やばいやばいやばいやばい
「でもまだ30分ある……! まだまだこれから……って、げっ!!」
「どうかしました……、って、何やってんですか」
とはいえ、開演までまだ時間はあるし、CDの販売エリアにもまだ列は……。
そこまで考えてすぐ、俺は光の速さでミチルさんの背後に身を隠した。
「ちょっと、私を盾にしないでください」
「やばいやばいやばいやばい」
「何がやばいんですか」
ミチルさんが呆れたように言いながら、必死に縮こまっている俺を見下ろしている。
だって仕方ないじゃないか……!
CDの販売エリア……、今まさにHARUHIのCDを買っているお客さん……! あのよく似た顔2つ……。間違いない……!!
「俺の教え子がいる……!!」
「……マジですか」
平野樹と美月……!
なんでこんな所にいるんだ……!?
……いや、休日だしこのショッピングモール自体、若者御用達だから来ていてもおかしくはないか……。
でも! あの2人はアイドルにそんな興味無かったはず! なんでCDを買ってるんだ!?
しかも2人揃って初回限定盤!? 同じ屋根の下に住んでいるんだから1枚で良くないか!?
「……在保さん、こちらへ」
「? はい」
「これを頭から被ってください」
「これは……布?」
「早く」
「あ、はい……」
ミチルさんは、俺をステージ裏まで引っ張っていくと、どこからか取り出した白い大きな布を手渡してきた。
俺は訳もわからず、とりあえず言われた通り、その布を被った。
「しばらくじっとしていてください」
そう言うと、ミチルさんはボソボソと小声で何かを呟きながら、俺の周囲をぐるぐると歩き始めた。
「なかきよの、とおのねふりの、みなめさめ、なみのりふねの、おとのよきかな……」
(これは……回文か……? 何をやってるんだ……?)
これも陰陽師が行う儀式の一つなのだろうか。
聞きたくても今邪魔をするわけにもいかず、俺は暗闇の中でただじっとしていた。
「……もういいですよ」
しばらくして、ミチルさんが頭の布をバサリと取り払ってくれた。急に差し込んできた照明の光に、俺は思わず目を細める。
「……っ?」
ミチルさんに、「今何をしたんですか?」と、尋ねようとした俺の唇に、ミチルさんが人差し指をすっと押し当てて言葉を遮った。至近距離で見つめる彼女の瞳は、冗談抜きの真剣そのものだ。
「一時的に、あなたの姿が認識できなくなる『隠形』の術をかけました。これでしばらくは、私やHARUHIのような能力者を除いた一般人には、あなたの姿は見えなくなります。……ただし」
(……ただし?)
「言葉を一言でも発すると、その効力はなくなります。気をつけてください」
「……!」
一言でも喋ったらアウト。
簡単なようで、パニックに陥ったら一瞬で破綻してしまいそうな、極めて高難易度な制約だ。
……けど、あの双子にこの姿を見られるリスクに比べればマシだ。俺は口をギチッと真一文字に結び、こくこくと何度も首を縦に振った。
******
ミチルさんに姿が見えなくなる術をかけてもらってから、俺は引き続き黙々と、裏方で1人作業に励んだ。
確かに術が効いているのか、これまでに何人かのスタッフとすれ違ったが、誰一人として、俺に話しかけてくる者はいない。いや、俺の姿そのものを認識できていない、と言った方が正しいか。
一度だけ、ライブが始まる直前にHARUHIと顔を合わせた。
彼女は俺の事情を前もってミチルさんに聞いており、かつ姿も認識できているみたいで、得意げな笑顔のまま、
「俺様の完璧なパフォーマンスを見て、思わず声を出しちまわないように、せいぜい気をつけろよ」
……とだけ言い残して、舞台上へと向かって行った。
(……ずるい)
HARUHIは本当にずるい。
HARUHIの弾けんばかりの、太陽のように眩しい笑顔は、俺の悩みの種をどこかに吹き飛ばしてしまうんだから。
これまで散々HARUHIの真の姿を見て、その大きすぎるギャップから落ち込んだりしたけれど、やはり一度掴まされた心臓は、そう簡単には手放してくれないらしい。
俺はライブが始まった後も、誰からも認識されていないのをいいことに、裏方からHARUHIのライブをこっそりと満喫してしまった。
「今日は来てくれてありがとう!」
「わ〜! スミさん今日も来てくれたんですね〜! はるひ嬉しい〜!」
「はるひのチャンネルにも是非遊びにきてね〜!」
そんなライブはあっという間に、何事もなく無事終了した。
現在は初回限定盤を購入した人限定でサイン会が開始され、HARUHIは多くのファンたちと交流しながら、慣れたようにペンを走らせて、CDにサインを書いていく。
(樹と美月……!)
サイン会の列にはもちろん、あの双子も並んでいた。
双子は終始楽しそうな笑顔のまま、自分たちの番になるとCDをHARUHIに差し出した。
「ツナの動画見てからファンになりました〜!」
ここでも双子らしく、綺麗にセリフが被っている。
「わ! 2人で初回限定盤買ってくれたんだ! はるひすっごく嬉しい〜!」
「これからも応援しまーす!」
「ありがとー!」
ツナの動画を見たのか……。それでここに……。
ということは、俺がいじられているシーンも見ていることになるのか……。
……いや! 大丈夫だ! 俺は声だけだし、動画が公開された後も、「なんか声が似てるね」とかは誰にも聞かれていないし!
俺はなぜかヒヤヒヤしながらも、サイン会の様子を裏方から見守っていた。
回文=最初から読んでも逆から読んでも同じ読みにる文章のこと
「なかきよの、とおのねふりの、みなめさめ、なみのりふねの、おとのよきかな」は和歌でもありまして
「長き夜の 遠の眠りの皆目覚め 波乗り船の 音の良きかな」とも書きます。
で、こちらの和歌は本来、お正月の夜に、上記の和歌と七福神の宝船が描かれた絵を枕の下に置き、上記歌を3回読んでから寝るといい夢が見られる。といった風習があります。




