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双天の共鳴者  作者: 月山
第二章-2「瞋恚の炎」
53/126

心が弱くても進む

 朝食を食べ終えた六人は一度自室に戻り、それぞれ身支度を整えてホテルの受付前に集まっていた。

 そして全員が集まり終えたことを確認し、鍵を受付に預けようとしたのだが――


「あの、一ついいっすか?」


 他の五人が鍵を返し終えた後、敏也が鍵を渡しながら昨日出会ったホテルマンにそう声を掛けていた。にこやかな笑みを浮かべたホテルマンは表情を変えず、


「なんでしょうか?」


「あー、大したことじゃないんですけど。あなたってシェルターとかに避難しないんですか? いくら軍がいるからってこの街、結構危ないと思うんですけど」


 それは、ここに来てからずっと疑問として頭の中で燻っていた物だった。

 外には魔獣が溢れているし、いつ昨日のようにバリケードが突破されるような事態に陥るかわからない。であるのに、このような場所でいつも通り職務を全うするなど、どこか不自然だったのだ。


「ああ、そのことですか」


 敏也のその問いにホテルマンはさらに笑みを深める。


「問題ありません。なにせ、わたしは一応魔術師ですので」

「え、そうなんすか?」


「ええ。この街が一週間前に魔獣に襲われた時もわたしは戦いました」


 つまり、学園もしくはそれに準ずる教育機関を卒業したものの軍や治安維持部隊に入隊せず、一般職に就いたということだろうか。しかも、そうだとすると人間としては水準以上の力量を有しているということになる。


「でも、治安維持部隊とかのほうが賃金良くないっすか? なんでわざわざ一般職に?」


 当然の疑問として口にする。

 命の危険に晒されることがある治安維持部隊はそれなりの給金を貰っている。少なくとも、一般職に就き立ての時点でそれよりも多いことは確実だ。

 なのに、なぜ。


「決まっていますよ。道は一つではないからです」


 それは落ち着いた大人特有の声音だった。


「あなたは敷かれたレールの上を歩く人生で満足出来ますか?」


 敷かれたレールを歩く人生。確かにそれは楽だ。楽過ぎて欠伸が出てしまう。でも――


「……多分、無理です」


 それはどこか寂しい生き方だ。最初は良くても、後々きっと心に穴が開く。


「左様でございますか。結局のところ、わたしはそれが堪えられませんでした。だからこうして自分で道を選んだ。それだけです」


「そうですか」


 敏也は思案顔でそう呟いた。

 自分で道を選ぶ。それはきっと困難な歩みだ。

 道標もなく、先導者も居らず、暗闇の中を彷徨い歩く――それが自分で道を選ぶということなのだろう。手探りで進む茨の道、それはどれほど過酷なのだろうか。


(そのうち、俺もそういうのを選ぶ日が来んのかねえ)


 などと、敏也がそんなこと考えていると、


「大神くん、もう行きますよ? 何やってるんですか」


 受付から少し離れた地点で五人が敏也を待っていた。マサルはイラつきを散りばめた渋面、奈々はニヤついたファニーフェイス、大河は平常運転、紫苑は眠そうに目を擦り、エリーネは笑顔で小さく手招きしている。

 それを見た敏也は近くで見なければわからないくらいそっと微笑み、ホテルマンのほうを向いた。


「ありがとうございました。お話、参考にさせていただきます」


「お役に立てたのなら何よりです。――お気を付けていってらっしゃいませ」


 その背中を押すような優しさを身に受け、敏也は足を動かした。



 治安維持部隊兼日本軍の駐留所となっている格納庫に着いた敏也たちを待っていたのは、現在この一帯の部隊の指揮を纏めて担っている一人の大男だった。


「よう、若い衆。今日も朝からご苦労なこったな」


 にかっ、と人の良さそうな笑みを浮かべつつ、右手に報告書、左手には中に並々と液体が満ちているコーヒーカップ。さらには、丈がやや長めなくせに袖の部分が異常に短いコートというどこかちぐはぐな格好の大男が、敏也たちの目の前に佇んでいる。


 名を玄崎総司くろさきそうし。鬼術部隊から『出張』という形でこの街に派遣されている高位魔術師である。


 彼は何故か第十班――とりわけ敏也とエリーネのことを気に掛けているようであり、こうして姿を見掛けることがあると度々ちょっかいを掛けてきていた。


 初日には出会い頭に肩を組む――と見せかけたチョークスリーパー。激励のため背を叩く――と見せかけた超威力の張り手など、その悪気のない暴虐には限りが無い。敏也は首を痛め、危うく地面に顔を減り込ませるところだったことは記憶に新しい。


 ちなみに、敏也とエリーネを除くメンバーたちは被害を受ける前に離れた場所へと避難している。そのことにやっと気付いたエリーネが「あっ」と出遅れたことを後悔するように声を漏らした。


 一方、玄崎のその人懐っこい態度にどこか呆れた調子の視線を向けているのは敏也だ。敏也としてはこの人物に悪い印象を持っていないため、多少のブレーキの効きの悪さには目を瞑っている。


「相変わらず危機感がないっすね、玄崎さん。昨日あんだけ街中に攻め込まれたのに」


「うむ、想定が甘かったとしか言いようがないな、がっはっはっは」


「笑いごとじゃないっすからね!? 俺たちどころか一般人まで死に掛けたんですよ? そもそも、もっと前もって市民を避難させていればこんなことには――」


「まあ待て待て、大神。そうカッカすんな」


 敏也が溜まった鬱憤を半分ほど発露したところで、玄崎がコーヒーカップを持った手を揺らすことで彼の発言を止めた。そのせいで中身が零れ、格納庫内の床をびしゃびしゃと汚したことをここに付け加えておく。

 そのことに玄崎は意識がいってないようで、変わらず笑みを浮かべている。


「いいか、大神。おれだってな、あんなことになる前に市民を避難させたかったさ。でもな、予算は最低限に抑えるよう親……じゃねえや。お上からお達しがあったんだ。ほら、シェルターの運用費とか食料うんぬんとか、いろいろ金が掛かるだろ? そのせいで危機に陥るまでシェルターは使えなかったの」


「そういうのって独断でやっちゃ駄目なんですか?」

「駄目」


 言って、ずずっとコーヒーを啜る。


「お前らみたいな命令系統に正式には組み込まれていない学生ならどうにでも誤魔化せるけどな、おれたちみたいに正規に組み込まれてる部隊でそういうことすると首が飛ぶんだよ。このご時世だと、下手すると物理的に、な」


「じょ、冗談っすよね?」

「マジ」


 言った後、再びコーヒーを啜る。


「特におれは鬼術部隊っつー、お上のお膝元だからな。普段好き勝手やってる分こういうところで真面目にやらにゃあ、マジで処刑もんだ」


「うっへえ、鬼術部隊って怖いとこっすね。エリート部隊って聞いてたからちょっと憧れてたんですけど……」


「お、それホントかっ?」


 敏也のその発言のどこに感銘を受けたのか、玄崎は身を乗り出すように身体を揺らした。その反動でコーヒーカップから中身が零れ、左手の報告書が濡れたことを記しておく。


「いいぜいいぜ、来いよ。なんなら親……お上におれが口添えしてやるよ」


「え、マジですかっ? いやっほー! これで俺も高給取り――」


「大神くん、そんなズルしたら私……嫌いになっちゃいますよ?」


「お、おう。もちろん冗談だよ? ちょっとしたお茶目だから、な?」


 『誰を』『何を』という点を口に出さずとも、エリーネが隣で醸し出している咎めるような雰囲気を前にすると、嫌でもそれに気付いてしまうというものだ。敏也は冷や汗をかきながらエリーネを宥め始めた。

 と、その様を愉快げに笑って見ていた玄崎が口を挟む。


「そうだ、なんならフリートハイムもどうだ? 大神と一緒によ。心配しなくてもちゃあんと二人纏めて面倒みてやんぜ? 外人枠が一つくらいあってもいいとおれは思ってるしな」


「……魅力的なお誘いですが、まだ私たちはそういった進路を決める時期にありませんので」


 どこか迷う素振りを見せながらもエリーネはきちんと断りを入れていた。それを聴いた玄崎は「そうかそうか」と欠片も落胆を示さず頷き、


「そうだな。お前らはまだ若い。おれも若い時はふらふらしたもんだしな。ゆっくり決めるといい。ま、気が変わったらおれに連絡しな」


 そう言いながら報告書から左手を離すと懐に突っ込み、コートの内ポケットから名刺を二枚取り出して敏也たちに差し出した。が、足元に広がっているコーヒーの絨毯の中へと報告書がダイブしたことは言うまでもない。

 気にせず、差し出されたそれを敏也は受け取りながら、


「『鬼術部隊第一師団、副隊長、玄崎総司』……ですか。電話番号もあるし」


 エリーネも遠慮がちに受け取ったが、その名刺の右下に記されたマークを見た途端、眉間に皺を寄せた。


「この花のマーク――九条家の家紋……ですか?」


 キキョウをあしらった家紋。


「お、よく知ってんなあ」


 エリーネのその発言に嬉々として玄崎は反応し、一歩前に踏み出した。そのせいで足元にある報告書が踏み躙られてしまったことを決して忘れてはならない。


「おれたち鬼術部隊はその家紋を名刺とかに記すことを許されてんだよ。このマークがありゃあ大概の機関で好待遇として扱ってもらえるからな。もっとも、正式な部隊証があるにはあるんだが」


「それってこれのことっすか?」


 と、敏也がごそごそとポケットから黒いカードを取り出した。それは以前に博士から貰ったカードだが、その様相はポケットの中で擦れてしまったためか掠れてボロボロで、どこか悲壮感を醸し出している。

 エリーネはそれを見た途端柳眉を吊り上げ、


「大神くん! 大切なカードなのに、どうしてポケットなんかに直に入れてるんですか! ほら見てください、こんなにみすぼらしくなってしまって……」


「いやさ、ほら。戦闘中に財布持ち歩くわけにもいかないし、カードケースとかもないからさ、ポケットに入れてたんだけど……こうなってしまいました、マジごめんなさい」


 敏也の申し訳なさそうな態度にエリーネは溜息を吐き、


「はぁ……少し考えればこうなることはわかるでしょうに。……今度、名刺入れでも見に行きましょう。財布と違ってコンパクトで持ち運びやすいでしょうから」


「ほんと? 俺、そういうの選ぶセンスとか無いから助かる」


「ええ。でも仕方なくです。大神くんは世話が焼けるんですから、もう」


 などと二人が話していると、


「あー、仲が良いのはおじさんからすると大変よろしいんだが……そろそろ発言してもいいか、若人たちよ」


 玄崎が控えめに声を掛けながら苦笑いをしていた。そのことに気付いた敏也とエリーネは揃って「あっ」と零し、素知らぬ顔で居住まいを正した。そして敏也が促す。


「どうぞ」


「あ、ああ……でだ。確かにそのカードはうちの部隊証だ。まあそのカードのランクは最低みたいだから、精々職質を真っ向から拒否したり、タダで宿泊先を手配できる程度の権限しかないがな。でも、なんでお前らが持ってんだ?」


 玄崎の訝しげに眉根を寄せながらの発言に、敏也は自身の腰に下げてある鈍い紅色の鞘に触れながら至極普通に答える。


「いえ、俺たちの関わってる実験の責任者の人に貰ったんですよ。この刀――炎刀っていうんですけど、これ、いろいろ事情があって実体化を解除できないんです。で、持ち運ぶときに便利だろう、って。な、エリーネ」


「ええ、概ね間違いありません」


 敏也は自身の発言内容に信憑性を持たせるためにエリーネに同意を貰った。聞いた玄崎は考え込むように唸り、


「ふ~む。それはつまり、燐火さんから貰った、ということか?」


「りんか……さん?」

「誰ですか、その人物は?」


「あら、知らねえのかお前ら。お前さん方が世話になってる実験の責任者といったら、楠瀬燐火だよ。それ以外に燐火なんて名前の奴はおれの知り合いにいねえぞ」


「えっ、まさか博士の本名だなんて。私、初めて聴きました」

「だな。あの人名乗らねえし」


 敏也とエリーネは感心したような表情になった。それと同時に脳裏にある思いが過る。


(博士の知り合いかあ。どういう関係なんだろ?)

(博士の知り合いですか。どんな関係なんでしょう?)


 気になり始めたら訊かずに居られないのが人情というものである。それに加え、博士とどこか親しい関係を暗に示している言動に、多感な年頃の二人は食い付いてしまったと言ってもいい。

 ゆえに、敏也とエリーネはどこか期待を込めた視線を玄崎に向け、


「あの、博士とはどういった縁で知り合ったんですか?」

「言えねえ」

「え?」


 間髪入れずに返された言葉に敏也とエリーネは呆気に取られた。そんな二人を見た玄崎は申し訳なさそうに左手で頭を掻き始め、


「わりいな。おれとしては教えてやっても良いんだが、燐火さんは自分に関する噂話とかが嫌いでな。こそこそ言い触らしてんのがバレたら殺られるかもしれん」


「そんなことすんのかなあ? あの人って昔はそんなにおっかなかったんですか?」


「ああ」


 玄崎は返事をした後、青い顔になった上ガクガクと身体を振るわせ始めた。

 大の男がそのような状態に陥るのは非常に情けないと普通はそう思うのだろうが、彼の放つ雰囲気はそういった悪感情を感じさせないほどに一線を画すものだった。


「あの人は怒るとホント怖いんだわ。容赦が無くなるというか、リミッターがぶっ壊れるというか。完全にキレると突飛な行動を取ったりするしな。とにかく、お前らもあの人だけは怒らせないようにしろよ」


「一体何があったんですか。仮にも大部隊を預かるあなたがそれほど怯えるなんて」


「うんうん、怒った女性ってほんっとーに怖いっすよね。わかりますよ、玄崎さん」


「おお、わかってくれるか、大神。さすがは燐火さんの秘蔵っ子だ」


 エリーネの言動はそっちのけに、男たちはガシッと握手を交わし、互いの不幸を認め合っていた。二人は過ぎ去りし日々の過酷を思い出してしまったのか、その頬を涙が駆け抜けていく。

 が、


「お・お・が・み・くん? それはどういう意味ですか? 私、頭があまり良くないのでわかりません。一言一句、丁寧に解説して頂けますか?」


 修羅が居た、すぐそばに。否、その身から魔力と怒気を漂わせながら額に青筋を浮かべているエリーネが居た。

 敏也は顔面を蒼白にしながら弁明を始めた。


「っ――冗談だよ、エリーネ。いやあ、エリーネほど魅力的な女性は居ないよね! スタイル良いし! 基本的に気立てもいいし! 嗚呼、俺、エリーネと一緒にいられて幸せだなー」


「そ、そうですか? もうっ、褒めすぎですよ……」


 エリーネは頬を赤に染め、恥ずかしそうに身を捩っている。


「なんて扱いやすいんだ、こいつ」


「――何か言いましたか?」


「イエ、ナンデモナイデス」


 敏也は思わず零した失言を誤魔化そうとしたが、片言だったのが不味かったのかもしれない。エリーネは抉ろうとするかのように鋭い視線を彼に向けている。対して敏也は泣きそうになりながら「ごめんなさい」を連呼し、顔を逸らし続けている。


 玄崎は豪快に笑いながらその光景を眺め、


「がっはっはっは! フリートハイムも燐火さんの秘蔵っ子なだけはあるな! ……おっかねえわ」


 終いには再び蒼白になり、深い深い溜息を吐いていた。



 敏也がなんとかエリーネの怒りを鎮めてから十数分。

 敏也たちは報告書(コーヒー塗れ)のチェックに追われる玄崎に別れを告げ、職務に就いていた。いざという時に備え、彼らの右耳にはインカムが付けられている。


 今日の彼らの仕事は、格納庫及び治安維持部隊詰所周辺の見回りである。無論、敏也たちがこういった比較的楽な場所に配置されているのは彼らがまだ学生であり、それに加え玄崎の厚意があったればこそである。


 そして現在、人員を乗せたジープや市街地で大破した魔動機を積んだ輸送車が敷地内を駆け抜ける中、敏也たちは周囲に目を配りながら歩いていた。


 ちなみに、魔動機乗りである大河と紫苑は格納庫内で待機中であり、自機以外の修理や調整を手伝っている。


「ふー。にしても、玄崎さんは良いところに俺たちを配置してくれたもんだな」


 敏也が両手を頭の後ろで組みながら言うと、隣を歩くマサルが肩を上下させ、


「そうだな。変わらず、あの人らしい甘さだ。しかし、だからといって油断は禁物だ。いつ昨日のように襲撃が起こるかわからんからな」


「ま、そうだけど、いきなりここが襲われるってこたあないだろ。つーか、そうなったらいよいよお終いだし」


 暢気な調子の反論にマサルは呆れたように溜息を吐き、口を噤んだ。その会話を後ろで聴いていた奈々が二人の間に身を乗り出した。


「まあ、わたしは敏ちんに概ね同意かなぁ。ほら、正規軍は優秀だし、治安維持部隊までいるんだからさぁ、そう心配はいらないって」


「だろ? 八咫神もたまにはまともなこと言うな」


「『たまには』は余計だよ、敏ちん」


 ピシッ、と敏也の後頭部をデコピンの要領で弾きながら奈々が言う。すると、「いたっ」と敏也が小さな悲鳴を上げ、恨めしそうな視線を奈々に向ける。


「てめっ、八咫神。いきなり何すんだよ、いてえだろが。お前みたいに馬鹿になったらどうすんだ」


「あん? 誰が馬鹿だってぇ? 敏ちんには負けるぜ☆」


「は? んだと、こら。――戦るか?」


「わたしはもちでいいよぉ? どうせ敏ちんの負けだし♪」


「いい度胸だな。――エリーネ、『ギア』使うぞ! こっち来てくれ!」


「――『来てくれ』じゃないでしょーッ!! 二人とも、真面目に見回りしなさーいっ!」


 その声と同時に、ゴズンッ、と敏也と奈々の脳天に手刀が振り下ろされていた。

 決め顔で鞘に手をやりエリーネを呼んだ敏也も、不敵な笑みを湛えながら荒ぶるポーズをとっていた奈々も、揃ってもんどりうって転倒した。


 二人はコンクリートの地面に突っ伏した後、弱々しく震えながら上半身だけを起こし、怒り心頭かつ腕組みをしてこちらを見降ろしているエリーネを仰ぎ見た。


「ご、ごめんなさい。ちょっと調子に乗ってました。もう大丈夫です。これ以上はやめてください」


「おおおおお……肉体強化が無い時にエリーのツッコミは効くなぁ。頭割れたかと思ったよぉ……」


「二人とも、反省しましたか?」


 エリーネのその確認に、敏也と奈々はぶんぶんと頭を振って肯定を示す。すると、エリーネは息を吐きながら表情を緩めた。そのまま、呆れ顔で佇んでいるマサルのほうを見ると、


「神堂寺くんからも何か言ってあげてください。いつもいつもこの二人は緊張感というものが足りなさ過ぎます」


「無理だ、エリーネ嬢。俺は意味のないことはしない主義でな。馬鹿に付ける薬もなければ、馬鹿を治す薬もない。言うだけ無駄だ」


 頭を振りながら言う。

 マサルのその盛大にこちらを馬鹿にしたような物言いに、敏也と奈々は立ち上がりながら遺憾の意を示した。


「おい、マサル。そりゃねえだろ。俺たちはみんなの緊張を解すためにこうして馬鹿なことをやってるだけだっての」


「そうだよぉ。決して本意からこうしてるわけじゃなくてね、あくまでもみんなのためにわたしたちは馬鹿なことを敢えてやってるんだよぉ」


「取って付けたような言い分ですね。もっとお仕置きが必要でしょうか」


「「勘弁してください」」


 エリーネの不穏な言動を聴いた二人は即座に角度九十度の礼をして謝罪した。


「まったく……」


 それを見てようやく機嫌を直したのか、エリーネは上げた肩を落としながらちらりと視線を遥か先まで送る。


「それにしても、今運ばれている機体、相当ひどくやられていますね。……なんというか、ズタズタじゃないですか」


 見れば、そこには格納庫内への搬入待ちで立ち往生しているトレーラー、そしてそれが牽いている荷台に積まれた魔動機――恐らくはメシア――が目に留まった。


 ただ、その機体はボロボロだ。


 右腕部は肘辺りから引き千切られ、頭部は杭で突き刺されたように穿たれ、各所の装甲には夥しい数の引っ掻き傷、止めとして胸部のコックピットブロックを何回も刺し貫かれた形跡がある。

 なによりも、コックピット部分から垂れた跡がある、明らかにオイルではないモノが目に付いた。


 それを見た敏也はげんなりしながら、


「うわぁ……グロい。乗ってた人は無事なのかねえ?」


「そりゃそうでしょ、敏ちん。今の軍にスプラッタの後始末してる余裕なんてないんだから。中の人がまだ戦える状態だからアレを持って帰ってきたんだと思うよぉ」


 奈々からの指摘を受けて敏也が安堵したように一息吐いた。

 そして、


「魔獣に一度でも囲まれたらああなるんだな。気を付けねえと」


 とは言ったものの、よくよく思い返して見れば、自分たちも昨日はそれほどまでに危険な状況の中に居たということになる。しかも自分は、魔獣の群れがほんの数メートル先というところまで接近していたのだ。


 無謀。昨日の行動はそれに尽きる。


(気を付けよう。この歳で惨殺死体になんてなりたくねえし)


 堅く決意をする敏也だった。

 と、敏也が一人でそんなことを考えていると、


「大丈夫ですよ、大神くん。いざとなったら私が周囲ごと魔獣を消し飛ばしますから」


 並々ならぬ自信を満たした声が敏也たちに聴こえた。その声の発し主をみやると、それはエリーネ。胸を張り、腰に両手を添えての発言だった。


「お前ならできるだろうけど、そん時は市街地壊滅しねえ?」


 敏也がそう言うと、エリーネが大仰に肩を竦めながら、


「命と市街地、どちらが大切ですか? 考えなくてもわかると思いますが……」


「いや、もちろんわかってるけどさ」


 言いつつ、敏也は不安だった。


 敏也はエリーネを危険な目に遭わせたくないと思っている。

 昨日、あれだけ自分が突出し、逃げ道の少ない路地裏へと進んで突入した事とて、それは単に彼女をそのような場所へと誘いたくはなかったからだ。あのような醜い化物を少しでも彼女に近づけたくなかったからだ。

 ただ、それだけ。


 ましてや、エリーネは非力だ。しかも肉体強化が使えないという現実が、そこにさらに拍車を掛けている。

 だから、誰かが護ってやらなければならない。彼女に近付く敵を、その悉くを、払いのけなければならない。それが、今の敏也がここに在る理由なのだ。


「あんまり無茶はすんなよ。いくらお前の障壁が頑丈でも、囲まれたらいつまで持つかわかんないんだからな」


 素っ気ない風を装いながらも、その声には心配が滲んでいた。それに勘付いているマサルは、からかうような笑みを浮かべ、


「敏也よ、素直に言ったらどうだ? 『心配だから前に出過ぎるな』と。言葉にしなければ本心は伝わらんぞ」


「は、はぁっ? 何言ってんのお前! 俺は別にそんなこと……」


 覿面に狼狽した敏也は言い訳しつつ、ちらりと視線を周囲に投げる。

 格納庫周辺で忙しなく動き回る職員たち、その向こう側に見える治安維持部隊の詰所、メンテナンスが行われている輸送機、にやけ面の奈々、――そしてどこか期待を顔に滲ませているエリーネ。


 それらを目にした敏也はどう言い訳してもそういう方面へと転がってしまうということを理解し、悔しそうに唇を噛み締めた。


(くそっ、マサルめ)


 友人への詰りを忌々しげに心の中で吐き捨てる。

 そして、


「あーそうだよっ、心配だよ! ……だからエリーネ」


 ヤケクソ気味に言いながら、ほんの少しのはにかみを浮かべているエリーネの方を向き、


「今回だけは言わせてもらうけどさ、絶対に俺たちの前に出るなよ。さすがにあの数相手だと、下手をしたら……」


 護りきれないかもしれない。死んでしまうかもしれない。


 堪えられない、そんなこと。エリーネが死んでしまうなんて、そんな現実には堪えられない。想像するだけで敏也の脳内はぐちゃぐちゃになってしまう。何も考えたくなくなってしまう。まるで強引にかき混ぜたかのように思考が混濁していくのだ。


 意識せずに目頭が疼く。熱くなっていく。


「お、大神くん? どうしたんですかっ?」


「なんでも……ないっ!」


 乱雑に目元を右腕でこすり、それを誤魔化す。恐らくは目が潤んでしまったことは三人にバレているのだろうが、マサルと奈々は先ほどまでと違い、神妙な面持ちで二人を見守っている。


 敏也は目を擦るのを止め、その確かな輝きを宿した眼差しでエリーネを見据えた。そして、エリーネの右手を自身の両手で包みこみ、そのまま祈るように支える。


「頼む、エリーネ。絶対に無理はしないでくれ。お前が居なくなるのは……嫌なんだ」


 それは、泣き出しそうな声音だった。つい今しがた拭ったばかりの目頭も再び熱し始めている。


 敏也にとって、それほどまでに切実な想いなのだ。彼女の居ない世界になど、意味を見出せない。もう、近しい人間が死ぬのは絶対に御免だった。


(絶対に死なせない。もう昔の俺とは違う)


 家族の命を一息に奪われてしまった非力な自分はもういないのだ。

 護るための力は得た。

 それでもまだ足りないかもしれない。だとしても、決して奪わせはしない。今で無理ならその先へ、その先でも足りなければもっと先へ、進み続ける。

 たとえ辿り着く先が闇だとしても、あの少女がいる場所だとしても、敏也には立ち止まるつもりなどなかった。


 破滅など踏み越える。この手で捩じり切り、この足で踏み躙って、黙らせて見せる。


 それが、敏也の決意だった。


 そんな悲痛が滲んだ言葉を受けたエリーネは、拒絶を示すわけでもなく、呆れるわけでもなく、ただただ慈母のような微笑みを湛え、左手で敏也の頭部を撫で付けた。

 まるで子供を愛おしむように、泣き始めてしまった子供を慰めるように。


「エリー、ネ」


「大丈夫です。この前言ったでしょう? 卒業するまでは味方で居てあげます、と。だから、心配しなくても大丈夫です。決して無理はしないと約束します。――だから、泣かないでください」


「泣いて……っ、ねえよ……っ!」


 我慢するように瞑ったその瞳から、一滴だけ何かが落ちた。



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