魔との邂逅
校舎を防衛していた魔術科の先輩たちに事情を説明し、なんとか入る許可を貰った敏也たちは、生徒玄関から土足で廊下へと歩き始めたところだった。
校舎内には人気がない。
戦闘によって発生した爆風などにより窓ガラスが破損し、廊下の床を散らかしているものの、それを騒ぎ立てる人などここにはいない。
「……みんな、どこかで戦ってるんだよな」
「ええ、そうですよ」
自分たち二人を『半端者』とからかってくるクラスメイトたちも。
やたらと魔術科を敵対視してくる魔動科の生徒たちも。
問題児揃いの生徒たちを、苦心しながらも見守ってくれている教員の人たちも。
その誰もが今、この国の方々へ散り、もしくはこの学園を護るために残り、戦っている。
血を流している。
敵が潜んでいないか、廊下を慎重に進む敏也は、傍に居るエリーネの動向に注意を配りながらも遣り切れなさと歯痒さを感じ、その胸の内に燻る渇望を覚えていた。
もっと強くなりたい、と。
あらゆる困難を跳ね除ける力が欲しい、と。
もしも誰よりも強く在れていたなら、このような危機になど陥らなかった。仲間を置き去りにし、罪悪感と焦燥に駆られることなどありはしなかった。強ければ、きっと目の前の困難など、一手の元に払い除けることができただろう。
力が足りない。想いの大きさに自身の実力が伴わない。
それが、胸を掻き毟られるように悔しい。
だが、それらの気持ちは欲望ではなく。また、浅薄な考えでもなく。ましてや、その他多くの悪感情でもなく。
ただ純粋に、いつか誰よりも強くなりたいと、敏也はそう切に願っていた。
悶々としながらも目的地を目指し、ひたすたに歩く。
学園の校舎一階の端に理事長室はある。
敏也たちは、その重苦しい雰囲気を放つ扉の前にようやく辿りついていた。
「ここだな」
「『開かずの理事長室』ですね」
ここはそう呼ばれていた。
万年不在で正体不明の理事長――今は敏也たちは理事長が博士・楠瀬燐火であるということを知っているが、それまでは彼らを含むほとんどの生徒が、彼女の存在を知らなかった。
あまりにも姿を見せずにいたことからか噂が先行し、『理事長って実は居ないんじゃ?』『重度の引き籠りで、理事長室に引き籠っている』などとまで言われていた。
後者に関しては、籠っていた、という点ではある意味で正しい。引き籠っていた場所が違うだけである。
なんにせよ、この部屋の扉が開くところを目にした生徒はほぼいないのだ。
だが、
「開く……な」
敏也が軽く触れると、扉は重さを感じさせない動きでゆっくりと開いていった。
それはまるで、彼らを迎え入れているかのようだ。
しかし、中から漂ってくる空気の感触――この場合は漂ってくる何者かの魔力だろうか、それがどうにも重苦しい雰囲気を生んでおり、入ろうとする者の足を止めさせる。
まるで、ぬめついたものが皮膚を撫で付けていくかのような不快感だ。
でも、止まってはいられない。
もしかすると安置室に侵入した敵が、魔獣を生み出す術式を組んだ者であるかもしれないのだ。だとすると、世界中で起こっている魔獣騒動を迅速に鎮静化するためにはその人物を拘束し、術式を解除させることが不可欠となる。
ならば、立ち止まってはいられない。是が非でも進むべきだ。
決意を固めた敏也は隣に居るエリーネを見、
「覚悟はいいか、エリーネ?」
「もちろんです、大神くん」
頷き、確認し合うと、二人は部屋の中へと歩んで行った。
部屋の中は、偉い人が使う部屋にしては殺風景だった。
厳かな椅子と机、高級そうなソファに棚など、おおよそこういった部屋に必要な物は揃っているように見える。
しかし、人が過ごした形跡がどこにもない。少しも散らかってすらない。窓は強化ガラス製なのか、外の戦闘で発生した爆風でも破損していない。
整えられてから一度も変わっていないであろうこの風景は、どこかモデルルームの一室を覗いているかのようなある種の寂寥感が伴う。
ここには、温かみがどこにもなかった。
「博士って冗談抜きでこの部屋を使ってなかったんだな」
「そのようですね。ずっと研究所に居たのでしょう」
二人は顔も合わせずにそう言うと、部屋の奥へと進んで行き、理事長の机の隣にある棚の前まで歩いて行った。
そこには、棚が奥へと移動するようにして稼働しており、棚と棚の間――理事長室の壁に、大きな虚空がぽっかりと空いていた。そこから見えるのは、暗い暗い階段だ。
ここを降りれば、安置室へと通じている通路に辿り着くのだろう。
相も変わらず粘ついた魔力が二人を呑み込んでくるが、こうして立ち竦んでいても事態は進展しない。
「エリーネ、俺が先に降りる。お前は後ろな」
「はい」
不安を顔に散りばめながらも、二人は階下へと降りていった。
◆
戦修学園地下安置室。
そこには、過去の戦争の折、もしくは日々の職務の内に亡くなった日本の戦没者たちが使用制限を解き、後世に託した魔具の一部が保管されている。
その部屋は大広間を思わせる広さだ。薄暗いことを差し引いても天井はかなり高く見えるし、部屋自体がかなりの面積を誇っていることがわかる。
しかし、安置されている魔具などは部屋の奥の壁際に立て掛けられていて、さらには光の鎖で絡め取られ、壁に縫い付けるようにして保管されている。そこ以外には、何物も存在しない。ただただ空虚な空間だ。
「ヒヒ、部屋というものは管理する者の心を現すと聞くが、これは誰の心の在り様なのかな」
嘲笑う老人は大広間をゆっくりと歩きながら横断し、魔具の元へと向かっていた。
目に見えるのは、数本の剣と槍、もしくは盾たち。他には宝玉のようなものまであるようだ。
「武装魔術が生み落とした奇跡の結晶……主が死してなおこの世に容を留める真なる超常……実に壮観な物だ。邪魔を振り切ってここまで来た甲斐があるというものよ」
ここに辿り着くまでに襲い掛かってきた警備システム――機関銃や自立型術式など、全ての障害は捩じ伏せられていた。もはや、この老人の暴虐を阻む術はどこにもない。
そして、老人は一本の剣の前で立ち止まり、それを見上げた。
「おお……これがアスカロン……竜殺しの剣か」
――煌びやかな金の装飾が施された大振りの剣。しかし、下品と言うほどに装飾華美であるわけではなく、あくまでも刀身の純粋な美しさを際立たせるためのアクセントに留められている。
その刀身から漂う魔力は、主が喪われてから長い年月が経とうと言うのに、蚊ほども込められた魔力が衰えていない。触れる前から切り裂かれるのでは、と思ってしまうほどに鋭く研ぎ澄まされた魔力を放っている。
「素晴らしい! 名も無き前任者よ、ワシがこれを貰い受けるぞ! 異論はあるまいな!?」
気分が高揚した老人は、誰もいないにも拘わらずそう言うと、自身の足元へと片手を向けた。そして、
「『ゲノム・シャドウ』」
足元の影が波立ち、そこから黒い肢体を持った人影が一つ現れる。しかし、それには生き物めいた気配がなく、目も口も開いていない。いや、そもそも始めからそこに人として有るべき器官が備わっていなかったかのようだ。
恐らく、これは造り物、人の紛い物だろう。
その存在が前へと歩み、封印されたアスカロンへと手を伸ばし、その刀身を絡め取っている光の鎖へと両手で触れた。その直後に小さな反発が起こり、僅かながらスパークが散る。
魔力同士による反発――拒絶反応だ。
「解呪は任せるぞ、人形。――さて、ここに近付いて来る可愛らしい一つの魔力は、いったい誰と誰なのかな?」
入口の方へと顔を向けた老人の顔には隠しきれない愉悦が零れている。しかも、その口ぶりは全てを悟っているかのようなものだった。
魔との邂逅の時は近い。
◆
敏也とエリーネは理事長室の階段を降り終わり、その先にあった通路を小走りで進み続けていた。
通路は別の階段に通じており、反転し終わると階段が終わり通路に出る。が、その通路を進むとまた別の階段――次も次もと、どうやらここは、通路自体が折り重なるようにして建造されているらしかった。
通路にはところどころに機械の破片が散らばっている。天井近くに銃器のような残骸がぶら下がっていることから、その破片は元は侵入者迎撃用の兵器であり、それが破壊されたがために発生した残骸なのだろう。
そうした通路を幾重も過ぎ、重苦しい雰囲気がさらに重くなるところまで敏也たちは辿り着いていた。恐らく、この通路を進み終えたところに安置室があり、そこに敵が待ち構えているのだろう。
これから先に待つ戦いを、怖い、と敏也は思う。
相手はどれほど強大な力を持っているのか。自分たちの力でどれほど抗えるのかわからない。考えれば考えるほど、心が押し潰されていく。
しかし、それは後ろを着いて来るエリーネとて同じはず。ならば、敏也は強がらなければならない。彼女の不安を吹き飛ばすように、彼女の心を鼓舞するように、前を向き続けなければならない。恐れに頭を垂れることなどあってはならない。
(俺が、護る。護って見せる)
二度と、大切なものを奪わせてはならない。この世の不条理の好きにはさせてはならない。そんなものは蹴り飛ばし、容赦なく縊って平伏させて見せる。
決意を新たにした敏也は走り続け、そして、一つの大きな扉の前へと着いた。
敏也は後方のエリーネを肩越しに見て、指で三秒後に開く、と相図。エリーネは頷き、下げた右手の手首を左手で支えるようにして、小さな術式を展開。不測の事態に備える。
(三……二……一……っ!)
そしてきっかり三秒後、敏也が炎刀を片手に扉を押し開き、二人は部屋の中へと突入した。
扉が大きな音を奏でながら開き、二人を中へと迎え入れる。
突入した際に敵からの襲撃はなかった。そのことに敏也たちは一先ず安心し、周囲を警戒――しようとしたところで、薄暗い部屋の奥にいる人影を見つけた。
それは――
「やあ、待っていたよ、赤髪――いや、茶髪の少年と銀髪の少女よ。君たちと逢えるのをこの一週間、今か今かと待ちかねていた」
二人を迎えるように両手を大きく広げた老人――しかし、その眼には爛々とした狂気を宿し、また、身体からはドブのように淀んだ魔力を放っている存在だった。




