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双天の共鳴者  作者: 月山
第二章-1「キメラ襲来」
43/126

三珠市遊撃戦1


 それから少しの間、静かな時が流れ――いつのまにか太陽が真上まで来ており、そろそろ正午を回る頃合いとなっている。


 いつまでも長居をするわけにもいかないため、二人は学園へと帰ることにした。

 これから再びバスに揺られ、長時間いすに縛り付けられることになるのだろうが、きっと、帰りは気まずくなどならない。二人はそう確信していた。


 階段から腰を上げ、立ち上がるとその階段を上り、慰霊碑の近くまで戻ってくる。

 すると、


「いって……」


「おっ、わりぃわりぃ、坊主。ちいとばかし余所見しててな。――大丈夫かい?」


 敏也は、辺りをきょろきょろと見渡しながら歩いていた見知らぬ男と肩をぶつけ、よろめいた。


 着古したジャケットとカーゴパンツを履いた三十代と思わしき男。顔立ちからして異国の人間だろうか。肩にはボストンバッグを抱えており、顔には少し透明度の高い黒のサングラスを掛けている。それがなんとも胡散臭く、怪しい雰囲気を醸し出している。


 男のほうは早々に自分の非を認め、謝罪してきた。だが、エリーネはそんな男の軽い態度が気に入らないとでも言いたげに、ギロリと睨んでいる。


「あ、ああ、大丈夫です。気にしないでください。……エリーネ、目、すげえ怖いからやめとけって……」


「そうかい? 悪いね。……お嬢ちゃん、彼氏さんにぶつかっちゃったのは謝るからさ、許してくんねえかい? ……ついつい目が移っちまったんだ。ここいらの風景が物珍しかったもんで」


「……っ! 彼氏じゃありません! 何言ってるんですか、あなた! 目が腐ってるんじゃないですか!? その悪趣味なサングラス、外したらどうですっ!」


「エリーネ、どうどう。――で、物珍しいってここの風景が……ですか? 他の国にもあるでしょ? ――魔動機が破壊した街は」


 憤慨したエリーネが男に飛び掛かりそうになり、敏也がそんな彼女を制しながら、少しだけ嫌味を込めて言った。

 が、男はそれを気にした様子もなく、上機嫌に語り始めた。


「いやいや、そうじゃねえ、そうじゃねえんだな。――オレが言ってるのは、この胸糞悪くなるような偽善のことさ」


 その目は慰霊碑とそこに参拝している人々に向いている。まるで、それを嘲笑うかのように、馬鹿にするかのように、冷たい眼差しを向けているのだ。


 にやりと口元を歪ませている男とは反対に、敏也とエリーネは不愉快そうに眉間に皺を寄せていた。そして、敏也が口を開いた。


「偽善……ね。どうしてそう思ったのか、あんたのご高説を聞かせてもらえないか?」


 いつのまにか敬語が消え去っていた。それほどまでにこの男が気に食わないのだ。

 そんな敏也を見据えた男は、さらに凶悪に口元を歪ませ、


「クク、良いねぇ。『敵』と判断したら、即、態度を翻す。そうしようと思っても現実じゃあ、そううまくはできねえもんだ。その点、見所あるぜ、坊主」


 サングラスの下から、ギラリとした獣のような視線で敏也を睨みながら、男は言った。

 しかし敏也はそんな視線を物ともせず、むしろ挑発的かつ憎悪を込めて睨み返し、


「御託はいい。さっさと言え」


「おーおー、こえーこえー。殺されちまいそうだぜ。んじゃ、坊主の言う『ご高説』とやらを話してやりますかね」


 男は口元を楽しげに緩め、


「オレがこれを偽善と言ったのはな、真実を知らずに、知ろうともせずに、ただ『自分たちは哀れなんだ』と、『可哀想なんだ』と、悲劇の登場人物のように悲嘆に暮れている能無しどもが滑稽に見えるからさ」


 そこで、貶すように鼻で笑い、


「目の前の現実を仕方のないことだと自分に言い聞かせ、自分を騙し、現状に甘んじるやつらなんてなぁ、くだらねえったらねえぜ。そんな人生で楽しいのかってな。……ま、搾取され続けるだけの苗床ってやつか。オレはそういうやつらが反吐が出るほど嫌いなんだよ。――で、お前さんらは、奴さんがたをどう思う?」


 粘つくような視線が敏也とエリーネを捉えた。


 確かに、この男の言うことには一理がある。全てを認めるわけにはいかないが、それでも心にズキズキと響く言い分で、正しいことなのだろう。

 現状を嘆くだけなら、誰にだってできる。

 大切なのは、倒れ伏した状態から再び立ち上がること。蹲ったまま永劫メソメソと泣くのではなく、泣きながらでも両足で歩いて行くこと。


 自分は知っている。そうしなければ、世界では生きていけない事を。……周囲にいる大切な人たちに、迷惑をかけてしまうということを。

 だがそれでも……それでもそれは辛いことなのだ。誰もがそうできるというわけではないのだ。


「……知る機会を奪われてしまった人だっているはずだ」


「ハッ! 奪われただあ? バカか、テメエは。金も! 情報も! 命も! 力も! この世にある、あらゆるものは奪ったもん勝ちなんだよ!」


 男の顔は野生の狂気に染まりきっている。

 強い者だけが肉を貪る、弱者は貪られる側、そういう排他的な考え方の人間。

 そこには、慈悲も、労わりも存在しない。ただの冷たい氷のような世界だ。


 敏也の内の本能が、この男は危険だと訴えている。これ以上関わるのはまずいことだとわかっている。だが、それでもまだ引けない。ここで引いてはいけない。


 こんな身勝手な振る舞いの男が、誰かを批難していいはずがないのだから。


「それは強者の理屈だろ? だったら、力を持てない人はどうすればいいってんだよ!」


「んなもん、オレが知るわけねーだろ。そんな奴らは奪われて、そのまま道端で野垂れ死ねばいいだろうが」 


「ふざけんなっ! そんな勝手な理屈で、お前は人を馬鹿にしたのか? そんな独りよがりの、くだらない考え方でっ」


「クク、どうしてそうなったのか、それを追及もせずに泣くことだけしかしない木偶の坊なんてな、石ころ程度の価値もねえのさ」


 それを聞いた敏也の顔が、くっ、と歪み、苛立たしげに男の顔を見据える。


「……傲慢な物言いだな。誰もがあんたみたいに理屈を捏ねられるわけでも、強く在れるわけでもないんだ。泣くことしかできない? それの何が悪いっ」


 敏也が反論すると、どうやらその内容が癪に障ったらしく、男が顔を顰めた。


「ケッ、胸やけがするほどの甘ちゃんだな、坊主。――いいか。オレは言ったはずだぞ、『真実』を知らずに涙を流すことが滑稽なんだ、と。意味を取り違えんな」


 そこで、それまで口元を不快そうに引き結んでいたエリーネが口を挟んだ。


「あなたは結局なにが言いたいんですか? 真実など、とっくの昔に揉み消されて――」


「あー、そうかそうか。ガキどもは知らねえんだな、……まったく、政府ってやつはどこも変わらねえな。くだらねえったらねえぜ」


 エリーネの言葉を遮り、男は肩を竦めながら嘆息していた。

 そんな目の前の男の態度に敏也はいいかげんうんざりしながら問いかける。


「……あんたは、なにを知ってるんだ?」


「――実験の主導者どもはまだ生きてんぞ? しかも、コソコソ隠れて悪巧みをしてやがんのさ」


 敏也とエリーネは驚きのあまり言葉が出てこなかった。二人揃って男を見つめたまま、蝋人形のように固まってしまっている。

 そんな二人を男は下卑た笑みで見据えていた。


 九年前の事件を引き起こした魔動機を開発していた研究者たちはそのほとんどが死亡したか、行方不明になっているはずだ。生き残り、所在がつかめている研究者は僅か数名と言われている。それはどの国でも同じはず。


 なのに、行方知れずの彼らの居場所を知っているこの男は……。


「っ、動くな! お前を拘束する!」


 敏也が言いつつ、右手に短刀を生成し、男の首元に突き付けようとし――


「知っていることを洗いざらい吐いてもらいます!」


 エリーネが右手を男に翳しながら、術式を展開しようとして――


「――つまんねえな」


 その一言と同時に、突き付けようとした短刀が砕け散り、展開されつつあった術式が霧散した。パラパラと破片が舞い、風に乗って散っていく。


「……これはっ」


 一瞬何が起こったのか理解できなかった。だが、よくよく見てみれば、理解できる。


 短刀と術式を突き付けられた刹那、男が両腕を目にも留まらぬ速さで振り上げ、その二つをいとも容易く砕いて見せたのだ。

 たったそれだけで、無力化されてしまった。


「べつに俺はガキと喧嘩をしにきたわけじゃないんだぜ? ちっとばかし仕事でな」


 格下を見下すような視線を敏也とエリーネに向け、振り上げ終えた両手をポケットに突っ込みながら、男は言った。

 この男は魔術師。そして、反政府勢力の一員。それも、高位に位置する強者。


 いや、それよりも今、憂慮すべきなのは――


「エリーネ! 離れろっ!」


 この距離はまずい。敵の前であるというのに、無防備な状態で佇むには近すぎる。


「は、はいっ!」


 敏也の呼びかけに即座に反応したエリーネは後方に引こうとした。

 が、


「遅せえよ」


 その言葉とともに、男の身体から圧倒的な魔力の奔流が生まれ、四方に魔法陣が展開される。そして――術式から生み出された突風がすべてを吹き飛ばした。


 慰霊碑に供えられていた花束も、鎮魂の祈りを捧げていた人々も、敏也たちの険呑とした雰囲気を察知して目を向けていた人々も、慰霊碑の周囲を散策していた人々も、すべてが吹き飛ばされていく。


 台風の直撃を受けたかのような突風に晒されたエリーネの身体が宙に浮き、


「きゃあぁぁあぁぁ!」


「――エリーネッ!」


 あらん限りの声を振り絞り、敏也は地面を蹴り、吹き飛ばされ始めた彼女へと手を伸ばした。強風の中を強引に突き進み、懸命に腕を伸ばし続け――そして、なんとかその体を抱きとめると――砂浜へと右肩から叩きつけられた。


「……あぐっ……」


 幸い、砂の上だったためか衝撃が砂へと吸収され、さほどダメージはない。それを確認すると、敏也は腕の中にいるエリーネへと目を向けた。


「エリーネ! 大丈夫か?」


「う……、大丈夫……です。あなたのおかげで助かりました。――あの男は?」


 その言葉を受け、二人は起き上がりながら、ゆっくりと周囲へと警戒の目を向ける。

 そこには――


「……あ……あぁ……そんな……っ」


「っ! あの野郎ッ」


 風が吹き終えた後の周囲には、死体が、死にかけている人々が、幾人も見受けられた。


 吹き飛ばされてアスファルトに叩きつけられ、そのまま倒れ伏している人。

 手すりに腹を打ち付けて、くの字になったまま身じろぎすらしなくなった人。

 砂浜へと叩きつけられた痛みで呻いている人。


 血が、悲鳴が、怨嗟が、この空間を彩っている。ここはある意味で、地獄だった。

 それはかつての惨劇を想起させる光景で――


 敏也は固く奥歯を噛み締め、感情の発露を抑える。ここで感情任せに暴れたところであの男に勝てる確率が上がるわけではない。むしろ、下がってしまうだろう。


(冷静に、冷静に……っ)


 必死に己を抑え込む。軽率な真似に走らないように。

 自分一人だったならば暴れるのも良かったかもしれない。――だが、今はエリーネが傍にいるのだ。彼女を護ることが最優先事項。それ以外は全てが二の次だ。


(考えろ、今できる最善を)


 今のところ、第二波の兆候は見受けられない。だが、奴の目的がなんなのかわからない以上、ここで止めなければさらなる犠牲者が出てしまうかもしれない。


 ――つまり、敵前逃亡はできない。


 では現時点での戦力は? やつに対抗できるほどの戦力があるのだろうか。

 この場にいる味方の魔術師はエリーネのみ。他に魔術師がいれば、さっさと応戦に向かっているはず。つまり、他に味方はいないということだ。


 ――戦力は自分を含め、二人の半人前の魔術師。


(……絶望的だ。今のままじゃ――)


 勝てない。どう足掻いても、一瞬で屠られるのが関の山だ。先ほどの一瞬の攻防で、彼我の実力が途方もないほどかけ離れていることはわかりきっていた。


「くそっ……!」


 忌々しげに歯を食いしばり、苛立ちと無力感を吐き出すように、悪態をつく。

 だが、そこへ、


「『ギア』を使いましょう、大神くん。私たちが、あの男を止めるんです」


 彼女の凛とした、決意を灯した声が聴こえた。

 そしてそれが、躊躇いに呑み込まれようとしていた敏也の背中をそっと押した。


 その言葉に困惑した敏也は腕の中のエリーネを怪訝な眼差しで見、その真意を探る。


「なに言ってんだよ、エリーネ。わかってるだろ? 俺たちが『ギア』を使ったって、あいつに勝てる見込みはほとんどないんだ」


「わかっています」


「死んじまうかもしれないんだぞ?」


「わかっています」


「っ! ――だったら!」


「……逃げますか?」


 その冷たく突き刺さるような、それでいて優しく諭すかのような、そんな声音で発せられた声が、敏也の胸に喰い込んだ。


 彼女が敏也をじっと見つめている。その目は、あなたはそれでいいのですか、と問いかけている。ちゃんと思い出して、としきりに嘆願している。


 敵に対する恐れによって、大切なことを忘れてしまっている気がする。


 そして敏也は、混濁した思考の海から、いつかの自らの誓いを思い出した。


『もう、誰も助け洩らさないように、後悔しないように、……絶対に強くなる』


 あの日、エリーネに伝えた自分の細やかな願い。情けない己を突き動かす原動力。


「そう……だな」


 言いつつ、自嘲気味に口元が歪む。自分が滑稽過ぎて、笑ってしまいそうだ。

 つい先日のことだというのに、もう見失いかけていた。なんて、情けない。

 暴力によって蹂躙された自分だからこそ、この誓いに意味を見出したのだ。


 今ここでなにもせずに、一般人たちを見捨てて逃げたのなら、自分たちはきっと助かるのだろう。だが、それではあの時の誓いはただの嘘になってしまう。自分に酔って出来もしないことをすると言った、ただのほら吹きになってしまう。

 それは甚だ不本意だ。


 自分はそこまで落ちぶれてはいない。そして、腐りきってもいないのだから。


「……そうだよな」


 エリーネの叱咤と自らの誓いによって揺り起こされた想いが、萎えかけていた敏也の心を奮い立たせる。その瞳に怯えではなく、闘志を宿らせる。


「逃げるわけにはいかない。見捨てるわけにはいかない。……だけど、ここで俺たちが死ぬわけにもいかない。――そうだな、エリーネ?」


「ええ、そうです。――では、どうしますか?」


 先ほどの突風のせいで乱れた銀髪を手で直しながら、エリーネは問いかけた。

 心はもう冷静だ。もう、見失いはしない。やるべきことは見えている。


「エリーネ、今すぐ救難信号を学園に送れ。そのあと、治安維持部隊に通報だ」


「はい」


 エリーネは敏也の指示に即座に反応し、ポケットからくまのストラップの付いた端末を取り出し、学園へと救難信号を発信し始めた。


「操作しながら聞いてくれ。俺たちは『ギア』を起動後、敵の足止めに入る。目標はおよそ二十分持たせることだ。治安維持部隊がどれだけ急行しても、ここに着くまでそれくらいはかかる。……負傷者については、心苦しいけど放置だ。俺たちのやるべき事は他にあるからな」


「了解です」


 救難信号を発信し終わったエリーネは、次に治安維持部隊へと電話を掛け始めた。

 御陰市にある支部はここから離れているため、この近辺にある別の治安維持部隊の支部に繋がるはず。数コールが鳴り――だが、いつまでたっても繋がらない。


「……おかしいです。繋がりません」


 エリーネがその不可解な事態に際し、訝しげに眉根を寄せながら言った。


(どうする? 繋がるまで待つか。……いや、それは駄目だ)


 ここでいつまでも留まっていたら、やつが次に何をやらかすかわからない。今すぐ行動に移らなければ、取り返しがつかなくなってしまう。


「……これ以上ここでチンタラしてるわけにはいかない。誰かが通報してくれるのを祈るしかないな」


 敏也にそう言われたエリーネは、端末を仕舞い込みながら無念そうに返事をした。


「そう……ですね」


 その言葉を皮切りに、敏也とエリーネは目を瞑った。

 彼らは今、自らの内へと意識を集中し、魔力を練り上げ、その身に内蔵された術式『ギア』を起動させようとしているのだ。


「いくぞ、エリーネ」


「いつでも」


「「同調開始」」


 宣言と同時に『ギア』と呼ばれる術式――赤と銀、二つの歯車が二人を中心にして展開。


〈共鳴率五十八パーセント。術式『ギア』、起動〉


 無機質な音声が二人の脳内に響き渡る。


〈――術式正常。シークエンス移行、同調開始〉


 そしてそれらが互いに噛み合い、高速回転を始めると、砂浜で寄り添い合う二人から膨大な魔力の流れが青空へと立ち昇り始めた。



 男は突風によって大勢を吹き飛ばした後、その場に気怠げに佇んでいた。その身を人々の呻きと悲鳴に浸しながら、まるで気にした素振りもない。


「……ったく、これでいいのかねえ。一応命令通りに何人か殺しはしたが、人使いが荒れえぜ、ジジイ。契約がなきゃぶっ殺してるとこだ」


 小声でぼやきながら男は端末を取り出し、『作戦』の進捗状況を確認した。


「ふんっ、他の連中もうまくやってるみてえじゃねえか。幸先が良いねえ、クク」


 感情が抑えきれず、口元が緩んでしまう。


「この分なら、さほど予定に変更なく、アレを手に入れられそうだな」


 そしてついには、男の口元が愉快そうにニンマリとした三日月を作った。


「へっ、んじゃま、景気づけにあと二・三人ぶっ殺しとくかぁ……」


 と、そうしていると、


「……なんだあ?」


 背後を緩慢な動きで振り返り、海――砂浜のほうへと目をやる。

 何かが、いや、強大な魔力が突如として現れたのだ。


 魔力は通常、視認することはできないが、今なお噴きだし続けている魔力は、たとえ目に見えずとも男の肌をピリピリと刺激し続けている。


 たしかそこには、先ほど会話していた少年と少女が吹き飛ばされていったはずだ。


「まさか……あいつらのどっちかの魔力か?」


 いや、それはない、と男はその考えを一蹴する。

 あの子どもたちが魔術師だということは気付いていた。が、それでも自分の敵となるほど強いわけではなかった。

 その証拠にあの程度の魔術に対抗できず、無様に吹き飛ばされていたではないか。


「ククク、誰でもいいぜ。オレを楽しませてくれるんならよォ……」


 楽しげに笑いながら、男は敵の襲来を待った。

 そこへ、


「術式、展開っ!」


 その言葉と同時に砂浜へと続く階段下から銀色の人影が飛び出し、術式を展開した。そこから放たれたのは火の雨。広範囲へとばら撒かれる、おびただしい数の火球だ。


「ハッ!」


 男は笑いながら、素手でそれを弾く。この程度の攻撃ならば武器など、障壁など必要ないとでも言いたげに、力の差を示すかのように大げさな動作で弾いていく。

 そして、絶え間なく打ち出され続ける火球を弾きながら、


「――んだぁ? さっきのお嬢ちゃんかよ。ってことは、さっきの坊主は死んだか? 魔力は一つしか――」


 その時、男の背筋を悪寒が駆け抜けた。長年培ってきた勘が、己の危機を告げている。

 火球を掻き消しながら背後へと視線をやる、そこには――


「っ、テメエ……っ!」


 茶髪頭の少年が後方から真っ直ぐ疾走してきていた。丁度、男が火球を弾き続けたことで出来た安全圏の中を突き進みながらだ。

 その両腕に握った刀で突き入れる構えを取ると、不敵に笑い、


「油断したな、おっさん……ッ!」


 容赦も躊躇いもなく、それを突き出した。

 刀を避ければ火球の餌食、避けなければ刀に突き刺される。逃げ場など、どこにもない。

 だが、


「ケッ、それがどうしたァ!」


 身を捻りながら刺突を回避――そこから少年が刺突の構えから移行した横へのスイングすらも地面を蹴り上げ、飛翔することで躱す。

 そして、空中にいる自らへと迫る火球を瞬時に展開した障壁で防御しながら着地した。


「――どういうこった?」


 しかし、男の顔は今の攻防を見事に凌いだ優越感や余韻に浸ったものではなく、焦燥や疑念に染まっていた。


「なんで二人なのに、魔力を一つしか感じねえッ!?」


 それが、少年の強襲を許してしまった原因だった。


 先ほどの虐殺の後、この地にいる魔術師の魔力は自分を除くと二つしか感じなかった。

 そしてそれらの魔力を感知してから数十秒後、少年と少女、そのどちらかの魔力は掻き消えていた。だからこそ、砂浜から少女が姿を現した時、少年を喪った少女が本気を出したのだと、男はそう思ったのだ。


 二人は男から数メートルの距離を取り、挟み込むように位置取りをしている。

 くすんだ茶髪の少年は肩に刀を担ぎながら、冷たい眼差しで男を見据え、


「答える必要がないだろ。あんたは俺たちの敵なんだから。――黙って斬られろよ」


 彼に続くように、右手を男に翳し続けている少女が口を開く。


「あなたの非道な行いは、本来なら万死に値します。半殺しは覚悟しておいてください」


 その佇まいは凛としたもので、とても穏やかな日常を過ごしている学生には思えない。

 彼らはもう先ほどまでのひよった未熟者ではない。どちらも実戦を経験した顔をしている。それは命の遣り取りを経験し、それを生き抜いた戦士の顔だ。


 そう認識した男は、己の思考から疑念を振り払った。

 そんなことは些細なことだ。それは重要ではない。重要なのはこの二体の敵が、自分を楽しませてくれるに値するほど強いのかどうかだから。

 男はギラギラとした光を双眸に浮かべながら、口角を吊り上げ、


「いいぜぇ、いいぜいいぜえ! 楽しくなってきたなあ。これなら十分楽しめそうだァ」


 その様子を見た二人は臨戦態勢を取った。

 あきらかに男の様子がおかしい。注意しておかなければ何をし始めるかわからない。


「――頼むからよお……オレが本気を出すまで、死んでくれるなよォッ!!」


 そして、男は肩に提げていたボストンバッグを乱雑に投げ捨て、駆け出す。

 ――目標は遠距離タイプと思われる少女。


 駆けてくる男を見た少女は、六角形の硝子細工が連なったかのような強固な魔力障壁を即座に周囲へ展開し、さらに、その内で魔力を練り上げている。

 おそらく、障壁で堪えている間、少年に迎撃してもらい、彼女自身は最大術式を発動するための魔力を貯蔵するつもりなのだろう。


 男が駆け出した直後、その背に少年が焦った様子で追い縋っていた。そして、彼の最速によってあっという間に追い付かれ――


(あめえなあ……)


 それを気配で察した男は内心でほくそ笑む。

 わざと背を向け、隙を晒したというのに、まんまと引っ掛かった。


 最初から狙いは少年の方だった。遠距離の砲火を喰らいながらの斬り合いというのも悪くはない。スリルに満ち、なかなか戦場らしく赴きがあって良いではないか。


 男は跳ね返るように背後を振り返り、右手を少年へと翳す。

 術式を警戒した少年が刀を横に倒しその峰に左手を添え、防御の姿勢を取った。

 男はそれには見向きもせず、


「来ォい! 『フェンリル』!!」


 高らかに呼びかけ、魔力が手のひらに収束し、それを生み出した。


 ――現れたのは、禍々しく刀身が歪んだ漆黒の剣。逆刃の部分が山脈のように波打っていて、この持ち主に相応しい凶悪な様相を呈している。


 それを見た少年の顔が驚愕に歪む。


 漆黒の刀身に魔力を強引に注ぎ込みながら、大仰に振りかぶり、


「消し飛ぶなよ、坊主?」


 直後、振り抜かれた魔剣から生み出された黒い炎が、少年のいた場所を薙ぎ払った。



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