見守る理由
そろそろ面会時間も終わる、その上晩御飯の時間ということもあってか、敏也とエリーネはお暇することにした。
なお、外はもうかなり薄暗くなっている。
もちろんフルーツは剥いて、病室備え付けの冷蔵庫に放り込んである。ちなみに、皿はそう都合よく置いていなかったため、武装魔術を応用し、蓋と共にそれらしい物を適当に生成しておいた。
武装魔術は、基本的に『魔力をイメージ通りに押し固める』ものであるため、こういった生活の小知恵のような使い方ができる。もちろん、生成に使われた魔力が完全に霧散してしまうと皿は消滅するため、長時間は持たない一時的な物ではあるが。
フルーツを剥くにあたり、当初は、シュンが摘み食いするのでは、との懸念事項が浮かび上がったのだが、レンに要注意人物の監視を依頼しておいたので心配は無用だろう。
「じゃあな、シュン、レン。またそのうち来るよ」
「お大事に、二人とも。私もまたお邪魔しますので」
「うん、またねー。にーちゃん、ねーちゃん」
「ありがとうございました。お兄さん、お姉さん」
彼らの元気な挨拶に背を押され、病室を後にし、扉を閉めた。
と、その時――
「――あなた方は…」
二人が声のしたほうを向くと、そこには少しだけ疲れた様子を表情に滲ませた、妙齢の女性が立っていた。その人は、敏也とエリーネを困惑した表情で見つめている。
場を満たすは沈黙。それは、まるで重力が増したかのように重苦しいもので、互いに警戒し合っているために生まれる敵意が多分に含まれているものだった。
エリーネは、恐る恐るといった感じでその人物に伺いを立てる。
「あの、もしかして、シュンくんかレンちゃんの親御さんですか?」
「……ええ、わたしはレンの母です。……あの、そういうあなた方は……?」
「……それは……」
エリーネは答えに窮した。
敏也と自分には守秘義務が課せられている。事件のあらましも、ほんの少しの情報であっても、他者に口外することはできない。たとえ話す相手が被害者だったとしても――いや、被害者だからこそ話してはいけないのだ。
今回の訪問はやはり迂闊だったかもしれない。しかし、この程度のリスクは最初から念頭に置いていた。このように鉢合わせになる可能性を考慮した上でここに来た。
だが、それでも『まさか』という思いがあったのだ。
エリーネは、走って逃げるべきか、それとも誤魔化すべきか、決めあぐねていた。
そこへ、
「俺は、例の事件の関係者です」
まるで懺悔をするかのような重々しい声音でその言葉は紡がれた。それを聴いたエリーネと親御さんは息を呑む。一方は困惑、もう一方は驚愕によってだ。
そして、両者の視線が敏也へと集中する。
「お、大神くん!? 私たちには守秘義務が――」
「いいんだ、エリーネ。どうせ政府になんか、バレやしねえよ。それに話すのは俺だ。事件のことで責められるべきなのも……俺だ。もし政府にバレたって、お前に被はないよ」
「そういう問題では――」
「話を」
震えながらも、芯の通った声。耳に響く、問い詰めるかのような声音。
「話を、聞かせていただけますか?」
力強くも怒りを滲ませた声によってエリーネの声は遮られ、場に再び沈黙が訪れた。
◆
三人は――いや、敏也と親御さんは、病棟の入口近くにあるコミュニケーションスペースで机を挟むように座っていた。エリーネは少し離れた席で心配そうに敏也を見ている。
「そうですか。そんなことが……」
「はい。……本当に、申し訳なかったと思っています。大切なお子さんを、あんなことに巻き込んでしまって……」
敏也は事件について彼女に話した。無論、全てを話した訳ではない。
彼女に話したのは、自分が魔術師に狙われていたこと、そのせいで多くの人を巻き込んでしまったこと、護ろうとしたが力及ばず護れなかったこと、ということだ。
謝罪の念を表すように頭を垂れている敏也を堅くした表情で見つめていた彼女は、それを緩め、
「――ありがとうございます。あなたにとっても辛いことだったのにも関わらず、話してくださって……」
そう言うと目を伏せ、
「ようやく、胸のつっかえが取れました。なにせ、なぜあの子たちがあんな状態に陥ってしまったのか、まったくわからなかったものですから……」
「……警察や治安維持部隊からは、なにも?」
「ええ、あの子たちの身に何が起こったのか、まったく教えてくださいませんでした。再三問い合わせても、教えられないの一点張りで……。政府からは、入院費用を負担すると申し出があったのですが……」
あの事件については、あらゆることが各メディアで伏せられている。ニュースなど最たるもので、『原因不明の集団昏倒』などと報道されていた。新聞なども同様だ。
何も危険なものがない公園で集団昏倒? 視聴者や被害者を馬鹿にするにも程がある。その報道を指示した人物たちはいったい何を考えているのか。
「だから、あなたにお話を伺えて、良かったと思っています」
「……俺を、責めないんですか?」
それを聴いた彼女は一瞬の躊躇いもなく柔和な笑みを作り、敏也を見つめ、
「話を聞く限りでは、あなたも被害者なのでしょう? なら、あなたを責める道理がありますか? それか、わたしがそれほどにみっともない人間だとでも思いました?」
柔和な笑みを崩し、イタズラっぽい表情を作った。さすがは親子というのか、それはどこか、レンの表情に似ている気がした。
「……いえ。……感謝します」
もう一度頭を下げ、彼女の寛容な態度に感謝の意を示した。その後、顔を上げると、その表情を引き締め、
「……犯人は、俺がいつか必ず捕まえます」
敏也は、以前から誓っていたことを口にした。
事件から二週間が経過した今もなお、公的機関が奴の尻尾を掴めていないのは不自然だ。
街中であれほど大規模かつ危険な能力を付与された結界魔術を行使し、それに加え多数の市民を死の間際まで追いやったにも関わらず、公的機関はさほど捜査に力を入れていない。本来なら、血眼になってでも奴を追うべきはずのところをだ。
つまり――
(まず間違いなく、政府からの圧力。つまり、犯人は政府関係者――もしくは、重要なポジションにいる魔術師)
このまま手を拱いているだけでは事態は好転しないだろう。ではどうするか。
自分が捕まえる。
探偵の真似事をするつもりなどない。ただ、もしも奴を見つけることがあったなら、政府にどんな思惑があろうとも、絶対に逃しはしない。絶対にやつは許さない。
地の果てまでも追って、死なない程度に傷めつけ、必ずふん捕まえると心に決めている。
「絶対に、捕まえてみせます」
重く、感情の籠った声。
そして、二人の間に沈黙が満ちた。
辺りから聴こえてくるのは、子どもの入院患者がキャッキャッと騒ぐ元気な声、ナースステーションで雑談している看護師たちの声、点滴用器具のバッテリーの交換時期を告げるアラームの音、晩御飯を運んでいる滑車の車輪の回るカラカラという音。
彼の宣言を聴いたレンの母親は逡巡するかのように視線を彷徨わせ、申し訳なさそうな表情をし、しかし、それでも頼み込むように頭を下げた。
「……お願いします。まだ子どものあなたに、こんなことを頼むのは本当に心苦しいですし、大人として情けないことだとは思います。ですが……どうかお願いします。あの子たちを傷付けた犯人を……どうか……っ」
その声は……泣いているのだろうか。顔を伏せているのでその表情は伺い知れないが、彼女の声は、肩は、震えているように感じた。
周りの喧騒が、嘘のように聴こえなくなり――
「……はい、お約束します」
厳かに、心に刻むように、敏也は声を紡いだ。
子を想う母親の悲痛な懇願の声が、敏也の耳にいつまでも残響していた。
◆
敏也とエリーネは、病院から学生寮への帰路についていた。
外はもうだいぶ薄暗くなっている。今はまだ街中にいるため、店の照明などによって明るいが、この調子では、帰り着く頃には真っ暗になっているだろう。そんな道を歩いて帰るなど、一人ではきっと心細かったに違いない。
でも今は、お互いがいる。
病院の建物から出た直後、病院の敷地内に並ぶ植木の傍に敷かれたレンガ造りの歩道を二人で歩く。
そして、エリーネが穏やかな雰囲気で言葉を零した。
「話のわかる方でよかったですね」
「ああ、そうだな。魔術師に対して偏見を持ってない人みたいだし。レンは良いお母さんを持ったよな」
「ええ、本当に」
それから口を噤み、歩く。
数分、無言の時が過ぎる。それでも、二人の間に嫌な空気は欠片も生まれなかった。
周囲の風景は、繁華街から住宅街へと移り変わりつつあり、暗み始めた世界を照らしていた明かりが少しずつ減ってきている。
そして皆、自宅に留まっているのか。外には帰路に就いている人や、犬の散歩目的で歩いている人以外は人影がないため、街中に比べるとやや静けさが目立つ。
敏也は、歩道の隣の車道を走る車の光へと目をやりながら、
「なあ、エリーネ。……エリーネってさ、子ども、好きだったりするの?」
「……どうでしょうか。……嫌いではないですよ……?」
エリーネは敏也の方へは視線をやらず、ただただ、前方を見据えながら言った。
「そっか」
それから、再び穏やかな沈黙が訪れる。
しばらく歩くと、人気がまったくと言っていいほど無くなっていた。
すでに敏也たちは街の郊外へと出てしまい、彼らの周囲には建物などがほとんど見られない。あるのは道の脇にある山と雑草の覆い茂った空き地。そして、少し離れた場所にある星明かりを反射して厳かに輝いている海だけだ。
学園の所在地は街の郊外であるため、学園に帰るためにはどうしても人気のない海岸線近くの道を通らなければならない。街灯が所々に設置されていることだけは、唯一の救いだろうか。
と、そこで、星が瞬き始めた宙を見上げながら歩いていた敏也が口を開く。
「エリーネ」
「……なんですか? 大神くん」
エリーネは穏やかな声音で彼の名を呼び、横目でそちらを伺う。
敏也は宙を見上げながら一度目を瞑り、ゆっくりと瞼を上げると、
「……俺、強くなるよ」
「……」
「攻撃魔術が使えないから勝てないだとか、そんな常識を覆せるくらい。――もう、誰も助け洩らさないように、後悔なんてしないように、……絶対に強くなる」
その双眸は、自らを地獄へと叩き落としたこの世への憎しみに染まりながらも、それでも、その内に清純な想いを宿している。
それは、風に揺らぎつつも粛々と燃え滾り続ける決意の炎。攻撃魔術を使えないがゆえに己に課せられた『半端者』という烙印を、いつか必ず払拭するという意志。
きっと、その道は荊棘だらけだろう。まごう事無き茨の道。だがそれでも彼は、決してそれを違えないように、道を踏み外さないように、彼女に宣言したのだ。
憎悪と愛情の入り混じった背反な想い。
過去の拭いきれない後悔と、未来への大いなる可能性。
それらを内包した歪な存在。それが人間であり――大神敏也なのだ。
以前の彼ならば、第三交易都市での戦闘を経験する前の彼ならば、こんな殊勝なことは絶対に口にしなかった。
逃げられることから逃げていた、逃げ腰で情けない彼は、もうどこにもいない。
彼は困難から逃げずに立ち向かい、前へと進み、ほんの少しだけ大人になったのだ。
エリーネはそんな彼の危なげながらも優しげで、力強い横顔を微笑みながら見上げ、
「大丈夫です。あなたならきっと強くなれる。――なぜだか、そんな気がします。……だから、授業は真面目に受けましょうね?」
「うっ、授業か、面倒だな…………あ、もちろん善処はするよ? 善処はね!」
「それって、自信はない、という意味にとってもいいんですか?」
「…………ごめんなさい、その通りでございます」
「……はぁ……そんな調子ではやっぱり駄目ですね。きっと、今後もあなたは駄目駄目です。間違いありません」
失望したかのような表情を作り、エリーネは敏也を半眼で睨めつけた。
「ちょ、ちょっと!? 人がカッコつけてるのに、そりゃないでしょうよ! ……嘘でもいいから応援してくれよ……」
涙目といじけた表情で批難してくる敏也を見たエリーネは、わざと作っていた表情を崩し、短く邪気無く笑うと、彼を柔らかな眼差しで見つめた。
満天の星が、彼らの未来を暗示するかのように、洗礼するかのように、祝福するかのように、見守るかのように、煌々と瞬いている。
(これから先、たとえ何があろうとも、あなたは強くなれます。……絶対に)
それが彼女の本当の想い。胸に秘めた、静かな灯。
だが、彼女は敢えてそれを口にしない。
口にしてしまった想いは、風にさらされた火種のように弱まってしまうような気がしたから。そしてそれを聞いた彼は、きっと調子に乗ってしまうだろうから。
「ほら、そんなことはもういいでしょう? ――さ、早く帰りましょう、大神くん」
「……そんなことってなんだよ。冷たいな、エリーネは。シュンを諭した時みたいに、俺に優しくしてくれたっていいんだぞ?」
話を切り上げようとして、足早に歩き始めた笑顔のエリーネ。
そんな彼女の背を敏也は半眼で控えめに睨みながら批難した。
でも、そんな視線を受けても彼女は特には怯まず、軽やかな動きで敏也を振り返り、後ろ向きに歩きながら、楽しそうに顔を綻ばせている。
「ふふ、嫌ですよ。私に優しくしてほしいなら、相応の頑張りを見せてください。そしたら、少しは待遇を見直してあげますから」
くすり、と小さく笑いを零した。それを見た敏也はムっとし、
「……言ってろ、バカ」
そう言ってツーンとそっぽを向き、エリーネの隣に追いつくと、そのまま速度を合わせて歩き始めた。
エリーネの態度が気に障ったのならば置いて行ってしまえばいいものを、敏也は律義に彼女を学生寮まで送り届けるつもりのようだ。
からかわれ、馬鹿にされ、臍を曲げてしまっても、自分を置いて行こうとはしない。そんな彼の捻くれた優しさと甘さが、エリーネにとってはどこか心地良かった。
(……あなたは本当に、馬鹿な人ですね……)
優しく、まるで肌をそっと撫でるように、心で囁く。
彼の様に、心がたびたび揺らぎ、生き方に惑うような危うい存在を見守る自分は、どうかしているのかもしれない。もしかしたら、これは一時の気の迷いなのかもしれない。
それでも、見守ってあげたいと思った。
だって、彼は好き好んで歪んだわけではないはずだ。
そうなった理由も原因も知らない。
彼がどうして変わることを望んでいるのかもわからない。
でも、彼は日々の生活の中で、その深淵から這い出そうとしている。
その道の過酷さに怖気づく時もある。立ち止まってしまう時もある。
でも、それでも一歩ずつ進んでいる。後悔に後ろ髪を引かれながらも、足を掴まれながらも、それを懸命に引き摺りながら歯を喰いしばって生きている。
自分はそれを……きっと誰よりも近くで見てきたのだ。だからこそ、言える。
きっと、その足掻きは醜くも眩く、そして――……。
だから、自分は傍で見守るのだ。
この未熟な存在を。




