冬-1
秋の景色は瞬く間に過ぎ去り、街は白い息と粉雪が舞う本格的な冬を迎えていた。
オーエンが人間の生活に馴染み、ルーカスという「友人」を得て、ギルドの面々ともささやかな交流を深めていく中――その事件は唐突に起きた。
「……クララ?」
ある朝、リビングに起きてこないクララを心配して部屋を覗いたオーエンは、ベッドの中で身を震わせている彼女を見つけた。
頬は異常なほど赤く、呼吸は浅く荒い。
差し伸べた手に触れた額は、火がつくのではないかと思うほど熱かった。
人間になったばかりのオーエンにとって、「病気」という現象を目の当たりにするのは、初めてだった。
すぐに駆けつけたルーカスが診察し、「酷い風邪だ。でも命に別状はないよ」と告げたが、オーエンの耳にその言葉は届かなかった。
ルーカスが急いで薬の材料を取りに研究室へ戻り、静まり返った部屋で、オーエンはベッドの傍らに腰を下ろした。
ただ、横たわるクララを見つめる。
(……同じだ)
オーエンの胸の奥で、何百年もの記憶が激しく点滅した。
クロニク、エリオ。マリア。
元気に旅をしていた彼らも最後は、こうしてベッドの中で、苦しそうに呼吸をしながら、静かに灯火を消していった。
(俺はまた、何もできないのか)
歴代の持ち主たちの時は、関わる術を持たなかった。
だからどうにもならなかったし、そういうものだと受け入れてきた。
けれど、今回は違う。
苦しそうに息を乱し、熱にうなされるクララの姿が胸を締めつける。
代われるものなら、この熱を代わってやりたい。
せめて、この苦しみだけでも取り除いてやりたい。
なのに、自分には何もできない。
いつも笑顔を向けてくれる彼女が、苦悶に顔を歪めている。
その姿を見ていることしかできない自分が、ひどく歯痒かった。
そして、胸の奥から這い上がってくる目の前の少女を失うかもしれないという、底知れない恐怖。
息が詰まる。
何故こんなにも恐ろしいのか。
何故こんなにも――
「……嫌だ」
生まれて初めて、オーエンの口から強い拒絶の呟きが漏れた。
何が嫌なのか、自分でも分からない。
ただ。
彼女が苦しむ姿を、もう見たくなかった。
そして、彼女がいなくなる未来だけは、どうしても受け入れられなかった。
バタバタと足音がして、ルーカスが戻ってきた。
「待たせた! すぐに薬を飲ませよう。オーエン、手伝ってくれ」
そこからの三日間、オーエンはクララの側を離れなかった。
人型として初めて行う看病。
スプーンで少しずつ薬を口に含ませる力加減も、冷たいタオルを額に替えるタイミングも、すべてルーカスに必死に教わりながら、不器用な手で、ただひたすらに尽くした。
三日目の朝。
ようやくクララの熱が下がり、穏やかな寝息に変わった瞬間。
オーエンは、椅子の背もたれに深く体を預け、初めて心から安堵の息を吐き出した。
その様子を横で見ていたルーカスも、疲れた表情でぽろっと漏らした。
「君、本当にクララが大事なんだね」
「当然だ」
オーエンは迷わずに答えた。
「……クララを失うのが怖かった?」
ルーカスのその問いに、オーエンは言葉を詰まらせた。
答えられないオーエンを、ルーカスはそれ以上追及せず、ただ優しく肩を叩いた。
**
「……ん……」
クララが目を覚ましたのは、その日の午後だった。
すっかり体が軽くなっていることに気づき、体を起こすと、枕元には何枚もの濡れタオルと、空になった薬瓶が綺麗に並んでいた。
「クララ、気がついたかい」
部屋に入ってきたルーカスから、クララはこの三日間のすべてを聞かされた。
オーエンが人間の姿のまま、一睡もせずにベッドの横に張り付いていたこと。
慣れない手つきで、必死に薬を飲ませ、何度もタオルを替えていたこと。
「あんなに必死なオーエン、初めて見たよ。君のために、本当に頑張ってくれていたよ」
ルーカスの言葉に、クララは胸が甘く締め付けられた。
自分のために、あの不器用な人が、どれほどの想いで側にいてくれたのだろうか。
**
数日後。
完全に体調が戻ったクララは、久しぶりに買い出しのために街へ出た。
その途中、ギルドの裏手でディンと出くわした。
「よお、クララ。風邪、すっかり良いみたいだな」
「ディン! うん、もうすっかり元気。お見舞いにも来てくれたんでしょう?心配かけてごめんね」
クララが笑うと、ディンはしばらく彼女の顔をじっと見つめる。
いつも通り、軽口を叩いて小突こうと右手を動かしかけたが――その手を途中で止め、ポケットへとねじ込んだ。
ディンはふっと、視線を遠くの冬空へと向け、少しだけ寂しそうに頭を掻いた。
「……いや、俺は何もしてねぇ。お前が熱で苦しかった時さ、あいつ、俺なんかよりずっと辛そうな顔してんだよ。この世の終わり、みたいな顔して、お前の手を握ろうとして……でも、恐れ多くて触れられねぇって感じでさ」
ディンはもう一度クララを見て、フッと笑みを浮かべた。
「あんな顔、俺にはできねぇよ。……元気になって良かったな、クララ。じゃあまたな」
それだけ言うと、ディンは振り返らずに歩き去っていった。
その後ろ姿を見送りながら、クララは照れくささに頬を染め、自分の胸が高鳴るのを止められなかった。
(オーエン......今何してるかな)
白い息を吐きながら、クララは雪空の向こうにいる彼を思った。




