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双天の共鳴者  作者: 月山
第三章「シンフォニック・アソシエイション」
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夏の始まり

 7月10日。深夜0時27分。


 ある国のある執務室に、一人の銀髪の大男がいました。その男は厳かな椅子に座り、程ほどの長さの髪をオールバックにしてピッチリと固めているため、敢然とした雰囲気を身に纏っています。


 そしてその人は卓上端末に、笑顔の銀髪の少女と困り顔の茶髪の少年が仲良さげに笑い合っている写真を表示し、その身を戦慄かせていました。またこの時、男が手を置いている、端末付属の操作パネルに罅が入りました。

 そして、わなわなしていた口元が動き、


「……ゴミめッ」


 と、罵倒を繰りだしました。

 すると、


「あまりそういったことを仰るのはよろしくありませんよ、伯父上――いえ、親方さま」


 と、呆れ顔で彼の傍に佇んでいた銀髪の青年が、ノートサイズの端末を大事そうに抱えながらそう言い、その行いを窘めました。


 ですが、大男の怒りは収まりません。その拳が机を容赦なく打ち付けます。

 机は堪え切れず、真っ二つと成ってしまいました。書類やら本やら映像の投影装置などが床を転がります。

 一瞬の内の行為とその結果を、青年は疲れた笑みで遣り過ごすことしかできなせん。


「――準備は? 貴様の要求通り、日本との会談までに時間が取れるよう、不眠不休で働いたはずだ」


「はぁ……」


 銀髪の青年は溜息を吐き、先ほどの机を叩き割った音に驚いた、周囲の部屋や廊下にいた職員たちの騒ぎ声に耳を傾けながら、その懐から封筒を一つ取り出しました。


「ご要望通り、日本行きのチケットを一枚、明後日――いえ、もう明日ですか。明日の早朝発の便で取っておきました。昼過ぎには到着できるでしょう。わたくしの分はさすがに取れなかったため、三日遅れでそちらに向かいます。……これでも無理を通したのですよ? 魔獣騒動の後で各国は未だ混乱の最中さなかで――」


「よこせ」


「……どうぞ」


 大男は引っ手繰るようにして青年の手からチケットを奪います。そして跳ねるように椅子から立ち上がり、部屋の外へと出て行こうとします。

 その背中に青年は追い縋りました。


「お待ちください! 伯父上! まだ次官としての仕事が――」


「貴様がやれ。……先に地獄で待っているぞ……っ!」


 肩越しに青年を振り返り、そう苦々しく言い残すと、大男は呆然と立ち尽くした青年をそのままに、部屋を後にしてしまいました。

 しかし、先ほど言い残して出て行った瞬間の大男の目が、類を見ないほどに哀しみと怒りに染まっていたのはなぜなのでしょうか。


 我に返った青年は、やれやれ、と首を振ります。


「確かにあなたにとっては地獄でしょう、伯父上。娘に悪い虫が付いてしまったのですから」


 そうなのです。大男が哀しんでいたのはそのことでした。

 他国にある理由から留学させた大切な一人娘に、あろうことか害虫がくっ付いてしまったのです。それをとある人物を通して知った時はもう哀しくて哀しくて、大男の怒りは怒髪天を通り越して有頂天となってしまったのです。


 青年は持っていた端末を起動させ、ディスプレイを表示させます。

 その画面には『要注意人物の素行調査』と題され、ある少年についての身辺情報が綿密かつ詳細に記されています。


「エリーネもバレないように彼とお付き合いしてほしかったものだけど……。名前はトシヤ……か。うまくあの人から逃げてくれよ。他国との流血沙汰は事後処理が面倒だからね」


 命を掛けた鬼ごっこが、もうすぐ始まろうとしていました。



「帰ったぞ」


 銀髪の大男は極力静かに言いながら、屋敷のドアを開けました。そのままツカツカと歩き、奥へと進んで行きます。

 すると、


「あらあら、どうなさいました? そんなに急いで……これからどこかへお出かけに?」


 そんな声がし、別の部屋から美しい銀の髪を持った美女が姿を見せました。

 その女性は服を着ておらず、代わりとしてシーツを身体に纏っています。しかし、その乱雑な巻き方でも、この女性のスタイルが良いという点はまったく隠せていません。寝ぼけ眼と言ってもいい状態の空色の瞳が、男の姿を愛おしげに捉えます。


 銀の女性へ大男はじろりと視線を向けると、小さく溜息を吐きました。


「……すまない、起こしてしまったか。……その格好は目に毒だ。早急に服を着ろ」


「うふふ、ごめんなさいな。夫であるあなたがいないと恥じらいもなにもありませんから、どうしてもだらけてしまいますの。結婚した時は、あなたが留守にしていても同居しているという事実だけで連日連夜興奮し通しでしたのに」


「お前が自分本意なのは昔からだからな。気分が乗らなければ求めには応じない。そのくせ自分の要求は是が非でも押し通そうとする。……わたしもエリーネも苦労させられたものだ」


「ふふふ。……ですが、そんなわたくしをあなたは好いてくださったのでしょう? エリーもわたくしのことをきちんと母として慕ってくれていますし」


「……さてな」


「惚けるだなんて……可愛らしい反応ですわね。……それにしても、この歳になってもまだわたくしの身体に劣情を抱いてくださるなんて……嬉しいですわ」


 と、女性はにこにこと笑みを浮かべ、片手を頬へやります。

 大男は、自身の格好に関してまったく気にしないこの女性に対し、疲れたように首を振りました。


「別に劣情は抱いていないが……それに、お前は昔とほとんど容姿が変わっていないだろう。変わったと言えば少々目尻に小皺が――ごほんっ。まあともかくだ、わたしは『重要な会議』のため、明日より日本へ向かう。発つ前にいろいろと『準備』があるので、これから空港近くの宿泊施設に向かう。しばらくここを留守にするぞ」


「あら、そうなのですか。今は深夜ですのに……。それは寂しくなりますわね。……あなたったらここ最近、仕事仕事ばかりで全然わたくしのことを構ってくださいませんし……欲求不満ですわっ」


 頬を膨らませての糾弾に、大男は冷や汗を一滴頬に流しながら、


「……埋め合わせは帰ってきてから必ず」


「期待して待っていますわ♪」


 その会話が終わると、大男は自室に向かい、そこで荷物を纏め、キャリーバッグにそれらを詰めると、その女性に見送られながら玄関の扉を閉めました。


 女性は男が出て行くまで、柔らかな笑みを浮かべたままで手を振っていましたが……。


「うふふ、あなたったら嘘が下手ですわね。もう少し上手に嘘を吐いてくださいな。重要な会議だなんて……本来の日程は二週間後ではありませんか。わたくしの情報網を侮り過ぎですわよ」


 女性は玄関近くに置いてある花瓶の前までシーツを引き摺りながら寄ると、一本だけそれを抜き取りました。

 そして、


「あなたのことですから、エリーにできた『彼氏』殿の排除に向かったのでしょう。……ですが、させませんわよ。ようやくあの娘に浮いた話が舞い込んできたのですから、そう易々と排除などさせませんわ!」


 手に持っていた花の茎が、ぺきり、と折れました。女性は気にせず、それを持ったまま電話のところまで歩いて行きました。電話機器に登録されてある番号へリダイヤル。

 数コールの後、繋がりました。


「あ、お父様かしら? ――え? 非常用の回線にかけてくるな? そんなことは今はどうでもいいんですの! お父様の権力を使って、これから日本行きの飛行機のチケットを取ってくださいませんこと? 今日中に発つ便ですわ。――急にそんなことを言われても困る? もう夜中の三時を過ぎているから寝かせろ? ……あら、そのようなことを仰っていていいのかしら。わたくし、お父様がほんの少しだけ良い雰囲気になりかけていたご婦人のことを知って――聴き分けの良いお父様のことをわたくしは尊敬いたしております、ええ。では、取れ次第ご連絡を。すぐに受け取りに参りますので。はい、また後ほど……」


 満足げな表情で受話器を置き、女性は身体に巻いていたシーツを勢いよく脱ぎ捨てます。

 一糸纏わぬ姿を外気に晒しながら、女性は眼差しを窓の外の夜空へ。両腰に手を当て意気を高め、


「さあ、会いに参りますわよ! わたくしの可愛いエリー! そしてまだ見ぬ彼氏――いえ、婿殿!」



 日時:7月10日。


「んっ……」


 むしむしとした暑苦しさに顔を顰め、大神敏也は目を覚ました。額に触れると、若干ながら汗が滲んでいることがわかる。どうやらエアコンを付けずに寝ていたらしい。

 寝ぼけ眼を擦りながら胡乱な動きで身を起こし、周囲を伺う。

 その視線は壁に掛けられている時計へ。


「……九時かぁ」


 起きるにしては遅い時間だが、だからといって二度寝をするわけにもいかない。いかに学園が去年よりも早い時期から夏季休業に入っているからといって、ひたすらダラダラとしているのは非生産的すぎる。


「――って、待て」


 そこでふと、敏也は違和感を覚えた。


「なんか変だぞ?」


 ゆっくりと視線を下げ、自身の居る場所を確かめる。


「……なんで俺、ソファで寝てたんだ?」


 そう、敏也が座って居るのは、人ふたりくらいがようやく座れる程度の大きさのソファ。

 去年の春に大安売りで販売されていたセール品で、それを店頭で目にした敏也は「これは良い物だ」と飛び付き、孤児院から返還されたばかりだった政府からの補償金をはたいて購入した物だ。


 座り心地は安ものにしては上々。色もシックな焦げ茶で、床の色とマッチしているし、壁の白と反発して程ほどに存在感もある。

 だが、いかに良い品だとは言ってもこれはあくまでソファ。断じてベッドなどではない。うたた寝に使用することはあっても、本格的な睡眠に利用した事など皆無だった。

 そもそも、ソファで寝ることは身体が凝るため好きではない。

 では、なぜここで寝ていたのか。


「……あれ? なんでだ?」


 思い出そうとしても、就寝前の記憶がおぼろげで、曖昧で。


「っ~、なんか後頭部痛くなってきたし」


 考え過ぎでオーバーヒートし掛けているのだろうか? 部屋の中は夏だからか気温が高く、また、自分の頭の処理機能は基本的に残念なレベルのため、もしかしたら冗談抜きで熱暴走しそうになっているのかもしれない。


「マジでいってぇ…………――よし、寝よう」


 体調が悪い時は寝るに限る。眠ってしまえば、次に目が覚めた時には体調も改善されているはず。一日をふいにするのは些か遺憾だが、緊急事態だから仕方ない。

 思い立った敏也はソファから腰を上げると歩いて行き、隣にある寝室の扉に手を掛け、それをゆっくりと開いた。

 その眼に飛び込んできたのは――


「――えっ」


 悩ましげに放り出された白い生足。

 その足を辿って行った先にあるほど良い肉付きの太もも。

 捲れかけたチェックのスカート――しかし、辛うじて防御機能は維持している。


「チッ」


 ほっそりと縊れた腰回り。だが、臀部はそれに反して控えめではあるが存在を主張。

 圧倒的なまでの戦闘能力を備えた胸部は、所有者の息遣いに合わせて動いている。

 そして、その上にある彼女の端正な顔。無造作に撒かれた銀髪。


「エリーネ?」


 寝室に入った敏也の目に飛び込んできたもの――それは寝乱れたエリーネの姿だった。彼女は敏也のベッドの上で身を丸め、すやすやと穏やかに寝息をたてている。


「なんでこいつがここに……」


 そこで、もしや、と敏也ははっとする。


(一夜の過ちを!? 俺、大人の階段登っちゃった!?)


 じろじろと下卑た視線を部屋の隅々へと送る。

 ――が、物が移動していたりだとか、枕元に置いてあったチリ紙が減っているだとか、ゴミ箱の内容量が増えているだとか、そんな変化は一片たりとも見てとれなかった。

 至っていつも通り。変化と言えば、微かに甘い香りがすることぐらいだろうか。


「……わかってたよ、うん。わかってたさ……」


 それにどこか安心しながらも悔しく思った敏也は、唇を軽く噛み締めていた。

 が、そのまま立ち尽くしているわけにもいかず。


「……まずいよなぁ、この状況」


 ①寝乱れた女子一名。

 ②さらに男一匹。

 ③ここは男子寮。


「いくら規則が緩いとは言っても……」


 この学生寮は男女の境なく寮への出入りに関してはかなり取り決めが緩い。そのため、招かれた客であるならば入口で寮母さんに止められることはないし、問答無用でとっ捕まえることもない。まあ、余程挙動不審であったならば八つ裂きにされるのだろうが。

 しかし、不純異性交遊に関してはまた別だ。いくら規則が緩くても、緩めていない点はもちろんある。それが件のことである。

 なんにせよ、状況証拠から見てなにもなかったとはいっても、エリーネがお泊りしたということがバレると、敏也としてはいろいろな意味でまずいのだった。


 ともあれ、


「まずはこの寝ぼすけを起こさないとな」


 そう口にすることで無理矢理意を決した敏也は、ベッドへとゆっくりと歩みより、エリーネの真正面へと立った。

 無論、無防備なエリーネに悪戯したい気持ちはもちろんあるが、そうした場合は本人を含む複数の人物たちに細切れにされ、焼却され、最終的には土に還らされてしまうことがほぼ確定事項なため、必死に堪える。

 その衝動の代わりとして、視線がつつーっと動き、彼女の寝顔の部分で止まる。


「……やっぱ可愛いな、こいつ」


 長いまつ毛は綺麗に揃っているし、鼻は高すぎず低すぎない。唇はリップクリームなどで手入れをしているのか、ぷっくりとしていてひび割れなど微塵もない。綺麗な白肌で構成された頬は眠っているためかやや紅潮し、突つけばきっと良い感触を齎してくれるだろう。


(って、何考えてんだか)


 どうにも頭がふわふわしてしまう。病院で彼女への好意を内心で認めてから二日、彼女を頭に想い受かべた時や、一緒にいる時はこうして浮わついた気分になってしまう。


(告ってもねえくせに、馬鹿か)


 敏也は頭をブンブンと振り、邪念を振り払う。そして、


「おい、起きろ、エリーネ」


 彼女の肩を左手で掴み、優しく揺する。すると、


「んぅ……」


 エリーネが微かに身じろぎし、その眼をうっすらと開けた。ゆらゆらと揺れる空色の瞳が目の前の敏也を捉え、その口元が即座に緩む。


「おふぁよーございましゅ、おーがみくん」


「よし、寝ぼけてんな。呂律回ってねえぞ」


 その至って普通の反応に安堵した敏也は肩を竦め、姿勢を直し、彼女の再起動が完了するまで立ったまましばし待つ。


 エリーネは敏也のベッドに横たわったまま、ふにゃふにゃとした雰囲気でまどろみの中に居たようだが、徐々にその瞳が凛々しさを取り戻していき、ついにはカッと目を見開いた。

 そして、ゆっくりと身を起こすと身支度を軽く整え、紅潮しきった頬を敏也から逸らし、


「お、おはようございます……大神くん……」


「ぷっ……『おふぁよーございましゅ』じゃねえのか? エリーネ」


「っ……っ!」


 手で笑いを堪えながらの敏也の言葉に、真っ赤になったエリーネはまるで仇のように枕をバフッバフッと叩き始めた。その眼は潤み、羞恥によって今にも泣き出しそうだ。

 そして、敏也も泣きだしそうだった。


「うわあぁあぁぁ!? やめろぉっ! 俺の人生の友に何をする! 学園生活が始まってから苦楽を共にしてきた親友だぞ!?」


「そんなこと知りません! 今はこの衝動を発散することが先決なんです~っ!!」


「や――やめてぇぇぇぇ!! 死んじゃう! 中の綿ひとが死んじゃうからぁぁあぁぁっ!?」



 それからしばらく。


「……気ぃ済んだかよ。俺の親友を無残に殺しやがって……」


 敏也の胸には、よれよれでぺしゃんこになった枕が抱きかかえられている。

 敏也の親友まくらは、このたった数十秒のうちに凄まじい暴虐の魔の手に晒され、その命を散らしたのだ。何の容赦もなく殴打され、その身が叩き潰されても文句一つ言わず、その生涯に静かに幕を下ろしたのだ。


 冷静さを取り戻したエリーネは申し訳なさそうにしながら、


「ご、ごめんなさい! ちゃんと弁償しますから……」


「弁償だと? ……いいかいエリーネさん、親友はね、お金なんかじゃ買えないんだよ。――低反発のやつで頼むわ」


「……自分の発言を振り返ってください、大神くん。言ってることがおかしいです」


「んなこたぁない。エリーネの思い過ごしってやつだよ、ハハッ!」


「……なんでしょう。無性にあなたを殴りたくなってきました」


「……暴力反対」


 などと、いつにも増して馬鹿な遣り取りを終え、敏也は本題に入ることにした。


「取り敢えず、おはよう。――でさ、なんでお前がここにいるわけ?」


「覚えてないんですか?」


 エリーネが驚きの声を上げた。それには驚きだけでなく、どこか批難がましさも込められているように思える。


(あれっ? なにその反応。なんか、よっぽどの事があったみたいじゃんっ?)


 またしても、敏也の頭の中で良からぬ妄想が膨らもうとしていたが、


「まったく……昨日はあなたの退院祝いとしてみんなが集まったんじゃないですか。忘れるなんてひどいですよっ」


「……あー、そういえば……」


 言われてみて、思い出す。

 昨日は、実地訓練班第十班の面々――マサル、奈々、大河、紫苑、そしてエリーネがここを訪れ、ささやかながらも敏也の退院を祝ってくれたのだった。

 マサルがどこか上の空だったこと。そして大河がブツブツと博士に対する文句――主に労働基準に関してを呟いていたのは印象的だったが、はてさて。

 しかし、


「でもさ、お前が俺のベッドで寝てたことの説明にはなってなくね? それに、なんで俺はソファで寝てたんだ? そのあたりの記憶がさっぱりないんだけど」


「そ、それは……」


 指摘されたエリーネは息を詰まらせ、視線を彷徨わせ始めた。その反応を訝しんだ敏也は眉根を寄せた状態でエリーネの顔をじっと見つめる。

 すると、居心地が悪くなったのか、エリーネがベッドの上にぺたんと座りこんだまま、もぞもぞと身を捩り、


「いえ、その……ですね。順を追って説明しますと……」


「うん」


「その……あなたがソファで寝ていたのはある事件が原因と言いますか……」


 エリーネが言うにはこうだった。


 一、深夜十二時を回ったため、敏也がみんなに帰宅命令を出す。

 二、エリーネが一人渋る。理由はもう少しここに居たいから。

 三、敏也、数秒逡巡するも断る。帰るよう再度促す。

 四、エリーネが奈々に増援要請。一緒に買い物に行くことを条件に奈々は承諾。

 五、奈々、敏也の後頭部に肉体強化込みの手刀を喰らわす。

 六、去る。


 ――だそうだった。


「――アホかぁぁぁぁぁぁ!!」


 それまで、うんうん、と静かに聴いていた敏也が突如怒り爆発。全身を慄かせながら怒りに打ち震える。


「なーんか後頭部が痛いと思ったらそれが原因か! どうせ気絶させた後ソファに放置したんだろ! 記憶ないのもそれが原因だろ! ちくしょぉぉお! 八咫神のやろぉぉぉぉッ!!」


「お、落ち着いてください、大神くん。退院してからまだ数日でしょう? そんなに血圧上げたら大変ですよ! ポックリ逝ってしまいますよっ?」


「俺はお爺さんじゃねえんだよ! 血圧ごときでぶっ倒れるか!」


 エリーネのズレた窘めに敏也は憤慨。が、次の瞬間には怒りが冷め、肩を落とす。


「っていうかお前、ここに残ってたなら、せめて俺をベッドに運んでくれよ。身体ガチガチに凝ってんだけど」


「そ、それはだって……」


「だって?」


 エリーネは恥ずかしげに視線を彷徨わせた後、横目で艶っぽい眼差しを送る。

 敏也はそれにドキリとし、次の言葉に大いに期待した。それはもう本当に、一世一代と言っても過言ではない投資っぷりである。

 が、


「……私眠くて……もちろん大神くんを運ぼうと努力はしたんですよ? でも、重くてなかなか持ち上がらなくて。疲れたから少し休もうと横になったら、意識が飛んでしまったんです」


「ありがとうございます。非常に残念な返答です。本当にありがとうございました」


「うぅっ、なんだか責められている気がします……」


「責めてるよ、いろんな意味で! 主に青少年の願い的な部分だけど!」


 女子と添い寝。もしくは同衾。

 その夢が破れた敏也は傷心だった。傷だらけだった。エリーネが同衾しようとしなかったことに関して青い理由を期待していた分、跳ね返ってきたダメージは半端ではなかった。聖なるバリアも真っ青な威力である。


 どうせなら、恥ずかしかったから、とでも言ってくれたほうが嬉しかった――というのが敏也の心境だった。まあ、ぶつくさ文句を垂れ流したところで、エリーネ自身が添い寝する気があったかどうかは定かではないのだが。


 一しきり嘆き終った敏也は少しだけ気分が楽になったため、いい加減に話を進めることにした。


「あーもういいや。俺に許可貰わずに泊まったことは許してやるから、泊まったことは誰にも言うなよ。勘繰られると面倒だからな」


「……そうですね。誰にも言いませんよ。二人だけの秘密です」


「なにその言い回し。素敵過ぎるんだけど。でもさ、八咫神たちには知られてるだろ。二人だけの、じゃなくね?」


「あ……そうですね。……でも、それでもいいんです。これは、二人だけの秘密です」


 にっこりと笑って、エリーネはそう言った。花のように可愛らしい笑顔だ。


(……もう気にしてないみたいだな。よかった)


 敏也の右手に残る傷痕。火傷の痕に関して、エリーネは自責の念に囚われていた。

 しかし、敏也がそれを否定し、すぐに断ち切った。

 この朗らかな佇まいを見るに、どうやらエリーネはそれを引き摺ってはいないようだ。


 本当に、よかったと思う。

 彼女の泣き顔を見るために自分の身体を焼いたわけではないのだから。

 彼女の笑顔を見るために、また笑ってもらう為に、己が身を犠牲にしたのだから。


 そう思うと、負けたと断じていたあの戦いは、ある意味では敏也の勝ちだったのかもしれない。もしそうであるなら、心も僅かではあるが軽くなる。

 なにはともあれ、


「ところでさ、朝飯にはもう遅い時間だし、我慢してさ。昼、どこかに食べに行かないか?」


「一緒に……ですか?」


「ん、そう。……駄目か?」


「……ふふっ、いいえ、そんなことはまったくありません。一緒に、行きましょう」


 その愛おしい笑顔に、敏也も笑顔を持って応えた。


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