子どもたち
五月末、平日の午後五時。
春の陽気も薄れ、昼間の気温も緩やかに上がり始めている、今日この頃。
少しずつ夕焼け色に世界が染まり始め、社会人も、学生も、そうでない人も、そろそろ帰路に就き始める頃合いだ。もちろん、この時間帯を迎えてもデスマーチを続ける御仁たちもいるのだろうが、そんな方々には合掌を送るしかない。
そんな時、大神敏也は私服姿――茶の簡素なジャケットをシャツの上から羽織っただけのラフな格好――で病院の敷地内、入口に向かう道にいた。
別に体調が悪いだとか、不治の病を患っただとか、余命一ヶ月の宣告を受けたというわけでもない。単に、とある人物たちのお見舞いに来ただけである。
「あいつら、元気にしてっかなぁ……」
憂鬱な表情で短く呟きながら歩く彼の右手には、お見舞いの品であるフルーツのバスケットが握られている。ただ、その足取りは決して軽くはなく、亀のようにのろのろとしたもので、まるで鉛を引きづっているかのようだ。
「そうなってしまったのは、あなたのせいではありませんよ、大神くん。それに、自分を責めるのは駄目だと、私、前に言いましたよね?」
そんな彼の横顔を心配そうに覗き込みながら言ったのは、彼の隣を並ぶように歩いているエリーネ・フリートハイムという名の銀髪の少女。
彼女の整った顔立ちは、可愛らしさと綺麗さ、その両方を内包しており、それに加え彼女の色白の肌が、日が落ちることによって色褪せ始めた世界の中でひときわ存在感を放っている。
こちらも私服姿――白のブラウスに、丈が長めの茶のプリーツスカート――である。
そんな彼女のことをすっごく可愛いと敏也は思っているが、特段褒めたりはしていない。
本当は彼女を褒めたかったのだが、寸でで思い止まったのだ。
自分からの称賛などを受けても彼女はきっと喜びはしない、というのが、敏也が胸の内に秘した苦い想いだった。
「……わかってるよ。でも、緊張するというか……」
まるでお通夜に赴いた人の様な表情をしながら、敏也は言った。
お見舞い相手。
その人物たちは以前、敏也を狙って起きた森林公園での事件に巻き込まれ、極度の衰弱状態に陥ったため入院を余儀なくされた、シュンとレンという名の子どもたちなのだ。
先日、ようやく面会が許可されたということを学園の隣に建設された研究機関に所属している博士という人物を通して知った敏也は、彼らのお見舞いに行こうと決心した。
――が、なにぶん特殊な事情や思いがあったため、一人で行くのは気が重いということでエリーネに付き添いを頼んだのだ。
苦々しげな顔をしている彼を見たエリーネは溜息をつき、
「はぁ……そんな顔で病人のお見舞いに行く気ですか? お見舞いにきた人が入院している人の気を重くしてどうするんです?」
「……ん、でもさ……」
「でももへったくれもありません。……まったく、いつまでもウジウジとしつこい人ですね。いいかげんにしないと――打ちますよ?」
満面の笑み。だが、右手が威圧感を放ちながら振りかぶられている。
「ひっ……わ、わかった、わかったから! だから、その手降ろせってっ!」
それを見た敏也は、過ぎ去った日々の中で貰い受けたエリーネのビンタの痛みを思い出し、骨身に刻みこまれた恐怖で顔を引き攣らせながら後ずさった。
そのおかげか、少なくとも辛気臭い顔ではなくなったようだ。
エリーネはそんな彼の顔をじっと眺めると、ふっと微笑み、
「……まあ、及第点でしょうか。……さ、行きますよ。早くしないと面会時間が終わってしまいますからね」
そう言ってそそくさと、病院の入口へ歩いて行く。
前を歩いていく彼女の長い銀髪が、さらさらと風に乗る。
夕日色に染まり始めた日光に照らされているためか、その銀髪がキラキラと輝いているように見え、どこか言い知れない妖しい魅力があり、非現実的な感動を見る者に与えていた。
そんな彼女を見た敏也も、知らず知らずのうちに息を呑んでいる。
「っ……お、おい、速いって! もっとゆっくりとだなっ。……ていうか、ちょっと心の準備を――」
彼らはそんなことを話しながら、病院の中へと消えていった。
◆
「エリーネ、代わりにノックしてくんない……?」
「ふざけてるんですか? ほんとに打ちますよ。ほら、さっさとノックしなさい」
「……はい」
受付の人に病棟を聞き、エレベーターに乗り、ナースステーションの看護師さんに病室の場所を聞いた彼らは今、その件の病室の前にいるのだ。
ただし、敏也の身体はかつてないほどガッチガチに緊張し、強張っている。とても第三交易都市で起きたテロを生き抜いた猛者とは思えない。
と、彼は突然エリーネの方を凛々しい顔つきで見ると、
「なあ、エリーネ。女性の看護師さんのことはさ、半世紀前と同じように『看護婦さん』って呼んだ方が良い気がしないか? ――俺はそう思う」
「…………あなたの性癖は心底どうでもいいですから、早くノックを。それと、現実逃避するなら一人の時にしてください」
「……性癖じゃないぞ。それに、俺は至ってノーマルだ。特にこだわりはない。服装とか職業はわりとどんなのでも――ぐぶっ」
横腹にエリーネの拳がめり込んでいる。
「――女性の前で卑猥な話題を持ち出すなんて……そんなに死にたいんですか?」
「……ずびばぜん」
痛みのあまり活舌が悪くなってしまったが、とりあえず謝っておいた。
それから数十秒を耐え忍び、横腹を襲う鈍い痛みからなんとか立ち直った敏也は、気を取り直して病室の扉をノックした。
コンコン、と音が響く。そして、バタバタと病室の中で何かが動き回る音がし、
「「せーの……、どーぞー!」」
と、中から元気な子供の声が聴こえてきた。その声を聴いた敏也は口元を嬉しそうに綻ばせ、そんな彼を見たエリーネも安堵したように小さく微笑んでいる。
「入るぞー」
敏也はそう言って、扉を開いた。
その先には――二つのベッドが並んでおり、それらのベッドとべッドを仕切るカーテンは収納され、そしてそれぞれのベッドの上には、元気そうな様子で座っているシュンとレンがいた。
敏也の姿を捉えたシュンとレンは「あー!」と、二人そろえて驚きの声を上げ、
「にーちゃん! ひっさしぶりー!」
笑顔で手を振ってくるシュン。
「おひさしぶりです、お兄さん。おみまいにきてくれたんですか?」
ニッコリと笑いながら歓迎してくれるレン。
そんな二人を見つつ敏也は片手を振り、病室の奥へと歩いて行きながら、
「おう、お見舞いだ。……元気そうだなお前ら。――と、もう一人いるんだけどな……」
そう言いつつ、チラリと入口のほうへと視線を向ける。
シュンとレンはその視線を追い、なになに、とそちらを見る。
そこには、
「――どうも。始めまして、二人とも。私はエリーネといいます。よろしく」
満面の笑顔で自己紹介するエリーネがいた。
すっごくにこやかにっこにこ。まるでどこかのお姫さまか貴族の淑女である。この女性が、鬼のような形相で火の球を飛ばしてくる人と同一人物だとはとうてい思えない。
(……なんで俺にはそういう笑顔を向けてくれないんですか?)
自分と子供たちとの扱いの差に内心拗ね気味な敏也だったが、口に出すような愚かな真似は決してしなかった。
無論、もしそうしたら、あとでこってり絞られてしまうからである。
エリーネを見たシュンとレンはとても驚いた様子で、
「あー! にーちゃんのかのじょじゃん! はじめましてー!」
「ちょっと、シュンくん! ちゃんとあいさつして! ……ごめんなさい、お姉さん。はじめまして、わたしはレンで、こっちはシュンくんです」
「ふふ、いいんですよ。気にしなくて。――――――彼女?」
にこやかに受け答えしていたエリーネが、ギロッと視線を敏也に向けた。が、敏也は目と目が合わさる前にバッと顔を逸らし、窓の外の暮れ始めた空へと目をやった。
(目を合わせるなっ。合わせたら絶対に心臓凍りついちゃうから! こういう時のエリーネの目はそれくらい冷たいから!)
エリーネは敏也のそんな態度に不満を募らせたのか、普段は可愛らしい線を描いている両眼孔の端を、先ほどよりも凶悪な角度に吊り上げた――が、子供たちの手前であるためか、すぐに元に戻した。
そして、彼女は顔ににこやかな笑みを浮かべると敏也の傍にささっと寄り、その耳元へと背伸びしながら口を近づけ、
「……私たち、いつの間にか付き合ってたんですね。初耳です。本当にびっくりですよ。……あとで根掘り葉掘り聞かせてもらいますからね。――ダーリン」
あくまで笑顔のままで、小声で、底冷えのするほど冷たい声音で仰られた。
その死刑宣告を聴いた敏也はとても誤魔化しきれないと悟り、無念さはいくらか胸に燻っているものの、観念することにした。
そして、後悔と戦慄の涙を流しながら、
「……ウッス……っ」
短く――まるで甲子園を目指していたが志半ばで敗れ去ってしまった野球部員であるかのように――悲しそうに、悔しそうに返事をした。
以前子どもたちと出会った際にエリーネと付き合っているのか聞かれ、適当に返事をしたことによって発生した誤解――というか嘘だったのだが、まさかここまで深刻な事態に進展するとはあの時の敏也は思っていなかったのだ。まさに、身から出た錆である。
本当は今すぐ「誤解なんだ!」と叫び出したかったが、子どもたちの手前、そうはできない雰囲気だった。今日が、今生との別れかもしれない。
シュンとレンは、そんな二人の様子を頭の上に疑問符を浮かべながら見ていた。
◆
敏也はフルーツのバスケットを病室の備え付けられている棚に置きながら、
「これ、お見舞いの品な。二人で分けて、お父さんかお母さんに剥いてもらえ」
「えー、にーちゃんがむいてよ。いまたべたーい」
「……我儘言うなっての。道具ないんだし、無理だって」
「まじゅつ」
「……あのな……」
呆れたような声。敏也が肩を竦めながら渋面をつくっていた。
要するに、魔術――武装魔術で果物ナイフを創って、それでフルーツを剥け、と言いたいのだろうか? そこまでさせてでも食べたいのか、フルーツ。
と、そこで、
「……では、こうしましょう」
一連の流れを黙って眺めていたエリーネが、パン、と手を叩きながら何かを提案しようとしていた。
「大神くんが果物ナイフを創って、私がそれを剥く。シュンくんとレンちゃんは、晩御飯を食べた後、デザートとしてそれを食べる。――どうでしょうか?」
自信満々。どうです! とでも言いたげな顔でエリーネが言った。そんな彼女を見た敏也は困ったような表情をしている。
そうではない、そうではないのだ。魔術を使い、なおかつ果物を剥くという工程が面倒だったわけではなく……。
「……や、俺はそれで文句ないんだけどさ。こいつらもうすぐ晩御飯だから、食べさせる訳にはいかないだろ」
そう、敏也が懸念していたのはこれだ。
現在の時刻は五時半に差し掛かろうかという時で、あと三十分もすれば夕食の時間。
いくら育ち盛りだとはいっても、食事の前に間食をして、それでも全てを残さずに食べられる保証はどこにもない。
エリーネは、あっ、と声を洩らし、
「そういえばそうでしたね。うっかりしていました。それなら、今食べさせるわけにはいきませんね」
「えー、やだやだ。いーまーたーべーたーいー!」
ベッドの上で身体全てを用いてバタバタし、最大限の不満を顕わにしているシュン。
それを見たレンは、まるでシュンのお姉さんであるかのように、彼を諭し始める。
「こらっ、シュンくん! お兄さんたちをこまらせちゃだめでしょ! がまんしなさい!」
「やだやだー!」
それでも彼の不満は収まらない。まだ十歳になろうかという子どもなのだから、これくらいの我儘や聞き分けがない部分は仕方ないのかもしれないが、それにしても、これはいささか子ども過ぎるのではないだろうか。
(……なんて注意したもんかな……怒鳴るだけじゃ駄目だろうし……)
正直、敏也には子どもの叱り方などわからない。
敏也は、シュンとレンくらいの年の頃にはもう親とは死別していた。傍にいたのは孤児院の職員の人か、学校の先生だけ。だから、他人よりも一歩踏み込んだ上での子どもの叱り方など、ほとんど身に覚えがないのだ。
本来親から学ぶべきことを学べなかったことが、まさかこんな時に足枷になろうとは思いもしなかった。
が、だからといって、手を拱いているわけにもいかない。
親から叱ってもらえなかった子どもが道を誤るという話は、決して少なくないのだ。
親と子どもの関係と、子どもの素行の間の因果関係などは良く分からないが、それでも、近しい存在がいないが故の孤独は理解できる。
そして、それが人の心を少しずつ蝕んでいくことを知っている。まるで病原菌が、細胞から細胞へと、人から人へと感染していくように、じわじわと浸食していくのだ。
だから、歯止めを掛けてあげなければならない。たとえ、この子に嫌われてしまうことになろうとも、駄目なことは駄目だと、せめてそれだけは言ってあげなければならない。
きっと、それが年長者の義務であり、責務なのだ。
敏也が長くも一瞬の葛藤の末、ようやく口を開こうとした時、
「――シュンくん」
エリーネがシュンの名を呼んだ――が、それはどこか厳しさを感じさせ、でも、暖かさも感じる声音。普段の彼女からはまた一つ違った雰囲気がある。
そんな声が、不満をまき散らしていたシュンの威勢を挫いた。喚いていた彼の動きがピタリと止まり、ベッドの上に怯えた様子でちょこんと座りこむ。
彼女はシュンのいるベッドの端に座ると、柔らかな笑みを顔に浮かべた。そして、彼の頭を優しく撫で始め、
「シュンくん。食べたいって気持ちはわかります。でも、ちゃんと考えてください。今、フルーツを食べて、あなたは晩御飯をきちんと残さず食べられますか?」
「うっ、それは……」
「無理でしょう?」
「……でもっ、びょういんのごはん、おいしくないからっ!」
懸命に食い下がる。しかし、エリーネは笑顔のままで、
「では、どうして病院のご飯はおいしくないんだと思いますか?」
「? ………わかんない」
「それはですね、あなたの身体が早く良くなって、早く退院できるように、栄養のあるものをお料理してくれているからですよ。だから、少しだけおいしさが足りなくなっているんです」
「……」
シュンは悔しそうにしながらも、喚き散らすことはせず、何かを懸命に考えている。
彼はどうやら、エリーネの言葉をきちんと理解しているようだ。
子どもらしく我儘ではあるものの、相手の言葉に込められた気持ちや意味を理解できる聡明さも内に秘めているらしい。
(それを、少しはレンの気持ちを察するために活用してほしいもんだが……)
敏也は呆れ顔を浮かべた状態でそう思いつつ、二人の動向を見守っている。
「早く退院したいでしょう?」
「……うん」
「じゃあ、今、フルーツを食べますか?」
「…………あとでたべる」
「――よろしい。偉いですよ、シュンくん。よく我慢できましたね!」
「わぷっ!?」
彼の決断を聴いたエリーネが、その顔に満面の笑みを湛えながら、シュンを、歳の割には豊満な胸に抱きしめた。
シュンは、最初は驚いたものの、今はおとなしくされるがままになっている。その表情はとても安らいでいて、まるで母親の胸に抱き止められている子どものようだった。
(……エリーネって、意外と子どもの扱いに慣れてんだな。――いや、違うか)
始めは『意外』と思ったが、すぐにそんなことはないと思い直した。
自分だって彼女にさんざん世話を焼かせてきたのだ。彼女からすれば今までの自分も、我儘で、みっともなくて、屁理屈しか捏ねられない、そんな捻くれた坊やだったはずだ。
だから、これは『相変わらず』だ。
そんな状況を敏也は微笑みながら見つめていると、いつのまにかベッドから降りて敏也に近づいていたレンが、彼の服の裾をクイクイッと引っ張りながら小声で呼んだ。
「お兄さんお兄さんっ」
「? なんだ、レン?」
「……お姉さんをシュンくんにとられて、さびしいですか?」
ニマニマした笑みを向けてきていた。
そんなレンを見た敏也は、思わず渋い顔で黙り込んでしまった。
歳の割に、本当に耳聡いというか早熟というか。
なんにせよ、このような無礼な態度は目に余る。この子が世間に飛び出した時に痛い思いをしないで済むように、一度年上の恐ろしさを教えてやらねばなるまい。
そう思い立った敏也は、即座に行動に移した。
「……寂しくないっての、アホっ」
「やっ、いたいですお兄さん……っ」
生意気な口をきいてきたレンの頬を人差指で軽く突っ突いておいた。




