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双天の共鳴者  作者: 月山
第二章-1「キメラ襲来」
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傷の人


 次の日の放課後、敏也は生徒会室の扉の前に佇んでいた。


 今回は以前とは違い、罰則のために訪れたのではない。

 自主訓練をするために魔術師用のトレーニングルームの使用許可を貰おうと職員室を訪れたのだが、その際に槇ちゃん先生に生徒会室まで書類を送り届けるというおつかいを頼まれてしまったのだ。


 師曰く、「おつかいに行ってくれないと、許可出しませんよ♪」とのことだった。

 これは職権乱用なのではないだろうか。いたいけな生徒を脅迫して使いっぱしりとして扱き使うなど、非道かつ外道にも程がある。

 こうなれば他の先生に、槇ちゃんがまた授業中に魔動機談義に華を咲かせて脇道に逸れていたことをチクらなければならないかもしれない。


 そんなことを考えながらも敏也は憂鬱だった。


(俺、春美さん以外の生徒会役員って苦手なんだよな……)


 どうにも『生徒会役員』と聞くとお堅いイメージが先行してしまう。

 ほとんどの役員とは面識がないのだが、それでもそういうものなんじゃないか、というレッテルが浮かんできてしまい、苦手意識が生まれてしまう。

 それがいけないことだとわかっていても、苦手意識を払拭することはなかなか難しい。


 敏也は溜息を一つだけ吐くと、扉をノックした。すると、


「は~い、どうぞー」


 と、春美の間延びした声が返事として返ってきた。それを耳にすると、敏也はさっさと扉を開けにかかった。


「ども、槇ちゃんのおつかいとして来ました」


 そう言いつつ、生徒会室に入る。

 ――そこには、生徒会長用の椅子に座った春美と、その隣にまるで会長の補佐であるかのように書類片手に佇む一人の女性徒がいた。


 短いポニーテールに、真面目そうに引き締まった表情。そして、首筋から――服に隠れて見えないものの恐らくは肩にかけて走っている、火傷のようでもあり裂傷のようでもある大きな傷痕。


(この傷……。この人が春美さんの相棒なのか?)


 以前に春美から聞いた特徴と一致する。ほぼ間違いないだろう。


 敏也はそれ以上は深く思考せず、あまりじろじろ見るのは不躾だと思い、そこには極力視線を向けないようにした。


 どうやら二人は何事かを相談していたようで、春美もその人物も敏也のほうへとチラリと目を向けると、「少しだけ待って」とでも言いたげに視線で訴えてきた。

 それを受けた敏也は、適当に椅子を引っ張り出し腰掛けると、槇ちゃん先生から預かった書類を机の上にポサッと置いた後、椅子深くに沈み込んだ。


 それから少しして――


「――うん、そういうことで。お願いね」


「わかった。あたしが処理しとく」


 どうやら二人の相談は終わったようだ。そして、二人の視線が敏也のほうへと向いた。


「さて――お待たせ、敏也君。今日は特に罰則の連絡は受けてないわよ?」


「や、さっきも言いましたが、罰則じゃなくておつ――」


「それとも、生徒会を手伝いに来てくれたのかしら? 嬉しいわ、ちょうど人手が足りなくて困っていたの」


「……いや、だから俺は――」


「手伝って」


「……」


「~♪」


「…………はぁ…………わかりましたよ。手伝えばいいんでしょ」


 とびきりの笑顔で有無を言わせず押し込んできた春美に対し敏也は盛大に溜息を吐くと、しぶしぶながらその申し出を了承した。

 どうやら今日は、自主訓練はできないようだ。



 仕事を春美から押し付けられた敏也は、教員によって受理された魔動機の使用願いの書類を整理していた。

 気分はイマイチ乗らないが、真面目に取り組まないと春美が怒り出すかもしれないため、敏也は黙々と手を動かし、紙束を使用目的別に仕分けしている。


 と、その時、ある一枚の使用願いに目が留まった。


(……ん、なになに? 『大好きなあの子に告白するために魔動機の使用許可をください!』? ――馬鹿だろ。どんな告白の仕方だよ。アクロバティック飛行でもかまして空に『愛してる』とでも飛行機雲で書くの? ていうか教員も使用許可出すなよ! どっちも馬鹿かっ!)


 そんな風に可笑しな内容にツッコミを入れながら仕分けしていると、先ほど春美の隣にいた女性徒が敏也の近くに歩み寄り、そして彼を見下ろし、話しかけた。


「いやー、ごめんな、大神君。なんだか、春美が無理矢理手伝わせるような真似しちゃって」


「いえ、気にしないでください。慣れてますから。……えーっと?」


「? ――ああ、名前か。あたしは佐上薫な。君の話は春美からよく聞いてるし、君が罰則に訪れた時に何回か姿を目にしてたよ。よろしくな、大神敏也君」


「はい、こちらこそ、よろしくお願いします」


 敏也は正直面喰っていた。

 今、自分が見上げている佐上薫という名の女生徒。魔動科三年生のベテラン。生徒会副会長。――もっとお堅い人物だと思っていた。

 だが、実際はフランクな物腰で取っつきやすく、表情は快活でさわやか、というか服装によっては男前になりそうなほど、はきはきとした人物だった。


 と、敏也がそんなことを考えていると、薫が品定めをするかのような視線を向けてきていた。


「ふむふむ、これが噂の『敏也君』か。――なるほど、少々やさぐれたような雰囲気を纏いながら、それでいてどこか優しげで儚げで、それに加え、頼まれればしぶしぶながらも手伝う甘さも持ち合わせている、と。……うん、春美が執心するのも頷けるね」


 うんうん、となにやら自分の考えに首肯しながら彼女は言った。

 敏也は若干戸惑いながら、おっかなびっくり視線を投げかけ、


「な、なんなんすか……?」


「いや? 単に君がどういう人間なのか興味があってさ。だって春美ってば最近まで、やれ『敏也君情けない』だの、やれ『敏也君とエリーネちゃんには仲良くしてほしい』だの、そんなことを缶ジュース片手かつ酔っ払い風にそんなことばかり言っていたもんだから」


 と、そこへ、会長席から立ち上がった春美が呆れ顔で二人に歩み寄り、


「ちょっと、薫。そういうプライベートのお話は控えていただけるかしら? それに、会話の一部分だけを伝えると、わたしが敏也君の悪口を言っていたみたいに聴こえてしまうじゃない。――ほら、彼、落ち込んじゃってるわよ」


 薫が春美の視線を追い、そちらへと目を向けると、椅子に座っている敏也が傷ついた様子で暗い雰囲気を纏っており、


「どうせ……俺は情けないですよ……」


「おや? すまない、大神君。君がそこまでデリケートな子だとは思わなかったよ」


「俺の心は硝子細工なんです。大切に扱ってください……」


 敏也がくすんと嘘泣きをしながら冗談めかして言うと、薫は快活に笑いだした。


「はっはっは、そんなことが言えるような面の皮の厚い子が、それほど繊細なわけがないな。――今後は冷たく対応させてもらうとするよ」


「し、しまったぁ! 藪蛇だったかっ!? くっ、うまく取り入ることができると思ったのに」


 ワザとらしい口調と素振りで言う敏也に、薫が疑念で眉根を寄せ、問う。


「ん? あたしに取り入って、どうするつもりだったんだい?」


「いやー、春美さんを一緒にからかおうかと」


「おお、それはいいね。そういうことならいいだろう。力を貸そうじゃないか」


 その不穏な同盟の成立を目にした春美は、戦々恐々とし始め、


「ちょ、ちょっと、薫? 敏也君? あなたたち、なに言ってるかわかってるの?」


「安心してください、春美さん。からかうネタができたときだけですから」


「うんうん、そうだよ。だから安心しなよ、春美」


「安心できないわよっ!」


 ニカッと朗らかに笑いかけてくる二人を、春美は精いっぱい吊りあげた目で必死に睨んでいた。しかし、彼女の目は元々垂れ目であるためか、吊り上げたとしてもまったく迫力がない。むしろ、可愛げが増すというものだろう。


 それから数秒の間、春美は複雑な想いで唸った後、なんとか平静を取り戻すと敏也に向かい、言う。


「――それはそれとして、敏也君。あなた、また今日も自主訓練を行おうとしていたでしょう」


「ええ、そうですけど……それがなにか?」


 敏也がきょとんとした表情で問う。春美はそれには答えず、顔を少しだけ顰め、


「……あなた、昨日の紫苑との戦いでは、身体を許容限界以上に強化して戦っていたそうね。紫苑から聞いたわよ」


「……えっと、それがなんですか?」


「……それがなんですか、ですって……? ――あなたはバカなのかしらっ?」


 敏也のとぼけた様子に目尻を吊り上げた春美が、腰に両手を当てながら、


「わたしは魔術に関しては専門ではないけれど、それがどんなに危険な真似かってことぐらいはわかるわっ!」


 生徒会室に、彼女の怒りを滲ませた悲痛な叫びが木霊する。


「だって、今まで実地訓練で戦ってきた魔術師たちは、追い詰められた時、身体を限界まで強化して逃げ出していったから……」


 そこまで言うと彼女は顔を伏せた。苦しそうな表情を浮かべている顔が青ざめる。


「……その時、彼らの肉体が崩壊していくところをわたしは見てきたのよ。血が服に滲んで、苦痛に顔を歪めて……。……だから、わかるのよ。あなたがどれほど危ない真似をしていたのかってことを。――なのに昨日の今日で、その痛んだ身体に鞭を打って訓練をしようだなんて、バカとしか言いようがないじゃないっ!」


「……それは……」


 敏也は苦い顔をし、春美から視線を外した。


 ――図星だった。自分の肉体は昨日かけた負担のせいかガタガタで、筋肉痛が主に手足を中心に襲っている。それに加え、全身の関節が鈍く痛み、身体の動きを阻害する。


 肉体強化を、己の魔術適正を上回る精度でかけたことによる、リバウンド。

 過ぎた力を行使したことによって発生した、対価。


 だというのに、こんな身体で訓練を行おうとした。――怒られて当然だ。


 きっと、槇ちゃん先生にもバレていたのだろう。だが、『大人』という立場からでしか生徒に接することができない自分では、下手をすれば生徒の態度を硬化させてしまうかもしれないと思い、だからこそおつかいを命じ、この事態に同じく気付いているであろう春美が止めてくれることを願ったのだ。


 そして、敏也が実地訓練から戻って以来、日夜訓練に明け暮れていることを知らないはずの春美が『また今日も』と言ったことも、彼女たちの裏の繋がりを示唆している。


 春美が泣きそうな声で、その口からポツポツと言葉を洩らす。


「……あなたが……戦う意志を持ってくれたことは嬉しいわ…………でもね」


 彼女は俯いたまま、その小さな手のひらが、スカートの端をギュッと握り、


「あなたが無茶をすると……心配する人がいるってことくらい……わかって……っ」


「……」


 もしかしたら、泣かせてしまったのだろうか。


 敏也は春美に何を言えばいいのかわからなかった。いや、彼女に謝罪しなければならないということはわかる。「心配させてしまってすいません」と、そう言わなければならないことはわかっている。

 だが、それだけで済ませてしまって良いとは思わなかった。


 なぜなら、今の自分にはこの戦い方が必要なのだ。誰に何と言われようとも、強敵と渡り合う為には、護るべき存在を護るためには、力が必要なのだ。

 攻撃魔術を使えない。――ならば、武装魔術で強い武器を造り出し、肉体強化を極限まで高め、足りない部分を補うしかない。これは自明の理だ。


 しかし、果たしてみんなはそう思ってくれるだろうか?

 それに関して、昨日紫苑に「それを胸を張って言えるの?」と問われてしまったが、本当に痛い所を突かれたものだ。――言えるはずがなかった。みんなから反対されるのは予想できていたことだから。


 ……わかっている。たとえこの言い分が正しくても、納得してはいけないもので、周りにいる人たちには納得してもらえないものだということも。

 でも――


「でも俺には、こういう戦い方しかできないんです。それに、早く強くならないと、次の任務が降りてきてしまうでしょ。それまでに、なんとか……」


 敏也が自嘲気味に言うと、春美が面を上げ、赤く腫らした目で彼を睨み、


「……っ……だからっ! そういう無茶をやめてって――」


「はいはい、そこまで! いいかげんにしなね、二人とも」


 それまで事態を黙って見守っていた薫が唐突に二人の間に割り込み、言い合いを中断させた。そして、二人の顔を交互に見据えながら、


「落ち着きなって。な? 自分の言いたいことだけ言って、相手の気持ちを推し量らない会話なんてさ、不毛だよ?」


 薫の口元は笑いながらも、その視線だけは二人を叱るように研ぎ澄まされている。その目に見られている二人は気まずそうに視線を彷徨わせ始めた。

 薫はやれやれと溜息を吐き、


「まず、春美。大神君を心配する気持ちはわかるよ。大切な後輩君だもんな。わたしだって君と同じ高学年だから、後輩に対して似た気持ちは持ってるさ。――でもね、だからって彼の『たとえ危ない橋を渡ろうとも強くなりたい』という決意を蔑ろにするのはいただけないね。彼だって男の子なんだからさ、そういう時期だってあるんだよ?」


「……」


 諭された春美は再び顔を俯けた。

 それを見た薫は、敏也に視線を移し、


「そして、大神君。――やはり君はバカだよ。百歩譲って危険な力を行使するところまでは認めよう。だけどね、一日と置かず身体を酷使するなんて、バカ過ぎるとは思わないかい? 次の任務のことを考えて焦るのはわかるけどさ、もうちょっと周りの人のことを考えて行動するべきだと思うな。急がば回れ、と昔から言うじゃないか」


「……」


 叱られた敏也はしゅんと身を縮ませ、肩を落とした。

 そんな二人の様子を見た薫は、頃合いだと判断し、


「……やれやれ、世話が焼けるね、二人とも。――さ、早くお互いの至らなかった点を反省したらどうだい?」


 敢えて『謝れ』とは言わず、そう促した。なぜなら、自分で気付かなければ意味がないから。他者から促され、言わされた謝罪などに価値などないから。

 そこには心など籠らず、ただのひんやりとした言葉の形骸でしかないのだ。


 先に謝罪を始めたのは、敏也だった。顔を気まずさと申し訳なさ一杯に染めながら椅子から立ち上がり、弱々しい眼差しを春美に向ける。


「あの……すいませんでした、心配掛けて……。――でも、これからも俺は無茶をすると思います。だって、俺には戦う理由がありますから。だから、これからも春美さんには心配を掛けることになると思います。……ごめんなさい」


 謝罪を受けた春美は伏せていた顔を上げ、腫らした目で敏也をそっと伺う。

 そして、


「……わたしも……ごめんなさい。あなたの気持ちを考えずに、自分の言いたいことだけ言ってしまって……。――でも、わたしにだって譲れないことはあるわ。……だから、無茶するのはいいけれど、絶対に無理はしないで…………死なないで」


「……はい」


 今までの重苦しい空気ではなく、穏やかな雰囲気が部屋を満たし始めた。

 それを感じた薫は満足げな表情を浮かべ、


「ふふ、仲直りできたみたいだね、二人とも。あー、あと敏也君。あんまり春美を責めないでやってくれ。この子はちょっと心配性なだけなんだ。――あたしのせいでね」


「薫……」


「それって……やっぱり……」


 二人の視線が薫に集まる。


「ん、春美は君に話してるんだよね? あたしたちの実地訓練で起こった事件のことを」


「ええ、一応は」


 薫は敏也の言い淀んだ部分に頷き、確認を取った。


 過去に、春美と薫、そして他二名が遭遇した魔動機密売の現場。それを制圧する任務を四人は負い、交戦を開始し――その戦闘の最中に薫は魔動機を損傷し、その損傷がコックピットブロックまで届いたため、その身に消えぬ傷痕を負うこととなった。


 首から左肩まで走る、大きな傷痕。嫌でも人目を引く、拭い去れない過去の烙印。

 だが、


「春美が心配性になったのはそれが原因でね。あれまでは細かいことは気にしないタイプの豪快なやつだったんだ。……ま、あたしはこんなの気にしてないってずっと言ってんのにさ、『わたしの判断ミスだった』だの、『ごめんなさい』だのと、機会を見つけたらやたら謝ってくるもんで、正直辟易してたわけよ」


 ケラケラと笑いながら薫は言った。それを聴いた春美は「辟易ってなによ、バカ」といじけた様子で呟いているが、薫は温かげな眼差しを向けるに止め、


「でも……なんだっけ? 君が春美に言ってくれたんだろ? 『春美は悪くなかった』って。……ホント助かったよ。こういうのってさ、誰か、第三者が言ってくれるのが一番良いのにさ、内容が内容だけに誰もが触れるのを憚るもんで困ってたんだ」


「まあ、成り行き上でしたけどね。……ところで……あの……佐上先輩は、その傷を気にしないんですか? 女性なら気にすると思うんですけど……」


 敏也が控えめに質問すると、薫は気を悪くした様子もなく、逆に快活に笑いだした。


「はっはっは、確かにね。普通は気にするんだと思うよ。――でもね、あたしはこの程度のことでへこたれるほどひ弱じゃないし、人に胸を張れないほど情けない人生を送ってきたつもりもない。もちろん、これを隠すつもりもないよ。――だって、これはあたしの誇りなんだ」


「誇り、ですか?」


「そうだよ」


 力強く頷き、その目に確かな輝きを宿す。そして、


「傷が傷だけに、すぐには回復魔術で塞いでもらうことができなくて痕が残っちゃったけどさ。これはあたしが必死に生き延びようと足掻いた証で、仲間と共に戦場を戦い抜いた勲章なんだ。

 だから、これを誰にも馬鹿にはさせないし、人目に晒すことを恥ずかしく思ったりもしない。それは、頑張ったあたしを否定することだから。一緒に戦ってくれたみんなを汚す行いだから」


 回復魔術は被術者の体力を著しく損耗させるため、大きな傷や致命傷を治すことには使えない。ゆえに、負傷直後は通常の治療しか行えず、痕が残ることになった。


 だが、薫は一点の曇りもない瞳ではっきりと言い放ち、己を誇った。

 その傷跡も、今の自分の在り方も、全てを含めて『自分』なのだと。


 そんな彼女を、敏也は眩く思っていた。彼女のその尊き在り方は、過去を引き摺ることをいけないことだと思っていた自分にとって胸に響く、柔らかな衝撃だったのだ。


「強いですね、佐上先輩は。羨ましいです」


 諦観したように敏也が呟くと、薫は首を横に振りながら、


「違うよ、大神君。あたしは強くないさ。あたしがこう在ることができるのはね、ちゃんと『自分』を認めてあげているからなんだよ。頑張った自分、躓いた自分、へこたれた自分、――その全てを『佐上薫』だと受け止めているからこそ、この傷痕だって自分の一部として認めることができるんだよ」


 そして敏也に対し、今までの快活な笑顔ではなく、純朴に笑いかけ、


「君にも抱えているモノがあるそうだけど、それに本当の意味での折り合いをつけることができるのは他でもない、――君自身だ。だから、誰が何と言おうと焦らなくていい。ゆっくりと、正しい答を探すといい」


 敏也はそれには返事をせず、困惑した様子で黙りこくっていた。

 と、そこへ、


「まったく、薫ってば。会ったばかりの敏也君にお説教したりして……っ!」


「おやぁ? ごめんな、春美、ポッと出のあたしが君のポジションを取っちゃって。でも安心しなよ。『敏也君』に手を出したりしないからさ、ふふふ」


「……そういうのではないわよ……まったくもう……」


 そんな風に薫が春美をからかい始めることによって完全に弛緩してしまった生徒会室の空気の中で、敏也は自分の手のひらを見つめていた。


「……正しい答……」


 自分の人生を歪めたあの事件からもうすぐ九年。いまだに見つからないそれを求め、自分はこれからも生き続けていくのだろうか。いつ、その答が見つかるのだろうか。


 わからない――けど、たとえ答が見つからなくても生きていけそうな気がした。


 だって、今はもう一人じゃない。

 亡くしてしまって、それから一人で歩いてきて、また大切な人がたくさんできた。

 だから、その人たちの為にも、『自分』を見失いはしない。


(――にしても、ここ最近、誰かに怒られてばっかりだな……)


 だが、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。それは数週間前の自分とは違い、今は突き離すことばかりではなく、辛くても受け止める大切さを知ったからだ。


 開いていた手をゆっくりと噛み締めるように握り、窓の外の曇天へと目を向けた敏也の双眸は、外の景色とは正反対で、まるで晴れ渡った青空のように清々しいものだった。



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