愉快愉快
「やっと……、見つけた……!」
「……っ!?」
まずい。
そう思った時には遅かった。
目の前に立っていた彼女は、一度瞬きをしたその一瞬で間合いを詰めると、両手で俺の首を掴んだまま押し倒してきた。
「在保君。元気にしてた?」
「う……っぐ……!」
俺の腹の上に馬乗りになって、白く細い指からは想像もつかないほどの強い力で、俺の首を締め上げてくる。
「随分と小癪な真似をするようになっちゃったね」
「……か、はっ……」
爪が肌に食い込んでくる。
痛い、苦しい。
彼女の細い腕を掴み、必死に引き剥がそうと力を込めるが、彼女の力が強すぎてびくともしない。
「何も知らずに、ただの運び役として、大人しく利用されていればよかったのに……」
押し倒された時に後頭部を強打したせいか、それとも倒れた拍子にメガネが俺の顔から離れてしまったせいか。視界がぼやけて、至近距離にあるだろう彼女の表情がどうなっているかは、わからない。
ただ彼女の絹のように細く、長い銀色の髪が、カーテンのようにサラサラと彼女の背中から滑り落ちていく様が、こんな状態であるにも関わらず、美しいと思った。
「安倍の裔に、余計な知恵を吹き込まれているな?」
「ぐ……うぅっ……!」
今の今まで猫が甘えているような可愛らしい声をしていたのに、突然声色が低くなり、恨みがこもった妖艶なものへと変わった。
安倍の裔とは、HARUHIのことだろうか。
聞き返そうにも、首を締め付ける力があまりにも強く、ろくに呼吸ができない。
「お前が力を取り戻し、己が宿命に従うというのなら……。……その前に、殺してやろうぞ」
このままでは、窒息死どころか、首を捻り切られてしまう。
「愛する女に殺されるのは、どんな気持ちだろうなぁ?」
俺、このまま、死ぬのか……。
やっと、俺の個性を尊重してくれる存在に出会えたんだけどな……。
あ、でも……、独り寂しく、冷たいフローリングの上で孤独死するくらいなら、たとえ騙されていたとしても、愛している人に殺された方が……まだマシかも……。
窮地に立たされているのに、なぜか頭は冷静で、もう助からないんだと死を受け入れた俺は、抵抗していた腕の力を弱めた。
薄れる視界の中、彼女の首から下げられたネックレスが、キラリと鈍く光ったのが見えた。
その時だった。
「!? チィッ!」
突然、馬乗りになって俺の首を絞めていた彼女が、横から飛んできた何かに吹き飛ばされた。
そして壁に立てかけられていた資材にぶつかり、激しい音を立てて資材と共に崩れ落ちた。
「ごほっ! ゲホッ! うぅ……はぁ、はぁ……」
ようやく自由になった体。
俺は何度も咳き込みながら、不足している酸素を目一杯取り込んだ。
「何考えてんだ、お前」
冷たい地面から起き上がれず、這いつくばったまま必死に呼吸をしていると、ぼやけた視界に女性物の靴が映った。
ゆっくりと顔をあげると、ステージ衣装のまま眉間に深い皺を寄せて、深い怒りの表情を露わにしたHARUHIが、俺を見下ろし睨みつけていた。
「ハル……ヒ……、なん、で……けほっ」
「……説教は後だ」
HARUHIは、俺をライブの裏口に連行したあの日と同じくらい、地を這うような低い声でそう言った後、崩れた資材を睨みつけた。
「安倍の裔が……! 相も変わらず小賢しい……!」
すると崩れた資材の中から、彼女が再び姿を現した。
あれだけ大量にある資材の下敷きになりながら、外傷は全く見られない。
更には腰からは、先ほどまでは無かった。銀色に輝く9つの尾が姿を見せていた。
「テメェも相変わらずしつけぇな。1000年以上も前のことを根に持つなんざ……。末裔ってだけで追いかけ回される俺たちの身にもなれってんだ。この拗らせストーカー女狐が」
「ふん、よく言う。貴様の祖こそ、那須までわざわざ追いかけて来てまで、妾を斃そうとしたではないか、その執念には恐れ入ったわ」
「テメェが当時のお上を誑かしたからだろうが。何被害者ヅラしてんだいい加減にしろよ」
彼女とHARUHIは一定の距離を保ち、お互い精神的な余裕が伺える笑顔を浮かべたまま睨み合っている。
そんな中、俺はまだ動くこともままならず、地面に這いつくばったまま2人の会話を聞いていた。
「……其方は土御門の当主と違って、口が減らんな」
「……そりゃどーも」
「泰親の血筋も落ちぶれたのぉ。かつては『指神子』とまでうたわれ、在憲の一族を下し、朝廷からも一目置かれていた存在にまで上り詰めていたというのに……。今は見る影もない」
「……」
「あの日、呑気に呆けていた土御門の家を襲い、腕を落とした時の当主の顔と言ったら……。思い出すだけで笑いが止まらぬ。愉快愉快」
土御門……。そういえば、安倍の本家である土御門家は、すでに一度襲撃に遭っていると、ミチルさんが言っていた。
それに腕を落としたって……! そこまでやったのか……!? まさか、その人はもう……。
「……はっ」
けれどもHARUHIは、悲しむどころか、笑っていた。
「しょうもねぇ自慢話は終わったか?」
「……何だと?」
「要は殺せなかったんだろ? 苦し紛れにお得意の狡い幻術を使って、なんとか腕だけ落として、おめおめと逃げ帰って来たんだろうが」
それまで勝ち誇ったような、妖艶な笑みを浮かべていた彼女の表情が、図星を突かれたような顔に変わった。どうやらHARUHIの言うことは本当みたいだ。
ようやく呼吸が安定してきて、冷たい床に転がっていたメガネを手繰り寄せてかけると、視界もだんだんと明瞭になってきた。
「それにお前……、どうやら土御門のご当主様からありがた〜い置き土産もいただいてるみたいじゃねぇか」
「……!」
彼女の表情が、一瞬でピキリと凍りついた。妖艶な笑みが剥がれ落ち、どす黒い怒りがその美貌を侵食していく。
そんな彼女の動揺を逃さず、HARUHIはさらに煽り立てた。
「だからただの分家出身である俺にも負けるんだ。あー愉快愉快」
「たわけが! 小僧!」
怒りの沸点が最高潮に達した彼女は、人だった姿の輪郭が、瞬時に膨れ上がった。美しい肌を突き破るようにして、鋭い牙と、妖しく光る金色の眼光が剥き出しになる。その姿は、人間を遥かに超越した、巨大で禍々しい狐の化け物。
彼女だった妖怪『玉藻前』は、高く跳躍し、 HARUHIの首を噛み千切らんと真っ直ぐに襲いかかった。




