隣の存在
あくる日の午後。
ようやく一日の日程が終わり、学園は放課後を迎えていた。
HRが終わり、生徒たちが席を立ち、それぞれが部活動や自主練に向かう中、エリーネは敏也の席の近くに来ると、帰り支度をしていた彼に話しかけた。
「大神くん、明日の数学の宿題、終わってますか?」
「……あっ」
戦修学園は魔術師と魔動機パイロットを育成するための特務機関ではあるが、かといって、一般教養をまったく教えないというわけではない。むしろ、そちらのほうはやたらと手が込んであり、そこらの進学校に引けを取らないカリキュラムとなっている。
――つい最近まで怠けていた敏也としては、かなりきつい内容だ。
「……『あっ』ってなんです、『あっ』って。――まさか、まだやってないとでも言うつもりですか? 明日提出なのに……?」
「すまん」
「……もうっ、何してるんですか、あなたは! …ほら、手伝ってあげますから、手早く終わらせましょう。ノート、出してください」
エリーネはそう言い、荷物を肩から降ろし、準備を始めようとしたのだが――
「いや……」
敏也がそれを一声で遮り、
「俺、明日、学校来ないから。だから、数学の宿題はそのうちやって出すよ。……先生に怒られても……今回は別にいいかな……」
ふぅ……、とまるで外に広がる雨空のような憂鬱さで溜息をつき、視線を机の上のカバンへと落とした。そんな彼をエリーネは訝しげに見、
「……学校に来ないって、どういうことですか? 何か用事でも……?」
その問いを受けた敏也は、今にも壊れてしまいそうなほど弱々しい笑みを浮かべ、エリーネを見る。
「……明日は、命日なんだ」
◆
次の日、敏也とエリーネは、日本列島の南側の海岸線を西に向かうバスに乗っていた。
中ほどの座席に並んで腰かけ、車体が時折発するガタガタという振動に揺られている。
バスは今、海岸線に敷かれた道路を走っている。道路の脇には山か、海しかない。海は太陽の光を反射してキラキラと輝いていた。
外は、ここ連日の雨模様にしては珍しく晴れている。――あの日と同じだ。
敏也は隣にいるエリーネに顔を向け、他の乗客の迷惑にならないように小声で話しかけた。
「……なあ、ほんとに良かったのか? いくら槇ちゃんに申請したからって、これで欠席一だぞ? お前、一応今年は無遅刻無欠席だったじゃんか。成績に傷がついたんだぞ」
◆
むしろそれよりも、昨日のあの後、職員室に行き、槇ちゃん先生にエリーネも欠席するみねを伝えた時のニヤついた表情のほうがよっぽど不味いのだが……。
「あ、ああ~、そういうことですか。いいですいいです。そういうことなら、フリートハイムさんの分もちょちょいとやっときますんで。異議を申し立ててくる人がいたら消し飛ばしてあげますから! ――グッドラック!」
最高の笑顔で最大の誤解をし、サムズアップ付きで意気揚々と送り出してくれたのだが――そもそも命日なのにグッドラックってなんなんだろう――今後何かあるたびにあのようないやらしい表情で見られるのはたまったものではない。
次に槇ちゃんと会った時に、エリーネと自分はそんな関係ではない、と誤解を解いておかなければならない。
◆
そんな敏也の内心を知りもしないエリーネは憤慨した様子で、
「いいんです! それに、今のあなたみたいに辛気臭い顔をした人を放っておいたら、何を仕出かすかわかりませんからっ」
「……そっか、わかったよ。もう言わないから許してくれ」
敏也とエリーネはそれきり口を噤んだ。敏也は肘かけに腕を乗せ、頬杖をつき、憂鬱そうな表情をしている。エリーネは顔を左に向けると、窓から外の景色を眺め始めた。
これは、別に会話が気まずかったからではない。
バスの中に充満した息苦しさに呑まれかけていたからだ。
エリーネは、その空気に人一倍息苦しさを感じていた。
(なんだか、空気が重い……どうして?)
チラリと視線を車内に向けると――誰もが花を手にしていたり、沈痛な面持ちで俯いていたりしている。中には泣いている人までいるようだ。
(いったい、どういうことなんでしょうか……)
彼女のその疑問はすぐに晴れることになる。それが、良い事なのかは別としてだが。
◆
それから一時間近く走り続けたバスは、ある広大な土地の外側で止まった。
その土地は、海に面しただだっ広く拓けている平野にも関わらず、何も建物が無く、草木は一本も生えていないし、あるものといえば建築物の残骸と瓦礫のようなものが散在しているだけだった。
バスの乗客たちは、全員がここで降車していた。無論、敏也たちもである。近辺の空き地には、車で訪れた人々が駐車しており、かなりの車数が並んでいる。
皆がその土地の奥――海側に向けて徒歩で進み始める中、エリーネはバスの停留所に呆然と立ち竦んでいた。
正確には、この停留所の、そこに記されているこの場所の名称があまりにも衝撃的で、思考が纏まらなくて――
「……ここは、まさか……」
「エリーネ」
何かに思い当たったエリーネがそれを口にする前に、敏也が話しかけた。
「ここからはしばらく歩きだけど、いいか? ……なんならおぶるけど?」
「……大丈夫です。あなたにおぶられるくらいなら、たとえ足を棒にしてでも歩き続けます」
「……そ。じゃあ、頑張ってくれ」
二人は他の人々に続くように歩き始めた。
それきり敏也は口数が減り、それに合わせるようにエリーネも黙り込んだ。
(……私の記憶が正しければ、ここは――)
◆
瓦礫の山を何度も迂回し、長年放置されたことで罅割れた道路を慎重に進み、舗装されていないでこぼこの地面を踏み越え、容赦無く照りつけてくる太陽を恨みがましく睨みながら四十分近く歩き続けることで、ようやくその場所に辿り着いた。
――慰霊碑。
おびただしい数の鎮魂の花束に囲まれた、厳かな墓。戦没者と被害者を祀り上げる墓石が、海の近くの見晴らしのいい場所に佇んでいた。その周りでは、誰もが涙を流しながら祈りを捧げ、花束を供えている。
そこは、ここに来るまでに通った瓦礫に埋もれた道とは異なり、きちんと舗装されている。どうやら定期的に業者か、それともこの土地、もしくは被害者に縁のある者たちが清掃しているらしく、ゴミ一つ見当たらない。
海側から吹きつける潮風が、なぜだか妙にしょっぱい気がした。
敏也も彼らに習い、花を供え、手を合わせて目を瞑り、静かに祈りを捧げていた。異国人であるエリーネも彼の仕草を真似て、同じように黙祷した。
そして、
「――エリーネ」
「……はい」
「少し……休憩しようか。それに、聞きたいこと、あるだろ?」
◆
二人は慰霊碑の後ろ側にある防波堤、そこにある浜に降りるための階段部分に座り込んで海を眺めている。
「……」
「……」
敏也とエリーネは揃って無言。二人とも何から話せばいいのか、何を聞けばいいのか、それがわからないようだ。
(いえ、これでは駄目ですね。私から聞きださなければ)
そもそも、着いてこようとしたのは自分なのだ。そんな自分が彼に気を遣わせ、会話の切り出しを望むなど、言語道断だ。甘ったれるにもほどがある。
エリーネは胸の内に決意を灯し、少々乱雑ではあるが、会話を切り出した。
「大神くん。この場所は……九年前の、あの事件が起こった場所ですよね……?」
「ああ、そうだよ。魔動機が市民を虐殺していった場所だ」
敏也は視線を海から外さず、ただ淡々と事実を述べるように、感情を極力込めないようにするがごとく、声音を押さえて言った。
(やっぱりそうなんだ……)
――この場所の名は三珠市。かつては、多くの人々が行き交った商業都市。
彼は、九年前の戦争『魔動機大戦』の節目に起こった事件の被害者なのだ。
世界の各都市で同時に起こった悲劇。それぞれの国の都市一つを壊滅させ、その都市に住んでいた市民の約九割の命を奪った大事件。
――第二世代魔動機『メシア』。その改修実験機が無人で引き起こした虐殺事件。
「……ここが、慰霊碑の周りくらいしか整備されてないのはな、被害者の縁者以外は誰も近寄りたがらないからなんだ。……街を焼いていた火が消えた時はさ、そりゃもうひどいもんだったらしい。辺り一面に燃え残った死体とか骨とかが散乱してて……」
今は、そんな恐ろしい光景がこの場所に広がっていたなどとは思えない。
「鳥とかが死体の肉を啄んでたらしいし」
そんな地獄のような場所があの日、この世に顕現したなどとは信じたくなかった。
「建物はほとんどが倒壊してたんだってさ。あ、それとさ、生き残った人の大部分は街の外周部に住んでた人らしい。んで、俺はというと、都市の中心部にいたのに奇跡的に生き延びたやつってわけ」
「……だから今日が……ご両親の命日なんですね」
「……ああ。あの日は、父さんと母さんが一緒にいたんだけどさ。家族の中で生き残ったのは、俺だけなんだ」
彼の表情からは感情が伺い知れない。――隠しているのだ。誰にもその想いを知られないように、悟られないように、心の引き出しに必死に押し込めて。
「見てみろよ、あそこ」
彼は後ろを振り向きながら、山の方角を指差した。そこには――
「……傷……?」
そう見えた。
山間部に縦一直線に走る傷痕。元は一つであったと思われる山を二つに分断し、その向こう側にある別の山さえも見事に貫いている。
バスを降りた時には、山間部が目の前だったために見えなかったが、ほど良く離れたここからならきちんと見える。
傷となっている部分には何もなく、山の断層が丸見えで、まるでそこの部分だけ、ホールケーキをナイフで切り分けるように、ごっそりと取ってしまったかのようだ。
「暴走した魔動機が消し飛ばしたんだよ。んで、山火事になってさ、そのせいで道路に木が焼け落ちてきて、救助部隊の到着が遅れたそうだ。その証拠にさ、あの辺りに生えてる木、若くて細いやつばかりだろ? 事件の後に植えられたものなんだ」
「……」
「きっと、あれがなければ、もう少し助かってた人は多かっただろうな」
そこまで言うと、彼は海の方角へと体制を戻した。エリーネもそれに習う。
「……帰る家がない、というのは、つまり……」
「ん、そうだよ。あれからは孤児院生活だったしさ。学園に入学してからは寮暮らしだから、戻ろうにもそこには居場所がないし。だからって親戚を頼ろうにも、だいたいはここに住んでたからな。みんなあの日に纏めてボンッ、だよ」
あはは、と陽気に笑いながら言う彼の様子を見ていると、どこか胸が締め付けられる気がした。無理をしているのが、ありありと伝わってきて。
「良く……生き残れましたね」
「運が良かったんじゃないかな。必死に逃げ回って、結局気絶して、――目を覚ましたら病院のベッドの上だったし。魔動機の最初の一撃で死ななかったのは奇跡だよなー」
その言葉は、まるで後悔しているようだった。自分もあの時死んでしまえば良かったのに、と言っているような気がして、思わず、目頭が熱くなってしまった。
「っ、それから、どうしたんですか?」
「……どうもしないさ。政府からは補償金が回ってきたし。それは孤児院の院長と職員の人がずっと管理してくれてて、学園に入学するときにほとんど手つかずのままで渡してくれたし」
「違いますっ。あなた自身のことです」
「……あー、そっちか。……だらだら過ごしてた……かな。何にもやる気がでなくてさ。学校の授業は適当に聞き流してたし――ああ、適当にしてても平均点は取れてたからさ、そん時はそれなりの頭に産んでくれた親に感謝したかな。……笑っちゃうよな。初めて心から親に感謝したのがそん時だぞ? 死んでからじゃ遅いっての」
自嘲するような口調でそう言った彼からは、切ない想いが伝わってきた。
きっと、彼は家族と仲が良かったのだろう。子ども心ながら親に反発し、時には衝突もしたのだろう。喧嘩もしたのだろう。
それでも、彼らは仲が良い家族だったのだ。だからこそ、一度も感謝を伝えられなかったことが、後悔に繋がってしまうのだ。
「……どうして、魔術師になろうと思ったんですか?」
「……流れに身を任せてって、最近までは思ってたんだけど、それは違った。第三交易都市で戦った魔動機のパイロットにさ、言われたんだ。――『なんでこんな世界を壊そうとしないんだ』って。それ聞いてさ、結局俺は逃げてただけだったんだって、わかったんだ」
「どういうことですか?」
「……憎いんだ。俺から全部取った奴らが。あの実験を主導した奴らがっ。罪を償わずに逃げた奴らがっ。……殺してやりたいって思った」
だが、そこで否定するかのように頭を振り、
「――違う、ずっと前から思ってた。だから、魔術師になれる可能性があるって言われた時は嬉しかったよ。――『これで復讐できる』って。でも、それをずっと見ないようにして生きてきた。そうしないと、自分を止められなかったから。無気力に生きて、それを押し止めてたんだと思う」
「そんなっ……じゃあ、私は……今までなんてお節介を……」
それを聴いて、これまでの自分の行いを後悔した。自分は、彼に頑張れと、しっかりしろと、そんな類の言葉を幾千と投げかけてきたのだから。
もしかしたら自分は、彼に多大な負担を掛けていたのではないか? 彼は必死に堪えていたというのに、そこに自分はさらに負荷を掛けて、彼を苦しませていたのでは――
「……そんなことないよ」
彼の否定の言葉が、その思考を断ち切った。
恐る恐る彼の顔を見てみると――彼は優しく微笑んでいた。
それは、ほんの少しのはにかみを内包していて……。
「……俺、ほんとはさ、エリーネがちゃんと怒ってくれて、嬉しかったんだ。……だって、お前は俺を見捨てなかった。俺がお前をどれだけ邪険にあしらっても、離れていこうとはしなかった。……俺は心のどこかでさ、きっとそういう人を待ち望んでいたんだと思う。だってさ……そういうのが本物の……なんていうのかな、……『家族』ってもんだろ?」
「っ、か、かぞく……って」
その言葉を聞いた瞬間、沸騰した。
彼はいきなり何を言い出しているのだろう。
いつも以上に穏やかな笑顔で、優しい声音で、まるでこちらを尊ぶように。
「……? ――あぁ、もちろん変な意味じゃないぞ? ……ただ、一人でもさ、自分の傍にいてくれて、親身になってくれる味方がいてくれたらさ、きっと、この衝動に身を任せたりはしないだろうし、どんなに辛くても生きていけるって――そう思ったんだ」
途中から海を――その水平線の遥か先を見つめながら、彼は言った。
本当に、彼は変わったと思う。変わり始めていると思う。
こんなにも素直に、穏やかに礼を言ってくるなど、以前の彼からは想像もつかなかった。
これが彼にとって良い傾向なのかどうかはわからないが、それでも、自分は今の彼を肯定したいと、そう思っていた。
柔らかな風が、今までの二人の間にあった誤解とすれ違いをそっと攫って行く。そしてさざ波が、今の二人の心を表すかのように、穏やかに打ち寄せている。
だったら、彼を安心させてあげるためにも、これだけは言っておかなければならない。
「……それなら仕方ないですね。本当に仕方ないですから、卒業までは味方でいてあげます。……仕方なくですよっ」
念入りに言って、顔を逸らした。恥ずかしいことを言っている自覚があったから。
頬と耳が焼けているように熱い。でも、それでも言っておきたかったのだ。
――これからも味方だと。だから、安心していいのだと。
その気持ちが伝わったのかどうかはわからない。でも、横目でバレないように様子を伺ってみると、彼は少しの間きょとんとしていたようだが、すぐにニッコリと――まるで子供のように無邪気な笑顔を浮かべ、
「――ありがとう、エリーネ」
さっきよりもずっと暖かな響きで、そう呼んでくれた。




