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双天の共鳴者  作者: 月山
第二章-1「キメラ襲来」
47/126

幕間1

 世界各地の主要都市で起きた、テロ組織人員による自爆事件。


 山岳部など、人口が少ない辺境からの魔獣の大量発生。

 かつて悲劇が引き起こされた数都市跡地においての、慰霊に訪れた人々の虐殺。


 各国の政府は、これらの事件を反政府勢力『キメラ』によって引き起こされたものとして発表。

 国連は迅速に動き、加盟国間で情報の共有を提示。

 さらに、テロ組織の人員を諸外国へ逃がさないため、事態が収束を見るまでは国交が一時的に断絶されることになった。


 陸路・空路・海路の全てに警戒網が敷かれ、国境に近づくものは容赦なく拿捕され、場合に依っては即座に排除することも許可されている。


 世界は、まるで戦争真っ只中であるかのような緊張状態へと陥っていた。

 そして、世界各地で生まれた魔獣たちは軍などの健闘空しく、異常なまでの速度で増殖を続けている。


 未だに血は流され続け、事態が収束する日は見えていない。



 三珠市の事件から三日。時刻は午前九時前。


 外は梅雨がひと段落したのか快晴。ちちち、と小鳥たちが元気に羽ばたきながら鳴き声を上げ、雲が晴れた大空を気持ちよさそうに飛び回っている。

 そして現在位置は御陰市、そのほぼ中央に位置する病院の一室。


「なー、にーちゃん、あそぼうよ~」


「アホ! 俺はこれから退院するんだよ。ていうか、昨日散々遊んでやっただろ?」


 腰に縋りついてくるパジャマ姿のシュンを引き剥がしながら、戦修学園の夏服を着た敏也が言った。ただ、その表情は心底困り果てたものだ。


「シュンくん、駄目ですよ、大神くんを困らせては」


 と、彼らの傍で苦笑していた制服姿のエリーネがシュンを諭す。


「……は~い」


 エリーネからのお叱りを受けたシュンがつまらなそうに返事をし、敏也から離れた。


(……エリーネだけじゃなくて、俺の言うこともきいてほしいもんだが)


 エリーネの言うことだけは素直に聞くシュンを見ながら、敏也は苦い表情をしている。

 そうしていると、それまでエリーネの横に居たレンが不機嫌そうに頬を膨らました状態でシュンの横まで行き、その頬を抓って引っ張った。


「いたい、いたいっ!? レン、やめてよー!」


「……ばかっ」


 シュンからの批難を受けてもレンは不機嫌そうな表情を緩めはせず、その頬を引っ張り続けている。


(嫉妬……かねえ?)


 ここ連日、敏也とエリーネが入院してからというもの、シュンは敏也とエリーネに引っ付きっぱなしだった。そうすると、必然的にレンとの絡みは少なくなる。むしろ皆無に近くなっていた。だからこその、ばかっ、なのだろう。


(いいかげん、レンの気持ちに気付いてやってほしいもんだが……)


 だが、シュンの鈍さは筋金入り。

 子どもであるということを差し引いても将来有望なほどの鈍感さを誇っている。

 おそらく、彼の死因となるのは痴情の縺れからの一突きだろう。


「はは……。レン、そのくらいで勘弁してやれよ、な?」


「…………お兄さんがそういうなら……」


 不満そうに唸りながらも敏也の静止を聞いてくれたレンは、まだまだ抓り足りなさそうにシュンの頬を見ていたが、すぐに手を離した。

 そして、トトト、と小走りでエリーネの元まで走り寄ると、その腰に抱き着き、


「お姉さん、わたし、わるくないですよね?」


「……ふふっ、そうですね。我慢できなかったんですよね? シュンくんったら、レンちゃんのこと全然構ってくれないんですもの。……でも、頬を抓ったことは後でちゃんと謝っておくんですよ?」


「……わるくないのに、あやまらなきゃいけないんですか?」


「そういうものなんです。今はそれでよくても、いつか後悔する時が必ず来ます。……そうならないためにも、レンちゃんはシュンくんに謝るべきなんです。そうしないと謝るタイミングを失くして、そのことがいつまでも尾を引くことになりますから」


「お姉さん? どうしてそんなに悲しそうにしてるんですか?」


「なんでもありませんよ。だから、心配しなくても大丈夫です。――ほら、髪が乱れてますよ。女の子なんですから、乱れた髪はすぐに直さないと」


「ん……くすぐったいです、お姉さん」


 エリーネはレンの髪をゆっくりと梳きながら、時折その頭を優しく撫でている。


 これに限らず、この短い入院生活の中でいつの間にかエリーネとレンは意気投合していたらしく、実に仲睦まじい、まるで仲の良い姉妹のように和気藹藹とした空気を度々醸し出していた。


 一方、ようやく拷問から開放されたシュンは頬を擦りながら文句を漏らしていた。


「いてて……。レン、なにおこってんだろ……」


「そこでそういうこと言えるような奴だから、そんな目に合うんだよ、シュン」


 深く息を吐きながら敏也が言うと、シュンは小首を傾げながら彼を見やり、


「? ……どーいうこと、にーちゃん?」


「……まず聞くより自分で考えろよ。そうしなきゃ、いつまでたっても子供のままだぞ。それに、これは人から言われて気付いても意味がないんだ。……多分な」


「えー、かんがえてもわかんないからきいてんじゃん。おしえてよ、にーちゃん!」


「駄目だ。絶対教えないからな」


「ケチー。びんぼーしょー。――ふのうのくせに!」


 瞬間、シュンとレンを除く場が凍りつき、


「……はは、誰が不能だってぇ? 右腕はもうバッチリ動くんだよ。――それとな、ガキンチョのくせにとんでもない言葉を使うんじゃないっ!」


「いだだだだだだっ!? にーちゃん、いたいよっ! ごめんなさいっ!」


 生意気なことを言ってきたシュンに対し、敏也は二日間にも及ぶ回復魔術による治療のおかげで全快した右腕を用い、少年の頭を鷲掴みにしていた。

 と、そうしているとエリーネが神妙な面持ちで敏也を見つめ、


「大神くん、まさかあなたが……その…………そういう人だったなんて、私知らなくて……ごめんなさい、私……こんな時なんて言ったらいいのか……」


 その言葉を受けた敏也は愕然とし、掴んでいたシュンの頭を離した。そして、


「ちょっとぉっ! おまっ――エリーネ! わかって言ってんだろっ? お前、肩小刻みに震えてんだよ!」


「……ふふ、いえ、そんなことはありません。シュンくんに『不能』と言われ一瞬勘違いしてショックを受けた大神くんの姿が面白かったなんて、全然思っていませんよ?」


「このっ……あれ? お前、下品な話嫌いなんじゃないのか?」


 負けじと言い返そうとした敏也であったが、以前思わぬタイミングで性癖の広さを暴露してしまった時の惨劇が頭の片隅を過り、思わず質問してしまっていた。

 だが、問われたエリーネは恍けた様子で肩を竦め、


「さあ? なんのことでしょう。もしかしたら、時と場合に依るのかもしれませんね。……というか、女性にそういう確認を取るなんて、相変わらずデリカシーがない人ですね、あなたって人は」


「えぇー? 俺が責められんのかよ。なんで責められんだよ。わけわかんねーよ」


「わからないのはあなたが馬鹿だからですよ」


「お前なあ……」


「お姉さん、お兄さんも、けんかしないでください」


 二人が仲違いをしていると思ったのか、レンがエリーネにしがみ付いたままで不安げな顔をしていた。すると、二人は少しの間きょとんとした後、彼女に笑い掛け、


「ふふふ。いえいえ、喧嘩しているわけではありませんよ、レンちゃん。だから、そんな顔をしなくても大丈夫です」


「はは、そうだぞ。それにな、もし俺たちが喧嘩したら俺が即座にエリーネに消し炭にされてるからな。そうなってないってことは喧嘩じゃないってこと――すみません、これ以上余計なこと言いませんので、その手を下げていただけますか?」


 両手を上げて降参を示した敏也が言い、そんな彼を冷ややかな笑顔で見つめながら術式の行使の準備をしているエリーネが口を開く。


「うふふ、口は災いの元ですよ、大神くん。立ち振る舞いには気を付けるようにと、私、この前言いましたよね? なのにまた馬鹿な事を口走るだなんて……。あなたはどうして私を事あるごとに怒らせるんでしょうか……」


「……あはは、悪気はなかったんだけどなー? 思わず言っちゃったってだけなんだけどなー? ほら、あれだよ、日本が誇る格言の一つ――『罪を憎んで人を憎まず』の精神でいこう! なっ? あはっ、また一つ日本のこと知れたね、エリーネ!」


「言い残すことは」


「すみませんでした」


 そう言いながら、ほぼ直角の礼をして謝罪の念を敏也は示した。


「まったく、あなたって人は……」


 一方、エリーネは呆れと楽しさを綯い交ぜにした顔で嘆息している。

 その時、


「……お姉さんとお兄さんはなかがいいですね」


 と、二人の顔を交互に見比べていたレンが言った。

 それを聴いたエリーネは表情を思案顔に変え、頭の上に疑問符を浮かべ、


「そうでしょうか? そう言われてもよくわからないのですが……」


「……ま、悪くはないんじゃねえの。……俺もそういうのって、よくわかんないけどさ」


 敏也はというと、ぶっきら棒に言いながら頭を照れ臭そうに掻いている。

 が、そんな二人の反応が気に入らなかったのか、レンは不機嫌そうに頬を膨らませ、


「……おふたりはずるいです、わたしたちが子どもだからって、そんなこと言ってごまかして。おつきあいされてるなら、どーどーとしていてください!」


 締めに腰に両手を当て、ふんっ、と鼻から息を吐き、敏也とエリーネの間――その中間地点で威風堂々と仁王立ちした。


 お付き合い――その蠱惑的で魅惑的で悩殺的で素敵でありながらも、一個体としての尊厳と威厳、そして自由の終わりを告げる単語に真っ先に反応したのは敏也だった。


(あー、そういやそんな嘘吐いたっけ……って、ひっ!?)


 エリーネが敏也を爛々とした瞳で睨んでいる。


 以前この病院を訪れた時に『嘘』がエリーネにバレたが、それはなんだかんだで有耶無耶となっていた。そのおかげでエリーネ渾身のお仕置きを免れたのだ。


 だがしかし、その罪は再び白日の下に曝け出された。もはや、逃げ場などない。


「ちょ、ちょっとエリーネこっちこっち!」


 事が大事になる前に収拾を図ろうと、敏也が今にも暴発しそうなエリーネを病室の隅、ベッドと窓枠の間のほうへと手招きしながら誘う。


「……なんなんですか」


 手招きされたエリーネは不愉快そうに眉根を寄せているものの、その求めに応じ、渋々ながらも敏也の後へ続いた。

 そして、未だに仁王立ちし続けているレンと、場の流れに着いていけずボーッとしているシュンに話を聞かれないように背を向け、互いの顔を近づけ、内緒話を始めた。


「あのですね、エリーネさん。まずわたくしめにお仕置きをする前に、少々弁明をさせていただけないでしょうか?」


「……ふぅ、まあいいでしょう。あなたが私の交際歴に著しい傷を付けた罪が軽くなることは万に一つもありはしませんが、それでもいいというのならお好きにどうぞ」


「ははー。――事の発端はこの前の森林公園におきまして、シュンとレンに出会い、彼らにある質問をされたことから始まります」


「……鬱陶しいので畏まらないでください」


「……んだよ、人が謙ってやってるってのに……」


「――続きを」


「あ、はい」


 小さく文句を漏らしたものの、エリーネからの怒気を含んだ促しに見っとも無く身を竦ませた敏也は、ヘコヘコしながら返事をした。


「えっとな、エリーネが昼食買いに行ってる間にあいつらに知り合って、そんでその時にエリーネと付き合ってるかどうか聞かれたんだよ」


「どうしてその時に否定しないんですか! そんな私が戻ったらすぐバレるような嘘を吐くなんて、あなたは馬鹿なんですかっ?」


「だってさー、すんごく期待に胸膨らませた目で見てくんだもんよー。だから、ホントのこと言うのが憚られたっていう――いたっ!?」


 言い訳していた敏也が痛みに呻いた。その原因は抓られた左頬だろう。


「だからって嘘を吐くのは感心できません。……一つも嘘を吐くなとは言いませんが、もしその嘘が誰かを傷付ける結果になったとしたら、あなたはどうするつもりだったんですか? 嘘によって傷付いた人に対して、あなたは責任を取れるんですか?」


 エリーネは言い終わると敏也の頬から手をパッと離した。

 すると、敏也は恨みがましい視線をエリーネに送りつつ痛む頬を擦り始め、


「責任って、そんな大げさな……」


「大げさではありません」


 その否定の言葉は小声でありながらも芯が通っていて、敏也の足掻きを一声で静止させた。そしてエリーネの今の表情は、ほんの少しだけ過去を振り返っているかのようで――


「人と関わっていると、嘘が必要になってくる時は確かにあるとは思います。そういった時に吐く嘘は、きっと『優しい嘘』でしょう。――ですが、勘違いしてはいけませんよ、大神くん。『優しい嘘』というものは一時を凌ぐために吐くものではありません。たとえどんな状況に陥ろうとも最後まで吐き通すものです」


「……エリーネ、お前……」


「……何も訊かないでください。――いいですか、大神くん。嘘というものは、吐いた人物が一番傷付くのではありません。吐かれた人が一番誰よりも傷付くんです。そしてさらには、嘘を吐いた人への失望と……埋め様のない確執を残していきます。それは何をどうしたって心からは消えてくれません。一生引き摺っていくことになるでしょう。……嘘を吐いた人物はそういった部分にまったく関心を寄せてはくれないんですけどね」


「……」


「大神くん、あなたはそれでいいんですか? シュンくんやレンちゃんとの間にそんな溝が出来てしまっても、いいんですか?」


「それは……嫌だと思う」


「そうでしょうね。では、あなたはどうするべきですか?」


 その言葉を皮切りに、敏也は冷え切っていた思考回路をフル回転させ始めた。

 ――エリーネの真に迫った佇まいについては一旦思考の片隅に追い遣った状態で。


(わかってる。あの時の俺の行動が、どうしようもないほど浅はかだったことくらい)


 あの時の自分は今よりもずっと無気力で、労働で疲れ切っていた自分に寄って来るシュンとレンのことを煩わしく思い、さっさと遠ざけるために嘘を吐いたのだ。

 実に、情けないことだと思う。


(今更悔やんだって仕方ない。なら、今の俺にできることってなんだ?)


 正直に全てを話すべきだろうか? 

 あの時吐いた『エリーネは彼女』という嘘を悉く否定すべきなのだろうか? 


 たとえ二人から嫌われようと構いはせず、一切の揺らぎに動じないほど心を鉄のように冷え切らせた状態で、ただ淡々と。


(……違う。エリーネは……多分そんなことをさせるために俺に説教したんじゃない。そんな気がする)


 そう、どこか違う。

 確かに嘘を吐いたことは叱られた――だがそれは、間違いを正せ、というニュアンスではなかった。あれはどこか、行くべき道をこちらに摸索させようとするかのような。


 そもそも嘘を吐いたことへの怒りだけではないような、そんな気がするのだ。


 ではいったい、彼女が一番怒った事柄とは何だったのか。


(…………ああ、そうか。多分エリーネが一番怒ってるのは……)


 思い当ってしまえばなんてことはない。ただそれだけのことだ。

 だがそれゆえに、決して蔑ろにしてはいけない、人として大切なこと。


 なぜ今まで気付けなかったのだろうか。

 誰にも負けないくらい意地っ張りで、そのくせ時々妙にしおらしくなるエリーネ。そんな彼女が言葉の裏に隠した小さな感情。否、隠しきれなかった気持ちの断片。


 それに今まで気付けなかったのはただ単に、交易都市での一件を経て、彼女がより一層近い存在に感じられたことによって発生した『甘え』ゆえだろう。


 ならば、断ち切らなければならない。これ以上醜態を晒す前に、彼女を傷付ける前に。

 そして、言葉にするのだ――自分が取るべき道を。


「エリーネ」


「なんです?」


「ごめん」


「……それは、何に対しての謝罪ですか?」


 横目で冷ややかな視線を向けてくる隣の彼女へと、敏也は穏やかな表情で応える。


「嘘吐いてごめん。……なにより、お前に黙ってて、ごめん」


「っ」


 言われたエリーネは驚いたようにし、そしてほんの少しだけ表情を明らめた。


 ――エリーネが一番不愉快に思っていた事、それは嘘を黙っていられたことだ。


 エリーネは、敏也が自分に関する嘘を吐いたにも関わらず、そのことに関してまったく触れず、今の今まで平然と黙ったままでいられたことが心底不愉快だったのだ。


 人間関係で最も大切なことは、ただただ真摯に伝えること。

 それを愚かにも怠った敏也に対し、エリーネは純然たる怒りを示していたのだ。


「……やっとわかりましたか。はぁ……まったく、私が嘘の一つや二つ程度で怒り狂うと本気で思っていたんですか、あなたは」


「うん、まあな」


「……あなたの中の私像を小一時間ほど問い詰めてあげたいところですが……シュンくんとレンちゃんがこちらを心配そうに見ていますからね。……早くあなたの今後の方針を聞かせてください」


 恨めしそうな目で敏也を見つめながらエリーネは訊いた。

 そして敏也は、先ほど結論に達した、エリーネへの小さな『願い』を口にする。


「エリーネ」


「はい」


「俺と一緒に……嘘、吐いてくれないか?」


「……いいですよ。あなたがあの子たちに対して、きちんと責任を果たすというのなら」


 隣にいる彼女は、とても意地の悪い笑みを浮かべていた。



「ふむ、退院おめでとう、敏也、エリーネ。その手に持っている荷物をさっさと積んで、後部座席にでも乗り込んでくれたまえ」


 手続きと支払いを済ませ、いつもとは違って治安維持部隊所属の魔術師二名が警備する正面玄関から建物の外へと出た敏也とエリーネを待っていたのは、病院玄関前に黒塗りの大型バンを止め、その傍に佇んでいる博士だった。

 そして、今の彼女の姿はいつもの白衣ではなく、どこにでもいそうなラフな格好の大人といった感じだ。


「……博士? どうしてここに?」


「もしかして、わざわざ迎えに来ていただけたんですか?」


「ああ、そうだよ。いくつか話しておきたいこともあったのでね。……立ち話もなんだろう。早く乗り込みたまえ」

 そう言った後、博士は困惑している二人をそのままに、自分はいち早く車の中へと乗り込んでいった。



 敏也とエリーネは言われた通り後部座席に並んで腰掛け、走行しているバンがもたらす揺れに身を任せながら大人しくしている。


 と、そうしていると車が交差点で信号に捕まり、ブレーキ音を微かに響かせながら停車した。すると、頃合いだと判断したのか、前方の信号を見つめながら博士が口を開く。


「さて、二人とも。君たちも知っているとは思うが、世界は非常に不味い状況を迎えている」


「……大量発生した魔獣のせいっすよね。……そして、俺たちが交戦した魔術師・レーヴェとデータバンクに登録されていない魔動機のパイロットは、その魔獣を生み出した組織の一員、ってことがわかったんでしたっけ」


「テレビでもやっていましたけど、どの国にも相当な被害が出ているように見受けられましたが……」


「ああ、その通りさ。誇張抜きで、ね。被害総数は日本だけでもこの数日間で一万は下らない。今や各国は軍や治安維持部隊に全面的な駆除活動を要請、果てには学生にまで出動要請が降りてくる始末だ。もちろん、戦修学園も例外ではない」


 車窓から見渡す街の様子は、閑散たる風景と化していた。

 ――誰一人として、外を出歩いていないのだ。車道を行く車すら見受けられない。


 今、あらゆる都市に厳戒態勢が敷かれ、それぞれの街は生活に必要な最低限の都市機能を維持しているのみであり、首都以外は住民の外出が制限されている。


 しかし、僅かに機能しているとは言ってもそれはライフライン程度であり、当該の施設には魔術師や魔動機が配置され、厳重な警戒網が敷かれている。


 それは単に、いつ、どこから現れるかわからない魔獣を警戒してのことだ。


「じゃあ、第十班は――マサルたちは全員……?」


「いや、神堂寺マサルと八咫神奈々は前線に駆り出されてはいるが、君たちの残りの班員――成瀬紫苑と天埜大河は学園に駐留している」


「どうしてですか?」


 敏也の疑問に答える前に信号が青になったため、先にアクセルを踏み込みながら博士は応える。

 車は再び走り出し、寂しげな風景の中を駆けて行く。


「簡単な話さ。天埜大河の機体は中破し、修理中。そして成瀬紫苑の機体に関しては損傷は軽微だったものの、相棒である天埜大河が動けない。つまりは、魔動機を繰る彼女と適切な連携を取れる人物がいない以上、迂闊に戦場へ投入するわけにはいかないということさ。……いくら戦闘能力が高かろうと、本来の能力が発揮できない人物をおいそれと死地に赴かせるわけにはいかないからね」


「そうですか。……ということは、一応連携が取れる俺たちには、現地に向かうように命令が下されるってことですよね?」


「ああ、その通りだ。今日中に辞令が下り、明日にでも現地に向かうように命じられるだろう。……敵と死闘を演じてからすぐにそんな状況に君たちを追い遣らなければならないのは、本当に心苦しいのだが……」


「いえ、それは仕方がありません。それが魔術師の使命であり、宿命ですから」


 博士の謝罪が込められた言葉を遮るようにエリーネが力強く言い放った。


 ――魔術師とは、世の理に介入し、超常の力を持ちて己が敵に立ち向かう者。


 それがほとんどの国や術者間で定められた魔術師の在り方であり、生き方だ。

 そして、彼女の言葉にはそういった意味が込められているのだろう。

 ゆえにその発言は、本来ならば周囲の人間を鼓舞するほど明瞭で、聡明な発言だ。


 だがしかし、バックミラーに映る博士の顔は悲しみに耽っているものだった。


「……エリーネ、その考え方は殊勝だが、同時に危険だよ。君たちは魔術師だとは言ってもまだ子供なのだ。子供である君たちが『世界』という曖昧な物のために命を懸けなければならない理由がどこに――いや」


 そこで博士は言い淀み、


「わたしなどが言えた義理ではないか……」


 自嘲の滲んだ表情で、敏也とエリーネには聴かれない程度の声量でそう呟いていた。


 ――窓の外の景色は、そろそろ御影市の郊外に差し掛かろうとしている。


 そして博士は後部座席にいる二人に怪しまれる前に気を取り直し、


「まあ、今の状勢はそういった具合になっているということだ。それと、学園には防衛部隊として腕利きの教員数名と、あの天埜春美を含む学生の精鋭部隊が駐留している。それに、学園外周部は結界を最大出力にしてあるから襲撃の心配は無用だろう。今日のところは安心して休むといい」


「わかりました」


「そうしときます。……あ、それと博士、俺の『炎刀』なんですけど……」


「安心したまえ。それはすでに君の部屋に運び込んである。……細やかなプレゼント付きでね。まあ、好きに使いたまえ。あと、それとだね――」


 と、博士がハンドルから片手を離し、胸ポケットから何かを取り出し、それを後部座席にいる二人へと示した。


 黒いカードが二枚。

 漆黒に塗り潰された長方形に何かの花のエンブレムをあしらったという、敏也とエリーネには見覚えのないタイプのカードだ。


「それは?」


「『炎刀』を持ち歩くには役立つと思ってね。上に掛け合って、強引にもぎ取っておいたのだよ、くくく」


「もぎ取ったって……」


「……目が笑っていませんよ、博士」


 バックミラーに映った博士の顔を見ながら、エリーネが注意した。


「おっと、失敬失敬。――と、早く受け取ってくれないかね? そろそろカーブに差し掛かるのだが――」


「もらいますもらいます! だからハンドル握ってくださいっ!」


「左手! 左手を早くハンドルにぃ! ――うぉわぁぁあああっぁあぁ!?」


 二人は慌ててカードを受け取ったのだが――

 そんな二人の咄嗟の努力も空しく、カーブに直面した黒のバンはいまにも横滑りし始めるのではないかと思うほど急激な弧を描きながら街の郊外にあるカーブを曲がった。


 もしこの瞬間に対向車がいたら、即お陀仏となっていたことだろう。

 世界情勢様様である。


 カーブを終え、直進へと移行したバンの中に博士の楽しそうな笑い声が木霊する。


「あっはっはっは、いやあ、車の運転は久し振りだから勘が鈍っているな。以前なら、この程度のカーブは片手で事足りたのだが」


「…………エリーネ、生きてるか?」


「…………生きてますから、早く私の上から退いてください」


「……ごめん」


「まったくもうっ」


 カーブを曲がった際に発生した遠心力によってよろめいた敏也は、ドアノブにしがみ付いていたエリーネに覆いかぶさるような体制になっていた。

 それゆえ、エリーネからのお叱りと批難の視線を頂くこととなってしまったのだ。


「ふむ、そろそろカードの説明に移ってもいいかね?」


「あ、どうぞ」


「ええ、お願いします」


 博士からの伺いを受けた敏也たちは、居住まいを正して前席へと身体を向けた。


「いいかね、そのカードは……あー、なんと言えばいいのだろうか。……それは、ある特務部隊が使用している許可証のような物でね。各地に点在している部隊――つまりは軍や治安維持部隊、もしくはそれに準ずる警備組織に見せれば、いろいろと便宜を図ってもらえるというカードなのだ。

 ――見てみたまえ、右下に五芒星の小さなマークがあるだろう? それは君たちの場合は一つだが、人によっては最高で三つまである。そこに記されている数で受けられる恩恵が変わるということさ」


「じゃあ、カードの真ん中にある花のエンブレムはなんなんすか?」


「それはこの国の長――九条家の家紋だよ。……確か……キキョウだったかな。そのエンブレムが刻まれているということは、九条家の許しを得ているということなのだよ。もしも『炎刀』を所持しているときに職務質問でも受けたなら、それをチラつかせてやればいい。奴さん方は目を剥いて、ころりと態度が変わるだろうさ」


「へぇ、あの九条家の。……こんなカード一枚でそこまで……」


 くるくると手で弄びながら敏也が呟き、その言葉尻に続くようにエリーネが言う。


「ま、待ってください! そんなすごいカードを私たちに? ……そもそも私は……仮にも他国からの留学生ですよ? こんな重要なものを……日本の機密の一端に触れる機会を得られるかもしれないものを渡すだなんて、どうかしています!」


 エリーネからの至極当然な批判が飛んだ。

 が、博士はそれを気にも留めず、さも当たり前のように返答する。


「はて? 君は何を言っているのかね、エリーネ。わたしがその程度のことに考えが至らずにこんな真似をしているとでも?」


「……え? それは、……だとしても、いったいどういう……」


「ふふ。敏也、君が教えてあげたまえ。――君の言葉で、君の気持ちで、ね」


「は?」


 突然矢面に引きずり出された敏也が呆然とし、口を半開きにしたままで固まっている。

 しかし、隣にいるエリーネからの問うような、不安げな視線を向けられた敏也は曖昧な表情を浮かべ、車の外へと逃げるように顔を向けながらその視線に応えた。


「あー、そりゃあ…………俺はお前のこと……そんなに遠く思ってないっていうか…………国籍なんて、そんなに気にならないっていうか……。…………っ! あーもうっ! とにかくいいんだよ! そんな細かいことはさあっ!」


 最後は照れ隠しなのか、まるでやけっぱちになったかのように乱暴に叫んでいた。

 それを聴いたエリーネは困惑に困惑を重ねながらも、それでもどこか心が軽くなったかのような澄んだ表情をしている。


 そして博士は、そんな二人のやりとりをバックミラーでそっと伺いながら、その口元を満足げに歪めていた。


「まあ、そういうことさ、エリーネ。わたしは友好国からの留学生である君を信用したのではない。今ここにいる『エリーネ・フリートハイム』という存在を信用し、そのカードを託したのだ。そこの所は勘違いしないでほしい」


「……そういうことなら、一先ず納得しておきます。――このカード、謹んでお預かり致します」


「うむ。来るべき時に、相応しい使い方をするように」


 その言葉と同時に、半透明の結界魔術に覆われた戦修学園の校舎が前方に姿を現した。



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