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双天の共鳴者  作者: 月山
第二章-2「瞋恚の炎」
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心の機関


 太平洋上に浮かぶ大型客船。

 実際はキメラの本拠地となっているこの船は、結界に覆われていることで外部からは探知され辛く、また、その積載量の多さから多大な物資を搬入することが可能となっている。


 その内部を改造することによって造られた格納庫内では、数十にも及ぶ魔動機と、アナスタシアと呼ばれる未登録の蒼い魔動機が佇んでいる。そしてその機体の足元には、一人の男と年若い青年が居た。


「首尾はどうだ?」


「は、滞りなく。レガリア十機、メシア二十機、それぞれ調整が済み、いつでも火を入れられます」


 部下からの報告に男は凄絶な笑みを浮かべた。


「よし。これだけの戦力があれば心配はいらないだろう。これならお前たちに前線を任せ、あの小娘への返礼を滞りなく行えそうだ」


「しかし、ヴラド様。あなたを手古摺らせるなど、その小娘とは強いのですか?」


 ヴラドレン・ミハイロフ。

 それが三珠市で紫苑と交戦した魔動機・アナスタシアのパイロットの名前だった。

 その問いにヴラドは鼻を鳴らした後、


「いや、そう強くはない。機体は脆弱にして貧弱、小娘自身の動きもマニュアル通りといったところだ。ただ――」


 ヴラドはそこで一度口を噤むと、忌々しげに表情を歪め、


「あの諦めずに飛び掛かって来る勇ましさ。微笑ましくも思うが、同時に酷く不愉快に思える。この手であの鼻っ面を圧し折ってやらねば気が済まん」


「お戯れを」


 部下からの窘めるような言葉にヴラドは苦笑を零した。そして、気持ちを切り替えるように背後を振り返った。


「――で、貴様はそこでいつまで瞑想しているつもりだ?」


 その視線の先には壁にもたれた状態で座り込んでいる男が居た。

 その男は敏也とエリーネが戦った魔道犯罪者・レーヴェ。投げ出された両腕は奇怪な刺青に覆われている。

 レーヴェは仲間からの呼び掛けに片目を開けて一瞥すると、


「……るせえ、頭がガンガンしてんだよ。調整中だ。もう少しかかる。話しかけんな」


 言って、再び目を瞑る。それを見たヴラドは鋭い視線を彼に向けた。


「また思念たちか?」


 その問いにレーヴェは目を開けずに答える。


「ああ、そうだ。取り込んだモンが叫んでやがんのさ。ま、もうじき黙るがな」


 言い終わると、その口元が愉快げに弧を描いた。

 愉しんでいるのだ、己が身を浸食しようとするモノの足掻きを、その叫びを。

 その悪趣味とも言える所業に共感できないヴラドは口元を忌々しげに引き結んだ後、レーヴェから視線を外し、再び部下のほうを向いた。

 そして、


「ジジイはどうしている?」


「ジジ……ああ、あのご老体ですか。今は研究室に籠って世界中にいる部下たちに指示を飛ばしていますよ。なんでも、本命五百の術式を起動させるのだとか」


「ふん、ようやくやる気になったか、ジジイめ」


「それと……」


 部下が言い淀み、黙り込んだ。

 ヴラドの眉根が寄り、その眼が部下を睨めつけた。その視線には、部下にさっさと話すよう促す意図が込められている。

 上官に見られた部下は視線を泳がせた後、言い辛そうに話し始める。


「その……小耳に挟んだ程度のことなのですが……」


「構わん、話せ」


「は。なんでも、ご老体は日本への回収に自ら赴くつもりのようなのです」


「なにっ?」


 その言葉にヴラドは驚き、思わず声を漏らしていた。

 なぜわざわざ組織の頭が前線に出るというのか。

 無論、ヴラドやその部下たる魔動機乗りたちは雇われの身であるため、『キメラ』という反政府組織に対して忠誠心などは持ち合わせていない。が、だからといって件の人物の行動は容認できない。

 頭が潰れてしまえば全てが終わる。それは生き物に限らず、集団にも当て嵌るのだから。


「あのジジイっ、何を考えている。――あいつは研究室だったな?」


「は、――ヴラド様っ?」


 呼び止める部下の声に耳を貸さず、突然身を翻したヴラドは早足で歩き続けた。そのまま格納庫内を横断し、区画を抜ける。

 そのまま狭い通路を歩き続け、何度も何度も角を曲がり、研究室に辿り着いた。


 ヴラドは扉を乱暴に開け放ちながら、


「ジジイッ! 貴様、どういうつもりだ! 自ら戦場に赴こうなど!!」


 その怒号を受けた人物は皮張った手に持っている通信機を机に置き、後方にある扉のほうへと向き直った。

 怪しげに窪んだ眼は不気味な気配を放っている。


「どこから嗅ぎ付けたのかは知らんがな、ワシはそうすると決めたらどのような困難があろうとそうする主義なのだ。貴様がなんと言おうとワシは日本に向かう。異論は認めん」


「ふざけるな! なぜ急にそんな気になった? 貴様が興味を引かれることなど神――」


 そこで、ヴラドはふと思い当る。

 一週間ほど前、レーヴェと自分の報告でこのジジイはなにやら湧き立ってはいなかったか。歳に見合わず、嬉々としていなかったか。

 まさかとは思いながらも、ヴラドは老人を睨みつけつつ、問う。


「貴様、例の赤髪と銀髪に接触する気か?」


 その言葉を聴いた人物は下卑た笑みを浮かべると、ヴラドへ小さな拍手を送った。


「ヒヒ、その通りだ。貴様にしては頭が働いたな? まあ、あそこにその子供たちがいるかどうかは定かではないが、運が良ければ逢えるだろう。実に楽しみなことだ」


 その顔は、隠しきれない凶悪さと醜さに満ち満ちている。

 ヴラドはその態度に対して嫌悪感を隠しきれない。表情を汚い物を見るそれに変え、老人を見据えた。


「わかっているのか? あそこには例の女がいる。それに、その周辺の街には鬼術部隊とやらの一部までな。鬼甲部隊が出てきていないことは懸念すべきだが……。なんにせよ、簡単にはいかんぞ」


「わかりきったことを言うな、小僧。そのために本命を起動させているのだ。魔獣の数が増えれば、部隊を各地へ派遣するわけにはいかなくなる。つまり、これは鬼甲部隊への牽制になるだろう。万事はワシの手のひらの上だよ」


 ほとんど肉の付いていない手のひらを、まるで人をゆっくりと締め殺すように握りしめながら、老人は言った。

 そして彼の背後では、夥しい数の腕が立ち昇り始めている。


 ヴラドはその様を見ながら欠片も怯えず、むしろ敵愾心を抱きながら視線を憎悪に歪ませ、


「化物め」


 たった一言、そう吐き捨てた。



「さ~ってと、報告書も読み終わったし、休憩取るとしますかねえ」


 格納庫内の一画に簡易的に擁立されたスペース、その中に置かれた椅子に座っている玄崎は、大きく伸びをしながら呟いた。

 敏也たちと話をしてから三時間ほどが経っている。

 格納庫入口から見える外へと視線をやると、どこか薄暗くなってきている。どうやら先ほどまでは晴れていた空が曇天へと移り変わり始めているようだ。


「まじぃな。雨が降ってきたら面倒だぞ……」


 小雨程度ならば問題ないかもしれないが、もしも土砂降りなどになってしまえば困ったことになる。

 雨は動きを阻害する。人の感覚器官――聴力を雨音で低下させ、視界を雨粒で塗り潰し、嗅覚すら奪う。

 そんな状態で魔獣と戦うことになりでもすれば、こちらの不利は確実だ。なにせ、魔獣たちは野生の勘とでもいうべきものを備えている。


「ちっ」


 玄崎は舌打ちし、小さな机の上に置いてある報告書へと目を落とした。


 これまでの戦闘において挙がってきた報告には、背後からの奇襲を容易く見破られ、術式による攻撃に耐え、肉体強化で接近戦に持ち込んだ魔術師と互角に渡り合えるほどの個体も、数は少ないながら見受けられたとある。

 バリケードが破られた際に現れた大型の個体。何時間か前に運び込まれた大破状態の魔動機とて、その手強い個体が指揮した群れにやられたそうなのだ。

 そのような現実がある時点で、天候一つといえど楽観視できるような状況ではない。


 政府が定めた呼称は、雑兵レベルの魔獣がタイプα、統率個体とでも呼ぶべき存在がタイプβとなっている。


「九年前と違って進化してやがるな。随分お利口さんになってんじゃねえか」


 玄崎は九年前の戦争に参加していた。そしてその時、幾度か魔獣と対峙したことがあるのだ。

 しかし、その時の個体は全てが雑兵程度の強さ。精々、獣に多少戦闘能力を付与したぐらいの強さだったのだ。当時は、魔獣など魔術師や魔動機にとって脅威足り得なかった。

 だが、今は違う。


「生成技術は全てが破棄された。だが現実、魔獣は生まれている」


 もしや、新たに研究を成就させた人物が居たのだろうか。


「……いや」


 それはない、と切り捨てる。

 過去の戦時において、魔獣に関する研究は膨大な研究費が掛かったと言われている。その上、望んだ結果――魔術師の意のままに操れる幾千の部隊という構想には辿り着けなかったとされていた。

 そんな研究を再び一から始めようとする物好きがいるだろうか。しかも、反政府組織という明確な後ろ盾のいない存在が。

 だとすると、その線は消える。つまり、始めから知っていた人物たちが黒幕であり、既存の術式に改良を加えた、ということになるのだろうか。


「魔獣を造ってたやつの数は限られてるし、その線から辿って行けば黒幕がわかる――んだろうけど、どうせ親父たちや善十郎もそこら辺はわかってんだろうな」


 玄崎はそう言いつつ、椅子の背もたれにもたれかかる。


 情報に聡い彼らから何のアクションもないということは、たとえ黒幕がわかったとて、その居場所がわからない、ということだ。

 今頃、四神の長たちと九条の姫君は、強固な結界に護られた九条家の本拠に立て籠っているのだろう。いや、立て籠もるという表現はどこか違う。彼らはそこから出ることは滅多にないのだから。


「たまには頭数として力を貸してくれたっていいんじゃないですかねえ、親父殿」


 肩を落としながら呟くものの、それが彼らに届くことは決してありはしなかった。

 そんな愚痴に似た言葉を零してしまうほど玄崎は不満を抱いている。それは、こんな場所に押し込められていることに対してである。


 七日前に襲撃が起きた際、玄崎は率先して首都近辺の魔獣の駆除に当たっていた。

 だが、魔力を使い果たし、人員運搬用のトレーラーの陰で休憩を取っていた彼に届いた辞令は、この街の守護に就くようにとのことだった。


 初めは意味がわからなかった。

 一応は第一師団の二番である自分が抜けてしまえば、どれほどこの部隊の戦力が落ちるか誰の目にも明らかなはず。そもそも、生成術式を探し、それを破壊しなければならない今の状況で、今この時に、なぜ。

 その疑問は、要請者の名前を知って晴らされた。


 楠瀬燐火。大戦の英雄。玄崎たちの元上官。


 彼女が玄崎をここの守護に就けるようにと、お上に掛けあっていたのだ。その上、直通回線で玄崎に連絡さえも取ってきた。

 その時、彼女はモニター越しに、


『護ることに関しては君が一番だと思ったのでね、指名させてもらったよ。それと近々、私の実験に参加している二人の子供たちがその街へ向かう。よろしくしてやってくれ。なにせ、随分と繊細な二人なんだ』


 と、言っていた。その表情を玄崎が知らないような穏やかな物にして、その二人を慈しんでいるように、見守ることを楽しむように。


 誰だあんたは――と玄崎はその瞬間、思っていた。

 モニターに映る彼女は、確かに楠瀬燐火だ。髪は短くなっているが、いくつもの戦場を共に駆けた戦友のその容姿を見間違えるはずがない。

 だが、その安らいだ表情が、柔らかくなった口調が、過去の楠瀬燐火と結びつかなかったのだ。


 その拳で敵の頭蓋を握り潰した戦鬼。


 塵になるまで敵の体躯を焼いた悪鬼。


 熱波に翻るあの長い蒼髪を、その鬼気とした気配を放つ後ろ姿を、愉しそうに歪む口元を、玄崎は片時として忘れたことはなかった。否、忘れることなどできなかったのである。それほどまでに脳裏に焼き付いた強烈な光景だったのだ。


(この九年の間に、いったい何があったんだ)


 あの鬼のような女性が、今はまるで普通の女性であるかのような雰囲気を伴っていることが、どこか非現実的な感慨を玄崎に抱かせていた。

 結局、玄崎は断り切れず、そして彼女に幾度か命を救われた恩義のある彼はそもそも断る気がなかったため、大した不満は漏らさず了承し、この街に向かったのである。


 ただ、任務を受けた理由はそれだけではなかった。

 楠瀬燐火が気に掛けている二人の子供たち。それが気になった。戦いに明け暮れていた彼女が新たに興味を抱いた存在とは何なのか、知りたかったのだ。


 出会ってみれば、普通の子供だった。片方は外国人だったため、多少は驚いたものの、それを悟られないよう玄崎は極自然に振舞っていた。


 接していると、確かに世話を焼きたくなる危なっかしさを二人は持っていた。それを決定づけるかのような出来事もあった。

 つい先日の戦闘で、彼らは部隊長の命令に従い、市街地に市民の救助に向かったというのである。


 馬鹿か、と後でそのことを知った玄崎は思った。


 部隊長の咄嗟の判断は正しい。冷静で、軍人として真っ当な思考回路に基づいた部隊の運用だと思われる。

 戦力となるかわからない不確定要素である学生を後方である市街地に向かわせるというのは間違っていない。バリケード修復に向かわせるよりはよっぽど安全だっただろう。


 だがしかし、命の危険があるのは市街地だろうとバリケード周辺だろうと同じだった。だからこそ、そんな命令に馬鹿正直に従った彼らに憤ってしまった。

 いくら命令だからとて、ペーペーの新米である彼らが命を掛けなければならない道理など有りはしない。有ってはならないのだ。


 彼らのその行動は使命感からなのか、それとも命令だからなのかはわからないが、これ以上学生である彼らを危険な目に遭わせたくはないと、玄崎は思ってしまったのだ。

 ゆえに、玄崎は彼らを格納庫周りの見回りに配置したのである。


「我ながら甘いな」


 そう自己評価することでその思考を断った玄崎は、次いで本来所属している部隊のことへと思いを馳せた。


 鬼術部隊の実質的な頭である断神善十郎は、和葉と優葉や他の部下たちを引き連れ、今ごろ山中を駆け回っているはずだ。


 その目的は、魔獣の生成術式の破壊。


 七日前から昨日までの時点での定期連絡では、およそ二十ほどの術式の破壊に成功したとのことだった。その一報を聴いた時、さすがは隊長と双子たちだ、と玄崎も喜んだものである。

 それだけを聞けば僥倖と言える。なんなら手放しで喜んでも良い。

 だが、


「術式ぶっ壊してんのに、どうして魔獣の数が増える?」


 そこが気掛かりだった。

 本来なら、生成術式を破壊していっているこの状況ならば、襲ってくる魔獣の数は減っているべきだ。

 無論、術式を破壊するまでにすでに生み出されていた個体が大挙して押し寄せてきた、ということも考えられる。むしろ、そう考えた方が腑に落ちるというもの。

 しかし、どこか引っ掛かるのだ。脳裏に、頭の隅に、気持ち悪さを生む何かがあり、納得させてくれない。

 この感覚は、どこか戦場での閃きに似ている。


「嫌な感じだ。こういう時は決まって何かが起きる……」


 苦々しげな表情の玄崎は重い腰を上げ、立ち上がった。


(指令室に行って状況を逐一見るか。その方が精神衛生上、大分ましだ)


 とは言っても、ここで延々と悶々としているよりかは、だが。

 思い立った玄崎は足を動かし、格納庫横にある治安維持部隊詰所、その内部にある指令室へ向け、歩いて行った。



 エレベーターに乗り、地下数十メートルまで降りた玄崎は、ようやく指令室前に着いていた。

 扉の前に立つと、隔壁と見間違うほど強固な扉が割れ、音を立てて左右へ開いていく。


 部屋の中に入ると巨大なスクリーンが正面にあり、その手前には小型モニターの前で椅子に座っているオペレーターが幾人も見受けられた。彼らは現在、レーダーに敵の機影が映らないか、もしくは未登録の魔力反応が検知されないかを注視しているのだ。

 玄崎は彼らを一瞥しながら指令用の席へと向かい、そこまで辿り着くと腰を落ち着けた。

 そして、


「何か変化は?」


 玄崎がおもむろに漏らした問い掛けに、一人のオペレーターが答える。


「いえ、特には。昨日と変わらず、バリケードの向こう側で魔力反応が蠢いています。……映像、ご覧になりますか?」


「……観よう」


 少々顔色の悪いオペレーターからの申し出に、玄崎はどこか嫌な予感を覚えながらも頷いた。するとオペレーターがコンソールに指示を打ち込み始め、数秒後、


「うげっ、きしょくわりぃな、おい」


 玄崎は率直にそれを言い表していた。

 巨大なスクリーンに映し出されたのは、この街の東側にある国道、それを塞ぐように配置されているバリケード前の映像だ。正確には、バリケードの手前から向こう側を映しているのだが――


「御覧のように、向こう側の道路は魔獣が埋め尽くしております。まったく壮観ですね、悪い意味でですが」


 バリケードの装甲の隙間からは幾千もの赤い目が絶え間なくギョロつき、ガタガタとバリケードを揺らし、おどろおどろしい鳴き声が絶え間なく聴こえてくる。それはまるで、何人もの亡者が身体に縋りついてきているかのような光景だった。


 もちろん攻撃は行っている。上空からは魔動機による射撃が、地表からは魔術師による術式攻撃が炸裂している。が、それでも次から次へと現れてくる。これはつまり――


(まず間違いなく、この街の近くに生成術式の一つがある)


 と、確信を持てたとしても、ここを離れて山中に突っ込んでいくわけにもいかないため、玄崎は焦燥に暮れていた。

 その映像を見つつ、オペレーターからの発言に、生気の籠っていない声で皮肉られても困る、と思いながらも玄崎は「そうだな」と肯定した。

 次いで、


「バリケードの状態はどうなんだ?」


「健在……と言いたいところですが、いくつかの部分に摩耗が見受けられます」


「ま、さすがにこの数だしな」


「はい。これでは持って半日、といったところでしょうか」


 その少なすぎるおおよその時間に、玄崎は溜息を吐かずにはいられなかった。


「そうすると、晩にはまた破られるってことか」


「そうなりますね。あくまで目安ですが」


「ふむ……」


 玄崎は顎に手を当て、思案顔になって黙り込んだ。

 今の内に部隊の状態を整えておくことは急務と言っていいだろう。魔術師のコンディションの調整、軍に所属している魔術師にはフラッシュバンやスモーク弾を補給したほうがいい。それに加え、魔動機の整備や装備の点検など、やることは山ほどある。


 そして各部隊の配置を今一度吟味し直しておくことも必要だ。先ほど敏也に言った『想定が甘かった』は決して軽口などではなかった。これほどまでの数の魔獣が現れるとは、当初、夢にも思わなかったのだ。


 件の出来事は玄崎の鈍っていた勘を揺さぶり、その心に戒めとして刻まれている。

 昨日のように、市街地に侵入されるような事態に陥ってはならない。


 そこで、バリケード前の映像からこの街の全体映像へと映り変わったスクリーンに目を向ける。


「バリケードを避けてくるやつらは殲滅出来ているんだな?」


「はい。街の外周部にある山間部に配置した部隊は、黙々と魔獣を倒し続けていますよ」


「それは良い知らせだな。ここに来てから一番嬉しいぜ」


 快活な笑みを浮かべながらの言葉に、オペレーターは苦笑いで応える。


 この街は東側、西側に延びる国道を除くと、他は海と山に囲まれている。

 いくら国道をバリケードで塞いでいるとはいっても、海を泳いで乗りこんでくる個体や山間部を突っ切って侵入しようとしてくる個体もいるのだ。そんな個体を屠るため、いくつかの部隊は沿岸部と山間部に配置してある。


 特に、山間部の部隊は重要だ。なにせ、山を越えて来られると、すぐ目の前にここ、治安維持部隊詰所と市民が避難したシェルターがあるのだ。

 ここを墜とされてしまえばシェルターは壊され、この街は実質的に壊滅する。ゆえに、山間部には相応の実力と長時間の戦闘に堪えられる持久力を持った部隊に任せている。


 玄崎は大きく肩を落としながら椅子に身体を預けた。大柄な体躯が遠慮なく圧し掛かった事で、椅子は大きく悲鳴を上げる。


「さてさて、おれも出撃の準備を整えますかね」


 そう呟いた玄崎の目は、それまでののほほんとした目つきではなく、煌々とした輝きを宿していた。



「暇だ」


 声の主は敏也。やる気もなさげに両足を交互に前へと突き出し、格納庫周りをかれこれ三時間近くも歩き続けている。

 異常――そんなものは見当たらない。

 そもそも、この街の公的機関の本拠地たるここに、そうそう問題が発生していいはずがないではないか。


「とか面倒そうにしつつも、エリーに『俺が見回り続けとくからお前は休んでろよ』とか言っちゃう辺り、おっとこ前だよねぇ?」


 隣を歩く奈々からの揶揄に、敏也は言葉を発しはせず、渋面でもって応える。


 敏也が一しきり泣いて――本人は頑なに認めなかったが――から四人は見回りを再開し、それからずっと異常の見当たらない敷地内を歩き続けていたのだ。

 当然、同じ作業を反復し続けることによって発生するストレスや、両足に溜まってくる乳酸の量といったら、なかなかに堪え難いものだった。


 そして、最初に疲労を顔に出したのはエリーネだった。


 他三人は肉体強化という反則染みた手があるため、いざとなればいくらかは誤魔化しが効くのだが、エリーネはそうはいかない。

 おまけに夏前であるためか気温が高く、その額には汗が滲み、顔色も心なしか悪くなっていた上、足取りもどこか重くなっていた。


 そこで、彼女の体調の変化に即座に反応したのが敏也であり、さっと彼女の手を引っ張って格納庫内の涼しい場所へと連れて行ったのだ。

 その手際の良さと言ったら、小賢しさに定評のある奈々が呆気に取られてしまうほどのものだった。


 ちなみに、マサルは見回りの効率を良くするため、二人とは別行動を取っている。

 奈々は腕組をした状態で、うんうんと頷き、


「いやはや、敏ちんもやるようになったもんだねぇ。出会った当初は素直になれない捻くれたガキンチョだったのに。……もう、わたしから教えることはなにもないよぉ」


「教えられた覚えはねえし、お前と俺が同類みたいな言い方やめろ。謂われ無き批判を受けそうだ」


「あはっ、いいじゃんいいじゃん。一緒に馬鹿やろうぜぇ?」


 まったく悪びれた風もなく楽しそうに顔を綻ばせる奈々に、敏也は深く溜息を吐きながら視線を遠くの曇り空へとやった。


「馬鹿……かぁ」


「どしたん、敏ちん。じい様みたいに人の言葉を感慨深げに反芻しちゃってさあ」


「ご老人みんなが感慨深げに呟くわけじゃねえだろ……」


 呆れた調子でツッコんだ後、敏也は目を細めた。


「いやさ、三珠市で戦った時はさ、正直死ぬこと覚悟したし、実際死ぬ一歩手前だったから。それに、お前らが駆け付けてくれた後に、学園から『魔獣が現れて世界中がパニックに陥ってる』って連絡が飛び込んできただろ? そういうことがあったからあの時は、また戦争になるのかって俺、本当は心配だったんだよ」


 そこで敏也は一度息を整え、


「……だから、こうやって曲りなりにも普通にしてられることが何か不思議でさ。もう今までみたいに過ごせないんじゃないかって、そんな不安があったんだよ」


 そう言った後、敏也は長い息を吐いた。まるでこれまで溜めこんでいた空気を根こそぎ吐き出すように、身体の中に溜まった良くないものを追い出そうとするように。


 敏也の告白を聴いた奈々は、どこか暖かな眼差しで隣を歩く敏也を見ていた。

 そして、


「それが普通の感覚なのよ」


「え?」


 声音が変わった。飄々とした軽い感じではなく、どこか大人を思わせる女性の声に。

 突然声変わりしたかのようにテンションが移り変わった奈々に、敏也は目を大きく見開いていた。そのままパチパチと数回瞬きしつつ、困惑し続けている。

 対して奈々は、先ほどまで向けていた視線を敏也から外し、ただただ前方の景色を見据えていた。


「人は日常を望む。平穏で心温まる日常をね。それはみーんな同じ。誰もが安寧を求め、その手を高みへと伸ばす。でも、『世界』という人のうねりはそれを許してくれない」


「……」


「人は足を引っ張り合い、憎しみ合い、何度も過ちを繰り返し、その身を削ってきた。犠牲の上に成り立っている世界だということを忘れ、また屍の山を築き、それが今度は新たな大地となる。それを踏み台として、人は上を目指す」


 それは、延々と繰り返されてきた戦いの歴史のことを言っているのだろうか。


「でも、それは高みなんかじゃない。それは――う~ん、全部わたしが言ってしまうとつまらないし……どういうことか、わかる? 敏也」


 呼び方すらも変わっている。それに驚くものの、敏也は頼りない頭をフルに使い、適切な答を考える。

 それからたっぷり十秒後、思い付いたことを口にする。


「『上』に向かってるんじゃなくて『下』に落ちてるんだろ? 『堕』ちるって言ったほうがいいかもな」


 敏也のその答に奈々は口元を綻ばせ、満足げに頷く。


「そう、そうだよ、敏也。上を目指しているはずなのに、人の品性はどこまでも堕ち続けている。だって人はどこまでも愚かに成れるから、他者を傷付けることが出来るから、どこまでも堕ちて往けてしまう」


「償うべき者が裁かれない世界……」


 いつか、海堂というテロリストが言っていたこと。


『償うべき者が裁かれない、こんな世界のどこが正しい。どこが美しい』


 過去の事件を引き起こした者たちがのうのうと生きていることへの憤りから生まれた怨嗟の声。被害者たちの叫び。


 今、自分たちがいるこの世界は、誰もが目を逸らし、目を瞑っている世界。

 だって、目を開けるのは辛いから。もしも目を開けた先が地獄だったら、哀しすぎるから、辛すぎるから。だから、目を瞑っていたほうが楽なのだ。


 ――心と、その近くにあるモノが疼く。


 でも、違う。それは間違っている。それは生きているとは言わない。生かされているだけだ。自分の足で歩いていない。『生きている』と言ってはいけない。


「――そんな世界は間違ってる」


 前にある何かを見詰めている敏也が急に発した力強い声に、奈々は少々驚いた様子で彼を見たが、小さく笑みを零すことで気を取り直して再び口を開いた。


「それがあなたの考え方なのか、それとも別の人の受け売りなのかは知らないけど、その通りだよ。この世界は偽りが多すぎる。人に冷たく成れ過ぎてしまう。――だから」


 奈々は視線を敏也に向け、気付いた彼の視線とそれがぶつかった。


「あなたが日常を尊く思い、身近にいる誰かさんを大切に思う気持ちは至って普通で、至極当然で、……でも、とても綺麗なものなのよ。どんな宝石よりも、美しい景色よりも輝いている。それこそが、人の最も尊ぶべき心の機関だから」


「……八咫神」


「だから、それを決して失くさないで。手放さないで。血の繋がりなんて無くたって、あなたたちは繋がっている。――ここがね?」


 奈々はそう言って敏也の前方に回り込んで、彼の胸の中心を人差指で突いた。

 敏也は特には抵抗せず、立ち止まったまま、目の前に佇む小柄な少女の動向を見守っている。


「あなたが例の実験でどんな力を得たのか、それはわたしの伝手では掴めなかったけど、第三交易都市で感じたあなたとエリーネの力はとても穏やかだった。……見た目は派手だったけどね?」


 お茶目にウインクしながら舌を出した奈々に、敏也は肩を竦めながらどこか呆れ顔になった。

 その反応が不満なのか、奈々は少々むくれながら続きを話す。


「まったく……エリーネ以外には反応が薄い男ね。呆れちゃうわ。……と、話が逸れてるわね。――その力はきっとあなたたちの『先』を切り開いてくれるわ。もちろん、あなたたちが使い方を誤らなければだけど」


「間違えるわけねえよ。つーか、どうせお前、その口ぶりだと俺の生い立ちをくまなく調べ上げてんだろ?」


「もちろん」


「だったらわかるだろ。――俺は間違えたりしない。あんな化物を生みだした奴らと同じ『間違った選択』なんて、俺はしない」


 各所に痛ましさを散りばめたその宣言に、奈々は哀しそうに目を伏せた。が、すぐに面を上げ、その怪しげな光の灯った瞳で敏也を見た。


「そうね、そうよね。あなたは間違えはしない。これまで何度も間違えてきたんだから」


「うっ」


「何度もなーんども、エリーネを傷付けてきたものね?」


「ぐぅっ」


 奈々の小悪魔的な表情から放たれる情け容赦のない糾弾に、敏也は胸を襲う痛みに堪えながら立ち続ける。ただ、その顔は苦渋に満ちており、その膝は今にも屈してしまいそうなほど震えている。


 それを満足げな眼差しで見届けた奈々は、表情を緩め、


「虐めるのはこれくらいにしてあげましょうか。――いい、忘れちゃ駄目よ、敏也。頭で答を探すんじゃない、心で探すのよ。それがきっと、悩めるあなたにとって一番正しい答だから」


「頭じゃなくて心って……それ結局一緒じゃねえか?」


 敏也の発した疑問に、奈々は笑みを増やす。


「フフ、違うのよ。厳密には一緒だけど、込められた暖かさが違う。それにね、誰かを大切に想う心は、いつだって一つの方向を向いている。光の差すほうを。だから、大切な誰かにとって一番正しい答を見つけ出せるの。……これは、言わなくてもわかるわね?」


「……」


「よろしい。……わたしが言いたいことはこれくらいかな。何か質問したいこととかある? そろそろ疲れてきたからいつもの調子に戻ろうかと思うんだけど」


 肩よりも少し上あたりで切り揃えられている髪を弄りながら奈々は言った。それを聴いた敏也は不機嫌そうに眉を寄せた状態で止まった。

 これまでの遣り取りで手玉に取られたような悔しさを感じていた敏也は、八咫神が返答に困るような質問をしてやろう、と思い、今必死に内容を考えている。

 そして、ようやく思い付いた敏也はニヒルな笑みを浮かべながら奈々に言う。


「お前はいったい何だ?」


 これは答に困るだろうなー、と敏也は質問をした直後に思っていた。

 なにせ、あやふやというかふわふわしているというか、どこか哲学めいた問いだ。よほどふざけた雰囲気であれば『人間』や自分の名前を答えて誤魔化すのだろうが、こういった真面目な雰囲気の時に出すには意地悪な問い掛けである。


 だが、奈々は答に窮しはしなかった。

 その笑みを凍り付かせ、どこか冷めた眼差しになり、でもどこか、顔に悲しみと申し訳なさを滲ませている。冷徹で在りながら、儚さも感じる佇まいだ。


 答は、奈々が表情を固めた直後に紡がれた。


「咎人の子」


「……え」


「この話はこれでお終い。あと、わたしのこれは絶対に誰にも言わないこと。いいわね。――さ~ってと、敏ちん! 張り切って見回りしようぜぇ!」


 敏也が意味を問い質す前に奈々はいつもの調子に戻り、いつものようにはしゃぎ始めていた。そのままズンズンと前へと歩いて行き、敏也から遠ざかって行く。


 わからなかった、何もかもが。

 なぜ、八咫神は突然真面目腐った態度になったのか。

 なぜ、八咫神は自分に忠告をしてきたのか。

 最後の『咎人の子』とはいったいどういう意味なのか。

 わからなかった。


 その代わり、去っていくその背中が辛そうな気配を放っていることがどことなく理解できてしまう。しかし、自分が彼女にしてやれることが今は何もないことが口惜しかった。


「……逃げんなよ、アホ」


 忌々しげに、でも半分は寂しげに敏也は呟き、奈々の背を追った。



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