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双天の共鳴者  作者: 月山
第三章「シンフォニック・アソシエイション」
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昼下がりの一件


 時刻は早朝。


 とある国の空港近く。町はずれの寂れた薄暗い路地裏、その一画にある怪しげな店。

 その店に、長い銀髪をポニーテールにした女性が、サングラス着用兼、臍出しパンツルック姿でその上を覆うようにして長袖の上着を羽織り、重そうなキャリーバッグを悠々と引き摺りながら来店した。


 カランカランと音が鳴り、店主へと来客を知らせる。

 店の中には、銃器などが所狭しと並べられており、魔術が発達してからは衰退気味である携行火器がこれほど身受けられるなど、珍しい光景だった。


「ごきげんよう」


「らっしゃ――おんやぁ? ……こりゃぁたまげた! フリートハイムさんとこの奥様じゃねえですかっ。今日は如何様で? 旦那様へのお灸据えが目的でしたら、良いのが入荷してますぜ」


 銀髪の女性の姿を見るや否や、丸めた坊主頭の店主は暇つぶしに読んでいた新聞を放り投げながら、嬉々としてカウンターを飛びだし、彼女の前へと馳せ参じた。

 どうやら、フリートハイム家は夫婦揃ってこの店のお得意様らしい。


 女性は苦笑しながらサングラスを取ると、首を横に振り、


「いいえ、今回はそういった用件ではありませんの。……少々お伺いしたいことがございまして……」


「おや、そうなんすか。そりゃ残念。――ゴリラにも引き千切れないってぇキャッチフレーズの対魔素材製の最新式対魔術師用拘束具なんすけど、入用でないなら他のお客様に――」


「そのお話は今度詳しく。最近あの人は家庭を蔑ろにし過ぎていますから、丁度良いかもしれません。取り敢えず、取り置きをお願いしますわ」


「へへ、毎度ー。色の良いお返事をお待ちしてますぜ。――で、いつもは電話で購入してくださる奥様がわざわざここに出向くなんてぇ珍しいじゃないっすか。余程重要な案件で?」


 と、機嫌を良くした店主が訊くと、女性は深刻そうな顔で大仰に頷き、


「ええ。……あまり公にはできないのですが……この国と共に綿々と続いてきたフリートハイム家、その存続の危機ですわ」


「なん……ですと……?」


 突如齎された衝撃の事態に、店主は大きく目を見開きながら絶句。

 たかり相手――もとい、お得意様の一人で、何かと非合法なことを遣らかしているこの店に問題が起きた際は揉み消しに走ってくれるフリートハイム家に消えてもらうと、店主としては色々と困るのだった。

 ショックから立ち直った店主は、ごくり、と唾を呑み込むと胸をどんと叩き、


「そういうことなら、あっしに出来る事でしたらなんでも致しましょう。――武器、弾薬、魔動機、なんでしたら巡航ミサイルまでご用意……そりゃさすがに無理っすけど。……と、とにかく! 尽力させていただきやすぜ!」


「あらあら、頼もしいですわね。わたくしが一人身でしたら惚れてしまいそうですわ」


「へへ、よしてくだせぇ。でっへっへ」


 銀髪の女性からの手放しの称賛に、店主はデレデレとして鼻下を擦る。


「で、あっしに何をしろと?」


「簡単ですわ。――今日、夫がここを訪れたはずです。その際、何を所望していたのか、それを知りたいのです。もしかすると他の店も訪れているかもしれませんので、あなたの伝手で探りを入れてほしいのです」


「旦那様の?」


 それを聴いた店主の眉が寄り、脳裏で疑念が渦巻く。

 確かに、フリートハイムの旦那様は真夜中に店のドアを壊す勢いで叩き続け、就寝していた店主を起こし、入用だったものを買って行った。

 だが、それは時刻さえ無視すればいつもの事だ。旦那様は必要な物があればいつだってこの店の店主を訪ねるし、それを店主は提供してきたのだから。いまさらとやかく言うようなことではないはず。


 つまり、奥様が急に素行調査を始めたことから、フリートハイム家存続の危機とやらは旦那様に関係している可能性が極めて高い。

 もしや、


「浮気で?」


「もしそうなら、今頃あの人は天に召されているでしょう」


 ニッコリと笑って言った。が、目が笑っていない。しかも、なにやら異常なまでの怒気と魔力を身体から迸らせている。たとえ目に見えずとも、その魔力が生み出す重苦しさは異常なレベルだ。

 それによって建物がギシギシと軋み、まるで軽い地震が到来したかのようになっている。


「ちょ、落ち着いてくだせえ、奥様! このままだと店が壊れちまいやす! この店オンボロなんすから!」


「あら……ごめんあそばせ。わたくし、つまらない冗談が嫌いでして」


 女性は迸っていた魔力を鎮め、今度こそはニッコリと笑った。

 店主は自身の迂闊な発言を嘆きながら額の汗を拭い、


「……旦那さまは確かに、真夜中ごろにご来店されました。それと、他の店に訊くまでもないっす」


「そうですか。では、何を買いに?」


「そうっすねぇ……たしか『敵を拘束する器具が欲しい。空港で持ち物検査に引っ掛からないようなものだ』と仰ってましたねぇ。で、あっしはこちらの……よっと」


 店主は展示ケースの鍵を開けると、その中から一つのちゃちな作りの手錠を取り出した。それは金属製ですらなく、けったいな模造品かと思う程度の完成度だ。


「この手錠をご提供させていただきやした」


「ふぅん……一見玩具の手錠のように見えますけれど、何か能力が?」


「よくぞお訊きになられました!」


 セールスマンよろしく、店主は嬉々として商品の紹介を始める。


「こちらの品、やっすい玩具の手錠に見えますが、ところがどっこい、実際は内側に封印術式が刻み込まれてるんすよねぇ。しかも、素材には僅かながら対魔素材も使用されていて、耐久度は本物並っす」


 女性は手渡されたそれを触り、真偽を確かめる。


「……あら、確かに。意外と堅いですし、術式がものすごく細かく彫られていますわね。……しかもこれ、相当手の込んだ品でしょう。封印術式を物に刻み、なおかつ効力を発揮させるなんて」


「その通りです。これ、仕入れるのに苦労したんすよ? なんでも、軍のある研究所で開発されてたものらしいんすけど、どうやら使用中は常に封印術式を制御する必要があったらしく、だーれもこれの術式を維持できなくて、結局ごみとして廃棄処分されたらしいっす」


「で、処分される前のそれを誰かが拾い、あなたが仕入れて来た、と」


「へへ、御名答。……旦那様が購入されたのは一つだけっす。元々この商品は二つしかここにはなかったですし」


「希少品だったということですわね。……ちなみにこれは御幾らで?」


「――っす」


「……うふっ、先ほどあなたが勧めてくれようとしてくださった拘束具、カード払いで購入しますわ。屋敷の方へ送っておいてくださいまし」


「毎度ー♪ 対魔素材製の鞭もサービスでお付けしておきますぜ。それなら、旦那様の肉体強化を無効化しての拷問が可能っす。ま、鞭を持ってる奥様自身の肉体強化も阻害されるっすけどね」


「あらあら、至れり尽くせりですわね。助かりますわ」


 急ににこやかな笑みを浮かべた女性は財布を取り出すと、キャッシュカードを店主へと差し出した。それを店主は小気味の良い笑顔で受け取る。

 と、店主が機器にカードを通しながら「ところで」と言い、


「一つだけキナ臭い情報が舞いこんできてるんすけど、そちらのお買い求めはいかがっすか?」


「キナ臭い情報?」


 女性の顔が訝しげに歪む。


「その情報をあの人は?」


「それが、あっしが親切心で勧めたってのに『いらん』の一点張りで買ってくださらなかったんですよねえ。絶対に旦那様のためになると思いやしたのに……」


「……でしたら、わたくしが買いましょう」


「よろしいんで?」


 店主が恐る恐る確認すると、銀髪の女性は呆れたように肩を上下させた。そして、豊かな胸の前で腕を組み、


「経験上、あの人が一蹴した懸案は七割の確率で現実のものとなりますわ。今までがそうでしたから、今後もそうと見做すべきです。ですから、わたくしがその情報を購入しますわ」


「健気っすねぇ、奥様。普段はしっかりとしているのに時折気が抜ける旦那さま、それを影から支える真にしっかり者の奥様――泣かせるじゃぁありませんか」


「うふふ、それが伴侶の在るべき姿ですわ。男も、女も、性別など関係なく、互いの足りない部分を補い合い、支え合うのが夫婦というものです」


 胸に手を当て、遥かな過去を振り返るように目を瞑り、銀髪の女性は言った。その佇まいと心の在り様は、まるで女神のようだ。

 感銘を受けた店主は顎に手を当てながら神妙に唸り、


「ふぅむ、良い御言葉っすねえ……――よっし、では健気な奥様に免じて、この情報は格安で提供させてもらいやすよ!」


「あら、よろしいのですか?」


「へへ、フリートハイム家にはお世話になりっぱなしっすからねぇ。これは小さな恩返しってやつですよ。……大旦那さまによろしくお伝えください」


「そちらが本音ですわね」


 女性は呆れながら苦笑いを零した。こちらに良い思いをさせながらも、ちゃっかりと本家のほうへ媚を売るところは抜け目がない。


「へっへっへ、あっしの裏の顔は無法者っすからねぇ。旦那様と奥様には『救世計画』のほうでも贔屓にさせてもらっていやすから、色々と危ない橋を渡ってるんす。ですんで、いざって時の伝手は多いほうがいいんすよ」


「その辺りの事はリンカ・クスノセに言ってほしいですわね。彼女が我が国の機体情報を欲っしたからこそ、情報屋たるあなたを通して資料を送ったのですから」


「しかし、国にバレないようそれを伝えるのは骨が折れやしたぜ。仮にも開示前の情報っすからネットを通じて送るわけにもいきやせんし。仕方ないからいろんな国を飛び回って足跡を消しつつ、リンカさんに手渡ししてきたんすからね」


「苦労を掛けたのは謝罪しますが、それは必要な事でしたもの」


 女性の詫びれた様子の無い整然とした返答に、店主はやれやれと自身の頭を撫でた。


「ふふ、これからも期待していますわ。――『ハイエナ』さん」


「九年前の仇名で呼ぶのはやめてくだせえ、奥様」


 両名笑みを零し、視線を合わせる。そして、


「それで、情報というのは? 飛行機の時間も近いですから、手短で簡潔に」


「了解しやした。それはですね――」



「うっ」


「……どした? エリーネ。急に呻いたりして」


 隣を歩いていたエリーネの急な異変に、敏也は訝しみながら確認を取った。


「いえ、なにやら悪寒が……良くない事が近いうちに起きる気がします」


「なんだそれ」


 要領を得ない内容に呆れながらも、彼女の体調自体に問題が無いことに安堵した敏也は、さり気なく歩幅を緩めながらそう呟いた。

 すると、エリーネは敏也の態度に辛辣さを感じたのか、心持ち眉を吊り上げ、


「信じてませんね? 私の勘は良く当たるんですよ? 私の予感を信じなかったことを、いつかきっと後悔しますからね!」


「はーいはい。エリーネすごぉーい」


「くっ、なんて鼻もちならない態度でしょうか……っ」


「わりぃ。俺、オカルトのたぐいって信じてないから」


 幽霊だの、超次元の存在だの、地球外の生命体だの、所詮は空想の世界の住人だ。

 魔術が世に浸透し、様々な分野で応用され始めたにも拘わらず、そういった存在はまったく確認されていない。そのため、「ああ、そんな生き物はやっぱりいなかったんだ」というのが、一般の認識となっていた。


 無論、敏也自身も信じていない。が、コンテンツとしては面白いと思っている。本だとか、映画だとか、そういったメディアで取り扱われているオカルトは、大好物だったりするのだ。

 それはそれ、これはこれ。敏也も所詮はまだ男の子、というわけである。


「それよりさ、さっさと食堂行こう。腹減って仕方ねえんだから……」


 腹を摩りながら、敏也は言った。

 現時刻は十二時前。そろそろ昼食の時間である。


 敏也たちは今、学園の敷地内を歩きながら、寮と同様に学園の敷地内にある食堂へと向かっていた。もちろん、一度エリーネは自室に帰宅し服を着替え、シャワーを浴び、先ほどまでとはまた違った服を着ていた。

 件の食堂は、校舎と隣接するように立っている。つまり、寮からは距離があり、毎日通うにはなかなかに苦痛が伴う。そのため、学生間での自炊が加速するというわけである。

 休業中ともなればそれも顕著で、しかも実家に帰省している学生もいるため、年中無休の学生食堂もガランとした在り様となっているはずだ。


 敏也の強引な話題の切り替えに納得できていないのか、エリーネはむむむ、と顔を顰め、


「……なんだか私、大神くんに手玉に取られている気がします。気に入りません」


「ん? そうか? そんなつもりないんだけどな」


「いえ、絶対そうです! 私が悔しがる姿を見てあなたは楽しんでいます! 間違いありません!」


 ビシリ、と名推理ばかりに指を付き付け、言う。と、敏也はにやっと笑みを零し、


「ははーん。エリーネってば、俺に褒められたかったってわけね。そうかそうかー、それならそう言ってくれればいいのにー」


「ち、ちが……っ!? そんなことありません! どうして私があなたに褒められたいと思うんですかっ! 意味がわかりません!」


「いやいや、皆まで言わなくてもいいさ、エリーネ。そういうお年頃だもんな」


「どんなお年頃ですかっ!」


「俺はわかってる。わかってるよ」


「わ・かっ・て・ま・せ・ん! なに良い笑顔で頓珍漢なこと言ってるんですかっ、大神くん!」


「はっはっは」


 そのような会話を続けていると、すでに校舎が間近に迫っていた。

 敏也たちは校舎の傍を迂回するようにして道を歩く。食堂はこの校舎の向こう側だ。


「ところでさ」


 と、敏也が言うと、不機嫌そうに頬を膨らませて黙り込んでいたエリーネがちらりと視線を送る。


「魔獣騒動の時に聴こえて来た『声』の事、博士は何か言ってた? 俺、すっかり訊くの忘れててさ」


 反政府組織キメラが引き起こした世界規模での魔獣騒動。

 それは、世界が再度襲撃を受けてからの一週間の内に、各国の軍の奮闘もあってか、一応は終息を見て鎮静化していた。また、その混乱に乗じて起きた各国の魔具保管庫襲撃事件において、幾つかの魔具が強奪されていた。


 いったい何のために魔具を奪ったのか。たかだか魔具程度のために、死の危険を冒してまで強奪したのは何故なのか。そういった目的に関しては目下調査中となっている。


 ただ、奪われた魔具の数自体はそれほど多くはなく、また、そのどれもが通常の魔具とは違って譲渡が容易ではなく、受領・使用には適格者が必要であるという点が共通していた。

 つまり、奪ったとしてもそう簡単にはその圧倒的な能力を発動できない、ということだ。そこだけは、不幸中の幸いと言うべきか。


 それはともかくとして、敏也たちには懸念事項があった。

 その事件の渦中に頭に響いてきた声。白い服を着た白髪の少女の甘言。鮮明に思い出せるその情景は、白昼夢と呼ぶには些か現実的過ぎた。

 あれはいったいなんだったのか。


「いえ、それが……」


 問われたエリーネは首を振り、


「大神くんが入院している間にそのことを博士に訊いてみたら、どうやら交易都市で私たちが聴いた声も幻聴ではなかったと確信を持たれたようで……。でも、それが何なのかはまだはっきりとはわからないそうです」


「……つまり、対策のしようもないから現状維持、ってことか?」


「いいえ。博士が言うには『大量の魔獣たちが発した魔力によって大気中の魔力濃度に変化が生じ、それによって届くはずのない声が届いたのでは』と。まあ、あくまで博士の推測ですけどね。とにかく、もうあの声が聴こえることはないそうです。もしまた聴こえたとしても、それに耳を貸さなければこちらに干渉はできない、と仰っていました」


「ふぅん、それならいいかな。またあの夢見んのは嫌だし」


 敏也たちは食堂の前に到着し、扉を開いて中に入って行った。


 中は予想通り閑散としていたが、それでもちらほらと生徒の顔があるので、商売あがったりというわけではないらしい。とりあえずは一安心である。

 二人はカウンターのところまで歩いて行き、手作り感溢れるメニュー表を見ると、それぞれが注文する品を決めた。


「……俺はAランチかな。お前は?」


「私はお蕎麦にします」


「よっし。――すいません。Aランチ一つと蕎麦定食一つ、お願いします」


「はいよ。Aランチ一つと蕎麦定食一つで八百円だよ」


「えーっと、お蕎麦が三百円ですから……」


「いいよ、エリーネ。俺が奢ってやるよ」


「え、でも……」


「いいんだって。――千円でお願いします」


「はい――――二百円のお釣ね。……やるねえ、彼氏さん」


「彼氏じゃねえっす」


「はいはい。じゃ、少々お待ちを」


 注文を聴き届けたおばちゃんは敏也を笑顔でからかった後、他の数人の調理師の人たちに交じって調理を開始した。どうやら客が少ないからか調理師の人たちも常勤の数を減らしているらしく、オーダーを担当している人は調理も兼任しなければならないらしい。大変である。


「ありがとうございます、大神くん。……でも、本当にいいんですか?」


「ああ、今はそういう気分なの。……けど勘違いすんなよっ。別に誰にでも奢ってるわけじゃないし、何時だって奢ってやるってわけでもないからな!」


「はい、わかってます。ちゃんと、わかってます」


「……ならよし」


 わざとらしくむすっとした敏也は、にこにこなエリーネから顔を逸らし、食堂中へと視線をやった。が、特に視線を引き付けるようなものは何もない。あると言えば、数名の食堂利用者ぐらいだ。

 そのまま待っていても暇なため、敏也はカウンターに肘を付いて凭れかかりながら、隣に居るエリーネに横目を向け、声を掛けた。


「なあ、エリーネ」


「なんですか、大神くん?」


 エリーネは小さく笑みを零しつつ耳に髪を掛け、応えた。彼女自身には自覚が無いのだろうが、その仕草にはどこか色っぽさがあり、敏也をどきりとさせていた。

 が、そんな素振りは億尾にも出さず、敏也は会話を続ける。


「御両親の安否の確認は取れたのか? ――って、こんなこと訊くのは今更だけどさ。ほら、俺ずっと入院してたし、面会謝絶だったし。それに、一昨日退院してからはみんなと一緒だったからさ、訊くに訊けなかったというか……」


 しどろもどろになりながら言う。と、エリーネはくすりと笑みを深めた。


「そんなに気を遣わなくても大丈夫ですよ、大神くん。もしも私の両親に何かあったら無神経な質問になっちゃうんじゃ、と心配だったんですよね?」


「……バレてたか」


「もちろんです」


 敏也が片手で頭を掻きながらぼやくと、エリーネは得意げに胸を張ってそう言った。


「心配しなくても、私の両親は健在ですよ。電話回線が復旧してからすぐに国際電話を掛けて母様に確認を取りましたから、どちらも無事であることはわかっています」


「そっか……よかったな、エリーネ」


「ええ、本当に。……ま、まあ確認など取らなくてもわかってましたけどね、あの人たちが無事だという事は」


「よく言うなー。実際はナーバスになってたくせに」


「そ、そんなことないですよ! ちょーっと『大丈夫でしょうか』と思ってたくらいですっ。断じて心配なんてしていませんでした!」


「それを心配って言うんだよ、エリーネ」


 敏也は、はは、と朗らかな笑みを零し、カウンターに凭れるのをやめた。なにやら食器のカチャカチャという音が背後から聴こえたため、もうすぐ出来あがると踏んだからだ。

 どうやらその予測は正しかったらしく、二つのお盆の上に乗った品が運ばれてきた。


「はいよ、Aランチと蕎麦定食ね。箸はそこから取っていっておくれ」


「どうも」


「ありがとうございます」


 敏也とエリーネはお盆を受け取り、にこにこと笑うおばちゃんにお礼を言うと、カウンターの傍に置いてあった箸かごから箸を取り、席へと歩いて行った。


 二人が座った席は食堂の二階にある席、その南側のテラス風になっている場所だ。この食堂は南側に校舎があるため一階の日当たりが悪く、陽気が入り込む二階で食べるのがおすすめとなっていた。

 二人は「いただきます」と言い、食べ始めた。


 敏也が注文したAランチは、米、味噌汁、豚肉の生姜焼き、キャベツの千切り、マッシュポテト、少量の茄子の漬物、といったラインナップである。育ち盛りにはやはり肉が無くては始まらないのである。


「やっぱ肉は美味い。命の源だわ」


「……自分をこんがりと焼いてからまだ一週間と少ししか経っていないのに『生姜焼き』だなんて……神経が太いですね、大神くん」


「……アホっ、やめんか。食欲失せるだろうがっ」


「ふふ、ごめんなさい」


 憤慨しながら敏也はじろりと睨んだ。が、エリーネは蕎麦汁の入った器を持ったまま、くすくすと笑っている。どうやら、この程度の冗談では敏也が怒らないとバッチリわかってしまっているようだ。


(くそぉ、今度きっちりと教えてやらないと。俺は怒ると怖いんだぞ、ってところを)


 と決意するが、実際にそうしようとすると逆に『怒ると怖いところ』を教え込まされそうな気がしたため、その決意は急激に萎えた。そして、心の虚へとレーザービーム級の投球で投げ捨てる。

 ただ、このまま済ますのは悔しいため、敏也はエリーネの周囲をじろじろと眺め、粗探しを始めた。


 今朝までの服装とは違い、少し丈が長めの白いワンピース風の服に、短い黒のレギンスを履いているエリーネの格好。ただ、ワンピース風の服でもきちんと身体の線が出ているのは、彼女の体型に合ったサイズを着ているためだろうか。

 服のサイズなど着れれば誤差だ、と思っている敏也としては、そのたゆまぬ服選びの努力に脱帽してしまう。


(あざっす!)


 心の内で手を合わせ、なんとなくお礼を言う。

 そして次に、彼女の右手に目が留まる。


「お前、箸の使い方うまいよな」


「? そうですか?」


 きょとんとしながらエリーネは自身の右手を見る。と、その頬が微かに赤くなり、


「その……後々のためを思って頑張って練習しましたからね」


「へえ、そうなんだ。真面目なやつだな」


 日本での生活を快適に過ごすためにそこまで頑張るなど、敏也にはなかなか真似できない事だ。

 エリーネは赤い頬のまま食事を再開。敏也は再びじろじろと彼女を眺める。


 最後に、彼女が頼んだ昼食に視線が留まる。

 エリーネが頼んだ蕎麦定食は、ざる蕎麦に炊き込みご飯、そして白菜の御浸しという、なんともヘルシーな顔ぶれだ。敏也が頼めば、食後に必ず間食してしまうであろう量である。


「なあ、エリーネ。そんな量で足りるのか? 腹減らない?」


「……」


 敏也からの質問に、蕎麦をもぐもぐと咀嚼していたエリーネはごくんと飲み込み、


「……問題ありません。ちっともお腹なんて減りません、ええ、減るはずがないんです」


「減るんだな。なして無理に我慢すると?」


「下手な方便ですね。……ええ、減りますよ、減りますとも。ですが、食べるわけにはいかないんです。太らないためには、スタイルを維持するためには……」


 悔しそうに震えながらエリーネは言った。その手に持った箸がミシミシと叫んでいるように聴こえるのは幻聴だろうか。なんにしても、エリーネは太ることを気にしているらしい。


「お前が太る? ははっ、そりゃないだろ。だって――」


「――だって?」


「い、いや、その……あの……」


 敏也は答に窮し、笑顔で誤魔化しつつ冷や汗をかき始めていた。


(全部胸に行きそう、とか言ったらぶっ殺されるんだろうなぁ……危ない危ない。マサルたち相手にかますのと同じノリで冗談言うところだった)


 気が緩んでいたのか、それとも、エリーネと共にいることがそれほど自然になっていたのか。どちらにしても、それが不味い事態を齎したことに変わりはなかった。

 じとーっとした視線が敏也に纏わり続けている。その視線を送っているのはもちろんエリーネ。どうやら敏也が後ろめたいことを隠していることを察しているらしい。


「ほぉら、大神くん。遠慮することはありませんよ。はっきりと言ってください。あなたがどれほど酷いことを言おうと、もしくは、どれだけ破廉恥なことを言おうと、そういった考えを持ったことを後悔させてあげますから」


「余計言いたくなくなるわ! んなこと言われて吐き出すヤツはマゾだろっ! 俺はノーマルなんだよ。被虐趣味は欠片もねえ!」


「ですが、正直に言う以外、もはや突破は不可能です。私の力量なら、あなたが肉体強化を掛けて食堂を脱出する過程で術式によって無力化できますし。たとえうまく逃げ遂せてもあなたが帰るのは寮しかありません。もし学園を退学して逃げてもどこまでも追い掛けて、必ず追い詰めて見せます」


「……こえーよ。お前どんだけ怒ってんだよ。ちょっとやらしいこと考えただけじゃん。そんなに怒ることないじゃん。ほら、正直に言ったよ? だから免罪してね、お願い……」


 敏也が産まれたばかりの小鹿のようにプルプルと震えながらそう言うと、エリーネが「ぶふっ」と噴き出した。


「……おい」


「ふ……ふふふ…………っ……ごめ、んなさい。ふぅー……冗談にそこまで怯えるとは思わなくて……」


「アホか! 冗談に見えなかったっつーの! マジで怖かったぞ、今の……」


「この程度も見破れないとはまだまだですね、大神くんは」


「……」


 からかわれてしまったことがご立腹な敏也は、むすっとしながら箸を動かし始めた。を裂き、うみを割り、次々と口へと運んでいく。

 と、その様を暖かな眼差しで見詰めていたエリーネが、急に表情を曇らせ、


「……右手、ちゃんと動くんですね。良かった……」


「ん? ……はぁ……昨日も見ただろうが。ちょっとまだ感覚がぼやけてるけど、そのうち慣れるさ。気にすんなって」


 そう、この手はまだ動く。

 だから、エリーネが気に病む必要など欠片もない。

 真に償うべきなのは――


「ま、んな下んねえこと言ってる暇があったらな、さっさとそれ食えよ。チンタラしてるとその昼飯、俺が食うぞ」


「なっ――駄目です! 私の貴重な摂取カロリーなんですから!」


 そう言うと、エリーネはパクパクと食べ始めた。それを尻目に、敏也は小さく笑みを零しながら味噌汁に口を着けるのだった。


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