一番大切なもの
格納庫内のモニターに映った映像とは裏腹に、バリケード付近で勃発した戦いは熾烈を極めていた。
――バリケードはすでに破られた。巨大な黒の手が上部を掴み、対魔素材が練り込まれた強固なバリケードの装甲を瞬く間に引き裂いて見せたのである。その光景たるや、夢現かと見紛うほどに鮮やかな手際に思えたほどだ。
ただ、もちろん兵士たちは呆然と立ち尽くしはせず。
《第二小隊、第一小隊の援護に入り、代わりとして前線を支えよ! 第一小隊はそのまま後退、火器の冷却に努めろ! ――第三小隊、地上班、援護射撃だ!》
隊の指揮官より絶え間なく指示が飛び、それに即座に反応するように魔動機、魔術師たちが隊列を組み替える。
現在、第一小隊に所属する魔動機十機は、真っ先にバリケードから侵入してきたタイプβの周囲を旋回しつつ攻撃を加えることで牽制し、その場に圧し止めている。
破壊されたバリケードから現れるタイプαに関しては、地上に展開中の魔術師及び携行火器を持った通常の人間が掃討し続けていた。
バリケードが破られてから十数分、軍の増援が来るまでの間に、彼らはこうしてローテーションを繰り返すことで間隙なく攻撃を行い続け、敵をこの場に足止めしているのである。
残りのタイプβ二体はバリケードの向こう側で大人しくしている。揃って押し寄せればこちらの編隊を引き裂けるにも拘わらずである。それがなぜなのか、軍の兵士たちにはわからなかったが、今はそちらに気を割いている余裕が誰にもないため、そのことは思考の片隅に置く程度だ。
《っ――来るぞ! 散開!》
突然、タイプβへ攻撃を行っていたパイロットの一人が注意を喚起した。
その声に誰もが目を向ければ、タイプβが二本の足と左手で巨大な肢体を支えながら、緩慢な動きで右巨腕を持ち上げ始めていた。その動きには強者ゆえの余裕や、格下の存在を鬱陶しがり払い除けようとするかのような感触が感じられる。
腕が持ち上がりきると、その眼が微かに赤に煌めく。
直後、長大かつ巨大な腕が振り下ろされることによって発生した烈風、地面に鉄槌が衝突した事による地震にも似た衝撃が周囲を襲う。
空中で間一髪その攻撃を避けた魔動機たちは暴風によって隊列を乱され、地上で土嚢の陰に隠れながら術式を展開していた魔術師たちは揺らぐ地によって足を絡め捕られてしまう。
――それを見たタイプβが、薄く笑んだような気配がした。
「――――ッ!!」
空気を裂くような咆哮、それもただの咆哮ではない。先ほどと同様に、それを聴いたタイプαたちが雄叫びを上げ、その直後に駆け出したのだ。命令、もしくは指令を含んだ叫び。
「くっ」
迫りくる黒を目にした地上班は戦慄に顔を歪め、しかし、それでも体制を立て直しながら術式を展開する。夥しい数の魔方陣が空中に生まれ、五大属性の攻撃が再度迸り始め、敵を消し飛ばす。
また、幸いとして、地上に居た魔動機は接地圧とサスペンションの補正で転倒せずに済んでいたため、魔術師たちや歩兵たちが立ち上がるまでの間、彼らがタイプαの機先を削いでいた。
黒が消え、代わりに赤い肉片と血液が飛び散る。
だが、
《ちっ、キリがねえな》
それでも侵入してきたタイプαの数が多すぎる。いくら攻撃を繰り返そうと、単体射撃と僅かな範囲攻撃だけでは倒しきれない。そう判断した魔術師たちは、武装魔術によって各々が武器を生み出し、接近してきた魔獣と近接戦闘に突入した。
「迎撃!」
誰かが上げた声とほぼ同時に、人垣と黒の波が激突。
高速で閃く剣が敵の頭蓋を裁断し、振り下ろされた鉄槌が魔獣を押し潰す。投擲された数十に及ぶ短剣が隙間なく魔獣を突き刺し、横に薙がれた大剣が胴を分かつ。また、銃を模された武器から放たれた魔力の弾丸が魔の体躯を吹き飛ばしていく。
地上班はタイプαの進攻を阻止することに成功している。
と、その時、
《デカいのが動き出したぞ!》
その言葉通り、タイプβが重い足を動かし始め、多くのタイプαを伴いながら進軍を再開していた。地響きが鳴り、荒く吐く息が不気味さを際立たせる。
《――行かせるかッ!》
無論、それを黙って見過ごすほど軍は暢気ではない。一人の若きパイロットが間髪入れずに操縦桿を操作――命令を受信した深蒼色の魔動機・レガリアがスラスターを噴射させ、タイプβの眼前へと肉迫する。
そして、
《喰らいやがれ!》
赤の目とレガリアの頭部センサーが睨み合い、魔動機側のレーザー砲がバックパックより展開。左肩に担ぐような形で砲身が背後より伸び、直後に光が生まれる。
「――ッ!?」
光の束はタイプαの鼻っ面に直撃、次いで砲身を強引に動かすことで右、左の順で両目を焼く。魔獣は痛みに堪えかね、悲鳴を上げながら地に轟沈した。
パイロットはコックピット内でその結果に歓喜し、
《よし、これで――っと?》
パイロットが油断していると、地にひれ伏したかに思われたタイプαが左手を振り回し始めたのだ。危うく叩き落とされるところをなんとか回避し、レガリアを後方へと飛び退かせる。
こちらを睨みつけるは――二つの赤目。どうやらすでに再生し終わっているようだ。そして、その不気味な輝きを宿した双眸で、両目の仇を睨み据えてくる。
《へっ、おれが憎いってか? 化物》
そのレガリアの傍に滞空した別の魔動機のパイロットが苦言を呈す。
《油断するな。奴の再生能力は厄介だ。この程度では死なんぞ》
《わかってますよ。ただ、動きを止めようとしただけです》
《それでもだ。迂闊に動くな。隊でカバーし合いながら対処するんだ》
《了解》
その会話を皮切りに、その二機はスラスターを噴射。再度、波状攻撃を行い始めた隊列に加わり、足止めの体勢を盤石のものとする。
これまでの光景を空中から見据えながら遠距離射撃を行っていた指揮官は、物憂げな様子で一声を漏らす。
《……このまま戦線を維持できれば――》
あと数分とせず到着するであろう増援と協力すれば、此度の襲撃を遣り過ごすことができるだろう。再生能力持ちのタイプβの始末には困るだろうが、本隊と合同で掃討に当たれば殺し尽くせるはずだ。
そう、誰もが思っていた。
《? ――これは?》
レーダーに反応――それも一つではなく、また、友軍でもない。遥か水平線の先から、数十に及ぶ何かが近付いてくる。しかもそのスピードはどこか覚えのある――
《魔動機かっ?》
指揮官が気付いた瞬間、センサーが捉えた映像がモニター上に映し出され――一個大隊に相当する数の魔動機が、横に隊列を組んだ状態でこちらへと向かってきている。
魔獣は、東側に押し寄せている分だけでも軽く数百を越えている。そこに数十の魔動機が加わるとなると戦線の維持は絶望的と言っていい。となると、今回の襲撃はこれまでの小規模な小競り合いと違い、本格侵攻だと認識するべきか。
《……あれは?》
魔動機たちの先頭には、黒剣を携えたサングラスの男を肩に載せた淡い蒼の魔動機。その右手には巨大な盾、腰には二本の対魔剣。その背格好は、どこか中世の騎士を思わせる。
《報告に挙がっていた新型か!》
テロリストが開発したと思われる新型魔動機。そして一週間前に三珠市跡地で起きた襲撃に偶然居合わせたという学生たちが交戦したテロリスト・レーヴェ。そのどれもと特徴が一致する。まず間違いない。
その男――レーヴェが魔動機上で剣を振り上げ、狂気に染まった叫びを上げる。
「さあ! 来たぜェ! 存分に殺し合おうじゃねえかァッ!」
数分後、互角に思われていた戦域は瞬く間に瓦解した。
◆
モニター上に映っているのは、地上班へと空中から黒炎を放ち、瞬く間に戦線を崩壊させたサングラスの男。地上班たちは咄嗟に連携して魔力障壁を展開したようで全滅はしていない。が、それでも圧倒的な熱波によって多大な被害を受けている。
その僅かな攻防の間にもタイプαの進攻が止むことはなく、化物たちは地上班を無視し、その向こうにある市街地へと駆けて行っている。
「レーヴェ!」
「あの男がここに……」
彼の人物との戦いを経験した敏也とエリーネは戦慄していた。大河も同様だ。しかし、紫苑だけはその眼に鬼気とした迫力を伴いながら激情をその顔に扮している。
「アレが敏也たちが交戦したというテロリストか。……確かに、危険な目をしているな。それにあの黒炎、かなりの威力のようだ」
「にしても、悪趣味な男だねぇ。腕とか刺青だらけじゃん。あれって趣味なのか、それともなんかの宗派にしても、もちっと節度をもって入れるべきだとわたしは思うなぁ」
値踏みしながらのマサルの言葉に、奈々は現在の情勢に相応しくないふわっとした発言を零した。すると、それを聴いた大河が強張っていた表情を緩め、代わりとして苦笑いを浮かべる。
「そういう問題なのかな? 奈々さん」
「うんにゃ、今のは冗談――というか、緊張感を解しただけぇ。だって、マサル以外のみんな、怖い顔してるもん」
「っ」
「そんなに意気込んでたらさぁ、いざって時にヘマやらかすよぉ? 持ってる力以上の働きなんて人間に出来るわけないんだからさぁ、もっと肩の力抜いていこうぜぇ?」
にへっと緩く笑いながらの奈々の言葉に、マサル以外の四人は息を詰まらせる。無論、図星だからである。自分たちの表情が強張っていたことは、本人たちが最もよく理解していた。
この場で最も意気を高めていた紫苑は脱力し、表情を平淡な状態へと戻す。
「……言われてみれば私らしくなかった。反省する。肩の力を抜いて、気楽に切り刻むことにする」
「怖えーこと言ってんな、紫苑。……まあ、ボコるって点に関しては賛成するし、手伝うけどさ」
敏也は呆れた調子を装いながらそう言った。
だが、内心では憎悪が渦巻いている。ちりちりと殺意が胸を焦がしている。
やつはエリーネを殺そうとしたのだ。もちろん、無関係の一般人も大勢が死んだ。あの場で生き残った人々も現在は入院中、そして敏也自身も殺されかけた。
しかし、一番敏也の心を焦がしているのは『エリーネに危害を加えた』という至極単純な、レ―ヴェへの憎しみだ。だが、単純明快な思いだからこそ、ここまでわかりやすく猛るのだろう。
腰に提げた鞘へと左手で触れる。
斬る。今度こそ、今持ちえる最高の力で、この炎刀で跡形もなく消し飛ばす。
(アレは絶対に生かしておかない。今度こそ始末してやる)
――駄目。怒りに囚われては……。
そうだ、今度こそ、今度こそこの手で――今、自分以外の思考が入り込んだような、そんな気がした。
胸に埋め込まれた術式『ギア』が、エリーネの物と一対となっている歯車が蠢動していた。胸に抱えた想いを咎めるように、縋りつき、必死にこちらを押し止めるように。
胸が切なく疼く。悲しみとも、苦しみとも違う、ただただ切ない。胸が突き刺される。
――同じ場所に堕ちてはいけません。獣と成ってはいけません。
(誰……だ?)
頭を押さえながら敏也はよろめく。エリーネも同様に頭を押さえながら困惑していた。周りに居る四人は二人の異変に気付いたようで、何事か声を掛けてきている。が、敏也たちにはその声が届いていない。
それは、二人の思考が一色に染まっているからだ。
わからない。しかし、どこか暖かい。聴いたことのない人物の声だ。今朝の悪夢に現れた白の少女でも、これまで出会ってきたどの人物にも該当しない声質。
――たとえ止むなく命を奪う時でも、人は気高く在らなければ……。
(何を言ってんだよ? あいつは敵だぞ、人殺しだぞ? 排除することに、何を躊躇う必要があるってんだ?)
自分とて人殺し、そんなことはわかっている。海堂という名のテロリストを殺した――そんなことは言われなくてもわかっている。これはそんな単純な理屈じゃない。世界を乱している悪かどうかの話なのだ。
だが、『声』はその問いには答えてくれず。
――……お願い、お願い……。
火が消えていくように、少しずつ懇願の声が潰えていく。
そして数秒とせず、声は聴こえなくなっていた。胸の中で蠢いていた術式も、心を掻き毟っていた切なさも、全てが何事もなかったかのように鎮まっている。
「敏也、エリーネ嬢、どうした? 何があった?」
敏也とエリーネの耳にマサルの声が聴こえてくる。先ほどまで一片も届いてこなかった声が、今はもう届くようになっている、まるで、つい今しがたまでこの世から意識だけが隔離されていたかのようだ。
敏也は軽く笑みを浮かべることで大丈夫であることを示し、マサルに応える。
「あ、ああ、なんでもない。ちょっと眩暈がな」
「ほんとうにぃ? エリーもなの?」
「……ええ、そうです。きっと、夢見が悪かったことによる寝不足のせいでしょう」
奈々からの確認に、エリーネは疲れたように息を吐きながらそう言った。ただ、その表情が困惑に染まっていることは誰の目にも明らかであり、しかし、そこに同時に侵し難い壁を感じたのか、誰も問い詰めるような真似はしなかった。
問い詰める代わりなのか、紫苑が相変わらず感情の感じられない淡白な視線を十班の面々に順々に送り、
「……とにかく、出撃の準備を整えていたほうがいいかもしれない。これだけ敵の増援が来たとなると、この街に駐留している軍と治安維持部隊だけだと対処しきれないかも」
「うん、そうだね。――みんな、僕と紫苑は魔動機を起動させて来るよ。いつでも出せるようにね」
その言葉に、敏也たちは頷く。
「わかった。その間、俺たちは格納庫前で周囲を警戒しとく」
「……了解。敵がもし来たら教えて。すぐに発進させる」
「コックピット内で待機かぁ。また肩が凝りそうだなぁ……」
大河のその発言を皮切りに六人は行動を開始。紫苑と大河は格納庫奥にある自機へと小走りで向かい、敏也たちは格納庫の入口へと向かっていった。
◆
それから程無くして、敏也たちのインカムに連絡が入った。
通信を送ってきたのは他でもない、この街の軍を現在取り纏めている玄崎総司からだ。
《よぉ、学園の十班面々。元気か?》
「今朝、会ったばかりじゃないっすか。もう忘れたんすか?」
敏也が雨空を見上げながらそう返答すると、玄崎が通信機越しに笑みを零した気配があった。
《へへっ、軽口を叩ける態度には気持ちに余裕があるみたいだな。安心したぜ》
どうやら玄崎は敏也たちが恐怖に囚われていないか心配し、わざと先ほどの発言をしたようだ。そして、
《十班のやつらは全員これを聴いてるな?》
「えっと……」
その問いを受け、敏也たちが格納庫入口から奥の方へと目を向けると、格納庫最奥に佇んでいる二機の魔動機の解放されたコックピット内から、ヒラヒラ振られる一本ずつの手が見えた。どうやら『聴こえてるから司令と続きを話せ』と言いたいようだ。
敏也は肩を竦め、インカムを押さえながら答える。
「聴いてるみたいです」
《よし。なら、これからおれが言うことをよーく聴けよ。お前らが格納庫のモニターを起動してたのは監視カメラ担当のオペ子が見てたから知ってるが、だからといって一つも聴き漏らすな。確認するのは最後だ、聴き終わるまで口を挟むなよ。二度も三度も言い直してる暇はないからな》
「了解です」
《ん。――まず始めに……東側のバリケード側に三体のタイプβが現れた。最初は一体しか乗り込もうとはしてこなかったんだが、つい今しがた、残りの二体も動き出した。バリケードはもう跡形も残っちゃいない。タイプαも洪水のように雪崩れ込んでいやがる》
つまり、すでに市街地まで戦端が広がっているということ。そして、ここまで魔の手が伸びるのも時間の問題。
《その上、『キメラ』の増援として魔動機の部隊まで来やがった。あの趣味の悪いサングラスの男と新型魔動機もな。ヤツらのせいでこっちの部隊はズタズタだ。今、東側に居た部隊は治安維持部隊詰所に向け撤退中。この近辺で残った部隊を再編して反抗に出る予定だ》
街の東側へと目を向けると、敵魔動機部隊と空中戦を繰り広げている味方部隊の姿が見受けられる。恐らく、なんとか敵機を撒こうとしているのだろう。
地上付近では時折爆発の火の手が見え、おどろおどろしい鳴き声とともに粉塵が舞っている。そして、黒く巨大な背が三つ、遥か向こうに見える家屋から乗り出すようにしているのがわかる。地上部隊は、アレと雑兵を迎撃しながら撤退し続けているのだろうか。
《さらに間の悪いことに、今さっき、街の西側のバリケードにもタイプβが二体現れた。こっちはまだ破られちゃいないが……それも時間の問題だ》
状況は刻一刻と悪化している。このままでは部隊は全滅し、シェルターは破られる。中に避難している人々は引き裂かれ、喰らい尽くされ、この街は滅びることになる。
血の海が、赤く大地を染め上げることになるだろう。
《――だから、決めろ》
「え?」
予想外の声色に、敏也は驚いていた。他の五人も同じように口を小さく開け、固まっている。
――玄崎の声音は、悲痛に染まっていた。申し訳なさに、口惜しさに、それ以上に怒りに満ち満ちている。敏也たちは預かり知らぬことだが、玄崎はまだ子供である彼らを戦地になど赴かせたくはないと、そう切実に思っているのだ。
玄崎は、誰よりも甘い。特に、自らよりも年下の存在に対しては。
《このままシェルターの後方にある山地を突っ切り、魔獣を振り切って逃げるか。……それとも、西側の増援として戦いに出るか、どちらか選んでくれ。……断ってもおれは咎めない。脱走罪に問われないよう、上層部にはおれから言っておく。だから、逃げたいやつは逃げていい》
「……」
問われた六人は各々の思惑、積み重ねてきた時間、胸に秘めた想いを反芻している。
ただ、敏也の答えは決まっていた。否、曲げることなど有り得ない。
その両目は、ただ真っ直ぐに――
「俺は戦いますよ、玄崎さん」
《……わかってんのか、大神。大人でも、一流の魔術師でも手を拱くのがタイプβだ。お前たちはゴミのように潰されて終わりかもしれない。死んだことすら認識できないかもしれない。――それでもか?》
「……そんなの、今更ですよ」
敏也は怪しげに揺れる瞳で戦場の方向を見詰めている。その相貌をエリーネが心配そうに覗きこんでいることに敏也は気付けない。その身の内に巣食う激情が、彼の判断力と注意力を鈍らせている。
「戦わずに逃げるなんて、俺たちは何のために訓練を積んできたんですか。力を得るためでしょう? 敵を倒すためでしょう? ……護りたいものを護るためでしょう? なのに、逃げるなんて――」
そんなことはしたくない。そうしてしまうと、この場から逃げてしまうと、また以前の情けない自分に戻ってしまう気がした。
自分がここに残ればエリーネもきっと残ってくれる。つまり、彼女を危険に晒すことになってしまう。
そんなことは敏也とてわかっていた。しかし、それでもこれは譲れない想いだった。どれだけ小さくても、捨ててはならない気持ちだった。
――救う。この手で拾える命は残さず拾っていく。
だから、
「俺は逃げません……逃げたくありません」
《……他のやつらはどうだ?》
問われた五人は再び思案顔に――そして、最初に口を開いたのは諦観したような表情をしたマサルだった。
「俺も残る……しかないでしょう。こいつらはなかなかに危ういので」
《……苦労症だな、マサル》
「あなたには負けますよ」
マサルの返事が終わると、次に口を開いたのは奈々だ。
「わたしも残りまーす。逃げたって、そこかしこに魔獣はいるんですから、どこ行ったっておんなじっすよぉ」
《そうか……八咫神、だったな。油断するなよ》
次は――自機のコックピット内で、どこか詫び入るような表情をしている大河。
《総司さん、僕は……》
《言うな、大河。お前も残るんだろ?》
《……はい》
《わかってたさ、お前が誰も見捨てられないってことはな。……精々、死なねえよう気ぃ付けろ》
《わかってます。総司さんもお気を付けて》
二人が含みのある会話を終えたことを確認した紫苑は、訝しげに眉を顰めながらも通信回線を開いた。
《……私も残る》
《確かお前は……大河の相棒だったな?》
《……そう》
《……大河のこと、頼むな》
《……任せて》
短く確認し合い、二人の会話は終わりを告げた。
そして最後に残ったのは、エリーネだった。その表情は堅く固まり、敏也へと絶えず視線を送っている。それにようやく気付いた敏也はエリーネのほうを見ると、
「お前はどうするんだ?」
「私は……」
そう呟き、逃げるように面を下げる。長い銀髪が流れ、その表情を覆い隠す。顔を伺えないため、今彼女がどのような面持ちで悩んでいるのか、知ることはできない。が、この六人の内でエリーネが一番思い悩んでいることは明白だった。
と、そうしていると、
《フリートハイム、何か心配ごとか? ……両親が心配か?》
「っ、……どうして……」
玄崎からの指摘に、エリーネは狼狽しながら一揺れした。変わらず俯いているが、その動揺が、さきほどの指摘があながち的外れではないことを物語っている。
「エリーネ? それってどういう――」
《大神》
エリーネを問い詰めようとした敏也を玄崎が呆れ声で遮り、
《お前は自分のことしか考えてないな。実験のパートナーであるフリートハイムがどんな気持ちでこの国に留まっているか、お前は考えたことがあるか? ここ一週間の世界情勢を見れば、両親が健在なフリートハイムが二人のことを心配してるのは自明だろうが。なんでそれがわからない》
「――ぁ」
言われてみれば――違う、目を逸らしていたのだ。
敏也には両親がもういない。だから、心配するべき肉親など居はしない。
失念していたということももちろんある。だが、最も目を曇らせていた原因は――
(俺には……『みんな』しか居なくて……)
家族など皆無。親戚など諸共死に絶えた。だから、敏也にはここにいる仲間しか心配すべき相手がいないのだ。
敏也は目の届く所に心配すべき相手が居る――だから、祖国に両親を残して来たエリーネの心情を案じることができなかった。その気持ちを察することができなかった。
(ずっと心配してたのか)
国交が断絶されているため帰ることもできず。通話回線は軍が取り仕切っているため、連絡を取ることもできず。
ずっと心労を募らせていたのだろうか。ここ一週間、ずっと心を苛む想いに堪えてきたのだろうか。それをひた隠しにして、決して表には出さずに。
だが、今回の猛威とでも呼ぶべき襲撃でそれも瓦解した。心を固めていた補修剤が脆くも崩れ去ってしまった。彼女の心は揺れだしている。
いつも整然としている彼女がよもや、逃げてしまいたいと、そう思ってしまっているのだろうか。
――わかっていたはずなのに。エリーネが、強がってしまう少女だということは。
(馬鹿か、俺は……っ)
こんな鈍い自分を思いっ切り殴りつけてやりたいと意気ってしまうほどに腹が立った。どうして気付けなかったのか、彼女の変調は時折現れていたというのに。
――突然頭を撫で付けても抵抗せず、安心したように身を任せていた。
――役割を押し付けるような敏也の言動に、彼女は欠片も反発しなかった。
――自らを心配して泣き出した敏也を、彼女は決して突き離しはしなかった。
目には映っていた。ただ自分が、その振舞いの真意を理解しようとしていなかっただけで。敵に対する憎しみが、心をスッポリと覆ってしまっていたから。
(なんで気付かなかったんだ、くそっ)
どれだけ彼女に気を遣わせていたのだろう。どれだけ自分は彼女に甘えていたのか。
自分を責めている敏也に、車の駆動音混じりに玄崎の声が届く。
《ま、とか言って大神を責めてはみたものの……結局のところ、悪いのは全部おれたち大人なんだよな。……すまねえな、お前ら。つまんねえ大人の身勝手に子供を巻き込んじまって》
キメラという反政府組織と、そんな組織を今までのさばらせてきてしまった大人の罪。
《フリートハイム、そう心配するな。お前の御両親の強さは知ってるだろ? 死ぬわけがないさ》
「玄崎指令は、私の両親のことを知って……?」
《おう、昔世話になった。だから保障してやるよ、あの人たちは無事だってな》
「……」
きっと、エリーネを宥めながら玄崎は通信機片手に頭を掻いているのだろう。申し訳なさそうな沈痛な面持ちで、心の中では自らを苛んで。そのような気配が声から感じ取れる。
それを理解し、己の未熟さを改めて認識かつ、痛感。己の立ち振る舞いにはまだまだ改善の余地あり。――そして、気持ちを切り替えた敏也はエリーネを見据えた。
今度こそ、間違えはしないために。
「エリーネ、悪かった。気付いてやれなくて」
「いえ、そんな……これは私の問題ですから……」
「……そんな寂しいこと言うなよ」
「え?」
驚いた様子でエリーネは顔を上げた。対して敏也は寂寥とした表情で彼女を見詰めている。だがしかし、その表情とは裏腹に、彼の眼には暖かな光が灯っていた。
「前に言ったろ? 俺にとってお前は……家族みたいなもんだって。でも、それでもわからないことはわからないから、俺は察しが良い方じゃないから。――だから、ちゃんと言ってくれ。辛い時は辛いって。寂しい時は寂しいって。……逃げたいなら、逃げたいって」
「大神……くん」
「俺は、お前の気持ちを尊重するよ。さっき俺が言った『逃げたくない』って気持ちなんて、ほとんど意地みたいなもんだからさ、この際捨てたって構わない。……お前が逃げたいなら、俺も一緒に逃げるよ。お前を護って、どこまでも逃げる」
「駄目……です。捨てちゃ……駄目ですよ。だって、あなたのその気持ちは――」
――あなたの細やかな願い。ようやく持てた、生きる意味。
泣きそうなエリーネが言葉にせずともそれが敏也には伝わる。だから、敏也はそのようなちっぽけな意味を投げ捨てる。それよりも大切なことがあると、彼は知っているから。
万感の想いを表情に滲ませ、敏也は微かに口元を緩め、笑みを零す。それは、三珠市で敏也がエリーネに見せた、子供じみた朗らかな笑い。
「エリーネの方が大切だ。だから、お前の正直な気持ちを聴かせてくれ」
「私の……気持ち?」
「そう。お前は逃げたいか? それともここで戦いたいか?」
「私は……」
エリーネは目を瞑り、敏也の言葉を反芻しながら物想いに耽っている。
今、彼女の頭の中では何が渦巻いているのだろう。
――自分ひとりが戸惑っていることに対する失望? 両親の安否を気遣う想い? 自らの力量への懸念? 敏也の言葉の意味? それとも――
敏也にはそのことを窺い知る術がない。ゆえに、ただ黙って彼女が決心することを待っている。他の四人とて同様である。ただ一点、時間がないと言っていた玄崎に対しては申し訳なさで一杯だった。
そして数秒の後、エリーネは双眸を開いた。
「――戦います。自分に出来ることがあるなら、それをするべきだと思います」
《……いいんだな、フリートハイム?》
「はい、決めました」
心配そうな声音を漏らす玄崎に対し、通信機越しに頷いたエリーネの眼には、もう躊躇いや戸惑いは見受けられない。その視線が周囲へと動き、
「ごめんなさい、みんな。余計な時間を取らせてしまって……」
「うっふっふー、構わないよぉ、エリー。これって必要なことだもん」
「確かにそうだな。俺たちが過ぎた戦いで済ませていたことをエリーネ嬢は今済ませた、ただそれだけのことだ。――敏也とて、この前の交易都市でようやくそういった気構えができたのだしな?」
奈々がすかさずフォロー。マサルも同様にし、敏也へと賛同を求めてきた。矢面に再び引き摺り出された敏也は嫌がる素振りなく「ん」と頷き、
「まあ、な。ほら、それにさ、今回のは『優秀なやつがたまに見せるポンコツな部分』ってだけだって。俺みたいに日常的に大ボカやらかすわけじゃないんだし、問題ないさ。――な、大河、紫苑」
途中から、右耳に掛けたインカムへと語り掛けるようにしながら敏也は言った。
すると、
《……敏也の言うとおり。敏也の見っとも無さに比べるとエリーネのは可愛い物。気にすることなんかないよ、エリーネ》
《だね。敏也君と比べるとどうにも問題にしようがないよ、エリーネさん》
「……お前ら、いくら相手が俺だからって少しは遠慮しろよ。俺泣くぞ、そのうち」
返ってきた通信の容赦のなさに敏也はいたく傷付いた様子。悔しそうに唇を噛み締めながら小刻みに身体を震わせている。そんな敏也へと慈愛に満ちた視線を送りながら、エリーネは「みんな、ありがとう」と呟いていた。
と、その一連の流れを聴いていた玄崎が笑い声を届けてきた。
《はっはっはっ! いやー、若いってのはいいねぇ。おれも青かった頃のこと、思い出しちまったぜ。ったく、ノスタルジーに浸るような歳にはなってねえってのに》
「それはすいません。あと時間の方、大丈夫ですか?」
《気にするな――って言ってやりたいが、ギリギリだな。――いいか、お前ら》
そこで、声音が緊張感を帯びたものになり、
《これからお前らは西側のバリケード班の援護に向かってもらう。が、軍の命令系統に組み込む真似はしねえ。各々の判断で、危険と思ったら即座にこの街を捨てて御陰市の学園まで逃げろ。魔動機二機もありゃ、四人を腕に抱えて離脱するのは容易いはずだ》
御陰市は西側のバリケードの向こう側の道路を辿って行った先に在る。そして学園には高密度の結界が展開されている。もしもの時はそこまで辿り着ければ安全ということだ。
「わかりました」
随分と甘い人である。仮にも駒である自分たちに『逃げてもいい』などと言い付けるなど。六人は思わず苦笑いを零した。
と、そこで敏也が何かに思い当たった様子で、
「あの、ところで玄崎さんはどうするんですか? 指令室で待機ですか?」
《おれか? おれはな――》
◆
「デカブツの始末だ」
たった今停止したジープの後部座席から飛び降りた玄崎の数十メートル先には、魔獣・タイプβが首を擡げた状態で佇んでいた。
街中を走るメインストリート。四車線にも及ぶ幅広の道路。左右にはさほど高くないオフィスビルが並び、多少は圧迫感を覚える。
幸いなことに、タイプαは数える程度しかここには到達していない。どうやら撤退中の部隊が惹き付けつつ掃討し続け、尚且つこちらに向かって来ているようだ。
敵魔動機たちは味方魔動機部隊が空中で応戦中。レーヴェと淡蒼色の魔動機の姿が見えないのは懸念すべきだが、今はそれよりも目の前に集中すべきだ。
「へっ、こいつと戦うには丁度良い舞台だな」
赤き目がこちらを睨み付けつつ見降ろし、その鋭利な牙が鈍く輝いている。
だが、玄崎は怯えていない。その口元が凄絶に歪み、鬼を思わせる苛烈な表情が浮かび上がってくる。
通信機を切り、袖の無いコートのポケットへと乱雑に突っ込む。そして――足元に亀裂が幾重にも入った。
「防御術式展開――『虚構城・司禄』。生成――『虚構装甲・司危』」
光の粒子が迸る。それは、彼が放つ魔力――それも、そこら辺にいる魔術師とは比較にならないレベルでの放出量だ。その圧倒的なポテンシャルを解放したがために、アスファルトの地面に罅が入ることになったのである。
直後に現れたのは玄崎の周囲を浮遊する四つの五角形の盾『虚構城・司禄』。さらに、両手から肘の辺りまでを覆うように出現した黒の手甲『虚構装甲・司危』。
玄崎は戦意を身に漲らせながら犬歯を剥き出しとする。そして、
「――さあ、来いよ、バケモノ。最低でも二匹はおれが片付けてやっからよ」
その挑発に獣は猛る。腕を振りかぶり、目の前の獲物を叩き潰さんとする。
街中に轟音が鳴り響いた。




