たとえ痛みを背負っても
残り五メートルという至近まで近付いてきたクレインを見た敏也が、明確な殺意と敵意を眼に宿し、全身に作用させていた肉体強化を最大限に設定する。
そして、
「が――あぁあぁぁ、動け……動けよッ!」
漆黒の影による全身への拘束を受けている敏也が、四肢に限界まで強化を施した状態でそれを引き千切ろうとする。――だが、身体はまったくと言っていいほど動かない。
術式『ギア』による魔力融合を果たしている現状でも、この拘束を緩めることすらできない。
魔力構成を徹底的に把握し、それに即座に対応できるこの男が相手では、敏也やエリーネのような正攻法の攻め方しか知らない魔術師など相手にならないのだ。
その様を興味深そうに見ているクレインが大仰な身振りをしながら、楽しげに言う。
「クヒヒ、まだ抵抗するのかね? 身動ぎすら出来ぬ分際で! 愚かにも! 健気に! その身に鞭を打ちながらっ?」
「当たり前だろうが……っ! 俺はっ、男だからな!」
敏也が口元を挑発的に歪ませながら肉迫した。
そう、諦めるわけにはいかない。絶対に、エリーネを傷付けさせるわけにはいかない。
古臭い考え方だと笑われても構わない。時代遅れだと後ろ指を指されようと構わない。
それでも、いつの時代でも、大切な女の子を護るのが男の役目なのだから。
(そのためなら、俺は……!)
脳裏にあの日の――全てを喪った時の光景が浮かぶ。
――澄み切った青空、平穏な街に閃いた光。
――隣を歩いていた笑顔の両親が、いつの間にか居なくなっていたこと。
――瞬きをすれば、世界が崩れ、真紅に染まっていたこと。
――鼻が麻痺するほどの嫌悪を塗した臭気。
――機械的な咆哮。もしくは……叫び。
――拳を握り、涙を流し、憎しみに幼き身を焦がし……しかし、それでも泣き叫びながら逃げるしかなかった自分。恐怖に駆られ、死地を彷徨ったあの日の情景。
(でも今は)
もうあの日の自分ではない。今度は奪わせない。
(そのためなら……)
たとえ、どれだけの犠牲を払うことになろうと構わない。
たとえ、どれだけの命を奪うことになろうと構わない。
(そうすることで、エリーネを護れるのなら)
決意さえできたのならば、躊躇う必要など微塵もない。ただただ突き進むのみ。
愚直に。怯えさえも、倫理さえも金繰り捨てて。
「……クヒっ、なにを笑っているのだ?」
「決まってんだろ?」
言った後、その瞳に怪しげな光が灯る。クレインがその真意に気付く寸前――
「っ! ――燃やせ! 『灰神』ッ!!」
「なにッ?」
「あ……駄目ですっ! 大神くんっ!!」
咆哮の瞬間、敏也の全身が炎に包まれた。
加減なしの注力。自分たちに残された二割強の魔力の内、半分以上を炎刀に注ぎ込み、生み出した炎――それは、これまで敏也が生み出してきたどの炎よりも小さいが、その分高圧縮され、燃焼力が増している。規模が小さいなれど、破壊力は比ではない。
炎刀から生み出された劫火が右手を伝い、敏也の全身を余す所なく這いずっていく。
自爆――否、己の全身に巻き付いている漆黒の魔手、その全てを再生する暇さえ与えず、こちらの魔力に対応する前に、悉く焼き尽くそうとしているのだ。
「ああぁぁぁぁぁぁっ!!」
自分の身すらも、容赦なく犠牲として。
「なんとっ! これは素晴らしい!」
「いやぁぁっ!! 大神くん、やめてください! あなたがっ、あなたがっ!」
「う、く……うああっぁぁっぁぁ――――ぐぅぅぅ……!」
肺が焼けるように熱い。炎刀を掴んでいる右手の感覚が消えていく。
辺りに焦げ臭さと、生き物が焼けた臭いが立ち込め――
そして、猛り狂っていた炎が鎮まる。
それまでとは比にならないほどの圧倒的な熱量によって、影たちは敏也の魔力に適応する暇もなく、跡形もなく焼き払われた。が、その代償として敏也の全身は重度から軽度まで様々な火傷を負っている。
「かはっ…………う……ぁ」
(いてえ熱い熱い苦しい、誰かっ、誰かっ、誰かっ――――っ、くそっ、黙れバカ野郎。この程度で根を上げてる場合じゃ……っ)
己の弱音を切り捨て――
苦痛と執念に歪んだ表情を伴い、炎によって生み出された熱波を纏いながら敏也が前へと踏み出す。
今が反撃の好機。数少ない勝機なのだ。
痛みに、苦しみに、辛さに呑まれていてもいいような状況ではないのだから。
主の執念に応えるように炎刀が今まで以上に煌めき、その刀身から再び劫火が舞い上がり、
「ぐ――があぁぁっぁぁあ!!」
それを身体に残った気力とともに、クレインに向け振り下ろした。
炎刀から発せられた火炎が、雪崩を思わせる破砕音を伴いながら放たれる。
対魔素材製の床も、壁も、敏也の前方を遮らんとする物、その何もかもを紅蓮が呑み込み、凄然と塗り潰していった。
だが、
「――――クヒヒヒヒヒ! 命を懸けてその程度か、少年! 些か拍子抜けだぞ!」
炎が霧散した後に残っていたのは――人一人を容易に呑み込めるほどの大きさの、黒い球状物体。
そして、その球体を構成していた『黒』が上部から紐解かれていった後に姿を現したのは、押し寄せた炎を影の力を持ちて容易く凌いだクレインだった。
「ぐ、……く、そぉ」
四肢から力が抜け、倒れ伏しそうになった敏也が炎刀を床に突き立て、杖とすることで身体が揺らぐのを抑える。だが、その様はどこからどう見ても限界だ。
「大神くん、もう動かないでっ! もうやめてください! これ以上無茶をすれば、あなたが死んでしまいます!!」
未だ全身を影に拘束されているエリーネが、瀕死の敏也へ泣き出しそうな声色で叫ぶ。
……いや、泣き出しそうどころではなかった。
(お前、なに……泣いてん…………だよ)
彼女のその美しい双眸からは、涙が絶えず零れ落ちている。
それが、堪らなく苦しい。そんな表情を彼女にさせたくなかった。
だから、
「……ははっ……っ、だい……じょうぶ……だよ、エリー、ネ。俺、まだ……戦えるから」
背後にいる彼女へと横顔を向けながら、息も絶え絶えの敏也が空元気で笑い掛ける。
だが、そんな状態でエリーネを騙せるはずがなく、
「なに言ってるんですかっ。どう見ても戦える状態じゃありません! 私に構わず逃げてくださいっ! 早く治療しなければ、あなたが……っ!」
「馬鹿……言うな」
今にも消し飛びそうな意識を叱咤し、せめて口元だけは皮肉に歪ませる。
そして、
「俺は……お前を見捨てない。お前を置いてなんか……行かねえよ。絶対…………なんとかしてやるから、そこで……うっ……待っ、てろ……っ!」
「……どうして…………大神くん。どうして、そこまで……」
「……さあな」
ほとんど吐息のようだった言葉を皮切りに、敏也が炎刀を床から引き抜く。さらには、揺らぐ頭でクレインを睨みつける。
そんな敏也を下卑た眼で見据えたクレインが口元を忌々しげに歪ませた。
「ほう……まだやる気か、少年。その眼差し、実に気に食わない。力の差を理解できない生意気な子供といった感じだ。不愉快、不愉快だぞ」
そこまで言うと、その顔に愉悦を滲ませ、
「ヒヒ、だがしかし、力量さえ度外視したならば、君たちのその魔力融合は興味深い。まさか、遺伝的に何の繋がりもない個体同士でここまでの融合率を誇るとは。実に……実に興味深い! 今すぐ解体してホルマリン漬けにしてやりたいぃぃぃ! ――答えろ、子どもたち。君たちはどうやってそれほどの融合率を弾き出している?」
「はっ……黙れ、下衆……野郎っ。死んだ魚みた、いな……眼ぇしやがって。今すぐ、その面…………叩き斬って……やろうか?」
と、炎刀を構え、その切っ先をクレインに向けながら敏也が言った。
「……ふむ、振られてしまったか。非常に残念だ。――では仕方ない」
そう言うと、緩慢な動きで右腕を持ち上げ、その指を鳴らした。
直後、クレインの周囲で影の腕が何十本も立ち上がり、その身をくねらせ始める。
「本当に仕方がないから、胸を抉るだけという話は無しにする。その代わりと言っては何だが、その生意気な態度への憂さ晴らしも兼ねて、君たちの身体をバラバラにして調べるとしよう。――まずは厄介な刀を持っている君からだ、少年」
「っ、簡単にできると……思うなよっ!」
口ではそう言ったが、もはや勝ち目など欠片もない。これは単に威勢だけだ。
右手など目も当てられない状態で、ほとんど触覚が残っていないため、その手で握っている炎刀をいつ零れ落としても不思議ではない。だが、それに気付かれてはいけない。
利き手が使えない獲物など、捕食者の前では文字通り餌でしかないのだ。
だから、全身の痛みで今にも泣きそうだとしても、強がらなければならない。
自分の命が尽きるその時まで、その命が引き裂かれる瞬間まで、ただ耐えるのだ。
(きっと救援が来る。だから、エリーネはきっと助かる)
地上で戦っている春美たちが――魔術科の生徒か教員がいずれはこちらに来るはず。ならば、それまでエリーネを護れさえするなら、ここで自分が力尽きても良しとしよう。
多くは望まない。望んではいけない。なにせ、とうの昔に――あの惨劇の日に失くしたに等しい命だ。
これを誰よりも世話になった彼女のために使えるのなら、本望というものだろう。
「……今までありがとな、エリーネ」
敏也は苦痛に苛まれているとは思えないほど澄んだ瞳で敵を見据えながら、エリーネに背を向けたままでそっと呟いた。
それはきっと、彼女には届かない小さな感謝の言葉。
もはや、敏也に残された時間は数秒もない。
漆黒の影たちがクレインの頭上へと集まり、そして回転し、鮮やかに統率された動きを見せ始めている。それは、攻撃を今にも敏也に向け放たんとする予備動作だ。
「……駄目……駄目です。逃げて……お願いですからっ」
流れる涙と震える声で、彼の後姿へ必死に懇願する。
「……――――大神くんッ!!」
「さらばだ! 少年!」
「っ!」
クレインから敏也に向け、影たちがまるで指向性を持たされた雨のように殺到し、その身体をゴム毬のように跳ね飛ばした。
敏也は数回床を跳ね、壁に激突。そのまま横たわり、動かなくなった。そして、彼の手から離れた炎刀がカラカラと地を舞い、エリーネの傍で止まった。
◆
「……大神くん?」
首が動かせないため、声だけで後方に居るであろう彼の安否を確かめる。
「返事を……してください」
声が、震える。
何かが、揺さぶられる。
軋む。
ギシギシと。
ギシギシと。
何かが壊れていく。
「……大神くん」
早く、応えてほしい。
でないと、壊れてしまう。
揺らいでしまう。
「っ」
沈黙に、彼の声が聴こえないことに堪え切れず、息を呑む。
――地に転がっている炎刀が、ドクン、と脈動する。
「――あああぁぁっぁぁぁぁぁあっ!!」
エリーネは絶叫した。
死んだ?
死んでしまった? 私を護るために?
私が無力だったから彼を死なせてしまった?
私が殺してしまった? 私が、私が――
◆
「ほう、これはこれは……素晴らしい魔力だ。その歳でこれほどの魔力を保有しているとは」
クレインが何かを呟いているが、エリーネには届かない。
彼女の暴走した心と身体が魔力を絶え間なく生み出す。溢れだした魔力が烈風を生む。
チリッ、と左頬の皮膚が焼けた。
「む?」
頬を押さえ、顔を顰めたクレインがその異変に気付いた時、全てが手遅れだった。
「――これは」
誰も触れていないはずの、所有者が力尽きたはずの魔刀が――炎刀が、独りでに空中へと持ち上がり、その刀身から烈火を迸らせているのだ。
そして、その炎は猛り狂っているにも拘わらず、エリーネを一切傷付けていない。それどころか、彼女を拘束していた影たちのみを焼き始めている。
ゴムがはち切れるような音と共に、影たちが焼き飛ばされていく。
「……何故だ。『譲渡』はしていないはず。なのに何故、その刀は君の魔力に反応しているっ?」
それまで表情に余裕を滲ませていたクレインは、ここに至って生じた自身の理解の外にある事態に、初めて困惑を示していた。
◆
ノイズが混じっている。
視界が揺れている。
自分は死んだのだろうか。
それとも、意識を失いかけて朦朧としているだけなのだろうか。
〈目覚めて。もう終わらせて〉
見え辛い。
聴き取り辛い。
その声と姿には霞みが掛かり、特徴を捉える事が出来ない。
〈お願い。お願いだから〉
目の前に立っているはずの存在は、今にも消えてしまいそうなほどか細くて、薄弱で。
どうしてそんなに泣きそうな声で、
〈わたしを――〉
哀しそうに、
〈わたしを――〉
苦しそうに、
〈――殺して〉
そんなことを言うのだろうか。
歯車が、噛み合っていない気がした。一人で、カラカラと回っているだけのような気がした。
助けを求められている――そんな気がした。
ならば、目覚めよう。他人とは思えないこの存在のために、今一度、目を開けよう。
それが最善だと、この時はそう思えていた。
◆
声が、聴こえる。
彼女の泣く声が。
「……ぁ、…………エ、リーネ?」
意識を取り戻した敏也が微かに身じろぎした。そして、その瞼を上げ、周囲を見る。
眼に映ったのは、燃え盛る炎刀と、その傍で泣き続けているエリーネ。どうやら拘束を断ち切ったらしく、その身は自由だ。しかし、彼女は上を向いたまま泣き叫び続けている。
それを見た瞬間、敏也は自分が何をすべきか即座に理解した。
「待っ……てろ」
転がり、うつ伏せになり、床に両手を着く。右手も体中も差異なくどちらもひどく痛むが、気にしている暇などない。影に抉られたことで発生した傷口から流れる血など知った事か。そのまま身体を持ち上げ、立ち上がる。
「今…………行くから」
左手で右腕を支え、痛む左足を引き攣りながら、歩く。
「少年、まだ生きていたか」
クレインの呆れたような声が聴こえた。が、無視。全神経を歩くことに宛がい、身体を叱咤する。足を前へと突き出す。
そして、
「大丈夫」
子どものように泣き叫ぶ彼女を、後ろからそっと抱きとめる。壊れないように、壊させないように、優しく、撫で付けるように。その両肩を手でそっと受け止める。
すると、涙に濡れている虚ろな眼が敏也を向き、そこに微かだが光が戻る。
「ぁ――――おお、がみ……くん?」
「ああ、まだ生きてるよ。だから、泣くな」
「…………う、あぁぁぁ」
その言葉で敏也がまだ生きているとようやく理解したのか、エリーネは新たに止め処なく涙を流し始め、彼の焼け焦げた胸元の服を両手で堅く掴み、そこに顔を埋めた。二度と離さないように、決してどこにも行かせないように。
それと同時に炎刀は勢いを失い、再び床に落下した。乾いた音を鳴らしながら炎刀が床を転がる。
燃え盛っていた炎は嘘のように消え去り、逆巻いていた熱波は形を潜め、上昇していた気温は徐々に下がり始めている。そして、安置室は再び薄暗さに包まれていた。
ただ、その一連の流れを見ていたクレインが、驚愕した様子で険しい眼をしている。
「君たちは……なんだ? まさか、魔具を共有しているとでも? ……有り得ない。魔具の所有者は一人のはず……いや、それよりもさっきの魔力の波動、以前どこかで――」
その時、
「『ヴァルキュリア・システム』――起動」
誰かが発したその言葉とともに、地下安置室は閃光と雷鳴に満たされた。




