかるよ……」


「ああ、だろ? 一つ良いこと教えとくとな、大河。万が一エリーネを怒らせた時は、下手に逃げるよりもその場で痛めつけられたほうがまだマシなんだ。覚えといて損はないぞ」


「……そんな弱々しい笑顔で哀しいアドバイスはやめてほしいなぁ……」


 二人がそんな遣り取りをしていると、敏也のあまりにも取り乱している様に憐れみを覚えたのか、静観していた中目黒が苦笑しながら割って入った。


「ま、まあそれはともかくとしてだ、二人とも。撮影場所に関しての詳しい情報は漏らせないが、どんなものを使っているかは話せるぜ」


「マジですか?」


「おう。……つっても、つまんねえ話だぜ? 単に市販の小型カメラを改良して、メモリ増設によって容量を増加させることで連射機能をフルで発揮できるようにし、さらにいくつかの機能を追加・除外することで無音かつ高精細な画が取れるよう改良してるだけだ。それを学園中に配置してな」


「それってまずいんじゃ……」


「いいや、問題ねえ。更衣室とか、トイレとか、そういう明らかにやべえとこには付けてないからな。取った写真も、売る相手に『資格』が無い場合は売らねえし。さすがに節度ってもんは持ってるさ。――でだ。まず、ウチの学園の格納庫にある魔動機パーツなんだが……大河は知ってるとは思うが、破損した部品は纏めてメーカーに送り返すんだ。でな、その送り返す破損パーツの一部を失敬して……」


「犯罪っすよ、グロ先輩」


「ちっげーよ! 元々そのパーツたちは学園が購入したものなんだよ。で、そのパーツたちは廃棄処分確定ものばかりなんだ。だから、オレはリサイクルしてるだけなんだって」


「物は言い様とはこのことだね」


「大河! てめえだっていくつか拝借してることはわかってんだからな! いや、お前だけじゃねえ。整備班志望の魔動科のやつらはみんなそうしてる。で、そっから趣味に走ったり、もしくは装備を自作しようとしたりするんだよ。だいたいは失敗するがな。教員たちもそれを知ってるけど、オレたちの技術向上のためか止めようとはしねえんだ」


「へえ……」


 敏也は感心し、唸る。そして、大河へと視線を送り、


「お前もなんかやってんの?」


「……やってた、が正しいかな。……はぁ」


「?」


 その妙な言い回しと憂いを含んだ溜息に疑念を抱くが、中目黒が再び話し始めたため、敏也の意識はそちらへと向いた。


「まあともかくだ。魔動機のパーツは質が良いし、最新ものだからな。がらくた弄りにはもってこいなんだよ」


「だからって、それを無断で拝借して、おまけに不特定多数のやつらに……こういう写真を売りつけるのは……いや、利用した俺が言うのは駄目ですけど……」


 敏也が罪の意識に苛まれながらもそう呟くと、それまでぽかんとしていた中目黒が、急に堪え切れなくなったように笑い始めた。大爆笑である。


「ハッハハハハ、そうかそうか。そうなんだな、ブラザー。なるほどなぁ。ハハハ」


「な、なんすか、その笑い。すごく嫌な感じなんですけど」


「はー……はー……っ、いやいや、言わなくてもわかるぜ、ブラザー。――自分の好きな子の写真を不特定多数の男が持ってるのは気に食わねえんだよなぁ?」


「っ」


 図星を突かれた敏也は息を詰まらせ、たじろいだ。大河は笑顔で、やっぱりね、とでも言いたげに敏也を見ている。

 そんな彼らを満足げに眺めた中目黒はやれやれとでも言いたげに肩を竦めた。


「安心しろよ、ブラザー。さっき言ったろ? 『資格』がねえやつには売らねえ、って。その資格ってのがなんなのか、お前にわかるか、ブラザー?」


「……いえ」


「じゃあ初回特別サービスで教えてやろう。その資格ってのはな、――被写体と購入者が信頼関係で結ばれてるってことなんだよ」


「……は?」


 その予想外の答に敏也は呆然と佇んだ。敏也としては、もっと俗っぽい内容だったり、果てには下らなさ過ぎるような内容かと思っていたのだ。

 しかし、齎された答は、この場に似合わず誠実で、真摯で。


「そこまで驚く事か? そりゃそうだろ? こんなグレーどころか黒に下半身まるまる突っ込んでるような商売、手広くやると思うのか? 舐めちゃいけねえぜ、ブラザー。オレぁな、もしも写真が第三者に見つかっても、内々で済むような関係のやつらにしか売ってねえのさ」


「……そっか。だからグロ先輩の商売って噂程度にしかなってないんすね」


「そういうこと。資格に加えて秘密を守れるやつにしか売ってねえからな。オレ自身が販促のために吹聴した噂しか流れてないってことさ」


「意外……頭空っぽに見える中目黒先輩が賢く見えるなんて……」


「大河、てめえは後でしばくからな」


「冗談ですって、中目黒先輩」


 大河が漏らした本音に、中目黒はクワッと目を見開きながらそう言う。大河は気持ち引き攣った笑みを浮かべながら誤魔化す。

 と、何度目になるかわからない溜息を終え、中目黒が敏也を向いた。


「ま、ともかくだ。その写真は誰にも見つからないよう心掛けとけよ、ブラザー。いくら内々で済みそうなやつにしか売ってないとは言っても、それはあくまでも希望的観測でしかねえ。もしもそれが見つかって何も起こらずに済む保証は――」


 中目黒がそう言い掛けた時だった。


「大神くん? それに、天埜くんも? そちらは……知らない方ですけど。こんなところで何をしているんですか?」


「っ!」


 突然の声に三人の身が竦む。


(あ~、聞き覚えがバリバリあるなぁ、この声)


 油の切れた機械の様な緩慢な動きでそちらを見やると、


「エ、エリーネ、なんでここに……?」


 屋上の入口兼出口の前には、単行本サイズの本を一冊持ったエリーネが居た。その様から、一度部屋まで戻ってから読書の為にここを訪れたということだろうか。

 問われたエリーネは首を捻り、


「? 静かな場所で本を読もうかと。ここの日陰になっている場所は風通しも良いですし」


「わざわざここで? ほら、寮の向こう側に丘あんじゃん。そこだって木の陰とかあるし、ここで読む必要はないんじゃないかなー……って思うんだけど……」


「残念ながらそれは無理なんです。向こうにはカップルが何組かいて、私一人で陣取るには居心地が悪そうでしたので」


「へ、へえ、そうなんだ! でも、ここで読む必要はない気がするなぁ!?」


 エリーネを一刻も早くここから去らせるため、敏也は必死に言葉を探っていた。が、その態度に違和感を覚えたのか、エリーネの目が細くなり、表情が胡散臭いものを見る感じになる。


「……あなたたち、何か隠していますね。それは私に見られては困るものと見ました。今すぐ白状するというのなら、多少は免罪してあげてもいいですよ?」


「い、いえ? そんなもの、あーりませんよ?」


 にっこりと笑って暗に死刑宣告をしたエリーネから敏也は目を逸らしながらそう言う。

 ちなみに、エリーネのお宝写真が入った封筒はズボンの後ろに差し込んで、さらにはシャツを被せて隠してあり、まだその所在も存在もバレてはいない。しかし、この程度の偽装工作がバレるのは時間の問題であることは明らかだ。


 と、目の前の破壊の権化に慄いていた敏也へと、両隣に居る二人から小さな声が届いた。


「大河、ブラザー、わかってんな? ――こいつはやべえ。内々なんかじゃ済みそうにない気配が漂ってやがる上、逃げ切ることもできそうにねえ。でもな、だからって大人しく捕まるわけにはいかねえし、この商売が日の目に晒されるわけにはいかねえ。是が非でも突破するぞ」


「でも中目黒先輩、どうやって? 彼女は肉体強化が使えませんが、その代わりなのか攻撃系統の魔術に精通しています。魔術科である敏也君ならともかく、魔動科である僕たちは逃げ切れませんよ?」


「――フッ、わかってねえな、大河」


 中目黒は達観した表情で、小さく笑みを零した。その精悍な顔つきは、自身の命を諦め、それでも誰かを救おうとする戦士の顔だ。


「幸い、オレのカバンの中には商品はもう入ってねえ。ブラザーに渡しちまったからな。そして大河、お前も今日は買ってねえから商品を持ってねえ。つまり、この場で最も捕まってはいけないのは、ブツを持ってるブラザーってわけだ」


「……ということは」


「ああ。――オレと大河で血路を拓く。ブラザー、てめえはそこを駆け抜けろ!」


「仕方……ないですね。――そういうことだよ、敏也君」


 二人からの衝撃的な提案に、敏也は困惑しながら声を上げる。


「そ、そんな! 二人を犠牲にして俺に生き延びろって? そんなのってない! 俺に卑怯者になれってのかっ!?」


「馬鹿野郎!」


 敏也の泣き事を中目黒が一喝して黙らせた。しかし、その一喝には厳しさの中の優しさがあり、敏也に反発心など蚊ほども抱かせなかった。


「グロ……先輩」


「だからその呼び方は……チッ、いいか、ブラザー。お前はオレたちの希望なんだ。こんなとこで死んでいいようなやつじゃねえんだよ。だからさ、駄々捏ねねえで突っ走ってくれよ。最期くらい、オレたちの頼みを聞いてくれたっていいだろ?」


「けど……けど……っ!」


「敏也君、僕たちは信じてるんだ。君ならきっと逃げ切ってくれるって」


「大河、グロ先輩……」


「フッ、男が泣きそうなツラ晒すもんじゃねえぜ。――いくぞ大河ァ!」


「はい、中目黒先輩!」


 ダッ、と二人はエリーネに向けて駆け出した。


「待ってくれ! 大河! グロ先輩! 俺、まだ二人に何も――」


 遠ざかっていく背中に手を伸ばし、必死で声を掛ける。


 しかし、小さくなっていく背中は止まらなくて――


 その勇敢な歩みには、一切の迷いが無くて――










「邪魔です!!」


「ぐわぁぁあぁ!?」


 ――そして、何の意味もなかった。


 二人は、エリーネが両腕を横へと薙いだと同時に発生した疾風に脚を絡め取られ、姿勢を崩した。そして続けざまに接近したエリーネに首根っこを揃って掴まれ、そのまま屋上の床へとキスさせられたのだ。


「人が黙って見ていてあげれば三文芝居をいつまでも……この私を前に呑気が過ぎます」


 顔面を、いくら女子の非力な力でとはいえ堅い床に叩きつけられた二人。その手足がピクピクと動いているのが、なんとも哀愁を誘う。


(よ、容赦ねえ……それに、肉体強化ねえくせに身のこなしがやば過ぎる……!)


 その所業、悪魔なり。


「さて、この愚かな二人には後で話を訊くとして――大神くん、次はあなたの番です」


「ひぃっ!?」


 二人の首からゆっくりと手を離し、立ち上がったエリーネ。

 ギラリとした目に捉えられた敏也は身を竦ませ、後ずさった。まさに、捕食者を前にした獲物である。膝はガクガクと震え、冷や汗と脂汗が綯い交ぜになり、皮膚を湿らせている。周囲の暑さも相まってか、その量は半端ではない。


「どうしました、大神くん。汗がすごいですよ? そんなに怖がらなくても、正直に話せば痛い思いをしなくて済むんですよ? ……まあ、あなたが後ろめたいことをしていなければの話ですけど♪」


「笑顔で怖いこと言うんじゃねえよ! お前の笑顔がトラウマになったらどうすんだ! そうなったら顔合わすたびにトラウマ刺激されちゃうよっ? その度に俺の精神削られちゃうよっ? それでもいいのかっ!?」


「うふっ、そうなれば、もうあなたは馬鹿なことをしなくて済むかもしれませんね?」


「こ、こいつ……っ」


 もう駄目だった。エリーネの頭のどこかの螺子は吹っ飛んでいる。

 しかし、こんな状況になったのは自分のせいでもある。もしも自分がもう少しうまくエリーネを取り成せていたら? 疑われるような態度を取らなければ? 大河とグロ先輩は犠牲にならなくて済んだのではないだろうか。


「どうしたんですか、大神くん? いつものように逃げないんですか?」


「誰が……っ!」


(二人を置いて逃げるなんて……)


 確かに二人には逃げるように言われていた。が、敏也としては逃げるつもりなど毛頭なかった。友人を即座に切り捨てて逃げるなど、そんなこと出来るはずがないではないか。


 ちらりと視線を送る。


 まだうつ伏せでビクンッビクンッと痙攣している二人の姿が目に映る。


(よし、逃げよう)


 決意の崩壊は早かった。


「アディオス! 我が友よ!」


「……最低ですね、大神くん」


 最高の笑顔で別れを告げ、呆れ顔のエリーネを尻目に、敏也は駆け出した。肉体強化を身体の崩壊が始まる一歩手前まで掛け、最大加速で屋上を疾走。

 そのスピードは、エリーネには到底追い付けるものではなく、あっと言う間に距離を離し、敏也は屋上の端近くまで迫っていた。


 そして、両足に力を込め、


「跳べぇぇぇえっぇ!!」


 何のためらいもなく、跳躍。身体は宙に舞い上がり、屋上の柵を優々と越え、そのまま途方もない速さで屋上から遠ざかろうとする。肉体強化によって、着地の際に生じる衝撃も大部分は引き受けられるため、この行いに問題はない。断じて派手な自殺などではない。


 敏也は滞空中に振り返ると、屋上の中ほどまでようやく辿り着いたエリーネへと、声を張り上げた。


「あばよ! とっ――エリーネ! お前じゃ俺は捕まえられねえよ!」


「……」


 すると、その場で立ち止まったエリーネが俯く。おや、寂しくて泣いてしまったのかな――と敏也は呑気に思う。

 しかし、そうではなかった。


「……フフ」


 エリーネの肩が、揺れる。込み上げてきた笑いによって、揺れる。


「な、なんだ?」


 小さな笑い声はここまで届かないものの、その不気味な気配だけは手に取るようにわかる。

 そして、エリーネは跳ね上げるようにしておもてを上げた。上げたその顔には、満面の笑みが貼り付けられている。だが、その本質は邪である。敏也を傷めつけようとする魔である。


「まだ気付きませんか? 大神くん。――異変に?」


「異変? そんなもの――」


 と、そこで気付く。


「……なんでまだ地面に着かねえんだ?」


 そこがおかしい点だった。本来ならば、敏也が跳躍直後にエリーネに声を掛けた際には落下運動に入っていなければおかしかったのだ。しかし、敏也の身体は今もなお空中に在り、ゆっくりとした下降を続けている。

 まるで、何かが落下を阻害しているように。


「簡単ですよ、大神くん。風の術式を使って、あなたの周りの気流を操作。それによってあなたをそこに留まらせているんです。ほら、下から円運動をするように吹き上げてくる風を感じませんか?」


「……言われてみれば」


 確かに、なにやらふんわりとこちらを持ち上げるような感触の風を感じる。そんな自分を客観的に見ると、息を管に吹き込むことで球を浮かせる、とある玩具が思い浮かんだ。


「ふっざけんな! 俺を玩具にすんじゃねえよ! さっさと降ろせ!」


「それはできませんよ。あなたには、洗いざらい吐いてもらうんですから」


 そう言ったエリーネの背辺りに、粒子状の光たちが出現。それらが終結し、二対の空色の魔方陣を肩甲骨辺りに顕現させていた。さらには、彼女の前方に鋭角を模した障壁が出現。そのどちらも何に使うのかは知らないが、敏也にとっては災いの元であることに間違いない。


 エリーネの凛々しい目が、恐怖に顔を引き攣らせ始めた敏也を捉え、


「あなたが入院していた一週間、その間に私が身に付けた新たな力をその眼に焼き付けて差し上げます!」


「は? ……やめろ! 嫌な予感しかしねえ! つーか、そんな短期間じゃ間違いなく付け焼刃じゃねえか! もし大参事になったら――」


「私に飛翔の力を! ――『ブリュンヒルデ』!!」


「話聴けーーーーーーッ!!」


 敏也は恫喝するものの、エリーネは耳を貸さず。

 彼女の背に現れていた魔方陣二つから、魔力が光の形で顕現し、尚且つ、それがまるで魔動機のスラスターのような噴射光となり、浮力を生み出す。

 次の瞬間には、エリーネの身体は大砲の弾のようなスピードで空へと飛び立った。そのまま滞空している敏也へと真っ直ぐ向かう。


「あー……」


 今この時、敏也は理解していた。エリーネが前方に鋭角気味の障壁を展開していたのは、肉体強化が使えない自身の身体の強度を鑑みた結果で、高速での移動の際にぶつかるであろう空気の壁を少しでも軽減するためなのだろう。

 と、そこまで思考が及んで、敏也は諦めるように溜息を吐いた。


「こいつ、減速のこととか考えてないんだろうなぁ……」


 目の前まで迫っているエリーネが展開している魔方陣は二つ。しかも、それらは背にしか配置されていない。即ち、こちらにぶつかる前に減速する気はゼロ。もしくはそこまで考えが及んでいなかったか。

 その答はどうやら後者の様だ。エリーネの顔がアワアワとうっかりミスに気付いたかのように困惑モノになっている。その表情は非常に可愛らしいのだが、彼女は数秒とせずにこちらに死を齎す悪魔であることを忘れてはならなかった。


(肉体強化最大……っと)


 目を瞑り、念のために歯を食い縛った後、肉体強化を最大限に設定した敏也。


「うげはぁっ!?」


「きゃあぁぁぁっ!? 大神くん! 大神くんっ!?」


 その溝尾に、尖った障壁が容赦なく突き立ったのは、それから一秒もしない頃。

 苦悶に呻く敏也。自身の成した結果に取り乱すエリーネ。胃の中のものを吐き出さなかったのは不幸中の幸いである。もっとも、溝尾を抉られる以上の不幸もそうはないのだが。


(は……はは…………さらば、今生の世界よ)


 薄れゆく意識の中ではあったが、障壁を即座に解除したエリーネがこちらの身体を必死に抱き止めるのがなんとなくではあるが感じられる。ただその柔らかさゆえに。


 そして、この世のものとは思えない痛みが終わった後に感じたのは、ふんわりと身体が浮くような感覚と、それに反するも同時に、身体が地面へと落ちて行く感覚だった。



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