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双天の共鳴者  作者: 月山
第二章-2「瞋恚の炎」
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痛みの先にあるもの


 再度、世界中で起こった襲撃から一週間が過ぎ、世間は七月に入っていた。

 各国ごとに魔獣の掃討は順調に進んでいる。また、日本では鬼術部隊が現存していた生成術式を残さず破壊したため、あとは生き残っている個体を殺し尽くすのみとなっていた。

 反政府組織『キメラ』の行方は不明。目下、世界規模で捜索中となっている。


 直に、世界は落ち着きを取り戻すだろう。

 犠牲は出たけれど、それでも、また日常が始まるのだろう。


 そんな今日こんにち、戦修学園は終業式を迎える。

 まだ七月初旬だが、混乱した世界情勢とそれの収拾に奔走させられた学生たちのことを鑑み、早めの夏季休業となったのだ。もちろんそうなったのは、襲撃によって破損した校舎とうの学園施設の修復のためでもある。


 始めは理事会とうで、定期テストなどの必須行事を行っていないことなどが問題とされたが、『戦修学園はあくまで魔術師と魔動機乗りを育成する教育機関――ゆえに、実戦の経験を積んだことがなによりであり、座学など二の次である』と楠瀬理事長が反論を跳ね退けたことでその諍いは終息した。


 生徒たちは蒸し暑い講堂に集められており、その頬や額を汗が滴り落ちている。

 本来、この講堂にはエアコンが付いていたのだが、この前の襲撃の際に魔獣によって電気回路が破壊され、それが未だに修繕されておらず、電源が入らない。それゆえ、このような灼熱地獄と化しているのである。

 各々が「熱い」だの、「死ぬ」だの、口々にぼそぼそと文句を言っているが、その文句にはどこか元気がない。いや、暑さで参っているのだから元気が伴わないのは当たり前なのだろうが、それ以上に生気がないのだ。


 と、そんな中、一人の包帯だらけの男性教員が壇上に立ち、声を張り上げた。


「静かに。これから終業式を始める。――理事長、お願いします」


「うむ」


 頷いた楠瀬燐火が白衣を翻らせ、壇上に居た教員と入れ替わるようにして佇む。それを見て聞いた生徒たちの間に困惑が走った。


「やあ、ほとんどの子たちとは初めましてだね。わたしがこの学園の理事長である楠瀬燐火だ。以後、よろしく」


 生徒たちの間にざわざわとどよめきが走る。が、教員が一睨みするとそれもすぐに治まった。


「まあ驚くのも無理はないが……親睦を深めるのはまた今度にしよう。――今は、大切な話をしなければならない」


 その言い表しようのない重さを含んだ声音は、生徒たちの視線を集めるには十分な力を持っていた。


「まず始めに――みな、よく戦ってくれた。君たちのことを学園の理事長として誇りに思う」


 その称賛に、手放しで喜んでいる者など皆無だった。


「が、こうして褒めたところで君たちが喜びはしない事は百も承知だ。ま、これは様式美というやつだね。言っておかないと後で面倒なんだ。どうか赦してほしい」


 そして、


「さて、ここからが本題だ。――今回、君たちは血生臭い戦場を目の当たりにしたことだろう。それはどうだった? 怖かったかい? それとも楽しかったかい? もしかしたら、何も感じなかった子もいるかもしれないね」


 生徒たちは、無言。

 だが、包帯を頭や手足に巻いた子はその部分を押さえ、列に不自然に空いた前後の隙間を見詰め始めた生徒が居る。


「どれでも構わないが、その気持ちを決して忘れないでほしい。絶対に、忘れないでほしい。……辛いことを経験したら『それを忘れてしまえ』と言う大人がいるだろうが、それは間違っている」


 それは傲慢。真の痛みを知らぬ者の戯言だ。


「辛いことや苦しいことを忘れてしまえば、後に残るのは恐怖に依ってその身に刻まれた狂気だけだ。そうしてしまうと心が傷み、腐り、壊れていく。結局、教訓とは成りえない」


 確かに、痛みとは誰にとっても忘れてしまいたいものだ。

 しかし、必ずしも忘れたほうがいいとは限らない。忘れずに引き摺った方が、誰かのために、奇しくも自身のためになることがある。

 だから、


「悔しいかい? ――居なくなった人たちを護れなかったことが。哀しいかい? ――もうその手で触れることができない人が居ることが。家族が死んだ者もいるだろう。共に戦う仲間が死んだ者もいるだろう」


 何かを堪える音がした。


「そうした人達を喪ったことを忘れ、その胸に刻まれた痛みを忘れ、素知らぬ顔で明日を生きていくことが、君たちが望むことなのかな?」


 返事はない。反論もない。

 しかし、答えなどわかりきっている。


「――今回の騒動で死んだ生徒は魔術科が四十三名。魔動科が十七名だ。学科全体、もしくは学園全体で見ればかなり少ないほうだろう。しかし、『死』とは数ではない。『死』という事象が起きたということが重要なのだ」


 命の重みとは、生まれでも、成した事の大きさでもない。

 誰がしかにとっての存在の重みである。それが無くなったことによる喪失感、その痛みこそが『死』というものなのだ。


 楠瀬燐火の目つきが鋭くなる。それまでの緩んだ目つきでなく、何がしかの試練を乗り切った者の顔つきだ。


「いいか、いまいだいているその想いを忘れるな、次代の『大人』たちよ。誰がためでなく、ましてや誰の命令でもなく、君たちが大切だと思う者のために、そして、護りたいと思うモノのために強くなるのだ」


 天埜春美は沈痛な面持ちで、生徒会メンバーとともに講堂の端で話を聴いている。


「誰が何と言おうと、自身で定めた道中では迷うな」


 魔術科の列に紛れ、神堂寺マサル、八咫神奈々、エリーネ・フリートハイムの姿が見える。


「だが、進んでいる道が正しいか、それを自分で確かめながら進め」


 魔動科の列には、右頬に絆創膏を貼った成瀬紫苑と、疲労を顔に滲ませ隈まで作った天埜大河がいる。


「何度間違っても良い――しかし、間違っているとわかった瞬間に立ち止まれ。そのまま進むことはだ。過ちを加速させるだけだ」


 その愚の繰り返しこそが、今の世界。ならば――


「だから、変われ。正しく変わるのだ。そうすれば、世界も変わる。本当に簡単に、あっと言う間に変異する。なぜなら――」


 前の虚空へと手を伸ばし、それをゆっくりと握りしめる。


「君たちが、君たちこそが、『世界』を構成する歯車なのだから」


 大神敏也の姿は、講堂のどこにもなかった。



「敏也、傷の具合はどうだね?」


「はい、もうほとんど完治しています。明日になれば退院できるそうです」


 ベッドの上に患者服姿で座っている敏也が、右手の指を軽快に動かしながら言った。

 大神敏也は、地下安置室での一件の後、御陰市の病院の集中治療室に運び込まれ、火傷の処置を受けた。それからは術後の経過観察のため、ICUに籠りきりで、面会が許されなかったのだ。

 そして、つい今しがた、ようやく一般病棟に移されたところだった。


 回復魔術が医療に浸透してからというもの、そこさえ通過してしまえばほぼ完治したということが一般認識となっており、すぐに退院することができるようになっている。

 明日退院できるという言葉は、そういった一般常識から来ている発言だ。


 敏也の元気そうな様子に安心したのか、博士は気持ち朗らかな表情を浮かべ、


「そうか。それは良かった。……『掃討作戦』は滞りなく進んでいるから、君たち学生が駆り出されることはもうないだろう。しかも、学園は昨日から少し早めの夏季休業に入った。退院したら、ゆっくりと養生するといい」


「ええ、そのつもりです……って、掃討作戦? それって魔獣のですか?」


「そうだ。今、軍と鬼術・鬼甲部隊が総出で、あちこちの野山に残った魔獣を潰して回っている。そう時を置かずして済むだろう」


「……できれば早い方が、誰にとっても有り難いんですけどね」


「安心したまえ。彼らは――特に鬼術部隊は優秀だ。……部隊の頭が少々硬いのが難点だが……それ以外には問題点は見受けられない。信用していいさ」


「そうっすか」


「と、これはわたしからの餞別だ。受け取りたまえ。着ける着けないは君の自由だがね」


「どうも」


 博士が投げ渡した包装された何かを受け取った敏也は、それをベッドの脇にあるテレビ台兼棚に置いた。

 そして、


「博士、あんたは何を知ってる。あんたは九年前の戦争に参加してたんだろ。クレインとの会話で漏らしていた言葉の意味はなんだ? あの暴走体は一体何が原因でああなったのか、あんたはそれを知ってるんじゃないかっ?」


 敏也は睨みながら、いつものような敬語混じりの話し方ではなく、どこか敵対者に相対しているかのような辛辣な物言いで博士に問うていた。

 クレインと博士の会話の中で紡がれた言葉――『犠牲』『実験』『適正』――それらが意味するものとは。

 聴いた博士は存外哀しそうに目を伏せる。


「すまない。今はそれを話すことはできない。今言えるのは、私があの戦争に鬼術部隊の一員として参加していたという事実だけだ。他のことは言えない。君たちではまだそれを受け止められない。そして、まだその時ではないのだ。……だが」


「だが?」


「いずれ、必ず話すと約束する。そして、わたしはどんな時、どんな状況に陥ろうとも、君とエリーネの味方だと、そう約束する。これは、未来永劫不変の事実だ」


 そう言った博士の瞳には紛れもない真摯さが滲んでいる。今の言葉は決して嘘ではないと、そういうことなのだろう。


「どうしても話せないんですか?」


「どうしてもだ」


「……」


 きっぱりと博士は言い切った。その態度は、もう話すことはないとでも言いたげだ。

 敏也は不満そうな顔をして食い下がろうかと逡巡したが、これ以上は無駄だと悟ったのか、肩を竦めて了承を示した。

 それを見た博士は儚げな感触になった目のまま頷き、


「――さて、わたしはこれから君の主治医と話してくる。なあに、すぐに戻るさ。……ではね、二人とも」


 博士はそう言って身を翻し、二人を残して病室から出て行った。

 病室に残ったのは、病室の隅のほうで俯いたまま暗い雰囲気を放っているエリーネと、ベッドの上で気まずそうな顔をしている敏也だけだ。


「……」


「……」


 二人は一言も発さない。

 まるで、迂闊に一言でも発してしまえば何かが終わってしまうかのように。そうなることを恐れているかのように、身動ぎ一つしないのだ。


「……」


「……どうしたんだよ、エリーネ。一週間ぶりに会ったってのに、無愛想じゃんか」


 その沈黙に耐え切れなくなったのか、それとも意を決して踏み込むことにしたのか、敏也が彼女へと伺いを立てた。

 すると、


「…………私のせいです」


 しばしの沈黙の後、震える声で言葉が紡がれ、


「あなたの手がそんなことになったのは…………私のせいです……っ!」


 堪え切れなくなったのか、途中からは泣き声になり、言い終わると同時にその顔を両手で覆ってしまった。

 敏也はそんな彼女へと辛そうに細めた視線を向け、


「何言ってんだよ、エリーネ。お前のせいなわけ……ないだろ?」


 この、火傷の痕が僅かに残る醜い右手は、自分の行いが原因でこうなったのだ。


 病院に担ぎ込まれた時は体力が尽きようとしていたため、肉体に負担をく回復魔術を完全回復のためには受けることができず、体力が回復するまでは外科的な処置しか受けることしかできなかった。

 そして、幾分か体力が戻った後に回復を受け、運良くここまで元に戻ったのだ。


 これは、自身の傲慢さが招いた結果。

 力が無いにも拘わらず、粋がって意志を貫こうとした自分への罰なのだ。


 だから、彼女が責められる謂れなど、どこにもありはしないのだ。

 だが、


「私がもっと強ければ! っ……あなたを……護れるくらい強ければ……! こんな……っ…………こんなことには……ひっく……ならなかったんです……っ!」


「……エリーネ」


 エリーネは自身が許せないのだろう。この一週間、ずっと罪の意識に苛まれていたのだろう。

 あの時もっと自分にできることがあったのでは、もっと自分はうまくできたのでは、とそのような凝り固まった想いに苛まれているのだろう。

 彼女は泣いている。泣きながら、謝り続けている。


 辛い、と思う。

 心が、ギリギリと締めつけられるようで。それは、自らを焼いた時よりも、よっぽど辛くて。どんな痛みよりも、鮮明な『痛み』で。


 敏也は堪えるように、そして、決意をするように唇を噛み締めた。


「ごめんなさい、大神くん。ごめんなさい、ごめんなさいっ、ごめ――」


 その時、泣き声が遮られた。それは、いつの間にかベッドから降りていた敏也が、泣きじゃくるエリーネをその胸に抱いたからだった。


 もうこれ以上、彼女が自分で自分を傷付けないように。

 これ以上、意味のない謝罪などさせないように。


 エリーネが自身の置かれた状況に驚いた様子で濡れた相貌を固め、その身を強張らせたがそれに敢えて構わず、代わりにより一層抱き締める。

 彼女の柔らかで香りの良い銀髪が頬に当たる。それが、どうしようもなく心地良い。


「泣くな、エリーネ」


「……おお、神くん」


「お前のせいじゃないよ。これは、俺が自分で決めて、自分でしたことの結果だから。だから、お前は何も悪くない。謝らないでくれ」


「でもっ! でも私が、私がもっと強ければ……」


 縋りつくように、エリーネは敏也の服を掴み、掠れた声を漏らす。

 それが、そうされることが――彼女に頼られることが、縋られることが、堪らないほど嬉しい。だが、この状況ではそれ以上に哀しく、苦しく思えた。彼女のそんな姿を見ていると胸が、まるで締め付けられるようで。


 ふと、思い出す。

 一ヶ月以上も前に起きた森林公園での事件。あの時、自分もエリーネに縋り付いて泣いた。見っとも無く、泣きじゃくったのだ。だとすると、エリーネも今の自分と同じ気持ちでいたのだろうか。これほど心を掻き毟られていたのだろうか。


 もしそうなら、少しだけ嬉しい。そして、とても哀しい。


(俺ってほんと世話焼かれっぱなしだな……)


 彼女に借りばかりが増えていく。負い目ばかりが増えていく。――が、このまま負んぶに抱っこで生きていくつもりなどない。


 あの日、強くなると誓ったのだから。

 なにより、変わっていくと誓ったのだから。


 だからこそ、彼女の気持ちを遮るように、断ち切るように敏也は言う。


「――一緒に強くなろう」


「え?」


 エリーネが戸惑ったように、喉から音を零した。涙の跡が残る戸惑った表情で敏也の顔を見上げる。揺れる空色の瞳が敏也を捉える。

 病室の窓の外の風景も、それと同様に青だ。

 そして、エリーネに対する敏也の表情は、今までで一番の穏やかさを湛えていた。


「俺たちはまだまだ弱い。それに、俺たちは半端者だろ? どっちか一方だけだったら、どんなに頑張っても、いつまでたっても半端だ。だからさ――」


 その瞳に、確かな強さを宿す。

 憎しみでも、怒りでもなく、ただただ心の純度の高い慈しみ。

 誰かを大切に想い、傍に寄り添いたいと願う、切なる想い。


「一緒に強くなっていこう。……安心しろ。俺は絶対に死なない」


 ずっと前から思っていたことだった。わかっていたことだった。

 エリーネは、弱い。特に心が、弱すぎる。

 だがそれは、当たり前のことなのだ。自分たちはまだ子どもで、あまりにも非力で。魔術が使えるとは言っても、世の大いなる流れの中では一石でしかなくて。

 だからこそ、護りたいと思う。愛しいと思う。


(もう、誤魔化すのはやめよう)


 自分はこの子に心惹かれている。

 きっと、この気持ちは『好き』なのだろう。ずっと前からわかっていた。わかっていたが、直視するのが怖くて、拒絶されるのが怖くて、向き合うことができなかった。

 でも、今は――


「俺がお前を護る。今度こそ、必ず」


 一歩だけ、前へ進む。

 彼女を緩く抱きしめ直し、その右手を自身の右手でそっと包み込む。


「……っ」


 彼女が嗚咽を堪える音が聴こえる。

 まだ、気持ちは伝えられない。この子を護り続ける為には、まだ力が足りないから。冷徹で歪なこの世界に抗う為には、自分たちはまだ弱すぎるから。

 今の自分では、またこの子を傷付けてしまうのではないかと、そう心配になったから。


 けれども、決意する。――もう二度とこの子を傷付けさせない。傷付けはしない。

 そのためにも、たった一歩だけでも、前に進もうと思ったのだ。

 遥かな先に居るこの子の傍に近付くため、ほんの一歩でも、それが大きな一歩になると信じて。


ゆるして……くれるんですか?」


 そのか細い泣き笑いの言葉に、


「っ、始めから恨んでねえよ、アホっ」


 同じように、泣き笑いで応え――




 もう二度と、この手を離しはしない。



〈エラーの一部分の解消を確認。

 共鳴率上昇。72パーセントへ推移。

 システム――権能セフィラ真意ダアト開眼かいげん

 モード・共鳴者ハーモニクスまで、あと――8パーセント〉

 

 計画はフェイズⅡの佳境へ。

 そして『炎』は『焔』へ転じた。



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