淡い心
女は歩いていた。
女の荷物はレジャー用の服装とリュックだけだ。連れは一人もおらず、孤独な旅を続けている。その顔は疲労で染まりきり、今にも力尽きてしまいそうだ。
「……もう……少しで……」
人気のない土地を歩く。――そもそも、こんな場所に人が住んでいるはずがない。
女が歩いている場所は、とある国の平原。その奥地にある広大な山中だった。地面から突き出されている岩石が女の足を絡め捕り、波打っている大地が行軍を阻む。
それでも女は進んだ。それが自分に与えられた使命だから。
そして、そこに辿り着いた。――山々に周囲を囲まれた渓谷。容易には発見されない秘匿ポイント。ポケットから取り出した端末でも確認したのだから間違いない。
嬉しさのあまり、笑いが零れてしまう。止められない。
「……アハ……アハハハハハハハ」
愉快だ。痛快だ。
自分たちがとんでもないことを成そうとしているのに、世界はそれに気付かない。気付けない。世界を出し抜いてやったという達成感が女の身を震わせた。
世界とは、実に滑稽だ。
女は上機嫌な様子で、リュックから漆黒の球体を取り出し、
「ゲノム照合。代替者によるアクセス認証。術式、起動っ」
その言葉とともに、脈打ち始めた球体が地面へと吸い込まれ――
「これで、同志たちの物と合わせて、五○○個目。……準備は整いました、ボス……」
下卑た笑いを浮かべながら、女は晴れ空を見上げていた。
◆
――六月初旬。外は相変わらず雨が降っている。
五月の半ばに一度だけ実地訓練が行われて以来、いまだに次の任務は降りてきていない。おそらく、学園上層部と出資者たる政府と企業が、世界情勢を鑑みながら最適な機を待っているのだろう。
敏也たちは、紫苑と大河と定期的に合同で自主訓練を行っており、戦闘状況に陥った際のフォーメーションなどを日夜研究している。
そして今、第十班は講義室を貸し切った状態で、その部屋に設置されているホワイトボードの近くある席に固まって座り、フォーメーションについて話し合っていた。
まるで教師のような雰囲気で佇んでいるエリーネが、ホワイトボードに書かれている暫定的な陣形を指差しつつ、席に座っている仲間たちを見ながら、言う。
「いいですか? まずフォワードは、私たちの中で一番突破力があり、対魔装甲という高い防御力を有する成瀬さんです。あなたが真っ先に敵に接触することになります。――成瀬さんの基本的な役割は敵先鋒と交戦すること、そしてあわよくば敵陣形を乱し、後方の人員が動きやすい状況を作り出すことです。――ですが、欲張ることはせず、決して無理はしないように」
「……任せて。ほどほどに頑張る。それに、力技は得意」
紫苑がコクリと頷く。それを見るとエリーネは再びホワイトボードに視線を戻し、
「そしてその後方に、近距離特化の大神くんと、近中両距離に対応できる八咫神さんを配置します。言っておきますが、あなたたちがうまく成瀬さんを援護できないと彼女が墜とされる危険性が高まり、私たちの陣形が乱れてしまいます。それと、左右より挟撃された場合に真っ先に対応するのもあなたたちです。――つまり、隊の中核を担う役割ということです。頑張ってください」
「ああ、わかった。できるだけ頑張るよ」
「まっかせてぇ、エリー。エリーの期待には、絶対応えてみせるよぉ!」
特に不平を洩らさず、二人が頷く。
「さらに、その二人の後方に、隊全体のフォロー役として神堂寺くん。――この班の中で飛び抜けた実力を持っているあなたには、臨機応変な立ち回りをお願いします。いつ、いかなる状況に陥ろうとも、メンバーの援護を主眼に置いて行動してください」
「了解した。最善を尽くそう」
マサルが、任せておけ、とでも言いたげに、尊大に頷く。
「その後ろに、砲撃担当の私と、魔動機による狙撃・砲撃両役の天埜くんです。私たちの役割は言わなくてもわかるとは思いますが、前方にいる人員の援護です。フォワードが迅速に敵陣に斬り込めるかどうかは私たちにかかっています。頑張りましょうね」
「うん、頑張ろうね」
大河が頷く。と、その時、敏也が「ちょいちょい」と大河の注意を引き、
「あとさ、大河。もし敵が俺たちを突破したときはさ、エリーネを抱えて逃げてくれ。こいつ、肉体強化使えないから」
「あ、そうなんだ。――わかったよ。エリーネさんのガードも僕の役目ってわけだね」
「そういうこと。――頼むな」
お互いに、ニッと笑い合い、承諾し合った。が、それを見ていたエリーネが、顔をほんの少しだけ不機嫌そうにし、かつ、その頬を微かに染め、
「……大神くんもたいがい心配性ですよね。それにそもそも、あなたが頑張って敵を止めればそのような事態には陥らないんですよ?」
「わかってるよ。ただ、万が一の時のためにな……?」
「そういう万が一の事態に陥らないように、精進してくださいっ」
「……へーい」
んだよー、と不満そうに文句を垂れている敏也と、少しだけ嬉しそうに口元を緩めているエリーネ。そんな二人を四人は眺めつつ、やれやれと苦笑していた。
そして、コホン、と咳払い一つで気を取り直したエリーネが、ズレていた話を戻した。
「――と、とにかく、以上が地上戦闘の際の基本的な陣形になります。また、空中戦の場合は成瀬さんと天埜くんを主軸に据え、私たち魔術師は地上からの援護が主となりますからね。戦闘状況や環境にも左右されるとは思いますが、極力これを崩さないようにしましょう。――よろしいですか?」
その確認に誰もが頷き、意義が無いことを示した。
そして、
「……では、ミーティングはこれにて終了ということで――これから、成瀬さんと天埜くんの歓迎会をするんですよね? 買い出しは誰が行くんですか?」
「んー、大河と紫苑は当然お留守番として、どうすっかね……」
敏也はエリーネに応えつつ、窓の外の景色――ザーザーという擬音では表現しきれないほどの豪雨へと目を向けた。
誰が見ても、今日外出する人間は馬鹿だ、と思うほどの雨と風。
だが買い出しに行かなくては、とてもではないが六人分の胃袋をもてなすほどの食料が存在しない。皆が自室に構えている冷蔵庫の中には、せいぜい一人が数日程度暮らせるほどの食料しかないのだ。
そもそも、学園の食堂は朝昼晩と開いているため、余程の料理好きか、それとも食堂に行くのが面倒な人間以外は基本的に食堂を利用するため、自室の冷蔵庫にはほとんど食材を置いていない。
皆、「え、俺(私)は行かないよ?」という気持ちが顔に現れており、
「わたしはやだよぉ? こんな雨の中を街まで行ったら、絶対下着まで濡れちゃうもん。服が身体に貼りつくあの感覚は、気持ち悪くって気持ち悪くって……」
「……私は別に行ってもいい。主賓だとしても、何も手伝わないのは心苦しいから」
「いえ、ですが、それでは本末転倒な気が……仕方ありません、こうなったら私が――」
「はっ!? エリーが行くならわたしも――」
「――やっぱりやめておきます。かつてないほどに身の危険を感じました。ある意味でテロ以上に恐ろしいです。……誰か代わりに行ってくれませんか?」
「ん~、僕は行ってもいいんだけど、さすがに一人では……ね。六人分の食材を買うとなると、それなりの量になっちゃうだろうし……」
「なんか決まりそうにないな。日を改めるって手もあるけど……どうすんの、エリーネ」
「……あなたは、自分が行くという発想には至らないんですか?」
「我が身が大事なのぉ! こんな雨の中、外に出たくないのぉ!」
敏也は、嫌嫌、と首を振りながら言った。それを見たエリーネは額に青筋を浮かべ、
「この……っ、その言い方と仕草、非常に鬱陶しいです! やめないと焼きますよっ!」
「うわっ!? もう火の粉飛んできてるって! やめろってばっ、ちょっと場を和ませようとしただけじゃん!」
展開した術式から火の粉を迸らせながら、エリーネが敏也に飛び掛かろうとし――
「はは、敏也君とエリーネさんは仲が良いね」
「……うん、そう思う。仲良し小良しという感じ」
「「どこがっ!?」」
二人は、バッと顔を向け、大河と紫苑を批難の目で見やる。
が、二人は何が敏也たちの気に障ったのかわからないと言った具合で、仲良く揃って小首を傾げ、頭の上に疑問符を浮かべている。
「このっ……天然どもが! 揃って不思議そうな顔しやがって!」
「天然が二人も揃うと厄介ですね……っ! 自分たちが見当違いなことを言っていることにまったく気付いていません」
敏也とエリーネが慄いていると、大河と紫苑は眉根を寄せた状態で思案に耽り、
「う~ん、僕は天然じゃないと思うんだけどなあ……。それに、そんな変なこと言った覚えもないんだけど。……ねえ、紫苑?」
「……大河はともかく、私には変なことを言ったつもりはない。むしろ、今の状況から導き出される最適解を答えたはず」
「……僕のことはフォローしてくれないんだね、紫苑……」
「……大河は強い子だから、私の助けは必要ないと判断した。あなたは誇っていい」
「…………本音は?」
「……面倒だった」
「そうだと思ったよっ! もおぉぉぉーっ!!」
大河がショックのあまり泣き叫び、机に突っ伏した。その肩が小刻みに震えている。
そんな彼を見た紫苑は「しまった……」と呟き、無表情なまま目だけを泳がせ始めた。
と、その時、
「……ならば、俺が一人で行こう。なに、肉体強化を使えば、六人分の食材を運ぶなど容易いことだ。それに、俺は濡れても構わんしな」
マサルが静かに立候補していた。こういうイベント事には、普段さほど乗り気ではないはずのマサルがだ。騒いでいた大河と紫苑も、彼の放つ雰囲気から「そういう人」だと判断していたため、二人して顔を向け、この出来事に面喰っていた。
講義室がシーンと静まり返っている。予想外の事態に誰もがポカンとしているのだ。
――が、奈々が神妙な面持ちでそれを破る。
「……マサル、あのさ……男の濡れた姿なんて、わたし、求めてないんだけど……」
「……八咫神よ。戦場に立った時は覚悟しろ。お前を後ろから討つ」
「ぎゃあっ!? ――っていうか『討つ』なのっ? 『打つ』とか『撃つ』じゃなくて、討滅しちゃうのっ!?」
「安心しろ、お前の身体が二つに分かれるだけだ。大した問題ではあるまい?」
「大した問題だよっ! わたしの人生の中では最大の事案だよっ!」
「――大丈夫だ。お前はお前なのだ、八咫神。たとえどんな姿になろうとも、お前は八咫神奈々だ。だから胸を張るがいい」
「良い台詞と表情が台無しだよっ!! 菩薩みたいな表情して殺害予告とか……そもそも肉塊になってまで自分に拘りなんて持たないよ!」
ギャーギャー喚きながら夫婦漫才を始めた二人を尻目に、残った四人は離れた場所に陣取り直し、話し合いを再開した。
「では、残った私たちはこの後、大神くんの部屋に集合ということで」
「あ、じゃあ僕、自分の部屋からジュースとか取ってくるよ。たしか、オレンジジュースの大きいのがあったと思うから」
「助かります。……そうですね。なら、私も何か持っていくことにします」
「……じゃあ、私はツマミになりそうなものを持っていく。確か、棚の奥に未開封の裂きイカがあったはず」
「しっぶ……、若いお嬢さんのチョイスじゃねえよ。もっと甘いもんとか食しなさい――ていうかっ、なんで俺の部屋なんだよっ!」
敏也の抗議を受け、エリーネはチラリと冷やかな視線を彼に向けた。
「……あなたは、女の子の部屋に入りたいとでも言うつもりですか?」
「うん、もち――冗談だよ、冗談。だから睨まないで、お願いっ」
エリーネは敏也を不機嫌そうに睨んでいた。が、
「……まったく。女の子が不用意に男の子を部屋に上げるわけないじゃないですか。少し考えればわかることですよ。――ところで、なぜあなたの部屋かと言いますと……」
そこでニッコリと笑い、
「刃傷沙汰が起きても、誰も困らないからですよ」
「困るわ! 俺が困る! 部屋主の俺が一番迷惑被るからっ! そもそも刃傷沙汰が起きるとか、どんな歓迎会だ!」
「あなたが馬鹿なことをすればそういうことが起きるでしょうね。身の振る舞いには常々気を付けることです、――大神くん」
と、言ったエリーネの目は笑っていない。敏也はひくっと頬を引き攣らせ、
「な、なんか怖いんですけど。エリーネ、怒ってる……?」
「いいえ? 別に怒ってはいませんよ? ――ただ、今更ながら、あなたが春美会長に破廉恥な真似をしたということを思い出しまして……ちょっと煮え滾ってるだけです」
「あの……それって怒ってるよね? それって殺意だよね? わかる、わかるよー。俺には痛いほどその気持ちがわかる! ――だから赦してっ、ごめんなさい!」
「……ふんっ、大神くんは厭らしい人です。……そうでしょう? 大神くん」
エリーネにギロリと睨まれた敏也は席を立ち、直立不動の姿勢になり、
「はい! 俺は厭らしいです! 救いようがないほど厭らしいです!」
「……よろしい。その殊勝な態度に免じて今回は赦して上げましょう。今後は立ち振る舞いに気を付けるように。――次はありませんよ?」
「サー、イエッサー!」
ビシッと敬礼し、言った。女絡みの問題で女性に一方的に叱られるなど、なんとも間抜けな兵隊もいたものだ。
と、そこへ、
「ところでさ、敏也君の部屋は何号室なの?」
「ああ、そういえば、大河は知らないんだっけか」
「……『大河は』?」
大河が不思議そうに首を傾げた。そこを敏也が言及する前に、紫苑が言う。
「……大河、敏也の部屋は私が知っている。だから、荷物を取ってきた後、魔動科の学生寮の前で待ち合わせしよう」
魔術科と魔動科の学生寮は別々に存在している。しかし元々は、男子寮、女子寮という形でそれぞれ二つずつマンション型の施設が割り当てられ、運用されていた。
だが、両学科の仲が最悪の極みで、なおかつ日照権を巡って度々問題――爆発騒ぎ、殴り合いなど――が起こってしまった。ゆえに、使用する建物を交換し、魔術科の男子寮と女子寮、魔動科の男子寮と女子寮という形で再配置されることになったのだ。
ちなみに、南側の建物が女子寮である。なんでも、ベランダから部屋の中を強化した視力で覗かれるのを危惧してのことだとか。そういった配置のせいで、両学科の男子寮の下層にある部屋は、少々日当たりが悪くなっている。
大河は訝しげに顔を歪め、
「……なんで紫苑が敏也君の部屋を知ってるの?」
「……? 以前訪れたことがあるからだけど」
「……んなっ!?」
聴いた大河は目を剥いた。あわわわ、と口を戦慄かせ、膝がガクガクと震え出している。だが、紫苑は彼が何にショックを受けているのかわからないと言いたげな面持ちで大河を見つめていた。
そんな彼らを見ていた敏也は「…………あ、そういうことか」と唐突に納得し、
「大河、お前が何を勘違いしてんのか俺にはわかんないけどさ、別にこれは色恋沙汰じゃないぞ。――な? エリーネ」
「ええ、そうです。以前、私たちが成瀬さんにお世話になった時に、一緒に食事をしただけです。その時は春美会長も一緒でしたし、大神くんが成瀬さんに厭らしいことをする隙はありませんでしたよ」
「……そ、そっか。そうなんだ。……よかった」
敏也とエリーネからの否定を受け、大河はほっと胸を撫で下ろしていた。
その様を敏也は目を細めながら眺めつつ、
「ま、あれだ。二人がこっちの寮に来る時、もし魔術科に絡まれたらすぐ連絡しろよ?」
「……了解。ただ、すぐに殲滅するけど」
「君ならやり遂げそうだけど、無茶しないでよね、紫苑」
「……わかってる」
「本当かなあ……」
(ふーん、これはこれは……)
敏也は内心で黒い笑みを浮かべ、大河のその紫苑を心の底から心配しているような様子をじっと観察していた。
◆
七○一号室。大神敏也の居室にて。
「な、大河ってさ、紫苑のこと、好きだろ?」
「ひょわぁっ!?」
敏也の囁くような小声の問いに大河は素っ頓狂な声を上げ、その身を飛び上がらせた。
手に持っていた小皿六枚を危うく落としかけるが、なんとか持ち直す。
その声と、皿と皿がぶつかり合うことによって発生した耳障りな音を聴いたのか、台所で冷蔵庫の残り物を使って一品を調理していたエリーネと紫苑が振り返る。
が、大河は「なんでもないから!」と誤魔化し、事無きを得た。
そして、疲れたように息を吐いたあと、戦慄の表情で敏也を見る。
「な、ななななに言ってんのさ。ぼ、ぼぼぼぼ僕が紫苑を……す、すきぃっ!? ――ふっ、嫌だな、敏也君。僕がそんな俗事に感けるわけないじゃないか」
「……わざとらしい誤魔化し方だな、おい。ていうか、途中から別人になってんぞ」
始めはドモリまくりだったくせに、途中からは凛々しい声で誤魔化し始めた大河を敏也は冷たい眼差しで見つめ、言った。
大河はそれを気にした様子もなく、というよりも気にしないようにしているのか、澄まし顔のままで歩き、炬燵机まで辿り着くと、その上に食器を置いた。
「だ、だいたいさ、そう思った根拠はなんなのさ。ないでしょ、ないよね、あるわけないって! ほら、つまりさ、それは君の勘違いなんだよ、敏也君!」
「涙ぐましいほどに必至だな。――けどな」
ニヤッと笑い、
「ネタは挙がってんだよ、天埜大河」
「……そ、そんな馬鹿なことが……う、ううん、あり得ないよ! だって、僕たちはまだそれほど長い時間を共有したことはないはずだ! ということは、確信を得るだけの時間的余裕なんてなかったはずだよ!」
そうでしょ、と大河は憤慨しながら捲し立てた。
その動揺っぷりが全てを如実に物語っているのだが、手に入れた玩具を早々に手放すのは惜しいのでそれを敢えてスルーし、代わりに意地の悪い表情を浮かべた。
「――紫苑が俺の部屋の場所を知ってるって言った時、すっごい動揺してたなあ……」
大河がビクッと身を震わせたが、敏也は気にせず続ける。
「あ、そういえば、細かいのも勘定に入れれば、紫苑の言葉一つ一つに一喜一憂してるよなあ……?」
ぐぅ、と苦しそうに呻く声が聴こえたが、敢えて聞き流して続ける。
「それにさあ、俺はこの前、春美さんから、ある情報を仕入れてるんだよ」
「ある情報? ね、姉さんが……なにを……?」
「たしか……――『大河は一年生の頃から好きな子がいる』『その子は美人』だったかな。……おんやあ? 大河の周りでこの条件に合致するのは……紫苑じゃないか? いやいや、もしかしたら違う人かもしれないけどなあ……?」
「うぐぐ……」
とうとう追い詰められた大河。そこへ新たな刺客が現れる。
「ゲッヘッヘッヘ、面白そうな話をしとるやないか。おんちゃんも混ぜとくれ」
「ひっ!? な、奈々さん、何してるのさっ!」
「気にしなさんな。――逃げられないようにしてるだけだよぉ☆」
先ほどまでテレビを観ていた奈々が下種な笑いを浮かべ、大河の服の裾に亡者のように縋りついていた。その目が爛々と輝き、新しい玩具を与えられた無邪気な子どものような嬉々とした雰囲気を放っている。
ガシッ、と敏也が大河の左肩を掴み、
「さあ、大河。もう逃げられないぞ。大人しく心中を吐露しちまえよ」
「さあさあ、おんちゃんらに言うてみい。悪いようにはせえけんのう、……ぐふふ」
「う、ああ……うわああぁぁあぁああぁ!?」
大河は二人にズルズルと引き摺られ始めた。
これから話す内容を台所にいるエリーネと紫苑には聞かれないように、部屋の隅、つまりはベランダ側へと移動させられる。
そして、三人は部屋の隅で顔を突き合わせ、小声で話し始めた。
「――で、結局どうなんだよ、大河」
「しおちゃんのこと、好きなの?」
ニヤニヤ笑いを浮かべた敏也と奈々がさらに詰め寄り、問い詰める。
二人による詰問を受けた大河は、逃げ切れないとわかったのか、力無く肩を落とし、
「……もう……内緒にしてよ? じゃなきゃ、話さない」
「おう、もちろん。だから全部話せ、早くっ」
「うんうん、約束するよぉ。約束約束。んじゃ、どーぞー」
そんな投げ遣りな二人の様子を見た大河は「……大丈夫かなあ」と呟いたが、頭を振って気を取り直し、息を整える。それから、真剣な表情で想いをポツリと零す。
「……ま、そうだよ。一年の頃から、ずっとね」
「おおー」
と、敏也と奈々は小さく歓声を上げた。
まさか肯定してくれるとは、先ほどまでの取り乱しっぷりからは想像できなかった。ゆえに、その歓声には驚きだけでなく、称賛も込められている。
「で? きっかけはなんだったんだ?」
「やっぱ気になるよねー、そこはさ」
「きっかけ、かあ」
問われた大河が想いを巡らせるように感慨深く呟き、視線を天井へと向けた。それから数秒目を瞑ったまま動きを止め、佇む。そして、
「……やっぱり、僕と違って強いってことが一番の理由かな……」
と、所在なさげな様子で呟いた。それを聴いた敏也たちは訝しげに眉を寄せ、
「ん? それってさ、紫苑に限った事なのか? 他にも怖……強い女の子なんて、この学園にはごろごろいるだろ? 腕っ節があんまり関係ない魔動科には特に、さ」
「確かにねぇ……てことはさ、しおちゃんを好きになるなにかがあったってことっしょ?」
「うん、まあそうなんだけど……それは話したくないんだ」
ごめんね、と申し訳なさそうに大河は言った。そんな彼を見た敏也と奈々は不思議そうな表情をしたあと、なにやら得心がいったように、ああ、と頷き、
「そっか、そういうことか。なるほどねえ……?」
「うふふ、たいちゃんもなかなかいじらしいじゃないさぁ」
「な、なんなのかな? なに、そのニヤついた顔は」
二人の顔を交互に眺めながら大河は問う。すると、二人は「いやいや」と首を横に振った後、まるで大河を気遣うかのような顔をした。
「いいんだ、大河。俺たちはちゃーんとわかってるから。――な、八咫神」
「ん、そうだよぉ。……だって、二人だけの思い出なんだもんねぇ? そりゃ、言いたくないってもんさ」
「ちょ――!? 違うから! そういうんじゃなくて……っ!」
「あー、それよりさ、いつ告白すんの?」
「おっと、一番大切なことを忘れてたねぇ。ナーイス、敏ちん」
「こっ、こ――!?」
「……鶏か?」
「違うよッ!!」
「まあまあ、落ち着きなよぉ、たいちゃん。あんまり大声出すと――」
奈々がオーバーヒート寸前の大河を諌めにかかったが、時すでに遅く。
「……大河? どうしたの、大声あげて」
「ひえっ!? ……し、紫苑っ?」
三人が背後を振り返ると、すぐそこに湯気の立っている大皿を抱えた紫苑が居た。そして、その後ろにはエリーネが居る。そのどちらも、不思議そうに首を傾けていた。
内緒話をしていた三人は、二人を見て頬を引き攣らせ始めた。
なにも、大河の恋路を邪魔するために聞き出したわけではないのだ。これは単に、興味本意。だからこそ、ここで正直に話して何もかもをぶち壊してしまうわけにはいかない。
三人が冷や汗を流しながら黙り込んでいると、エリーネが不機嫌そうに眉を吊り上げ、
「あなたたち、そんな隅で何をしていたんです? ……まさか三人で、大神くん所有の極めて悪趣味かつ如何わしい本でも見ていたんですか?」
「おい、待てっ!! なんでそこで俺のエロ本を見ていることになるんだっ! そんなの人に見せるわけないだろうがっ! そもそも悪趣味なのは持ってねえよ! これは言い掛かりだ、名誉毀損だ、訴えてやる!」
「――如何わしい本自体はあるんですね?」
エリーネの目がギラリと光る。敏也の身がびくりと竦む。視線が泳ぎ、
「う、あ……いや、その……なかったなー、そういえば、うん、あるわけないさ、そんなもの。ハハッ、エリーネ、なに言ってんの……」
「…………ふうー。いま認めれば罪が軽くなるんですけど、大神くんはしらを切ることを選ぶんですね。……わざわざ苦痛に満ちた道を選ぶだなんて、やれやれです」
「ごめんなさい、持っています。ばっちり所持しています。データもあります。御命令とあらば差し出しますので、お願いだから怒らないでください……」
敏也が心底怯えながら懇願する。すると、エリーネが困ったように視線を逸らし、
「そ、そこまで怯えなくても。冗談だったのに……。……やっぱり今までが厳しすぎたんでしょうか……」
途中からは後悔するかのように肩を落とし、か細い声で呟いていた。
そんな彼女の声を聞き、表情を見た敏也は「エリーネ?」と首を傾げ、奈々は「まったく、不器用だねぇ……」と呆れてかぶりを振っていた。
「……やっぱり二人は仲が良い。そう思わない、大河」
「だね」
紫苑が机に大皿をコトッと置きながら言った言葉に、大河は躊躇い無く頷いた。
◆
それから数分後。
敏也たちは、雨音をBGMとしてテレビ画面に流れている映像を眺めている。
《――国連の主導の元、太平洋のほぼ中心に二年前から建設が進められている人口島ですが、現在では基盤の構成がほぼ済み、建築物用の機材の搬入が――》
「まーた人工島か。いったい、いくつ交易都市造れば気が済むんだ?」
「さあ、どうなんでしょうね。偉い人たちの考えることはわかりません」
敏也とエリーネはテレビ画面をぼんやり見つめながら呟いた。
そして、大皿に乗っていた野菜炒めから立ち昇る湯気が徐々に失われ始めたころ。
「――戻ったぞ」
「おう、おかえり、マサル」
「おっかえり~、マサル」
玄関側から聴こえてきた声に、敏也と奈々がいち早く応えた。
「おかえりなさい」
そして、エリーネ、大河、紫苑もそれに続いた。
リビングに姿を現したマサルは、両手に持っている計四つの買い物袋一杯に食材と惣菜を詰めており、見るからに重そうな様相を呈している。が、マサル自身は大して重そうにはしていない。肉体強化の恩恵によるものだろう。
「あれ……お前、なんでこの雨の中濡れてねえの? それに、そんなに持ってたら傘させないだろ?」
「言われてみれば確かにそうですね。いったいどういうカラクリなんですか?」
この豪雨の中突き進んだにも関わらず、その身に水滴一つ付けていないマサルに対し、敏也とエリーネから疑問が投げ掛けられた。
問われたマサルは冷蔵庫前まで行き、買い物袋を一先ず降ろすと、
「決まっている。術式で雨風を防いだのだ」
「術式?」
「ああ。――こうだ」
そう言った瞬間、青色の魔方陣がマサルの上方に展開される。そして、そこから水が生み出され、それがまるで膜のようにマサルの周囲をスッポリと覆った。
「防御用の術として調整をしている試作品なのだがな。まさかこんな活用法があるとは、俺自身、夢にも思わなかったぞ」
マサルは、くっくっく、と愉快そうに笑っているが、エリーネと奈々は興味深そうにその術式を見詰めている。
「う~ん、さすがはマサルってとこかなぁ? わたしじゃ、こんな七面倒なもの制御しっぱなしってのは疲れるから無理ー」
「……広範囲へ放出するのではなく、あくまで自分のみを覆う程度の規模で留める――これを制御しながら歩くのは、相当大変だったんじゃないですか?」
「その通りだ。魔力障壁で似たことをしているエリーネ嬢ならわかるとは思うが、これがなかなか制御に割く神経が多くてな。ここまで来る途中、何度か綻びかけもした」
マサルが疲れたように漏らした言葉を聞いた、魔術科であるにも関わらず魔術に関してほとんど門外漢である敏也が呟く。
「マサルでも難しいってことは……エリーネって実はすごかったのか?」
「『実は』ってなんです。その言い方だと、まるでつい今しがたまでそう思ってなかったように聴こえるんですが。あなた、私が肉体強化以外の項目が上位だってこと、忘れていませんか?」
「いや、忘れてないけどさ、まあなんというか……ねえ?」
「……どこか含みを感じるんですけど。言いたいことがあるならハッキリ言ったらどうです?」
「ほらほら二人とも、喧嘩しないでよ、ね?」
「……喧嘩は駄目。というか、お腹空いたから早く調理しよう」
二人の遣り取りを見かねたのか、大河と紫苑が仲裁に入ってきた。
「あ、ごめんなさい。――そうですね。大神くんを問い詰めるのは後でも出来ますし、今は先にご飯作っちゃいましょうか」
「……うん、私もまた手伝う」
「助かります。――ほら、八咫神さんも。今度はちゃんと手伝って貰いますからね!」
「うへぇ……わたし料理苦手だから嫌なんすけど……」
「食材を切るだけです。味付けと調理は私と成瀬さんで済ませますから」
「い~や~だ~」
エリーネは奈々の首根っこを掴み、そのまま台所に出しっぱなしになっていたまな板の前まで彼女を引っ張って行った。紫苑もその後をトコトコと続いて行く。
「……エリーネ、俺たちも何か手伝おうか?」
「いえ、これ以上台所を狭くできませんし。あなたたちはテレビでも見ていてください。すぐにできますから」
「りょーかい」
そう言われたことで男三人は手持無沙汰になり、揃って居間のほうへ歩き出した。
そしてテレビの近くに着いた直後、マサルが女子一同に聞かれぬよう小声で、
「敏也、お前、さっきは何を言い掛けたのだ?」
「ん、ああ。なんつーかさ、最近エリーネのこと、学年で上位だとか、そういう遠いものには思わなくなってきたというか、そういうことを言いそうになっちまったんだよ」
「? それは言い淀むことなのか?」
「う~ん、そうだよね。むしろ、そう言ってあげたほうが、エリーネさん喜ぶんじゃないかな?」
マサルと大河は揃って訝しげな顔をしている。
「違う、そうじゃないんだ」
敏也は否定するように首を振った。
「どういうこと?」
「……なんというかさ。気構えができる前にそういうこと口走って、それを運良く否定されずに肯定されでもしたらさ、……もしもそれで、これ以上あいつを近くに感じたらさ、たぶん俺、寄り掛かりたくなっちまう。……あいつのこと何も考えずに、気遣わずに、もたれかかるだけの柱にしちまうんじゃないかって、不安になるんだよ」
途中からは悲痛に拳を握り込みながら紡がれた言葉に、マサルと大河はどこか察した面持ちで微笑を零した。
「……そうか」
「……なんとなくだけど、わかるなぁ」
そして、男三人は炬燵机の周りに陣取りながら、思い思いの表情を浮かべ、テレビへと目を向けた。




