気持ち
観客席にはほとんど人が残っていない。敏也と紫苑の決闘が一段落したと見ると、皆、満足したかのように去って行ったのだ。
そして、現在のアリーナに残っているのは多少の野次馬とようやく自主訓練を行えるようになった勤勉な魔動科生、そして、第十班のメンバーと天埜春美のみだった。
エリーネ一行は観客席から降り、アリーナの真ん中辺りに疲れた様子で陣取っている敏也と紫苑に歩み寄った。
そして真っ先に声を掛けたのは、敏也の傍にいち早くしゃがみ込んだエリーネだ。
「大神くん、大丈夫ですか? 痛いところとかは……? 怪我はしていませんか?」
「ああ、大丈夫。ちょっと疲れただけだから心配ないよ」
「本当ですね? 嘘じゃないですよね?」
「ほんとだって。心配性だな、お前って」
床に腰を降ろしている敏也は、心配そうに眉根を寄せて自身の身体に対してジロジロと検診する医者のような視線向けてくるエリーネを、苦笑しながらあやしていた。
が、そうしているとエリーネが拗ねたように唇を尖らせ、
「だって……あなたは交易都市では一人で第三世代と戦ったりしていましたし。一撃をもらったら終わりという相手に、仕方のないこととはいえ、近接戦闘を挑むお馬鹿さんですし……。――少々無謀な面が目立つんです。あなたはもっと自分を大切にするべきだと思います」
「いや、その……な。あの時のことは悪かったと思ってるよ? というか、それはそのあと謝って、許してくれたんじゃ……?」
「許したとは一言も言っていませんよ」
「え、そうだったっけ……」
「ええ、そうです。そもそも、最後の戦いの際のことは謝罪されてません。それに、最初の時のことだって非常時でしたから有耶無耶になっていただけです。……あなたを責めるつもりはありませんが…………あの時、私がどれだけ心細くて怖かったか、……あなたにわかりますか?」
エリーネの瞳は揺れている。
あれは、エリーネを護るためには必要なことだった――それが変わりようのない事実であり、そう言ってしまえばそれまでだ。その理屈を用いれば、あの時の自分の行いをなんだって正当化できてしまうだろう。
だが、敏也は決してそれをしない。
なぜなら、これは理屈の話ではないから。自分が彼女に酷い仕打ちをしてしまったという事実は、そんなことでは塗り潰せはしないから。そんな言い訳で誤魔化してしまうのはあまりにもお粗末で、卑劣なことに思えたから。
彼女のそんな瞳を見た敏也は彼女に対する申し訳なさを感じ、彼女を不安にさせてしまう今の自分の弱さを恥じた。
でもいつかは、
(お前を不安にさせないで済むぐらい、強くなるから)
心の中で一方的に約束し、
「……ごめんな、いつも勝手なことして。……許してくれるか?」
心からの謝罪を述べ、自分よりも遥かに高潔で尊い存在である彼女へと、躊躇いながらも左手をゆっくりと伸ばし、その頬を優しく包むように撫で上げた。
「っ」
エリーネは突然のことに驚き、くすぐったそうに一瞬だけ身を捩ったが、すぐに落ち着きを取り戻し、穏やかな表情で目を瞑っている。
そして、
「……少し言い過ぎました。ごめんなさい」
「いいよ、気にしなくて。お前は心配してくれたんだからさ」
「はい。……あなたの今までの行動に悪気が無いということも、私を気遣ってくれたからだということも、ちゃんとわかっています。でも――」
瞼をゆっくりと上げ、敏也を暖かな眼差しで見つめながら、
「これからは、一人で無茶な真似をするのはやめてくださいね?」
「ああ、約束するよ」
敏也はエリーネに朗らかに笑いかけながら、柔らかな声音で囁いた。
◆
――そんな彼らのすぐ傍では。
「ちょっとちょっとぉ! なんなのさ、この子たちはぁ! なんでわたしらが傍にいるってのに、こんなピンク……というよりかは暖色っぽい素敵空間を作れるわけっ!?」
「確かに、こんな人目に付く場所で堂々と不純な真似を致せるというのはすごいわ。敏也君もエリーネちゃんもなかなかのやり手になったようね。……いつもこれくらい仲良くしてくれれば、わたしの負担も減るのだけれど」
奈々が叫び、春美は疲れた様子で溜息をつき、かぶりを振っている。
「は、はるみん……! いつも二人がすまねえだ! こうなれば、わたしの身をはるみんに生贄に捧げ、赦しを請うしか……っ!」
「いらないわ♪」
「ガーン!」
――一方。
大河は腕を組み、眉間に皺を寄せ、何事か考え込んでいる。
「う、うーん、なんだろうね。こう……人がイチャついているところを見せ付けられると祝福したいような、ぶち壊してしまいたいような……複雑な気持ちになっちゃうよ」
「ふっ、同感だ、大河。だがな、今回ばかりは見逃してやってくれ。こやつらがお互いに素直になる時は滅多にないのでな」
「……うん、わかったよ。――って、紫苑!? なんで今、魔動機に乗ろうとしてるのっ?」
紫苑が魔動機のコックピットへ、のそのそと乗り込もうとしており、上半身が中へと入りこんでいる。そして、彼女の首がくるっと振り返り、
「……? 大河、この雰囲気をぶち壊したいんじゃないの? 私は大河の友人で相棒だから、その意思を尊重してあげたい」
「待って待って! 今のは冗談だから! 本気じゃないからぁ! 降りてきてよ紫苑ー!」
「……あ、キーを回してしまった」
「ちょっとぉぉ!?」
「……あ、手首が捥げた」
「またぁぁ!?」
「……剣が落ちて、跳ねて、……これは大変」
紫苑機が、グォングォンと駆動音を高鳴らせながら起動し始め、戦闘による摩耗のせいで手首が捥げ、その手が握っていた対魔剣が、ガランッガランッ、と大きな音を立てながら床を数回跳ねまわった。
そして、その突然の異変に巻き込まれかけた敏也たち五名が、ギャーギャー喚きながら蜘蛛の子を散らすかのように逃げ回り始めた。
「……なかなかに個性的な新メンバーだな」
ただ、誰よりも早くアリーナの端まで逃げていたマサルは壁に背を預け、数十秒後に一連の騒ぎが収束するまで、その光景を楽しそうに眺めていた。
◆
「あれが、『御柱計画』の実験体か?」
「はっ。男のほうの名は大神敏也。その傍に居るのがもう一人の被検体・エリーネ・フリートハイムです」
整った容姿を持った一人の男と、その従者と思われる少年が観客席には残っていた。
「そうか。被検体が結果を出したと聞き、驚いたものだが……。はぁ……まさか、外国人を計画の要に使っていたとはな。しかも、それを何のお咎めもなく見過ごす親父たちもどうなんだ。……長たちも、楠瀬燐火とかいう御仁も、いったい何を考えているのか」
男は疲れたようにそう言い、肩を竦ませた。
「……それは、八ヵ月前に彼奴が計画を強引に始動してから繰り返されてきた議論です。あなたは計画に関して蚊帳の外だった上、興味もなさそうでしたから存じ上げないのでしょうが、彼奴は以前から破天荒な行動や言動が多かったと記録には残っています。ですので、長たちはこの程度のことは想定済みなのですよ」
従者の少年はさも当然とでも言いたげに告げた。が、男のほうは苛立たしげに眉を顰めた。
「そんなことは言われずともわかっている。ボクが言っているのは、いずれ彼らを利用しなければならなくなったときに国家間で面倒にならなければいいが、ということさ」
「御尤もです。しかし、我が国はエリーネ・フリートハイムの祖国とは一応ですが友好国となっておりますし、あまり心配する必要はないのでは?」
「……そうだといいんだがな」
主のその憂いを帯びた一言に対し、従者の少年は慇懃に礼をし、
「心労は身体にも、魔力にも毒でございますよ、虎雅様」
「ボクに心労を積み重ねさせているのはお前もだぞ、一宮」
じろりと視線を投げ掛けるも、一宮は不敵な笑みを口元に浮かべるばかりだ。
「これは失敬」
一宮は声に反省を大して滲ませず、慣れた様子で頭を下げていた。
「はぁ……」
虎雅と呼ばれた男は溜息を吐きながら不遜な従者から目を離し、強化ガラス前にある手すりに寄りかかりながら階下を見降ろした。
「……春美ちゃん。君は……そんなところで燻っていていいのか?」
その哀しそうな両目は、アリーナ内で愉しそうに走り回る天埜春美に向けられていた。
◆
その後、事態が一応の収束を見たことで、敏也たちは各自解散の運びとなった。
紫苑と大河の歓迎会をしようという声もあったのだが、今日は敏也と紫苑が消耗しているということもあってか、また後日に執り行うこととなった。
そして敏也は、『炎刀・灰神』を返却するために、ある場所を訪れている。
――その場所とは、広大な敷地面積を誇る戦修学園の隣の敷地に存在する研究所群、その第一研究区画に存在する部署だった。
「ほう、引き分けか。なかなかに健闘したようだね、敏也」
感心した様子で敏也を称えているのは、敏也たちに『博士』と呼ばれている人物だ。
自分の研究室の椅子に腰かけている彼女は、実は三十路の後半に差し掛かっているそうなのだが、とてもそうは見えない容姿をしている。
「ええ、まあ。結構危なかったですけどね。……で、これ、また預かってもらっていいですか?」
ソファに腰かけている敏也はそう言いつつ、目の前のテーブルに竹刀袋に突っ込まれた刀を置いた。
『炎刀』はなにぶんわかっていない点が多く、通常の魔剣などとは異なった経緯と状況で生み出されたものであるため、何か不測の事態――突然能力が暴発したり、刀自体が爆散したり――を避けるために、魔術に関連する研究を行っている博士に預かってもらっていたのだ。
それに、『炎刀』には実体化を解除できないという最大の難点があるため、敏也が不用意に持ち歩いていると、下手をすれば銃刀法に接触する危険もある。
紫苑との決闘に遅れてしまったのは、仮にも研究所預かりとなっていた『炎刀』の持ち出しの手続きに手間取ってしまったせいだった。
博士はテーブルに置かれた刀にちらりと目をやると、
「うむ、構わんよ。責任を持って管理しよう。また必要になった時には取りに来たまえ」
と、そこまで言うと、博士は机の引き出しから何か羊皮紙のようなものを取り出し、
「――それはそれとして。さっきは急いでいるようだったから言えなかったのだがね。この刀の分析結果がようやく出たよ」
「! 本当ですかっ?」
「ああ。これまでかなりの数の解析用の術式で分析を試みたのだがね。そのどれもがエラーを吐き出してしまって頭を抱えたものだが……やっとその内の一つが解析結果を出力してくれたのだよ」
「……それで、結果は?」
「――率直に言ってしまえば、不明だ」
「……は?」
「ふむ? もう一度言ってあげようか? ――不明だ」
「ちょ、ちょっと待ってください! 時間をかけて解析したのに不明って、どういうことなんですか?」
敏也はソファから腰を上げ、博士と机を挟んだ位置まで移動した。そんな彼を椅子から見上げながら、博士は言う。
「どういうもなにも、そういうことだよ。既存の解析術式ではこの刀を解析できない。その構成も、生成過程も、能力も、何もかもが『不明』と結果には表示されていたのだ」
そして、結果の記された紙を敏也に渡す。――確かに、結果の項目は『アンノウン』だの『不明』だのと、そういった類の言葉で埋め尽くされていた。
敏也はあまりにも荒唐無稽な事態に愕然とし、
「んな馬鹿な……」
「……わたしも一研究者として不本意な結果だとは思うのだが、現状ではこの刀のすべてを知ることは不可能なのだよ」
「……」
「今の段階でわかっているのは、この刀は術式『ギア』によって生み出されたこと。炎を生み出す能力が解放されるのは君とエリーネが『ギア』を起動させているときのみ――これは君の報告から推察できることだな」
「……やっぱり、異常な状況で生み出されたものだから、普通の魔剣や魔槍とは違うんですかね?」
「……おそらくは」
「これって、エリーネがいないと本当の力が出せない……ってことですよね?」
「ん? ああ。――だが、そう悲観することではないだろう? 君とエリーネは同じ班に所属していて、クラスも一緒。つまり、戦いに出る場合は必ず一緒ということだ。ならば、この刀を使うことに何の問題もあるまい?」
「……いえ、そうではなくて……」
敏也はどこか歯切れが悪く言い淀み、博士から逃げるように視線を逸らした。
「? どういうことだね?」
「……その……俺、エリーネを護れるくらい強くなりたいんですけど……だからってそのためにエリーネの力を毎回借りるのは……カッコ良くないというか……本末転倒というか……それに、急に強くなって驚かせてやりたいとか……思ってたり……」
頬を赤く染めながら、俯き加減で敏也は言った。
そんな彼を見た博士はしばしの間、ぽかんとした後、くく、と愉快そうに笑い始め、
「くくく、若いね、敏也。実に可愛げのある物言いだ。――ああ、わかっているよ。君くらいの年齢だと、身近な女の子――特に、エリーネほどの可憐な少女の前ではカッコをつけたくなるものさ。……な?」
「べっ、別にそんなんじゃないっすよっ? ……ただ、『強くなる』ってあいつの前で宣言しちゃったから、それを破りたくはないなーって、そう思っただけです!」
頬のみならず、顔全体を真っ赤に染め上げた敏也が必死に誤魔化そうとしていた。しかし、動揺しすぎてバレバレである。これでは誰も誤魔化されはしないだろう。
「ああ、わかっている、わかっているとも。――複雑なのだろう? 思春期特有の倒錯した想いというやつは」
「……博士、からかうのはやめてくださいよ……」
「ふふ、すまない。久々にからかい甲斐のある話題だったものでつい、ね。――さて」
そこで博士は自身の表情を引き締め直し、敏也を見据えた。
そして、
「敏也。いいかね? 若い君にはまだわかっていないことで、わかろうともできないことだとは思う。しかし、これからわたしが言うことを、心して聞いてほしい」
「はい」
頷きながら返事をする。それを見た博士は「うむ」と頷き返し、
「良い返事だ。――敏也。エリーネを護るために強くなりたいと思う気持ちは立派だ。わたしのように擦れてしまった大人でも、その想いが眩いものだと理解できるし、素直に殊勝なことだと思える。……だがね、だからといって自分の力を驕り、他者に力を借りることを臆してはならないのだ」
「……」
「一人の力とは、ほんの少しの揺らぎで崩れ去る砂上の城だ。それはとても傲慢で悲しい力。しかし、そんな力の持ち主たちは孤独ゆえ気付けないのさ。己の力が、どれほど周囲を、味方を傷付けているのかをね」
そこで、己の過去を振り返るかのように目を細め、
「……わたしは、そうして一人で戦いに臨み、結局敗れ去り、力尽きていく人間を幾度となく目にしてきた。それはもう悲惨で、凄惨な光景だったよ。そして死に瀕した時、彼らはようやく悟るのだ。――『仲間がいれば……』と」
「仲間、ですか」
「ああ、そうだ。だが、別に慣れ合えと言っているわけではないよ。必要以上に仲良くすることはないし、無理に合わせようとしなくてもいい。ただ――いや」
思い直すように首を横に振り、敏也の心中を探るかのような鋭い視線を向ける。
「君は、わたしがこんな説教じみたことを言わなくてもわかっているはずだろう? 傍にいてくれる存在の大切さを。その尊さと掛け替えの無さを。……あの日、全てを喪くし、それでも歩み続けてきた君だからこそ、わかるはずだ」
言われた敏也は目を瞑り、思いを巡らせ、再びその目を開いた。
「……はい、わかります。俺が第三交易都市でのテロを生き抜けたのは全部、エリーネがいてくれたおかげです。……まあ、あいつの前だと恥ずかしくて、ちょっと言い辛いんですけどね」
その言葉を聞いた博士は満足げに頷きながら、
「そうだ、それでいい。そうして認めがたいことを認めて前に一歩進むことが、人に――君に求められている本当の力なのだよ。腕っ節の強さ? 頭の良さ? ――そんなものは二の次さ。力と衝動を理性で律してこその人間なのだ。そこを蔑ろにして力だけを求めるのは、愚かしいことなのだよ」
「力と衝動を……理性で律する……」
「そう、その言葉をよく覚えておきたまえ、敏也。この世界に満ちた悪意と闇に呑まれぬように、暗闇の中から光明を探し出せるように、いつもその言葉を頭の片隅に置いておきたまえ。――誰よりも、何よりも、エリーネのために、ね」
「……なんだか謎かけみたいでよくわかんないんですけど……博士が言った今の言葉には、いったいどういう意味があるんですか?」
首を傾げながら聞く。
「ふふっ、自分で考えて、君なりの答えを探したまえ。今はわからずとも、いつかはわたしの言葉の意味がわかる時が来る。その時、君は本当の意味で『大人』になっているだろうさ」
博士は言いたいことを全て言い終わったのか満足げな笑みを浮かべ、対照的に、その場に立ったまま思案顔になってしまった敏也を、ずっと見守っていた。
◆
敏也が去った後の研究室。
博士はタバコを吸うことで気を紛らわせながら、辛そうな表情で呟く。
「君が炎の力を手にするなど……因果にも程があるな……」
炎で全てを奪われた少年が、その炎を制御する力を手にするなど、悪い冗談だ。
「神様とやらは、相当に皮肉がお好きと見える……っ!」
吐き出した煙が研究室をゆらゆらと漂っている。
それを左手で忌々しげに振り払い、タバコの火を灰皿に荒々しく押し付けた。




