ニガサナイ
「美月! 待って!」
「あ、待ちなさい樹!」
そうこうしている内に、樹が美月を追いかけて、単独で走り出した。
俺と弓削先生も急いで後を追いかける。
「美月! 捕まえた!」
先を走っていた樹が、2階へと通じる階段下で、美月の腕を掴んだ。
「美月! どうしたの? 大丈夫?」
両肩を掴んで何度も揺すっているけど、美月は抜け殻になっているかのように、視線も合わず、全く反応を示さない。
「美月! しっかり!」
俺が呼びかけても、美月は応えない。
「美月ぃ〜」
だんだん樹の声が弱々しくなっていく。
これまでの見えない恐怖に加え、片割れの様子がおかしくなったことで、樹もかなり参ってきている。
「どうすれば……、」
どうすればこの状況を打破できるのか、と、考えた時、俺は昨日HARUHIに教えてもらった護身術のことを思い出した。
『音を出すことで魔除けとするんだ』とHARUHIは言っていた。
昨日教えてもらったばかりだし、今まで一度も成功したことはない。
だけど今こんなところで手をこまねいていても仕方ない。
「……よし」
俺は一縷の望みをかけて、HARUHIに教えてもらった通り、握り拳を作った。
そして——。
パンっ____。
と、心地の良い乾いた音が、廊下に響いた。
「えっ、何の音……?」
「勘解由小路先生、今何を……」
弓削先生と樹が、揃って怪訝な顔をして、意味不明な動作をとった俺を見つめた。
「……あれ?」
「あ! 美月」
「美月さん、大丈夫ですか?」
だけど、美月が正気を取り戻したことで、二人はほっと息を撫で下ろしていた。
樹は涙目になりながら美月にしがみついている。
「……」
俺は美月が元に戻ったことに安堵しながらも、周囲に怪しい影や、幽霊がいないか見渡した。
倉庫にいた男子生徒の幽霊も、その他怪しい影も見当たらない。
もしかしたら、俺の弾指がしっかりと機能してくれたのかもしれない。
今度こそ外に出られる。
そう思った時——。
「……?」
ふと、明かりが俺たちを照らした。
見上げてみると、階段の踊り場、大きな窓の向こう側に、大きな月が浮かんでいた。
ずっと雲で隠れていたのが、ようやく顔を出したことで、俺たちを照らしてくれたのだろう。
まるで吸い込まれてしまうそうなほどに、月は静かに輝いている。
「——サナイ」
どこからともなく、声が聞こえた。
「? 樹、今何か言った?」
美月は不思議そうに樹を見るも、樹は無言で首を横に振った。
「じゃ、せんせ……?」
「いや……」
もちろん俺も、言葉は発していない。
「——ガサナイ」
再び、声が聞こえる。
全員の顔が青ざめた。
今すぐ走り出したい。
けれども、体は金縛りにあっているかのように動かない。
「ニガサナイ」
今度ははっきりと、声が聞こえた。
俺はゆっくりと、目線だけを、声が聞こえた足元へ向けた。
「……っ!?」
人間は本気で驚くと、声が出なくなる。
月明かりで発生した俺たちの影から、青白い男の顔が生え出て、こちらを睨みつけていた。
「ひゃっ……!」
弓削先生にも見えているらしく、小さな悲鳴が上がった。
「……っ! 玄関まで走るよ!」
俺は固まった体を強引に動かして、再び双子の手を引いて走った。
「もう何なの〜〜!?」
俺の手を引かれながら、美月が泣き言を漏らしている。
「勘解由小路先生! 今度は追いかけてきています!」
「クッソ……!」
走りながらチラリと後ろを見やると、先ほどの男子生徒とは違う。見知らぬ30~40代くらいの男の首が宙を舞い、その傍らには首のない胴体だけの存在が、俺たちを追いかけてきている。
「気持ち悪いな……!」
俺たちは必死に廊下を走り抜け、ようやく職員専用の玄関までやってきた。
靴に履き替える暇もなく、俺はドアノブに手をかけ開けようとした。
しかし——。
「また開かないのかよ!!」
どんなにドアノブをガチャガチャと回しても、扉は一向に開く気配がない。
お約束といえばお約束の展開だけど、今だけは本当に勘弁してほしい。
「在保先生! どいて!」
モタモタしている俺に痺れを切らした弓削先生が、再びパワープレイで蹴破ろうとした。
「はっ!」
弓削先生の華麗なハイキックが扉を蹴り付ける。
「……嘘」
だが、それでも扉はびくともしなかった。




